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  • おんぎくでんこうぎ げ。 だいじゅうご、しゅじょうけんこうじん、にしゅけんしょうじんのこと。

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2018年 7月26日(木)02時12分44秒
 
おんぎくでんこうぎ げ。
だいじゅうご、しゅじょうけんこうじん、にしゅけんしょうじんのこと。

つうげ。
じゅりょうほんだいじゅうろくの、「しゅじょうこうつきて、だいかに、やかるるとみるときも」から「しかもしゅうはやけつきて、うれいおそれもろもろのくのう、かくのごとき、ことごとくじゅうまんせりとみる」に、いたるもんについてのおんぎくでんである。
 これは、ほんもんじゅりょうの、いちねんさんぜんをさんたんしたもんである。
 たいかしょしょうじのたいかとは、じつぎには、ぼんのうのたいかということである。また、さんぜけんにやくしていえば、がしどあんのんのもんは、こくどせけんをあらわすのである。
 しゅじょうしょゆうらくとは、しゅじょうせけんをあらわすのである。またほうじゅたけかとは、ごおんせけんをあらわすのである。これすなわち、いちねんさんぜんをふんみょうにとかれたのである。
 またいわく、このきょうもんには、げんぜんとじっかいがとかれている。たいかしょしょうじのたいかとは、じごくかいである。しょてんぎゃくてんくの、てんくとはちくしょうかいである。てんにんじょうじゅうまんの、ひととてんは、にんかいとてんかいの、にかいをいう。すなわち、てんとにんとがつねに、じゅうまんするのである。うまんだらげとは、しょうもんかいのことである。おんりんしょどうかくのおんりんとは、えんかくかいのことである。ぼさつとは、さんぶつぎゅうたいしゅうの、ぎゅうのいちじが、ぼさつかいをあらわしている。ぶっかいとは、さんぶつのもんが、これをあらわしている。しゅらかいとがきかいとは、うふしょくのう、にょぜしつじゅうまんの、くにせっするのである。
 これらのくのうのしゅじょうをば、「このもろもろの、つみのしゅじょう」ととかれたのである。しかしながら、このないしょうの、じゅりょうほんたるだいごほんぞんが、あらわされてからは、そくかいけんがしんと、あるがごとく、わがみがいちねんさんぜんのとうたいとあらわれるのである。いま、にちれんだいしょうにんならびに、なんみょうほうれんげきょうととなえたてまつる、でしだんなのことなのである。

 こうぎ。
このおんふみのないようをまとめると、つぎのようになる。
     さんぜけん。
   がしどあんのん・・・・・・こくどせけん
   しゅじょうしょゆうらく・・しゅじょうせけん
   ほうじゅたけか・・・・・・ごおんせけん

     じっかい。
   さんぶつぎゅうたいしゅう・・ぶつ、ぼさつ
   おんりんしょどうかく・・・・えんかく
   うまんだらけ・・・・・・・・しょうもん
   てんにんじょうじゅうまん・・にん、てん
   うふしょくのう、にょぜしつじゅうまん・・しゅら、がき
   しょてんぎゃくてんく・・・・ちくしょう
   たいかしょしょうじ・・・・・じごく

  したがって、このもんは、いちねんさんぜんをあらわしているのである。
 「このじゅりょうほんの、せつあらわれては」とは、なんみょうほうれんげきょうというこんぽんがあらわれれば、とのこころであり、そのままじっかい、さんぜんせけんはみょうほうごじのこうみょうにてらされた、ほんぬのさんぜんせけんとなり、じのいちねんさんぜんのだいごほんぞんとなる。そくかいけんがしんとは、このじのいちねんさんぜんのだいごほんぞんは、まったくにちれんだいしょうにんの、おせいめいそれじたいであることをいうのである。
 しかして、「いま、にちれんとうのたぐいなんみょうほうれんげきょうと、となえたてまつるしゃこれなり」とおおせられ、ごほんぶつ、にちれんだいしょうにんとおなじく、だいしょうにんのでしもまた、そくかいけんがしんであり、じのいちねんさんぜんの、とうたいとあらわれることを、おときくださっている。
 わがみ、みょうほうのとうたいとあらわれるならば、ぶっかいがけんげんし、じごくかいも、がきかいも、ちくしょうかいも、ほんぬのじごくかい、ほんぬのがきかい、ほんぬのちくしょうかいとなり、すべてこうふくへのはたらきとなるのである。わがこしんのまおうも、すべてみょうほうのこうみょうにてらされ、こうふくへとはたらくのである。
 わがとうたいは、しゅじょうしょゆうらくにして、いっかにあって、しゃかいにあって、しんじつのしゅたいせい、じがのかくりつをなし、こころからのこうふくをまんきつしていく。
 わがみのしきじゅそうぎょうしきの、ごおんは、ぜんほうおんがいのむみょうははれて、じひにおおわれた、かつどうとなる。かつまた、しょうじじゅうとうの、くをひらき、じょうらくじゅうとうの、ふるまいとなる。このとき、がしどあんのんにして、われらがいくところ、ことごとくじょうじゃっこうの、せかいがてんかいされる。
 これ、じのいちねんさんぜんのすがたであり、しんじつのこうきょうであると、しんずるものである。なお、このきょうもんについての、かいしゃくは、とだぜんかいちょうの「ほうべんぽんじゅりょうほんこうぎ」をさんこうにしていただきたい。


さんせけんについて。
 ほんぶんに「がしどあんのんとはこくどせけんなり、しゅじょうしょゆうらくとはしゅじょうせけんなり、ほうじゅたけかとはごおんせけんなりこれすなわちいちねんさんぜんをふんみょうにとかれたり」とあるが、ここでさんせけんについてじゃっかんかんがえておきたい。
 さんせけんをのべるまえに、せけんということのいみをのべることにする。
 せけんとはさべつとやくすのである。あまりのなかのいっさいのじしょうはさべつである。ここにいうさべつとは、けっしてにんげんせいかつ、またしゃかいにおける、つくられた、ふごうりなさべつをいうのではなく、
ほんらい、そのもののとくしつによってしょうずるさべつでる。あるじしょうとあるじしょうとをはんべつできるのは、そのかんにさべつがあるからであり、いいかえれば、そのものこゆうのとくしつがあるからである。これらのさべつは、そのままいかされてとうぜんであり、これをおしなべてひとしくするひつようはない。
 にんげんのせいめいにほんらいそなわったさべつも、そのままいかされるべきである。にんげんひとりひとり、かけがえのない、そんげんなるせいめいのとうたいであり、そのこせいがさいこうにいかされるところに、しんのじゆうがあり、びょうどうがあるのではあるまいか。さくらのはなはさくらのはなとしてりっぱにさきさかえていけばよい。つばきのはなはつばきのはなとしてさきほこればそれでよい。みんなおなじさくらになってしまったなら、かえってそのかちをうしなうのである。
 ほうべんぽんだいにに「これのほうはほういにじゅうして、せけんのそうじょうじゅうなり」とあり、さべつのそうそのままで、じょうじゅうのすがた、ほんぬのすがたであることがめいじされている。
 これからろんずるさんせけんも、ひらけばさんぜんせけんへとてんかいされる。これらのさべつのほうもことごとく、みょうほうごじにてらされるとき、ほんぬのすがた、じょうじゅうのすがたとあらわれ、もっともちからづよい、しょうじょうな、そんげんなるほうとあらわれることをしるべきである。

   (1)ごおんせけん
 ごおんは、しんやくにはごうんとかく。いちこじんまたはいちじぶつのせいめいかつどうをぶんせきすると、いろ、じゅ、そう、ぎょう、しきのごしゅのさべつがある。
 いちねんさんぜんりじにいわく、「ごおんとは、しんやくには、ごおんというなり、おんとはじゅしゅうのぎなり、いちにしきおん、ごしきこれなり、ににじゅいん、りょうのうこれなり、さんにそうおん、くしゃにいわく、そうはぞうをとるをたいとなすと、もん、しに、ぎょうおん、ぞうさこれぎょうなり、ごにしきおん、りょうべつこれしきなり、しのごに、ばしゃをひいていわく、しき、まずりょうべつし、つぎにじゅは、りょうのうし、そうはそうみょうをとり、ぎょうはいじゅうをおこし、しきはぎょうによつてかんずと」(0407-15)と。
 すなわち、われわれのせいめいにやくしてえば、しきとはしきぎょうで、われわれのにくたいがこれにあたる。また、われわれがげかいにあるものをうけいれるのはじゅで、それにたいししゅじゅのおもいをなすのはそうである。ぎょうはそのおもいによっておこすところのしょぎょうで、しきとは、いじょうのことをうちからおこさせるいしきである。そうが「そうみょうをとる」とあるがごとく、およそのりんかくをこころにえがくのにたいし、しきはしりょふんべつのこんぽんしきである。
 このように、せいめいをしき、じゅ、そう、ぎょう、しきというようにぶんせきし、たてわけてせつめいしたものが、ごおんである。したがって、あるAのひととBのひとをくらべて、ごおんのさべつをろんずるのがごおんせけんなのである。
 さらにおんについていえば、おんには、いんにやくしていんがいのこころと、かにやくしてせきじゅのこころがある。すなわち、ぜんほうをいんがいし、そのげんいんによってしょうじが、じゅうとうすることを、いう、かをまねくことをあらわすのである。だがこれは、きゅうかいにやくしたばあいであり、もしぶっかいにやくせば、ぜんほういんがいは、じひふくがいとてんかんし、そのけっか、しょうじじゅうとうのくかは、じょうらくじゅうとうのしんじつなこうふくなるじんせいへとてんかんするのである。
 このことを、にちかんしょうにんは、、さんじゅうひでんしょうに「ごおんはしき、じゅ、そう、ぎょう、しきなり、いうところのおんとは、ただしくきゅうかいにやくし、ぜんほうを、おんがいするゆえにおんとなずくるなり、これはいんについて、なをえ、またはおんはこれ、しゃくじゅなり、しょうじじゅうとうす、ゆえにおんとなずく、これはかについてなをえたり、もしぶっかいにやくせば、じょうらくじゅうとうし、じひふくがいするがゆえなり」とある。
 このもんちゅう「ぜんほう」とは、みょうほうれんげきょうのことであり、ちからづよいしょうじょうむぜんの、だいうちゅうのリズムとがっちしたせいめいのじったいである。いっさいしゅじょうには、ことごとくみょうほうれんげきょうのせいめいがあるが、ひとはごたいをはたらかせてあやまれるこうどうをなし、あやまれるしそうをうけいれ、しゅ々じゅのもうそうをおこし、さらにあやまれるこうどうをつみかさねもうしゅうとじゃねんのために、もともとのせいじょうなみょうほうれんげきょうのせいめいがおおわれてしまうのである。
 しかし、もしこのしょうじょうむぜんの、ちからづよいせいめいがゆげんするや、そのひとのこうどうも、みもこころも、みょうほうれんげきょうのはつろとなり、じひにおおわれたしきしんとなっていく。わがしきじゅそうぎょうしきは、まさにほうじゅたけかのきょうもんのごとく、そんげんなるしほうであり、このしほうあるゆえに、だいうちゅうのリズムとがっちしたこうふくせいかつとなり、それぞれこせいをはっきし、じんせいをさいこうにたのしみきっていけるのである。
   (2)しゅじょうせけん
 しゅじょうとはせいめいとやくし、ごおんがかりにわごうするのをいう。しかして、じごくかいからぶっかいまでのじっかいつうじてしゅじょうとなづけるのである。
 ここでごおんせけんとしゅじょうせけんのそういをめいかくにしておきたい。さきにのべたごとく、ごおんせけんとは、せいめいを、しき、じゅ、そう、ぎょう、しきのいつつにぶんせきし、たてわけて、AとBのひととのそういをろんずるのであるが、しゅじょうせけんとは、これにたいして、せいめいをそうごうてきにあつかい、せいめいぜんたいをもんだいにしているのである。
 したがって、AのひととBのひととおなじくじごくかいのせいめいであっても、こ々このせいめいのもつしき、じゅ、そう、ぎょう、しきはまったくちがうのである。しかしながらおなじくじごくのくるしみをうけ、ともにくのう、はんもんしていれば、しゅじょうせけんからいえば、ともにじごくのしゅじょうである。
 つぎにしゅじょうとは、なぜごおんが「かりにわごう」したものなのであろうか。それは、じじつが、あまりにもこのもんのいみをものがたっている。
 われわれのせいちょうをかんがえてみても、にくたいである「しき」は、たえずへんかしている。また「じゅ」も「そう」も「ぎょう」も「しき」も、すべてしゅじょうをこうせいしているごおんは、たえずへんかしている。したがって、このかんてんからいえば、せいめいとは、ごおんがかりにわごうしたものであるということである。だが、これは、ごおんせけんより、しゅじょうについてろんじたものでり、ごおんによってけいせいされたしゅじょうは、いちこのどくじのせいめいである。そのどくじのせいめい、ぜんたいのせいめいについて、じっかいをろんずるのがしゅじょうせけんである。
 じっかいつうじてしゅじょうというならば、ぶっかいもしゅじょうといえるのか、そのとおりである。ぶっかいはそんごくのしゅじょうである。どうしてぼんげとおなじわけがあろうか。このように、じごくのしゅじょう、がきのしゅじょう、ないしぶっかいのしゅじょうというように、さべつのあるのをしゅじょうせけんというのである。
 だが、このようなそうたいてきなさべつかんのみでは、にぜんごんきょうであり、これにたいしてぶっかいといえどもぼんげのいちねんをえこず、また、そんごくのほとけのせいめいにもじごくかいのあることをあかしたのが、ほけきょうのしょほうじっそう、じっかいごぐいちねんさんぜんのてつりである。さればみょうらくのこんぺいろんにも「あびのえしょうはまったくごくしょうのじしんにしょし、びるのしんどはぼんげのいちねんをえこず」とある。
 しょほうじっそうしょうにいわく、「じっそうというは、みょうほうれんげきょうのいみょうなり、しょほうはみょうほうれんげきょうということなり、じごくはじごくのすがたをみせたるが、じつのそうなり、がきとへんぜば、じごくのじつのすがたにはあらず、ほとけはほとけのすがた、ぼんぷはぼんぷのすがた、ばんぽうのとうたいのすがたが、みょうほうれんげきょうのとうたいなりと、いふことをしょほうじっそうとはもうすなり」(1359-)と。
 みょうほうれんげきょうのこんていがあらわれ、じごくもがきもすべて、みょうほうごじにてらされ、ほんぬのそんぎょうとなる。これが、しんじつのしゅじょうせけんのすがたなのである。
 ほんぶんに「しゅじょうしょゆうらくとはしゅじょうせけんなり」とおおせられたのは、このしゅじょうもまた、じごくよりぶっかいにいたるじっかいのせいめいであり、じっかいをおんねんとして、ぐしながら、しんじつのこうふくなせかい、みょうほうのせかいをゆうげしていくことをしゅじょうしょゆうらくというのであり、ここにおいてしゅじょうせけんが、かんぺきにとかれたことになるのである。
 じごくかいをなくすひつようもなければ、がきかいをめっしつしてしまうひつようもない。むしろ、それがなければ、もはやせいめいたいとしてなりたたない。まさにかくうのそんざいとなってしまう。すべて、しんじつのゆうらくのげんせんとなり、いだいなるかちそうぞうの、げんどうりょくとなっていくとしるべきである。

   (3)こくどせけん
 こくどせけんについてはまえに「だいじゅうさんじょうじゅうしせっぽうのこと」のところでしょうろんしたので、ここではかんたんにせつめいしておきたい。
 こくどとはじっかいのしゅじょうのすむところである。ずいそうごしょにいわく「それじっぽうはえほうなり.しゅじょうはしょうほうなりたとへばえほうはかげのごとししょうほうはたいのごとし、みなくばかげなし、しょうほうなくばえほうなし、またしょうほうをば、えほうをもつてこれをつくる、」(1140-06)と。
 すなわち、じっかいのしゅじょうと、そのしゅじょうのじゅうするこくどはいったいふにである。じごくかいのせいめいにはそれそうおうのこくどがあり、がきかいからぶっかいにいたるまで、みなそれぞれこくどをゆうする。
 さんじゅうひでんしょうには、かくしゅじょうのじゅうしょがあげられ「じごくはしゃくてつによってじゅうし、がきはえんぶのした、ごひゃくゆじゅんにじゅうし、ちくしょうはすいくうにじゅうし、しゅらはうみのほとり、うみのそこにじゅうし、ひとはだいちによってじゅうし、てんはきゅうでんによってじゅうし、にじょうはほうべんどによってじゅうし、ぼさつはじつほうどによってじゅうし、ほとけはじゃっこうどにじゅうしたもうなり」としめされている。
 すごいくるしみのせいめいが、まっかにやけたてつのなかにあり、あくなくむさぼるせいめいが、ちかのじんこうにうごめき、いかりくるい、おごりたかぶったせいめいががんとうのどとうにすむということは、なかなかしんじにくいことであろうが、ふかいしさくによってじじつとみとめざるをえないであろう。かってのひろしま、ながさきなどをおもいあわすべきである。またてんにんのごとくふくとくあるひとが、きゅうでんによってじゅうすることもあきらかである。にじょうのほうべんどは、にちじょうせいかつにやくせば、がくしゃやげいじゅつかのすむところ、けんきゅうしつやアトリエなどにあたり、ぼさつのすむじつほうどは、しどうしゃをもってにんじているかいきゅうのしゅうかいなどにそうとうするであろう。しかし、これらのこくどは、しょせん、むじょうをまぬがれず、ただ、ほとけのじゅうするじゃっこうどこそほんぬのこくどであるととかれたのである。
 だが、これらのせつめいは、いまなおにぜんしゃくもんのだんかいであり、それぞれのこくどが、あたかもべっせかいであるかのごとくとかれており、ほとけのじゅうするじゃっこうどたるや、えどたるしゃばせかいからは、まったくはなれたかなたのせかいであるとされていたのである。
 しかして、ほんもんじゅりょうほんだいじゅうろくにいたり、しゃばせかいがじょうじゃっこうどであるととかれ、このげんじつのこくどがぶっこくどとあらわれたのである。これは、きょうそうじょうのことであり、せいめいろんでいえば、ひじょうのそうもく、こくどにも、ぶっしょうがあることをしめされ、ここにこくどせけんが、かんぺきとなるのである。ほんぶんに「がしどあんのん」のもんをこくどせけんととることもこのゆえである。ゆえにしかんだいごじょうにいわく、「こくどせけんまたじゅっしゅのほうをぐすゆえんにあくこくど、そう、しょう、たい、りき」と。また、こんぺいろんにいわく「いちそう、いちもく、いちりゃく、いちじん、かくいちぶっしょう、かくいちいんがあり、えんりょうをぐそくす」と。
 こくどせけんがかくりつすることによって、こくどにも、じっかいごぐ、ひゃっかいせんにょをぐそくひすることがあきらかになり、さんぜんのすうりょうがあかされる。しかして、このさんぜんせけんがいちねんのせいめいのなかにあるとといたところに、ぶっぽうのいだいさがある。
 このいちねんのせいめいに、ごほんぞんときょうちみょうごうしてみょうほうのゆげんのあるとき、わがせいめいにぐするさんぜんられつのほうは、ことごとく、ちからづよいしょうじょうなかつどうとなっていくのである。



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