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  • おんぎくでんこうぎ げ だいきゅう、どくけじんにゅう、しっぽんしんこのこと

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2018年 7月20日(金)01時55分41秒
 
おんぎくでんこうぎ げ。
 だいきゅう、どくけじんにゅう、しっぽんしんこのこと。  756
 くでんにいわく。 どくけじんにゅうとは、ごんきょうほうぼうのしゅうじょうふかくはいりたる
ものなり。これによつて、ほっけのだいろうやくをしんじゅせざるなり、ふくせしむるといえども、
はきだすは、にいふみとて、むまからずというものなり、いまにちれんとうのたぐい、なんみょうほ
うれんげきょうととなえたてまつるは、にいふみのものにあらざるなり。

つうげ。
 じゅりょうほんだいじゅうろくの「どくけふかくはいって、ほんしんをうしなえるがゆえに」のも
んについて、おんぎくでんではつぎのようにおおせである。
 この「どくけふかくはいって」というもんは、ごんきょうほうぼうへのしゅうちゃくしんが、ふか
くそのひとのせいめいのなかにはいりこんでしまったもののことをさすのである。このために、ほっ
けのだいろうやくたるだいごほんぞんをしんじゅしないのである。また、たとえ、だいろうやくをふ
くしても、はきだしてしまうのは、にいふみといって、うまくないというものである。
これらの、だいごほんぞんをしんじゅしないもの、またにゅうしんしてもとちゅうでたいてんしてし
まうものは、どくけじんにゅうのゆえなのである。
 いま、にちれんだいしょうにんおよびそのもんかがなんみょうほうれんげきょうととなえたてまつ
るのは、にいふみのものではないことになる。

こうぎ。
 ここは、しゃくぶくをして、なにゆえ、すぐにしょうほうをしんじゅできないか、そのほんしつろ
んをとかれたところである。
 それをにちれんだいしょうにんは、きょうもんのごとく「どくけじんにゅうしつぽんしんこ」であ
ると、かっぱせられたのである。

しかして、どくけじんにゅうとは「ごんきょうほうぼうの、しゅうじょうふかくはいりたるもの」
と、いちごんのもとにしめされ、このゆえに「ほっけのだいろうやくを、しんじゅせざるなり」とけ
つろんせられている。
 「ごんきょうほうぼうの、しゅうじょうふかくはいりたるもの」とは、べっしてはじゃしゅうきょ
うのきょうそ、しゅうきょうか、しょうほうにはんたいするひょうろんかである。

そうじてはいっぱんのしんじんしていないひとも、これにふくまれる。
 われらがしゃくぶくし、あいてにあたえようとするものは、いかなるふこうのやまいをもなおすだ
いろうやくである。
だが、それをふくせしめようとすると、かえって「むまからず」といってはきだすことは、まさしく
われらのじっかんであり、わずかないっせつではあるが、つくづくと、かれらのほんしつをうつしだ
してくもりなきめいきょうとおもわずにはいられない。

 このおんふみのごとく、じゃしゅうきょうほどおそろしいものはない。
しらずしらずのうちに、せいめいのおくふかくはいりこんでいく。
しかも、いったん、そこにじゅうしょをかまえるや、ねづよく、そこにえいじゅうし、そのひとの
しょうじょうなせいめいのほんしつをおおいかくす。
さらにせいめいりょくをよわめ、あるいはとんじんちのさんあくどう、しあくしゅのはたらきをま
し、せいじょうなしこうのうりょくをくるわし、ただしいせいかつのリズムをはかいし、やがてなら
くのそこへつきおとすのである。

 それは、あたかもびょうげんきんにもたとえられる。
ただし、びょうげんきんは、たんにそのひとのこんぜのにくたいをはかいしていくのみである。
じゃしゅうきょうは「ほっしんのえみょうをはす」とあるがごとく、さんぜにわたってれんぞくしゆ
く、せいめいのほんしつにまでくいいり、これをはかいし、えいえんにこうふくをきょうじゅするこ
とのできぬほんしつとぬりかえてしまうのである。

 しかも、ひとは、じしんのふこうのげんいんを、けっして、このじゃしゅうきょうというびょうげ
んきんにあることにきづくことができないのである。
さらに、あたかも、すいちゅうのつきをとらんとするがごとく、そこにこうふくのげんえいをもとめ
て、はかないのぞみをたくすのであるから、まことにかわいそうなかぎりである。
 おそろしいかぎりである。
それほどふかくしんじていなくても、いつのまにか、しゅうじょうとなって、とうにんのこころを
しはいする。
いわんや、しんけんに、そこにしんじつのほうをもとめているひとには、もはやうごかしがたいがん
めいなこころがけいせいされてしまうのも、とうぜんのことといえる。

 そのこころのやみをはらすものは、しゃくぶくいがいにぜったいにない。
しゃくぶくこそ、まずあいてのこころにてっていてきにどうしゅうしょうぎをもたらすのである。
はたせるかな、われわれがしゃくぶくのじっさいにあたるや、どうしゅうしょうぎのこころが、さま
ざまなすがたとなってあらわれてくる。

ときに、われわれのせいぎのことばをなんとかうちけそうとけんめいになり、どきをふくんだたいど
にでる。
これ、こころのみだれのあらわれであり、じこのこころのうごきにたいするひっしのていこうのあら
われとはいえまいか。
だが、どうしゅうしょうぎはだんぎしょうしんのぜんていであり、じじつは、ほんりゅうのごとく、
みょうほうへ、みょうほうへとこころがはたらいていることはぜったいであるとかくしんするもので
ある。
 どくけじんにゅうとはいえ、だれひとといえども、そのおうていは、みょうほうのとうたいであ
る。
おそれおおいことではあるが、だいごほんぞんはさいきょうりょくのじしゃくにたとえられる。
ひとびとがみょうほうにむかうことは、あたかも、てつのじしゃくにすわれていくごとくである。

 いま、がっかいいんとなって、だいごほんぞんをふかくしんじてるひとも、だいたすうは、だいな
りしょうなりしんじんにはんたいしたひとである。
なかにはれっかのごとくおこったひともいる。
そのひとたちが、みな、いまでは、だいごほんぞんをしょうたんしてやまず、さらにみょうほうこう
ふにまいしんしているのである。

 じっそうにまさるゆうべんはない。
このじじつ、このじっそうこそ、ぶっぽうのただしさをしょうこづけるものであり、ともにしゃくぶ
くこそ、がんぽんのむみょうをたちきるりけんであることをしめすものである。

 なお「いまにちれんとうのたぐいなんみょうほうれんげきょうととなえたてまつるはにいふみのも
のにあらざるなり」のおんふみで「にちれん」とは、もったいなくも、しであり、ごほんぶつであ
る。
「とうのたぐい」とは、こんにち、こうせんるふのじつげんにむかってしんじんをまっとうしている
じゆうのぼさつたるでしだんなであり、していふにをしめしてくださっているのである。
これは、じょうかんでもしばしばふれたてんであるので、しょうさいはさけることにする。




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