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  • ひらがなプロジェクト

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  • [220]
  • りっしょう、あんこくろん・・・いけだせんせいのこうぎ1/4

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2017年 2月 4日(土)17時30分20秒
  • 編集済
 
  2015ねん、4ごう、だいびゃくれんげより.
りっしょう、あんこくろん・・・いけだせんせいのこうぎ

じょぶん
*1、ただ、みんしゅうの、あんのんのため、 きぼうとしょうりの、たいわを!

 みんしゅうは、しんのこうふくの、てつがくをもとめています。
 ばんにんが、せいめいのそんげんせいを、かがやかせつつ、たいわのちからで、ぜんのれんたいを、ひろげ、ちょうわと、きょうせいの、しゃかいを、けんせつしていく、あたらしきうんどうを、こころのそこから、ふかくもとめています。
 そうかがっかいは、「りっしょうあんこくのはた」をかかげて、どこまでも、みんしゅうの、こうふくと、せかいのへいわのために、げんじつしゃかいの、へんかくにちょうせんしゆく、しめいをつらぬきます。
 そこに、「にんげんのための、しゅうきょう」の、せいずいがあるからです。
 それは、ぶっきょうの、こんぽんせいしんでもあります。
 また、にちれんだいしょうにん、ちょっけつの、じっせんの、あかしです。
 そして、これこそが、そうかのしていの、たましいに、ほかなりません。
 ぶっきょうは、ほんらい、じぶんじしんがさとって、それで、まんぞくして、おわるしゅうきょうではありません。
「ひとびとの、こうふくのために、こうどうする」、このじっせんがあってこそ、しんのさとりと、いえるからです。
 しゃくそんは、きえしたばかりの、でしたちにたいして、ぐきょうをすすめて、つぎのようにのべました。
 「しゅぎょうしゃたちよ、へんれきするがよい。おおくのひとのこうふくのために、おおくのひとびとの、あんのんのために、せかいにたいする、きょうかんを、いだくために、かみがみと、ひとびとの、りやくのために、こうふくのために、あんらくのために」
 おおくの、ひとびとのくるしみに、よりそい、こうどうし、ともにこうふくで、あんのんな じんせいを、かくりつし、へいわな、せかいを、きずくことこそが、しゃくそんのほうをひろめる、さいだいの、もくてきでした。


*2、まっぽうの、やみをてらす、みょうほうの、たいよう.

 すなわち、ぶっきょうとは、そのしゅっぱつの、とうしょから、「ばんにんの、こうふく」をめざす、「にんげんのための、しゅうきょう」であったのです。
 ほけきょうに、「あんのん、ならしむるところおおく、しょてん、じんみんを、れんびんし、にょうやくせん」とあるとおりです。
 このねがいは、しゃくそんひとりに、とどまらず、さんぜじっぽうの、あらゆるほとけの、こんぽんの、ちかいであり、ねがいです。
 このねがいを、じつげんする、「ほう」、すなわち、ほけきょうを、ときひろめることが、ほとけたちが、このよにしゅつげんする、こんぽんもくてきであり、「しゅっせの、ほんかい」なのです。
 そして、しゃくそんめつごに、ひとびとの、くのうと、こんらんが、うずまく、まっぽうにおいて、このせいがんを、うけついで、ばんにん、きゅうさいのために、ほけきょうの、ぎょうじゃとして、こうせんるふにかんぜんと、たちあがられたのが、にちれんだいしょうにんです。
 ひとびとの、こうふくと、あんのんを、ねがえば、げんじつしゃかいの、へんかくへ、めをむけざるを、えません。

*3、この、しゃばせかいを、そく、じゃっこうどへ、へんかくしていく。

 これが、だいしょうにんの、「りっしょうあんこく」のほんしつです。
 そうかがっかいは、この、だいしょうにんの、だいとうそうと、ごせいしんに、すんぶんたがえず、つらなる、きょうだんです。
 りっしゅうの、4がつをむかえ、そして、「そうかがっかいのひ」である、「5・3」をもくぜんに、「りっしょうあんこくろん」を、こころあらたに、はいして、だいしょうにんの、みんしゅうきゅうさいの、ごせいしんを、まなび、そうかの、にんげんしゅぎの、てつがくをかくにんしていきましょう――。
・・・・・・・・・・・・・・・・1

  • [219]
  • たかはしにゅうどうどのごへんじ  さんじそうおうのごと

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2017年 1月31日(火)04時35分21秒
 
たかはしにゅうどうどのごへんじ 。
さんじそうおうのごと。
  しっぴつ、 けんじがん、ふみつき、じゅうににち。54さい、 p1458  こう33。
                       しんじょう たかはしにゅうどうどのごへんじ             にちれん
 われらが じふだいかくせそんは、にんじゅひゃくさいのとき、ちゅうてんじくに しゅつげんし、ましまして、いっさいしゅじょうのために いちしょうきょうをときたまう。ほとけざいせのいっさいしゅじょうは、かこのしゅくじゅうあつて ほとけにえんあつかりしかば、すでにとくどう なりぬ。わがめつごのしゅじょうをば、いかんがせんとなげきたまいしかば、はちまんしょうきょうを もんじとなして、いちだいしょうきょうのなかに しょうじょうきょうをばかしょうそんじゃにゆづり、だいじょうきょう ならびにほけきょう、ねはんらをば もんじゅしりぼさつにゆづりたまう。ただ はちまんしょうきょうのかんじん、ほけきょうのげんもくたる みょうほうれんげきょうのごじをば、かしょう、あなんにもゆづりたまはず。
また もんじゅ、ふげん、かんのん、みろく、じぞう、りゅうじゅらのだいぼさつにもさづけたまはず。これらのだいぼさつらの、のぞみもうせしかども ほとけゆるしたまはず。だいちのそこよりじょうぎょうぼさつともうせしろうじんをめしいだして、たほうぶつ、じっぽうのしょぶつのみまえにして、しゃかにょらい、しっぽうのたっちゅうにして、みょうほうれんげきょうのごじをじょうぎょうぼさつにゆづりたまう。
  そのゆえは わがめつごのいっさいしゅじょうは みな わがこなり。いづれもびょうどうにふびんに をもうなり。しかれどもくすしのならい、やまいにしたがいて くすりをさづくるごとなれば、わがめつご ごひゃくねんがあいだは、かしょう、あなんなどにしょうじょうきょうのくすりをもって いっさいしゅじょうにあたへよ。つぎのごひゃくねんがあいだは、もんじゅしりぼさつ、みろくぼさつ、りゅうじゅぼさつ、てんじんぼさつに、けごんきょう、だいにちきょう、はんにゃきょうとうのくすりをいっさいしゅじょうにさづけよ。わがめつどいっせんねんすぎてぞうぼうのときには、やくおうぼさつ、かんぜおんぼさつ、ほけきょうのだいもくをのぞいてあまりのほうもんのくすりをいっさいしゅじょうにさづけよ。
まっぽうにはいりなば、かしょう、あなんなど、もんじゅ、みろくぼとう、やくおう、かんのんらのゆづられしところのしょうじょうきょう、だいじょうきょう、ならびにほけきょうはもんじはありともしゅじょうのやまいのくすりとはなるべからず。いわゆるやまいはおもし、くすりはあさし。
  そのときじょうぎょうぼさつしゅつげんして、みょうほうれんげきょうのごじをいちえんぶだいのいっさいしゅじょうにさづくべし。そのときいっさいしゅじょう、このぼさつをかたきとせん。
p1459
いわゆる さるの、いぬをみたるがごとく、きじんのひとを あだむがごとく、かこのふきょうぼさつのいっさいしゅじょうに、のり、あだまれし、のみならず、じょうもく、がりゃくにせめられしがごとく、かくとくびくがさつがいに およばれしが、ごとくなるべし。
 そのときは かしょう、あなんとうも、あるいはりょうぜんにかくれ こうがにぼっし、みろく、もんじゅとうも、あるいはとそつのないいんにはいり、あるいはこうざんにはいらせたまい、かんぜおんぼさつはさいほうにかへり、ふげんぼさつはとうほうにかへらせたまう。
しょきょうは ぎょうずるひとはありとも、しゅごのひとなければ りしょうあるべからず。しょぶつのみょうごうは となうるものありとも、てんじんこれを、かごすべからず。ただし こうしのははをはなれ、きじのたかにあへるがごとくなるべし。そのとき じっぽうせかいのだいきじん、いちえんぶだいにじゅうまんして、ししゅうのみにはいって、あるいはふぼをがいし、あるいはきょうだいとうをうしなはん。ことにくにじゅうのちしゃげなる、じかいげなるそうにのこころに、このきじんって こくしゅならびにしんかをたぼらかさん。
  このとき じょうぎょうぼさつのおかびをかほりて、ほけきょうのだいもく、なんみょうほうれんげきょうのごじばかりを いっさいしゅじょうにさづけば、かのししゅうとう、ならびにだいそうとう、このひとをあだむこと、ふぼのかたき、しゅくせのかたき、ちょうてき、おんてきのごとく、あだむべし。そのとき だいなるてんぺんあるべし。いわゆる にちがつしょくし、だいなるすいせいてんにわたり、だいちしんどうして すいじょうのわのごとくなるべし。そのごは じかいほんぎゃくなんともうして、こくしゅ、きょうだい、ならびにくにじゅうのおとなをうちころし、のちには たこくしんぴつのなんともうしてりんごくよりせめられて、あるいはいけどりとなり、あるいはじさつをし、くにじゅうのじょうげ、ばんみん、みなだいくにあうべし。これひとへにじょうぎょうぼさつのかびを、かをほりて、ほけきょうのだいもくを ひろむるものを、あるいはのり、あるいはうちはり、あるいはるざいし、あるいはいのちをたちなんどするゆへに、ぶつぜんにちかひをなせし ぼんてん、たいしゃく、にちがつ、してんとうの ほけきょうのざにてせいじょうをたてて、ほけきょうのぎょうじゃをあだまんひとをば、ふぼのかたきよりも、なをつよくいましむべしと、ちかうゆへなりと みへてそうろうに、いま にちれん、にほんこくにうまれて いっさいきょうならびに ほけきょうのめいきょうをもて、にほんこくのいっさいしゅじょうの おもてにひきむけたるに、すんぶんもたがはぬうえ、ほとけのしるしたまいしてんぺんあり ちようあり。
 さだんで このくに ぼうこくとなるべしと、かねてしりしかば、これを こくしゅにもうすならば、こくどあんのんなるべくも、たづねあきらむべし。ぼうこくとなるべきならば、よももちいじ。
p1460
もちいぬほどならば、にちれんはるざい、しざいとなるべしと、しりてそうらいしかども、ほとけ いましめていわく「このことをしりながら しんみょうを、をしみて、いっさいしゅじょうにかたらずば、わがてきたるのみならず、いっさいしゅじょうのおんてきなり。かならずあびだいじょうにおつべし」としるしたまへり。
 ここににちれん しんたいわづらひて、このことをもうすならば、わがみいかにもなるべし。わがみはさてをきぬ。ふぼ、きょうだい、ならびにせんまんひとのなかにも ひとりもしたがうものは、こくしゅばんみんにあだまるべし。かれらあだまるるならば、ぶっぽうはいまだわきまへず、ひとのせめはたへがたし。ぶっぽうをぎょうずるは あんのんなるべしとこそ、をもうに、このほうをたもつによって だいなんしゅったいするは、しんぬ このほうをじゃほうなりとひぼうして あくどうにおつべし。これもふびんなり。また これをもうさずばぶつせいにいするうえ、いっさいしゅじょうのおんてきなり。だいあびじごくうたがいなし。いかんがせんとをもひしかども、をもひきってもうしいだしぬ。もうしはじめしうえは、また ひきさすべきにもあらざれば、いよいよ、つよりもうせしかば、ほとけのきもんのごとく こくしゅもあだみ ばんみんもせめき。あだをなせしかば、てんもいかりて にちがつにたいへんあり、だいせいせいもしゅつげんしぬ。だいちもふりかへしぬべく、なりぬ。どしうちもはじまり、たこくよりも せめるなり。ほとけのきもんすこしもたがわず。にちれんがほけきょうのぎょうじゃなることもうたがはず。
 ただし こぞ かまくらより このところへにげはいりそうろういしとき、みちにてそうらへば、おのおのにももうすべくそうらいしかども もうすこともなし。また せんどのごへんじももうしそうらはぬことは、べちのしさいもそうらはず。なにごとにか おのおのをば、へだてまいらせそうろうべき。
 あだをなす ねんしゃ、ぜんしゅう、しんごんしとうをも、ならびに こくしゅとうをも、たすけんがためにこそもうせ。かれらのあだをなすは、いよいよふびんにこそそうらへ。まして いちにちもわがかたとて こころよせなるひとびとは、いかでかをろかなるべき。せけんのをそろしさに、さいしあるひとびとの とをざかるをば、ことによろこぶみなり。にちれんにつきて たすけやりたる、かたわなきうえ、わづかのしょりょうをも めさるるならば、しさいもしらぬさいし、しょじゅうとうが、いかに なげかんずらんとこころぐるし。
 しかも こぞのきさらぎに ごかんきをゆりて さつきのじゅうさんにちにさどのくにをたち、どうげつのにじゅうろくにちに かまくらにはいる。どううつきのようか へいのさえもんじょうにあひたりしとき、やうやうのことども、とひしなかに もうこくにはいつよすべきともうせしかば、ことしよすべし。
p1461
それにとて にちれんはなしてにほんこくに たすくべきものいちにんもなし。たすからんと をもひしたうならば、にほんこくの ねんぶつものとぜんとりつそうとうが くびをきって、ゆいのはまにかくべし。それもいまはすぎぬ。
  ただし みなひとの をもひてそうろうは、にちれんをば ねんぶつしとぜんとりつを そしるとをもひてそうろう。これは もののかずにて かずならず。しんごんしゅうともうすしゅうが うるわしきにほんこくの だいなるじゅそのあくほうなり。こうぼうたいしとじかくたいし、このことにまどひて このくにをほろぼさんとするなり。たといにねん、さんねんにやぶるべきくになりとも、しんごんしにいのらするほどならば いちねん、はんとしに、このくにせめらるべしと もうしきかせてそうらいき。
 たすけんがためにもうすを、これほど あだまるることなれば、ゆりてそうらいしとき、さどのくによりいかなる さんちゅううみべにも まぎれはいるべかりしかども、このことをいまいちど、へいのさえもんにもうしきかせて、にほんこくに せめのこされんしゅじょうを たすけんがために、のぼりてそうらいき。またもうしきかせそうらいしのちは、かまくらにあるべきならねば、あしにまかせて いでしほどに、びんぎにてそうらいしかば、たとい おのおのは いとはせたまうとも、いまいちどは みたてまつらんと、せんどをもひしかども、こころにこころを たたかいて すぎそうらいき。そのゆへは、するがのくには こうどののごりょう、ことに、ふじなんどは ごけあまごぜんのうちのひとびとおおし。こさいみょうじどの、ごくらくじどののかたきと、いきどをらせたまうなれば、ききつけられば おのおのの おんなげきなるべしと、おもひし こころばかりなり。いまにいたるまでも ふびんに をもひまいらせそうらへば、ごへんじまでももうさずそうらいき。この ごぼうたちの ゆきすりにも、あなかしこ、あなかしこ。ふじ、かじまのへんへ たちよるべからずともうせども、いかがそうやらんとをぼつかなし。
 ただし しんごんのことぞ ごふしんにわたらせたまいそうやらん。いかにと ほうもんは もうすともおんこころへあらんことかたし。ただ げんぜんのことをもつて しろしめせ。おきのほうおうは にんのうはちじゅうにだい、じんむよりは にせんよねん、てんしょうだいじんいりかわらせたまいて にんのうとならせたまう。いかなるものか、てきすべきうえ、きんめいより おきのほうおうにいたるまで、かんど、くだら、しらぎ、こうらいよりわたりきたるたいほう、ひほう、えいざん、とうじ、おんじょう、ななじ、ならびににほんこくに あがめをかれてそうろう。これはみなくにをしゅごし、こくしゅをまほらんためなり。おきのほうおう、よをかまくらに とられたることをくちをしと をぼして、えいざん、とうじとうのこうそうとうをかたらひて、よしときがいのちを めしとれとぎょうぜしなり。
p1462
このこといちねん、にねんならず すうねんちょうぶくせしに、ごんん0たゆうどのは ゆめゆめしろし、めさざりしかば、いっぽうも ぎょうじたまはず。また ぎょうずともかなうべしとも、をぼへずありしに、てんし いくさにまけさせたまいて、おきのくにへ つかはされさせたまう。にほんこくのおうとなるひとは、てんしょうだいじんのみたまのいりかわらせたまうおうなり。せんしょうの じゅうぜんかいのちからといひ、いかでか くにじゅうのばんみんのなかには かたぶくべき。たとい、とがありとも、つみあるをやを とがなきこのあだむにてこそ そうらいぬらめ。たとい おやにじゅうざいありとも このみとしてとがにおこなはんに、てんうけたまうべしや。しかるに おきのほうおうのはぢに あはせたまいしは、いかなるたいかぞ。これ ひとへにほけきょうのおんてきたる にほんこくのしんごんしを、かたらはせたまいしゆへなり。
 いっさいの しんごんしはかんじょうともうして、しゃかぶつとうを はちようのれんげにかきて、これを あしにふみて ひじとするなり。かかるふしぎのものども、しょざん、しょじのべっとうとあをぎて もてなすゆへに、たみのてにわたりて げんしんに はぢにあひぬ。このだいあくほう また かまくらにくだってごいちもんをすかし、にほんこくを ほろぼさんとするなり。このこと さいだいことなりしかば、でしとうにもかたらず、ただ いつはりをろかにて、ねんぶつとぜんとうはかりを そしりてきかせしなり。いまはまた もちいられぬことなれば、しんみょうもおしまず でしどもにももうすなり。かうもうせば、いよいよごふしんあるべし。にちれんいかにいみじくとうとくとも じかく、こうぼうにすぐるべきか。このうたがいすべて はるべからず。いかに とかすべき。
 ただし みな ひとはにくみそうらいに、すこしも ごしんようのありしうえ、これまでも おたづねのそうろうは、ただ こんじょうばかりのおんことには よもそうらはじ。さだめて かこのゆへか。ごしょろうのだいじにならせたまいてそうろうなること、あさまししくそうろう。ただし つるぎは かたきのため、くすりはやまいのため。あじゃせおうは ちちをころし ぼとけのてきとなれり。あくそうみにいで のちにぼとけにきぶくし ほけきょうをたもちしかば、あくそうもへいゆし、としをもしじゅうねんのべたりき。しかも ほけきょうは「えんぶだいにん、びょうしりょうやく」とこそとかれてそうらへ。えんぶのうちのひとは やまいのみなり。ほけきょうのくすりあり。さんじすでにそうおうしぬ、いっしんいかでか たすからざるべき。ただし おんうたがいのわたりそうらはんをば ちからをよばず。なんみょうほうれんげきょう、なんみょうほうれんげきょう。
p1463    かくじょうぼう、はわきぼうに たびたびよませて きこしめせ、きこしめせ。
 ふみつきじゅうににち          にちれん、かおう。
しんじょう たかはしろくろうひょうえにゅうどうとの  ごへんじ。


  • [218]
  • にょにんじょうぶつしょう 女人成仏抄

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)03時11分15秒
 
  にょにんじょうぶつしょう
    しっぴつ ぶんえいにねん。よんじゅうよんさい。
         こう 6げ。   p470
 だいばほんにいわく「ぶつごうしょびく。みらいせちゅう。ないし、 れんげけしょう」とううんぬん。このだいばほんににかのかんぎょうあり。いわゆる だったのぐきょう、しゃくそんのじょうどうをあかし、また もんじゅのつうきょう、りゅうにょのさぶつをとく。されば このほんを ちょうあんぐうにいちほん きりとどめて にじゅうななほんをよにるふするあいだ、しんのだいよりりょうのだいにいたるまで、ななだいのあいだの おうはにじゅうななほんのきょうを こうどくす。そののち まんほっしといいしひと このほん ほけきょうになきよしを よみいだされそうらいてのち、ちょうあんじょうよりたずねいだし いまはにじゅうはちほんにてひろまらせたまう。  p471
  さて このほんに じょうしんしんぎょうのひとのことをいうに、ひとつには さんあくどうにだせず、ふたつには じっぽうのぶつぜんにしょうぜん、みつには しょしょうのところには つねにこのきょうをきかん、よっつには もしにんでんのなかにしょうぜば しょうみょうのらくをうけん、いつつには もしぶつぜんにあらば れんげよりけしょうせんとなり。しかるに いっさいしゅじょうは ほっしょうしんにょのみやこをまよひいでて、もうそうてんとうのさとに はいりしよりこのかた、しんくいのさんごうになすところ ぜんこんはすくなくあくごうはおおし。
されば きょうもんにはいちにんいちにちのなかに はちおくよんせんねんあり、ねんねんのなかに なすところ、みなこれ さんずのごうなりとううんぬん。われらしゅじょう さんがいにじゅうごうの ちまたに りんねせしこと、とりのはやしにうつるがごとく、ししては しょうじ しょうじてはしし、くるまのにわにまわるがごとく、はじめおわりもなく しししょうずるあくごうじんじゅうのしゅじょうなり。
  ここをもって しんじかんきょうにいわく「うじょうりんねして ろくどうにしょうずること、なお しゃりんのしじゅうなきがごとく、あるいは ふぼとなり なんにょとなり、しょうじょうよよ たがいにおんあり」とううんぬん。ほけきょうにのまきにいわく「さんがいは やすきことなし、なお かたくのごとく、しゅうくじゅうまんせり」うんぬん。ねはんきょうにじゅうににいわく「ぼさつまかさつ もろもろのしゅじょうをかんずるに しきこうみしょくのいんねんのためのゆえに、むかし むりょうむすうこうよりこのかた、つねにくのうをうく。いちいちのしゅじょう いちこうのなかにつもるところの みのほねは、おうしゃじょうのびふらせんのごとく。のむところのにゅうじゅうは、しかいのみずのごとく。みよりいだすところのちは、しかいのみずよりおおく。ふぼ、きょうだい、さいし、けんぞくのみょうじゅうに たいきゅうしていだすしょのめなみだは、しかいのみずよりおおし。ちのそうもくをつくして、よんすんのかずとりとなして もってふぼをかずうるに、また つくすことあたわじ。むりょうこうよりこのかた、あるいはじごく、ちくしょう、がきにあつて、うくるところのぎょうく しょうけいすべからず。またいっさいしゅじょうの かばねをや」うんぬん。
  かくのごとくに いたづらにいのちをすつるところの かばねはびふらせんよりもおおし。おんあいあはれみの なみだは しだいかいのみずよりもおおけれども、ぶっぽうのためには いっこつをもなげず。いっくいちげをちょうもんして いちてきのなみだをも、おとさぬゆへに、さんがいろうはんをいでずして にじゅうごうの ちまたにるてんする しゅじょうにてそうろうなり。しかるあいだ いかんとしてさんがいをはなるべきともうすに、ぶっぽうしゅぎょうのくりきによりて、むみょうのやみ はれてほっしょうしんにょのさとりをひらくべくそうろう。さては ぶっぽうはいかなるをか しゅぎょうして しょうじをはなるべきぞともうすに、ただ いちじょうみょうほうにてあるべくそうろう。されば えしんそうず、なぬかにち、かもにさんろうして、しゅつりしょうじは いかなるきょうにてかそうろうべきと きしようもうされそうらいしに、
p472
みょうじん ごたくせんにいわく「しゃかのせっきょうは いちじょうにとどまり、しょぶつのじょうどうは みょうほうにあり、ぼさつのろくどは れんげにあり、にじょうのとくどは このきょうにあり」うんぬん。ふげんきょうにいわく「この だいじょうきょうてんは しょぶつのほうぞうなり。じっぽうさんぜ しょぶつのげんもくなり。さんぜのもろもろのにょらいを しゅっしょうするしゅなり」うんぬん。
  このきょうよりほかは すべて じょうぶつのごあるべからずそうらうえ、ことさら にょにんじょうぶつのことは このきょうよりほかは さらにゆるされず、けっく にぜんのきょうにては、をびただしくきらはれたり。されば けごんきょうにいわく「にょにんは じごくのつかいなり、よく ほとけのしゅしをだんず、げめんは ぼさつににて、ないしんは やしゃのごとし」うんぬん。ごんじきにょきょうにいわく「さんぜのしょぶつのまなこは だいちにだらくすとも、ほうかいのもろもろのにょにんは ながくじょうぶつのごなし」うんぬん。あるいはまた にょにんには ごしょうさんじゅうのつみふかしともうす。それは ないてんにはごしょうをあかし、げてんには さんじゅうをおしえたり。そのさんじゅうとは おさなくしてはふぼにしたがひ、さかりにしてはおとこにしたがひ、おいてはこにしたがふ。いちごみをこころにまかせず。されば えいけいきがさんらくをうたひしなかにも にょにんとうまれざるをもっていちらくとす。
  てんだいだいしいわく「たきょうには ただ ぼさつにしるしてにじょうにしるせず、ただ おとこにしるして おんなにしるせず」とて、まったく よきょうには にょにんのじゅきこれなしとしゃくせり。
そのうえ しゃか、たほうのにぶつ、たっちゅうにびょうざしたまひしとき、もんじゅ、みょうほうをひろめんために かいちゅうにはいりたまいて ぶつぜんにかえりまいりたまいしかば、ほうじょうせかいの たほうぶつのみでし、ちしゃくぼさつは りゅうにょじょうぶつをなんじていわく「われ しゃかにょらいをみたてまつれば、むりょうこうにおいて なんぎょうくぎょうし こうをつみとくをかさね、ぼさつのどうをもとむること いまだかつてしそくしたまわず、さんぜんだいせんせかいを みるに、ないし けしのごときばかりも これ ぼさつのしんみょうをすてたもうところに あらざることあることなし、しゅじょうのためのゆえなり」とううんぬん。いわゆる ちしゃく、もんじゅ、さいさんもんどういたしたまふあいだは、はちまんのぼさつ、まんにせんのしょうもんとう いずれもみみをすまして ごちょうもんばかりにて ひとくちのごじょげんにおよばず、しかるに ちえだいいちのしゃりほつ、もんじゅのことをば なんずることなし、おおくのゆえをもって りゅうにょをなんぜらる、ゆえに にょにんはくえにして これ ほうきにあらずとしょうじょうごんきょうのこころをもって なんぜられそうらいしかば、もんじゅが りゅうにょじょうぶつのうむのげんしょうは いま ぶつぜんにして、みえそうろうべしと おおせられそうらいしに、あんにたがはず、はちさいのりゅうにょ じゃしんをあらためずして ぶつぜんにさんけいし、あたいじか さんぜんだいせんせかいととかれてそうろう、にょいほうじゅを ほとけにたてまつりしに、ほとけ よろこんでこれを うけとりたまいしかば、このとき ちしゃくぼさつもしゃりほつもふしんをひらき、にょにんじょうぶつのみちを ふみわけそうろう。されば にょにんじょうぶつのてほん、これよりおこりてそうろう。いさいは ごのまきのきょうもんこれをよむべくそうろう。
p473
  でんぎょうだいしの しゅうくにいわく「のうけのりゅうにょ りゃくこうのぎょうなく、しょけのしゅじょうも りゃくこうのぎょうなし。のうけしょけ ともにりゃくこうなし、みょうほうきょうりき そくしんじょうぶつす」てんだいのじょにいわく「ちしゃくは べつきょうにしゅうしてうたがひをなし、りゅうにょは えんをあかしてうたがひをとく、しんしは さんぞうのごんをはさんでなんず、りゅうにょはいちじつをもって うたがいをのぞく」と。かいりゅうおうきょうにいわく「りゅうにょ さぶつしこくどをこうみょうこくとごうし なをば むくしょうにょらいとごうす」うんぬん。ほっけいぜんのしょきょうのごときは たとひにんちゅう、てんじょうのにょにんなりといふとも、じょうぶつのおもい たたるべし。しかるにりゅうにょ、ちくしょうどうのしゅじょうとして かいかんのすがたをあらためずしてそくしんじょうぶつせしごとは ふしぎなり。これをはじめとして しゃくそんのおば、まかはじゃはだいびくにとう、かんじほんにして いっさいしゅじょうきけんにょらいとじゅきをこうむり、らごらのはは、やしゅたらにょも けんぞくのびくにとともに ぐそくせんまんこうそうにょらいとなり、きどうのにょにんたる じゅうらせつにょもじょうぶつす。しかれば なお ことにじょせいのごしんこうあるべきみきょうにてそうろう。
  そもそも このきょうの いちもんいちくをよみ いちじいってんをかく、なお しゅつりしょうじ、しょうだいぼだいのいんなり。しかれば かのじにけちえんせしもの なお えんまのちょうよりかえされ、ろくじゅうよんじをかきしひとは そのちちをてんじょうへおくる。いかにいわんや あびのえしょうは ごくしょうのじしんにしょし、じごく、てんきゅう みな これ かじのにょらいなり。びるのしんどは ぼんげのいちねんを こえず、しゃなのかくたいも しゅじょうのめいもうをいでず。みょうもんは りょうぜんじょうどにまし ろくまんきゅうせんのろてんは しまこんのきこうをそへたまうべし。ことに かこしょうりょうは ごぞんしょうのときより ごしんじん ほかにことなるおんことなりしかば、こんにち こうきょうのくりきによりて ぶつぜんにしょうをうけ、ぶっかぼだいのしょういんに のぼりたまうべしうんぬん。
 なむみょうほうれんげきょう、なむみょうほうれんげきょう。



  • [217]
  • けんぶつみらいき 顕仏未来記 ひらがな

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2017年 1月 1日(日)02時03分36秒
 
けんぶつみらいき
だいいちしょう しゃくそんのみらいきをげるあげる

けんぶつみらいき          しゃもん にちれん これをかんがう
 ほけきょうの だいななにいわく「わがめつどののち.のちの500さいのなかに えんぶだいにこうせんるふして だんぜつせしむること なけん」とううんぬん,
 よ ひとたびは なげいていわく ぶつめつご すでに2220よねんをへだつ いかなるざいごうによって ほとけのざいせにうまれず しょうほうのしえ、ぞうぼうのなかのてんだい、でんぎょうとうにもあわざるやと、 またひとたびはよろこんでいわく いかなるさちあって のちの500さいにうまれて このしんもんを はいけんすることぞや、ざいせもむやくなり ぜんしみのひとは いまだほけきょうをきかず。
 しょうぞうも またよしなし なんさんほくしち ならびに けごんしんごん とうのがくしゃは ほけきょうをしんぜず、 てんだいたいしいわく「のち500さい とおくみょうどうに うるおわん」とううんぬん こうせんるふの ときをさすか、でんぎょうたいしいわく 「しょうぞうややすぎおわって まっぽうはなはだ ちかきにあり」とううんぬん まっぽうのはじめを がんぎょうするのことばなり、じだいをもって かほうをろんずれば りゅうじゅ、てんじんにちょうかしてんだい、でんぎょうにもすぐるるなり。
P0506

  だいにしょう みらいのるなんをあかす
 とうていわく ごのごひゃくさいは なんじひとりにかぎらず なんぞことにこれを きえつせしむるや。こたえて いわく ほけきょうの だいしにいわく「にょらいの げんざいにすら なおおんしつおおし いわんやめつどの のちをや」もん、てんだいだいし いわく「いかにいわんや みらいをや、り、けしがたきにあり」もん、みょうらくだいし いわく「りざいなんげとは、この りをあかす、ことはこころ、しゅじょうの けしがたきを しらしむるにあり」もん。
ちどほっしいわく「ぞくにろうやく くちににがしというがごとく、このきょうはごじょうのいしゅうを、はいして いっごくの げんしゅうをたつ ゆえにぼんをしりぞけ しょうをかし だいをはいし、しょうをやぶる ないし かくのごときのやから ことごとく、るなんをなす」とううんぬん。
でんきょうだいしいわく「だいをかたれば、すなわち ぞうのおわり、まつのはじめ、ちをたずねれば、とうのひがし、かつのにし、ひとをたずぬれば、すなわちごじょくのしょう、とうじょうのときなり。
きょうにいわくゆたおんしつ、きょうめつどごと、このことばまことに、ゆえあるなり」とううんぬん、このでんきょうだいしの、ひっせきはそのときに、あたるににたれども、こころはとうじをさすなり、しょうぞうややすぎおわって、まっぽうはなはだちかきにあり、のしゃくはこころあるかな。
きょうにいわく「あくま、まみん、しょてんりゅう、やしゃ、くはんだとう、そのたよりをえん」うんぬん、いうところのとうとはこのきょうにまたいわく「もしくはやしゃ、もしくはらせつ、もしくはがき、もしくはふたんな、もしくはきっしゃ、もしくはびだら、もしくはけんだ、もしくはうまろぎゃ、もしくはあばつまら、もしくはやしゃきっしゃ、もしくはにんきっしゃ」とううんぬん、このもんのごときはせんしょうにしみさんきょう、ないしげどう、にんでんなどのほうを、じとくしてこんじょうにあくま、しょてん、しょにんなどのみを、うけたるものがえんじつのぎょうじゃをけんぶんして、るなんをいたすべきよしをくとなり。

だいさんしょう みらいのぐつうの ほうきをあかす
 うたがっていわく、しょうぞうのにじを まっぽうにそうたいするに ときと きと ともに しょうぞうは ことに すぐるるなり なんぞ そのじきをすてて、ひとえに とうじをさすや。
 こたえていわく ぶっち はかりがたし、よ いまだ これをえず こころみに いちぎをあんじ しょうじょうきょうをもって、これをかんがうるに しょうほうせんねんは、きょうぎょうしょうの みっつ、つぶさに これをそなう、ぞうほうせんねんには、きょうぎょうのみ、あって しょうなし、まっぽうには きょうのみあって、ぎょうしょうなし、とううんぬん。
 ほけきょうを もって これをさぐるに しょうほうせんねんに、さんじをぐするは、ざいせにおいて ほけきょうにけつえんするものか、そのごしょうほうに、うまれて しょうじょうの きょうぎょうをもって えんとなし しょうじょうの あかしをうるなり、ぞうほうにおいては ざいせのけつえんびはくのゆえに、しょうじょうにおいて しょうすることなく、このひとごんだいじょうを、もって えんとなして じっぽうのじょうどにしょうず、まっぽうにおいては、だいしょうのえきともに これなし、
p507
しょうじょうには、きょうのみあつて、ぎょうしょうなし、だいじょうには きょうぎょうのみあっつて みょうけんの あかしこれなし、そのうえしょうぞうのときの、しょりゅうのごんしょうの にしゅう、ぜんぜん まっぽうにいりて  しゅうしんいよいよごうじょうにして、しょうをもってだいをうち ごんをもって じつをやぶり、こくどにだいたいほうぼうのもの、じゅうまんするなり、ぶっきょうによつて、あくどうに だするものは、だいちみじんよりも、おおく しょうほうをぎょうじて ぶつどうをえる ものは、そうじょうのどよりも すくなきなり。
 このときに あたって しょてんぜんじん そのくにをしゃりし、ただ じゃてん、じゃきなどあつて、おうしん、びく、びくになどの、しんしんに にゅうじゅうし ほけきょうのぎょうじゃを、めり、きにく せしむべき ときなり、しかりといえども ほとけのめつごにおいて、しみ、さんきょうなどの、じゃしゅうをすて、じつだいじょうの ほけきょうに きせば、しょてんぜんじん ならびに じゆせんがいなどの ぼさつ、ほっけのぎょうじゃを しゅごせん、このひとは しゅごのちからをえて、ほんもんのほんぞん、みょうほうれんげきょうの ごじをもって、えんぶだいに こうせんるふせしめんか。 れいせば いおんのうぶつの、ぞうほうのとき、ふきょうぼさつ、がじんきょうとうの にじゅうよんじをもって、かの どにこうせんるふし、いっこくの じょうもくなどの、たいなんをまねきしが ごとし、かのにじゅうよんじと このごじと そのご ことなりといえども、そのこころ これおなじ、かのぞうほうの まつと、このまっぽうの はじめと まったくおなじ、かのふきょうぼさつは しょずいきのひと、にちれんは、みょうじの ぼんぶなり。

  だいよんしょう まっぽうのごほんぶつをあかす
 うたがっていわく なにをもって これをしる、なんじをまっぽうの はじめのほけきょうの、ぎょうじゃなりと なすということを、 こたえていわく ほけきょうにいわく「いわんや めつどののちをや」またいわく「もろもろのむちのひとあって あっくめりなどし、および とうじょうを くわうるものあらん」またいわく「しばしばひんずいせられん」またいわく、「いっさいせけんあだ おおくして しんじがたし」またいわく「じょうもくがしゃくを もって これをちょうちゃくす」またいわく「あくま、まみん、しょてんりゅう、やしゃ、くはんだなど、そのたよりをえん」とううんぬん、この みょうきょうについて、ぶつごを しんぜしめんがために、にっぽんこくじゅうの おうしん、ししゅの めんもくにひきむかえたるに、よよりのほかには いちにんも これなし。
ときをろんずれば まっぽうのはじめ、いちじょうなり、しかるあいだ もし、にちれんなくんば、ぶつごこもうとならん、なんじていわく、なんじは だいまんのほっしにして だいてんにすぎ、しぜんびくにも こえたり、いかん、こたえていわく、なんじ にちれんをべつじょするの じゅうざい、また だいばだったにすぎ、むくろんじにも こえたり、わがことばは だいまんに にたれども ぶっきをたすけ、にょらいのじつごをあらわさんが ためなり。
しかりといえども、にほんこくじゅうに、にちれんをのぞいては だれびとをとりいだして、ほけきょうのぎょうじゃと なさん、なんじ にちれんを そしらんとして ぶっきを こもうにす、あにだいあくにんに あらずや。 p508

  だいごしょう がっし・かんどに ぶっぽうなきをあかす
 うたがっていわく 、にょらいのみらいきなんじにあいあたれり、ただし ごてんじくならびに、かんどなどにも ほけきょうのぎょうじゃ、これあるか いかん、こたえていわく してんげのなかに、まったく にのひなし、しかいのうち あに りょうしゅあらんや、うたがつて いわく なにをもって、なんじ これをしる。
こたえていわく、つきは にしよりいでて ひがしをてらし  ひは、ひがしよりいでて にしをてらす、ぶっぽうも またもって かくのごとし、しょうぞうには にしよりひがしにむかい、まっぽうには ひがしよりにしにいく、みょうらくだいしの いわく 「あに ちゅうごくにほうをうしないて、これをしいにもとむるに あらずや」とううんぬん。
てんじくに ぶっぽうなきしょうもんなり、かんどにおいて こうそうこうていのとき、ほくてき とんきんを りょうして、いまに ひゃくごじゅうよねん、ぶっぽう おうほうともにつきおわんぬ。
 かんどの だいぞうのなかに、しょうじょうきょうは、いっこうこれなく、だいじょうきょうは、たぶん これをしっす、にほんより じゃくしょうなど しょうしょう これをわたす、しかりといえど、でんじのひとなければ、なお ぼくせきの、えはつをたいじ せるがごとし、ゆえに、じゅんしきのいわく 「はじめ にしよりつたう なお つきのしょうずるが ごとし、いままた ひがしより かえる、なお ひの のぼるがごとし」とううんぬん。
 これらの しゃくのごとくんば、、てんじく、かんどにおいて、ぶっぽうを うせること もちろんなり、とうていわく、がっし かんどにおいて、ぶっぽう なきことは、これをしれり、とうざいほくの さんしゅうに、ぶっぽうなき ことは なにをもって、これをしる、こたえていわく、ほけきょうのだいはちに いわく「にょらいのめつごに おいて えんぶだいのうちに、ひろく るふせしめてだんぜつ せざらしめん」とううんぬん、うちのじは、さんしゅうを きらうもんなり。

  だいろくしょう ごほんぶつのみらいきをあかす
 とうていわく ぶっき すでに かくのごとし、なんじがみらいき いかん、こたえていわく ぶっきにじゅんじて、これをかんがうるに すでにのちのごひゃくさいのはじめに、あいあたれり、ぶっぽうかならず、とうどのにほんより いづべきなり。
 そのぜんそう かならず しょうぞうに ちょうかせるてんぺんちよう これ あるか、いわゆる ぶっしょうのとき、てんぽうりんのとき、にゅうねはんのとき、きちずい、きょうずい ともに ぜんごにたえたる、だいずいなり、ほとけは これ しょうにんのもとなり、きょうぎょうのもんをみるに、ほとけのおたんじょうのときは、ごしきのこうき、しほうに あまねくして よるもひるのごとし、ほとけごにゅうめつのときには、じゅうにの はくこう、なんぼくにわたり、だいにちりん ひかりなくして、やみよのごとくなりし。
そのご しょうぞうにせんねんのあいだ、ないげのしょうにん、しょうめつあれども、この だいずいにはしかず、しかるに いぬる しょうかねんじゅうより、ことしにいたるまで、あるいは おおじしん、あるいはだいてんぺん、あたかも、ぶつだの しょうめつのときのごとし。
 まさに しるべし ほとけのごとき、しょうにん うまれたまわんか、おおぞらに わたって だいほうきぼしいづ、だれの おうしんをもって、これにたいせん、とうずいだいちを、けいどうして みたびしんれつす、いずれのせいけんをもって、これにおおせん。 まさにしるべし、つうずの せけんのきっきょうの だいずいにはあらざるべし、これひとえに このだいほうこうはいの だいずいなり。 p509
 てんだいいわく 「あめのたけきを みて りゅうのだいなるをしり、  はなのさかんなるをみて、いけのふかきをしる」とううんぬん、みょうらくの いわく「ちじんは きをしり、じゃは みずから じゃをしる」とううんぬん。

  だいななしょう みょうほうるふのほうきをしめす
 にちれんこのどうりをそんして、すでににじゅういちねんなり、ひごろのわざわい、つきごろのなん、このりょうさんねんのあいだのこと、すでにしざいにおよばんとす。
 ことし、こんげつ まんがいちも のがれがたき しんみょうなり、よのひと うたがいあるならば、いさいのことは でしに これをとえ。
 さいわいなるかな いっしょうのうちに むしのほうぼうを しょうめつせんことを、よろこばしいかな いまだ けんぶんせざる、きょうしゅしゃくそんにつかえ たてまつらんことよ。
ねがわくは われをそんずる こくしゅなどをば さいしょにこれをみちびかん、われをたすくる でしなどをば、しゃくそんに これをもうさん、われをうめる ふもなどにはいまだ しせざるいぜんに、このだいぜんを すすめん。
ただし いま ゆめのごとく、ほうとうほんのこころをえたり、このきょうにいわく「もし しゅみをとって、たほうのむすうのぶつどに なげおかんも またいまだこれ かたしとせず、ないしもし ほとけのめつごに あくせのなかに おいてよくこのきょうをとかん、これすなわち これ かたし」とううんぬん。
でんぎょうだいしいわく「あさきは やすく、ふかきはかたしとは、しゃかのしょはんなり、あさきをさって ふかきにつくはじょうぶのこころなり。
てんだいだいしは、しゃかに しんじゅんし、ほっけしゅうをたすけて、しんたんに ふようし、えいざんのいっけは てんだいにそうじょうし、ほっけしゅうをたすけて、にほんにぐつうす」とううんぬん。
あんしゅうの にちれんは、おそらくは、さんしにそうじょうし、ほっけしゅうをたすけて、まっぽうにるつうす、さんにいちをくわえて、さんごくよんしと なずく、なむみょうほうれんげきょう・なむみょうほうれんげきょう。
 ぶんえいじゅうねん たいさいみずのと とり のちさつき じゅういちにち    そうもん にちれんこれをしる

  • [215]
  • のうをかんがえる! らほつ し 螺髪氏

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年12月 8日(木)02時03分1秒
 
   のうをかんがえる!  らほつ    :2016ねん

   「せいめいのせいき」へのこうさつ。
「のうをかんがえる」。
 もう、20ねんいじょうもまえになるでしょうか。とうようてつがくけんきゅうしょはっこうのしょせきに、いけだせんせいの「のうをかんがえる」というタイトルのろんぶんが、のったことがあります。
まだ、かっかいからのろんぶんがのっていなかっただんかいでしたから、せんせいがみずからそっせんをきってとうこうされたのかな、とのいんしょうでした。
きおくベースですが、しこうやかんじゅの「ざ」がどこにあるのかというと、「のうにある」とのきじゅつだったとおもいます。

 「のう」は、はたらかせて、はたらかせて、はたらかせていないと、「めいそう」にはしるようです。
 いや、ほうっておけば「のう」は、はたらく、しこうしつづける、やがて「めいわく、みょうわく」におちいるというのが、「のう」のじったいなのかもしれません。
「めいわく」から「むみょう」へは、ほとんどいっちょくせんです。つまり、めいそうにはしる、そののうの、きのうこそ、「むみょう」のおおきな、ようそであると、かんがえられるのです。
だから、「のう」は、いっていのほうこうに、むかわせるはたらきを、させてあげなければいけない、いそがしくさせて、あげなくてはいけない、あるいは、ほんとうのいみでの、きゅうそくをあたえて、あげないといけないようです。
 こうれいかしゃかいの、とうらいで、いままさに、この「むみょう」のもんだいはクローズアップされるべきでしょう。
 いけだせんせいと、アーノルド・トインビーの「21せいきへのたいわ」に、こんなきじゅつがあります。
テーマは「よか」です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「21せいきへのたいわ」<じょうかん>だい5しょう 「しゃかいてきどうぶつとしてのにんげん」
②「よかのぞうだいにたいして」 じょうかんP258~261
 いけだ 「=りゃく=
    よかがふえるのは、けっこうなことですが、ろうどうを、うばわれるのは、けっしてよいことではありません。=ちゅうりゃく=
    じこのちからを、ぞんぶんにはっきできる、しごとをうしなうことは、にんげんにとって、たえがたいくつうだからです」

 トインビー、「しつぎょうすることは、いうまでもなくいろいろの、ふこうをまねくものです。
しつぎょうのくるしみのうち、もっともしんこくでないにしても、もっともあきらかな、くつうは、けいざいてきな、こんきゅうです。
しかし、しつぎょうがもたらす、しんりてきくつうは、それいじょうに、はげしいものです。
なにもすることがなくなった、かつてのろうどうしゃというものは、じぶんがしゃかいにとって、よぶんなそんざいに、なったとかんじるものです。
 これは、くつじょくてきなことです。にんげんはしゃかいてきどうぶつであり、しゃかいのはみだししゃになることは、じんかくをひていされたも、どうぜんのいんしょうをあたえるからです。
 さらによくないことには、しつぎょうするということは、ひまになるということです。
 それも、しつぎょうしたひとが、たまたまかずすくない、そうぞうてきさいのうのもちぬしで、しょうがいよかばかりであったとしても、じかんてき、たいりょくてきに、しょうかしきれないほど、おおくのしごとがあるのなら、はなしはべつです。
 そうでもないかぎり、そのひとは、にんげんのうんめいという、きゅうきょくの、もんだいにつきあたらざるをえません。

 にんげんは、せいけいのしをえる、しょくをやめたり、また、せいけいとは、なんのかんけいもない、じぶんでつくりだした、しごとをやめると、とたんにこのもんだいになやまされます。
 そのじぶんでつくったしごとが、いかにたあいなかろうと、ゆうがいであろうと、あるいはそうぞうてきであろうと、それはかわりありません。
 にんげんのうんめいというもんだいは、すべてのひとを、まちうけています。
 これはいかに、どんかんなひとにも、いかに、むかんかくなひとにも、きょうつうのもんだいです。
 なぜなら、にんげんが、いしきあるそんざいであるかぎり、にんげんであることは、やっかいなたちば、おそるべきしんぴさのなかに、いることだと、ときとしてきづかずには、いられないからです。
 じこのそんざいが、ききにみまわれたおりなどに、にんげんのこのような、たちばや、しんぴさにめんすることなく、いっしょうをおえるというひとは、ほとんどありません。
 そして、まんせいてきしつぎょうじょうたいとは、まさにこのいちじてきに、みまうききとおなじはたらきをしうるのです。
 つまり、にんげんのうんめいというもんだいを、ふかひてきにつきつけるのです。

 このもんだいを、ちょくしせざるをえないのは、しゅくふくすべきなのでしょうか。
 それとも、のろわしいことなのでしょうか。
 おおくのにんげんは、まるでそれが、のろわしいようにふるまっています。
 すなわち、かれらはきょうせいてきなしごとによって、まひされることがなくなると、こんどはみずからふひつようなしごとを、かんがえだして、じぶんをまひさせます。
 もししゃかいから、はみだしてしゃかいてきまひざいを、てにいれられなくなると、かれらは、さけやまやくでしんたいをまひさせるのです。

 いけだ 「わたしは、よかがふえるにせよ、ろうどうにとりくむにせよ、にんげんにとってけっきょくだいじなことは、そこにしゅたいせいをかくりつし、そうぞうてきにいきていくことだとかんがえます。
 げんだいのふうちょうには、たんにろうどうじかんをへらせば、それはただちによいことだとするかんがえかたがあります。
 しかしながら、ろうどうはにんげんにとってくつうであるとともに、そうぞうのよろこびをもたらすものでもあるわけです。
 このりょうめんのいみがあることをわすれて、にんげんをろうどうからかいほうして、よかをふやせば、それだけくつうがへって、よろこびにかわるだろうとかんがえるのは、あくまであやまりだといわざるをえません。
 しゃかいたいせいのありかたとしても、わたしは、ろうどうによって、こじんをぎむてきにそくばくするのではなく、かくじんが、じこのさいのうや、とくしつにおうじておもうぞんぶん、はたらくことができ、よかもまた、ゆうこうにすごせるような、そうごうてきなたいせいがつくられなければ、ならないとおもいます。

 トインビー 「おっしゃるとおりです。しかし、ここでもういちど、よかをにんげんのうんめいに、とりこむことにつかうというてんについて、かんたんにふれてみたとおもいます。
なかには、よかをそのようにつかうことを、さいわいとかんじるひともいるものです。
 にんげんのうんめいを、ちょくしするということは、しゅうきょう、てつがくのべつめいです。
 かつて、よかをもつことを、とっけんとしていたしょうすうのうちでも、そうぞうてきしょうすうのなかには、げいじゅつ、かがく、ぎじゅつなどよりは、むしろしゅうきょう、てつがくのぶんやに、さいのうをはっきしたひと々びとが、いつのじだいにもいたものです。
 このように、にんげんのきゅうきょくのせいしんてきもんだいを、かんがえることにしょうがいをついやして、そこにじこたっせいをみいだすことのできたひともいるということは、あらゆるひとにとって、そこに、じこかんせいのカギが、ひめられているということではないでしょうか。
 きっと、そうであるにちがいありません。ただし、にんげんのうんめいというもんだいが、いしきにめざめた、すべてのにんげんに、まちうけているというのが、しんじつであればのはなしですが、これもまちがいなくしんじつであるはずです。
    =いかりゃく=」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 よかは、「かんがえる」きかいをふやしてしまうようです、ねんりんをかさねているひとであれば、よくわかることです。
かんがえないようにしていても、かんがえます、それが「のう」のあたえられた“しごと”であるからのようです。

 トインビーはかせによれば、「まんせいてきしつぎようじようたい」=よかになると、「にんげんのうんめいというもんだいを、ふかひてきにつきつける」ようです。
「きようせいてきなしごとによって、まひされることがなくなると、こんどは、みずからふひつようなしごとをかんがえだして、じぶんをまひさせます」。
 さもなくば「さけやまやくで、しんたいをまひさせる」ようになることもあります。
 やはり、にんげんは「かんがえるあし」のようです。

 「かんがえる」ことの、「のう」の“ざ”は、やはりシナプスけつごうと、かんがえるのがだとうでしょう。
 さいきんのけんきゆうせいかでは、のうのシナプスけつごうは、かなりはやいだんかいで、もうらのあみができ、そのつかわないけつごうがしようしつしていくという、けいかをたどっているようです。
 これは、くさきのえだの、しげりかたもおなじようです。
 くさきのえだは、したからみると、みぎまきにかいてんするように、うえにえだをしげらせていって、いるようです。
 たいふうもおなじかいてんです、こうりつよく、につこうをあびるための、すばらしいしぜんのちようりつだなとも、おもってもいました。
 だがどうも、じつさいのえだのせいちようは、そうではないようです。
 ほとんど、むせつそうにえだ、はをのばし、ふようなものがそのなかから、すたれていくという、けいかをたどっているようです。
 せいめいしてきには、、むしろこちらのかたがげんけいにちかいのでしょうが、のうのシナプスけつごうも、これとおなじようです。

 ほんだいにもどって、「かんがえる」ということが、こののうのシナプスけつごうの、ネットワークのかつどうそのものだとするなら、「かんがえる」ことは、せいしすることができません。
 のうがもつ、ほんらいてきなきのうそのものだからです。
 だから、はなっておけば、かつどうしつづけ、めいそう、もうそうのたぐいにはいりこまざるをえないようです。
 それをさけるには、まひさせるか、ていしさせるしかないともいえます。
 はたらきすぎれば“つかれ”ます。
 もし、そのきのうをそのままにして、しかもはたらきすぎないように、いじするには、そのかつどうをいつていのほうこうに、めいそうさせないように、しかも“つかれ”させないていどに、はたらかせるよりないようです。
 それには、これまでにならった、すでにある、るいじのちくせきのものより、あたらしいもの、むずかしいものがいいようです。
 そのかたが、あたらしいぶんやがかいたくでき、いつていのほうこうに、しかもゆっくりとしたかつどうさぎようとなりそうです。

トインビーはかせの「よかはにんげんのうんめいというもんだいを、ふかひてきにつきつける」にかんけいするものでしょうか、こんなだいしようにんのおおせがあります。

 「こころと、ほとけと、しゆじようと、このみっつは、わが、いちねんのしんちゆうに、おさめて、こころのほかに、なしとかんずれば、げこんのぎようじやすら、なお、いつしようのなかに、みようさとるのくらいにはいる、、ひとつと、たと、そうそくすれば、ひとつくらいにいつさいの、くらい みなこれぐそくせり、ゆえに、いつしようにはいるなり、げこんすら、かくのごとし、いわんやちゆうこんのものをや、いかにいわんや、じようこんをや、じつそうのほかに、さらに、べつのほう、なし、じつそうには、しだいなきがゆえに、くらいなし、そうじて、いちだいのせいきようは、ひとりのほうなれば、わがみのほんたいを、よくよくしるべし、これをさとるをほとけといい、これにまようはしゆじようなり」さんせいしよぶつ、そうかんもん、きようそうはいりゆうP567

「ひとつとたと、そうそくすれば、ひとつくらいに、いつさいのくらい、みなこれぐそくせり、ゆえに、いつしようにはいるなり」、さらに、「げこんすら、かくのごとし、いわんやちゆうこんのものをや、いかにいわんや、じようこんをや、じつそうのほかに、さらにべつのほう、なし、じつそうには、しだいなきがゆえに、くらいなし」とおおせです。「じつそうには、しだいなきがゆえに、くらいなし」です。
 すべてのにんげんが、びようどうに「みようさとるのくらいにはいる」のです。

 それは、トインビーはかせのいう、「にんげんのきゆうきよくの、せいしんてきもんだいを、かんがえることに、しようがいをついやして、そこに、じこたつせいをみいだすことのできたひとも、いるということは、あらゆるひとにとって、そこに、じこかんせいのカギが、ひめられているという、ことではないでしょうか」ということに、きけつするのかもしてません。


  • [214]
  • ほうおんしょう ひらがな 31しょうしょうから37しょう おわり

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年12月 3日(土)01時37分15秒
 
31しょう
このくどくは さだめてかみ さんぽう、しも ぼんてん、たいしゃく、にちがつまでも、しろしめしぬらん。
 ふぼも こ どうぜんぼうの しょうりょうも たすかりたまうらん、ただ うたがい おもうことあり もくれんそんじゃは たすけんとをもいしかども ははの しょうだいにょは がきどうにおちぬ。
 だいかくせそんの みこなれども ぜんしょうびくは あびじごくへ おちぬ、これはちからのまま すくはんと、をぼせども じごうじとくかのへんは、すくひがたし。
 こ どうぜんぼうは いたうでしなれば にちれんをば、にくしとは、をぼせ ざりけるらめども、きわめて おくびょうなりしうえ、きよずみを、はなれじと しゅうせしひとなり。
 じとう かげのぶが をそろしさといゐ、だいば、くぎゃりに、ことならぬ えんち、じつじょうがうえとしたとにいて をどせしを あながちにをそれて、いとをしとをもう としごろのでしらをだにも、すてられしひとなれば ごしょうはいかんがとうたがわし、ただひとつのみょうがには かげのぶと えんち、じつじょうとが、さきにゆきしこそ、ひとつのたすかりとは、をもへども かれらは ほけきょうのじゅうらせつのせめを、かほりて、はやくうせぬ。
 のちにすこし しんぜられてありしは、いさかひののちの ちぎりきなり、ひるのともしび なにかせん そのうえいかなることあれども、こでしなんどいうものは ふびんなるものぞかし、ちからなきひとにもあらざりしが さどのくにまでゆきしに いちどもとぶらはれざりしことは ほけきょうをしんじたるにはあらぬぞかし。
 それにつけても、あさましければ かのひとのごしきょときくには ひにもはいり みずにもしずみ、はしりたちても、ゆいておはかをも、たたいてきょうをも いちかんどくじゅせんとこそ、おもへども けんじんのならひ こころには とんせとは、おもはねども ひとは とんせとこそ、おもうらんに、ゆへもなく はしり いづるならば すへも、とをらずと ひとおもひぬべし。
 されば いかに おもひたてまつれども、まいるべきにあらず、
p324
 ただしおのおの、ふたりは にちれんがようしょうのししょうにて、おはします、ごんそうそうじょう、ぎょうひょうそうじょうの でんぎょうだいしのおんしたりしが、かへりてみでしとならせたまいしがごとし、にちれんがかげのぶにあだまれて きよずみさんをいでしに かくしおきて しのびいでられたりしは てんかだいいちのほけきょうのほうこうなり、ごしょうはうたがいおぼすべからず。
28段

32しょう
 とうていわく ほけきょう、いちぶ、はちかん、にじゅう はちほんのなかに なにものか かんじんなるや、こたえていわく けごんきょうのかんじんは だいほうこうぶつ けごんきょう、あごんきょうのかんじんは ぶっせつ ちゅうあごんきょう、だいしつきょうのかんじんは だいほうとう だいしつきょう、はんにゃきょうのかんじんは まかはんにゃはらみつきょう、そうかんきょうの かんじんは ぶっせつ むりょうじゅきょう、かんぎょうのかんじんは ぶっせつ かんむりょうじゅきょう、あみだきょうのかんじんは ぶっせつ あみだきょう、ねはんきょうのかんじんは だいはつ ねはんきょう、かくのごとくの いっさいきょうは みな にょぜがもんの かみのだいもく、そのきょうのかんじんなり。
 だいは だいにつけ しょうはしょうにつけて だいもくをもつて かんじんとす、だいにちきょう、こんごうちょうきょう、そしっちきょうなど、またまたかくのごとし、ほとけもまたかくのごとし だいにちにょらい、にちがつとうみょうぶつ、ねんとうぶつ、だいつうぶつ、うんらいおんのうぶつ、これらのほとけもまた なのうちに そのほとけの しゅじゅのとくを そなへたり。
 いまのほけきょうも またもつて、かくのごとし、にょぜがもんの かみの みょうほうれんげきょうの ごじは すなわちいちぶ はちかんのかんじん、またまた、いっさいきょうのかんじん、いっさいのしょぶつ、ぼさつ、にじょう、てんにん、しゅら、りゅうじんらの ちょうじょうの しょうほうなり。
  とうていわく なむみょうほうれんげきょうと こころもしらぬものの となうると なむだいほうこうぶつ けごんきょうと こころも しらぬもののとなうると さいとうなりや せんじんのくどく さべつせりや。
 こたえていわく せんじんなどあり、 うたがっていわく そのこころいかん、こたえていわく しょうこうは つゆと たまりみずと いと みぞと えとをば おさむれども たいがををさめず、たいがは つゆないししょうがを おさむれども たいかいををさめず。
 あごんきょうは せいこうなど ろけんををさめたるしょうがのごとし、ほうとうきょう、あみだきょう、だいにちきょう、けごんきょうなどはしょうがを をさむるたいがなり、ほけきょうはつゆ、たまりみず、せいこう、しょうが、たいが、てんうなどのいっさいのみずを いったいももらさぬたいかいなり。
 たとえば みの あつきものの だいかんすいのほとりに いねつれば すずしく、しょうすいのほとりに ふしぬれば くるしきがごとし、ごぎゃく、ほうぼうのおおきなる いっせんだいにん、あごん、けごん、かんぎょう、だいにちきょうとうの しょうすいのほとりにては だいざいの だいねつさんじがたし。
 ほけきょうの だいせつせんのうえに ふしぬれば ごぎゃく、ひぼう、いちせんだいなどのだいねつ たちまちにさんずべし、さればぐしゃはかならず ほけきょうをしんずべし。
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  おのおのきょうきょうの だいもくは やすきこと、おなじといへども ぐしゃとちしゃとの となうるくどくは てんちうんでいなり、たとへばおおつなは だいりきもきりがたし しょうりきなれども こがたなをもて たやすくこれをきる。
 たとへば かたきいしをば にぶきかたなをもてば だいりきもわりがたし、ときつるぎをもてば しょうりきもわりぬべし、たとへば くすりはしらねども ふくすれば やまい やみぬ しょくは ふくすれども やまい やまず、たとへば せんやくは いのちをのべ ぼんやくは やまいをいやせども いのちをのべず。

33しょう
 うたがっていわく にじゅう はちほんのなかに いずれか かんじんぞや、こたえていわく あるいはいわく ほんほんみな ことにしたがいて かんじんなり、あるいはいわく ほうべんぽん、じゅりょうほんかんじんなり、あるいは いわく ほうべんぽんかんじんなり、あるいはいわく じゅりょうほんかんじんなり、あるいはいわく かいじごにゅうかんじんなり、あるいはいわく じっそうかんじんなり。
29段
 とうていわく なんじがこころいかん こたう なむみょうほうれんげきょうかんじんなり、そのあかし いかん、あなん、もんじゅなど にょぜがもんとううんぬん。
 とうていわく こころいかん。
 こたえていわく あなんともんじゅとは はちねんがあいだ、このほけきょうの むりょうの ぎを いちく、いちげ、いちじものこさずちょうもんしてありしが ほとけのめつごに けつじゅうのとき、きゅうひゃく きゅうじゅう くにんの あらかんが ふでをそめてありしに まずはじめに みょうほうれんげきょうと かかせたまいて にょぜがもんと となえさせたまいしは みょうほうれんげきょうの ごじは いちぶ、はちかん、にじゅう はちほんの かんじんにあらずや。
 されば かこのとうみょうぶつの ときより ほけきょうをこうぜし こうたくじのほううんほっしは「 にょぜとは まさにしょもんを つたえんとす ぜんだいに いちぶをあぐるなり」とううんぬん。
 りょうぜんに まのあたり、きこしめしてありし てんだいだいしは「にょぜとは しょもんのほったいなり」とううんぬん。
 しょうあんだいしのいわく きしゃ しゃくしていわく 「けだし じょおうとは きょうのげんいを じょし げんいは もんしんを じゅつす」とううんぬん。
 このしゃくに もんしんとは だいもくは ほけきょうのこころなり みょうらくだいしいわく「いちだいの きょうほうを おさむること ほっけのもんしんより いづ」とううんぬん、てんじくは しちじゅうかこくなり そうみょうは がっしこく、にほんこくはろくじゅうかこく、そうみょうはにほんこく、がっしのなのうちにしちじゅうかこく、ないし じんちく、ちんぽうみなあり。
 にほんともうす なのうちに ろくじゅう ろっかこくあり、でわの はも おうしゅうのきんも ないし くにのちんぽう、じんちくないし じとうもじんじゃも みな にほんともうす にじのなのうちに おさまれり。
 てんげんをもつては にほんともうす にじをみて ろくじゅうろくこく ないし じんちくなどを みるべし、ほうげんをもつては じんちくなどの ここに しし かしこにうまるをも みるべし。
 たとへば ひとのこえをきいて からだをしり あとをみて だいしょうをしる、はちすをみて いけのだいしょうをはかり あめをみて りゅうのぶんざいをかんがう、これはみな はじめにいっさいの あることわりなり。
p326
 あごんきょうの だいもくには おおむねいっさいは あるやうなれども ただしょうしゃか、いちぶつありて たぶつなし、けごんきょう、かんぎょう、だいにちきょうなどには また いっさいあるやうなれども にじょうを ほとけになすやうと くおん じつじょうの しゃかぶついまさず。
 れいせば はなさいてこのみならず いかずちなつてあめふらず つづみあっておとなし まなこあつて ものをみず にょにんあつて こをうまず、ひとあつていのちなし、 また たましいなし。
 だいにちのしんごん、やくしのしんごん、あみだのしんごん、かんのんのしんごんなど またかくのごとし、かのきょうきょうにして だいおう、しゅみせん、にちげつ、りょうやく、にょいじゅ、りけんなどのやうなれども ほけきょうのだいもくに たいすれば うんでいのしょうれつなるのみならず みな おのおの、とうたいのじゆうをうしなふ。
 れいせば しゅうせいのひかりの ひとつの にちりんに うばはれ、もろもろの てつのひとつの じしゃくにおうて りしょうのつき、だいけんのしょうかに おうてゆうを うしなひ ぎゅうにゅう、ろにゅうなどの ししおうのちちに おうてみずとなり しゅうこがじゅつ、いっけんにおうて うしない、くけんが しょうこにおうて いろをへんずるがごとし。
 なむみょうほうれんげきょうともうせば なむあみだぶつのゆうも なむだいにちしんごんのゆうも かんぜおんぼさつのゆうも いっさいのしょぶつ、しょきょう、しょぼさつのゆうみなことごとくみょうほうれんげきょうのゆうにうしなはる。
 かのきょうきょうは みょうほうれんげきょうのゆうをからずば みないたづらの ものなるべし とうじがんぜんの ことはりなり。
 にちれんが なむみょうほうれんげきょうとひろむれば なむあみだぶつのゆうは つきのかくるがごとく しおのひるがごとく あきふゆのくさの、かるるがごとく こおりのにってんに とくるがごとく なりゆくをみよ。
30段

34しょう
 とうていわく このほう じつにいみじくば など かしょう、あなん、めみょう、りゅうじゅ、むじゃく、てんじん、なんがく、てんだい、みょうらく、でんきょうなどは ぜんどうが なむあみだぶつとすすめて かんどにぐつうせしがごとく、えしん、ようかん、ほうねんが にほんこくを みな あみだぶつになしたるがごとく、すすめ たまはざりけるやらん。
 こたえていわく このなんは いにしえのなんなり いまはじめたるにあらず、めみょう、りゅうじゅぼさつなどは ほとけのめつご、ろっぴゃくねん、ななひゃくねんなどのだいろんしなり、このひとびと よにいでて だいじょうきょうを ぐつうせしかば もろもろの しょうじょうのもの、うたがっていわく かしょう、あなんなどは ほとけのめつごにじゅうねん、よんじゅうねん じゅうじゅし たまいて しょうほうをひろめ たまいしは にょらいいちだいの かんじんをこそぐつうし たまいしか。
 しかるに このひとびとは ただく、くう、むじょう、むがのほうもんをこそ せんとしたまいしに いま めみょう、りゅうじゅなどかしこしといふとも かしょう、あなんなどには すぐべからず これいち、かしょうは ほとけにあひまいらせて げをえたるひとなり、このひとびとは ほとけにあひたてまつらずこれに。
p327
 げどうは じょう、らく、が、じょうと たてしを ほとけ、よにいでさせたまいて く、くう、むじょう、むがと とかせたまいき、このものどもは じょう、らく、が、じょうといへり。
 されば ほとけも ごにゅうめつなり また かしょうなどもかくれさせたまいぬれば だいろくてんのまおうが このものどもが みにいりかはりて ぶっぽうをやぶり げどうのほうと なさんとするなり。
 されば ぶっぽうのあだをば こうべをわれ くびをきれ いのちをたて じきをとめよ くにをおへと もろもろのしょうじょうのひとびと もうせしかども めみょう、りゅうじゅなどは ただ、いちににんなり ちゅうやにあっくのこえをきき ちょうぼにじょうもくを かうふりしなり。
 しかれども このににんは ほとけのおつかいぞかし、まさしくまやきょうには ろっぴゃくねんにめみょういで ななひゃくねんにりゅうじゅいでんと とかれてそうろう、のそうえ りょうがきょうなどにも きせられたり また ふほうぞうきょうには もうすにをよばず、されども もろもろのしょうじょうのものどもはもちいず ただ めくらぜめに せめしなり。
 にょらいの げんざいにすら ゆたおんしつ、きょうめつどごの きょうもんはこのときにあたりて すこしつみしられけり、だいばぼさつの げどうにころされ ししそんじゃの くびをきられし このことをもつて、おもひやらせたまへ。
31段

35しょう
 また ぶつめつご、いっせんごひゃくよねんにあたりて がっしよりは ひがしにかんどといふくにあり ちんずいのよに てんだいだいししゅっせす、このひとのいわく にょらいのせいきょうにだいあり しょうあり けんありみつあり ごんありじつあり。
 かしょう、あなんなどは にいっこうしょうをめひろ めみょう、りゅうじゅ、むじゃく、てんじんなどはごんだいじょうを ひろめて じつだいじょうのほけきょうをば あるいはただ ゆびをさして ぎをかくし あるいはきょうのおもてをのべて しちゅうじゅうをのべず。
 あるいは しゃくもんをのべて ほんもんをあらはさず、あるいは ほんじゃくあつて かんじんなしといひしかば、なんさん、ほくしちのじゅうりゅうがすえ、すうせんまんにん、ときをつくり どっとわらふ。
 よのすえに なるままにふしぎのほっしもしゅつげんせり、ときにあたりて われらをへんしゅうするものはありとも ごかんの えいへいじゅうねん ひのとうのとしより いまちんずいに いたるまでのさんぞう、にんし にひゃくろくじゅうよにんを ものも しらずともうすうえ ほうぼうのものなり あくどうにおつるといふもの、しゅったいせり。
 あまりの、ものくるはしさに ほけきょうをもてきたり たまへる らじゅうさんぞうをも、ものしらぬものともうすなり。
 かんどは さてもをけ がっしのだいろんし りゅうじゅ、てんしんなどのすうひゃくにんのし えのぼさつも いまだ じつぎをのべ たまはずといふなり、これを ころしたらんひとは たかをころしたるものなり おにを ころすにもすぐべしとののしりき。
 また みょうらくだいしのとき、がっしよりほっそう、しんごんわたり かんどにけごんしゅうのはじまりたりしを、とかくせめしかば、これもまた さはぎしなり。
p328
 にほんこくには でんぎょうだいしが ぶつめつご、いっせん はっぴゃくねんに あたりて、いでさせたまい てんだいのおんしゃくをみて きんめいより このかた にひゃくろくじゅうよねんが あいだの ろくしゅうをせめたまいしかば ざいせのげどう、かんどのどうし、にほんにしゅつげんせりと ぼうぜしうえ。
 ぶつめつご、いっせん はっぴゃくねんがあいだ、がっし、かんど、にほんになかりし えんどんのたいかいを たてんというのみならず、さいこくの かんのんじのかいだん、とうごくしもつけの おのでらのかいだん、ちゅうごく やまとのくに、とうだいじの かいだんはおなじく しょうじょう しゅうふんの かいなり がしゃくのごとし。
 それをたもつ ほっしらは やかん、えんこうなどのごとしとありしかば あらふしぎや ほっしににたる おおいなむし、くににしゅつげんせり ぶっきょうのなえいちどきに、うせなん。
 いんのちゅう、かのけつ、ほっしとなりて にほんにうまれたり、ごしゅうのうぶん、とうのぶそう、ふたたび よにしゅつげんせり ぶっぽうもただいま うせぬべし くにもほろびなんと たいじょう、しょうじょうの にるいのほっし しゅつげんせば しゅらとたいしゃくと こううとこうそと いっこくにならべる なるべしと、しょにん てをたたき したをふるふ。
 ざいせには ほとけとだいばが ふたつのかいだんありて、そこばくのひとびと、しにき、されば たしゅうには、そむくべし わがし てんだいだいしのたてたまわざる えんどんのかいだんを たつべしという ふしぎさよ、 あらをそろし をそろしと ののしりあえりき。
 されども きょうもん ふんみょうにありしかば えいざんの たいじょうかいだん すでにたてさせたまいぬ、されば ないしょうはおなじけれども ほうのるふは かしょう、あなんよりも めみょう、りゅうじゅなどは すぐれ めみょうなどよりも てんだいはすぐれ てんだいよりも でんきょうはこえさせたまいたり よ まつになれば ひとのちはあさく ぶっきょうはふかくなることなり。
 れいせば けいびょうは ぼんやく、じゅうびょうには せんやく、よわきひとには つよきかたうど ありてたすくるこれなり。

36しょう
 とうていわく てんだい でんきょうの ぐつうしたまわざる しょうほうありや、こたえていわく あり もとめていわく なにものぞや、こたえていわく みっつあり。
 まっぽうのために ほとけとどめ おきたまう かしょう、あなんなど、めみょう、りゅうじゅなど、てんだい、でんきょうなどの ぐつうせさせたまはざる しょうほうなり。
 もとめていわく そのぎょうみょういかん、こたえていわく ひとつには にほん、ないし いちえんぶだい、いちどうに ほんもんのきょうしゅ しゃくそんを ほんぞんとすべし、いわゆるほうとうのうちの しゃか、たほう、そのほかのしょぶつ、ならびにじょうぎょうなどの しぼさつきょうじとなるべし。
 ふたつには ほんもんのかいだん、みっつには にほん、ないしかんど、がっし、いちえんぶだいに ひとごとに うちむちをきらはず いちどうにたじをすてて なむみょうほうれんげきょうと となうべし、このこといまだ、ひろまらず いちえんぶだいのうちに ぶつめつご、にせんにひゃく にじゅうごねんがあいだ いちにんもとなえず。
p329
  にちれんいちにん、なむみょうほうれんげきょう、なむみょうほうれんげきょう とうと こえも をしまず となうるなり、れいせば かぜにしたがつて なみのだいしょうあり たきぎによつて ひのこうげあり いけにしたがって はちすのだいしょうあり あめのだいしょうは りゅうによる ねふかければ えだしげし みなもと とおければ ながれながしと、いう これなり。
 しゅうの よの ななひゃくねんは ぶんおうの れいこうによる しんのよ ほどもなし しこうの さどうによるなり、にちれんが じひこうだいならば なむみょうほうれんげきょうは まんねんのほか、みらいまでもながるべし。
 にほんこくの いっさいしゅじょうの もうもくを ひらけるくどくあり、むげんじごくの みちをふさぎぬ、このくどくは でんぎょう、てんだいにもこへ りゅうじゅ、かしょうにもすぐれたり。
 ごくらく ひゃくねんのしゅぎょうは えどの いちにちの くどくにおよばず。
 しょうぞう にせんねんの ぐつうは まっぽうの いちじにおとるか、これひとへに にちれんがちの かしこきには、あらず ときのしからしむるのみ。
 はるは はなさき あきはこのみなる なつは、あたたかに ふゆは、つめたし ときのしからしむるに あらずや。
33段
 「わが めつどののち、のちのごひゃくさいのなかに こうせんるふして えんぶだいに おいてだんぜつして あくま、まみん、もろもろのてんりゅう、やしゃ、くはんだとうに そのたよりを えせしむることなけん」とううんぬん。
 このきょうもん もしむなしくなるならば しゃりほつは けこうにょらいとならじ、かしょうそんじゃは こうみょうにょらいとならじ もくけんは たまらばせんだんこうぶつとならじ あなんは さんかいえじざいつうおうぶつとならじ まかはじゃはだいびくには いっさいしゅじょう きけんぶつとならじ やしゅたらびくには ぐそくせんまんこうそうぶつとならじ。
 さんぜんじんてんも けろんとなり、ごひゃくじんてんも もうごとなりて、おそらくは きょうしゅしゃくそんは むげんじごくにおち たほうぶつは あびの ほのおにむせび じっぽうのしょぶつは はちだいじごくをすみかとし いっさいのぼさつは いっぴゃく さんじゅうろくの くるしみをうくべし。
 いかでか そのぎ そうろうべき、そのぎなくば にほんこくは いちどうの なむみょうほうれんげきょうなり。

37しょう
 されば はなは ねにかへり このみは つちにとどまる、このくどくは こ どうぜんぼうの しょうりょうの おんみにあつまるべし、なむみょうほうれんげきょう、なむみょうほうれんげきょう

 けんじにねん だざいひのえ ね
はつき にじゅういちにち これをしるす。

  こうしゅう はきりのごう、みのぶさんより、あわのくに とうじょうのごおり、きよずみさん、じょうけんぼう、ぎじょうぼうのもとに ぶそうす。



  • [213]
  • ほうおんしょう ひらがな 26しょうしょうから30しょう

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年12月 3日(土)01時34分50秒
 
26しょう
23段
 れいせばかんどのぜんどうが はじめは みつしゅうのめいしょうといゐしものに おうて ほけきょうをよみたりしが のちにはどうしゃくにおうて ほけきょうをすて かんぎょうによりて じょをつくり ほけきょうをば せんちゅう むいち、ねんぶつをば じゅうそく じゅっしょう、ひゃくそく ひゃくしょうとさだめて
p318
このぎをじょうぜんがために あみだぶつのごぜんにして きせいをなす。
 ぶついにかなうや いなや まいよゆめのなかに つねにひとりの そうありて きて しじゅすと うんぬん、ないし もっぱらきょうほうのごとく せよ ないし かんねんほうもんきよう とううんぬん。
 ほけきょうには 「もし ほうをきくものあればひとつとして じょうぶつせざるなし」とぜんどうは「せんのなかに ひとつもなし」とううんぬん、ほけきょうとぜんどうとは すいかなり ぜんどうはかんぎょうをば じゅうそくじゅっしょう、ひゃくそくひゃくしょう、むりょうぎきょうにいわく「かんぎょうは いまだしんじつをあらわさず」とううんぬん。
 むりょうぎきょうとようりゅうぼうとは てんちなり これを あみだぶつのそうとなりて きたって なんじがじょは まことなりとあかしたまわんは、あにまことならんや、そもそもも あみだは ほけきょうのざにきたりて したをば いだしたまはざりけるか、かんのんせいしは ほけきょうのざには なかりけるか、これをもて をもへ じかくだいしの おんゆめは わざわひなり。
24段

27しょう
 とうていわく こうぼうだいしの しんぎょうのひけんにいわく「ときに こうにんくねんのはる てんかたいえきす、ここに こうていみずから おうごんをひったんにそめ こんしをそうしょうに にぎりて はんにゃしんぎょう いちかんを しょしゃし たてまつりたまう よ こうどくのせんに のっとりて、きょうしのしゅうを つづる いまだ けつがんのしを はかざるに、そせいの やから みちにたたずむ。
 よるへんじて しかも にっこうかくかくたり これぐしんの かいとくにあらず こんりん ごしんりきの しょいなり、ただし じんしゃに もうでんともがらは このひけんを じゅしたてまつれ。
 むかし よ じゅぶせっぽうの むしろに ばいして まのあたり そのしんもんを ききたてまつる あにそのぎに たっせざらんや」とううんぬん、またくじゃくきょうの おんぎにいわく「こうぼうだいしきちょうののち しんごんしゅうをたてんとほっし しょしゅうをちょうていにぐんじゅうす そくしんじょうぶつのぎを ううたがう、だいしちけんのいんをむすびて なんぽうにむかうに めんもんにわかにひらいて こんじきのびるしゃなとなり すなわち ほんたいにげんきす。
 にゅうが、がにゅうのこと、そくしんとんじょうのうたがいこのひしゃくぜんたり、しかるにしんごん、ゆがのしゅう、ひみつまんだらのみち かのときより こんりゅうしぬ」。
 またいわく「このときに しょしゅうの がくと だいしにきして はじめて しんごんをえて しょうえきししゅうがくす さんろんのどうしょう、ほっそうのげんにん、けごんのどうゆう、てんだいのえんちょうなど みなそのたぐいなり」。
 こうぼうだいしの でんにいわく「きちょう はんしゅうのひ ほつがんしていわく わが しょがくのきょうほう もし かんのうのち あらば このさんこ そのところに いたるべし よって にほんのほうに むけて さんこを なげあぐ はるかにとんで くもにはいる かんなつきに きちょうす」とうんぬん。
 またいわく「こうやさんの したに にゅうじょうのところを しむ ないし かのかいじょうの さんこ いまあらたに ここにあり」とううんぬん、このだいしの とくむりょうなり そのりょうさんをしめす、かくのごとくのだいとくあり いかんが このひとを しんぜずして、かへりて あびじごくに おつるといはんや。
p319
 こたえて いわく よもあおいで しんじたてまつることかくのごとし ただいにしえのひとびとも ふかしぎのとくありしかども ぶっぽうのじゃせいは それにはよらず、げどうが あるいはこうがを みみにじゅうにねんとどめ あるいは たいかいをすひほし あるいは にちげつをてに にぎり あるいは しゃくしを ぎゅうようとなし なんど、せしかども、いよいよ だいまんを、をこして しょうじの ごうとこそなりしか。
 これをば てんだいいわく「みょうりをもとめけんないをます」とこそ しゃくせられてそうらへ、こうたくが たちまちにあめをふらし しゅゆにはなをさかせしをも みょうらくは「かんのうかくのごとくなれども、なおりに かなわず」とこそかかれてそうらへ。
 さればてんだいだいしの ほけきょうを よみて しゅゆに かんうをふらせ、でんきょうだいしのみっかがうちにかんろのあめをふらして をはせしも それをもつて ぶついにかなうとはをほせられず。
 こうぼうだいしいかなるとくましますとも ほけきょうをけろんのほうとさだめ しゃかぶつをむみょうのへんいきと かかせたまえる おんふでは ちえ かしこからんひとは もちゆべからず、

28しょう
いかにいわうや かみにあげられて そうろう とくどもは ふしんあることなり。
 「こうにんくねんのはる、てんかたいえき」とううんぬん、はるはきゅうじゅうにち、いずれのつき、いずれのひぞ これいち、またこうにん くねんには たいえきありけるか これに、また「よるへんじて にっこうかくかくたり」とうんぬん、このことだいいちの だいじなり こうにんくねんは さがてんのうのみよなり さしうしのきに のせたりや これさん、たとい のせたりとも しんじがたきことなり じょうこう にじゅっこう、じゅうこう きゅうこう、いじょう にじゅうきゅうこうが あいだに、いまだなき てんぺんなり、よなかに にちりんのしゅっげんせる こといかん。
 またにょらい いちだいのしょうきょうにも みへず みらいに よなかににちりんいづべしとは さんこう ごていのさんぷん、ごてんにものせず ぶっきょうのごときんば えこうにこそ ふたつのひ、みっつのひ、ないしななつのひは いづべしとはみえたれども、それは ひるのことぞかし、よるひ しゅっげんせば とうざいほくのさんぽうはいかん、たとい ないげてんにしるせずとも げんに こうにんくねんのはる、いずれのつき、いずれのひ、いずれのよるの いずれのときに ひいづるという。
 くげ、しょけ、えいざんなどのにっきあるならば、すこししんずるへんもや、つぎしもに「むかしよじゅぶせっぽうの むしろにばいして まのあたりそのしんもんをきく」とううんぬん、このふでをひとにしんぜさせしめんがために かまへいだす だいもうごか。
 されば りょうぜんにして ほっけはけろん、だいにちきょうは しんじつと ほとけのとき たまいけるを あなん、もんじゅがりあやまて みょうほけきょうをばしんじつとかけるか、いかん。
 いうにかいなき いんにょ、はかいのほっしらがうたをよみて ふらすあめを さんしちにちまでくださざりしひとは、かかるとくあるべしや、これし、
p320
 くじゃくきょうの おんぎにいわく「だいしちけんのいんをむすんで なんぽうにむこうに めんもんにわかにひらいて こんじきのびるしゃなとなる」とううんぬん。
 これまた いずれのおう、いずれのねんじぞ、かんどには けんげんをはじめとし にほんには たいほうをはじめとして しそのにっき、だいじにはかならずねんごうのあるが、これほどのだいじに、いかでかおうもしんも ねんごうもにちじもなきや。
 またつぎにいわく「さんろんのどうしょう、ほっそうのげんにん、けごんのどうゆう、てんだいのえんちょう」とううんぬん、そもそもえんちょうは じゃっこうだいし、てんだいだいにのざすなり、そのときなんぞだいいちのざすぎしん、こんぽんのでんぎょうだいしをばめさざりけるや、えんちょうはてんだいだいにのざす、でんぎょうだいしのみでしなれども またこうぼうだいしのでしなり、でしをめさんよりは さんろん、ほっそう、けごんよりは てんだいのでんぎょう、ぎしんのふたりをめすべかりけるか。
 しかもこのにっきにいわく「しんごんゆがのしゅう、ひみつまんだら かのときよりして こんりゅうす」とううんぬん、このふではでんぎょう、ぎしんのごぞんしょうかとみゆ、こうぼうはへいぜいてんのう、だいどうにねんより こうにんじゅうさんねんまでは さかんにしんごんをひろめしひとなり。
 そのときは このふたりげんにおはします またぎしんは てんちょうじゅうねんまでをはせしかば そのときまで こうぼうのしんごんは、ひろまらざりけるか、かたがたふしんあり、くじゃくきょうのじょはこうぼうのでし、しんさいがじきなり しんじがたし。
 またじゃけんのものが くげ、しょけ、えんちょうのきをひかるべきか、またどうしょう、げんにん、どうゆうのきをたずぬべし。
 「めんもん にわかにひらいてこんじきの びるしゃなとなる」とううんぬん、めんもんとはくちなり くちのひらけたりけるか みけんひらくとかかんとしけるが あやまりて めんもんとかけるか、ぼうしょをつくるゆへに、かかるあやまりあるか。
 「だいし ちけんのいんをむすんで、なんぽうにむかうに めんもんにわかにひらいて こんじきのびるしゃなとなる」とううんぬん、ねはんきょうのごにいわく「かしょう ほとけにもうしてもうさく せそん われいま このししゅのひとに よらず なにをもってのゆえに くしらきょうのなかの ごときほとけ くしらのために ときたまわく もし てんまぼん はえせんと ほっするがために へんじて ほとけのかたちとなり さんじゅうにそう、はちじゅうしゅこうを ぐそくし しょうごんし えんこういちじん めんぶえんまんなること なお つきのせいめいなるがごとく みけんのごうそう しろきこと かせつにこえ ないしひだりのわきより みずを いだし みぎのわきより ひをいだす」とううんぬん。
 またろくのまきにいわく「ほとけ かしょうにつげたまわく われ はつねはんして ないし のち このまはじゅん ようやく まさにわがしょうほうを そえす ないし けして あらかんの しんおよび ほとけの しきしんとなり まおうこのうろのかたちを もって むろのみとなり わがしょうほうを やぶらん」とううんぬん。
 こうぼうだいしは ほけきょうを けごんきょう、だいにちきょうにたいして、けろんとううんぬん、
p321
しかも ぶっしんをげんず これねはんきょうには ま うろの かたちをもつて ほとけとなつて わがしょうほうをやぶらんと しるしたまう、ねはんきょうのしょうほうは ほけきょうなり ゆえにきょうのつぎしものもんに いわく「ひさしく すでに じょうぶつす」。
 またいわく「ほっけの なかのごとし」とううんぬん、しゃか、たほう、じっぽうのしょぶつはいっさいきょうにたいして「ほけきょうはしんじつ、だいにちきょうなどのいっさいきょうはふしんじつ」とううんぬん。
 こうぼうだいしは ぶつしんをげんじて けごんきょう、だいにちきょうにたいして「ほけきょうはけろん」とううんぬん、ぶっせつまことならば こうぼうは てんまにあらずや。
 また さんこのこと、ことにふしんなり かんどのひとの にほんにきたりてほりいだすとも しんじがたし、いぜんにひとをや、つかわして、うづみけん、いわうや こうぼうは にほんのひとかかる おうらん そのかずおおし これらをもつて ぶついにかなうひとの しょうことはしりがたし。
25段

29しょう
 さればこのしんごん、ぜんしゅう、ねんぶつとう やうやく、かさなりきたるほどに にんのう はちじゅうにだい、たかなり、おきのほうおう、ごんのたゆうどのを うしなわんと としごろ、はげませたまいけるゆへに だいおうたる こくしゅなれば、なにとなくとも ししおうの うさぎをふくするがごとく、たかの きじをとるやうにこそ、あるべかりし うえ、えいざん、とうじ、おんじょう、なら、しちだいじ、てんしょうだいじん、しょうはちまん、さんのう、かも、かすがなどに すうねんがあいだ、あるいはちょうぶく、あるいは かみにもうさせたまいしに ふつか、みっか、だにも、ささへかねて さどこく、あわこく、おきこくとうに ながしうせて ついにかくれさせたまいぬ。
 ちょうぶくのじょうしゅ、おむろは ただ とうじを かへらるるのみならず まなこのごとく あひせさせたまいし だいいちの てんどう、せいたかが くびきられたりしかば ちょうぶくのしるし げんちゃくおほんにんの ゆへとこそ みへてそうらへ。
 これはわづかのことなり こののち さだんで にほんこくの しょしんばんみん いちにんもなく かれくさをつみて ひをはなつがごとく だいせんの くづれて たにをうむるがごとく わがくに、たこくにせめらるること しゅったいすべし、

30しょう
このこと、にほんこくのなかに ただにちれんいちにん ばかりしれり。
 いゐいだすならば いんのちゅうおうの ひかんが むねを、さきしがごとく かのけつおうの りゅうほうがくびを きりしがごとく だんみらおうの ししそんじゃが くびをはねしがごとく じくのどうしょうが ながされしがごとく ほうどうさんぞうの かなやきを やかれしがごとく、ならんずらんとは かねて しりしかども ほけきょうには 「われ しんみょうをあいせず、ただむじょうどうを おしむ」と とかれ ねはんきょうには「むしろしんみょうを うしなうとも きょうをかくさざれ」といさめたまえり。
 こんどいのちをおしむならば、いつのよにかほとけになるべき、
p322
また いかなるよにか ふぼ、ししょうをも すくひ たてまつるべきと、ひとへに、をもひきりてもうし はじめしかば あんにたがはず あるいはところをおひ あるいはのり あるいはうたれ あるいはきずを、かうふるほどに いぬる こうちょうがんねん かのととり さつき じゅうににちに ごかんきを、かうふりて いずのくに いとうにながされぬ、また おなじきこうちょうさんねん みずのと い きさらぎ にじゅうににちに ゆりぬ。
26段
 そののち いよいよ ぼだいしんごうじょうにして もうせば、いよいよだいなんかさなること、おおかぜに おおなみのおこるがごとし。
 むかしの ふきょうぼさつの じょうもくのせめも わがみに、つみしられたり かくとくびくが かんきぶつのまつの だいなんも、これにはおよばじとをぼゆ、にほん ろくじゅうろっかこく、しまふたつのなかに いちにち、もかたとき いずれのところに、すむべきやうもなし。
 いにしえは にひゃくごじゅっかいを たもちて にんにくなること、らうんのごとくなる じかいのしょうにんも ふるなのごとくなる ちしゃも にちれんにあいぬれば あっくをはく、しょうじきにして ぎちょう、ただひとこうの ごとくなる けんじゃらも にちれんをみては りをまげて ひと をこなう。
 いわうや せけんのつねのひとびとは いぬの さるをみたるがごとく りょうしが しかを、こめたるににたり、にほんこくのなかに ひとりとしてゆえこそ、あるらめと、いうひとなし どうりなり、ひとごとにねんぶつを もうす ひとにむこうごとに ねんぶつは むげんにおつると いうゆへに、ひとごとに しんごんをたっとむ しんごんは くにをほろぼす あくほうという。
 こくしゅは ぜんしゅうをたっとむ にちれんは てんまのそいというゆへに われとまねける、わざわひなれば ひとの、のるをも、とがめず、とがむとても ひとりならず、うつをもいたまず もとより ぞんぜしがゆへに、かう、いよいよ みも、をしまず ちからにまかせて、せめしかば ぜんそう すうひゃくにん、ねんぶつしゃ すうせんにん、しんごんし ひゃくせんにん、あるいは ぶぎょうにつき あるいは きりひとにつき あるいは きりにょうぼうにつき あるいは ごけあま ごぜんなどについて むじんの ざんげんをなせしほどに さいごには てんか だいいちのだいじ、にほんこくを うしなはんと じゅそするほっしなり。
 こ さいみょうじどの、ごくらくじどのを むげんじごくにおちたりと もうす ほっしなり おたずね あるまでもなし ただ しゅゆに くびをめせ でしらをば また くびをきり あるいは おんごくにつかはし あるいは ろうにいれよと あま ごぜんたち、いからせたまいしかば、そのまま おこなわれけり。
27段
 いぬる ぶんえいはちねん かのとひつじ ながつき じゅうににちの よるは さがみのくに たつのくちにて きらるべかりしが、いかにしてやありけん そのよはのびて、えちというところへつきぬ。
p323
  またじゅうさんにちの よるはゆりたりと、どどめきしが またいかにやありけん、さどのくにまでゆく、きょうきる あすきるといひしほどに しかねんというに けっくは いぬる ぶんえいじゅういちねん だざい きのえいぬ きさらぎ じゆうよっかにゆりて おなじき やよいにじゅうろくにちに かまくらへはいり おなじき うつきのはちにち へいの さえもんのじょうに けんざんして やうやうのこと もうしたりしなかに ことしは もうこは いちじょうよすべしと もうしぬ、おなじき さつきのじゅうににちに かまくらをいでて このやまにはいれり。
 これは、ひとへにふぼのおん、ししょうのおん、さんぽうのおん、こくおんをほうぜんがために みをやぶり いのちをすつれども やぶれざれば、さでこそそうらへ。
 また けんじんのならい みたび くにをいさむるに もちひずば さんりんにまじわれと、いうことは さだまるれいなり、

  • [212]
  • ほうおんしょう ひらがな 16しょうしょうから25しょう

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月30日(水)15時54分58秒
 
21しょう
こうぼう、じかく、ちしょうのあやまり くにに としひさし そのうえぜんしゅうと ねんぶつしゅうとの、わざわいあいをこりて ぎゃくふうにおおなみをこり だいじしんのかさなれるがごとし。
 さればやうやくくにをとろう だじょうにゅうどうがくにをおさへ しょうきゅうにおうい つきはてて よひがしにうつりしかども ただくにじゅうのみだれにて たこくのせめはなかりき。
 それは ほうぼうのものは あれどもまたてんだいのしょうほうもすこしあり、そのうえ ささへあらわす ちじんなし、かるがゆへに、なのめなりき、たとえへばししのねぶれるは てをつけざれば、ほへず。
p313
 はやきながれは ろをささへざれば なみたかからず、ぬすびとは とめざれば、いからず ひはたきぎをえくわざれば、さかんならず、ほうぼうはあれども、あらわすひとなければ おうほうもしばらくはたえず、くにも、をだやかなるに、にたり。
 れいせば にほんこくに ぶっぽうわたり はじめてそうらいしに はじめは、なにごともなかりしかども もりや、ほとけをやき そうをいましめ どうとうをやきしかば てんよりひのあめふり くにに はうさうをこり ひょうらんつづきしがごとし。
 これはそれには、にるべくもなし、ほうぼうのひとびとも くににじゅうまんせり、にちれんがたいぎもつよく せめかかるしゅらと たいしゃくと ほとけとまおうとの かっせんにも、をとるべからず。
 こんこうみょうきょうにいわく「ときにりんごくのおんてき かくのごとき ねんをおこさん、まさに しへいをぐして かのこくどをやぶるべし」とううんぬん、またいわく「ときにおう みおわって そく しへいを よそおいて かのくににはっこうし とうばつをなさんと ほっす われらそのときに まさに けんぞくむりょうむへんのやしゃ しょじんと おのおのかたちをかくしてこれに
ごじょをなし かのおんてきをして じねんにこうぶくせしむべし」とううんぬん。
 さいしょうおうきょうの もんまたかくのごとし だいしつきょううんぬん にんのうきょううんぬん、これらのきょうもんのごときんば しょうほうをぎょうずるものを こくしゅあだみじゃほうをぎょうずるものの かたうどせば だいぼんてんおう、たいしゃく、にちがつ、してんなど、りんこくのけんおうのみにいりかわりて そのくにをせむべしとみゆ。
 れいせばきりたおうを せっせんげおうのせめ だいぞくおうを げんにちおうの うしなひしがごとし、きりたおうとだいぞくおうとは がっしのぶっぽうを うしなひしおうぞかし、かんどにも ぶっぽうをほろぼしし おうみなけんおうにせめられぬ。
 これはそれには、にるべくもなし ぶっぽうの、かたうど、なるやうにて ぶっぽうをうしなうほっしをたすくとみえて しょうほうのぎょうしゃをうしなうゆへに ぐしゃはすべてしらず ちしゃなんども つねのちじんはしりがたし、てんもげれつのてんにんはしらずもや あるらん、されば かんど、がっしのいにしへのみだれよりも おおきなるべし。
18段

22しょう
 ほうめつじんきょうにいわく「われ はつないおんの のち ごぎゃくじょくせに まどうこうじょうし ましゃもんとなって わがみちをえらんせん、ないし あくにん うたたおおく かいちゅうのいさごのごとく ぜんしゃ はなはだすくなくして もしはひとつ もしはふたつ」うんぬん。
 ねはんきょうにいわく「かくのごときなどの ねはんきょうてんをしんずるものは そうじょうの どのごとく ないしこのきょうを しんぜざるものは じゅっぽうかいの しょうの ちどのごとし」とううんぬん。
 このきょうもんは ときにあたりて とうとく よが きもにしみぬ、とうせい にほんこくには われもほけきょうを しんじたり しんじたり、しょにんのかたりの ごときんば いちにんも ほうぼうのものなし、
p314
このきょうもんには まっぽうにほうぼうのもの、じっぽうのちど、しょうほうのもの そうじょうのど とううんぬん、きょうもんと せけんとは すいかなり、せけんのひといわく にほんこくには にちれんいちにんばかりほうぼうのもの とううんぬん、またきょうもんには だいちよりおおからん とうんぬん、ほうめつじんきょうには ぜんしゃ いちににん、ねはんきょうには しんじゃ そうじょうのど とううんぬん、きょうもんのごとくならば にほんこくは ただ にちれんいちにんこそ そうじょうのど いち ににんにては そうらへ、されば こころあらんひとびとは きょうもんをか もちゆべき せけんをか もちゆべき。
19段
 とうていわく ねはんきょうのもんには ねはんきょうのぎょうしゃは そうじょうのどとううんぬん、なんじがぎには ほけきょうとううんぬんいかん。
 こたえていわく ねはんきょうにいわく「ほっけのなかのごとし」とううんぬん、みょうらくだいしいわく「だいきょうみずからほっけをさして ごくとなす」とううんぬん、だいきょうともうすは ねはんきょうなり ねはんきょうにはほけきょうをごくとさしてそうろうなり。
 しかるをねはんしゅうのひとの ねはんきょうをほけきょうにまさるともうせしは しゅをしょじゅうといゐ げろうをじょうろうといゐしひとなり、ねはんきょうをよむともうすは ほけきょうをよむをもうすなり。
 たとえへば けんじんはこくしゅをおもんずるものをば われを、さぐれども ぶよろこなり、ねはんきょうは ほけきょうをさげて われをほむるひとをば、あながちに かたきと、にくませたまう。

23しょう
 このれいをもつて しるべし けごんきょう、かんきょう、だいにちきょうとうをよむひとも ほけきょうをれつとよむは それぞれのきょうきょうのこころにはそむくべし、これをもつて しるべし ほけきょうをよむひとの このきょうをば しんずるやう、なれども しょきょうにても とくどうなるとをもうは このきょうをよまぬひとなり。
 れいせば かじょうだいしは ほっけげんともうすもん、じゅっかんつくりて ほけきょうをほめしかども、みょうらく かれをせめていわく 「そしりそのなかにあり、なんぞぐさんとなさん」とううんぬん。
 ほけきょうをやぶるひとなり さればかじょうはおちて てんだいにつかひて ほけきょうをよまず われきょうをよむならば あくどうまぬかれがたしとて しちねんまでみをはしとしたまいき。
 じおんだいしは げんさんと もうして、ほけきょうをほむるもん、じゅっかんあり でんきょうだいし せめていわく 「ほけきょうを ほむるといえども かえって ほっけのこころを ころす」とううんぬん。
 これらをもつて おもうに ほけきょうをよみ さんたんする ひとびとのなかに むげんじごくは おおくあるなり、かじょう、じおんすでにいちじょうひぼうの ひとぞかし、こうぼう、じかく、ちしょう あにほけきょう べつじょのひとに あらずや、かじょうだいしの ごとく こうをはいし しゅうをさんじて みをはしと なせしも なお いぜんのほけきょう ひぼうのつみや、きへざるらん。
 れいせば ふきょうきょうきのしゅうは ふきょうぼさつに しんぷくずいじゅうせしかども じゅうざいいまだ、のこりて せんごうあびにおちぬ。
p315
  さればこうぼう、じかく、ちしょうらは たとい ひるがへすこころありとも なおほけきょうをよむならば じゅうざいきへがたし いわうや、ひるがへるこころなし、またほけきょうをうしないしんごんきょうを ちゅうやにおこない ちょうぼにでんぽうせしをや。
 せしんぼさつ、めみょうぼさつは しょうをもてだいをはせるつみをば したをきらんとこそせさせたまいしか、せしんぼさつは ぶっせつなれども あごんきょうをば、たわぶれにも したのうえにをかじとちかひ、めみょうぼさつは ざんげのためにきしんろんをつくりて しょうじょうをやぶりたまいき。
 かじょうだいしは てんだいだいしをしょうじ たてまつりて ひゃくよにんのちしゃのまえにして ごたいをちになげ へんしんにあせをながし くれないの、なんだをながして いまよりは でしをみじ ほけきょうをかうぜじ でしのおもてを、まほり ほけきょうをよみたてまつれば わがちからのこのきょうをしるに にたりとて、てんだいよりも こうそうろうそうにて、をはせしが、わざとひとのみるとき、をひまいらせて かわをこへ、かうざに ちかづきて、せなかにのせまいらせて こうざにのぼせたてまつり けっく、ごりんじゅうののちには ずいのこうていにまいらせて しょうにがははに をくれたるがごとくにあしずりをして なきたまいしなり。
 かじょうだいしのほっけげんをみるに いたうほけきょうをぼうじたるじょにはあらず ただほけきょうと しょだいじょうきょうとは もんはせんじんあれども こころはひとつとかきてこそそうらへ、これがほうぼうのこんぽんにてそうろうか。
20だん
 けごんのちょうかんも しんごんのぜんむいも だいにちきょうとほけきょうとは りはひとつとこそ、かかれてそうらへ、かじょうだいし、とがあらばぜんむいさんぞうも のがれがたし

24しょう
さればぜんむいさんぞうは ちゅうてんのこくしゅなり くらいをすてて たこくにいたり しゅしょう、しょうだいのふたりにあひて ほけきょうをうけ ひゃくせんのいしのとうを たてしかば ほけきょうの ぎょうしゃとこそ みへしか。
 しかれども だいにちきょうをならいしより このかたほけきょうを だいにちきょうにおとるとや、をもひけん、はじめは いたう そのぎもなかりけるが かんどにわたりて げんそうこうていのしとなりぬ。
 てんだいしゅうを そねみおもう こころつきたまいけるかの ゆへに、たちまちに とんしして ふたりの ごくそつにてつのなわ ななすぢ つけられて えんま おうきゅうに いたりぬ、いのちいまだ、つきずと、いゐてかへされしに ほけきょうを ぼうずるとや、をもひけん しんごんのかんねん、いん、しんごんなどをば、なげすてて ほけきょうの こんしさんがいのもんを となえて、なわもきれ かへされたまいぬ。
 また あめのいのりを、をほせつけられたりしに たちまちにあめはふりたりしかども おおかぜふきて くにをやぶる。
p316
  けっく ししたまいてありしに はでしらあつまりて りんじゅういみじきやうを、ほめしかども むげんたいじょうにおちにき。
 とうていわく なにをもつてか、これをしる、こたえて いわく かれのでんを みるにいわく 「いま いのいぎょうを みるに、ようやく ますますしゅくしょうし こくひいんいんとして ほね それあらわなり」とううんぬん。
 かのでしらは しごに じごくのそうの あらわれたるをしらずして とくをあぐなど、をもへども、かきあらわせる ふでは いが とがをかけり、ししてありければ みやふやく、つづまり、ちひさくかわは くろし ぼねあらわなりとううんぬん、ひと ししてのち、いろのきくろきは じごくのごうとさだむることは ぶっだのきんげんぞかし。
 ぜんむいさんぞうのじごくのごうは なにごとぞ ようしょうにしてくらいをすてぬ だいいちのどうしんなり、がっし、ごじゅうよかこくをしゅぎょうせり じひのあまりに かんどにわたれり、てんじく、しんたん、にほんいちえんぶだいのうちに しんごんをつたへ れいをふるこのひとの とくにあらずや いかにして じごくにおちけると ごしょうをおもはんひとびとは おんたずねあるべし。
21段
 またこんごうちさんぞうは みなみてんじくのだいおうの たいしなり、こんごうちょうきょうを かんどにわたす そのとく ぜんむいのごとし、また たがいにしとなれり。
 るにしかこんごうちさんぞう、ちょくせんによて あめのいのりありしかば なぬかがうちに あめふる、てんしおおいによろこばせたまうほどに たちまちに おおかぜふききたる、おうしんなどけうさめたまいき つかいをつけておはせたまいしかども、とかうのべてまりとどまりしなり。
 けっくは ひめみやのおしきょありしに、いのりをなすべしとて おんみのかわりに でんじょうの にじょ しちさいになりしを たきぎに、つみこめて やきころせしことこそ むざんには おぼゆれ、しかれども、ひめみやも、いきかへりたまはず。
 ふくうさんぞうは こんごうちと がっしよりおともせり、これらのことを ふしんとやをもひけん いとちとにゅうめつののち、がっしにかえりてりゅうちにあい たてまつり しんごんをならいなをし てんだいしゅうにきぶくしてありしが こころばかりはかえれども、みはかへることなし。
 あめのおんいのり、うけたまわりたりしが みっかともうすにあめふる、てんしよろこばせたまいて われとおふせひかせたまう、しゅゆ ありしかば おおかぜおちくだりて だいりをもふきやぶり うんかく、げつけいのしゅくしょ、ひとところもあるべしとも、みへざりしかば てんしおおいにおどろきて せんじなりて かぜをとどめよと せおおくださる、しばらくありては またふき またふきせしほどに すうじつがあいだやむことなし。
 けっくは つかいをつけて おうてこそ かぜも、やみてありしか、このさんにんのあくふうは かんど、にほんのいっさいの しんごんしの おおかぜなり。
p317   22段
 さにてあるやらん いぬる ぶんえいじゅういちねん うつき じゅうににちのおおかぜは あみだどうのかがほういん、とうじ だいいちのちしゃのあめの いのりにふきたりし ぎゃくふうなり、ぜんむい、こんごうち、ふくうのあくほうを すこしもたがへず つたえたりけるか こころにくし こころにくし。

25しょう
 こうぼうだいしは いぬる てんちょうがんねんの きさらぎ だいかんばつのありしに さきには しゅびん、あまごいして なぬかがうちに あめをふらす、ただ きょうちゅうにふりて いなかにそそがず。
 つぎに こうぼううけとりて いちしちにちにあめけなし にしちにちにくもなし さんしちにちともうせしに てんしよりわけのまつなを ししゃとして ぬさをしんせんおんに まいらせたりしかば てんうふることみっか。
 これをば こうぼうだいしならびに でしら、このあめを うばひとり わがあめとして いまによんひゃくよねん、こうぼうのあめという。
 じかくだいしのゆめに にちりんをいしとこうぼうだいしのだいもうごにいわく こうにんくねんのはる、たいえきをいのりしかば よなかにだいにちりんしゅつげんせりとうんぬん、じょうこうよりいらい、じゅうこうのだいくのげん、いじょう にじゅうきゅうこうが あいだに にちりんよなかにいでしということなし。
 じかくだいしは ゆめににちりんをいるという、ないてんごせんななせん、げてんさんぜんよかんに にちりんをいると、ゆめにみるは きちむということありやいなや、しゅらはたいしゃくをあだみて にってんを、いたてまつる そのやかへりて わがまなこにたつ、いんのちゅうおうは にってんをまとにいて みをほろぼす。
 にほんのじんむてんのうのおんとき とみのおさと いつせのみことと かっせんありしに みことのてに やたつ、みことのいわく われはこれ ひのかみの うまごなり ひにむかいたてまつりて ゆみをひくゆへに ひのかみのせめを、かをほれりと うんぬん。
 あじゃせおうは じゃけんをひるがえして ほとけにきしまいらせて だいりにかえりて ぎよしんなりしが、をどろいて しょしんにむかって いわく にちりん、てんよりちにおつと、ゆめにみる しょしんのいわく ほとけのごにゅうめつかうんぬん。
 しゅばつだらが ゆめまたかくのごとし、わがくには ことにいむべきゆめなり かみをばあまてらすという、くにをばにほんという、またきょうしゅしゃくそんをば にっしゅともうす まやふじん、ひをはらむと、ゆめにみて、まうけたまえる たいしなり。
 じかくだいしは だいにちにょらいをえいざんにたて、しゃかぶつをすて しんごんのさんぶきょうをあがめて ほけきょうのさんぶのかたきとなせしゆへに このゆめしゅつげんせり。


  • [211]
  • ほうおんしょう ひらがな 16しょうしょうから20しょう

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月30日(水)15時52分19秒
 
16しょう
 されば じかく、ちしょうのににんは でんきょう、ぎしんのみでし、かんどにわたりては またてんだい、しんごんのみょうしにあいて ありしかども、にしゅうのしょうれつはおもい さだめざりけるか、あるいはしんごんすぐれ あるいはほっけすぐれ あるいはりどうじしょうとううんぬん。
 せんじを もうし くだすには にしゅうのしょうれつを ろんぜんひとは いちょくのものといましめられたり、これらはみな じごそういといゐぬべし、たしゅうのひとは よももちいじとみえてそうろう、ただにしゅう ひとしとは せんしでんぎょうだいしの おんぎとせんじにひきのせられたり。
 そもそも でんぎょうだいし いづれのしょに かかれてそうろうぞや、このこと よくよくたずぬべし、じかく、ちしょうとにちれんとが、でんぎょうだいしのおんことを ふしんもうすは、おやにあうての としあらそひ にってんにあひたてまつりてのめくらべ にてはそうらへどもじかく、ちしょうのおんかたふどを、せさせたまはんひとびとはふんみょうなる しょうもんをかまへさせたまうべし。
 せんずるところは しんをとらんがためなり、げんじょうさんぞうは がっしのばしゃろんをみたりしひとぞかし、てんじくにわたらざりしほうほっしに せめられにき、ほうごさんぞうは いんどのほけきょうをばみたれども ぞくるいの せんごをば かんどのひとみねども あやまりといひしぞかし。
 たとい じかく、でんぎょうだいしに あいたてまつりて ならいつたえたりとも ちしょう、ぎしんわじょうに ぐけつせりといふとも でんきょう、ぎしんのしょうもんに そういせば あに ふしんをくわえざらん。
 でんぎょうだいしの えひょうしゅうともうすもんは だいしだいいちのひしょなり、かのしょのじょにいわく「しんらいの しんごんけは すなわち ひつじゅのそうじょうをみんし きゅうとうのけごんけは、すなわちようごうの きはんをかくし、じんくうの さんろんしゅうは だんかのくつちをわすれてしょうしんの よいをおおう。
 じゃくうのほっそうは ぼくようのきえをなみし せいりゅうのはんぎょうを はらうなど、ないし つつしんでえひょうしゅういっかんをあらわして、どうがのこうてつに おくる、それのときおこること にほんだいごじゅうによう、こうにんのななひのえさるとしなり」うんぬん。
p308
つぎしもの しょうしゅうにいわく「てんじくの めいそうだいとう てんだいのきょうじゃくもっともじゃしょうを えらぶにたえたりときいて かつごうして ほうもんす」とうんぬん。
 つぎしもにいわく「あに ちゅうごくに ほうをうしなって これをしいにもとむるに あらずや しかも、この ほうにしることあるものすくなし ろびとのごときのみ」とううんぬん。
 このしょは ほっそう、さんろん、けごん、しんごんのししゅうを せめてそうろうもんなり、てんだい、しんごんのにしゅう どういちみならば いかでかせめそうろうべき、しかもふくうさんぞうらをば ろびとのごとし なんどかかれてそうろう。
 ぜんむい、こんごうち、ふくうのしんごんしゅう いみじくば、いかでか ろびととあっくあるべき、また てんじくのしんごんが てんだいしゅうにおなじきも また すぐれたるならば てんじくのめいそう いかでかふくうにあつらへ ちゅうごくにしょうほうなしとはいうべき。
 それは、いかにもあれ じかく、ちしょうのににんはことばは でんぎょうだいしのみでしとは なのらせたまえども、こころはみでしにあらず。
 そのゆえは このしょにいわく「つつしんで えひょうしゅういちかんを あらわして どうがのこうてつに おくる」とううんぬん、どうがのにじは しんごんしゅうは てんだいしゅうにおとると ならひてこそ どうがにてはあるべけれ、われともうしくださる、せんじにいわく「もっぱら せんしのぎにたがい、へんしゅうのこころをじょうず」とううんぬん。
 またいわく「およそ そのししの みちひとつをかいても ふかなり」とううんぬん、このせんじのごとくならば じかく、ちしょうこそもっぱらせんしにそむく、ひとにてはそうらへ、かうせめそうろうもをそれにてはそうらへども これをせめずば だいにちきょう、ほけきょうのしょうれつ やぶれなんとぞんじていのちを まとにかけて せめそうろうなり。
 このににんの ひとびとのこうぼうだいしのじゃぎを せめそうらわざりけるは もっともどうりにて そうらいけるなり、されば ろうまいをつくし ひとをわづらはして かんどへ わたらせたまはんよりは ほんし、でんぎょうだいしのおんぎを、よくよく、つくさせたまうべかりけるにや、さればえいざんのぶっぽうは ただ でんぎょうだいし、ぎしんわじょう、えんちょうだいしのさんだいばかりにてや ありけん。
 てんだい ざす すでに しんごんのざすに うつりぬ なとしょりょうとは てんだいさんそのぬしは しんごんしなり、さればじかくだいし、ちしょうだいしは いこんとうのきょうもんを やぶらせたまうひとなり、いこんのとうきょうもんをやぶらせたまうは、あに しゃか、たほう、じっぽうのしょぶつのおんてきにあらずや。
 こうぼうだいしこそ だいいちのほうぼうのひととおもうに、これは、それには、にるべくもなき ひがごと なり、そのゆえは すいか、てんちなることは ひがごとなれども ひともちゆることなければ、そのひがごと じょうずるごとなし。
309
 こうぼうだいしのおんぎは あまり ひがごとなれば でしらも もちゆることなし じそうばかりは そのもんけなれども そのきょうそうのほうもんは こうぼうのぎ いゐにくきゆへに ぜんむい、こんごうち、ふくう、じかく、ちしょうのぎにてあるなり。
 じかく、ちしょうのぎこそ しんごんとてんだいとは りどうなり なんどもうせば みなひと さもやと、をもう、かう、をもうゆへに じしょうのいんとしんごんとにつひて てんだいしゅうのひとびと、えぞう、もくぞうのかいげんのぶつじを、ねらはんがために、にほん、いちどうに しんごんしゅうにをちて てんだいしゅうは いちにんもなきなり。
 れいせば ほっしとあまと くろきとあおきとは、まがひぬべければ まなこくらきひとは あやまつぞかし、そうとおとことしろきとあかきとは めくらきひとも まよわず、いわうや まなこあきらかなるものをや。
 じかく、ちしょうのぎは ほっしとあまとくろきとあおきとが、ごとくなる、ゆへにちじんもまよいぐにんもあやまりそうらいて このよんひゃくよねんがあいだは えいざん、おんじょう、とうじ、なら、ごき、しちどう、にほんいっしゅう、みなほうぼうのものとなりぬ。


17しょう
16段
 そもそも ほけきょうのだいごに「もんじゅしり このほけきょうは しょぶつにょらいのひみつのぞうなり、しょきょうのなかにおいてもっともそのうえにあり」うんぬん、このきょうもんのごとくならば ほけきょうは だいにちきょうなどのしゅうきょうの ちょうじょうにじゅうしたまうしょうほうなり。
 さるにては ぜんむい、こんごうち、ふくう、こうぼう、じかく、ちしょうらは このきょうもんをば いかんがえつうせさせたまうべき、ほけきょうのだいしちにいわく「よくこのきょうてんをじゅじすることあらんものも またまたかくのごとし、いっさいしゅじょうのなかにおいて またこれ だいいちなり」とううんぬん。
 このきょうもんのごとくならば ほけきょうのぎょうしゃは せんる、こうがのなかの たいかい、しゅうさんのなかの しゅみせん、しゅうせいのなかの がってん、しゅうみょうのなかの だいにってん、てんりんおう、たいしゃく、しょおうのなかの だいぼんのうなり。
 でんぎょうだいしの しゅうぐともうすしょにいわく「このきょうも またまたかくのごとし ないしもろもろの きょうほうのなかに もっともこれだいいちなり よくこのきょうてんを じゅじすることあらんものも またまたかくのごとし いっさいしゅじょうのなかに おいて またこれだいいちなり」。
 いじょうきょうもんなりと ひきいれさせたまいて つぎしもにいわく「てんだい ほっけげんにいわく」とううんぬん、いじょうげんもんと、かかせたまいて かみのこころを しゃくしていわく「まさにしるべし たしゅうしょえのきょうは いまだもっとも これだいいちならず そのよくきょうをたもつものも またいまだだいいちならず。
 てんだいほっけしゅう しょじの ほけきょうはもっともこれ だいいちなるゆえによく ほっけをたもつものも、また しゅじょうのなかの だいいちなり すでにぶっせつによるあに じたんならんか」とううんぬん。
 つぎしもにゆずる しゃくにいわく「いきょくのえひょうつぶさにべっかんにあるなり」とううんぬん、えひょうしゅうにいわく。
p310
「いまわが てんだいだいし ほけきょうをときほけきょうをしゃくすること ぐんにとくしゅうし とうにどっぽす あきらかにしんぬ、にょらいのつかいなり ほむるものは さいわいを あんみょうにつみ そしるものは つみをむげんにひらく」とううんぬん。

18しょう
 ほけきょう、てんだい、みょうらく、でんきょうのきょうしゃくのこころのごとくならば いま にほんこくには ほけきょうのぎょうしゃは いちにんもなきぞかし、がっしにはきょうしゅしゃくそん、ほうとうほんにして いっさいのほとけを、あつめさせたまいてだいちのうえに こせしめ だいにちにょらいばかりほうとうのうちの みなみのげざにすへりたてまつりて、きょうしゅしゃくそんは きたのじょうざにつかせたま。
 この だいにちにょらいは だいにちきょうの たいぞうかいの だいにち、こんごうちょうきょうのこんごうかいの だいにちのしゅくんなり、りょうぶの だいにちにょらいを ろうじゅうなどとさだめたる、たほうぶつの じょうざに きょうしゅしゃくそん こせさせたまう これ すなわち ほけきょうのぎょうしゃなり てんじくかくのごとし。
 かんどには ちんていのとき、てんだいだいし、なんぼくにせめかちて げんしんにだいしとなる「ぐんに とくしゅうし、とうにどっぽす」という、これなり、にほんこくには でんぎょうだいし、ろくしゅうに せめかちて にほんのはじめだいいちのこんぽんだいしとなりたまう。
 がっし、かんど、にほんにただ さんにんばかりこそ おいっさいしゅじょうちゅう やくいだいいちにては そうらへ。
 されば しゅうぐにいわく「あさきはやすく ふかきは かたしとは しゃかのしょはんなり あさきをさって ふかきにつくは じょうぶのこころなり てんだいだいしは しゃかにしんじゅんして ほっけしゅうをたすけて しんたんにふようし、えいざんのいっかは てんだいにそうじょうして ほっけしゅうをたすけて、にほんにぐつうす」とううんぬん。
 ぶつめつご、いっせんはっぴゃくねんがあいだにほけきょうのぎょうしゃ、かんどにいちにん にほんに いちにん、いじょうににん、しゃくそんをくわへたてまつりて いじょうさんにんなり。
17段
 げてんにいわく しょうにんは いっせんねんにひとたびいで けんじんはごひゃくねんにひとたびいづ、こうがはけいいながれを、わけて ごひゃくねんには なかばかわすみ せんねんには ともにすむともうすは いちじょうにてそうらいけり。

19しょう
 しかるに にほんこくは えいざんばかりにでんぎょうだいしの おんとき、ほけきょうのぎょうじゃましましけり、ぎしん、えんちょうは だいいちだいにのざしゅなり。
 だいいちのぎしんばかり でんきょうだいしににたり、だいにのえんちょうは なかばはでんきょうのみでし、なかばはこうぼうのでしなり、だいさんのじかくだいしは はじめはでんぎょうだいしの みでしに、にたり。
 おんとししじゅうにて かんどに、わたりてより なは でんぎょうのみでし、そのあとをば、つがせたまえども、ほうもんはまったく みでしにはあらず、しかれども えんどんのかいばかりは またみでしに にたり へんぷくちょうのごとし とりにもあらず、ねずみにもあらず きょうちょうきん、はけいじゅうのごとし。
 ほけきょうのちちを くらい じしゃのははを かめるなり、ひをいるとゆめに みしこれなり、さればしきょののちは はかなくてやみぬ。
p311
 ちしょうのもんけ、おんじょうじとじかくのもんけ、えいざんと、しゅらとあくりゅうと かっせんひまなし、おんじょうじをやき えいざんをやく、ちしょうだいしのほんぞんのじしぼさつもやけぬ、じかくだいしのほんぞん、だいこうどうもやけぬ、げんしんにむげんじごくをかんぜり。 ただちゅうどうばかりのこれり、こうぼうだいしもまた あとなし こうぼうだいしのいわく とうだいじのじゅかいせざらんものをば とうじのちょうじゃとすべからずなど おんいましめのじょうあり。
 しかれども かんぴょうほうおうは にんなじをこんりゅうして とうじのほっしをうつして わがてらには えいざんのえんどんかいを たもたざらんものをば じゅうせしむべからずとせんじふんみょうなり。
 さればいまのとうじのほっしは がんじんがでしにもあらず こうぼうのでしにもあらず、かいはでんぎょうのみでしなり。
 また でんぎょうのみでしにもあらず でんぎょうのほけきょうを はしつす、いぬる しょうわにねん やよいにじゅういちにちに しきょありしかば、くげよりいたいをば、ほうぶらせうたまう、そののち おうわくのでしらあつまりて ごにゅうじょうとうんぬん、あるいはかみをそりて、まいらするぞと、いゐ あるいはさんこをかんどより、なげたりといゐ あるいはにちりん、よなかにいでたりといゐ あるいはげんしんに だいにちにょらいとなりたりといひ あるいはでんぎょうだいしに じゅうはちどうを、をしえまいらせたまうと いゐて、しのとくをあげて ちえにかへ わがしのじゃぎをたすけて、おうしんをおうわくするなり。
 またこうやさんに ほんじ、でんぽういんといいしふたつのてらあり ほんじはこうぼうのたてたるだいとう、だいにちにょらいなり、でんぽういんとすもうはしょうかくぼうのたてし こんごうかいのだいにちなり、このほんまつのにじ、ちゅうやにかっせんあり れいせばえいざん、おんじょうのごとし、おうわくのつもりて にほんにふたつのわざわいのしゅつせるげんか。
 ふんをあつめてせんだんとなせども やくときは ただ ふんのかなり だいもうごをあつめて、ほとけと、がうすとも ただむげんだいじょうなり。
 にけんがとうは すうねんがあいだ、りしょうこうだいなりしかども めみょうぼさつのらいをうけて たちまちにくづれぬ、きべんばらもんがとばりは たねんひとを、たぼらかせしかども あすばくしゃぼさつに せめられてやぶれぬ。
くるげどうは いしとなって はっぴゃくねん、ちんなぼさつにせめられて みずとなりぬ、どうしは かんどをたぼらかすこと すうひゃくねん、まとう、じくらんにせめられて せんきょうもやけぬ、ちょうこうが、くにをとりし おうもうがくらいをうばいしが、ごとく ほけきょうのくらいを、とて、だいにちきょうのしょりょうとせり。
 ほうおうすでに、くにに うせぬ にんのう、あに、あんのんならんや、

20しょう
にほんこくは じかく、ちしょう、こうぼうの ながれなり、ひとりとしてほうぼうならざるひとはなし。
18段
ただし ことのこころをあんずるに だいそうごんぶつのまつ、いっさいみょうおうぶつの まっぽうのごとし。
[※ちゅう、にちかんもんだん391に、ししおんのうぶつの、あやまりとあり]
p312
いおんのうぶつの まっぽうには かいげありしすら なお、せんごう、あびじごくにおつ、いかにいわうや、にほんこくの しんごんし、ぜんしゅう、ねんぶつしゃらは いちぶのえしんなし にょぜてんでんしむすうこう うたがいなきものか。
 かかる、ほうぼうのくになれば てんもすてぬ てんすつれば ふるきしゅごのぜんじんも ほこらをやひて じゃっこうのみやこへ かへりたまいぬ、ただにちれんばかりとどまりいて つげしめせば こくしゅこれをあだみ すうひゃくにんのたみに あるいはめり、あるいはあっく、あるいはじょうもく、あるいはとうけん、あるいはたくたくごとにせき、あるいはいえいえごとにをう、それにかなはねばわれとてをくだしてにどまでるざいあり。
 いぬるぶんえいはちねんながつきのじゅうににちにくびをきらんとす、さいしょうおうきょうにいわく 「あくにんをあいぎょうし ぜんにんをちばつするにるよがゆえに たほうのおんぞくきたって こくにんそうらんにあう」とううんぬん。
 だいしつきょうにいわく「もしはまた もろもろのせつりこくおうあって もろもろのひほうをなして せそんのしょうもんのでしをのうらんし、もしは もってきめし とうじょうをもってちょうしゃくし およびえばつしゅじゅのしぐをうばい、もしは たのきゅうせせんにるなんをなさば われらかれをして じねんにたほうのおんてきを そっきさしめん およびみずからのこくども また へいおこり びょうえきききんし ひじのふうう、とうじょうごんしょうせしめん。
 また そのおうをして ひさしからずしてまたまさにおのれがくにを もうしつせしめん」とううんぬん、これらの きょうもんのごときは にちれんこのくにになくばほとけはだいもうごのひと、あびじごくはいかでのがれうたまべき。
 いぬるぶんえいはちねん ながつきじゅうににちに へいのさえもんならびに すうひゃくにんに むかつていわく にちれんは にほんこくの はしらなり にちれんを うしなうほどならば にほんこくの はしらを、たをすになりぬ」とううんぬん。
 このきょうもんに ちじんをこくしゅなど、もしはあくそうらが ざんげんにより もしはしょにんの あっくによて とがにあつるならば、にはかに、いくさをこり また おおかぜふき たこくよりせめらるべしとううんぬん。
 いぬるぶんえい くねん きさらぎの どしいくさ おなじき じゅういちねんの うつきの おおかぜ おなじきかんなつきに だいもうこのきたりしは ひとえに にちれんが、ゆへにあらずや。
 いわうやさきよりこれを、かんがへたり だれのひとかうたがうべき、

  • [210]
  • ほうおんしょう ひらがな 10しょうしょうから15しょう

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月29日(火)03時43分58秒
  • 編集済
 
10しょう
 そのち てんだいだいしも ごにゅうめつなりぬ、ちん、ずいのよもかわりて とうのよとなりぬ、しょうあんだいしも ごにゅうめつなりぬ。
p301
 てんだいのぶっぽう やうやくならい うせしほどに とうのたいそうのぎょうに、げんじょうさんぞうといゐしひと、ていかんさんねんに はじめてがっしにはいりて どうじゅうきゅうねんに かへりしが がっしのぶっぽう たずね つくして、ほっそうしゅうともうす しゅうをわたす。
 このしゅうは てんだいしゅうとすいかなり しかるに てんだいのごらんなかりし じんみつきょう、ゆがろん、ゆいしきろんなどをわたして ほけきょうは いっさいきょうにはすぐれたれども、じんみつきょうにはおとるという、しかるを てんだいはごらんなかりしかば てんだいのまつがくなどは ちえのうすきかのゆへに、さもやとをもう。
 また たいそうは けんおうなり げんじょうのおきえあさからず、いうべきことありしかども、いつものことなれば ときのいを をそれて もうす ひとなし、ほけきょうをうちかへして さんじょうしんじつ、いちじょうほうべん、ごしょうかくべつともうせしことは こころうかりしことなり。
 てんじくよりは、わたれども がっしのげどうが かんどにわたれるか、ほけきょうは ほうべん、じんみつきょうは しんじつといゐしかば しゃか、たほう、じっぽうのしょぶつの じょうげんも かへりてむなしくなり げんじょう、じおんこそ ときのしょうしんのほとけにては ありしか。
8段
 そののち そくてんこうごうのぎょうに てんだいだいしにせめられし けごんきょうに また かさねてしんやくのけごんきょうわたりしかば、さきの いきどをりを、はたさんがために しんやくのけごんをもつて てんだいにせめられしくやくのけごんきょうをたすけて、けごんしゅうともうすしゅうを ほうぞうほっしともうすひとたてぬ。
 このしゅうは けごんきょうをば こんぽんほうりん、ほけきょうをば しまつほうりんともうすなり、なんぼくは いちけごん、にに ねはん、さん ほっけ、てんだいだいしは いち ほっけ、にに ねはん、さん けごん、いまのけごんしゅうは いち けごん、に ほっけ、さん ねはんとううんぬん。
9段
 そののち げんそうこうていの ぎょうに てんじくより ぜんむいさんぞうは だいにちきょう、そしっちきょうをわたす、こんごうちさんぞうはこんごうちょうきょうをわたす、またこんごうちさんぞうの でしあり ふくうさんぞうなり、このさんにんは がっしのひと、すじょうもこうきなるうえ、ひとがらも かんどのそうににず ほうもんも なにとはしらず、ごかんより いまにいたるまで、なかりし いんとしんごんということを あひ そいて、ゆゆしかりしかば てんしかうべをかたぶけ ばんみんたなごころをあわす。
 このひとびとのぎにいわく けごん、じんみつ、はんにゃ、ねはん、ほけきょうなどのしょうれつは けんきょうのうち、しゃかにょらいのせつのぶんなり、いまのだいにちきょうなどは だいにちほうおうの ちょくげんなり、かのきょうきょうは たみのまんげん このきょうは てんしのいちごんなり。
 けごんきょう、ねはんきょうなどはだいにちきょうには はしごをたててもおよばず、ただほけきょうばかりこそ、だいにちきょうには そうじのきょうなれ。
p302
されども かのきょうは しゃかにょらいのせつ、たみのしょうげん、このきょうはてんしのしょうげんなり、ことばはにれども、ひとがらうんでいなり、たとへば じょくすいのつきとせいすいのつきのごとし、つきのかげはおなじけれども みずにせいだくありなんどもうしければ、このよしたずねあらわすひともなし。
 しょしゅう みなおちふして、しんごんしゅうにかたぶきぬ、ぜんむい、こんごうち、しきょの のち、ふくうさんぞうまた がっしにかへりて ぼだいしんろんともうすろんをわたし、いよいよ しんごんしゅう さかりなりけり。
 ただし みょうらくだいしというひとあり てんだいだいしよりは にひゃくよねんのあとなれども ちえかしこきひとにて てんだいのしょしゃくをみあきらめてありしかば、てんだいのしゃくのこころは、のちに わたれる じんみつきょう、ほっそうしゅうまた はじめてかんどにたてたる。
 けごんしゅう、だいにちきょう しんごんしゅうにも ほけきょうはすぐれさせたまいたりけるを、あるいは ちのをよばざるか、あるいは、ひとにおそるるか あるいはときのおういを おづるかのゆえに、いはざりけるか かくて、あるならば てんだいのせいぎすでにうせなん。
 また ちんずい いぜんのなんぼくが じゃぎにもすぐれたりとおぼして さんじゅうかんの まつもんをつくりたまう、いわゆる ぐけつ、しゃくせん、じょきこれなり。
 この さんじゅうかんのもんは ほんしょのかさなれるをけづり よわきをたすくるのみならず てんだいだいしの おんときなかりしかば、おんせめにも のがれてあるやうなる、ほっそうしゅうと けごんしゅうと しんごんしゅうとを いちどきに とりひしがれたるしょなり。
11段

11しょう
 またにほんこくには、にんのうだいさんじゅうだい、きんめいてんのうのぎょうじゅうさんねんみずのえさるかんなずきじゅうさんにちに、くだらこくより いっさいきょう、しゃかぶつのぞうをわたす。
 またようめいてんのうのぎょうに しょうとくたいし ぶっぽうをよみはじめ わけのいもことすもうしんかを かんどにつかはして、せんしょうしょじの いちかんの ほけきょうを とりよせたまいてじきょうとさだめ。
 そののち にんのうだいさんじゅうしちだい、こうとくてんのうのぎょうに さんろんしゅう、けごんしゅう、ほっそうしゅう、くしゃしゅう、じょうじつしゅうわたる。
 にんのう だいよんじゅうごだいにしょうむてんのうのぎょうに りっしゅうわたる いじょうろくしゅうなり、こうとくより にんのうごじゅうだいの かんむてんのうに いたるまではじゅうよんだい、ひゃくにじゅうよねんが あいだは てんだいしんごんのにしゅうなし。
かんむのぎょうに さいちょうともうす、こぞうあり やましなでらの ぎょうひょうそうじょうのみでしなり、ほっそうしゅうをはじめとして ろくしゅうをならいきわめぬ、しかれども ぶっぽういまだきわめたりとも、おぼえざりしに けごんしゅうのほうぞうほっしがつくりたる、きしんろんのじょをみたまうに てんだいだいしのしゃくを ひきのせたり このじょこそしさいありげなれ このくににわたりたるか。
 またいまだ、わたらざるかとふしんありしほどに あるひとに とひしかば そのひとのいわく。
p303
だいとうの ようしゅうりゅうこうじの そう がんじんわじょうは てんだいのまつがく、どうせんりっしの でし てんぽうのすえににほんこくにわたりたまいて、しょうじょうのかいを ぐつうせさせたまいしかども てんだいのおんしゃく もちきたりながら ひろめたまはず、にんのうだいよんじゅうごだいしょうむてんのうの ぎょうなりとかたる。
 そのしょを みんともうされしかば とりだして みせまいらせしかば いっぺんごらんありて しょうじのよいをさましつ、このしょをもって ろくしゅうのこころを たずねあきらめしかば いちいちに じゃけんなることあらはれぬ。
 たちまちに がんをおこしていわく にほんこくのひとみな、ほうぼうのものの だんのつたるが てんかいちじょうみだれなんずとおぼして、ろくしゅうを、なんぜられしかば、しちだいじ、ろくしゅうのせきがく ほうきして きょうじゅううごうし てんかみなさわぐ。
 しちだいじ ろくしゅうのしょにんなど あくしん ごうじょうなり、しかるを いぬるえんりゃくにじゅういちねん しょうがつじゅうくにちに てんのうたかおてらに ぎょうこうあつて しちじのせきとくじゅうよにん、ぜんぎ、しょうゆう、ぶき、ちょうにん、けんぎょく、あんふく、ごんそう、しゅえん、じこう、げんよう、さいこう、どうしょう、こうしょう、かんびんとうの、じゅうゆうよにんを めしあわす。
 けごん、さんろん、ほっそうなどのひとびと、おのおの、わがしゅうの がんそがぎにたがはず さいちょうしょうにんは、ろくしゅうのひとびとのしょりゅう、いちいちに ちょうをとりて ほんきょう、ほんろん、ならびに しょきょう、しょろんにさしあわせて せめしかば ひとこともこたえず くちをしてはなのごとくになりぬ。
 てんのう をどろきたまいて いさいにおんたづねありて かさねて、ちょくせんをくだして、じゅうよにんをせめたまいしかば、しょうふくのしゃひょうをたてまつりたり。
 そのしょにいわく「しちかの だいじ ろくしゅうのがくしょう ないしはじめて しごくをさとる」とううんぬん、またいわく 「しょうとくの こうかより このかた いまににひゃくよねんの  あいだ こうずるところのきょうろん そのかずおおし。
 かれこれ りをあらそうて そのうたがい いまだとけず、しかもこの さいみょうのえんしゅうは なおいまだせんようせず」とううんぬん。
 またいわく「さんろん ほっそう きゅうねんのあらそい かんえんとして こおりのごとく とけしょうぜんとして すでに あきらかに、なお うんむを ひらいて さんこうをみるがごとし」うんぬん。
 さいちょうわじょう じゅうよんにんが ぎをはんじていわく「 おのおの いちじくをこうずるに ほっくを しんがくにふるい ひんしゅはさんじょうのみちに はいかいし ぎきをたかねにとばす、ちょうよう さんうのけつを さいはして なおいまだりゃくこうのてつを あらためず、びゃくごを もんがいにこんず、あによくしょほつのくらいにのぼり あだをたくないに さとらんや」とううんぬん。
 ひろよ まづな ふたりのしんかいわく「りょうぜんの みょうほうを なんがくにきき そうじのみょうごを てんだいにひらく、いちじょうのごんたいをなげき さんたいのみけんをかなしむ」とううんぬん。
 また じゅうよにんのいわく「ぜんぎなど ひかれて きゅううんにおうて すなわち きしをけみす じんごに あらざるよりは なんぞ しょうせいに たくせんや」とううんぬん。
 このじゅうよにんは けごんしゅうのほうぞう、しんしょう、さんろんしゅうの かじょう、かんろく、ほっそうしゅうのじおん、どうしょう、りっしゅうのどうせん、がんじんなどの かんど、にほんのがんそなどの ほうもん、びんは かはれども みずはひとつなり。
p304
  しかるにじゅうよにん、かの じゃぎをすてて でんきょうの ほけきょうにきふくしぬるうえは だれのまつだいのひとか けごん、はんにゃ、じんみつきょうなどはほけきょうに ちょうかせりともうすべきや。
 しょうじょうのさんしゅうは また かのひとびとの しょがくなり、だいじょうのさんしゅう やぶれぬるうえは、さたの かぎりにあらず、しかるを いまに しさいをしらざるもの、ろくしゅうは いまだやぶられずとをもへり。
 たとえへば めしいがてんのにちがつをみず、ろうにんが、かみなりのおとを きかざるゆへに てんにはにちがつなし そらにこえなしと、をもうがごとし。

12しょう
 しんごんしゅうと もうすは にほんにんのう、だいよんじゅうよんだいともうせし、げんしょうてんのうのぎょうに ぜんむいさんぞう、だいにちきょうをわたして、ぐつうせずしてかんどへかへる。
 またげんぼうら、だいにちきょうのぎしゃく じゅうよんかんをわたす、また とうだいじのとくせいだいとくわたす、これらを でんぎょうだいしごらんありてありしかども だいにちきょう、ほけきょうのしょうれついかんがと、おぼしけるほどに かたがたふしんありしゆえに、いぬるえんりゃくにじゅうさんねん はづき ごにっとう。
 さいみょうじの どうずいわじょう、ぶつろうじの ぎょうまんとうに あいたてまつりて しかん、えんどんのたいかいを でんじゅし れいかんじのじゅんぎょうわじょうに あいたてまつりて しんごんをそうでんし どうえんりゃくにじゅうよねんみなつきに きちょうして かんむてんのうに ごたいめん、せんじをくだして ろくしゅうのがくしょうに しかんしんごんをならはしめ どうしちだいじにをかれぬ、しんごん、しかんのにしゅうのしょうれつは かんどにおおくしさいあれども また だいにちきょうのぎしゃくには りどうじしょうと かきたれども でんぎょうだいしは ぜんむいさんぞうのあやまりなり。
 だいにちきょうはほけきょうには おとりたりとしろしめして、はっしゅうとは せさせたまはず しんごんしゅうのなをけづりて ほっけしゅうのうちにいれ、ひちしゅうとなし だいにちきょうをば ほっけてんだいしゅうのぼうえきょうとなして、けごん、だいぼん、はんにゃ、ねはんとうのれいとせり。
 しかれども だいじのえんどんの だいじょうべつじゅかいの だいかいだんをわがくにに たてう たてじのじょうろんが、わづらはしきに よりてや しんごん、てんだいにしゅうのしょうれつは でしにも ふんみょうに をしえたまはざりけるか。
 ただ えひょうしゅうともうす、もんにまさしくしんごんしゅうは、ほっけてんだいしゅうの せいぎをぬすみとりて、だいにちきょうにいれて、りどうとせり、さればかのしゅうは てんだいしゅうにおちたるしゅうなり。
 いわうや ふくうさんぞうは ぜんむい、こんごうち、にゅうめつののち、がっしにはいりてありしに りゅうちぼさつに あいたてまつりしとき、がっしには ぶついを あきらめたるろんしゃくなし。
 かんどに てんだいというひとのしゃくこそじゃせいをえらび へんえんをあきらめたる ふみにてはそうらいなれ、あなかしこ、あなかしこ がっしへわたしたまえとねんごろにあつらへしことを、ふくうの でし ごんこうといゐしものが みょうらくだいしにかたれるを きのじゅうの まつに ひきのせられてそうろうを このえひょうしゅうに とりのせてそうろう。
p305
 ほけきょうに だいにちきょうはおとるとしろしめすこと、でんぎょうだいしのおこころけんねんなり、されば しゃかにょらい、てんだいだいし、みょうらくだいし、でんぎょうだいしの おこころは いちどうにだいにちきょうなどの いっさいきょうのなかには、ほけきょうはすぐれたりということは ふんみょうなり。
 また しんごんしゅうのがんそという りゅうじゅぼさつのおこころもかくのごとし、だいちどろんをよくよくたずぬるならば、このことふんみょうなるべきを ふくうがあやまれる ぼだいしんろんにみな ひと ばかされて このことに めいわくせるか。
13段

13しょう
 また いわぶちのごんそうそうじょうの みでしに くうかいというひとあり、のちには こうぼうだいしとがうす、いぬる えんりゃくにじゅうさんねんさつきじゅうににちに ごにっとう。
 かんどにわたりては こんごうち、ぜんむいのりょうさんぞうの だいさんのみでし けいかわじょうといゐしひとに りょうかいをでんじゅし だいどうにねんしわすにじゅうににちに ごきちょう へいぜいてんのうのぎょうなり。
 かんむてんのうは ごほうぎよ へいぜいてんのうにけんざんし おんもちいありて ご きえ、ほかにことなりしかども へいぜいほどもなく さがによを とられさせたまいしかば、こうぼうひきいりてありしほどに でんぎょうだいしは、さがてんのうのこうにんじゅうさんねんみなつきよっかごにゅうめつ。
 じおなき こうにんじゅうよねんより、こうぼうだいし、おうのおんしとなり しんごんしゅうをたてて とうじをたまい、しんごんわじょうとがうし これより はちしゅうはじまる。
 いちだいのしょうれつをはんじていわく、だいいちしんごんだいにちきょう、だいにけごん、だいさんは ほっけ、ねはんとううんぬん、ほけきょうは あごん、ほうとう、はんにゃなどにたいすれば、しんじつのきょうなれども けごんきょう、だいにちきょうにのぞむれば けろんのほうなり。
 きょうしゅしゃくそんは ほとけなれども だいにちにょらいに むかうれば むみょうのへんいきともうして こうていと えびすとのごとし、てんだいだいしは ぬすびとなり しんごんのだいごをぬすんで ほけきょうを だいごという、なんど かかれしかば ほけきょうは いみじとをもへども こうぼうだいしにあひぬれば もののかずにもあらず。
 てんじくのげどうは さておきぬ、かんどのなんぼくが ほけきょうはねはんきょうに たいすればじゃけんのきょうといゐしにもすぐれ、けごんしゅうが ほけきょうはけごんきょうにたいすれば、しまつきょうともうせしにもこへたり。
 たとえば かのがっしのだいまんばらもんが、だいじざいてん、ならえんてん、ばそてん、きょうしゅしゃくそんのよにんを、こうざのあしにつくりて、そのうえにのぼつて じゃほうをひろめしがごとし、でんぎょうだいし、ごぞんしょうならば ひとことはいだされべかりけることなり。
 また ぎしん、えんちょう、じかく、ちしょうらも いかにごふしんは なかりけるやらん、てんかだいいちの、だいきょうなり。

14しょう
 じかくだいしは いぬるしょうわごねんにごにっとう、かんどにして じゅうねんがあいだ、てんだい、しんごんのにしゅうをならう、
p306
  ほっけ、だいにちきょうのしょうれつをならいしに ほつぜん、げんじょうらのはちにんの しんごんしには ほけきょうとだいにちきょうは りどうじしょうとううんぬん。
 てんだいしゅうのしおん、こうしゅう、ゆいけんらにならいしには だいにちきょうは ほうとうぶのしょうとううんぬん、おなじきしょうわじゅうさんねんながつきとおかに ごきちょう。
 かしょうがんねんみなつき じゅうよっかにせんじくだる、ほっけ、だいにちきょうなどの しょうれつはかんどにして しりがたかりけるかのゆへに こんごうちょうきょうのじょ しちかん、そしっちきょうのじょ しちかん、いじょうじゅうよんかんこのじょのこころは だいにちきょう、こんごうちょうきょう、そしっちきょうのぎと ほけきょうのぎは そのしょせんのりは いちどうなれども じそうのいんと しんごんとは しんごんのさんぶきょう すぐれたりとうんぬん。
 これは ひとえにぜんむい、こんごうち、ふくうのつくりたる だいにちきょうのじょの こころのごとし、しかれどもわがこころに なおふしんや のこりけん またこころには とけてんけれども ひとのふしんを はらさんとや、をぼしけん、この じゅうよんかんのじょを ごほんぞんのごぜんにさしをきて ごきしょうありき、かくはつくりてそうらへども ぶつちはかりがたし だいにちのさんぶや すぐれたる ほけきょうのさんぶや まされると ごきねんありしかば いつかともうす ごにこうに たちまちにむそうあり。 せいてんに だいにちりんかかりたまへり やをもて これをいければ やとんでとそらにのぼり にちりんのなかにたちぬ、にちりんどうてんして すでにちにおちんとすと、をもひて、うちさめぬ、よろこでいわく われに きちむあり、ほけきょうに しんごんすぐれたりと、つくりつる ふみは ぶつちにかないけりかなとよろこばせたまいて、せんじをもうし くだして、にほんこくにぐつうあり。
 しかもせんじのこころにいわく「ついに しんぬ てんだいのしかんとしんごんのほうぎとは りみょうに あえり」とうとうんぬん、きしょうのごときんば だいにちきょうに ほけきょうはれつなるやうなり、せんじをしすもうし くだすには ほけきょうとだいにちきょうとはおなじとううんぬん。
14段

15しょう
 ちしょうだいしは ほんちょうにしては ぎしんわじょう、えんちょうだいし、べっとう、じかくらのでしなり、けんみつのにどうは だいたい、このくににして がくし たまいけり てんだい、しんごんのにしゅうのしょうれつの ごふしんに かんどへは わたりたまいけるか。
 いぬる にんじゅにねんに ごにっとう、かんどにしては しんごんしゅうは ほつぜん、げんじょうらにならはせたまい だいたい、だいにちきょうとほけきょうとは りどうじしょう、じかくのぎのごとし。
 てんだいしゅうは りょうじょわじょうに ならひたまい、しんごん、てんだいのしょうれつ、だいにちきょうはけごん、ほっけなどにはおよばず とううんぬん。
 しちかねんがあいだ、かんどにへていぬる、ていかんがんねん さつきじゅうしちにちに ごきちょう、だいにちきょうのしきにいわく「ほっけ なお およばず、いわんや じよのおしえをや」とううんぬん。
 このしゃくは ほけきょうは だいにちきょうには おとるとううんぬん、またじゅけつしゅうにいわく 「しんごんぜんもん ないし もし けごんほっけ ねはんとうの きょうにのぞむれば これしょういんもん」とううんぬん。
p307
  ふげんきょうのき、ろんのきに いわく おなじとううんぬん、じょうがんはちねん ひのえいぬ うつきにじゅうくにち みずのえさる、ちょくせんをもうし くだしていわく「きくならく しんごん、しかん、りょうきょうのしゅうはおなじく だいごとごうし ともにじんぴとしょうす」とううんぬん。
 また みなつきみっかの ちょくせんにいわく「せんしすでに りょうごうをひらいてもって、わがみちとなす、だいだいのざすそうじょうして かね つたえざることなし、ざいごのやから あに きゅうせきに そむかんや。
 きくならく さんじょうのそうら もっぱらせんしのぎにたがいて、へんしゅうのこころをじょうず ほとんどよふうをせんようし くごうをこうりゅうするを かえりみざるににたり、およそ そのししのみち、ひとつをかきてもふかなり、でんぐのつとめむしろ、けんびせざらんや、いまよりいごよろしくりょうきょうに つうたつするのひとを もって、えんりゃくじのざすとなし たてて こうれいとなすべし」とうんぬん。
15段

  • [209]
  • ほうおんしょう ひらがな  6しょうから9しょう

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月29日(火)03時40分21秒
 
6しょう
 あるひと うたがっていわく、かんど、にほんにわたりたる きょうきょうにこそ ほけきょうにすぐれたるきょうは をはせずとも がっし、りゅうぐう、しおう、にちがつ、とうりてん、とそつてんなんどには ごうがしゃのきょうきょうましますなれば そのなかにほけきょうにすぐれさせたまう、おんきょうやましますらん。
 こたえていわく いちをもつて まんをさっせよ ていこをいでずして てんかをしるとはこれなり、ちじんが うたがっていわく、われらはなんてんをみて とうざいほくの さんくうをみず かのさんぽうのそらに、このにちりんよりべつのひやましますらん。
 やまをへだて けむりのたつをみて ひをみざれば けむりはいちじょうなれども ひにてや なかるらん かくのごとく いはんものは、いっせんだいのひととしるべし しょうもうにことならず。
 ほけきょうのほっしほんに、しゃかにょらいきんくのじょうげんをもて、ごじゅうよねんのいっさいきょうのしょうれつをさだめて いわく
p296
「わが しょせつのきょうてんは むりょうせんまんおくにして すでにとき いまとき まさにとかん、しかも そのなかにおいて この ほけきょうはもっとも これ なんしんなんげなり」とううんぬん。
 このきょうもんは ただしゃかにょらい、いちぶつのせつなりとも とうかくいかはあおいで しんずべきうえ たほうぶつ、とうほうよりきたりて しんじつなりとしょうめいし じっぽうのしょぶつ あつまりて しゃかぶつとおなじく こうちょうぜつを ぼんてんにつけたまいて のち、おのおの、くにぐにへかえらせたまいぬ。
 いこんとうの さんじは ごじゅうねん ならびに じっぽうさんぜのしょぶつえの みきょう、いちじいちてんも のこさずひきのせて、ほけきょうにたいして とかせたまいてそうろうを、じゅっぽうのしょぶつ このざにしてごはんぎょうを くわえさせたまい、おのおの、また じこくにかえらせたまいて、わがでしなどに むかわせたまいて ほけきょうにすぐれたる、みきょうありと とかせたまはば そのしょけのでしなどしんようすべしや。
 またわれはみざれば がっし、りゅうぐう、してん、にちがつなどのきゅうでんのなかに ほけきょうにすぐれさせたまいたる きょうや、おはしますらんというたがをなすは されば ぼんしゃく、にちがつ、してん、りゅうおうはほけきょうのみざには なかりけるか。
 もしにちがつなどのしょてん、ほけきょうにすぐれたる おんきょう まします なんじはしらずとおおせあるならば だいおうわくの にちがつなるべし。
 にちれんせめていわく にちがつはこくうにじゅうしたまへども、われらがだいちにするしょがごとくして だらくしたまはざることは じょうぼんのふもうごかいの ちからぞかし、ほけきょうにすぐれたる おんきょうありと おおせある だいもうごあるならばおそらくは いまだ えこうにいたらざるに だいちのうえに どうとおちそうらはんか むげんだいじょうのさいかの けんてつにあらずば とどまりがたからんか。
 だいもうごのひとは しゅゆもくうにしょして してんげをめぐりたまうべからずと せめたてまつるべし、しかるを けごんしゅうのちょうかんなど、しんごんしゅうのぜんむい、こんごうち、ふくう、こうぼう、じかく、ちしょうなどの だいちのさんぞうだいしなどの、けごんきょう、だいにちきょうなどは ほけきょうにすぐれたりとたてたまわば、われらがぶんざいには、およばぬことなれども だいどおりの をすところは あにしょぶつのだいおんてきにあらずや。
 だいば、くぎゃりもものならず、だいてん、だいまん、ほかにもとむべからず、かのひとびとをしんずる やからはをそろし、をそろし。
3段

7しょう
 とうていわく けごんのちょうかん、さんろんのかじょう、ほっそうのじおん、しんごんのぜんむい、ないしこうぼう、じかく、ちしょうなどを ほとけのかたきとのたまうか。
 こたえていわく これおおいなる なんなり ぶっぽうにはいりて だいいちのだいじなり ぐげんをもつて きょうもんをみるには、ほけきょうにすぐれたるきょうありと いはんひとは たとい いかなるひとなりとも ほうぼうはまぬがれじと みえてそうろう、
p297
しかるを きょうもんのごとく もうすならば、いかでかこのしょにん ぶつてきたらざるべき、もし またおそれをなしてさし もうさずはいっさいきょうの しょうれつむなしかるべし、また このひとびとをおそれて すえのひとびとを ぶってきといはんとすれば かのしゅうしゅうのすえのひとびとのいわく ほけきょうにだいにちきょうをまさりたりともうすは われ わたくしのはからいにはあらず そしのおんぎなり。
 かいぎょうのじは、ちえのしょうれつ、みのじょうげはありとも しょがくのほうもんは たがふことなしと もうせば かのひとびとにとがなし、またにちれんこれをしりながら ひとびとをおそれてもうさずは ねいそうしんみょう、ふのくきょうじゃの ぶっだのかんぎょうをもちいぬものとなりぬ、いかんがせん。
 いはんとすれば せけんをそろし やめんとすれば ほとけのかんぎょうのがれがたし、しんたいここに きわまれり、むべなるかなや。
 ほけきょうのもんに いわく「しかも このきょうは にょらいのげんざいにすら なお おんしつおおし いわんやめつどの のちをや」また いわく、いっさいせけんあだおおくして しんじがたしとううんぬん。
 しゃかぶつを まやふじんはらませたまいたりければ だいろくてんのまおう、まやふじんのおなかを とをしみて われらがだいおんてき、ほけきょうともうすりけんを はらみたり、ことのじょうぜぬにさき、いかにしてかうしなうべき、だいろくてんのまおう だいいとへんじて じょうぼんおうきゅうにはいり おさんあんのんのりょうやくをもちそうろう、だいいありとののしりて、どくをきさきにまいらせつ。
しょしょうのときは いしをふらし ちちにどくをまじへ しろをいでさせたまいしには くろきどくじゃとへんじて みちにふさがり ないし だいば、くぎゃり、はるりおう、あじゃせおうなどの あくにんのみにはいりて あるいは おおいしをなげて ほとけのおんみよりちをいだし、あるいはしゃくしをころし あるいはみでしなどをころす。
 これらのだいなんはみなとおくは、ほけきょうをほとけせそんに とかせまいらせじと たばかりしにょらいげんざい、ゆたおんしつの だいなんぞかし、これらは とおきなんなり。
 ちかきなんには しゃりほつ、もくれん、しょだいぼさつなども よんじゅうよねんがあいだは ほけきょうのだいおんてきのうちぞかし、きょうめつどごともうしてみらいのよには、またこのだいなんよりも、すぐれてをそろしき だいなんあるべしと、とかれてそうろう。
 ほとけだにも しのびがたかりける だいなんをば ぼんぷはいかでかしのぶべき、いわうや ざいせよりだいなる だいなんにて、あるべかんなり、いかなるだいなんか だいばがたけさんじょう ひろさ いちじょうろくしゃくの おおいし あじゃせおうのすいぞうには すぐべきとはをもへども それにも すぐるべくそうろうなれば しょうしつなくともだいなんにたびたびあうひとをこそ、めつごのほけきょうのぎょうじゃとは しりそうらはめ。
 ふほうぞうのひとびとは しえのぼさつ、ほとけのおつかいなり だいばぼさつはげどうにころされししそんじゃは だんみらおうにこうべをはねられ ぶつだみつた、りゅうじゅぼさつなどは あかきはたをしちねん、じゅうにねんさしとをす、めみょうぼさつは きんせんさんおくがかわりとなり にょいろんしは、おもひじに、にしす。
p298
4段
これらは しょうほう、いっせんねんのうちなり。

8しょう
ぞうほうにはいって ごひゃくねん、ぶつめつご、いっせんごひゃくねんともうせしとき かんどにいちにんの ちじんあり、はじめはちぎ、のちには ちしゃだいしとがうす。
 ほけきょうのぎを ありのままにぐつうせんと おもいたまいしに てんだいいぜんの ひゃくせんまんのちしゃ しなじなに いちだいをはんぜしかども せんしてじゅうりゅうとなりぬ、いわゆる なんさんほくしちなり じゅうりゅうありしかども いちりゅうをもて さいとせり。
 いわゆるなんさんのなかの、だいさんの こうたくじのほううんほっしこれなり、このひとはいちだいのぶっきょうを いつつにわかつ そのいつつのなかに さんきょうをえらびいだす。
 いわゆるけごんきょう、ねはんきょう、ほけきょうなり いっさいきょうのなかには けごんきょうだいいち、だいおうのごとし ねはんきょうだいに、せっしょうかんぱくのごとし だいさんほけきょうは くぎょうなどのごとし これよりいかはばんみんのごとし。
 このひとは もとよりちえかしこきうえ、えかん、えごん、そうにゅう、えじなんど もうせしだいちしゃより ならいひ つたえたまえるのみならず、なんぼくのしょしのぎを せめやぶり さんりんにまじわりて ほけきょう、ねはんきょう、けごんきょうのこうをつもりしうえ、りょうのぶてい めしいだして だいりのうちに てらをたて こうたくじとなづけて このほっしを あがめたまう。
 ほけきょうをかうぜしかば てんより はなふること ざいせのごとし、てんかんごねんに だいかんばつありしかば この ほううんほっしをしょうじたてまつりて ほけきょうをこうぜさせまいらせしに やくそうゆほんのごうぶとう、しほうくげともうすにくをこうぜさせこうたまいしとき。
 てんより かんうふりたりしかば てんしぎょかんのあまりに げんにそうじょうになしまいらせて しょてんのたいしゃくにつかえ ばんみんのこくおうを をそるるがごとく われとつかへたまいしうえ、あるひとゆめみらく このひとはかこの とうみょうぶつのときより ほけきょうをかうぜるひとなり。
 ほけきょうのじょ よんかんあり このじょにいわく「このきょういまだ せきねんならず」またいわく「いのほうべん」とううんぬん まさしく ほけきょうは いまだ ほとけ りをきわめざるきょうと かかれてそうろう。
このひとのおんぎ、ぶついに あひかなひたまいければこそ てんよりはなもふり あめもふりそうらいけらめ。
 かかるいみじきことにてそうらいしかば かんどのひとびとさてはほけきょうは けごんきょう、ねはんきょうには、れつにてこそあるなれとおもしうえ しらぎ、くだら、こま、にほんまで、このじょひろまりて だいたいいちどうのぎにてそうらいしに ほううんほっし おしきょありていくばくならざるに。
 りょうのすえ、ちんのはじめに ちぎほっしともうすこぞうしゅったいせり、なんがくたいしともうせしひとの みでしなりしかども しのぎもふしんにありけるかのゆへに。
p299
  いっさいきょうぞうにはいって たびたびごらんありしに けごんきょう、ねはんきょう、ほけきょうのさんきょうに せんじ いだし この さんきょうのなかに ことにけごんきょうをこうじ たまいき。
 べつして らいもんをつくりて ひびにこうをなしたまいしかば、せけんのひとをもわく このひともけごんきょうをだいいちとをぼすかとみえしほどに、ほううんほっしが いっさいきょうのなかに けごんだいいち、ねはんだいに、ほっけだいさんとたてたるがあまりに ふしんなりけるゆえに、ことに けごんきょうをごらんありけるなり。
 かくて いっさいきょうのなかに ほっけだいいち、ねはんだいに、けごんだいさんと みさだめさせたまいて、なげきたまうやうは にょらいのせいきょうは かんどにわたれども ひとをりやくすることなし、かへりて いっさいしゅじょうを あくどうにみちびくこと にんしのあやまりによれり。
 れいせば くにのおさとあるひと、ひがしをにしといゐ てんをちといゐいだしぬれば ばんみんは、かくのごとくにこころうべし。
 のちにいやしきものしゅったいして なんじらがにしはひがし、なんじらがてんはちなりといわば、もちうることなきうえ わが おさのこころにかなれんがためにいまのひとを、のりうちなんどすべし いかんがせんとは、をぼせしかども、さて もだすべきにあらねば こうたくじのほううんほっしは ほうぼうによつてじごくにおちぬとののしられたまう。
 そのとき、なんぼくのしょし はちのごとくほうきし、からすのごとく うごうせり。

9しょう
 ちぎほっしをば こうべをわるべきか くにを をうべきか  なんどもうせしほどに ちんしゅれこを、きこしめしてなんぼくのすうにんにめしせてあわわれとれつざして きかせたまいき。
 ほううんほっしがでしらの ええい、ほうさい、えこう、えごうなんど もうせし そうじょう、そうず、いじょうのひとびと、ひゃくよにんなり、おのおのあっくをさきとし、まゆをあげ、まなこをいからし てをあげひょうしをたたく。
 しかれども ちぎほっしはまつざにざして、いろをへんぜず、ことばをあやまらず いぎしづかにして、しょそうのことばを いちいちに ちょうをとり ことばごとに、せめかえす、をしかへして なんじていわく。
 そもそもほううんほっしの おんぎに だいいちけごん、だいにねはん、だいさんほっけと たてさせたまいける しょうもんは いずれのきょうぞ たしかにあきらかなる きょうもんをいださせたまえとせめしかば、おのおのこうべをうつぶせ いろをうしないて ひとことのへんじなし。
5段
 かさねてせめて いわく むりょうぎきょうに まさしくじせつほうとう じゅうにぶきょう、まかはんにゃ、けごんかいくうとううんぬん。
 ほとけわれと けごんきょうのなをよびあげて むりょうぎきょうにたいして、みけんしんじつと うちけしたまう、ほけきょうにおとりてそうろう、むりょうぎきょうに、けごんきょうは せめられてそうらいぬ、いかにこころえさせたまいて けごんきょうをば いちだい だいいちとは そうらいけるぞ。
p300
  おのおの、おんしのおんかたうどせんと、をぼさば このきょうもんをやぶりて これにすぐれたる、きょうもんをとりいだして、おんしのおんぎを たすけたまえとせめたり。
6段
 またねはんきょうを ほけきょうにすぐるとそうらいけるは、いかなるきょうもんぞ、ねはんきょうのだいじゅうよんには けごん、あごん、ほうとう、はんにゃをあげて、ねはんきょうにたいして しょうれつは とかれてそうらへども まつたく ほけきょうとねはんきょうとのしょうれつはみへず。
 つぎかみの だいくのまきに、ほけきょうとねはんきょうとの しょうれつふんみょうなり、いわゆる きょうもんにいわく 「このきょうの しゅっせは ないし ほっけのなかの はっせんのしょうもん、きべつをうくることをえて、だいかじつをじょうずるがごとく、しゅうしゅうとうぞうして さらに しょさなきがごとし」とううんぬん。
 きょうもんあきらかに、しょきょうをば しゅんかととかせたまい、ねはんきょうとほけきょうとをば かじつのくらいとは とかれてそうらへども、ほけきょうをば、しゅうしゅうとうぞうのだいかじつのくらい、ねはんきょうをば あきのすえ、ふゆのはじめ、くんじゅうのくらいと さだめたまいぬ。
 このきょうもん まさしく ほけきょうには わがみ おとると しょうふくし たまいぬ、ほけきょうのもんには いせつ、こんせつ、とうせつともうして、このほけきょうは まえと ならびとの きょうきょうにすぐれたるのみならず のちに とかんきょうきょうにもすぐるべしと ほとけ さだめ たまう。
 すでにきょうしゅしゃくそん かくさだめ たまいぬれば うたがうべきに あらねども わがめつごはいかんがと うたがいをぼして、とうほうほうじょうせかいの、たほうぶつを しょうにんにたてたまいしかば たほうぶつ、だいちより、をどりいでて みょうほけきょう、かいぜしんじつとしょうし じっぽうぶんしんのしょぶつかさねてあつまらせたまい、こうちょうぜつを だいぼんてんにつけ、また きょうしゅしゃくそんも つけたまう。
 しこうしてのち、たほうぶつは、ほうじょうせかいえ かへり じっぽうのしょぶつおのおのほんどに かへらせたまいて、のち たほうぶんしんのほとけも、をはせざらんに きょうしゅしゃくそん、ねはんきょうをといて ほけきょうにすぐるとおおせあらば、みでしらは しんぜさせたまうべしやとせめしかば、にちがつのだいこうみょうの、しゅらのまなこをてらすがごとく かんのうのつるぎの しょこうのくびにかかりしがごとく、りょうがんをとぢ、こうべをうなだれたり。
 てんだいだいしのみけしきは ししおうのことのまえに ほえたるがごとし たかわしのはときじをせめたるににたり。
 かくのごとくありしかば、さてはほけきょうはけごんきょう、ねはんきょうにも すぐれてありけりと しんたん いっこくに るふするのみならず かへりて ごてんじくまでもきこへ がっし、だいしょうのしょろんも ちしゃだいしのおんぎにはすぐれず きょうしゅしゃくそん、りょうどしゅつげんしましますか ぶっきょう にどあらはれぬと ほめられたまいしなり。
7段

  • [208]
  • ほうおんしょう ひらがな

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月29日(火)03時36分13秒
 
 ほうおんしょう ひらがな
    しっぴつ けんじにねん
しちがつにじゅういちにち。ごじゅうごさい。みのぶ。
      たいごう じょうけんぼう ぎじょうぼう。
    p293
 ほうおんしょう          にちれんこれをせんす
1しょう
 それ ろうこは つかをあとにせず はくきは もうほうがおんを ほうず、ちくしょうすらかくのごとし、いわうやじんりんをや、されば いにしへのけんじゃ よじょうといゐしものは つるぎをのみて ちはくがおんにあて、こうえんともうせし しんかは はらをさひて えいのいこうがきもをいれたり、いかにいわうや ぶっきょうをならはんもの、ふぼ、ししょう、くにのおんをわするべしや。

2しょう
このだいおんをほうぜんにはかならずぶっぽうを ならひきはめ、ちしゃとならでかなうべきか、たとえへばしゅうもうを みちびかんには しょうもうのみにては きょうがをわたしがたし ほうふうを わきまえざらんたいしゅうはしょしょうをみちびきて ほうざんにいたるべしや、ぶっぽうをならいきわめんとをもはば、いとまあらずば うかなべからず いとまあらんとをもはば ふも、ししょう、こくしゅなどにしたがいてはかなうべからず。
 ぜひにつけてしゅつりのみちを わきまへざらんほどはふも、ししょうなどの こころにしたがうべからず、このぎは しょにんをもわく けんにもはづれ みょうにもかなうまじとをもう、しかれども げてんのこうきょうにも、ふも、しゅくんにしたがわず、ちゅうしん、こうにんなるやうも みえたり、ないてんのぶっきょうにいわく「おんをすてむいにいるは しんじつほうおんのものなり」とううんぬん、ひかんが おうにしたがわずしてけんじんのなをとり、しったたいしの じょうぼんだいおうにそむきて、さんがいだいいちのこうとなりしこれなり。

3しょう
 かくのごとく ぞんじて、ふも、ししょうなどにしたがわずして、ぶっぽうをうかがいしほどに、いちだいせいきょうを さとるべきめいきょうとうあり、いわゆる くしゃ、じょうじつ、りっしゅう、ほっそう、さんろん、しんごん、けごん、じょうど、ぜんしゅう、てんだいほっけしゅうなり、このじゅっしゅうをめいしとして いっさいきょうのこころをしるべし。せけんのがくしゃらをもえり、このとうのかがみは みなしょうじきに ぶつどうのみちを てらせりと、しょうじょうのさんしゅうはしばらく、これををく。
たみのしょうそくの ぜひにつけてたこくへわたるに ゆうなきがごとし、だいじょうのしちきょうこそ しょうじのたいかいをわたりて、じょうどのきしにつく たいせんなればこれをならいほどひて わがみもたすけ ひとをも、みちびかんと をもひてならひみるほどに だいじょうの ひちしゅういづれも、いづれも じさんあり、わがしゅうこそ いちだいのこころは えたれ、えたれとううんぬん。
p294
いわゆる けごんしゅうの とじゅん、ちごん、ほうぞう、ちょうかんなど、ほっそうしゅうの げんじょう、じおん、ちしゅう、ちしょうなど、さんろんしゅうの こうこう、かじょうなど、しんごんしゅうの ぜんむい、こんごうち、ふくう、こうぼう、じかく、ちしょうなど、ぜんしゅうの だるま、えか、えのうなど、じょうどしゅうの どうしゃく、ぜんどう、えかん、げんくうなど。
これらの しゅうしゅうみな ほんきょう、ほんろんによりて われもわれも いっさいきょうをさとれり ぶついをきはめたりとうんぬん、かのひとびといわく いっさいきょうのなかには、けごんきょうだいいちなり ほけきょう だいにちきょうなどはしんかのごとし。
しんごんしゅうのいわく いっさいきょうのなかには だいにちきょうだいいちなり よきょうはしゅうせいのごとし、ぜんしゅうがいわく いっさいきょうのなかには りょうがきょうだいいちなり ないしよしゅう かくのごとし。
 しかもかみにあぐる、しょしは せけんのひとびと、おのおのをもえり しょてんのたいしゃくをうやまひ しゅうせいの にちがつにしたがうがごとし。


4しょう
 われらぼんぷは いづれのしなりとも しんずるならばふそくあるべからず、あおいでこそしんずべけれども、にちれんがぐあんはれがたし。
 せけんをみるにおのおの、われもわれもといへども こくしゅはただひとりなり、ふたりとなればこくどをだやかならず いえに にのしゅあれば そのいえかならずやぶる、いっさいきょうも またかくのごとくやあるらん、なにのきょうにても、をはせ いちきょうこそ いっさいきょうのだいおうにては、をはすらめ。
しかるにじゅっしゅう しちしゅうまで おのおのじょうろんして したがはずくににしちにんじゅうにんのだいおうありて、ばんみんをだやかならじ いかんがせんとうたがうところに ひとつのがんをたつ、われはっしゅうじゅっしゅうに したがはじ、てんだいだいしのもっぱらきょうもんをしとしていちだいのしょうれつを かんがへしがごとく いっさいきょうをきひらみるに ねはんきょうともうすきょうにいわく「ほうによって ひとによらざれ」とううんぬん。
 えほうともうすはいっさいきょう、ふえにんともうすは ほとけをのぞきたてまつりて ほかのふげんぼさつ、もんじゅしりぼさつ、ないしかみに あぐるところの もろもろのにんしなり、このきょうに またいわく 「りょうぎきょうによって ふりょうぎきょうによらざれ」とううんぬん。
このきょうに さすところ りょうぎきょうともうすは ほけきょう、ふりょうぎきょうともうすは けごんきょう、だいにちきょう、ねはんきょうなどのいこんとうのいっさいきょうなり。
 さればほとけのゆいごんを しんずるならばもっぱら ほけきょうをめいきょうとして いっさいきょうのこころをば しるべきか。
1段

5しょう
 したがつて ほけきょうのもんをひらき たてまつれば「このほけきょうは しょきょうのなかにおいて もっともそのうえにあり」とう うんぬん このきょうもんのごとくば しゅみせんのいただきに たいしゃくのおるがごとく、りんおうのいただきに、にょいほうじゅのあるがごとく しゅうぼくのいただきに つきのやどるがごとく しょぶつのいただきに にくけいのじゅうせるがごとく このほけきょうはけごんきょう、だいにちきょう、ねはんきょうなどの いっさいきょうのちょうじょうの にょいほうじゅなり。
p295
 さればもっぱら ろんしにんしをすてて、きょうもんによるならば だいにちきょう、けごんきょうなどに ほけきょうのすぐれ たまえることは にちりんのせいてんにしゅつげんせる ときまなこ あきらかなるものの てんちをみるがごとく こうげおんねんなり。
 また だいにちきょう、けごんきょうなどの いっさいきょうをみるに このきょうもんに そうじのきょうもん、いちじ、いちてんもなし、あるいはしょうじょうきょうにたいして しょうれつを とかれ あるいは ぞくたいにたいして しんたいをとき あるいはもろもろの くうけにたいして ちゅうどうをほめたり、たとへば しょうこくのおうが わがくにのしんかにたいして だいおうというがごとし。
 ほけきょうは しょおうにたいして だいおうとうとうんぬん、ただ ねはんきょうばかりこそ ほけきょうに そうじのきょうもんは そうらへ。
 されば てんだい いぜんのなんぼくのしょしは めいわくして ほけきょうは ねはんきょうに おとるとうんぬん、されどももっぱら きょうもんをひらきみるには むりょうぎきょうのごとく けごん、あごん、ほうとう、はんにゃなどの よんじゅうよねんのきょうきょうをあげて ねはんきょうにたいして わがみ まさると、とひて また ほけきょうに たいするときは このきょうのしゅっせは ないし ほっけのなかの はっせんのしょうもんにきべつをさずくることをえて だいかじつを じょうずるがごとく しゅうしゅうとうぞうして さらに しょさなきがごとし」とうとうんぬん。
 われと ねはんきょうはほけきょうには おとるととけるきょうもんなり、かう きょうもんはふんみょうなれども なんぼくのだいちのしょにんのまようてありし きょうもんなれば まつだいのがくしゃ よくよくまなこを とどむべし。
 このきょうもんは ただほけきょう、ねはんきょうのしょうれつのみならず じっぽうせかいのいっさいきょうの しょうれつをもしりぬべし。
 しかるを きょうもんにこそ まようとも てんだい、みょうらく、でんぎょうだいしの おんりょうけんののちは まなこあらんひとびとは、しりぬべきことぞかし。
 しかれども てんだいしゅうのひとたる じかく、ちしょうすらなお このきょうもんにくらし、いわうや よしゅうのひとびとをや。
2段

  • [207]
  • みやた、ろんぶんへのぎもん 5、おわり すだはるおし

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月26日(土)02時08分49秒
 
5 しゃかぶつぞうの、らいはいをようにんすべきか。

みやたしは、こうひょうされている、ろんぶん、「がくもんてき、けんきゅうと、きょうだんのきょうぎひとつ、そうかがっかいのばあい」では、めいげんをさけているが、たのろんぶんでは、あきらかに、しゃかぶつ、ぞうのぞうりゅう、らいはいを、みとめるばあいもありえるとする。
 たとえば、「にっこうのきょうがくしそうのしょもんだい2しそうへん」で、しはつぎのようにのべている。
「にちれん、にっこうのしそうに、あくまでも、したがうというげんりしゅぎを、さいようするならば、もし、げんざいが、まだ、ぎゃくえんこうふの、じだいだと、はんだんすれば、まんだらほんぞんを、しゅちょうするだろうし、もし、げんざいが、じゅんえんこうふのじだいであると、はんだんすれば、しゃかぶつぞう、ほんぞんを、きょようするだろう」、しの、けんかいによるならば、じゅんえん、こうふのじだいと、はんだんしたばあいには、まんだらほんぞんにかえて、しゃかのぶつぞうを、らいはいするという、おどろくべきじたいが、おこりうることになる。
 しの、このけんかいは、しょうしんかいの、おおくろきどうの、せつをとうしゅうしたものと、おもわれるが、「ぎゃくえんこうふ=まんだらほんぞん、じゅんえんこうふ=ぶつぞうほんぞん」という、おおくろのせつは、「そやにゅうどうどの、もとごしょ」にいう「いちだいひほう」は、まんねんくご、ほんぞんにあたると、しゅちょうするなど、きわめて、しゅかんてきな、おくそくにもとづく、きゃっかんてき、こんきょにかけた、けんかいで、こうとうむけいな、「ちんせつ」というほかなく、いっぱんに、とうてい、しじできるものではない。
 ひるがえって、にちれんは、ほんぞんをどのように、かんがえていたか。
 にちれんが、もんかにたいして、らいはいのたいしょうである、ほんぞんとして、じゅよしたものは、まんだらほんぞんいがいにない。
 もんかが、しゃかぶつぞうを、ぞうりゅうしたことを、ようにんしたれいは、ときじょうにんと、しじょうきんごふさいだけで、にちれんが、もんかにたいして、しゃかぶつぞうのぞうりゅうを、せっきょくてきに、すすめたことはいっせつない。
 にちれんが、ときじょうにんと、しじょうきんごふさいの、しゃかふつぞうりゅうをようにんしたのは、ほんぞんといえば、えぞう、もくぞうの、ぶつぞうであるという、かんねんが、しはいてきだったとうじの、しゃかい、つうねんをふまえ、ひとびとが、あみだにょらいや、だいにちにょらいに、かたむいているなかで、しゃかぶつぞうを、ぞうりゅうすることは、たきょうにたいして、ほけきょうをせんようする、ごんじつそうたいの、しゅしからは、ただしいほうこうであると、したのであろう。
 もし、にちれんが、ときじょうにんらの、しゃかぶつぞうぞうりゅうを、きびしくはしゃくしたならば、ほけきょうを、しんこうしてきた、かれらのしんじんそのものを、はかいするおそれがあったとおもわれる。
 にちれんによる、しゃかぶつぞうぞうりゅうのようにんは、きわめて、れいがいてきなことであり、もんじまんだらが、ほんぞんであることが、じゅうぶんにりかいできなかった、とうじのもんかの、きこんを、こうりょしての、けどうであった。
 にちれんは、いずるざいのときに、じとう、いとうはちろうさえもんから、おくられたしゃかのいったいぶつを、ずいしんぶつとして、しょじしたが、それは、にちれんじしんのきょうちにおいて、なされたことであり、もんかにたいして、しゃかいったいぶつを、ほんぞんとするように、きょうじしたことは、いちさいない。
 にっかんが、「まっぽうそうおうしょう」で、「わが、その、かんけんのまえには、いったいぶつの、とうたい、まったくこれ、いちねん3000、そく、じじゅゆうのほんぶつのゆえなり」、『ろくかんしょう』(172ページ)とのべていることが、だとうであろう。
 みのぶはの、ちゅうこうの、そと、される、ぎょうがくいん、にっちょうの、「がんそけどうき」によれば、にちれんは、りんじゅうのぜんじつ、それまで、あんちしていた、しゃかのいったいぶつを、しりぞけ、まんだらほんぞんを、かけるよう、しじしたとつたえられる。
 そこにも、もんじまんだらを、ほんぞんとする、にちれんのさいしゅうてきな、いしがしめされているといえよう。
 また、にっこうの、「しゅうそ、ごせんげきろく」によれば、にちれんは、りんじゅうにさきだち、しゃかの、いったいぶつを、じしんのぼしょのかたわらに、おくようゆいごんした。
 その、しょちにおいても、しゃかぶつぞうを、もんかが、ひろく、らいはいする、ほんぞんとするのではなく、にちれんを、しのぶためのものとして、あつかうべきであるとの、いとを、うかがうことができる。
 にちれんは、「かんじんほんぞんしょう」で、ほんぞんについて、つぎのようにのべている。
 「その、ほんぞんのていたらく、ほんしのしゃばのうえに、ほうとうそらにこし、たっちゅうのみょうほうれんげきょうの、さゆうに、しゃかむにぶつ、たほうぶつ、しゃくそんのきょうじ、じょうぎょうとうのしぼさつ、もんじゅ、みろくとうは、しぼさつのけんぞくとして、まつざにこし、しゃくけ、たほうの、だいしょうのしょぼさつは、ばんみんの、だいちにしょして、うんかくげっけいを、みるがごとく、じっぽうの、しょぶつは、だいちのうえに、しょし、たまう、しゃくぶつ、しゃくどを、ひょうするゆえなり」、(ごしょ247ページ)。
 ここにいう、「たっちゅうの、みょうほうれんげきょう」とは、まんだら、ほんぞんのちゅうおうに、たいしょされている、「なんみょうほうれんげきょう」をさし、その「さゆうに、しゃかむにぶつ、たほうぶつ」とは、「なんみょうほうれんげきょう」のさゆうにしたためられている、しゃかむにぶつと、たほうにょらいであることは、あきらかである。
 すなわち、このもんは、まさに、まんだらほんぞんの「ていたらく」、すなわち、そうみょうをのべたものに、ほかならない。
 また、にちれんは、「ほんぞんもんどうしょう」で、「とうていわく、まつだいあくせのぼんぷは、なにものをもって、ほんぞんとさだむべきや、こたえていわく、ほけきょうのだいもくをもって、ほんぞんとすべし」(どう365ページ)として、「ほけきょうのだいもく」、すなわち、なんみょうほうれんげきょうを、ほんぞんとすべきであると、きょうじし、さらに、「とうていわく、しからばなんじ、いかんぞ、しゃかをもって、ほんぞんとせずして、ほけきょうのだいもくを、ほんぞんとするや、こたう、かみにあぐるところの、きょうしゃくをみたまへ、わたしのぎには、あらず、しゃくそんと、てんだいとは、ほけきょうを、ほんぞんとさだめたまへり、まつだい、いまのにちれんも、ほとけと、てんだいとのごとく、ほけきょうを、もって、ほんぞんとするなり、そのゆえは、ほけきょうは、しゃくそんのふぼ、しょぶつのげんもくなり、しゃか、だいにち、そうじて、じっぽうのしょぶつは、ほけきょうより、しゅっしょうしたまへり、ゆえに、いま、のうしょうをもって、ほんぞんとするなり」(どう366ページ)として、しゃかぶつを、ほんぞんとしないりゆうを、めいじしている。
 すなわち、しゃかを、ふくめた、しょぶつは、ほけきょうからうみだされた、しょしょうのそんざいにすぎず、ほけきょうこそが、しょぶつをうみだした、のうしょうのそんざいであるから、ほけきょうを、ほんぞんとするのであるという。
 もちろん、ここでいう、ほけきょうとは、テキストとしての、ほけきょうではなく、ほけきょうのだいもく、すなわち、なんみょうほうれんげきょうを、いみしている。
 にちれんは、「かんじんの、ほんぞんしょう」の、だんかいでは、まだ、ふくみのある、ひょうげんを、のこしていたが、「ほんぞん、もんどうしょう」では、しゃかぶつを、ほんぞんとしないたちばを、めいじしている。
 しゃかほんぶつぎのひてい。
 この、けんちをふまえるならば、「かんじんの、ほんぞんしょう」が、まんだらほんぞんと、しゃかぶつぞうの、りょうろんへいきであるという、みやたしのりかいは、にちれんのしんいを、よみあやまったものと、いわなければならない。
 にちれんの、ぐたいのふるまいにてらしても、また、ぶんけんに、しめされた、きょうじに、てらしても、にちれんぶっぽうの、ほんぞんは、まんだらほんぞんのみであり、しゃかぶつの、ぶつぞうを、ほんぞんとする、きょうぎは、にちれんには、そんざいしない。
 「はらどのごへんじ」に、「にっこう、ひとり、ほんしのせいぎをぞんじて、ほんかいを、とげたてまつりそうろうべき、じんにあいあたって、おぼえそうらへば」(へんねんたいごしょ1733ページ)とあるように、じしんこそが、にちれんのきょうぎを、ただしく、けいしょうしているとの、じかくにたっていた、にっこうは、とうぜんのことながら、まんだらほんぞん、しょういのたちばを、けんじし、しょうがいの、さいごまで、にっこうもんりゅうの、じいんに、しゃかのぶつぞうを、ぞうりゅうすることをぜったいに、ゆるさなかった。
 にちれんのめつご、みのぶのじとう、はきいさねながが、しゃかのぶつぞうを、ぞうりゅうして、ほんぞんとしたことを、にっこうは、ほうぼうとだんじ、じとうの、ほうぼうが、めいかくになったいじょう、みのぶにとどまっていたのでは、にちれんのせいぎを、ほじすることが、できないとして、みのぶを、りざんしている。
 この、こうどうをみても、にっこうが、しゃかのぶつぞう、ぞうりゅう、らいはいを、じゅうだいな、ぶっぽういはいとしたことが、りかいできよう。
 にっこうの、まんだらほんぞんしょういのたちばは、「ふじいっせき、もんと、ぞんちのこと」、および「ごにん、しょはしょう」のつぎのもんに、めいかくにしめされている。
 「にっこうがいわく、しょうにんおんりゅうの、ほうもんにおいては、まったくえぞう、もくぞうの、ほとけ、ぼさつを、もってほんぞんとなさず、ただ、ごしょのいにまかせて、みょうほうれんげきょうのごじをもって、ほんぞんとなすべしと、すなわち、おん、じひつのほんぞんこれなり」、「ふじいっせきもんとぞんちのこと」、(ごしょ1606ページ)。
 「にっこうがいわく、しょぶつの、そうごんおなじといえども、いんげいによつて、ことをべんず、にょらいのほんしゃくは、はかりがたし、けんぞくをもって、これをしる、ゆえに、しょうじょう、さんぞうのきょうしゅは、かしょう、あなんをきょうじとなし、がやしじょうの、しゃくぶつは、ふげん、もんじゅ、さゆうにあり、このほかの、いったいのぎょうぞう、あに、ずだの、おうじんにあらずや、およそ、えんとんの、がくしゃは、ひろく、たいこうをそんして、もうもくを、こととせず、つらつら、しょうにんしゅっせの、ほんかいをたずぬれば、もと、ごんじついかの、けどうをあらため、じょうぎょうしょでんの、じょうかいを、ひろめんがためなり、ずするところの、ほんぞんは、しょうぞう2000ねんのあいだ、いっえんぶだいのうち、みぞうの、だいまんだらなり、いまにあたっては、しゃっけのきょうしゅ、すでに、えきなし、いわんや、たたばわのせつぶつをや、つぎに、ずいじんしょじの、ぞくなんは、ただこれ、けいし、いったんのちょうあい、つきをまつかたときの、けいこうか、しゅうするもの、なお、しいてきえをいたさんとほっせば、すべからく、しぼさつをくわうべし、あえて、いちぶつを、もちゆることなかれ、うんぬん」「ごにんしょはしょう」、(どう1614ページ)。
 にっこうは、にちれんぶっぽうの、ほんぞんはあくまでも、ほんぞんであることを、ぜんていにしたうえで、どうしても、ぶつぞうをぞうりゅうしたいと、ぶつぞうにしゅうちゃくするものがでたばあいには、しゃかのいったいぶつではなく、きょうじに、じょうぎょうとうの、しぼさつをくわえて、ぞうりゅうすることをじょうけんに、れいがいてき、しょちとしてそ、れをみとめている。
これは、にちれんが、ときじょうにん、しじょうきんごふさいの、しゃかぶつぞうりゅうを、れいがいてきに、ようにんしたのとどうよう、もんかの、きこんをかんがみたうえでの、ほうべんとりかいすべきである。
 とうじは、ほんぞんといえば、えぞう、もくぞうの、ぶつぞうとかんがえる、かんねんがつよく、もんかにたいして、ぶつぞうぞうりゅうを、ぜんめんてきに、きんししたのでは、ほけきょうのしんじん、そのものが、いじできないばあいも、ありえたからである、しぼさつの、ぞうりゅうをじょうけんにしたことによって、ぶつぞうのぞうりゅうを、よくせいしようと、したともかんがえられる。
 まんだら、ほんぞん、しょういのたちばを、けんじする、にっこうにたいし、みやたしは、「あまりにも、まんだらほんぞんに、しゅうちゃくしすぎ、しゃかぶつぞう、ぞうりゅうに、しょうきょくてきな、にっこうのへんこうであると、されても、しかたがないだろう」、にっこうの、きょうがくしそうの、しょもんだい2、しそうへんと、ひはんしている。
 しゃかぶつ、ぞうぞうりゅうを、みとめる、みやたしが、にっこうを、「あまりにも、まんだらほんぞんに、しゅうちゃくしすぎ」であり、「へんこう」であると、ひはんするのは、もとより、じゆうだが、しかし、そのしせいは、にちれんや、にっこうよりも、じこじしんの、はんだんをじょういの、きじゅんとすることに、なっていないだろうか。
 それは、「こころのしとはなるとも、こころをしとせざれ」との、ぶっぽうの、きほんてきな、いましめに、いはいするものと、ならないだろうか。
にちれんと、にっこうが、もんじまんだらを、ほんぞんとしたのは、ぶっぽうじょうの、ふかい、ひつぜんせいがあったがゆえと、かいせられる、もんじまんだらでなければ、ほんぞんを、らいはいするにんげんを、ふくめた、じっかいのしゅじょうが、みょうほうにほうせつされること、また、なんみょうほうれんげきょうと、にちれんがいったいふにであるという、にんぽういっかの、ほうりをあらわしえない。
 にちれんぶっぽうについて、こうさつしていくのであるならば、じぶんのかんがえを、はんだんきじゅんにして、さいだんするのではなく、にちれん、にっこうの、ことばに、けんきょにみみをかたむける、ありかたが、もうすこしあってもよいのではないかとおもわれる。


6 がくせつが、たしかなこんきょに、なりうるか。

 みやたしの、しょろんぶんを、よんでいて、きになるのは、しが、がくじゅつてきで、あることを、しじょうかちと、かんがえ、がくもんのせかいで、みとめられている、がくせつを、はんだんのきじゅんにしているように、みうけられることである。
 たとえば、みのぶはの、がくしゃによる「おんぎくでん」ぎさくせつにたいして、にちれんしょうしゅうがわが、はんろんしていることについて、しは、つぎのようにいう。
 「しゅうもんから、はんろんをだすだけで、けっちゃくするような、もんだいではなく、むしろ、いんぶつがくかいなどの、せんもんがっかいで、がっかいはっぴょう、がくじゅつろんぶんでの、ろんそうのうえで、けっちゃくするのでなければ、がくじゅつてきな、ぎろんをすることはできない。
 すくなくとも、にちれんしょうしゅうを、だいべんするかたちで、せんもんがっかいで、そのような、しゅちょうがなされたということを、わたしは、まだきいていない」うるしばたせいぜんろんぶん、「そうかだいがくきょうじゅ、みやたこういちの、『にちうの、きょうがくしそうの、しょもんだい』を、はしゃくせよ」をけんとうする。
 これでは、せんもんがっかいでの、はっぴょうや、ろんぶんいがいのげんろんは、ろんぴょうするに、あたいしないといっているにひとしく、アカデミズムのごうまん、まんしんといわれても、やむをえないだろう。
 がくもんは、ほんらい、ばんにんに、ひらかれたものであり、せんもんがっかいに、ぞくするものだけが、どくせんするものではない。
 せんもんがっかいでの、ぎろんは、もちろんいみはあるが、せんもんがっかいがいの、げんろんにたいして、せんもんがっかいでの、ぎろんであるというだけで、ゆうえつてき、とっけんてき、ちいをゆうするものではない。
 もしも、せんもんがっかいの、そとのげんろんは、がくもんてきにみとめないという、ごうまんなたいどに、しゅうししていたならば、そのがくもんじたいが、しやきょうさく、じょうたいに、おちいって、いっぱんしゃかいとの、つながりをうしない、こうちょくかしていくだけであろう。
 みやたしも、せんもんがっかいでの、はっぴょうや、がくじゅつろんぶんいがいの、しゅちょうを、あいてにしていたのでは、がくじゅつてきな、ぎろんをすることは、できないなどと「うえからめせん」で、もんぜんばらいしていないで、にちれんしょうしゅうの、いいぶんについても、それこそ、がくじゅつてきな、たいどで、せいじつにろんぴょうすべきでは、ないだろうか。
 そもそも、せんもんがっかいにおける、しはいてきながくせつといっても、あるじてんにおいて、みとめられていただけで、えいえんふめつのものではない。
 あるじてんでは、しはいてきな、がくせつも、じだいが、けいかすれば、だれからも、しじされない、かこのいぶつになっていくばあいが、あることは、がくもんのぶんやを、とわず、むしろつうじょう、いっぱんのありかたである。
 ぶっきょうがくの、ぶんやのれいをあげれば、だいじょうぶっきょうの、きげんについて、かつては、ひらかわあきらはかせが、ていしょうした、ぶっとうきげんせつが、しはいてきな、つうせつだったじきがあったが、こんにちでは、そのせつは、ほとんどしじされていない。
 けんきゅうしゃの、きょうつうにんしきとか、いっぱんてきながくせつなどといっても、そのじだい、じだいのふうちょうのはんえいであり、かっこふどうのきじゅんに、なるものではない。
 にんげんのもつ、ちしきはどこまでも、ざんていてきなものであって、あとになれば、あやまりであったことが、はんめいする、かのうせいをはらんでいる。
 したがって、せんもんがっかいにおける、いっぱんてきな、けんかいだからといって、それを、ぜったいしすることは、むしろおおきなあやまりを、おかすおそれがある。
 しょがくもんが、ますますさいぶんかされているこんにち、しょうすうの、なかまうちだけにしか、つうようしない、へいさてき、ぎろんにしゅうしするけっか、そのぎろんがいっぱんしゃかいの、かんかくからかけはなれ、「せんもんがっかいの、じょうしきが、せけんのひじょうしき」になるばあいも、まれではない。
 がくもんの、「たこつぼか」のはんせいから、せんもんのわくをこえた、がくさいてき、そうごうてきな、どうさつがもとめられている、こんにち、せんもんがっかいでの、ぎろんでなければ、あいてにしないなどという、おもいあがったそんだいなたいどは、むしろきびしく、ひはんされなければならない。
 さらに、きになるのは、それほど、せんもんがっかいでの、ぎろんをじゅうししている、とうの、みやたしの、しょろんぶんが、じぶんのしょぞくしている、だいがくや、けんきゅうしょのきようばかりで、げんせいな、レフェリーシステムがある、ぜんこくてきな、せんもんがっかいのきかんし、たとえば、にほんてつがっかいの、「てつがく」などに、けいさいされたものが、しの、せんもんである、てつがくのぶんやをふくめて、かいむであるということである。
 いっぱんろんとして、せんもんがっかいの、きかんしへの、きこうがなければ、しゃかいにつうようする、けんきゅうしゃとは、みとめられない。
 このてんについて、にほん、ちゅうせいしの、けんきゅうしゃである、ほそかわりょういちしは、つぎのようにのべている。
 「われわれ、だいがくいんせいに、つねに、おんがんをもってせっしてくださった、せんせい〈ささき、ぎんやしをさす・・・いんようしゃ〉は、しかし、けんきゅうしゃとして、じりつし、つうようするためには、だいがくないのざっしにかくのではなく、レフェリーシステムのある、がっかいしに、とうこうするよう、きびしくしどうされた」、「そとでつうようする、けんきゅうしゃになるようにとの、ささきせんせいの、ちゅうこく、じょげんがなかったなら、けんきゅうしゃとして、ともかくも、じりつしているこんにちの、じぶんはなかったように、おもう」、『ちゅうせいの、みぶんせいとひにん』あとがき。
だいがくや、けんきゅうしょの、きようは、たのけんきゅうしゃによる、チェックがほとんどはいらないので、しっぴつしゃが、それこそ、じぶんのすきなようにかくことができる。
 みやたしの、しょろんぶんが、がくじゅつろんぶんのような、かたちをとっていながら、ないようが、きわめて、しゅかんてきでせっとくりょくにとぼしいのは、このようなじじょうもはたらいているようである。

  7、 じぶんのはんだんが、いっさいのきじゅんか。

 みやたしの、ちょしょや、ろんぶんをよんでみると、しのはっそうの、こんていには、いわゆる、そうたいしゅぎてきな、しこうがあるようである。
 たとえば、『まきぐちつねさぶろうは、カントをこえたか』で、しは、こうふくかんや、かちかん、または、しんりのとらえかたが、こじんや、しゃかいによって、さまざまであるとして、つぎのようにいう。
 「しゅうきょうてき、しんこうと、くどく、ほうばつとの、いんがかんけいを、きゃっかんてきに、きていするためには、こうふくかん、かちかんの、たようせいということが、しょうがいになってくる。
 (ちゅうりゃく)そこで、おおくのしゅうきょうしゃかいがくてき、ちょうさが、しているように、こうふく、ふこうというものが、しゅかんてきなものであっても、かまわないということのほうが、より、にんげんのせいかつ、じつじょうに、そくしている」(どうしょ143ページ)。
 「『えいえんのしんり』とは、ひとつのりねんではあっても、げんじつには、そのようなしんりを、しょゆうしているわけではないという、そうたいしゅぎてきな、けんかいがだいたすうの、てつがくしゃのけんかいとなっている。
 そのうえで、なおひとびとは『しんぎ』という、ようごをしようしているが、そのしようは、そのひとびとが、しょぞくするぶんかてき、きょうどうたいがもつ、じょうしきてきしんねんや、だいたすうのがくしゃたちの、どういするがくもんてき、ちしきなどをふくむ、せかいぞうにいそんしている」(どうしょ170ページ)。
 また、みやたしは、ろんぶん「『ほんぞん、もんどうしょう』について」、でも、ドイツのてつがくしゃ、シュリックとヴィトゲンシュタインとの、ろんそうにふれ、しじしんの、けつろんとして、「『ひとびとが、いっちして』うけいれる、りんりきはんは、じっさいにはせいりつしないだろう」と、のべている。
 みやたしは、にちれんぶっぽうにおける、まんだらや、ほうべんぽん、じゅりょうほんの、どくじゅについても、そうたいしゅぎてきな、たちばからとらえ、つぎのようにいう。
 「まんだらにも、ぶんか、そうたいしゅぎてき、もんだいはある。それは、、まんだらが、だいぶぶんかんじで、かかれているというもんだいである。
 かんじ、ぶんかけんにしょぞくする、ひとびとであれば、まんだらをみて、そのふへんてきな、きゅうさいりねんを、しることができるが、かんじぶんかけんに、しょぞくしていないひとびとには、なにが、ひょうげんされているか、まったくわからない。
 (ちゅうりゃく)ぶっきょうは、もともと、たげんごしゅぎだから、まんだらが、せいべつを、ひつようとしないのであれば、きゅうさいの、ふへんせいの、メッセージを、でんたつすることが、できればよいのだから、まんだらも、かんじでかかれるひつようせいは、なくなるだろう。
 にちれんは、ほうべんぽん、じゅりょうほんの、どくじゅをひつようなしゅぎょうと、みとめたが、それも、なにもかんじのきょうてんを、にほんごかした、ちゅうごくごしき、はつおんで、どくじゅする、ひつようもないだろう」、『ほんぞんもんどうしょう』について。
 しの、はつげんは、しんりと、かちのりょうめんに、わたっているので、いわゆる、にんしきてきそうたいしゅぎと、どうとくてき、そうたいしゅぎの、りょうほうをふくむたちばのようである。
 そうたいしゅぎは、こだい、ギリシャの、プロタゴラスが「にんげんは、ばんぶつのしゃくどである」と、しゅちょうしたように、せいよう、とうようをとわず、おおむかしから、そんざいした、みかたで、なにもことあたらしいものではない。
 ただ、1960ねんだい、いこうに、たいとうした「ポストモダン」のろんちょうが、そうたいしゅぎてき、たちばにたったので、そうたいしゅぎが、いちじてきに、りゅうこうしたような、じきもあったが、どうじに、きびしいひはんも、ていきされており、そうたいしゅぎの、なかみにもよるが、「そうたいしゅぎてきな、けんかいがだいたすうの、てつがくしゃの、けんかいとなっている」というのは、あきらかないいすぎであろう。
 なにが、せいぎか、なにをかちとするかという、はんだんきじゅんが、こじんや、しゃかいによって、たようであるというのは、いちめんのしんりだが、それを、きょくたんにまで、おしすすめると、「だれが、どのようなしんねんをもって、なにをしようと、すべてそれはただしい」ということになり、「なにをやってもよい」という、むちつじょ、あるいは、「すべては、どうでもよい」という、きょむしゅぎに、おちいりかねない。


 じこと、たしゃの、といには、なんのきょうつうせいもなく、まったく、りかいふのうな、エイリアンどうしとなり、ちからだけが、かいけつのしゅだんとなる、じゃくにくきょうしょくの「ばんにんの、ばんにんにたいする、とうそう」となるおそれがある。
 そうたいしゅぎを、つきつめたら、ホロコーストや、むさべつテロさえをも、りんりてきに、、ひなんすることが、ふかのうとなろう。
 じっさい、じんるいしにおいては、たぶぞく、たみんぞく、あるいは、いきょうとや、いたんしゃにたいする、たいりょうぎゃくさつは、めずらしいことではなかった。
 しかし、おおくのひさんを、けいけんしながら、たがいのさいをこえて、きょうそんするみちを、もさくしてきたのが、じんるいのれきしであったはずである。
 それは、こじんや、しゃかいにおける、たようせいをふまえながら、おなじ、にんげんとして、きょうつうするきばんがあることを、はっけんしていく、いとなみであったともいえよう。
 どれほど、ぶんかや、げんごがことなっていても、にんげんどうしの、いしそつうは、かのうであり、また、ホメロスや、しばせんなどを、おもいおこすまでもなく、ぶんかけんを、まったくことにする、すうせんねんまえの、ぶんがくさくひんであっても、げんだいじんが、きょうかんすることができる。
 このような、じじつは、ぶんかやじんしゅ、みんぞくなどの、さいをこえて、にんげんが、にんげんそんざいとして、きょうつうふへんの、きばんをきょうゆうしていることをしめしている。
 だいにじたいせんごの、せかいじんけんせんげんで、けつじつした、きほんてきじんけんの、しそうは、まさに、にんげんの、きょうつうふへんの、きばんがそんざいするという、しんねんにたっている、いっさいのじんけんを、ひていして、じんしゅさべつ、せいさべつ、どれいせいどのふっかつを、おおやけにしゅちょうすることは、こんにちのせかいにおいては、まともな、ぎろんとは、うけいれられないだろう。
 にんげんの、もつ、たようせいと、きょうつうせいの、りょうめんをみていくのが、ちゅうようをえた、ありかたではなかろうか。
 ひるがえって、そうたいしゅぎてきな、しこうは、にんげんのきょうつうせいを、けいしし、さいせいのみを、きょうちょうしすぎる、かたよりがある。
 20せいきを、だいひょうする、てつがくしゃのひとり、カール・R・ポパーは、そうたいしゅぎてき、しこうのきけんせいをしてきし、つぎのように、きびしくだんざいしている。
「それ(たいげんそうごの、いみふめいのことばづかいのりゅうぎをさすいんようしゃ)は、ちてきむせきにんというものです。 それは、じょうしきを、りせいをはかいします。
それは、そうたいしゅぎとよばれるような、たいどをかのうとします。このたいどは、あらゆるテーゼは、ちてきには、おおかれすくなかれ、どうとうに、しゅちょうかのうであるという、テーゼをみちびきます。
 すべてが、ゆるされるのです。ですから、そうたいしゅぎのテーゼは、あきらかに、アナーキー、ほうの、そうしつじょうたい、そして、ぼうりょくの、しはいをみちびくのです」『よりよきせかいをもとめて』301ページ。
「そうたいしゅぎは、ちしきじんたちが、おかした、かずおおくのはんざいのうちの、ひとつです。
 それは、りせいにたいする、そして、にんげんせいにたいする、うらぎりです。
 あるしゅの、てつがくしゃたちは、しんりにかんする、そうたいしゅぎをといていますが、それは、おもうに、しんりと、かくじつせいの、かんねんを、こんどうしているからなのです」(どうしょ19ページ)。
 にんげんの、ふへんせいを、ちょくしすることなくして、じんるいに、けんせつてきな、こうけんをしていくことは、ふかのうであろう。
 「ポストモダン」の、しそうが、けっきょくは、ひはんに、しゅうしするだけで、なんら、しょうらいのてんぼうを、しめすことができなかった、げんいんも、そのへんにあるといえそうである。


 にんげんの、ふへんせいにかんして、てつがくしゃの、たけた、せいじしは、「じゆう」こそが、にんげんそんざいに、きょうつうする、ほんしつてきな、よくぼうであるとの、どうさつのうえから、つぎのようにのべている。
 「『じゆう』が、にんげんてき、よくぼうのほんしつ、けいきとして、そんざいするかぎり、にんげんしゃかいは、ながいスパンでみて、『じゆうの、そうごしょうにん』を、げんそくとする、ふへんてきな『しみんしゃかい』の、けいせいへと、すすんでゆくほかはない。
 ここにふくまれる、しゃかいのりねんは、いかのようである。
 どんな、こっかにおいても、また、こっかかんにおいても、ふへんぼうりょくじょうたいが、せいぎょされ、せいじとけいざいと、ぶんかにおける、じゆうな、しょうにんゲームの、くうかんが、かくほされてゆくこと。
 このことによって、すべてのにんげんが、しゅうきょう、しんじょう、きょうどうてきしゅつじ、げんご、しょくぎょう、そのたのじょうけんによってさべつされず、
つねに、たいとうなプレーヤーとして、しょうにんしあうこと」、『にんげんのみらい』(266ページ)、ふへんせいといえば、いっさいしゅじょうの、じょうぶつをひょうぼうする、ぶっきょうは、にんげんどころか、すべてのせいめいを、つらぬくふへんせいをきょうちょうする、しそうである。
 なかんずく、てんだいたいしが、かくりつした、いちねん3000の、ほうりは、ごおんせけん、しゅじょうせけん、こくどせけんの、さんせけんをふくみ、しょくぶつや、がんせきなど、つうじょうは、しんけいや、いしきをもっていないと、かんがえられてきたひじょうのそんざいまで、うじょうと、きょうつうのほうりに、つらぬかれているとする。
 さんせけんの、「せけん」とは、さい、くべつを、いみすることばであるから、ようするに、ばんぶつは、それぞれのさいをゆうしながら、どうじに、きょうつう、ふへんのほうの、とうたいであると、みるのが、いちねん3000のせいめいかんである。
 ここに、たようせいと、ふへんせいの、りょうめんを、ほうがんするぶっきょうの、たくえつせいを、みることができよう。
 みやたしによれば、まんだらほんぞんも、アルファベットやギリシャもじ、ペルシャもじ、ハングルなど、かんじいがいのもじで、したためても、さしつかえないことに、なりそうだが、はたしてそうだろうか。
 まんだらが、ぶんかてき、きょうどうたいごとに、ことなるもじであらわされたばあい、ひとの、りゅうどうせいが、ますます、かっぱつかしている、こんにち、しごととうで、せかいかくちを、いどうするひとは、いどうするたびに、ことなるもじの、まんだらを、らいはいしなければならない、ケースもしょうずるだろう。
 それでは、ほんぞんとしての、ふへんせい、とういつせいは、まったくうしなわれてしまう。
(ほうべんぽん、じゅりょうほんの、どくじゅについても、どうようのもんだいが、しょうずる。かっこくごに、ほんやくされたもので、どくじゅしたのでは、くにが、ことなるひとどうしが、いっしょにごんぎょうすることは、できない。しゅぎょうとしての、とういつせいは、やはりそんちょう、されるべきであろう)。
 まんだらほんぞんは、ほとけのせいめいそのものであり、みょうらくたいしが、「たとい、ほっしんしんじつならざるものも、しょうきょうに、えんすれば、くどくなお、おおし」と、のべているように、たとえ、まんだらにしるされている、もんじのいみが、まったく、りかいできないひとでも、まんだらが、ほとけのとうたいであることを、しんじてしょうだいにはげむならば、まんだらほんぞんという、ただしい、たいきょうにえんすることによって、かんのうみょうの、げんりにより、じしんにないざいする、ぶっかいのせいめいが、しょくはつされるであろう。
 そもそも、まんだらにしるされている、もんじは、じっかいのしゅじょうが、なんみょうほうれんげきょうに、てらされて、ぶっかいしょぐの、じっかいとなっている、すがたをあらわすもので、らいはいしゃにたいして、いっていのメッセージを、でんたつするためのものではない。


 そのいみでは、まんだらにしるされたもんじは、ろんぶんやしょうそくなどの、もんじとは、いぎがことなるとかんがえられる。
 まんだらほんぞんは、かんじとぼんじで、しるされているが、かんじやぼんじの、ぶんかけんに、げんていされた、そうたいてきなものではなく、「きょうおうどのごへんじ」に、「にちれんが、たましひを、すみにそめながして、かきてそうろうぞ、しんじさせたまへ」(ごしょ1124ページ)とあるとおり、まっぽうのほんぶつ、にちれんといったいふにである、ほとけのとうたいそのものとして、うけとめるべきであろう。
 みやたしの、しせいについて、そうたいしゅぎの、もんだいとあわせて、きになるのはじこのしゅかんてき、はんだんやしこうを、きじゅんとするありかたである。
 たとえば、いっぱんのもんかには、かいじしない、きょうぎを、いちぶのかぎられたもんかに、きょうじすることを、みやたしは、「にじゅうきじゅん」、「ひみつしゅぎ」と、きていし、「わたしとしては、にじゅうきじゅんをもった、しゅうきょうしゃという、にちれんぞうは、すきではない」、『しゅごこっかろん』についてと、のべている。
 しが、どのような、しこうせいをもっても、じゆうだが、しゅうきょうしゃの、にんげんぞうや、きょうぎまで、じぶんのすききらいを、きじゅんに、はんだんするのは、てきせつではないだろう。
 にちれんが、「しゅだつそうたい」や、「にちれんほんぶつぎ」などの、ないおうのきょうぎを、いっぱんの、しんとにはかいじせず、きわめて、しょうすうの、もんかにしかしめさなかったことは、じじつとしてみとめられる。
 そのじじつは、たにんのすききらいなどによって、さゆうされるものではない。
 たとえば、しゅだつそうたいや、まんだらほんぞんについて、きょうじした「かんじんの、ほんぞんしょう」を、にちれんは、ときじょうにんに、あたえたが、その「おくりじょう」には、「このしょは、なんおおく、こたえすくなし、みもんのことなれば、ひと、じもくをきょうどうすべきか、たとい、たけんにおよぶとも、さんにん、よにん、ざをならべて、これをよむことなかれ」(どう255ページ)と、どうしょうを、けっしておおくのひとに、よませてはならないと、きびしくいましめている。
 にちれんが、「しゅうきょうのごこう」について、「ぎょうじゃ、ぶっぽうをひろむるようじんをあかさば、それ、ぶっぽうをひろめんと、をもはんものは、かならず、ごぎをそんして、しょうほうをひろむべし、ごぎとは、ひとつには、きょう、にには、き、さんには、じ、よんには、こく、ごには、ぶっぽうるふの、ぜんごなり」(どう453ページ)とのべているとおり、ぶっぽうのぐつうは、きょうりのないようはもちろん、あいての、のうりょく、きこん、じだいや、こくどのじょうきょうなどを、そうごうてきに、かんあんして、なされるものであり、だれに、たいしても、いちりつの、ないようがかいじされるものではない。
 あいてによって、ことなるきょうじが、なされることには、それだけのりゆうと、しゅうとうな、はんだんがあるのであり、その、たようなげんごひょうげんに、ついて、「にじゅうきじゅん」、「ひみつしゅぎ」などと、ひなんめいたげんじを、ろうすることじたいが、すじちがいであり、じしんのせんりょを、しめすものというほかない。
 「だいちえの、ものならでは、にちれんがぐつうの、ほうもんふんべつしがたし」、「あぶつぼうあまごぜんごへんじ」、(ごしょ1307ページ)のことばを、おもくうけとめるべきであろう。


 みやたしが、ぶっきょうのきょうぎについても、じしんのしゅかんてき、りかいを、きじゅんに、はんだんしていることは、しの、しょろんぶんの、ずいしょにうかがえる。
 たとえば、そうもくじょうぶつについても、しは、「ひせいぶつである、くさきが、ほとけになる=しゅぎょうもなしで、じょうぶつできるという、しんぴしそうは、まったくりかいできず、にちれんが、たましいをこめたから、まんだらほんぞんが、ほとけのとうたいとなるという、しんぴしそうも、りかいできなかった」、(SGIかっこくの、HPのきょうぎ、しょうかいのさいに、ついて)と、のべ、そうもくじょうぶつの、ほうりを、しんぴしそうであるとして、ひていしている。
 そうもくじょうぶつとは、そうもくや、がんせきなど、かんじょうや、いしをもたないそんざいと、かんがえられてきた「ひじょう」の、そんざいも、じっかいのとうたいとして、ほとけとなりうるというほうりであり、いちねん3000の、ようそである、こくどせけんの、がいねんとむすびついている。
 そうもくじょうぶつは、いちねん3000の、ほうもんのぜんていであり、にちれんじしんも、「かんじんのほんぞんしょう」で、みょうらくたいしの、「いっそう、いちぼく、いちれき、いちじん、かく、いち、ぶつしょう、いちいんがあり、えんりょうをぐそくす」のもんをひいて、かくにんしている、(ごしょ239ページ)。
 てんだい、みょうらく、にちれんが、いっかんして、いじしてきた、そうもくじょうぶつのほうりを、しんぴしそうというひとことで、はいじょしたならば、さんせけんのなかの、こくどせけんを、ひていすることになって、いちねん3000のほうすうが、じょうじゅせず、「いちねん2000」になってしまう。
 みやたしにとっては、てんだい、みょうらく、にちれんがぶっきょうの、こんぽんきょうぎとしてきた、いちねん3000のほうりよりも、じしんのしゅかんてき、はんだんのほうが、じょういに、いちづけられている。
 「わたしは、ごうりしゅぎしゃである」、(にっこうのきょうがくしそうのしょもんだい〈2〉)としてご、うりしゅぎしゃを、ひょうぼうする、みやたしは、ごうりせいを、じゅうしし、りせいで、とうひをはんだんできない、しそうは、しんぴしそうとして、はいじょする、たちばに、たつようである。
 しかし、せかいは、りせいですべて、かいめいできているわけではなく、さいせんたんの、かがくによっても、みちの、りょういきはいくらでもある。
 りせいを、おもんずることは、ただしいたいどだが、にちれんも「さんしょう」の、ひとつとして「りしょう」をあげている、どうじに、りせいのげんかいを、にんしきしておくことも、じゅうようである、(ソクラテスの「むちのち」は、そのいみにおいて、りかいすることもできよう)。
 りゅうじゅや、てんだいの、ちょじゅつにある、「ごんごどうだん、しんぎょうしょめつ」ということばも、せかいをつらぬく、しんりが、げんごや、にんげんせい、しんのちからでは、はあくし、ひょうげんできないことを、しめしている。
 りせいが、はんだんできないものを、すべてきょぜつするという、りせい、しじょうしゅぎでなく、にんげんの、りせいでは、はあくできないものがあり、げんざいは、ただしいちしきとされているものも、ぜったいてきなものではなく、みらいには、あやまりとされて、しゅうせいされる、かのうせいがあることを、みとめる、けんきょさが、ひつようではなかろうか、ちなみに、しょくぶつもれっきとした、せいぶつであり、みやたしが、「ひせいぶつである、そうもく」としているのは、あきらかなあやまりである。
 また、しは、そうもくじょうぶつについて、「しゅぎょうもなしで、じょうぶつできる」ことと、しているが、じぎょうけたにわたって、しょうだいにはげむ、ぶつどうしゅぎょうは、にんげんのみがなしうることであり、にんげんいがいの、どうぶつは、おこなうことはできない。
 そのてんでは、どうぶつもしょくぶつと、どうれつである。
しは、ぶつしょうが、あるのは、にんげんだけで、にんげんいがいの、どうぶつには、ぶつしょうはないとするのであろうか。


 さいきんの、ウイルスがくの、ちけんによれば、せいぶつとひせいぶつの、くべつはあいまいになっており、(せいぶつと、ひせいぶつを、げんみつにくべつできない)、うじょうとひじょうの、りょうしゃを、ほうがんして、ばんぶつを、せいめいのとうたいとして、はあくしようとする、いちねん3000のしそうは、むしろ、げんだいの、がくもんからも、しじされるものに、なっているとおもわれる。
 そうもくじょうぶつの、ほうりは、げんだいのがくもんの、ほうこうせいとがっちしており、けっして、りかい、ふのうなしんぴしそうなどではない。
 かくじんの、りかいが、はんだんのきじゅんであるという、そうたいしゅぎてきたちばに、たつ、しは、じぶんがりかいできないものは、すべてはいじょし、ひていしているようである。
 しかし、ほけきょうは、「ほとけの、じょうじゅしたまえるところは、だいいち、けうなんげのほうなり、ただ、ほとけとほとけとのみ、いまし、よく、しょほうのじっそうをくじん、したまえり」(ほけきょう108ページ)、
「また、しゃりほつにつぐ、むろ、ふしぎの、じんじん、みみょうの、ほうを、われは、いますでに、そなええたり、ただ、われのみ、このそうを、しれり、じっぽうのほとけも、また、しかなり」(どう111ページ)と、とき、ほとけが、ごだつした、じんじんのほうは、ほとけのみがしりえるものであって、しょうもん、えんがく、ぼさつなどでは、しりえないものであるとしている。
 「ごんごどうだん、しんぎょうしょめつ」の、ことばとどうよう、ほとけのさとったほうは、にじょうなどが、もちいる、ごうりてきはんだんりょくを、ちょうえつしたものであるとするのである。
 そのゆえに、ぶっぽうのりょうかいは、ちえだいいちの、しゃりほつですら、じしんのちえではなく、ほうにたいする、しんによって、はじめてかのうになると、とかれる(「いしんとくにゅう」)。
 それにたいし、じぶんのりせいてきはんだん、りかいできないものを、すべて、しんぴしそうとして、ひていするたいどでは、ざいしょうしょうめつ、(しゅくめいてんかん)やにんげんかくめい、あるいはいのりのちからということも、うけいれられないものとなるのではなかろうか。
 およそ、しゅうきょうとは、みょうほうといい、かみというなど、こしょうは、さまざまであるとしても、しごのもんだいをふくめて、じんちをちょうえつした、なにものかをしんずることに、ほかならない。
 それゆえに、りせいではんだんできないものは、ぜんめんてきにはいじょするという、たんじゅんせんぱくな、ごうりしゅぎに、とどまっていたのでは、けっきょくのところ、しゅうきょうをとりあつかうことは、ふかのうとなろう。
 げんだいじんであるいじょう、かくじの、ごうりてきりかいで、ものごとをはんだんしていくのは、とうぜんだが、どうじにりせいは、ばんのうではなく、せかいには、りせいのちからでは、はあくできないりょういきがあり、また、かくじのはんだんが、あやまったものとして、つねにしゅうせいされる、かのうせいがあることを、しらなければならない。
 そのにんしきをもたず、じこのりかいが、つねにただしいものとして、じこのけんかいにこしつし、たしゃからの、ひはんをきょひして、じぶんを、とっけんてき、たちばにおくことは、ひとつのごうまんとして、ひていされよう。
 ぶっきょうにおいては、ほとけやししょうのおしえよりも、じぶんのはんだんを、ゆうせんさせるたいどが、けんちょな、ぜんしゅうにたいし、「さっぶつさっそ」〈りんざいぎげん〉という、ぜんしゅうのことばは、しょうちょうてきである、てんだいだいしは、『まかしかん』で、「いこきんぶつ・・・(おのれ、ほとけにひとしとおもう)」と、してきびしくはしゃくした。
 じこのりかいを、いっさいのきじゅんにするしせいは、てんだいの、このひはんにあたるおそれがあるとおもわれる。


  • [206]
  • みやた、ろんぶんへのぎもん 3、すだはるおし

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月26日(土)02時06分17秒
 
4 にちれんほんぶつろん。
こんかいの、みやたろんぶんの、じゅうようなテーマは、にちれんほんぶつろんと、おもわれる。
 しは、「こんかいの、かいそくかいせいは、ひょうめんてきには、たんに、、『いちえんぶだいそうよの、だいごほんぞん』を、じゅじのたいしょうから、はずしただけで、にちれんほんぶつろんを、けいしょうしていると、いうてんで、まだ、にちれんしょうしゅうの、えいきょうが、のこっていると、いっぱんにはおもわれているようだ」と、のべていることから、いっぱんろんの、かたちをかりながら、そうかがっかいが、にちれんほんぶつろんを、けいしょうしていることは、にちれんしょうしゅうのえいきょうの、ざんしであるという、にんしきをもっているようである。
しは、「あたらしい、にちれんほんぶつろんを、こうちくするひつようがある」、とものべているが、しが、これまではっぴょうしてきた、ほかのろんぶんをみるかぎり、しは、にちれんほんぶつろんを、だっきゃくして、しゃかほんぶつろんをめざす、しこうせいをもっているように、みうけられる。

①にちれんほんぶつろんは、カルトのりゆうとなるか。
たとえば、ろんぶん、「SGIかっこくの、HPのきょうぎしょうかいのさいについて」で、みやたしは、「わたしは『にちうのきょうがくしそうの、しょもんだい』において、にちれんほんぶつろんに、かんして、かならずしも、そうかがっかいが、さいようするひつようがないことを、がくもんてきりゆうと、かいがいふきょうという、2つのりゆうからのべた」と、にちれんほんぶつろん、ふさいようのたちばを、めいかくにしている。
 まず、かいがいふきょうの、めんについて、しは、どうろんぶんで、つぎのようにのべている。
 「にほん、こくないにおいては、にちれんしょうしゅうは、700ねんのれきしがあり、にちれんほんぶつろんを、しゅちょうしても、カルトだんたいとは、しゃかいてきに、にんていされないが、せかいのぶっきょう、ぜんたいのなかで、しゃくそんいがいの、れきしじょうの、じんぶつを、しゃくそんより、じょういのほとけとして、しゅちょうすることは、ほかの、ぶっきょうしゅうはから、さらには、しょがいこくのぶっきょうしょはが、かめいする、ぶっきょうきょうかいからは、ぶっきょうてき、しゅちょうとは、みなされず、そのことが、しゃかいてきに、SGIをひぶっきょうだんたいと、にんていする、こんきょとなるだろう。
 だいにちにょらいや、あみだにょらいは、れきしじょうのほとけではないから、それらを、ほんぶつとする、ぶっきょうしゅうはは、さほどもんだいされることもなく、またダライ・ラマが、かんのんぼさつの、けしんであるというしんこうは、まだ、しゃくそんより、かいのぼさつであるから、きょようはんいである。
 しかし、にちれんは、れきしじょうのじんぶつであり、にちれんほんぶつろんは、そのにちれんを、しゃくそんより、じょういのほとけとして、しゅちょうすることであるから、かいがいの、SGIのうんどうを、カルトひはんという、きょういにさらす、かのうせいがある。
 にちれんほんぶつろんを、となえることが、そのままカルトと、にんていされるきけんに、むすびつくという、ろんしには、どういしがたい。
 げんざい、にほんの、そうかがっかいは、「かいそく」や、「ごきねんぶん」に、あきらかなように、にちれんが、まっぽうのほんぶつであるとの、きょうぎをけんじしており、せかいかっこくの、SGIそしきも、にほんのそうかがっかいと、ことなるきょうぎを、となえているわけではない。
 それにもかかわらず、どこかのくにの、SGIそしきが、にちれんほんぶつろんを、かかげているという、りゆうで、カルトにしていされたという、じつれいはない、フランスせいふが、フランスSGIを、カルトしていしているのは、べつのりゆうによる。
また、あるくにの、ぶっきょうきょうかいが、にちれんほんぶつろんを、りゆうにして、SGIを、ひぶっきょうだんたいと、にんていしたぐたいれいも、ないのではなかろうか。
 あとに、のべるように、にちれんほんぶつろんは、にちれんじしんが、げんめいし、にっこうもんりゅうから、こんにちのそうかがっかいにまで、けいしょうされてきた、にちれんぶっぽうの、こんぽんきょうぎである。
 そのきょうぎを、となえることだけを、りゆうにして、しゃかいてきに、ていちゃくしている、しゅうきょうそしきを、ただちに、カルトにしていするような、そぼうなけっていを、おこなうことは、「しんきょうのじゆう」を、ほしょうしている、きんだいこっかでは、つうじょう、かんがえられないのでは、なかろうか。
 まんいち、とくていの、せいふや、だんたいが、にちれんほんぶつろんの、きょうぎが、カルトにあたるとの、ひはんをくわえてきたばあいには、ねばりづよく、それにはんろんし、せっとくしていけば、よいだけのことである。
 じっさいには、おきてもいない、カルトひはんを、おそれてじこのかくしんてききょうぎを、すてさることは、きょうだんとして、しゅうきょうてきじさつにも、ひとしい、あやまりと、いわなければならない。
 にちれんほんぶつろんとは、きほんてきには、しゃかぶつを、しょうぞうじだいの、ほんぶつとし、にちれんを、まっぽうのほんぶつとする、たちばであるが、それはけっしてしゃくそんを、おとしめるものではない。
 ばんみんを、ひとしくきゅうさいしようとした、しゃくそんのせいしんは、きょうてんとしては、いっさいしゅじょうの、じょうぶつをといた、ほけきょうに、たいげんされていると、にちれんはどうさつした。
 そして、その、ほけきょうのせいしんは、ちゅうごく、にほんにおいては、てんだいたいし、でんぎょうたいしに、けいしょうされ、まっぽうにおいては、にちれんが、それをうけついでいる。
にちれんが、「けんぶつみらいき」で、ひょうめいした、「さんごくよんし」とは、しゃくそん、てんだい、でんぎょう、にちれんという、けいふにこそ、ぶっきょうのほんりゅうが、ながれとおっているとの、せんげんにほかならない。
 こんげんの、ほうを、かくちしたほとけのさとりにおいては、しゃくそんも、にちれんも、どういつであり、おそらくは、てんだいもでんきょうも、それぞれの、じだいや、しゃかいじょうきょうにおうじて、とかれた、きょうほうのそういが、あるに、すぎないからである。
 にちれんぶっぽうが、ぶっきょうほんらいの、しそうをけいしょうしていることを、せかいに、むけて、めいかくに、きょうちょうしていくならば、SGIにたいして、カルトとのひはんが、しょうずることは、ほとんどないであろう。
 あらゆる、ほとけのおしえにも、しょうほう、ぞうぼう、まっぽうという、、ときのくぶんがあるということは、ぶっきょういっぱんのつうきである。
 すべての、ほとけのおしえも、それぞれのじだいに、たいおうしたものであるから、はじめは、ゆうこうであっても、しょうほうじだい、じだいのへんかとともに、しだいにけいがいかし、ぞうぼうじだい、やがて、しゅじょうをきゅうさいする、ちからがまったく、そうしつする、じだい、まっぽうが、とうらいする。
それは、しゃかぶつも、れいがいではない。
 ほけきょうをふくめて、、おおくのきょうてん、であくせまっぽうの、とうらいが、とかれるゆえんである。
 せかいに、ほとけは、しゃかぶつ、いちぶつしか、そんざいしないとする、しょうじょうぶっきょうにたいし、うちゅうには、むすうのほとけが、そんざいするというのが、だいじょうぶっきょうの、せかいかんである。
 したがって、ある、ほとけのおしえが、ゆうこうせいをうしなったときには、べつのほとけによって、しゅじょうがきゅうさいされる、どうりとなる。
 じっさいに、ほけきょう、ほうべんぽんでは、「みらいぶつしょう」で、みらいには、むすうのほとけが、しゅつげんするととき、しゃかぶつのめつご、がんぜんに、ほとけをみることができずに、ひとびとが、ほうをしんずることが、できないじだいには、ひとびとは、たのほとけに、であうことによって、ほうをしんじることが、できると、といている。・・・そうかがっかいばんほけきょう125㌻。
 「つまり、ほけきょうは、しゃかぶつだけを、きょうしゅとする、たちばをとらず、みらいには、たのほとけによって、しゅじょうがきゅうさいされていくことを、そうていしている。
 ちゅうりゃく・・・そこからのちの、じんりきほんで、てんかいされる、『きょうしゅのこうたい』という、しそうがうまれてくると、かいせられる」せっちょ、・・・『しんほけきょうろん』54㌻。
 したがって、しゃかぶっぽうによって、しゅじょうを、きゅうさいできないじだいにおいては、しゃかぶつにかわって、あらたなきょうしゅが、しゅつげんするということは、ほけきょうじたいが、そうていしていたことであり、なにも、きいな、しそうではない。
 そのいみでも、にちれんほんぶつろんが、カルトとされる、きけんをまねくという、いけんはけんとうはずれというべきであろう。

②にちれん、じしんによる、にちれんほんぶつろん。
みやたしは、またつぎのようにいう。
「にちれん、ほんぶつろんが、にちれんじしんの、じゅうような、しゅちょうであるならば、だんあつかくごで、そのしゅちょうをいじすることが、しゅうきょうてき、しめいであると、おもうが、にちれんじしんの、しんせき、いぶんや、しんらいできる、じきでししゃほんにも、そのような、しそうのけいせきが、みられないのであれば、そのような、こうだいに、はせいしたと、おもわれる、きょうぎのために、だんあつをうけるのは、せかい、こうせんるふのためには、しょうがいにしかならない」。
SGIかっこくの、HPのきょうぎしょうかいの、さいについて。
 しは、にちれんほんぶつろんの、けいせきが、にちれんじしんの、しんせきいぶんにも、しんらいできる、じきでししゃほんにも、みられないとだんじているが、そのような、にんしきは、あまりにもずさんであり、あきらかな、あやまりである。
 むしろ、にちれんの、しんせきや、じきでししゃほんが、あるごしょにおいて、にちれんほんぶつぎを、めいかくに、うかがうことのできるもんは、いくつもあげることができる。
 まず、にちれんが、じしんをしゅししんの、さんとくを、そなえるそんざいであると、せんげんしているもんが、しんせきいぶんに、ふくすうそんざいする。
 にちれんの、しんせきのだいぶぶんが、そんざいし、にっこうと、にちだい、にっこうのまごでしの、しゃほんがある「せんじしょう」に、または、「にちれんは、とうていのふぼ、ねんぶつしゃ、ぜんしゅう、しんごんしとうが、しはんなり、またしゅくんなり、しかるを、かみいちにんより、しもばんみんにいたるまで、あだをなすをば、にちがついかでか、かれらが、いただきを、てらしたまうべき、ちじんいかでか、かれらのあしをいただき、たまうべき」ごしょ、256ページの、もんがある。
 また、しんせきのだんかんが、かくちに、しょぞうされている、「いちのさわ、にゅうどうごしょ」には、「にちれんは、にほんこくのひとびとの、ふぼぞかし、しゅくんぞかし、みょうしぞかし、これをそむかんことよ」どう1330ぺーじと、のべられている。
 これらは、しゅししんの、さんとく、すべてを、にちれんじしんが、そなえることを、めいじした、もんであるが、しゅししんの、ここのとくを、そなえることを、しめしたもんは、「しんごん、しょしゅういもく」しんせき11、しかんそんの「にちれんは、にほん
こくのひとのためには、けんふなり、せいしんなり、どうしなり」どう140㌻のもんや、しんせきが、かつて、そんざいして、いたことが、めいかくになっている、「おうしゃじょうのこと」の、「かうもうすは、こくしゅの、ふぼ、いっさいしゅじょうの、ししょうなり」どう1137㌻の、もんなど、いくつかの、しょもんをみることが、できる。
 にちれんは、しゅししんの、さんとくを、そなえるそんざいこそが、ほとけであるとのにんしきに、たっていた。
 そのことは、しんせき15しが、かんそんする、「いちだい、ごじけいず」に、しょうあんたいしの、「ねはんきょうじょ」のもんをひいて、「いったいのほとけ、しゅししんとなる」どう629ページと、のべていることにも、あきらかである。
 しゅししんの、さんとくを、ほとけのとくしつとすることは、「ねはんきょうじょ」につぎのように、めいじされている。
「たんたんさんごうしゃ、ほつみょうさんじ。しょたんにょらい。いんどうしょぶつ、しょうごそんぎょう。ぜいせぶ。おうぐしゃ。ぜじょう、ふくでんのうしょう、ぜんごう。ぜいせしゅ。しょうへんちしゃ。のうはぎたい、しょうごちげ。ぜいせしゅ。こげもんもんうん。がとうじゅう、こんむしゅむしん、むしょしゅう、ごううんぬん」(たいしょうぞう38かん45)。
 このように、しゅししんのさんとくの、かんてんからみても、にちれんが、じしんをほとけ(きょうしゅ)として、じかくしていたことがわかる。
 つぎに、しゅししんの、さんとくのぶんみゃくを、はなれた、かんてんからも、にちれんじしんに、にちれんほんぶつろんが、あることを、うかがわせるもんは、すくなくない。
 その、いったんをあげるならば、たとえば、「せんじしょう」に、「だいばだったは、しゃくそんのおんみに、ちを、いだししかども、りんじゅうのときには、なむと、となえたりき、ほとけとだに、もうしたりしかば、じごくにはおつべからざり、ただし、ごうふかくして、ただ、なむとのみ、となへてほとけとは、いはず、いま、にほんこくの、こうそうらも、なむにちれんしょうにんと、となえんとすとも、なむばかりにてや、あらんずらん、ふびんふびん」(どう297ページ)のもんがある。
「なむにちれんしょうにん」のことばは、にちれんじしんを、なむ、(きみょう)のたいしょう、すなわち、にんほんぞんときていしている、みょうもんである。
 そのちょくごには「げてんにいわく、みぼうをしるを、しょうにんという、ないてんにいわく、さんぜをしるを、しょうにんという、よに、さんどのかうみようあり」として、さんかいにわたる、よげんてきちゅうの、じじつをもって、にちれんが「しょうにん」であることを、しる、べきであるとする。
 「しょうにん」とは、いうまでもなく、ほとけのべっしょうである。
 つまり、このもんも、にちれんが、ほとけであることの、せんげんになっている。
「せんじしょう」に、じしんを、「にほん、だいいちの、だいにん」、「いちえんぶだい、だいいちの、ちじん」と、することについて、「げんに、すぐれたるを、すぐれたりということは、まんに、にて、だいくどくなりけるか」(どう289ページ)とのべていることも、にちれんじしんによる、にちれんほんぶつろんの、ひょうめいと、かいすることができよう。
 また、「だいどうし」「だいしょうにん」の、こしょうについては、にっこうのしゃほんがある、「よりもと、ちんじょう」には、「ごの、ごひゃくさいの、だいどうし」(どう1157ページ)とあり、しんせきの、だんかんが、げんそんし、にっこうの、しゃほんがある、「ひょうえさかんどのごしょ」には、「よ、まつになりて、ぶっぽうあながちに、みだれば、だいしょうにん、よに、いずべしとみへて、そうろう」8どう1095ぺーじ)とある。
さらに、しんせきのだんかんが、かくちにあり、かつては、18しのしんせきが、そんざいしていた、きろくが、のこっている、「ほうれんしょう」には、「まさに、しるべし、このくにに、だいしょうにんありと、また、しるべし、かのしょうにんを、こくしゅ、しんぜずということを」(、どう1053ページ)と、のべられている。
 「だいどうし」、「だいしょうにん」は、ほとけをさす、ことばであるから、これらのもんも、にちれんじしんが、まっぽうのきょうしゅ、ほんぶつであるとの、じこ、にんしきに、たっていたことを、うかがわせるものに、なっている。
 さらにめいかくなのは、あつはらほうなんのさいに、にちれんがはくがいの、とうじしゃである、にちべん、にっしゅうに、かわって、しっぴつした、「りゅうせんじ、もうしじょう」のもんである。
 ほんしょうは、ぎょうちがわの、そじょうにたいこうして、ほうじょうとくそうけ、くもんじょに、ていしゅつすべく、にっこうのでしで、ある、にっしゅう、にちべんの、なで、さくせいされた、ちんじょう、とうべんしょである。
 しょめいには、「もうしじょう」とあるが、じっさいには、そじょうにたいこうして、さくせいされた、「ちんじょう」である。
 ぜんはんは、にちれんじしんが、しっぴつし、こうはんは、ときじょうにんの、しっぴつによる、(しんせき11し、ならびに、ぼうとうべっし、2ぎょうかんそん)。
ほんしょうは、にっしゅう、にちべんという、でしが、おおやけのきかんにあてて、ていしゅつする、こうぶんしょのぶんあんである。
 それを、にちれんが、しっぴつしたということは、にちれんじしんによ、るにちれんのきゃっかんてきな、いちづけが、しめされて、いるということになる。
 このように、ほんしょうは、にちれんの、たいがいてきな「じこにんしき」が、めいじされているという、いみで、じゅうような、いぎをもつ。
 ふつうの、しょかんのばあい、そこには、しょかんのあいての、ぶっぽうりかいのていどにおうじた、はいりょが、ひつようとなるが、ほんしょうは、こうぶんしょであるため、そのような、はいりょは、ひつようではない。
 また、にちれんじしんの、なまえで、しっぴつするばあい、じしんについて、しばしばけんじょうの、ひょうげんが、みられるが、ほんしょうは、まごでしである、にちべん、にっしゅうの、なまえで、とうきょくにていしゅつする、もんじょであるから、けんじょうの、ひょうげんをとる、ひつようもない。
 そのいみで、いっぱんの、ごしょとは、ことなって、「りゅうせんじ、もうしじょう」には、さまざまな、はいりょを、はぶいた、にちれんじしんの、しんいが、あらわれていると、みることができる。
 すなわち、ほんしょうの、にちれん、しんぴつぶぶんには、「ほんしは、あに、しょうにんなるかな」、(どう850ページ)、「ほっしゅしょうにん、ときをしり、くにをしり、ほうをしり、きをしり、きみのため、しんのため、かみのため、ほとけのため、さいなんを、たいぢせらるべきのよし、かんがえもうす」、どうぺーじのもんがある。
 にちれんが、じしんについて、「ほっしゅ」とめいげんしている、いぎは、じゅうだいである。
 「ほっしゅ」とは、きょうに「せそんを、ほっしゅとなす」とあるとおり、ほんらい、ばんにんを、きゅうさいする、ほうをきょうじする、ほとけ、きょうしゅをさすことばであるから、にちれんが、じしんを、まっぽうのきょうしゅ、ほんぶつと、めいかくに、じかくしていたことを、しめす、もんしょうといえよう。

③にちれんが、まっぽうのきょうしゅ、ほんぶつであるゆえん。

 にちれんが、じしんを、まっぽうのきょうしゅほんぶつであると、せんげんできた、ゆえんはなにか。
 それは、にちれんこそが、まっぽうの、ばんにんをきゅうさいする、なんみょうほうれんげきょうの、たいほうをはじめて、いっさいしゅじょうに、たいして、きょうじし、ぐつうした、しゅたいしゃだからである。
 じっさいに、にちれんいがいに、なんみょうほうれんげきょうの、しょうだいを、ひとびとに、おしえ、なんみょうほうれんげきょうを、もんじまんだらに、あらわして、ばんにんが、らいはいする、ほんぞんとして、じゅよした、そんざいはない。
 まさに、にちれんを、はなれて、なんみょうほうれんげきょうの、ぶっぽうは、そんざいしない。
「ほうおんしょう」に、「にちれんが、じひこうだいならば、なんみょうほうれんげきょうは、まんねんのほか、みらいまでもながるべし」、(どう329ページ)とあるように、なんみょうほうれんげきょうの、ぶっぽうのえんげんは、あくまでも、にちれんにあるのであり、「しゃくそんが、じひこうだいならば」と、なっていないことに、りゅういしなければならない。
 にちれんが、なんみょうほうれんげきょうを、はじめて、ぐつうした、きょうしゅであることについては、「せんじしょう」に、「なんみょうほうれんげきょうと、いっさいしゅじょうに、すすめたるひと、いちにんもなし、このとくは、たれか、いってんに、まなこをあわせ、しかいに、かたをならぶべきや」(どう266)とのべられている。
 しゃかぶつは、もんじょうの、ほけきょうのきょうしゅで、あっても、なんみょうほうれんげきょうを、といてはいないので、なんみょうほうれんげきょうの、きょうしゅには、ならない、さらにいえば、くおんじつじょうの、しゃかぶつといっても、しょせんは、ほけきょうせいさくしゃが、そうぞうした、かんねんにすぎず、いつ、どこに、しゅつげんしたという、ぐたいせいを、もたない、かくうのそんざいでしかない。
 そのいみでは、あみだにょらい、だいにちにょらい、やくしにょらいなどと、どうれつである。
 「しょほうじっそうしょう」で、「しゃか、たほうの、にぶつというも、ゆうのほとけなり。
 (ちゅうりゃく)ほとけは、ゆうのさんじんにして、しゃくぶつなり」〈どう1358ページ〉として、しゃかぶつをも、しゃくぶつであると、だんじている、ゆえんである。
 にっこうの、しゃほんがある、「うえのどのごへんじ」、(まっぽうようほうごしょ)に、「いま、まっぽうに、はいりぬれば、よきょうも、ほけきょうもせんなし、ただ、なんみょうほうれんげきょうなるべし、かう、もうし、いだしてそうろうも、わたくしの、はからいには、あらず、しゃか、たほう、じっぽうのしょぶつ、じゆせんがいの、おはからいなり、この、なんみょうほうれんげきょうに、よじをまじへば・ゆゆしき、ひがごとなり」(どう1546ページ)とあるように、しゃかぶっぽうの、きゅうさいりょくが、うしなわれた、まっぽうにおいては、もんじょうのほけきょうを、いかにぎょうじても、なんのちからにも、ならない。
 なんみょうほうれんげきょうのみが、まっぽうのしゅじょうを、じょうぶつせしめるようほうと、なるのである。
 ただし、みやたしは、この「かう、もうしいだして、そうろうも、わたくしの、はからいにはあらず、しゃか、たほう、じっぽうのしょぶつ、じゆせんがいの、おはからいなり」のもんについて、「このしゅちょう、「いま、まっぽうに、はいりぬれば、よきょうもほけきょうも、せんなし、ただ、なんみょうほうれんげきょうなるべし」という、にちれんのしゅちょう、いんようしゃのこんきょを、『ほけきょう』に、もとめている」うるしばたせいぜんろんぶん、「そうかだいがくきょうじゅ・みやたこういちの、『にちうの、きょうがく、しそうの、しょもんだい』を、はしゃくせよ」を、けんとうすると、のべているが、それはごかいであろう。
 なんみょうほうれんげきょうだけが、しゅじょうを、きゅうさいできる、たいほうであるという、にちれんのしゅちょうは、もんじょうの、ほけきょうを、こんきょにして、(ほけきょうに、いそんして)、はじめて、せいりつするものではない。
 いわば、ほけきょうが、あろうとなかろうと、せいりつする、えいえんふへんの、しんりである。
 その、しんりは、にちれんが、かってにしゅちょう、しているものではなく、もんじょうの、ほけきょうも、しょうにんするところである、というのが、このもんの、しゅしにほかならない。
にちれんは、もんじょうの、ほけきょうをまなび、しゅぎょうして、みょうほうをさとったのではない。
 「じゃくにちぼうごしょ」に、「にちれんと、なのること、じげぶつじょうとも、いいつべし」(どう903)とあるように、にちれんは、ほけきょうなどの、きょうてんや、たしゃのきょうじによっでごだつしたのではなく、みずから、こんげんのみょうほうを、たいとくしたのである。
 このことは、しんせき、だんかんが、げんそんする、「ぜんむいさんぞうしょう」に、「ようしょうのときより、こくうぞうぼさつにがんをたてて、にほんだいいちの、ちしゃとなしたまへ、とうんぬん、こくぞうぼさつがんぜんに、こうそうとならせたまいて、みょうじょうのごとくなる、ちえのほうしゅを、さずけさせたまいき、そのしるしにや、にほんこくの、はっしゅうならびに、ぜんしゅう、ねんぶつしゅうとうの、たいこう、ほぼうかがいひ、はべりぬ」(どう888)とあり、また、しんせきが、かって、そんざいしていた、「きよすみでら、たいしゅうちゅう」に、「しょうしんの、こくぞうぼさつより、だいちえを、たまわりしことありき、にほんだいいちの、ちしゃとなしたまへと、もうせしことを、ふびんとや、おぼしめしけん、みょうじょうのごとくなる、だいほうしゅを、たまいて、みぎのそでに、うけとりそうろういし」、(どう893ページ)とあることからも、あきらかである、(こくぞうぼさつとは、だいうちゅう〈こくぞう〉をつらぬく、ちえのじんかくてき、ひょうげんであるから、にちれん、こしんの、こくぞうぼさつと、いうべきであろう)。

④、にちれんが、しゃかぶつを、せんようしたりゆう
いじょう、のべてきたように、にちれんは、じしんがまっぽうのきょうしゅ、ほんぶつであることを、めいげんするいっぽうで、ごしょの、ずいしょにおいて「きょうしゅしゃくそん」と、しゃかぶつをせんようし、ときには「この、にほんこくは、しゃかぶつのごりょうなり」(どう1449ページ)とまでのべている。
 このてんは、どのように、かんがえるべきであろうか。
 たんてきにいえば、じょうどきょう(ねんぶつ)や、みっきょうがおおきなちからを、もっていたとうじ、ともすれば、あみだにょらいや、だいにちにょらいなどへ、けいしゃしがちなひとびとの、こころをしゃかにょらいに、ひきもどすことによって、ほけきょうがもんていに、おいて、あんじしている、みょうほう、(なんみょうほうれんげきょう)を、ぐつうしようとした、けどうじょうの、ほうべん、せんりゃくとして、りかいすべきであろう。
 このてんは、きょうてんの、じげんにおいて、にちれんが、たのきょうてんにたいして、ほけきょうの、たくえつせいを、くりかえし、きょうちょうしたことと、おなじいぎとかんがえられる。
 にちれんの、けどうにおいては、なんみょうほうれんげきょうを、ぐつうすることによって、いっさいしゅじょうを、じょうぶつへみちびくことが、ほんらいのもくてきであり、もんじょうの、ほけきょうをぐつうすることは、もくてきではない、ほけきょうを、さいしょうのきょうてんとして、せんようし、ぐつうすることは、てんだいやでんぎょうがすでになしたことであり、にちれんは、てんだい、でんぎょうと、、おなじことをおこなおうとしたのではない。
もんじょうの、ほけきょうは、しゅじょうをきゅうさいする、ちからを、そうしつしており、いけだだいさく、そうかがっかい、めいよかいちょうが、「28ほんは、さんだいひほうの、ぶっぽうの、じょぶんとして、るつうぶんとして、もちいるのである」、(きゅうはん、『そうかがっかいばん、みょうほうれんげきょう、ならびにかいけつ』、、じょぶん)とのべているように、もんじょうの、ほけきょうは、あくまでも、なんみょうほうれんげきょうを、ぐつうするための、じょぶん、るつうぶんとして、もちいるにすぎない。
このてんについて、たいせきじ、だい65せい、にちじゅんは、つぎのようにのべている。
 「けつして、しょうにんのごしゅいは、ほけきょうその、ものを、ごぐつうなさるものではない。
 (ちゅうりゃく)、しょうにんが、ほけきょうを、さいだいいちとして、このきょうをおしたてられたのは、ひとつには、しょしゅうのほうぼうを、はするじゅんじょからと、ひとつには、このきょうが、そのけんいをあらはしてこそ、はじめて、まっぽうに、じょうぎょうぼさつと、さんだいひほうとが、しゅつげんする、いんねんが、あきらかになるからである」、『にちじゅんしょうにん、ぜんしゅう』(888ページ)。
 にちれんが、なんみょうほうれんげきょうを、ぐつうするためには、そのぜんていとして、、ねんぶつや、しんごんみっきょうなどの、しょしゅうを、はしゃくしていく、じっせんがひつようであった。
 そのための、ふかけつのぜんていとして、ほけきょうのさいしょうせいを、きょうちょうしたのである。
 ほけきょうを、せんようしたのと、どうように、にちれんは、しゃかぶつを、せんようすることによって、あみだや、、だいにちなどの、しょしゅうのきょうしゅを、しりぞけたといえよう。
 ごじゅうのそうたいの、してんからいえば、なんみょうほうれんげきょうが、ばんにんを、きゅうさいする、こんげんのほうであり、にちれんが、そのみょうほうを、ぐつうする、きょうしゅであるという、しゅだつそうたいの、じげんのりかいを、とうじのみんしゅうに、ただちにもとめることは、こんなんであった。
 そこで、にちれんは、そのおうていの、きょうりに、ひとびとをみちびくための、ぜんていないしは、しゅだんとして、ごんじつそうたい、ほんじゃくそうたいに、あたる、ないようをくりかえし、とかなければならなかった。
 ほけきょう、ならびに、しゃかぶつのせんようは、そのいみにおいて、りかいすべきである。

⑤、まんだらほんぞんの、そうみょうにあらわれる、にちれんのしんい
 ここのもんかを、けどうするための、はいりょ、ほうべんとして、にちれんは、しゃかぶつを、「きょうしゅしゃくそん」と、せんようしたが、にちれんのしんいは、まんだらほんぞんの、そうみょうに、めいりょうにあらわれている。
 にちれんの、しそうをしるためには、ぶんけんをけんとうするだけでは、ふじゅうぶんで、にちれんが、ずけんした、まんだらほんぞんまで、こうさつしなければならない。
 ほんぞんには、ここじんにたいする、はいりょをこえた、にちれんのきょうぎの、しんずいが、しめされているからである。
 にちれんが、はじめて、まんだらほんぞんをずけんしたのは、たつのくちのほうなんにおける、「ほしゃくけんぽん」の、のち、さどに、ごそうされる、ぜんじつである。
 このはじめての、まんだらほんぞんについて、せっちょ『しんぱん、にちれんのしそうと、しょうがい』で、つぎのようにのべた。
 「にちれんは、さどるざいの、しょぶんが、さいしゅうてきに、かくていしたのち、さどにむけて、しゅっぱつするぜんじつの、ぶんえいはちねん、かんなづき、ここのかに、はじめて、もんじまんだらを、ずけんしている。
この、まんだらは、しんぺんに、ふでがなかったためか、『ようじ』でしるされており、とうじは、、やなぎなどの、きのえだのいったんを、かみくだいて、ブラシじょうにし、こうちゅうの、よごれをとるのに、もちいた。
これを、(ふさようじ)とよぶ、そのため『ようじほんぞん』としょうされる(きょうと・りゅうほんじぞう)。
 ちゅうおうに、『なんみょうほうれんげきょう』の、しゅだいが、たいしょされ、そのむかってひだりに、『にちれんかおう』のなが、しめされている。
 さゆうのかたに、ぼんじで、ふどうみょうおうと、あいぜんみょうおうが、しるされているが、しゃかむにぶつ、たほうにょらいをふくめて、のちのまんだらに、しるされている、じっかいのしょそんも、よんだいてんのうも、いっさいかかれていない。
 もっとも、かんりゃくなかたちの、まんだらである。
 しかし、『ぶんえいはちねん、たいさいかのとみ、かんなづき、ここのか』、『そうしゅう、ほんま、えちごうしょこれ』と、ひづけ、および、ずけんのちが、めいきされている。
 ようじほんぞんは、もっともかんりゃくなかたちの、まんだらであるため、その、そうみょうには、にちれんずけんの、まんだらのほんしつが、あらわれている。
 すなわち、このさいしょのもんじまんだらの、そうみょうは、もんじまんだらの、ほんしつてき、ようそが、なんみょうほうれんげきょうと、にちれんかおうにあり、しゃか、たほうの、にぶつは、りゃくされてもよい、はせいてきなものであることを、ものがたっている」(どうしょ207ページ)。
 しゃか、たほうの、にぶつをりゃくした、まんだらは、げんそんする、にちれんしんぴつの、まんだらでも、5ふくをかぞえ、そのなかには、こうあんねんかんに、ずけんされたものもある、まつもとさいちろう、『ふじもんとの、えんかくときょうぎ』(227ページ)。
 にっこうの、しょしゃほんぞんにも、にぶつをりゃくしたものが、そんざいする。
 にちれん、ずけんの、まんだらほんぞんにおいて、つねに、「なんみょうほうれんげきょう、にちれんかおう」と、たいしょされ、これがかけたまんだらは、いちれいもない、いっぽうでは、しゃか、たほうが、りゃくされるばあいが、あるというじじつは、にちれんこそが、なんみょうほうれんげきょうといったいの、ほんぶつ、きょうしゅであることをしめしており、それが、にちれんのしんいであると、かいすべきである。
 もしも、にちれんが、おうていのしんいにおいて、しゃかほんぶつぎに、たっていたならば、まんだらのちゅうおうに「なんみょうほうれんげきょう、にちれん」とかかずに、「なむ、しゃかむにぶつ」と、したためるか、もしくはしゃか、たほうのにぶつを、ならべるかたちに、なっているはずであろう。
 じっさいには、1ぷくとして、そのようなかたちの、まんだらがないところに、にちれんが、しゃかほんぶつぎを、とっていないことが、あらわれている。


⑥、てんだいだいしが、しめす、きょうしゅこうたいの、しそう。
さきに、しゃかぶっぽうの、きゅうさいりょくが、うしなわれた、ばあいには、しゃかぶついがいの、ほとけによって、しゅじょうがきゅうさいされるという、しそうが、ほけきょうのなかに、あるということを、のべたが、てんだいだいしのなかにも、きょうしゅこうたいの、しそうがある。
 それを、たんてきにしめすのが、『ほっけもんぐ』のなかで、しゃかぶつと、ふきょうぼさつのけどうのありかたの、そういをろんじた、つぎのもんである。
 「とう、しゃかは、しゅっせして、ちちゅうしてとかず、じょうふきょうは、ひとたびみて、ぞうじにして、いうはなんぞや。
 こたう、もとすでに、ぜんあるは、しゃか、しょうをもってこれを、しょうごし、もといまだ、ぜんあらざるは、ふきょう、だいをもって、これをごうどくす」(こくやくいっさいきょう461ページ)。
〈げんだいごやく、とう、しゃかは、よにでても、ためらって、ほうをとかなかったが、じょうふきょうぼさつは、ひとをひとたびみると、あいだをおかずに、ほうをといた。
 そのそういに、どのようないみがあるのか。
こたえる。
 しゃかは、もとから、ぜんこんをもっている、しゅじょうにたいし、ちいさなおしえをといて、かれらのぜんこんを、そこなわないように、ようごしたのにたいし、ふきょうぼさつは、もとから、ぜんこんをもたない、しゅじょうにたいし、おおいなるおしえを、といて、しいて、ぎゃくえんによって、かれらを、みちびいたのである、ここではしゃかぶつが、もとからぜんこんをもっている(ほんいうぜん)のしゅじょうにたいし、かれらに、しょうほうを、ひぼうさせて、そのぜんこんをはかいさせないように、はいりょしながら、じゅんえんのほうしきによって、ちいさいおしえを、といたのにたいし、ふきょうぼさつは、もとからぜんこんをもっていない(ほんみうぜん)しゅじょうにたいし、かれらが、しょうほうひぼうの、つみをおかすことを、おそれず、むしろ、かれらに、ほうぼうのつみをおかさせることで、しょうほうにえんをつけていく、ぎゃくえんのほうしきによって、しゅじょうを、けどうしたと、とかれている。
 それをせいりすれば、つぎのようになる。
しゃか・・・ほんいうぜん・・・じゅんえん・・・しょうほう
ふきょう・・・ほんみうぜん・・・ぎゃくえん・・・たいほう

てんだいだいしによれば、しゃかぶつの、けどうは、もとから、ぜんこんをもっている、しゅじょうにたいして、おこなうものであり、はじめから、ぜんこんをもっていない、しゅじょうにたいしては、ゆうこうせいをもたない。
 そのような、しゅじょうにたいしては、ふきょうぼさつのように、より、いだいなほうを、ただちにといて、ぎゃくえんによって、きゅうさいするいがいにない。
 つまり、ぶっぽうの、けどうほうには、しゃかぶつがおこなった、じゅんえんのほうしきと、ふきょうがおこなった、ぎゃくえんのほうしきの、ふたつがあり、ぜんしゃが、むこうになったじだいには、こうしゃを、もちいなければ、ならないということである。
 そのことを、きょうしゅのしてんからいえば、しゃかぶつの、けどうが、むこうになったじだいには、ふきょうにあたる、そんざいが、しゃかぶつにかわって、そのじだいのきょうしゅとなるという、「きょうしゅこうたい」のげんりが、そこにしめされている
 ふきょうぼさつは、しゃかぶつの、じょうどういぜんの、しゅぎょうじだいの、なまえととかれるが、にちれんが、「しゃくそん、わが、いんいのしょぎょうを、ひきのせて、まっぽうのはじめを、かんれいしたもう」、〈ごしょ1371ぺーじ〉とのべているように、
しゃかぶつの、かこせのすがたというかたちをかりて、じっさいには、みらいにしゅつげんする、ほけきょうのぎょうじゃの、じっせんを、しめすものになっている。
ほんいうぜんのしゅじょうが、つきて、ほんみうぜんのしゅじょうだけに、なった、じだいとは、しゃかぶっぽうの、きゅうさいりょくが、うしなわれた、まっぽうに、ほかならない。
 にちれんは、この『ほっけもんぐ』の、もんをひいて、しんせきが、かんそんしている
、「そやにゅうどうどの、もとごしょ」で、つぎのようにのべている。
「いまはすでに、まっぽうにはいって、ざいせのけちえんのものは、ぜんぜんにすいびして、ごんじつの、にき、みなことごとくつきぬ、かのふきょうぼさつ、まっせに、しゅつげんして、どくくを、うたしむるのときなり」(ごしょ1027ページ)。
 にちれんは、さどるざいいこう、じしんと、ふきょうぼさつとの、、いっちをきょうちょうした。
 たとえば、かつて、しんせきが、そんざいしていたことが、あきらかである、「けんぶつみらいき」には、、つぎのように、しるされている。
「れいせば、いおんのうぶつの、ぞうぼうのとき、ふきょうぼさつ、がじんきょうとうの24じをもって、かの、どに、こうせんるふし、いっこくのじょうもくとうの、だいなんを、まねきしがごとし、かの、24じと、このごじと、そのご、ことなりといえども、そのい、これおなじ、かの、ぞうぼうのすえと、このまっぽうのはじめと、まったく、おなじ、かのふきょうぼさつは、しょずいきのひと、にちれんは、みょうじのぼんぷなり」(どう507ページ)。
 にちれんが、じしんが、ふきょうとの、いっちをきょうちょうするのは、にちれんが、ふきょうぼさつと、おなじぎゃくえんのほうしきをもって、ほんみうぜんの、しゅじょうを、きゅうさいしていく、まっぽうのきょうしゅであるとの、かくしんに、たっていたことを、しめしている。
 このように、かいするならば、「そやにゅうどうどの、もとごしょ」、「けんぶつみらいき」は、りょうしゃ、あいまって、にちれんのなかに、にちれんほんぶつろんが、あることを、しめすぶんけんと、いうことができる。
 このりょうしょうは、それぞれ、たんどくでも、にちれんほんぶつろんを、うかがうことのできる、ないようがある。
 「けんぶつみらいき」では、しょうかのおおじしんなどの、てんぺんちようが、ぶっだしゃくそんの、しょうめつのときに、あらわれたずいそうに、ひってきするものであるとし、「まさにしるべし、ほとけのごとき、しょうにんうまれたまわんか」(どう508ページ)と、にちれんが、しょうにん(ほとけ)であることを、しさしている。
また、「そやにゅうどうどの、もとごしょ」には、「よ、つらつらことの、じょうを、あんずるに、だいし(でんぎょうたいしのこと、いんようしゃ)やくおうぼさつとして、りょうぜんえじょうに、じして、ほとけ、じょうぎょうぼさつ、しゅつげんのときを、かねてこれをしるしたもう、ゆえに、ほぼこれを、さとすか、しかるに、よ、じゆのいちぶんにあらざれども、かねてこのことを、しるゆえに、じゆのだいしに、さきだちて、あらあらごじをしめす」(どう1038ページ)と、まっぽうのきょうしゅが、じょうぎょうぼさつであることを、しめし、けんそんのひょうげんながらも、にちれんが、みょうほうごじをぐつうする、きょうしゅであることを、あかしている。
 てんだいだいしが、しゃかぶつにかわる、あたらしいほとけの、しゅつげんをよけんしたもんは、さきにひいた、しゃかと、ふきょうをたいひした、もんだけではない。
 ほけきょう、ほうとうほんで、しゃか、たほうの、にぶつが、ほうとうのなかで、びょうざしたと、とかれることについて、てんだいは、『ほっけもんぐ』で、「ぜんぶつ、すでにこし、こんぶつならびに、ざす、とうぶつも、またしかなりと」、(こくやくいっさいきょう359ページ)とのべている。
 「ぜんぶつ」とは、たほうにょらいであり、「こんぶつ」とは、しゃかむにぶつである。
 てんだいは、たほう、しゃかとならんで、みらいのほとけ、とうぶつも、ほうとうのなかに、すわるというのである。
 すなわち、てんだいは、くおんじつじょうの、しゃかぶつも、えいえんふめつのそんざいととらえず、みらいには、あらたなほとけが、しゅつげんすることを、よげんしている。 じっさいに、ほけきょうは、じゅりょうほんで、しゃかぶつの、ごひゃくじんでんこうの、じょうどうを、ときながら、つぎの、ふんべつくどくほんでは、そのしゃかぶつも、えいえんふめつの、そんざいではなく、ほとけの「めつご」があることを、きょうちょうし、「あくせまっぽう」のとうらいを、といている。
 てんだいのどうさつは、このふんべつくどくほんの、しゅしにも、がっちしていることが、りかいできよう。
 この、『ほっけもんぐ』のもんは、にちれんが「おんぎくでん」で、ほうとうほんをろんじた、ぼうとうにいんようしているもんである。
 みやたしは、「おんぎくでん」、「ごこうききがき」を、こうせいのぎさくとして、ぜんめんてきに、はいじょするたちばにたっているが、それは、てきせつとはおもわれない。 「おんぎくでん」、「ごこうききがき」は、にちれんのしそうを、うかがうためのじゅうようしりょうとして、もちいるべきである。
 しゅうちのように、にちれんは、しゃか、たほうの、にぶつが、びょうざする、こくうえのようそうを、もちいて、まんだらほんぞんを、ずけんしたが、さきの、『ほっけもんぐ』のもんを、まんだらほんぞんの、そうみょうにあてはめるならば、しゃか、たほう
と、どうように、ほうとうのなかにすわる、「とうぶつ」みらいの(ほとけ)とは、にぶつのといの、ちゅうおうに、たいしょされる、「なんみょうほうれんげきょう にちれん」にほかならない。
 そのそうみょうは、しゃか、たほうが、「なんみょうほうれんげきょう にちれん」のきょうじになることを、いみしている、このことは「ほうおんしょう」に、「いわゆる、ほうとうのうちの、しゃかたほう、ほかのしょぶつ、ならびに、じょうぎょうとうの、しぼさつ、きょうじとなるべし」〈ごしょ328ぺーじ〉とのべられている。

⑦ぶっきょうの、とうぜんと、せいかんぶっきょう、こうたいのげんり。
にちれんは、しょうぞうに、ぶっきょうが、インドからちゅうごく、にほんへと、とうぜんしたことにたいし、まっぽうには、ぶっきょうが、にほんからインドへと、せいかんすることを、きょうちょうした。
 たとえば、「けんぶつみらいき」には、つぎのようにとかれている。
「つきはにしよりいでて、ひがしをてらし、ひはひがしよりいでて、にしをてらす、ぶっぽうもまたもって、かくのごとし、しょうぞうには、にしよりひがしにむかい、まっぽうには、ひがしよりにしにゆく」(どう508ページ)。
「のち、500さいのはじめに、あいあたれり、ぶっぽう、かならず、とうどの、にほんより、いづべきなり」(どう)
また、「かんぎょうはちまんしょう」の、しんせきぶぶんには、つぎのようにある。
 「てんじくこくをば、がっしこくともうすは、ほとけのしゅつげん、したまうべきななり、ふそうこくをば、にほんこくともうす、あに、しょうにん、いでたまわざらむ、つきは、にしよりひがしにむかへり、がっしの、ぶっぽうの、ひがしへながるべき、そうなり、ひは、ひがしよりいづ、にほんのぶっぽうの、がっしへ、かへるべきずいそうなり、つきは、ひかりあきらかならず、ざいせは、ただ、はちねんなり、ひは、こうみょう、つきにまされり、ご、ごひゃくさいの、ながきやみをてらすべき、ずいそうなり、ほとけは、ほけきょう、ほうぼうのものを、ぢし、たまはず、ざいせにはなきゆへに、まっぽうには、いちじょうのごうてき、じゅうまんすべし、ふきょうぼさつの、りやくこれなり」(どう588ページ)。
 この、りょうしょうにおいて、にちれんは、しょうほう、ぞうぼうじだいに、インドからでて、にほんにつたわった、ぶっきょうをつきにたとえ、まっぽうに、にほんからインドに、かえっていく、ぶっきょうを、たいようにたとえて、まっぽう、しゅつげんの、ぶっきょうの、りきゆうが、しょうぞうの、ぶっきょうに、まさるとしている。
 しょうぞうに、にしからひがしにつたわった、しゃかぶっぽうが、しょうほうひぼうのものを、すくえなかったのにたいし、まっぽうの、にほんに、しゅつげんした、ぶっぽうは、ふきょうぼさつが、ぎゃくえんをもって、しゅじょうを、りやくした、げんりにもとづき、しょうほう、ひぼうのごうてきをも、きゅうさいする、りきゆうを、そなえることを、めいじする。
 まっぽうの、にほんにしゅつげんして、インドにせいかんしていく、ぶっきょうとは、にちれんがかくりつした、ぶっきょうにほかならない。
すなわち、にちれんは、じしんが、かくりつし、みらいにぐつうする、ぶっきょうが、じゅうらいの、しゃかぶっきょうを、ふまえながらも、それを、ちょうえつした、あらたなぶっきょうであることを、あきらかにしたのである。
 しゃかぶっぽうから、にちれんぶっぽうへの、てんかん、こうたいが、ここにめいかくに、しめされている。
 「あに、しょうにん、いでたまわざらむ」とのことばは、まっぽうまんねんの、やみをてらす、ぶっきょうを、そうしした、にちれんこそ、まっぽうの、ほんぶつ、(きょうしゅ)であるとの、せんげんと、かいすることができる。


  ⑧じょうぎょうへの、ふぞくのいみ、きょうしゅこうたいのしそう。
ほけきょうは、じゅうぢ、ゆじゅつほん、だい15において、しゃかぶつの、めつごに、ほけきょうをぐつうする、しゅたいしゃとして、ろくまん、ごうがしゃの、じゆのぼさつを、しゅつげんせしめ、じんりきほん、だい21に、おいて、ぢゆのぼさつ、なかんずくそのじょうしゅである、じょうぎょうぼさつに、ぶつめつごに、ほけきょうをぐつうする、しめいをふぞくした。
 すなわち、ほけきょうは、しゃかぶつの、めつごに、ぶっぽうぐつうの、しめいをになう、じゆのぼさつの、しゅつげんを、よげんしたきょうてんである。
ただし、じんりきほんで、しゃかぶつが、じゆのぼさつに、ぐつうのしめいを、たくした、ほったいは、もんじょうの、ほけきょうではなく、もんていに、おいて、あんあんりに、さししめした、こんげんのみょうほうと、かいすべきである。
 この、こんきょについて、ひっしゃは、せっちょ『しんほけきょうろん』でつぎのようにのべた。
「このうらづけとして、じんりきほんの、げにおいて、『ひよう』のことばがもちいられていることがあげられよう。
 じんりきほんのげではつぎのようにとかれる。
 『しょぶつが、どうじょうにすわって、えた、ひようのほうを、このきょうを、じゅじするものは、わずかの、といに、えることだろう』と。
しょぶつがえたのは、『ひようのほう』であり、それを、『このきょう=ほけきょう』を、じゅじすることによって、えることができるというのである。
 すなわち、テキストとしての、『このきょう、(ほけきょう)』と、『ひようのほう』はどういつではない。
 ほけきょうを、とおして、ひようのほうに、いたるのである。
ここでいう、『このきょう』とは、ほけきょうの、もんじょうのことばに、おいてしめされた、ないようである。
『ひようのほう』とは、そのもんじょうのないようが、あんあんりに、さししめした、かくされたひみつのほうであり、もんによって、めいじてきに、しめされていないという、いみで、『もんてい』である、らじゅうが、きょうてんのだいごうにしめした、『みょうほう』に、ほかならない。
 あらゆる、ほとけは、そのみょうほうをえることによって、ほとけとなったのであり、まさに、このひようのほう(いちみょうほう)こそ、あらゆるほとけを、ほとけならしめた、こんげんのそんざいである。
 じんりきほんは、じゅりょうほんと、どうように、もんじょう、もんていという、にじゅうこうぞうの、そんざいをあかしているのである」(どうしょ329ページ)。
 ほけきょうは、ほけきょうじたいが、ひとびとを、きゅうさいするちからを、そうしつした、まっぽうに、こんげんのみょうほうを、ぐつうする、むすうのぢゆのぼさつが、しゅつげんすることを、よけんし、そのことによって、ぢゆのぼさつのぐつうを、たすけようとしたのである。
 この、じんりきほんの、よげんにこたえて、まっぽうに、みょうほうをぐつうした、そんざいこそ、にちれんに、ほかならない。
 すなわち、ほけきょうは、まっぽうにおける、にちれんのしゅつげんを、よげんしたところに、そのいぎがある。
 このてんについて、にちれんは、「ほっけしゅようしょう」で、ほけきょうは、だれのために、とかれたのかという、もんだいをていきし、「じゅりょうほんの、いっぽん、にはんは、はじめよりおわりにいたるまで、まさしく、めつご、しゅじょうのためなり、めつごのなかには、まっぽうこんじの、にちれんらが、これなり」(ごしょ334ページ)、「うたがっていわく、たほうのしょうみょう、じっぽうのじょぜつ、ぢゆのゆじゅつ、これらは、だれびとのためそや、こたえていわく、(ちゅうりゃく)これらの、きょうもんをもって、これをあんずるに、ひとえにわれらがためなり」、(どうページ)とのべている。
 じじつのうえで、にちれんいがいに、みょうほうを、ぐつうしたそんざいは、いないのであるから、にちれんが、じょうぎょうぼさつの、さいたんに、あたるとの、にんしきは、ひろく、にちれん、ざいせのもんかにも、あったとかんがえられる。
 にっこうの、しゃほんがある、「よりもとちんじょう」に、「にちれんしょうにんの、ごぼうは、さんがいのあるじ、いっさいしゅじょうの、ふぼ、しゃかにょらいの、おんつかい、じょうぎょうぼさつにて、おわしそうらいける」(1161ページ)と、あることが、そのうらづけとなろう。
 こんにちにおいても、にちれんしゅう、かくはは、にちれんが、じょうぎょうぼさつにあたるとする、にんしきでは、ほぼいっちしている。
 もちろん、にちれんは、つうじょうのごしょにおいて、じしんが、じょうぎょうぼさつにあたると、めいげんすることはなく、「ぢゆのぼさつの、さきがけ、にちれん、いちにんなり」しょほうじっそうしょう、(ごしょ1359ページ)、「ぢゆのぼさつのいでさせたまうまでのくちずさみに、あらあらもうして」(ほんぞんもんどうしょう、どう374ページ)、「にちれんは、このじょうぎょうぼさつの、おんつかいとして」じゃくにちぼうごしょ、(どう903ページ)とうと、いっかんして、けんそんのひょうげんに、しゅうししている。じょうぎょうぼさつは、しゃかぶつから、まっぽうぐつうの、たいけんを、じゅよされたまっぽうの、きょうしゅであるから、じしんが、じょうぎょうであると、めいげんすることは、ひとびとのぎわくを、しょうじかねないので、ちゅういぶかく、かいひしたのであろう。
 もんだいは、にちれんしゅう、かくはが「にちれん=じょうぎょう」とのにんしきはもっているが、じょうぎょうが、しゃかぶつから、まっぽうぐつうの、けんげんをあたえられた、いわば、「にょらいのつかい」であるから、やはり、ぶっきょうぜんたいのきょうしゅ、ほんぶつは、しゃかぶつで、じょうぎょうは、しゃかぶつより、かいに、あたる、ぼさつにすぎないと、していることである、にちれんしゅうかくはによる、「にちれんだいぼさつ」の、こしょうも、そのにんしきによる。
 みやたしも、どうようのけんかいに、たっているようで、うるしばたせいぜんろんぶん、「そうかだいがくきょうじゅ、みやたこういちの、『にちうの、きょうがくしそうの、しょもんだい』を、はしゃくせよ」に、はんろんした、ろんぶんのなかで、みやたしは、「まっぽうの、しゅししんとしての、にちれんは、あくまでも、ぶつどうぜんたいの、しゅししんである、くおんじつじょうぶつから、まっぽうの、しゅじょうきゅうさいという、けんげんをあたえられたと、にちれんじしんも、みとめていると、わたしはりかいしている」とのべている。
 もちろん、きょうてんの、もんじのうえでは、ぢゆのぼさつは、くおんじつじょうの、しゃかぶつから、きょうけされてきたでしであり、ぢゆのじょうしゅである、じょうぎょうぼさつは、しゃかぶつから、まっぽうにおける、ぶっぽうぐつうのしめいを、たくされ、そのけんげんを、あたえられた、そんざいとして、とかれている。
 にちれんじしんも、さきにひいた、「よりもとちんじょう」をはじめ、きょうてんじょうの、ないようをそんちょうすることを、きほんとした。
 しかし、ぢゆのぼさつの、ほんしつは、きょうてんのひょうめんてきな、きょうそうだけで、はあくできないめんがある。
 そのことを、しめすのが、ぢゆのぼさつをとうじょうさせた、ゆじゅつほんのないようである。
 まず、ぢゆのぼさつは、しんたいがこんじきで、32そうをそなえ、むりょうのひかりをはなっていると、とかれる。
 みけんびゃくごうそうなどの、32そうは、ほとけや、てんりんじょうおうが、そなえる、とくそうで、つうじょうの、ぼさつがもつものではない。
このことは、ぢゆのぼさつが、つうじょうのぼさつの、はんちゅうをこえたもので、あることを、しさしている。
 さらに、おどろくべきことは、ぢゆのぼさつが、ししょうである、しゃかぶつをも、こえる、そんきなすがたを、もっていると、とかれることである。
 しゃかぶつは、じゆのぼさつは、じぶんが、くおんのむかしから、きょうけしてきた、そんざいであると、とくが、たいごうしゅうである、みろくぼさつをはじめとする、えざのたいしゅうは、そのほとけのことばを、しんずることができない。
 しゃかぶつは、ガヤじょうの、ちかくで、じょうどうしてから、よんじゅうよねんすぎただけなのに、どうして、このたんきかんに、ろくまんごうがしゃもの、じゆのだいぼさつを、きょうけすることができたのか、という、ぎもんをいだいたからである。
 そして、しゃかぶつが、じゆのぼさつを、きょうけしたと、といたことも、たとえていえば、25さいのせいねんが、100さいのろうじんをさして、「このものは、わたしのこどもである」と、いうようなもので、とうていしんずることが、できないというのである。
 ぼさつとは、ほんらい、じょうぶつを、めざしてしゅぎょうに、はげむそんざいをいう。
 そのぼさつが、、もくひょうとしている、ほとけよりも、すでに、いだいなすがたをもっているという。
 また、じゆのぼさつは、しゃかぶつから、きょうけされてきた、でしとされているのに、じゆのぼさつのほうが、ししょうをこえた、そんきな、そうをそなえているとされる。
これは、つうじょうのかんねんでは、りかいできない「なぞ」といういがいにない。
このなぞについては、こらい、ほとんど、こうさつされておらず、なぞのままで、ほうちされてきた。
にちれんしゅうの、がくしゃのなかには、このなぞが、かいめいできないので、こうせいに、ふかされた、ぶぶんであるとして、じぶんのりかいが、およばないかしょを、きりすてようと、するものすらある。
 しかし、「ほとけをこえたぼさつ」、「ししょういじょうの、きょうがいのでし」という、このふかかいななぞにこそ、じゆのぼさつの、ほんしつを、しさする、かぎがある。
 このてんについて、せっちょ、『しんほけきょうろん』では、つぎのようにろんじた。
 「ほとけよりも、そんこうなぼさつ、しよりもいだいなでし。これはなにをいみしているのか。
 それはすなわち、じゆのぼさつは、『ぼさつ』として、とうじょうしているが、そのじったいは、ぼさつのはんちゅうをこえた、そんざい、すなわち、ほとけであることを、あんじしていると、いえよう。
 じゆのぼさつが、しゃばせかいの、かほうのこくうに、じゅうしていたと、されることも、かれらがせいめいの、こんていである、だいきゅうしきに、りっきゃくしていること、すなわち、ほとけのきょうがいにあることを、しょうちょうしている。
 また、じゆのぼさつが、ほとけのとくちょうである、32そうを、そなえるとされていることも、そのほんしつが、ほとけであることを、しめすものと、げせられる。
すなわち、じゆのぼさつが、ぼさつとして、ほけきょうのえざに、とうじょうするのは、あくまでも、そとにあらわれた、すがた、(げゆう)にすぎず、そのほんしつ、(ないしょう)は、すでに、みょうほうを、しょじしている、ほとけである。
 じゆのぼさつが、ほとけとして、とうじょうしないのは、きょうてんのやくそくごと、として、ひとつのせかいの、きょうしゅである、ほとけは、あくまでもいちぶつであり、たほうにょらいのように、たぶつがしょうめいやくとして、とうじょうすることは、あるにしても、きょうしゅいがいの、ほとけが、へいれつしては、こんらんをきたすことに、なるからであろう。
 てんだいだいしが、『ほっけもんぐ』で、じゆのぼさつをさして、『みなこれ、こぶつなり』(こくやくいっさいきょう、406ページ)。
 とのべているとおり、じゆのぼさつは、たんなるぼさつではなく、そのほんしつは、ほとけであると、かいさなければならない。
 ゆじゅつほんは、つぎのじゅりょうほんで、しゃかぶつの、ほんちが、くおんのむかしに、じょうどうした、ほとけであることをしめすために、じゆのぼさつが、しゃかぶつによって、きょうけされた、でしであるという、こうせいをとらざるをえず、(しゃかぶつが、むすうのだいぼさつを、きょうけしてきたと、することによって、しゃかぶつが、こんせで、はじめてじょうどうした、ほとけではないことをしめすことができる)、じゆのぼさつの、ほんちが、ほとけであることを、あからさまには、しめせないので、それを、あんあんりに、しめすために、ほとけよりもそんこうな、ぼさつという、ふかかいな、ひょうげんを、とったとかいせられる。
 そこに、あんゆを、くしした、ほけきょうのたくみなしゅほうを、みることができる。
また、ほとけを、ぼさつとして、とうじょうさせたところに、ほけきょうの、ふかい、いとがある。
 つまり、じゆのぼさつは、そとには、ぼさつのすがたをとる、ほとけ、すなわち、『ぼさつぶつ』である。
 それまで、ほとけといえば、ほけきょうのきょうしゅである、しゃかぶつをふくめて、しきそうそうごんの、すがたをとる、ぶっかをじょうじゅした、『かんせいしゃ』、『とうたつしゃ』として、えがかれてきた。
 しかし、ぼさつぶつは、かんせいしゃではなく、みかんせいの、すがたをとる。
 それでいて、みょうほうと、ともにいきる、ほとけのきょうちに、じゅうしている。
 それは、いわば、みかんせいをふくんだ、かんせい、かんせいをふくんだ、みかんせいといえよう。
 ぼさつぶつは、これまでにない、あたらしい、るいけいのほとけであり、さらにいえば、『ほとけ』の、がいねんのへんかくを、もたらすものである。
 それまでの、かんせいしゃ、とうたつしゃとしての、ほとけは、でんとうてきな、ひょうげんをもちいれば、『ほんが』のほとけであった。
 それにたいして、じゆのぼさつとして、とうじょうしたぼさつぶつは、『ほんいん』のほとけである」、(どうしょ256ページ)。
 てんだいだいしの、「みなこれ、こぶつなり」とのしゃくは、さすがに、じゆのぼさつのほんしつを、ただしくどうさつした、ものであった。
 すなわち、じゆのぼさつ、なかんずく、そのじょうしゅである、じょうぎょうぼさつは、しゃかぶつから、まっぽうぐつうのけんげんを、あたえられた「つかい」のかたちで、きょうてんには、とうじょうしているが、それは、じょうぎょうの、しんじつのすがたではなく、ほんとうは、ほんらい、みょうほうをしょじしていた、くおんのほとけ、こぶつとかいさなければならない。
 じんりきほんにおけるじょうぎょうぼさつへのふぞくとは、じつはまっぽうのとうらいとともにほとけからほとけへときょうしゅがこうたいすることをすしめすぎしきとりかいすべきなのである。
 このてんについて、いけだだいさく、めいよかいちょうは、『ほけきょうのちえ』でつぎのようにのべている。
 「じんりきほんの、『ふぞく』のぎしきは、たんてきにいうならば、『ほんがみょうのきょうしゅ』から、『ほんいんみょうのきょうしゅ』への、バトンタッチです。
 それは、さんぜんたる、32そうの『ぶっか』という、りそうぞうを、ちゅうしんとしたぶっぽうから、ぼんぷの『ぶついん』を、ちゅうしんとした、ぶっぽうへのだいてんかんをいみする。
 ぼんぷの、そぼくなげんじつからはなれない、ぶっぽうへの、てんかんです」(どうしょだい6かん190ページ)。
 まっぽうは、しゃかぶっぽうの、きゅうさいりょくが、うしなわれた、じだいであるから、しゃかぶつは、しょうぞうの、きょうしゅではあっても、まっぽうのきょうしゅと、なることはできない。
 だからこそ、じんりきほんは、じょうぎょうが、まっぽうのきょうしゅとして、しゅつげんすることを、よげんし、きょうしゅこうたいの、ぎしきをおこなったのである。
 しんせきが、かくちにげんそんする、「しもやまごしょうそく」に、にちれんじしんをさして、「きょうしゅしゃくそんより、だいじなるぎょうじゃ」(ごしょ363ぺーじ)とあるのは、にちれんに、まっぽうのきょうしゅとの、じかくがかくりつしていたことを、しめしている、(しゃかぶつの、たんなる「ししゃ」や、「でし」が、「きょうしゅしゃくそんよりだいじ」に、なるどうりはない)。
 じょうぎょうの、ほんちが、ほとけであることを、りょうかいしたならば、にちれん=じょうぎょうの、にんしきに、たついじょう、にちれんが、とりもなおさず、まっぽうのほとけであることが、りょうかいできることになる。
 じゆのぼさつを、めぐる、ほけきょうゆじゅつほん、および、じんりきほんの、せつそうと、てんだいだいしの、どうさつは、じょうぎょうの、さいたんとして、しゅつげんした、にちれんが、じつはまっぽうの、きょうしゅであるという、にちれんほんぶつろんを、うらづけるものと、なっているといえよう。

 ⑨しんぎみけつの、、ごしょについて。
これまで、しんせき、および、じきでし、しゃほんが、げんそん、あるいは、そうそんするごしょを、もとにして、にちれんじしんに、にちれんほんぶつろんが、そんざいしたことを、のべてきたが、それは、みやたしが、しんせきや、じきでししゃほんのない、ごしょを、ぎしょとしてあつかい、にちれんの、きょうぎを、こうさつするしりょうからは、はいじょするたちばに、たっているからである、しんせき、しゃほんがない、ごしょまでこうさつの、はんいをひろげれば、にちれんじしんに、にちれんほんぶつろんがあったことについて、さらに、おおくのうらづけを、えることができる。
 しかし、にちれんの、しそうを、はあくするしりょうとして、しんせきおよび、じきでししゃほんが、げんそんあるいは、そうそんする、ごしょだけに、げんていするありかたは、かならずしもてきせつとは、おもわれない。
 このもんだいについても、せっちょ『しんぱん、にちれんのしそうとしょうがい』ですこしのべたので、つぎのように、がいとうかしょを、ひいておくこととする。
 「にちれんの、しそうや、じせきをこうさつする、こんきょとして、ごしょのなかでも、しんぴつがげんそんするもの、しんぴつが、かつて、そんざいしていたことに、ついてかくしょうが、あるもの、じきでし、または、まごでしのしゃほんがあるもの、いがいは、きほんてきに、ぎしょとみなして、ぜんめんてきに、はいじょするけいこうが、みられる。
 しかし、このようなありかたは、だとうではないと、おもわれる。
 だれがみても、あきらかなぎしょと、はんだんされるものを、のぞくのはとうぜんだが、そうでないものは、しんぎみていとなる。
 しんぎみていのものは、ぎしょと、だんていできないので、しんしょであるかのうせいが、あることをひていできない。
 かつては、しんぴつや、こしゃほんが、そんざいしていても、せんらんや、かさいとうのれきしてき、ぐうぜんによって、それらが、うしなわれた、れいもすくなくないであろう。
 しんぴつや、こしゃほんが、げんそんしているのは、それらが、うしなわれるような、さいやくに、たまたま、あわなかったという、ぎょうこうによる。
 しんぴつが、げんそんしない、ごしょをぜんめんてきに、はいじょするということは、ふこうにして、しんぴつめっしつの、さいやくにあった、ごしょをも、すべて、きりすてることに、ほかならない。
 しんぴつあるいは、こしゃほんが、げんそんまたは、そうそんするものだけを、もちいるというありかたは、にちれんの、しそうをかんがえるための、こんきょを、サイコロのめのような、ぐうぜんに、ゆだねることになる。
 しんぎみていのごしょで、かつては、ぎしょの、うたがいがつよいとされていたものでも、のちに、しんぴつや、こしゃほんが、はっけんされたれいもある。
 『しょじんごへんじ』1284ぺーじは、そのれいである。
 どうしょうは、ろくげにぞくするので、ぎしょの、うたがいがつよくかけられていたが、しんぴつさんしが、かんぜんなかたちで、たいしょうじだいに、はっけんされた、ちば、ほんどじ、ぞう。
 どうしょうに、かぎらず、『ないき、さこんにゅうどうどの、ごへんじ』など、きんねんになって、しんぴつや、こしゃほんが、はっけんされるれいは、すくなくない。
 このような、れいもあるので、げんじてんで、しんぴつがそんざいしない、ごしょを、それだけのりゆうで、ぎしょといいきることは、できない。
 また、かつて、ぎしょせつが、つよくいわれていた、ごしょでも、じゅうらいとは、まったくことなる、かくどから、けんとうしたけっか、ぎゃくに、しんしょのかのうせいがたかいとの、はんだんがでたれいもある。
 そのてんけいが、『さんだい、ひほうしょう』である。
 どうしょうは、しんぴつがないために、こらい、しんぎの、ぎろんが、さかんになされてきたが、きんねん、けいりょう、ぶんけんがくの、けんきゅうをもとに、どうしょうの、ようごなどを、コンピュータでかいせきしたけっか、しんしょの、かのうせいが、たかいとの、けつろんがでた、いとうずいえい『いまなぜ、さんだいひほうしょうか』。
 けいりょう、ぶんけんがく、だけでなく、しょうらいには、それまでの、はっそうではかんがえられない、あたらしいかんてんから、けんしょうされていく、かのうせいも、おおいにありうるだろう。
 このように、しんぎの、はんだんも、けっしてかくていしたものではなく、りゅうどうてきであり、げんざい、ぎしょのうたがいが、こいとされているものでも、いってんしてしんしょとみなされることも、ありうるじたいである。
 このように、かんがえてくると、しんぎみていの、ごしょを、いちりつにはいじょする、ありかたは、おおくのしんしょを、きりすてるおそれが、おおきく、げんみつな、ようにみえて、しんぎにあまりにも、こだわりすぎており、いきすぎというべきであろう。
 しんぎみていの、ごしょをぜんめんてきに、はいじょするありかたについて、すぐろ、しんじょう、はかせは、『にちれんしょうにんの、しゅうきょうしそうを、じったいよりも、きょうしょうに、げんていすることに、なりかねないとおもう。
 それは、かたよった、にちれんぞうをつくりあげることにも、なるであろう』「ごいぶんの、しんぎもんだい」とのべている。
はかせのいけんにどういしたい」どうしょ177ページ。


 ⑩、にっこう、もんりゅうによる、にちれんほんぶつろんの、けいしょう。
みやたしは、にちれんほんぶつろんは、にちれんじしんに、なかったとするだけでなく、にっこうにもなく、たいせきじ、だいろくせい、にちじ、(ふめい~1406ねん)であきらかになり、きゅうせい、にちう、(1402ねん~1482ねん)において、めいかくに、しゅちょうされるように、なったとする。
 すなわちしは、「にちうの、きょうがくしそうの、しょもんだい1」で、つぎのようにいう。
「ひっしゃは、たいせきじ、きょうがくの、とくちょうである、にちれんほんぶつろんはかいざん、にっこう(1246-1333)、おもす、がくとう、さんみにちじゅん(1294-1356-?)、よんせい、にちどう、(1283-1341)には、まだみられないと、かんがえており、その、しそうは、ろくせい、にちじ(?-1365-1406)の『ほんにんみょうしょう』、しゃほんで、あきらかになり、きゅうせい、にちうに、おいて、さらにより、めいかくにしゅちょうされたと、かんがえている」しかし、このけんかいには、さんせいしがたい。
 さきにみたように、にちれんほんぶつろんは、にちれんじしんに、おいて、すでにめいかくにそんざいしており、そのきょうぎは、にっこうをふくめて、にっこうもんりゅうにいっかんして、いじされてきたものと、とらえるべきであろう。
まず、にっこうにおいて、にちれんほんぶつろんが、あったかどうかをみてみよう。
ひろくしられていることだが、にっこうの、おおくのしょうそくによれば、にっこうは、にちれんを、「しょうにん」、「ほとけしょうにん」、「ほっけしょうにん」、「ほっしゅしょうにん」、「ほとけ」などと、よんで、もんかから、よせられたくようの、しなじなを、つねに、にちれんのみえいに、そなえている、にっこうの、「にしぼうずごへんじ」に、「みえいの、ごけんざんに、もうしあげまいらせてそうろう」、〈『れきだいほっしゅ、ぜんしょ』だい1かん105のいち〉とあること、「にちじゅん、ぞうしゅう」に、「しょうにん、ごぞんしょうのといは、みどうなし、ごめつごに、しょうにんのみどうに、にっこうしょうにんの、おんはからいとして、つくりたまふ。みえいをつくらせたまふこともにっこうしょうにんのごこんりゅうなりなり」〈『ふじしゅうがくようしゅう』だい2かん、95ページ〉とあることから、にっこうが、、にちれんのみえいを、つくっていたことは、かくじつとみられる。
 ただし、「ふじいちせき、もんとぞんちのこと」に、「にっこうがいわく、みえいを、ずする、しょせんは、こうだいに、しらしめんためなり、これに、つけ、ひにつけ、ありのままに、ずし、たてまつるべきなり」(ごしょ1603)とあるとおり、にちれんの、みえいぞうは、にちれんのようぼうを、こうせいにつたえるために、ぞうりゅうされたものであり、ほんぞんではない。
 にっこうにおける、ほんぞんは、もんじまんだらいがいにない。
 にちれんを「ぶつしょうにん」、「ほっしゅしょうにん」とうと、よび、また、くようを、つねに、にちれんのみえいに、そなえたにっこうの、ふるまいにみるかぎり、にっこうが、にちれんを、ほとけとして、そんすうしていたことが、うかがえる。
 また、じゅうだいなことは、にっこうの、もんしょにおいて、くようのしなを、しゃかぶつに、そなえたというきじゅつが、いっさい、そんざいしない、ということである。
 このじじつは、にっこうが、じしんのしんこうにおいて、にちれんほんぶつぎにたち、しゃかほんぶつぎをしりぞけていたことを、しめすものとして、りかいできよう。
 さらに、ちゅうもくすべきは、にっこうによる、もんじまんだら、しょしゃの、ありかたである。
 にっこうは、もんじまんだらを、したためることを、「しょしゃ」としょうし、にちれんが、もんじまんだらを、ずけんしたことと、みずからのこういをどうれつにおかず、にちれん、ずけんのもんじまんだらの、ようしきを、しょしゃするというたちばを、めいかくにした。
 ぐたいてきには、もんじまんだらの、ちゅうおうに、なんみょうほうれんげきょうの、しゅだいのしたに、「にちれんざいごはん」としたため、みずからのなまえは、「しょしゃこれ」のことばとともに、しるして、「しょしゃこれ、にっこうかおう」とした、じぶんが、とうがい、まんだらを、しょしゃした、とうにんであるとの、せきにんをあきらかにしている。
 にっこうが、しゅうせいにわたって、つらぬいた、このまんだらしょしゃの、しょしきは、にっこうもんりゅうにおいて、こんにちまで、けんじされている。
 それにたいして、ごろうそうのながれをくむ、たもんりゅうでは、ちゅうおうのしゅだいのしたには、まんだらをしたためた、とうにんのなまえを、しるすかたちが、いっぱんであった。
 たとえば、にちろうが、したためた、まんだらには、ちゅうおうに、「なんみょうほうれんげきょう、にちろう、かおう」となっている。
 これは、にちれんが、まんだらをずけんしたさいに、なんみょうほうれんげきょうのしたに、「にちれんかおう」としたためたのに、ならって、なんみょうほうれんげきょうのしたには、まんだらをかいた、とうにんのしょめい、かおうを、しるすものと、うけとめたからであろう、たもんりゅうのまんだらでは、にちれんのなまえを、でんぎょうたいしのそとがわに、しるすなど、しょそんのひとつとして、きさいするれいも、すくなくない。
このように、もんじまんだらの、かきかたにおいて、にっこうもんりゅうと、たもんりゅうでは、おおきなそういがある。
 それは、にちれんのいちづけが、にっこうとにっしょう、にちろうら、ごろうそうのあいだでは、おおきくことなっていたことを、いみしている。
 にっしょう、にちろうらは、にちれんを、なんみょうほうれんげきょうといったいのほんぶつと、とらえられず、じしんと、どうれつの、そんざいといちづけていたのにたいし、にっこうは、じしんを、にちれんのでしと、いちづけ、にちれんを、なんみょうほうれんげきょうといったいふにの、まっぽうのほんぶつと、とらえていたとかいすることが、できよう。
 にっこうが、けんじした、もんじまんだら、しょしゃの、けいしきは、にっこうが、にちれんほんぶつぎに、たっていたことを、つよく、るいすいせしめる。
にっこうの、ちょさくや、しょうそくに、にちれんほんぶつろんを、めいじしているものはない。
 しかし、みやたしのように、ぶんけんじょうに、ないからそのしそうが、そんざいしないと、はんだんすることは、にんげんのしそうが、すべて、ぶんけんにあらわれているという、ぜんていにたつものであり、その、ぜんていそのものが、ぶんけんに、かたよりすぎたあやまりであろう。
 むしろ、にんげんは、じこのしそうを、かならず、すべて、げんごにあらわすものではない。
 めいかくな、しそうをもっていても、それをげんごに、あらわすひつようもないとして、げんごひょうげんを、よくせいするじじょうや、しんりがありうることは、とうぜんのことである。
 にっこうのばあい、にちれんほんぶつぎは、じしんにとっても、しゅういのこうていにとっても、とうぜんのぜんていであり、また、そのきょうぎが、たもんりゅうが、うけとめられない、にちれんぶっぽうの、おうぎであるという、じじょうなどをかんがみて、あえて、ちょじゅつに、めいじすることは、なかったと、かんがえることができよう。
 にっこうは、にちれんほんぶつぎを、ちょさくのなかで、しめすことはなかったが、にっこうのこうていのなかには、それをおこなったものもあった。
 そのだいひょうは、にっこうが、かいせつした、おもすだんしょの、だい2だい、がくとうであった、さんみ、にちじゅん(1294ねん~ふめい)である。
 にちじゅんは、にっこう、ぞんめいちゅうの、1318ねんにしるした、「ひょうはく」において、「わがちょうは、ほんぶつのしょじゅうなるべきゆえに、ほんちょうともうし、がっし、しんたんに、すぐれたり、よって、にほんとなずく、ふじさんをば、あるいは、だいにちさんともごうし、また、れんげさんともよぶ、これひとえへに、だいにほんこくの、ちゅうおうのだいにちさんに、にちれんしょうにん、だいほんもんじ、こんりゅうすべきゆえに、さきたつて、だいにちざんとごうするか、はたまた、みょうほうれんげきょうを、ここに、はじめていちえんぶだいに、るふすべきゆえに、れんげさんとなずつくるか」、『ふじしゅうがくようしゅう』だい2かん11ページとして、にちれんを、「ほんぶつ」とめいげんしている。
 しかし、みやたしは、この「ひょうはく」のもんの、「ほんぶつ」は、にちれんをさすものではないとし、「『かんじんの、ほんぞんしょう』などで、「くおん、じつじょう

  • [205]
  • みやた、ろんぶんへのぎもん 2、すだはるおし

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月26日(土)02時05分10秒
 
3 きんだい、ぶっきょうがくとの、かんれん
つぎに、みやたしは、うめはらたけしに、よる、そうかがっかいひはんを、しょうかいしながら、がっかいの、きょうぎと、めいじいこうの、きんだいぶっきょうがくとの、かんれんをとりあげる。
 ぐたいてきには、
①、だいじょうきょうてんが、しゃくそんの、ちょくせつではないこと、
②、「ごじ」せつへの、こしつ、
③、ぶつめつねんだいと、まっぽうりろんのかんけいの、さんてんを、もんだいにしている。

①、について、しは、つぎのようにいう。
「そうかがっかいは、にちれんぶっぽうに、かんするきょうぎかいしゃくと、しゅうきょうてき、ぎれいにかんしては、にちれんしょうしゅうの、でんとうをけいしょうしてきた。
 しかし、にちれんしょうしゅうの、にちれんぶっぽうかいしゃくは、かまくらじだいの、にちれん、むろまちじだいの、にちう、えどじだいの、にちかんの、きょうぎかいしゃくを、きそとしたものであり、めいじいこうの、ぶっきょうのがくもんてき、けんきゅうのせいかにたいして、まともに、たいおうしたものではなかった。
 これは、にちれん、さんしゅうに、かぎったことではなく、にほんのきせいぶっきょうだんたいすべてが、しゅうそに、ちゅうじつであるならば、きょうぎてきには、だいじょうぶっきょうきょうてんが、ちょくせつしゃくそんによって、とかれたというりかいを、ぜんていにして、せいりつしていることにはかわりがない。
 そのりかいが、くずれたときに、しゅうはとして、そんざいすることに、きょうぎてきないみは、みうしなわれ、れきしてきいみしか、ないように、わたしにはおもわれる」。
もちろん、にちれんをふくめて、にほんのきせいぶっきょうきょうだんの、しゅうそはすべて、だいじょうきょうてんが、しゃくそんによって、とかれたというにんしきを、ぜんていにしている、ほんこうにおいては、じつざいした、れきしてきしゃくそん、〈ゴータマ・シッダルタ〉を、「しゃくそん」、ほけきょうをふくめて、きょうてんにとうじょうする、しゃかを「しゃかぶつ」とよぶことにする、りょうしゃを、くべつすることで、ぎろんのこんらんを、さけるためである。
 その、ぜんていが、くずれたときには、きょうぎてきに、しゅうはとして、そんざいしているいみがなくなるのだろうか、もっとも、そうかがっかいは、『ほけきょうのちえ』において、ほけきょうのせいりつは、きげんいっせいきいこうであるとの、にんしきを、しめすなど、すでに、きんだいぶっきょうがくの、ちけんを、とりいれたぎろんを、している。
 このてんに、ついては、せっちょ『しんぱんにちれんのしそうとしょうがい』で、じゃっかんのべたので、そのかしょを、いんようすることにする。
「れきしてき、しゃくそんの、ちょくせつではないと、いうことは、なにも、ほけきょうに、かぎったものではない。
 だいじょうぶってんは、もちろん、さいこそうの、ぶってんとみられる、『スッタニパータ』などの、げんしぶってん、しょうじょうぶってんを、ふくめて、れきしてき、しゃくそんの、ちょくせつと、かくじつに、いいきれるものはない。
 これは、ぜったいに、まちがいなく、れきしてきしゃくそんが、じっさいにといたことばであると、だんていできるものは、そんざいしない、れきしてき、しゃくそんのちょくせつでは、ないといういみでは、だいじょうきょうてんに、かぎらず、すべてのぶってんが、ひぶっせつである。
 きょうてんが、ぶっせつか、ひぶっせつかを、もんだいにすることは、いみがない。
れきしてき、しゃくそんの、ことばでなければ、きょうぎが、せいりつしないというのであれば、けっきょく、ぶっきょうぜんたいが、せいりつせず、むにきしてしまう。
どうようのことは、キリストきょうなどについても、いえる。
 イエスのげんこうを、きじゅつした、よっつのふくいんしょは、しんやくせいしょに、おさめられた、キリストきょうの、こんぽんせいてんだが、さいこのふくいんしょと、かんがえられている、マルコふくいんしょにしても、イエスのしから、すうじゅうねんごにせいりつしたもので、いずれの、ふくいんしょも、れきしてき、イエスが、といたことばを、せいかくに、きじゅつしたものではない。
 れきしてき、イエスのことばは、げんみつには、どこにもそんざいしていないのである。
 イエスのことばだけが、きょうぎのぜんていで、あるとしたならば、キリストきょうぜんたいが、せいりつしないことになる。
 ぶっきょう、きょうてんは、げんしきょうてんから、だいじょうきょうてんまで、いずれも、こうせいのきょうてん、せいさくしゃが、それぞれのたちばから、これが、しゃくそんの、おしえであると、しんじたものを、しゃくそんのなまえをかりて、ひょうげんしたものである。
 ちゅうりゃく、したがって、かくきょうてんのないようは、たしゅたようとなるから、たすうのきょうてんの、しょうれつを、はんていし、どのきょうてんを、えらびとるかというもんだいは、こうせいの、にんげんのしゅたいてき、はんだんに、ゆだねられることになる。
 たとえば、ねはんきょうは、『りょうぎきょう、〈しんりを、あらわした、きょうてん〉、によって、ふりょうぎきょう、〈しんりを、あらわして、いないきょうてん〉によらざれ』として、きょうてんのないようを、ぎんみし、そのゆうれつを、けんとうする、さぎょうが、ひつようであるとしている。
てんだいたいしは、そのときまでに、ちゅうごくに、でんらいしていた、ぶっきょうきょうてんを、けんとうしたけっか、ごじはちきょうのきょうはんを、かくりつし、ほけきょうこそが、ほとけのさとりを、もっとも、せいかくに、あらわした、さいしょうのきょうてんであるとの、けつろんに、たつした。
 にちれんもまた、そのじだいにおいて、めにできる、いっさいきょうをえつらんし、てんだいの、きょうはんが、だとうであると、はんだんした。
 てんだいや、にちれんじしんの、しゅうきょうたいけんを、ふくめた、ぶっきょうかん、そのものが、そのはんだんの、こんていにそんしたことは、とうぜんであろう。
 したがって、きょうてんが、れきしてき、しゃくそんのちょくせつか、どうかなどということは、はじめから、もんだいにならない。
 しゃくそんが、といたから、きょうてんが、とうといのではない。
ふへんてき、しんりが、しめされているからこそ、そのきょうてんが、とうといのである。
にちれんは、ほけきょうの、すべてのもんじについて、『69384じ、いちいちの、もんじは、みな、こんじきのほとけなり』「ひとえしょう」1515ぺーじと、げんめいした。
 それは、ほけきょうにおいて、いっさいのほとけが、きょうつうして、「さとった、ふへんのしんりが、しめされているとの、どうさつが、あったがゆえということが、できよう」。
 『しんぱん、にちれんのしそうと、しょうがい』30ページ。
げんみつな、ぶんけんがくによれば、れきしてき、しゃくそんの、ちょくせつなど、どこにも、そんざいしない。
 もしも、ちょくせつがなければ、ぶっきょうのきょうぎが、せいりつしないと、しゅちょうするのであれば、それは、ぶんけんがくを、あまりに、へんちょうするものであり、けっかとして、ぶっきょうそのものを、みうしなうものとなる、キリストきょうについてもどうようである。
ぶんけんの、げんみつせいに、こだわりすぎると、しゅうきょうそのものが、うんさんむしょうしてしまう。


  • [204]
  • みやた、ろんぶんへのぎもん 1、 すだはるおし

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月25日(金)02時54分35秒
 
みやた、ろんぶんへのぎもん、
にちれん、ほんぶつろんについての、いちこうさつ。すだはるお。

2015ねん9がつ、いつか、そうかだいがくで、かいさいされた、にほん、しゅうきょうがっかい、だい74かい、がくじゅつたいかいで、どうだいがくきょうじゅの、みやたこういちしが、「がくもんてき、けんきゅうと、きょうだんのきょうぎ、ひとつ、そうかがっかいのばあい」として、こうとうはっぴょうを、おこない、それを、かひつ、ていせいした、ろんぶんが、みやたし、じしんの、ホームページでこうひょうされた。
しが、こじんのたちばで、どのようなないようを、はっぴょうしようと、「ひょうげんのじゆう」、「ないしんのじゆう」にぞくすることで、なんのもんだいも、ないが、しは、そうかがっかいの、きょうぎけいせいに、えいきょうりょくをもつ、なんらかのたちばにあるときいている。
かりに、しが、そのようなたちばに、あるということになると、しの、けんかいは、こじんてき、いけんにとどまらず、いくぶんか、きょうだんぜんたいに、かかわるいみを、おびてくる。
そこで、ひっしゃは、しの、ろんぶんにふれて、じゃっかんのぎもんを、かんじたので、しの、ほかのろんぶんをふくめて、けんとうし、とりあげられたもんだいについて、ぎろんをふかめるための、さんこう、しりょうとして、ほんこうをさくせいすることとした。
はじめに、かくこうもくのひょうだいをあげておく。
1「ほんもんのほんぞん」があれば、にちれんしゅうかくはのしんこうにも、くどくはあるか。
2「くどくとばつ」をしゅちょうすることはあやまりか。
3 きんだいぶっきょうがくとの、かんれん。
4 にちれんほんぶつろん。
① にちれんほんぶつろんは、カルトのりゆうとなるか。
② にちれんじしんによる、にちれんほんぶつろん。
③ にちれんが、まっぽうの、きょうしゅほんぶつであるゆえん。
④ にちれんが、しゃかぶつを、せんようしたりゆう。
⑤ まんだらほんぞんの、そうみょうにあらわれる、にちれんのしんい。
⑥ てんだいだいしが、しめす、きょうしゅこうたいの、しそう。
⑦ ぶっきょうの、とうぜんと、せいかんぶっきょう、こうたいのげんり。
⑧ じょうぎょうへの、ふぞくのいみ いち、きょうしゅ、こうたいのしそう。
⑨ しんぎみけつの、ごしょについて。
⑩ にっこうもんりゅうによる、にちれんほんぶつろんの、けいしょう。
5 しゃかぶつぞうの、らいはいをようにんすべきか。
6 がくせつが、たしかなこんきょに、なりうるか。
7 じぶんのはんだんが、いっさいのきじゅんか。


1、「ほんもんのほんぞん」があれば、にちれんしゅうかくはの、しんこうにもくどくはあるか。
まず、だいいちに、2014ねんに、そうかがっかいが、かいそくをかいていしたさい、がっかいが、にちれんずけんの、もんじまんだらも、しょしゃのもんじまんだらも、すべてひとしく、「ほんもんのほんぞん」であると、せつめいしたことにふれ、にちれんしんぴつの、もんじまんだらが、にちれんしゅうかくはの、じいんにしょぞうされていることから、みやたしは、さきのろんぶんで、「『ほんもんのほんぞん』を、しんこうのたいしょうとしている。にちれんしゅうかくはの、しんこう、ならびに、にちれん、さんしゅうのしんこうにも、おうぶんの、くどくがあるということを、きょうぎてきには、みとめざるをえないことに、なるのではないかと、わたしはかんがえる」とのべ、さらに「『ほんもんのほんぞん』を、しんこうしても、まったく、くどくがないという、きょうぎを、にちれんのごしょから、みちびきだすのは、かなりこんなんではないかと、わたしはおもっている」としている。
 はたして、そうであろうか。にちれんずけんの、しんぴつほんぞんも、しょしゃのほんぞんも、いずれもなんみょうほうれんげきょうを、ぐげんした「ほんもんのほんぞん」であるという、ぜんていは、とうぜんとしても、しかし、たとえば、みのぶさんくおんじや、なかやまほけきょうじに、あんちされている、にちれんしんぴつほんぞんを、「ほんもんのほんぞん」であるからといって、くおんじや、ほけきょうじのしんこうをもって、おがんで、くどくはあるだろうか。
わたしはないとおもう。
それを、うらづけるのが、「しょうじいちだいじ、けつみゃくしょう」の、「しんじんのけつみゃくなくんば、ほけきょうをたもつとも、むやくなり」ごしょ1138の、もんである。
 このもんで、「ほけきょう」とは、きょうてんとしてのほけきょうではなく、もんじまんだらと、げせられる、ばんねんの、にちれんは、もんじまんだらをもって、「ほけきょう」とよんでいる。
 このもんは、けちみゃくとは、しんじんのいみょうであるという、「しんじんのけちみゃく」ろんの、こんきょとなる、ゆうめいな、もんであるが、このもんを、すなおによめば、いかに、ただしい、まんだらほんぞんであっても、おがむがわに、ただしい、しんじんがなければ、くどくはありえない、といういみに、なろう。
 それゆえに、これまで、そうかがっかいでは、このもんをひいて「にちれんだいしょうにん、にっこうしょうにんの、ごせいしんに、かなった、ただしいしんじんが、なければ、けちみゃくはなく、たとえ、ただしいごほんぞんをはいしても、くどくがあらわれることはない。
かえって、『かかるにちれんを、もちいぬるとも、あしく、うやまはば、くにほろぶべし』〈919ぺーじ〉とおおせのように、ぶっぽういはいの、たいざいとなる」、「だいびゃくれんげ」だい627ごうと、おしえてきたのである。
この、「かかるにちれんを、もちいぬるとも、あしく、うやまはば、くにほろぶべし」との「しゅじゅおんふるまいごしょ」のもんは、にちれんを、すうはいする、ありかたとしても「あしくうやまう」、ばあいと「よくただしくうやまう」ばあいのそういがあることを、しめしている。
どのようなきょうぎであれにちれんをすうはいさえすればそれでよいということではない。
 あやまって、うやまった、ばあいには、くにがほろぶほどの、あくごうになるというのである。
そうなると、ほんぞんをおがみさえすれば、どのようなしゅうはのしんこうを、もって、らいはいしてもおうぶんの、くどくがあるという、みやたしの、けんかいは、このもんとめいかくに、いはいするのではなかろうか。


ぶっきょうのこんぽんテーゼである、えんぎせつによるならば、ばんぶつは、それじたいのみでそんざいするものではなく、たしゃとの、かんけいせいのあみのめのなかで、そんざいし、かちをゆうする。
もんじまんだらも、それじたいが、むじょうけんで、にんげんがそんざいしないばしょで、ほんぞんとしての、ちからをもつのではない。
 まんだらに、せっするにんげんとの、かんけいせいによって、そのいみとちからがことなってくる。
 にちれんが、ずけんした、まんだらほんぞんは「かんじんのほんぞん」すなわち「しんじんのほんぞん」であり、ただしい、しんじんをもって、はいして、はじめてほんぞんとしての、りきゆうがあらわれるのである。
 しんじんが、かいむのところにおいては、たとえ、にちれんしんぴつのもんじまんだらでも、ほんぞんとしては、あらわれず、いっしゅの「かけじく」に、すぎないことになる。
そうかがっかいは、みのぶさんくおんじや、なかやまほけきょうじなど、にちれんしゅうかくはのしんこうは、ただしいしんじんとはみとめず、むしろあやまったものであるとしてきた。
 それにもかかわらず、みやたしの、ように「にちれんしゅうかくはの、しんこう、ならびに、にちれんしょうしゅうの、しんこうにも、おうぶんのくどくがある」としたのでは、それらの、じいんに、さんけいすることも、かならずしもあやまりではない、ということになり、これまでのがっかいの、しどうせいのぜんめんてき、ひていに、なりかねない、とうぜん、たいせきじに、さんけいしても、さしつかえないことになる。
それでは、これまで、そうかがっかいの、しどうせいにしたがって、しんこうしてきたがっかいいんを、うらぎることになるであろう。
 ただし、しは、げんざいのそうかがっかいの、ほうしんとして、「『ほんもんのほんぞん』としては、びょうどうだからと、いうりゆうで、たきょうだんの、しょゆうするほんぞんを、おがんでもよいと、ようにんする、わけではなく」と、たきょうだんの、ほんぞんのらいはいを、ようにんしていないと、にんしきしているようである。
 しかし、それでは、たきょうだんの、ほんぞんのらいはいは、ようにんしないという、がっかいのほうしんと、「にちれんしゅうかくはの、しんこう、ならびに、にちれんしょうしゅうの、しんこうにも、おうぶんのくどくがある」という、しの、けんかいとではむじゅんしており、せいごうせいがとれていない。
 しの、たちばを、ろんりてきにつらぬけば、「たきょうだんの、ほんぞんのらいはいを、みとめないのは、むしろきょうぎてきには、あやまりである」ということになるであろう。
 もっとも、みやたしは、しんぴつないしは、じきでしなどの、こしゃほんのない、ごしょは、にちれんのしそうをはんだんする、こんきょにはなりえないという、たちばをとっているので、しんぴつが、げんそんしない「しょうじいちだいじけちみゃくしょう」も、ぎしょとしてあつかい、いっさい、もちいないと、するのであろうか。
 しんぴつや、こしゃほんのない、ごしょをぜんめんてきに、はいじょする、けいこうがいちぶのけんきゅうしゃの、といにみられるが、のちにふれるように、そのようなたいどは、しんぎがかくてい、できないごしょを、すべて、ぎしょとして、きりすてるもので、いきすぎであり、だとうではない。
 そうかがっかいは、これまで、けちみゃくかんとして、ただしい、しんじんこそが、けちみゃくであるという、「しんじんのけちみゃく」ろんの、たちばにたち、その、こんきょを「しょうじいちだいじ、けちみゃくしょう」に、おいてきた。
2015ねんに、はっかんされた『きょうがくにゅうもん』そうかがっかい、きょうがくぶへんは、つぎのようにのべている。
「にちれんだいしょうにんは、じょうぶつのけちみゃくは、とくていのにんげんのみが、しょじ、するものではなく、ばんにんにひらかれた、ものであることを、めいかくにしめされています。
『しょうじいちだいじ、けちみゃくしょう』に「にほんこくの、いっさいしゅじょうにほけきょうを、しんぜしめて、ほとけになるけちみゃくを、つがしめんとする」(1337ページ)とおおせです。
 にちれんだいしょうにんの、ぶっぽうにおいては、『けちみゃく』といっても、けつろんは『しんじんのけちみゃく』1338ページという、ひょうげんにあるように『しんじん』のことです」どうしょ318ページ。
かりに「しょうじいちだいじ、けちみゃくしょう」をぎしょとして、はいじょしたばあいには、がっかいが、しゅちょうしている「しんじんのけちみゃく」ろんも、にちれんじしんのしそうではなく、こうせいにけいせいされたものとなり、こんていから、ほうかいすることになる。
そのようなじたいは、がっかいいんとしてはうけいれがたいものであろう。


2 「くどくとばつ」をしゅちょうすることはあやまりか

つぎに、しんこうのくどくについて、みやたしは、「そもそも、しんこうにくどくがあるか、どうかというもんだいは、きょうぎのもんだいでもあるが、むしろ、しんこうをしているひとびとが、くどくをかんじているかどうかという、しゅうきょう、しゃかいがくてきな、もんだいでもある」とし、さらに「しゅうきょうてき、くどくのとくてい、しんこうへの、どくせんということは、じじつとしては、ひていされるしかないと、わたしはかんがえている」とのべている。
ろんぶんの、ぶんしょうは、よくせいされているが、じっさいのこうとうはっぴょうでは、もっとそっちょくな、いいかたになっている、こうとうはっぴょうのないようは、ユーチューブでこうかい。
 とくてい、しゅうきょうの、ねっしんなしんこうしゃを、そうとうていどの、にんずうえらびだし、しゅうきょうしゃかいがくてきな、ちょうさによって「あなたが、じっせんしているしんこうには、くどくきゅうさいが、あると、あなたはかんじていますか」と、しつもんすれば、どのような、しゅうきょうであれ、だいたすうのわりあいで、「くどくきゅうさいがある」という、かいとうが、よせられるのは、とうぜんであろう、なんのくどく、〈きゅうさい〉も、ないとおもっていながら、ねっしんにしんこうするということは、かんがえにくい。
 しゅうきょう、しゃかいがくてきには、ねっしんな、しんこうしゃにとっては、どのようなしゅうきょうであれ、そのしんこうをじっせんするだけの、ないてき、りゆうがありそのいみで、くどく〈きゅうさい〉を、かんじている、しんこうのないよう、きょうぎのいかんは、しゅうきょう、しゃかいがくにおいては、もんだいにされない。
 しゅうきょう、しゃかいがくは、ほんらい、しゅうきょうの、きょうぎのゆうれつを、はんていするものでは、ないからである、あらゆるしゅうきょうに、たいして、ちゅうりつである。
 つまり、しゅうきょう、しゃかいがくは、もじどおり、しゅうきょうのしゃかいてき、がいけいてき、そくめんをぶんせき、こうさつするものであって、しゅうきょうの、きょうぎのゆうれつを、はんていする、きじゅんをもたない、かちはんだんを、りゅうほする。
 しんこうの、くどくについて、しゅうきょう、しゃかいがくを、ちゅうしんにかんがえる、しの、たちばからすれば、どのようなしゅうきょう、しゅうは、でも、それぞれのしんこうしゃにとっては、それなりのくどくが、あるのだから、なにを、しんこうしても、よいということになる、「ほんもんのほんぞん」に、かんれんして、しが「にちれんしゅうかくはの、しんこう、ならびに、にちれんさんしゅうの、しんこうにも、おうぶんのくどくがある」と、するのは、すべてのしゅうきょうにたいして、かち、ちゅうりつてきな、しゃかいがくてき、けんちにたって、いるからであろう。
 ぎゃくにいえば、しが「しゅうきょう、てき、くどくのとくてい、しんこうへの、どくせんということは、じじつとしては、ひていされる」と、めいげんするとおり、とくていしゅうきょうが、「このしんこう、いがいに、しんのくどくきゅうさいはない」と、しゅちょうすることは、じじつとしては、あやまりとして、ひていすることになろう。
 ひょうめんてきな、じじつとしては、どのような、しゅうきょうを、しんこうしようと、また、むしゅうきょうであろうと、だれびとの、じんせいにおいても、こうふくプラスもあれば、ふこうマイナスもある。
 そのじじつだけを、きょうちょうすれば、どのようなしゅうきょうを、しんこうしようと、またむしゅうきょうであろうと、なんのそういもないと、いうことになる、わざわざとくていのしゅうきょうを、しんこうするひつようもない。
それでは、すべてのしゅうきょうそのものが、およそむいみ、むかちなものであり、たんなる、もうそうになりかねない、かみもほとけもなく、よのなかはしょせん、かねとちからだという、にほんじんに、ひろくみられる、てっていした「げんせしゅぎ」「しゅうきょうべっし」に、つながっていく。
しかし、しゅうきょうの、とくしつとして、どのようなしゅうきょうであれ、たしょうなりとも、じしんのきょうぎによってこそ、しんじつのきゅうさいがある、たのしゅうきょう、しゅうはによっては、しんじつのきゅうさいは、ないと、じこのさいしょうせいを、しゅちょうするものである。
 どのような、しゅうきょうでもよいと、とく、しゅうきょうは、まず、かいむであろう、「しゅうきょうは、なんでもよい」としたのでは、あえて、そのしゅうきょうを、たてるりゆうがなくなる。
 いわば、「このしんこうにこそ、しんのくどくきゅうさいがある」として、じこのさいしょうせいを、しゅちょうする、「かくしん」に、しゅうきょうのとくしつがあるのであり、それを、あやまりであるとして、ひていする、しの、けんかいは、しゅうきょうの、とくしつを、みうしなったものとして、むしろ、しゅうきょうのひていに、なりかねないのではなかろうか。
 じこの、きょうぎのさいしょうせいを、しゅちょうするのが、しゅうきょうのとくしつであるから、ぶっきょう、きょうてんでも、じきょうのくどくと、たくえつせいをとき、ひぼうしゃの、ばつをとくことは、ひろくみとめられる。
 なかでも、にちれんが、さいしょうのきょうてんとした、ほけきょうは、ほけきょうじゅじの、くどくと、ほけきょうひぼうしゃの、ばつがずいしょで、きょうちょうされている。
 そのような、きょうもんは、まいきょにいとまもないが、たとえば、やくおうぼさつほんじほんでは、「もし、また、ひとあって、しっぽうをもって、3000だいせんせかいにみてて、ほとけ、および、だいぼさつ、ひゃくしぶつ、あらかんに、くようせんも、このひとの、えるところのくどくは、この、ほけきょうのないし、いちしくげを、じゅじする、そのふくの、もっともおおきにはしかじ」そうかがっかいばん、ほけきょう593ぺージ と、ほけきょうじゅじの、ぜつだいなくどくをとき、また、だらにほんでは「もしわが、しゆに、じゅんぜずして、せっぽうしゃを、のうらんせば、こうべわれて、しちぶになることあり、じゅのえだのごとくならん」
どう648ぺーじと、ほけきょうのぎょうじゃを、なやますもののげんばつを、といている。
 このやくおうぼさつ、ほんじほんのもんを、しゃくして、ちゅうごくの、みょうらくたいしが、『ほっけもんぐき』で「くようするあらんものは、ふくじゅうごうにすぐ、う、くようしゃ、ふくかじゅうごう」、と、のべたことは、よくしられている。
 にちれんは、まんだらほんぞんの、さゆうのかたに、この「う、くようしゃ、ふくかじゅうごう」のもんと「にゃく、のうらんしゃ、ずはしちぶ」のもんを、したため、ほんぞんじゅじの、くどくと、のうらんしゃの、ばつを、めいかくにした、にちれんしんぴつのまんだらの、さんもんには、このほかにもすうしゅるいあるが、まんだらほんぞんの、かんせいきである、こうあんねんかんの、まんだらにしるされるのは、この「う、くようしゃ、ふくかじゅうごう」、「にゃく、のうらんしゃ、ずはしちぶ」のさんもんが、たいはんで、それいがいのものは、ほとんどない。

また、にっこうも、このさんもんをしるすことを、きほんとし、にっこうもんりゅうで、しょしゃされる、まんだらほんぞんには、この「う、くようしゃ、ふくかじゅうごう」、「にゃく、のうらんしゃ、ずはしちぶ」のさんもんが、しるされている。
 しかし、とくていの、しんこうだけに、くどくがあるという、たちばをひていする、みやたしは、べつのろんぶんで、このまんだらほんぞんの、さんもんをとりあげて、つぎのようにいう。

 「わたしは、にちれんのまんだらに、かかれた、かふくのさんもんの、よげんは、しゅうきょう、しゃかいがくてきには、しんりとはいえないと、おもっている。
 ちゅうりゃく、そのいみで、わたしは、にちれんのしゅちょうは、あやまっているとおもっているから、まんだらからは、そのきじゅつを、じょがいすべきだとおもっている」、SGIかっこくの、HPのきょうぎ、しょうかいのさいに、ついて、しは、にちれんずけんの、まんだらにも、あやまりがあるから、そのぶぶんを、さくじょすべしと、しゅちょうするのである。
 いうまでもなく、まんだらほんぞんには、にちれんのきょうぎが、ぎょうしゅくして、しめされている。
そのいみで、まんだらほんぞんに、したためられた、くどくとばつの、さんもんには、じしんがしょうがいをかけて、かくりつした、しゅうきょうにたいする、にちれんのぜったいのかくしんが、こめられている。
 そのにちれんの、いわば、いのちをかけた、かくしんのひょうめいを、みやたしは、かんたんに、ひていするのである。
 このような、しのけんかいは、かちはんだんを、りゅうほした、かちはんだんのきじゅんを、あえてもたない、しゅうきょうしゃかいがくを、もちいながら、くどくとばつという、しゅうきょうてき、かちをさいだんする、あやまりをおかしていると、いわざるをえない、じげんがことなるものを、こんどうして、どういつのじげんに、おいている。
 おおくの、しゅうきょう、しゃかいがくしゃは、そのじげんの、そういをにんしきしており、かちはんだんを、りゅうほしている、しゅうきょうしゃかいがくの、たちばからとくてい、しゅうきょうの、きょうぎや、ほんぞんをさして、「あやまっている」などと、えっけんてきに、さいだんするようなことは、していない。
 みやたしの、けんかいは、しゅうきょう、しゃかいがくのじょうしきからも、はずれたものとなっている。
 しは、しゅうきょうしゃかいがく、そのものも、ごかいしているのではなかろうか。
 そのような、たいどでは、にちれんのしゅうきょうを、ないざいてきに、りかいすることは、とうてい、ふかのうであろう。

  • [203]
  • 本予約しました。

  • 投稿者:大阪の地区ブチョ?、メール
  • 投稿日:2016年11月 4日(金)21時00分28秒
 
Amazonで本予約しました。あとは奥さんともめないようにしないとな。


  • [202]
  • 【信仰と哲学と三諦論】かな 7から終わりまで 大仏のグリグリのとこ 氏

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月 4日(金)02時13分33秒
 
7、さんたいのまとめ。
せいりすると、
①、くうたい、とは〝しょうぶん〟のことであり、ちえのはつろですから、しんぽであり、かつりょくのこと。
②、けたい、とは〝かりわごう〟のことであり、げんじつのすがたですから、ちょうわのこと。
③、ちゅうたい、とは〝じょうじゅうふへん〟のことであり、ふへんのせいめいですからこんげん、いっさいのなりたつ、げんてんのこと。
 このさんたいの、にんしきろんこそが、とうようてつがく、《だいじょうぶっきょう》の、こんかんとなるものであり、じったいを、にんしきする、りろんたいけいです。
 これまでの、せいようてつがくには、この、がいねんと、しこうがありませんでした。
 たとえば、「くう」というがいねんをとりあげても、いっぱんの、てつがくにおいては、「うと、む」の、ふたつを、こんげんとして、かんがえ、それいじょうは、すすんでいません。
 しかし「くう」は、む、ではありません。
 あるといえば、なく、ないといえば、あるという、うむを、きめることができない
うちゅうの、しんらばんしょう、せいめいのとくしつが、ぶっぽうでは、かんぜんに、とかれているのです。
 また、「け」というかんがえかたも、ぶっぽうどくとくのものであり、あらゆるものがしゅんかん、しゅんかんに、へんかし、いっていのものは、なにひとつない。
 しんらばんしょうが、ことごとく、「しょうろうびょうし」、「《しょうじゅういめつ》※せいせい、ていじゅう、へんか、めっしつ」の、すがたをしめしています。
 かがくが、そりゅうしのせかいに、また、うちゅうに、このすがたを、みいだしたのは、ついさいきんのことです。
 ところが、ぶっぽうにおいては、すでに、3000ねんまえに、そのほうこうをたっかんしていたのです。
 なかにいたっては、たのてつがく、しそうのそうぞうを、はるかにこえるものであり、せいめいの、ほんしつをときあかした、だいてつがくです。
 ぶっぽうてつがくの、いだいさは、このちゅうたいの、はっけんにあったともいえるのです。

8、みんしゅうをふこうにする、せいようてつがく。
ここでさんたい、《くう、け、ちゅう》のげんりを、げんだいの、しはいてき、しそうである、「ゆいしんろん、ゆいぶつろん、じつざいしゅぎ」にあてはめてみると、
 ゆいしんろんは、くうたいのいちぶぶん。
 ゆいぶつろんは、ちゅうたいのいちぶぶん。
 じつざいしゅぎは、ちゅうたいのいちぶぶん。
 を、それぞれといたものと、いえます・・・とはいっても、それぞれ、おなじであるというのではなく、それにちかい、きわめてひょうめんてきな、いちぶぶんをといたというだけです。
 もっとぐたいてきにいえば、ゆいしんしゅぎは、じゅうはちせいき、しょとうの、イギリスのだいひょうてきな、ゆいしんしゅぎしゃ、バークリーが、「ぶっしつは、ことごとく、こころのげんえいにすぎない」とのべているように、ぶっしつよりも、せいしん、にくたいよりも、こころをちゅうしんにして、かんがえる、しそうであり、くうたいに、おもきをおいた、かんがえかたです。
 また、ゆいぶつしゅぎは、せいめいをぶっしつめんに、おきかえて、かんがえるがゆえに、けたいの、いちぶを、といたといえます。
 さらに、じつざいしゅぎは、じこのほんしつとはなにかと、とい、にんげんせいの、きゅうきょくを、じつざいとなづけ、これを、ついきゅうしています。
 このじつざいという、かんがえかたは、ちゅうたいに、ちかいはっそうであると、いえます。
 ようするに、これまでの、てつがくは、いずれもさんたいの、ごくいちぶをといたものであり、いちめんてきなせいめいかんです。
 しかも、ゆいしんろんは、げんじつから、ゆうりしたかんねんの、ゆうぎにだしており、
ゆいぶつろんは、それで、せいめいぜんたいを、きていしようとしたために、「せいめいのそんげん」を、ふみにじる、ぼうりょくかくめいろんを、うみました。
 さらに、じつざいしゅぎは、ついきゅうすべき、じつざいのじったいが、めいかくにされず、せいめいの、ないおうにみる、しゅくめいをだかいすることは、できません。
 これらに、みられるせいめいかんの、あやまりは、せいめいにたいする、みかたのあやまりというより、ぶぶんをもって、ぜんたいとすることから、きているとおもいます。
 また、げんだいしゃかいに、あてはめてかんがえていけば、「しんぽやかつりょく、
《くう》、ちょうわ、《け》、げんてん、《ちゅう》」の、みっつのうち、どれひとつかけても、しゃかいのけんぜんな、はってんはありえません。
 たとえば、にんげんという、げんてんなきちょうわは、なれあいの、りがいてき、だきょうとなります。
 また、しんぽなき、ちょうわは、ていたいです。
 さらに、ちょうわの、してんがけつらくした、しんぽや、はってんは、しゃかいに、さまざまなゆがみをもたらし、へんぱな、しゃかいをつくりだして、みんしゅうをふこうにおいこんでいます。

9、さんたいえんゆうとは。
   しゃかいの、よりよきはってんを、ささえる「げんてん、ちょうわ、しんぽや、かつりょく」のみっつを、ともにそなえ、えんゆうにして、えんまんなる、だいうちゅうのほんげんの、とうたいこそ、しんじつのちゅうどうであり、なんみょうほうれんげきょうなのです。
 「さんたいが、バラバラではなく、こんぜんいったいと、なっている、じったい、すなわち、えんゆうのさんたいとは、なにであろうか。
 それは、いわゆる、なんみょうほうれんげきょうなのである、《つうげ》」《717ぺーじ》とあるとおりです。
 さんたいろんは〝《いったいそくさんたい》、さんたいそくいったい〟というえんゆうのさんたいがとかれてかんけつします。
 つまり、せいめいは、さんたいによってとらえても、けっして「くう、け、ちゅう」それぞれが、バラバラにぶんりしてそんざいし、せいめいがそれぞれによって、くみたてられて、いるというものではなく、あくまでも、ひとつのじったいを、みっつのかんてんから、にんしきするということです。
 いってみれば、にんしきする、しゅたいからの、ひかりのあてかたによって、みっつにあらわれるものですが、じったいはひとつなのです。
 さんたいといっても、いったいにふくまれ、いったいといっても、さんたいによってとらえた、じったいのいちめんなのです。
 この、えんゆうのさんたいこそ、せいめいのぜんたい、はあくであり、いっさいの、しそう、てつがくをほうがんした、かんぜんむけつの、だいてつがくなのです。
 この「えんゆうのさんたいは、なんみょうほうれんげきょうなり」とけつろんした、だいしょうにんの、しそうを、みっつのしてんから、ひかりをあてて、しゃかいにてんかいし、「そうかしそう」ともいえる、てつがくけいせいの、きばんをつくったのが、そうかさんだいの、ししょうである、まきぐちせんせい、とだせんせい、いけだせんせいです。
 さいごに、それをかくにんして、おわりたいとおもいます。

10、まきぐちせんせいの、じっしょうしゅぎ。
  げんかくな、かがくてきたいどと、じっしょうしゅぎてきな、いきかたをつらぬいてきた、まきぐちせんせいは、しゅうきょうは、もとより、それにかぎらず、いっかんして、〝せいかつとの、かんけいのしょうめい〟に、かんしんをもっていました。
 まきぐちせんせいが、にちれんぶっぽうに、ひきつけられたりゆうは、いろいろあるとおもいますが、「にちれんぶっぽうを、しんこうしてみよう」と、こころが、うごいたのは、しゃくそんがといた、しゃくそんめつごの、ぶっぽうへんせんの、よげんが、にちれんだいしょうにんに、よって、じっしょうされた、からだとおもいます。
 まきぐちせんせいは、こうのべています。
 「されば、にちれんだいしょうにんが、ほけきょうのよげんどおりに、まっぽうの、にほんこくにしゅつげんして、その、もんもんくくを、ごいっしょうのうちに、しめしあらわして、せいかつとの、かんけいを、しょうめいされなければ、ほけきょう、いっかんは、たんなる、ゆうこんそうれいなる、こうそうのしょうせつとして、ぶんがくかんしょうの、さくひんにしか、すぎないであろう。
 したがって、しゃくそんのみでも、にちれんだいしょうにんのみでも、たんどくでは、いかなる、くしんさんたんのしょうめいも、ひとをして、しんようさせるわけには、いかないであろう。
 かく、ぜんぶつ、《しゃくそん》とごぶつ、《にちれん》と、たがいに、そうおうすることによって、はじめてしんずることが、できる《しゅい》」。
 《まきぐち、つねさぶろうぜんしゅう、はちかん67ぺーじ》と。
 まきぐちせんせいは、ぶっぽうがけっして、じんせいのじっせいかつと、むいみなものではなく、むしろ、ばんにんを、こうふくにしていくものであると、かんがえていました。
 そして、ぜんぶつ《しゃくそん》と、ごぶつ《にちれん》のそうおうが、2000ねんのときをこえた、ひつぜんてき、いんがかんけいとして、なっとくできたからこそ、にちれんぶっぽうの、しんこうを、はじめたのだと、おもいます。
 まきぐちせんせいは、しゅうもんに、にゅうかいしてからも、いっかんして、「はったつしたる、じんみんは、かならずしも、しゅうきょうのきげんち、そのたの、れいちをさんけいせずとも、ないしんのしんこうによりて、そのしゅうきょうしんを、まんぞくするを、えるにいたる」、。《まきぐち、つねさぶろう、ぜんしゅう、924ぺーじ》。
 というかんがえは、いささかも、ゆらいでいません。

11、そうかがっかいの、れきしとかくしん。
  とうじの、じょうきょうを、かたった、とだせんせいの、「そうかがっかいの、れきしとかくしん」、《とだ、じょうせい、ぜんしゅう、さんかん 106ぺーじ》をよめば、わかりますが、まきぐちせんせいのみは、しゅうもんにありましたが、まきぐちせんせいのしてんは、すでに、そのわくをこえ、そのたいどは、あくまでも、「いっしゅうが、ほろびることではない、いっこくが、ほろびることを、なげくのである。
 しゅうそ、しょうにんの、おかなしみをおそれるのである。
 いまこそ、こっかかんぎょうのときではないか、なにをおそれているのかしらん」、でした。
 これが、まきぐちせんせいのこころであり、そうかがっかいのげんてんです。
 こっかけんりょくに、たいして、かんぎょうした、ごくちゅうでのたたかい、《じんもんしょ》で、まきぐちせんせいは、「ざいけのかたちで、にちれんしょうしゅうの、しんこう、りねんに、かちろんをとりいれたところに、わたしのかちがあるわけで、そこに、そうかきょういく、がっかいの、とくいせいが、あるのです。
 いちおうは、にちれんしょうしゅうに、しょぞくしていますが、そうかきょういくがっかい、そのものは、にちれんしょうしゅうの、しんこうに、わたしのかちそうぞうろんを、とりいれた、りっぱな、いっこのざいけてき、しんこうだんたいです、《しゅい》」。
《まきぐち、つねさぶろう、ぜんしゅう、じゅつかん188ぺーじ》と、のべています。
 まきぐちせんせいは、にちれんぶっぽうを、「かちろん」という、してんから、かちそうぞうの、じっせんりょくを、といつづけ、〝ちえ〟の、ちからを、ついきゅうしたものと、いえます。
 つまり、にんげんのじっせんを、しゅだいかした、そうかしそうの、りんりてつがく、《たほうめんの、どうとくや、せいじゃのきじゅんを、かんがえるてつがく》です。
 また、にぶんほう、《うむ》では、とらえきれない、せいめいこそが、〝ほとけのしょうたいである〟と、ごだつした、とだせんせいの、「せいめいろん」は、しゃくそんのといた、〝ちゅうどう、えんぎ〟や、りゅうじゅのといた、〝くうかん〟とう、とうと、
ひょうげんされる、だいじょうぶっきょう、てつがくの、〝しんり〟の、げんだいてき、ひょうげんです。
 この、とだせんせいの、せいめいろんは、そうかしそう、てつがく、それじたいでは、ないかとおもいます。
 そして、しゅたいてきな、にんげんと、にんげんとが、ちょうわして、ゆうこうてきにむすびあう、せかいをめざす、いけだせんせいの、「にんげんろん」は、ぶっぽうの、〝じひ〟を、けぎとして、かくりつするもの、・・・つまり、しゃかいりねんか、するものとして、とらえることができ、しゃかいてつがく、《しゃかいのありかたに、ついてかんがえる、てつがく》ともいえます。

12、せいめいのせいきを、けいしょう。
  せいりすると、しんこう、《なんみょうほうれんげきょう》の、じっせんろんを、こうせいする、「ちえ、しんり、じひ」のみっつのそくめんを、そうかしそうは、げんだいてきに、・・・。
かちろんは、ちえ、
せいめいろんは、しんり、
にんげんろんは、じひ。
として、てんかいし、にちれんぶっぽうを、しゅがんとした、だいじょうぶっきょう、てつがくを、それぞれ、ちがったかくどから、ひかりをあてたもので、いずれも、「にんげんと、しゃかいと、しぜん」を、しゅたいとした、そうかがっかい、どくじの、しそうてき、かちです。
 そして、まきぐち、とだりょうせんせいの、こころざしをついで、この、そうかしそうを、「にんげんしゅぎの、しゅうきょう」として、きょうちょうし、せかい、192かこく、ちいきに、せんようしたのが、いけだせんせいなのです。
 だいしょうにんは、
「むりょうぎは、〝いっぽう〟より、むりょうのぎを、しゅっしょうす」《784ぺーじ》とのべています。
 どんなしそうであれ、しゅぎしゅちょうであれ、それらはすべて、「こんげんのいっぽう」、から、しょうじたもので、あるとして、ほうかつてきにとらえ、それらを、しよう《よりたかいだんかいでいかす》しつつ、。ただしい、いちを、あたえていくのが、ぶっぽうのちゅうどうしそうです。
 にんげんのつくりだした、しゃかいたいけいが、やがて、にんげんのてを、はなれ、ぎゃくに、にんげんを、しはいするに、いたったげんざい、それを、「にんげんのため」の、たいけいとして、へんせいするには、「にんげん、せいめいの、そんげん」を、うらづける、
たしかな、せいめいてつがくを、きちょうとしなければならない、・・・だからこそ、しんこうしゃは、たしかなるにちれん、きょうがく、《せいめいてつがく》と、そうかしそうの、けんさんを、おこたっては、いけないのです。
 いけだせんせいは、「そうかがっかいは、えいえんに、ぶっぽう、ちゅうどうのだいどうを、あゆむ《しゅい》」と、うったえています。
 わたしたちは、この、ししょうの〝こころざし〟を、けいしょうし、せいきを、「せいめいのせいき」にしていくことこそが、でしのしめいでは、ないかとかんがえます。
おわり

  • [201]
  • 【信仰と哲学と三諦論】かな 4 5 6 大仏のグリグリのとこ 氏

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月 4日(金)02時10分57秒
 
4、まんだらほんぞんをずけん。
てんだいぶっぽうが、いちねん3000ろんとして、しめしたほけきょうの「じったい」を、だいしょうにんは、〝なんみょうほうれんげきょう〟とにんしきし、こうねん、このだいもくを、はいした、まんだらほんぞんを、ずけんします。
 そして、どんなひとでもちょくせつ、ぶっぽうのきゅうきょくの、じったいにふれるような、しんこうかんきょうを、ととのえようとしたのです。
 だいしょうにんが、かくりつした、しゅぎょうほうによって、ばんにんがじっせん、かのうとなり、しにたえていた、しゃかぶっぽうが、にちれんだいしょうにんの、かくりつした、ぶっぽうによってみごとに、そせいしたのです。
 だからといって、だいしょうにんは「わごうそうだん」を、けっして、ひていしていたわけではありません。
 じじつにおいて、だいしょうにんの「こころざし」を、けいしょうしようとする、わごうそうだんを、たいせつにしてきたし、ばんねんには、ろくにんのろうそうをさだめて、めつごにおける「こころざし」の、けいしょうをきたいしています。
これらのれきしてきじじつをみたときに、「にちれんは、しゃくそんのほけきょうから、いっぽも、ぬけでて、いないので、しゃかしゅうのいっぱだ」。
 「てんだいのいちねん3000ろんを、けいしょうしているから、にちれんは、てんだいしゅうのぶんぱだ」。
 などと、くだらないぎろんが、みんしゅうにとって、いったいなんのりえきが、あるのでしょうか。
 これを、かんねんのゆうぎというのでは、ないでしょうか。
 だいしょうにんのぶっぽうは、「せいめいのほんしつ」にせまった、てつがくであるとともに、しんらばんしょうの、きていにながれる、せいめいにしてんをおき、そのじったいを、あきらかにして、そのほんしつや、はたらきを、といたものです。
 せいおうてつがくや、かがくは、さまざまなげんしょうを、けんきゅうしたものですが、
ぶっぽうは、それらをほうがんする、せいめいげんしょうを、ほんしつろんから、てんかいしたてつがくといえます。
 だいしょうにんは、うちゅうのせいめいりょくを、もじまんだらの「ほんぞん」としてあらわしましたが、してんをかえれば、むしろ、うちゅうのしんらばんしょうを、うごかしている、だいせいめいのほうそくを、きゅうめいできたればこそ、じったいとしての、「ほんぞん」を、かくりつできたのだとおもいます。
 しゃかぶっぽうも、せいめいのきゅうきょくを、はあくしようと、していましたが、かんぜんに、なしえなかったのが、じつじょうです。
 だから、けっきょく、じったいとしての、「ほんぞん」をかくりつできず、せいしんしゅぎに、おちいってしまったのだとおもいます。
 だいしょうにんが、ていじした、うちゅうを、うごかす、だいせいめいのほうそくとは、「なんみょうほうれんげきょう」です。
 なんみょうほうれんげきょうこそが、せいめいのほんしつであり、こんげんの、じったいであり、くずれざる、ぜったいの、こうふくをかくりつする、ほんげんです。
そのように、にんしきした、じったい《なんみょうほうれんげきょう》を、こんぽんにして、せいかつ、じんせい、しゃかいに、かちをそうぞうしていく、じっせんがしんこうなのだと、かんがえます。

5、しんじつのじったいとはなにか。
  さて、てつがくのはなしにもどします。
ぼうとうにも、のべましたが、てつがくとは、しんらばんしょう《いっさいのげんしょう》の、そのおくにあるじったいと、ほんしつへのかいめいにあり、そのめいだいは、、「しんじつのじったいとはなにか」という、といかけに、しゅっぱつてんが、あるとのべました。
 つまり、わたしたちの、にくがんにうつる、せかいだけが、ほんとうのすがたなのか、
それとも、かがくでみいだした、げんしのせかいがすべてなのか、それとも、、せいしんのせかいが、しんじつのじったいなのか、とうとう・・・いまもって、このろんそうは、つづいています。
 たとえば、ゆいぶつろん、ゆいしんろんなどがそうです。
 しかし、とうようてつがく、《だいじょうぶっきょう》では、このもんだいを、いともかんたんにときあかしています。
 それが「さんたいろん、《さんたいのげんり》」です。
さんたいとは、《くうたい》、《けたい》、《ちゅうたい》のみっつをいいますが、〝たい〟とは、「つまびらか、あきらか」といういみです。
 うちゅうの、しんらばんしょうの、じっそう《しんじつのすがた、じったい》は、このみっつの、してんと、そのたちばから、あやまりなく、あきらかに、はあくすることができるというものです。
 つまり、〝さんたい〟とは、だいじょうぶっきょうを、てつがくてきに、たいけいかした「にんしきろん」です。
 このみっつのしてんを、かんたんにせつめいすると、まず〝くうたい〟とは、いっさいのげんしょうの、「しょうぶん」をみることです。
 しょうぶんとは、せいしつ、ちえ、かんじょう、などをさします。
くうとは、あるといえばなく、ないといえばある、という、うむのがいねんをこえた、そんざいであり、ぶっしつてきに、とらえることはできないが、じょうたいとしては、げんとして、みとめざるをえない、じったいです。
 たとえば、わがこころのなかに、〝おこる〟というじょうたいがあるとします。
 いかりは、えんにふれて、おこりますが、おこって、いないときには、その、いかりのじょうたいは、どこをさがしても、わがこころにはありません。
 では、なくなったのかというと、かんぜんになくなったのではなく、また、えんにふれてあらわれてきます。
 それだけではなく、じっかいのかんじょうが、ないざいしています。
 また、ばんぽうの、しょうぶんとは、ひとが、はなしをしたり、はなが、さいたりすることもそうでしょう。
 これらは、いきていくうえでの、ちえのはつろですから、〝しんぽ、かつりょく〟と、とらえることもできます。
 このようなそんざいを、「くう《しんぽ、かつりょく》」というのです。

6、〝けたい〟とは、〝ちゅうたい〟とは。

〝けたい〟とは、いっさいのげんしょうを、ぶっしつめん、げんしょうの、へんかのめんから、みていく、げんじつのすがたです。
 いっさいのげんしょうは、「いんとえんによって、わごう《かりわごう》」しているとにんしきするのが、けたいです。
 かりとは、いっぱんてきにいう、<《かり》のげんしょう>といういみではなく、いってみれば、「そんざいのへんか」のめんと、「せいせいのはってん」のめんをいいます。
 たとえば、わたしたちの、にくたいでいえば、さまざまなきかんが、どくじのきのうをはたしつつ、ぜんたいのちょうわを、たもって、とういつした、せいめいたいを、かたちづくっています。
 しかし、しのおとずれによって、すべてがはいとなり、ちりとなってしまいます。
 このように、とういつした、せいめいたいとして、きのうしているすがたは、「けわごう 《ちょうわ》」としてとらえるのです。
〝ちゅうたい〟とは、とういつ 《ちょうわ》された、せいめいたいとしての、そんざいを、あきらかにみることです。
 それをじょうじゅうふへんのじったいとみます。
 たとえば、Aさんというひとの、にくたいは、けわごうで、しんちんたいしゃを、くりかえし、しゅんかん、しゅんかんに、かわっていきます。
 また、Aさんのこころも、しゅんかん、しゅんかんに、おこったり、わらったりしています。
 しかし、この、けたいと、くうたいだけでは、せいめいのしんじつのすがたを、とらえたとはいえず、さらに、そこには、じょうじゅうふへんの、せいめいをみることができるのです。
 どういうことかというと、たとえば、しょうねんのとき、そうねんのとき、ろうねんのときにも、いっかんして、かわりない、Aさんというじんかくが、そんざいします。
 このAさんを、Aさんたらしめている、じつざいを「われ」といい、この、ほんしつにめを、ひらいていくことを、ちゅうたいというのです。
 ちゅうたいは、ふへんのせいめいですから、「われ、《こんげん、いっさいのなりたつ、げんてん》」と、いえるわけです。

  • [200]
  • 【信仰と哲学と三諦論】かな 1 2 3 大仏のグリグリのとこ 氏

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月 4日(金)02時03分11秒
 
【信仰と哲学と三諦論】:大仏のグリグリのとこ 。2016年10月26日、

しんこうと、てつがくと、さんたいろん。
1、せいようのてつがくと、とうようのてつがく。
   じんるいは、こらいより、だいしぜんのきょういにたいして、おそれうやまう、こころ《いけいのねん》とともに、にんげんをふくめた、いっさいのげんしょうの、こんていにある、ほんしつへの、かいめいを、たんきゅうしてきました。
 せいおう、ぶんめいから、はっしょうしたてつがくは、プラトンのイデアろん、《※われわれが、にくたいてきにかんじている、たいしょうや、せかいはあくまでも、イデア<※かみに、にせて、つくったぞう>、にすぎないというせつ》。
アリストテレスの、ぎょうそうと、しつりょうのせつ、また、じつざいしゅぎに、おけるそんざいろんなど、じぶつを、どうとらえるかということについて、じつに、さまざまなせつが、となえられ、はげしい、ろんそうを、くりかえしてきました。
 いっぽう、とうようぶんめいから、はっしょうしたてつがくは、なんといっても、しゃくそんをきてんとして、りゅうじゅ、てんじん、てんだいがゆうめいです。
 また、きんねんの、げんしろんから、そりゅうしろんにいたる、かがくてきぶんせきも、
じぶつの、ほんげんてきな、じったいをこうさつしていこうとする、てつがくてきな、しせいからうまれたものです。

〈ようするに、てつがくとは〉。
しんらばんしょう、《いっさいのげんしょう》の、こんていにあるものとは、なにかをといかけ、かいめいしていくことを、しゅっぱつてんとした、がくもんであり、じんせい、せかい、うちゅうのきゅうきょくを、たんきゅうしたものが、てつがくのしゅうちゃくてんだとおもいます。
それにたいして・・・。
 しんこうは、その「じったい」なるものを、にんしきし、にんしきしたじったいを、こんぽんにして、にんげんのせいかつ、じんせい、しゃかいにかちを、そうぞうしていく、じっせんが、しゅがんとなります。
いっぱんてきに、「しんこう《しんじん》」といえば、しゃかぶっぽうを、おもいうかべるひとが、おおいとおもいますが、わたしたちがっかいいんは、にちれんだいしょうにんのぶっぽうを、しんぽうしています。
 では、しゃかぶっぽうと、にちれんぶっぽうの、さいだいのちがいは、どこにあるのでしょうか。
まずは、ここからかんがえて、いきたいとおもいます。

2、しゃかぶっぽうと、にちれんぶっぽうの、さいだいのちがい。
これは、ぶっぽうをまなんでいくうえで、ほんしつろんのきほん、ぜんていともいえるものですが、しゃかぶっぽうと、にちれんぶっぽうの、さいだいのちがいは「じったい」があるか、ないかということです。
じったいとは、なにかというと「ほんぞん」です。
 この、ほんぞんが、かくりつしているか、いないかが、しゃかぶっぽうと、にちれんぶっぽうをけっていてきに、わけている、てんなのです。
 しゃかぶっぽうでは、〝ほんぞん〟が、かくりつされていないので、じっせんほうがめいかくではなく、しゃくそんめつごは、いちぶのエリートだけの、せんゆうぶつとなってしまいました。
 しかし、にちれんだいしょうにんの、ぶっぽうは、〝ほんぞん〟をかくりつしたことによって、ぜんみんしゅうが、じっせんできるものとなり、どうじに、ぜんせかいに、るふしえるものとなったのです。
 そもそも、しんこうと、てつがくは、ほんらい、ひとつ《いったい》のものです。
 そうでなければ、てつがくだけでは、くうきょなものになってしまい、たんなる、えにえがいたもちです。
 また、しんじんだけでは、もうもく、もうしんと、なってしまいます。
 ぶっぽうを、てつがくのめんからみれば、するどい、ちょっかんちをもって、せいめいをどうさつした、いだいなてつがくたいけいです。
 とくに、にちれんだいしょうにんの、せいめいてつがくは、かこの、だいろんしが、きずき、つみあげてきた、だいじょうぶっきょうてつがくを、さいだいげんに、かつようし、おうようしつつ、せいめいのこんぽんを、かんぺきにときあかした、てつがくのさいこうほうといえるでしょう。
 しかし、いまや、にほんのきせいぶっきょうは、けいがいかし、けいしきしゅぎに、ながされているようにみえます。
 そうなった、さいだいのげんいんは、ほんらい、みんしゅうを、きょうかしていく、たちばのにんげんが、いっしゅう、いちはという、ちいさいむれにこだわり、ふかい、てつがくてき、しさくとけんさんを、おこたってしまったからだと、おもいます。
 また、てつがくかいにしても、いたずらに、なんかいな、げんじをろうし、かんねんろんとなっているのは、しんこうという、どじょうをうしなってしまったからだと、かんがえます。

3、せいめいのせいき。
   せいめいの、じったいをかいめいした、てつがく《だいじょうぶっきょう》や、にちれんぶっぽうを、たいけいかした、だいろんしたちの、えいち《ろんしゃくとう》は、けっして、いちぶのひとのものではなく、ぜんみんしゅうのものとして、たかめていくべきです。
 なぜかといえば、せいめいてつがくや、しんこうには、こっきょうはなく、にんげんのこうふこうの、もんだいは、じだいも、こっきょうもかんけいなく、ぜんせいめいにつらぬかれた、ふへんせいの、ものだからです。
 それが、いけだせんせいの、うったえた、21せいきは「せいめいのせいき」たらしめることだとかんがえます。
 だいしょうにんは、「にちれんは、いずれのしゅうのがんそにもあらず、また、まつようにもあらず」《1239ぺーじ》とめいかくに、だんげんしています。
 つまり、だいしょうにんは、いちしゅう、いちはの、きょうだんをたちあげるという、いしきはまったく、なかったということです。
 だいしょうにんの、いきかたを、おってみると、12さいのときに、にほんてんだいしゅうの、しぶともいえる、きよすみでらでにゅうかいし、ぶっぽうのきほんを、まなびます。
 そのご、ほんぶである、ひえいざんにりゅうがくして、ほんかくてきに、てんだいのぶっきょう、てつがくたいけいを、けんさんし、しゃくそんのせいしんや、てんだいきょうがくのしんいを、つかみとりました。
 しかし、だいしょうにんは、ほんぶである、ひえいざんのむれからはなれ、しぶの、きよすみでらにかえって、じしんがつかんだ、ほけきょうのせいしんを、せんげんしたとたんに、はくがいがおこり、しぶ《きよすみでら》から「はもん」・・・。
 このいちれんのながれをみて、ぎもんにおもうことは、なぜ、だいしょうにんは、ほんぶ《ひえいざん》の、むれから、はなれたのかということです。
それは、でんぎょうが、ほけきょうのせいしんを、つたえるために、ひらいた、ひえいざんや、きょうと、かまくらにおける、ていたらく、しせる、しゅうはや、きょうだんのげんじょうをみたときに、けんりょくとゆちゃくし、けんいと、けぎで、こりかたまった、きょうだんを、ひていしたのだとかんがえます。
 じょうきの、だいしょうにんのことばは、それをものがたっているようにおもう。
 じじつにおいて、そのけんい、けんりょくを、いちばんきらったのが、だいしょうにんであったし、それらと、いのちを、として、たたかったのが、だいしょうにんでした。
 このよの、いっさいのげんしょうに、きゅうきょくの、しんりの、かがやきをみとめ、
それを、じざいのちえで、いかそうとする、しゃくそんのほけきょうは、てんだいによって、ぶっきょうしの、おもてぶたいに、とうじょうしましたが、ながいあいだ、いちぶのエリートがくそうの、あいだでぎろんされるに、とどまっていました。
 しかし、そのげんかいを、うちやぶる、ほけきょうしんこうが、だいしょうにんによって、ふたたび、「みんしゅうぶっぽう」として、よみがえったのです。

  • [199]
  • 御義口伝講義 おんぎくでん こうぎ  かな 11

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月 1日(火)02時14分36秒
  • 編集済
 
おんぎくでん こうぎ  かな 11

  これらは、いちおう、いがくをちゅうしんとしてろんじたものである。いがくは、ちょくせつせいめいのもんだいにかんけいあるがゆえにひいたにすぎない。この「しきこころふに」ということについては、おんぎくでんのいたるかしょにでており、そのつど、こうさつしていきたいとおもっている。
しゃくにくいっごくにきせしむゆえにぶつじょうというと
 いっごくとは、いまのべたとおり、さいこうのてつがくをいう。ぶつじょうとはいちぶつじょうのことである。すなわち、じょうぶつのきょうがいをいう。みょうほうという、さいこうのてつり、だいしそうをじっせんしてのみ、えいえんにくずれざるこうふくきょうがいをひらくことができるとのげんであられる。
 ていきゅうてつがく、へんぱなしそうをもとにすれば、かならずむじゅんをしょうじ、こんらんとふこうをもたらしてしまうのである。せかいのだいぶぶんのひと々びとは、しんじつのみょうほうのだいてつりをしらない。そのしょうこに、しゃかいはふあんていであり、せかいはどうらんのれんぞくなのである。なお、こじんのしゅたいせいをうしない、ゆくてをうしない、むかちのじんせいにしゅうししているといえよう。
 このもんこそ、てんだいのもんをひいての、さいこうほうのだいしそう、えいえんふめつのだいてつがくはこれなりとの、にちれんだいしょうにんのせんげんなりとはいするものである。
またいわくなんみょうほうれんげきょうのなむとはぼんごみょうほうれんげきょうはかんごなりぼんかんぐじになんみょうほうれんげきょうというなり
 これ、とうようのこうせんるふは、かならずできるとのおよげんともはいせる。にちれんだいしょうにんのぶっぽうに、へんぱがないしょうこのもんでもある。だいごほんぞんをはいするに、ちゅうおうに「なんみょうほうれんげきょう にちれん」とおみとめである。なむとはぼんご、みょうほうれんげきょうはかんご、にちれんはにほんごである。さゆうじっかいのしゅじょうにも、ぼんかんにちのさんかこくのもじがぜんぶはいっている。みぎはし、ひだりはしにあるぼんじは、ふどうみょうおうならびにあいぜんみょうおうをあらわされている。ほかは、にほんご、かんごである。
 これこそ、にちれんだいしょうにんのぶっぽうが、にほんのみならず、ぜんとうよう、ぜんせかいのぶっぽうであることをいぎづけられているのである。しょせん、なんみょうほうれんげきょうのだいぶっぽうが、とうようへ、せかいへるふされていくことは、じだいのようきゅうであり、にんげんほんねんのよっきゅうであり、せきとめようとしても、けっしてとめることのできないほんりゅうなのである。
れんげとはいんがのにぽうなりこれまたいんがいったいなり
 これはいんがくじをとかれたおんふみである。いんがくじについては、さきにいんようしたとうたいぎしょうもんだんに「いんがくじふしぎのいっぽう」としてあかされているとおりである。すなわち、きゅうかいをいんとなしぶっかいをかとなしたばあい、きゅうかいそくぶっかい、ぶっかいそくきゅうかいとなり、きゅうかいぶっかいともにいちねんのしんぼうにある。ゆえに「いんがくじふしぎのいっぽう」というのである。そしてさいおうじっかいかくぐのいんがにやくせば、じごくかいのばあいは「しんにはこれあっくのいん、あっくはこれしんにのか」となる。ぶっかいのばあいは「しんじんはこれしょうだいのいんしょうだいはこれしんじんのか」となる。このようにいんがはあるけれども、ともにせつなのせいめい、いちねんのしんぼうであるがゆえに「いんがくじふしぎのいっぽう」ととかれているのである。
 この「いんがくじ」について、さらにろんじてみたい。ほんがみょうであるしゃかぶっぽうは、いんがいじのおしえである。にちれんだいしょうにんの、ほんいんみょうのぶっぽうは、いんがくじをあかされている。せいめいのほんしつをろんずれば、けっきょくいんがくじである。このことをだいいちにしらねばならない。

おんぎくでん こうぎ  かな 12

   ほんにんみょうしょうにいわく
 「つぎにしゅうのよんじゅうとはいちにいんがいしょうのしゅう・ほうべんごんきょうなり、ににいんがしょうのしゅう・これしゃくもんなり、さんにいんがびょうじょうのしゅう・すなわちほんもんなり、よんにいんがいちねんのしゅう・もんにく「けにもこころあればすなわち3000をぐす」と、これすなわちまっぽうじゅんえん・けっちょうふぞくのみょうほうなりうんぬん、」0871-01と。
 しゃかぶっぽうはいんとかをぶんりし、あるいはたいりつさせてかんがえようとする。およそ、よのなかのげんしょうのいんがかんけいをひょうめんてきにみれば、いんがいじである。からだのぐあいのわるいときにくすりをのむ。しかし、くすりがきくまでに、あるていどのじかんがかかるだろう。しかし、こんぽんのせいめいにないざいするいんがりつは、いんがくじである。このいんがりつのおうていを、きわめとかれたものが、にちれんだいしょうにんのぶっぽうである。すなわち、あくまでいんがくじである、「いんがいちねんのしゅう」ともうされたゆえんは、ここにあるわけである。
 しゃくそんは、32そう80しゅこうをげんじたしきそうそうごんのほとけととかれている。これは、とうじのしゅじょうに、りそうじんかくをえがかせたものとかんがえられる。じじつ、しゃくそんは、じぶんがほとけになるまで、ながいあいだのしゅぎょうをへていたといんいのしゅぎょうのちょうえんなることをあげている。このように、しゃくそんは、とうじのしゅじょうにたいし、ほとけというりそうじんかくを、かつごうれんぼせしめたのである。
 かんじんのほんぞんしょうにいわく「とうていわくきょうしゅしゃくそんはこれよりけんごにこれをひすさんわくみだんのほとけなりまたじっぽうせかいのこくしゅ・いっさいのぼさつ・じじょう・にんてんとうのしゅくんなりみゆきのときはぼんてんひだりにありたいしゃくみぎにはべりししゅうはちぶしりえにしたがいこんごうまえにみちびびきはちまんほうぞうをえんぜつしていっさいしゅじょうをとくだっせしむこれくのごときぶっだなにをもってわれとうぼんぷのこしんにじゅうせしめんや」0242-14と。
 このもんはじゅじそくかんじんをときおこすためのといのもんである。ここにしゃかぶっぽうのそうみょうがうかがえるのである。
 まさしく、しゃかぶっぽうは、ながいあいだのぶつどうしゅぎょうをへて、ぶっかをえるとするので、どこまでもいんがいじとなる。たとえ、ほんもんといえども、500じんてんごういぜんに、ぼさつどうをながいあいだぎょうじたとし、いんがいじであり、ほんがみょうのぶっぽうとなる。
 にちれんだいしょうにんのぶっぽうは「ぼんぷそくかんじん」のぶっぽうであり、いんがぐじであり、とりもなおさずほんいんみょうのぶっぽうである。
 おなじくかんじんほんぞんしょうに「しゃくそんのいんぎょうかとくのにほうはみょうほうれんげきょうのごじにぐそくすわれらこのごじをじゅじすればじねんにかのいんがのくどくをゆずりあたえたまう」0246-15と。われわれがなんみょうほうれんげきょうを、じゅじすることによって、なかに、うちゅうぜんたいの、ふくち、くどくがおさまるということである。


おんぎくでん こうぎ  かな 13

  きょうとは、ぶってんのきょうもんのことだと、せじんはおもっている。しかるにぶっきょうじょうのきょうとはけっしてそれだけをいみするものではない。うちゅうのしんらばんしょうのごごん、どうさ、ことごとくきょうである。けんてつのげんどうもきょうであれば、いちぼんぐのさけびもきょうである。このきょうは、そのものじたいのしんりとかちをひょうめいする。ゆえにひじょうよりもうじょうのきょうはたかく、うじょうのうちでも、ネコ、イヌよりぼんぷのきょうがたかいのである。また、ひとのなかでもぼんげのものよりちしゃ、ちしゃのなかでもだいちしゃのきょうがたかい。だいちしゃといわれるもののなかでも、ほとけとなづけられるほうのきょうがもっとたかいとけつろんできるわけである。
 なお、われわれのせいかつにみえるばあいに、さかなやはさかなやとしてのきょうを、にちじょうよんでいる。せいじかはせいじか、だいくはだいく、しょっこうはしょっこう、ろうどううんどうのしどうしゃは、そのろうどううんどうのきょうをよんでいるのである。
 ぶつめつごのこんにち、みょうほうれんげきょうのきょうはもっともたかしとするゆえんは、みょうほうとはさいだいのかちあるせいめいであり、れんげとはさいこうかちあるせいめいをないほうするぎょくたいである。ゆえにさいこうぜんをいとなむ、すなわち、だいぜんせいかつをいとなむきょうこそさいこうであり、しんりであるとのいみを、とだじょうせいぜんかいちょうは、つねにいわれていた。
れんげとははちようきゅうそんのぶったいなり。
 はちようきゅうそんとは、いちおうしんごんみつけのとく、たいぞうかいまんだらのちゅうおうのいちいんがはちようのれんげとなっている。そのちゅうおうにはだいにちにょらい、とう、ざい、なん、ぼく、とうなん、とうほく、せいなん、せいほくのしゅういのはちようにはしぶつ、しぼさつのはちそんがすわっている。これらをさしてきゅうそんといっているのである。しかし、これは、だいにちのきょうもんにとくといえども、ごんだいじょうきょうである。じつだいじょうきょうであるほけきょうのまなこ、ひらいてみれば、じつに「きゅうかいそくぶっかい」のいみをせつめいしていることがわかる。ごんだいじょうのだいにっけいでは、きゅうかいそくぶっかいをとけぬゆえに、せいめいろんのかいめいのぜんていとして、そういうひとつのけいしきをしめしたのであろう。
 にちれんだいしょうにんがいんれいなされたのも、そのいみはせいめいろんとしてあつかわれているのである。したがって、ぜんぶんには「きゅうじはきゅうそんのぶつたいなりきゅうかいそくぶっかいのひょうじなり」とおおせである。きゅうかいはいんでありぶっかいはかである。きゅうかいそくぶっかい、これはいんがくじではないか。いんがくじこれれんげのほうである。ゆえに「れんげとははちようきゅうそんのぶつたいなり」とおおせられたのである。なお、このはちようのれんげは「きょうかんのはちようのれんげ」をいみしているのである。
 けつろんするに、みょうほうにてらされて、そこにげんぜんとして、ぶっかいがけんげんされるさまを「はちようきゅうそん」といわれたのである。
「きょうかんのはちようのれんげ」とは
 さて、ぶっきょうでは、われわれのむねのなかにはちようのれんげがあるとしゅちょうするが、こんにちのかいぼうがくじょう、なっとくできないひともあろうとおもう。これはなにをいみしているかというに、ふたつのいみがある。い26せいにちかんしょうにんの「とうたいぎしょうもんだん」および、とだじょうせいぜんかいちょうのかいせつによってすこしくのべてみよう。
 そのひとつは、われわれのせいめいそれじたいがみょうほうれんげきょうであるということである。
 ふたつには、われわれのせいめいじたいがみょうほうれんげきょうそくとうたいれんげであるということを、われわれのにくたいのちゅうからみだしだしたことである。しからばなにをもって、きょうかんのはちようのれんげというかというに、しんぞうとはいぞうのいっついをいみするのである。かいぼうがくによってしんぞうとはいぞうのありさまをみるに、ふたつのはいぞうにつつまれてしんぞうがある。そのかたちが、あたかもれんげによくにているのである。これをなづけてきょうかんのはちようのれんげといっているのである。


おんぎくでん こうぎ  かな 14

  これあたかもほけきょうとひゆれんげのごときもので、ほけきょうにあたるとうたいれんげは、われわれのせいめいそれじたいであり、ひゆれんげにあたるとうたいれんげは、しんぞうと、それをつつんだふたつのはいぞうである。それゆえ、われわれのきょうかんにはちようのれんげがありとするのは、われわれじたいがみょうほうれんげきょうのとうたいであることを、つよくいしきせしむるのである。あたかもタイのひれのつけねに、タイのかたちとおなじほねがあって、これをタイのタイとなづけ、またにんげんのしご、かそうにふしたときにひとのかたちによくにたほねができるが、これをのどぼとけとなづくるようなものである。
 でんぎょうたいしのごずけつにいわく「とうたいれんげとはいっさいしゅじょうのむねのあいだにはちようのれんげであり、これをなづけてとうたいれんげとなす」うん々ぬん。
 このきょうかんのはちようのれんげは、だんしはあおぎじょしはふすといわれている。しかして、もしにょにんがみょうほうをじゅじすれば、だんしとおなじくあおぐなりとおおせられている。これにはふかきいみがあるとおもう。かいぼうがくてきに、はいぞうがかいてんするといういみではなかろう。せいりがくてきには、なにかしら、しんぞうとはいぞうのかつどうにさいがしょうずるであろうとすいていするだけである。
 せいめいろんよりすれば、だんしとじょしは、いっぱんてきに、せいかつりょくにさいがあることはみとめざるをえない。しかして、ほんもんかいだんのだいごほんぞんをしんじるじょせいは、そのせいかつりょくがだんしとどうようになるとのいである。それゆえにちかんしょうにんは「とうりゅうのにょにんはげめんはにょにんでるが、ないしんはこれだんしである」とおおせられている。ねはんきょうのだいきゅうに「ぶつしょうをみるものはこれにょにんといえどもまただんしとなづく」と、このゆえに、じゃしゅうをしんずるにょにんは、これにょにんというといえどもこれやしゃであると。このことはけごんきょうにつぎのごとくっている。「げめんはぼさつににてないしんはやしゃのごとし」と。
 そして、このきょうかんのはちようのれんげのいろはどうかというと、これびゃくれんげであるとけっていせられる。
まただいにちきょういちにきょうかんのれんげをとくもんにわく「ないしんのみょうびゃくれんははちようしょうえんまんなり」とううんぬん。
 ほっけでんだいろくにいわく「びくにみょうほう、ぞくしょうはりし、としようやくちょうだいにしてじょうしゅっけをよろこぶ、としじゅうにのときそのあねほけきょうをゆおし、ひにはちしをじゅしげつよにしていちぶをじゅしおえる、ひとそのとくをびにしてみょうほうという。ねがいをたてふじゅ8000べんりんじゅうのときざにさんくきのびゃくれんをしょうず、いけにしょうずるときのごとし、なのかにしていらくせず」うんぬん。
 しゃくしょ11にいわく「しゃくしれんちょうてんせいせいきんにしてみょうきょうをじす、しんぜつじんしつにしてひとつきにせんぶをへる。りんじゅうのとき、ふじのれんげひとつくきをにぎる。せんびゃくくんれつ、ぼうにんとうていわくこのはななによりえる、こたうこれみょうほうれんげなりいいおわってすでにじゃくす、しゅちゅうのれんげこつねんとしてみえず」とううんぬん。


おんぎくでん こうぎ  かな 15

これは、みょうほうどくじゅのこうようによって、きょうかんのびゃくれんげをけんげんしたとといているのである。じっさいもんだいとしてびゃくれんげがけんげんしたとするか、またみょうきょうのたいをたいとくしたとするか、これはじょうちゅうげのきこんにまかせてはんどくすべきであるといわれている。それゆえにちかんしょうにんのおおせに「ぞうぼうすでにしかなり、いましょうだいをはげむあにけんげんせざらんや、ゆえにしりぬきょうかんのれんげはまさにびゃくれんげなり」と。
 いままっぽうげすのさんぽうはにちれんだいしょうにんのきょうかんのだいびゃくれんげがけんげんしたまうのである。じゅうにょぜのことにいわく「みょうほうれんげきょうのたいのいみじくおはしますはいかようなるたいにておはしますぞとたずねだしてみればわがしんしょうのはちようのびゃくれんげにてありけるごとなり、さればわがみのたいしょうをみょうほうれんげきょうとはもうしけるごとなれば…」0411-12とううんぬん、ゆえに、ごほんぞんのちゅうおうになんみょうほうれんげきょう・にちれんとおしたためあそばされているにちれんとは、びゃくれんげをいみしているとのおおせである。
 にちれんだいしょうにんがびゃくれんげであるということは、せんのななに「あるにんいわくびゃくれんはひにしたがってひらきまわり、しょうれんはつきにしたがってひらきまわるゆえにそのなかにはなのかいごうをもちいてちゅうやをひょうするなり」とううんぬんとのべられているとおりである。にちれんのたいそのままがちゅうおうのごほんぞんであり、すなわちびゃくれんげなのである。
 またごかいさんにっこうしょうにんもびゃくれんげであらせられる。そのゆえはごかいさんは、「びゃくれんあじゃり」と、なのられている。しょせんじしょうのりによって、なはかならずたいをあらわすとくがある。びゃくれんあじゃりのぎょめいはまさしくごかいさんにっこうしょうにんがびゃくれんげであることをあかしているのである。ゆえにまっぽうげしゅのさんぽうは、われわれしゅじょうのきょうかんのはちようのびゃくれんげなのである。

  • [198]
  • 御義口伝講義  おんぎくでん こうぎ かな9 10

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年11月 1日(火)02時13分27秒
  • 編集済
 
おんぎくでん こうぎ  かな 9

   このしゅちょうは、いかにきょうまで、ゆいぶつろんならびにゆいしんろんが、せいめいぜんたいのけんきゅうのさまたげになってきたかをものがたるひとつのしょうこといえよう。かれじしんが、きゅうきょくをかいけつしたとするのでなく、あたらしいかくどからのきゅうめいがひつようである。そのひとつのしさとして、わたしはいんようしたわけである。
 もはや、ふかしぎなるせいめいのじったいを、ゆいぶつ、ゆいしんでみようとするじだいはすぎさった。もしも、このようなしそうでろんずるひとありとせば、かこのしめつせるしそうにしゅうちゃくする、あわれなひとにほかならない。
 それはけつろんしていえば、せいめいは、「しきしんふに」なのである。これこそ、げんだいのてつがく、せいぶつがく、いがくとう々とう、すべてにきすうしていくじじつなりとうったえるものである。とくに、せいめいのもんだいとみっせつなかんけいをもつ、いがくのぶんやにおいて、そうしたけいこうがけんちょではないかとおもう。「せいしんしんたいいがく」がさいきんとみにさけばれるようになってきている。これもひとつのこうれいとかんがえられる。これは、びょうきのげんいんを、たんににくたいだけにかぎるのではなく、しんにもげんいんをもとめようとするすいいである。こうしたかんがえかたは、ぶっぽうでは、すでに3000ねんまえからといてきた。
 あるいがくしゃは、つぎのようにのべている。
 「せいしんとか、しんとはなにか、ということはむかしからもんだいになっていて、こんにちではそのほんたいはわからない。むかしはにくたいからどくりつしたこころがあるとかんがえられていたが、こんにち、いがくしゃはこころはのうのかつどうによってしょうずるとおもっている。しかし、それはのうのどんなはたらきによるのかはわからない。2+2=4であるとかんがえるときや、わたしはかなしい、とかんずるせいしんてきなものを、のうのさいぼうのなにかのへんか、でんりゅうやかがくてきへんかで、おきかえていいあらわすことはできない。それでこころはこころ、からだはからだとしてとりあつかっておくよりしかたがない。こころとからだにはわれわれにみえるかんけいもないのかというと、そういうものでもない。
 たとえば、さけをのむと、アルコールがきゅうしゅうされてのうへゆき、のうのしんけいさいぼうのたいしゃに、へんかをあたえるが、このときにこころについては、きがおおきくなって、ゆかいになったり、しゃべりになったり、さらにおおくのアルコールがいけば、いしきをうしなってしまうのだ。
 こんどはぎゃくにこころのへんかが、からだにへんかをおよぼすことがあろう。じっさいこういうこともありうる。たとえば、おそろしいめにあったとする。おそろしいというのは、こころのできごとであるが、ぶっしつてきなからだのほうめんでは、かおのけっかんがしゅうしゅくしてそうはくになり、けはさかだち、からだはふるえ、どうこうはひろがり、しんぞうのこどうは、はげしくなり、けつあつがあがる。いっそうおそろしいめにあえば、かしがまひして、いわゆるこしがぬけたじょうたいなる。これらは、みんな、こころのへんかをげんいんとするからだのへんかである。
 これらのきのうてきかんがえかたは、ぶっぽうにとく、しきしんふにのせいめいてつがくにいっぽちかずいたしょうさともいえよう。しかしながら、これは、いがくじょうのたちばのしさくであり、にくたいとこころのひょうめんてきなかんけいを、ばくぜんといいあらわしたにすぎない。きょくげんすれば、げんざいのいがくやせいぶつがくで、せいめいのじったいをかいめいすることは、とうていふかのうなことだ。これは、いがくしゃやせいぶつがくしゃが、すでにみとめていることではないか。
 あるせいぶつがくしゃはつぎのようにのべている。
 「せいめいとはなにか。このことは、ぶつりがくてきなじかん、くうかんが、ぶつりかがくからていぎできないとどうように、せいめいはせいぶつがくてきかがくからは、ていぎできないのであって、せいめいははあくするいがいにほうほうはないのである。そして、このせいめいのはあくというもんだいは、じつはかがくいがいのたいけんのもんだいである」と。


おんぎくでん こうぎ  かな  10

     ところで、いかにせいめいをはあくするか、いかなるたいけんをせよというのかがじゅうだいもんだいなのである。
 なお、あるいがくしゃは、いがくのげんかいをつぎのようにのべている。
 「しぜんかがくはにんげんがしぜんのなかにあるしんりをけんきゅうして、それからえたけっかをにんげんせいかつにりようしようとしている。それゆえしぜんかがくのこんていには、にんげんがしぜんをしはいしりようしようとしているもくてきがよこたわっている。いがくのおこなうところはふつうこれである。しかし、しぜんかがくてきなほうほうでいがくはずいぶんはったつしたとはいえ、せいめいのしんぴ、こころのしんぴについてはまだなにもわかっていない。いがくにたずさわるものは、このしんぴにちかずこうとたえずどりょくをしなければならない。しかしびょうしゃはこのしんぴがいしゃにはわかっているはずだとかんがえて、しぜんかがくになんとかしてもらうことができるはずであり、それがいがくてきちゆだとおもっている。ところがほんとうはほとんどなにもわかっていない。
 かいぼうがくのひとはからだのぶぶんにくわしいなをつけるのみであり、せいりがくのひとのからだがはたらくときにどんなぶっしつてきへんかがあるかをみるだけのことである。ないかでは、ばいきんのびょうきにたいしては、それをげんずるようなぶっしつをはっけんしつつあるとはいえ、そのたのびょうきにたいしてはしぜんのちゆりょくをさまたげないようにみまもり、そのあいだ、びょうしゃのふあんをいしのそんざいによってなぐさめているのである。あるいはかんぜんになおらなかったびょうしゃにあたらしいせかいをつくりだしてびょうしゃをそこにてきごうさせてなおしたようにおもっておる。とうにょうびょうかんじゃにはとうしつせっしゅをへらしてインシュリンちゅうしゃをするというせかいかいかくをおこなえばけんこうなごとくにせいかつしてゆき、これがちゆなのである。
 げかではわるいところをきってしまうというのがちりょうである。いがんができればいをだいぶぶんとってしまい、ちゅうすいえんのときにはちゅうすいをとってしまう。しかし、のうのびょうきのときにのうをとってしまうというわけにはいかない。とにかくいしゃはせっきょくてきにちゆするということはなかなかできない。いしゃは、いまのところ、けいっぽんはえさすこともできず、にきびのあとをきれいにすることもできないのである。
 にくたいてきびょうきもそうであるから、のうのはたらきのいじょうとはいえ、こころのげんしょうというような、いっそうつかまえどころのないものがかんけいしたびょうきにたいしては、しぜんかがくてきなぶっしつてきなてづるはほとんどないのである。しんけいしょうのごとき、のうのぶっしつてきなものをてがかりにできないようなこころのびょうきには、それをびょうきとしてなおそうとしてあくせくおもいわずらうのがいけない。びょうきならびょうきでしかたがない。せけんいっぱんのかちはんだんからすればわるいものではあるが、これはそれでしかたがないかと、じぶんのこころのじょうたいをやむをえないとしてこうていし、しぜんにまかせるのである」


  • [197]
  • 御義口伝講義  おんぎくでん こうぎ  かな 6 7 8

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月30日(日)02時41分8秒
 
おんぎくでん こうぎ  かな 6

とうたいぎしょうもんだんにいわく「とういんがくじふしぎのいっぽうとはそのたいなにものぞや、こたうそくこれいちねんのしんぼうなりゆえにでんぎょうのしゃくをひいていっしんのみょうほうれんげというなり、まさにしるべしいちねんのしんぼうとはかんがうるにそくこれしきこころそうざいのいちねんなり、みょうらくがそうざいいちねんというはべっしてしきしんにわけ、べつをせっしてそうにはいるとうとこれなり。とういんがくじとうとはそうみょういかん、こたうしばらくにぎをもってこれをけせん、ひとつにはいちおうきゅういんいっかにやくす。いわくこのいちねんのこころにじゅうほうかいをぐすきゅうかいをいんとなしぶっかいをかとなす。じっかいえんねんといえどもごぐごゆうしていちねんのしんぼうにありゆえにいんがくじふしぎのいっぽうというなり、ににはさいおうかくぐにやくす、しばらくじごくのいんがのごときあくのきょうちわごうすればすなわちいんがあり、いわくしんにはこれあっくのいんあっくはこれしんにのか、いんがぐすといえどもせつなにありゆえにいんがくじのふしぎのいっぽうというなり、ないしぜんのきょうちわごうすればすなわちいんがありいしばらくしんじんはこれしょうだいのいんしょうだいはこれしんじんのか、いんがぐすといえどもただいちねんにあり、ゆえにいんがくじのふしぎのいっぽうというなり、これぶっかいのいんがなり、りゃくしてしじゅうをあぐちゅうげんかつのはちかいはじゅんせつしてしるべし」と。
 いま、このいちねんのせいめいについてさらにろんきゅうしたい。
 「せいめい」といっても、しゅんかんのれんぞくである。しゅんかんいがいに「せいめい」のじつざいはありえない、かこは、あくまでかこであり、みらいは、また、あくまでみらいである。かこは「あった」のでありげんじついまどきに「ある」のとはみずからちがう。みらいは「あるだろう」ということであって、じじつじつざいすることとはちがうものだ。だが、そのしゅんかんの「せいめい」は、たとえ、しゅんじといえども、かこのいんとみらいのがをないぞうしていることにはまちがいない。きびしくろんずれば、かこ々おんのんごうの、いっさいのいん、みらいえいごうのいっさいのかはそのしゅんかんのせいめいのなかにふくまれているわけである。
 もし、しゅんかんということのみをぶんせきすれば、かこもない、げんざいもない、みらいもないわけだ。そうかんもんしょうには「かことみらいとげんざいとはみつなりといえどもいちねんのしんちゅうのりなればむふんべつなり」0562-08との、ごきんげんのとおりである。
 せいようにおいてだいてつがくしゃとしょうせられるカントは、じかんは、われわれのこころのなかにあるしゅかんてきなものであることをといている。

おんぎくでん こうぎ  かな 7

カントいぜんに、せいようてつがくをきずいてきたてつがくしゃたちは、じかん、くうかんはきゃっかんてきそんざいであるとおもいこんでいたわけであるが、それらのてつがくをそうごうしてあたらしいてつがくてきたちばをうちたてたカントは、じかん、くうかんとうは、ほんらい、がいかいにきゃっかんてきにそんざいするものでなく、われわれががいかいのたいしょうをにんしきするばあいのしゅかんてきけいしきであるとしゅちょうしたのである。
 そして、このかんがえは、じゅうらいとまったくぎゃくであるから、ちょうどてんもんがくにおいて、てんどうせつにたいしてちどうせつをといたコペルニクスのいぎょうにもひすべきものであるとじふしたのである。
 かれのじかん、くうかんろんは、ぶっぽうにひとつぽちかずいたものとしてきょうみぶかいものである。
 とだじょうせいぜんかいちょうは、つぎのようにもうされている。
 「いま、そのしゅんかんとおもったせつなは、ただちにかことなり、みらいとおもったしゅんかんがげんざいとなって、ただちにかこにうつるのである。ありといえばなく、なしといえばあり、すなわち『くう』というがいねんにあたるじつざいであります。しかしながら、われわれは、そのしゅんかんにこうふくをかんじ、ふこうをみ、きぼうをもったり、しつぼうしたりするせいかつをおくるのであります。このしゅんかんが『せいめい』ぜんたいとももうせましょう」と。
ぶっぽうでは、このしゅんかんの「せいめい」をば、てっていしてといているといってもかごんではない。あるときは、たてに、くおんがんじょと、くおんそくまっぽうとといている。あるときは、このいちねんが、よこにほうかいにへんずるととく。しょせん「うちゅうそくわれ」のだいげんりを、めいさいにときあかしている。このたてにみらいえいごう、かこ々おんおんごうをはらみ、よこにじっぽうにへんずる「しゅんかんのせいめい」をば、ぶっぽうのしんずいではいちねんさんのげんりによってせつめいしているのである。じっかい、じっかいごぐ、じゅうにょぜ、さんぜけんとう々とう、それらは、じゅうおうむじんに「いちねんのせいめい」を、とききっているところである。
 いちねんさんりじには、みょうらくのぐけつのもんをいんようをもって、つぎのごとくおおせである「ぐのごにく「いちねんのこころにおいてじっかいにやくせざればことをおさむむることアマネからずさんたいにやくせざればりをとることあまねからずじゅうにょをかたらざればいんがそなわらずさんぜけんなくんばえしょうつきず」もん0408-11すなわち、じっかいによって、せいめいのじっそうがわかる。また、じゅうにょぜによって、せいめいにないざいするいんがが、あかされる。そしてさらに、さんぜけんによって、えしょうふにのげんりがあかされてゆくところである。ゆえに、このいちねんじゃくしょうのいちねんには、じっかいも、いんがも、えしょうも、ことごとくぐそくしているものなのである。
 さて「いちねんじゃくしょう」の「じゃくしょう」とは、しょうじょうにとく「じゃくめつ」あるいは「くうじゃく」にそうたいしたないようである。しょうじょうきょうでは「しょうめつめっち・じゃくめついらく」とあるように、ぼんのうをだんじつくし、しょうじをはなれるところにさとりがあるとする。それにたいし、だいじょうでとく「じゃくしょう」は、ぼんのうそくぼだいであり、しょうじそくねはんのことである。このどこそ、じょうじゃっどととき、このよをはなれてさとりはなく、このしんたいは、そのままじょうらくがじょうなりととくのである。

おんぎくでん こうぎ  かな 8

このように「じゃくめつと「じゃくしょう」とでは、こんぽんてきに、せいめいかん、しゅぎょうかんのそういがある。「じゃくめつ」のたちばは、すべてをぎせいにして、おのれのみさとりをえることにつとめる。りこしゅぎきわまりない。「じゃくしょう」のたちばは、じんせいをたのしみつつ、しゃかいにかちそうぞうしながら、さとりをえる。しゃくそんじしん「よんじゅうよねんみけんしんじつ」と、しょうじょうにぜんのしゅぎょうをうちやぶっていることは、とうぜんうなずけることである。あくまで、「じゃくめつ」のしゅぎょう、じんせいは、かいりつにしばられ、せいやくされ、まことにざんこくといわざるをえない。
 げんだいしゃかいにおいいても、ていきゅうしそう、じゃぎ、じゃしゅうにしゅうちゃくし、まんぞくしているひと々びとは、このたぐいである。へんぱながくしゃ、ひょうろんかとうも、けっきょくは、しんじつのじがなく、ただりこしゅぎにてっし、ひと々びとのこうふくをかんがえぬ、しょうじょうしそうのもちぬしとだんじてさしつかえなかろう。まっぽうのほけきょうのとく「じゃくしょう」は、みょうほうにてらされ、きゅうかいのげんじつにゆうぎしていくじんせいである。じこをさいこうにはっきして、ぜったいのこうふくせいかつをしつつ、しゃかいのはんえいにいそしむさいこうぜんのふるまいをいうのである。
またきとはわれらがしきほうなりいのちとはわれらがしんぼうなりしきしんふになるをいっごくというなり
 「き」とは、たえずしんちんたいしゃしてうちゅうにかんげんされていくにくたいであり、しきほうをいう。「いのち」とはしんぼうのことである。
 たえず、うちゅうのリズムに、みょうごうしゆこうとするさようをいう。このしきしんふにのせいめいてつがくがさいこうのだいてつりなりとのにちれんだいしょうにんのおかくしんであられる。「しき」とは、めにみえるもの、ぶっしつ、けいしつ、あるいはにくたいをいみする。「しん」とはぶっしつにあらざるもの、せいしつ、しょうぶん、あるいはせいしん、ないざいするちからとうをいみする。
 ゆいぶつしそうは、ぶっしつがこんげんであり、ぶっしつちゅうしんしゅぎである。ゆいしんしそうは、せいしんがほんげんであり、ぶっしつは、そのげんえいにすぎないとするしそうである。ともに、あるいちめんのしんりをといたものとはいえよう。しかし、ぶぶんかんは、ぶぶんかんとしてのいぎをもつだけである。ぶぶんかんをもって、ぜんたいかんとすることは、はなはだあやまりといわざるをえない。せいめいそれじたいは、ゆいしんでも、ゆいぶつでもない。おもうに、げんだいのてつがくにおいては、こんにちにいたるまで、せいめいについて、いくたのぎろんがてんかいされてきた。だが、こんぽんてきかいけつはなされていないのである。
 19せいきフランスのじっけんせいりがくしゃ、クロード・ベルナールはつぎのようにいっている。
 「ゆいしんろんとゆいぶつろんをてつがくでろんぎするのはよかろう。が、じっけんせいかつではもんだいにならない。なんのやくにもたたない。きはんはじっけんにしかもとめられないからである。…こんにちではせいりがくはせいみつかがくとなった。もはやてつがくやせいしんじょうのしょしそうをはらいのけるべきである。おもえばながいあいだこれらのしそうがこんざいしていた。すうがくしゃやぶつりがくしゃに、ゆいしんろんしゃかときくひつようがないように、せいぶつがくしゃにもそんなしつもんはすべきではないのである」


  • [196]
  • 御義口伝講義  おんぎくでん こうぎ  かな 5

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月30日(日)02時39分19秒
 
おんぎくでん こうぎ  かな 5

なおここに「A」というひとがいる。「A」といういっこのにんげんのもつほうは、ふへんしんにょのりである。この「A」は、あるときはしょくじをしている「A」である。あるときは、でんしゃにのる、あるく、ねる、おこる、わらう、しごとをするとう、こっ々こくとへんかしていく「A」である。
 このようにへんかしているのがせいかつのじっそうであり、せいめいかつどうなのである。この「A」というひとのいっさいのかつどうはずいえんしんにょのちにもとづいているのである。しかも「A」というひとは、いつでもAであって、べつじんとなるわけではけっしてない。このようにずいえんしんにょのちをはなれて、ふへんしんにょのりがあるのでもなく、ふへんしんにょのりがなくて、ずいえんしんにょのちがあるというのでもない。いっさいばんぶつのじしょうことごとく、ずいえん・ふへんをともにそなえているものなのである。このずいえん・ふへんがともにないざいしているのが、せいめいのじっそうであり、ほんしつであり、みょうほうのじったいなのでる。
 にちれんだいしょうにんはこれを「ずいえんふへん・いちねんじゃくしょう」とおおせられたのである。
 りっしょうかんしょうにいわく「でんぎょうたいしのけつみゃくにいわく「それいちごんのみょうほうとはりょうげんをひらいてごじんのきょうをみるときはずいえんしんにょなるべしりょうげんをとじてむねんにじゅうするときはふへんしんにょなるべし、ゆえにこのいちごんをきくにばんぽうここにたっしひとつだいのすたらいちごんにがんす」もん」0531-15またいわく「めをひらいてみょうほうをおもえばずいえんしんにょなりめをとじてみょうほうをおもえばふへんしんにょなりこのりょうしゅのしんにょはただいちごんのみょうほうにありわれみょうほうをとなうるとき・ばんぽうここにたっしいちだいのすたらいちごんにがんす」0533-04と。
 おんぎくでんには「ずいえんふへん・いちねんじゃくしょう」とあり、りっしょうかんしょうには「このりょうしゅのしんにょはただいちごんのみょうほうにあり」とおおせられているのは、おなじことをあらわしているのである。ゆえに「いちねんじゃくしょう」とは「みょうほう」をいみしているのである。
 「いちねんじゃくしょう」のいちねんとは、ゆいしんろんてきなたんなる「こころ」といういみではない。しきしんともにそなえたるしゅんかん、しゅんかんのせいめいのいぎである。むみょうとほっしょうとをともにふくんだいちねんをいう。きゅうかいとぶっかいをふくんだいちねんである。このいちねんが、じっかいのかつどうをなし、せいめいのうえに、せいかつのうえに、それぞれげんしょうをあたえるゆえに、ゆいしんのいちねんでもなく、ゆいぶつをもさゆうするいちねんなるがゆえに、しきしんふにのいちねんとなるのである。ゆえにこのいちねんということは、とうたいぎしょうに「いんがくじ・ふしぎのいっぽう」とおおせられていることと、まったくどういである。

  • [195]
  • 御義口伝講義  おんぎくでん こうぎ  かな 4

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月30日(日)02時38分27秒
 
おんぎくでん こうぎ  かな 4
わがみもみょうほうのとうたい。うちゅうもみょうほうそれじたいである。われわれがみょうほうをとなえるとき、わがせいめいが、だいうちゅうのほんげんのリズムにがっちするのである。これふへんしんにょのりにきしたことになる。こんどは、そのうちゅうのほんげんりょくたるみょうほうれんげきょうがげんじっせいかつのうえに、せいめいかつどうのうえにゆげんしてくるのである。そのせいめいりょく、ちえがげんせんとなって、くなん・くのうをだかいし、にんげんかくめい、せいかつかくめいをじょうじゅしていくのである。これ「ずいえんしんにょのちにもとずく」にあたるのである。たとえば、ごしょそれじたいはふへんしんにょのりである。えいえんにかわらざるてつりである。ぜったいのしんりだからである。いま、われらがけんめいに、そのごしょをべんきょうしている。これこそふへんしんにょのりにきしているすがたである。さらに、ふへんしんにょのりであるごしょを、しんじんおよびちえによってえとくし、じしんのせいかつのかてに、じんせいかん、しゃかいかんのげんせんとしてゆくことは、ずいえんしんにょのちにもっとずいたことにあたるわけである。
 このほうていしきは、すべてのことにあてはまるといえよう。ここにマイクロホンがある。マイクロホンそれじたいのこうぞうはふへんしんにょのりである。きかいじたい、おんせいかくだいのそしつをぐびしている。そのげんりにかえしているわけである。それに、スイッチをいれ、でんきをながし、じつどうさせる。 おんきょうをかくだいして、じっせいかつのかつどうをかいしした。これずいえんしんにょのちにもとずいたと、このようにかんがえることができる。
 「きみょうとはなんみょうほうれんげきょうこれなり」とのおおせは、われらがなんみょうほうれんげきょうととなえることは、うちゅうのリズムにがっちした、どうりにかなった、しぜんほんねんのすがたである。そのちからが、げんじつのせいかつに、いだいなるちえとかつりょくとなってはっきされることをいうのである。みょうほうは、うちゅうのだいてっそくであり、だいてつりであるとどうじに、おうせいなるせいめいりょくとかがやくえいちのげんせんとなるのである。
 つぎにずいえんふへん・いちねんじゃくしょうとは、いかなるいみであろうか。
 ずいえんしんにょのちといい、ふへんしんにょのりといい、べつ々べつにそんざいするものではけっしてない。どうじにじつざいするほうりなのである。あたかも、ふへんしんにょのりはたいかいのごとく、ずいえんしんにょのりはなみのごとくである。またH?0をふへんしんにょのりであるとすれば、れいすい、ゆ、すいじょうき、こおりにとえんによりへんかしゆくさまは、ずいえんしんにょのちにたとえられよう。

  • [194]
  • 御義口伝講義  おんぎくでん こうぎ  かな 3

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月30日(日)02時37分49秒
 
おんぎくでん こうぎ  かな 3

にちれんだいしょうにんが、だいちえをもって、まっぽうまんねんのじんるいきゅうさいにあたられたことは、ずいえんしんにょのちである。また、しんじんにやくせば「ち」とは「しん」のいみょうである。きょうにいわく「いしんだいえ」と。したがって、われらまつだいようちのぼんぷたりとも、おおいごほんぞんをしんじ、だいもくをとなえるじきどうによって、ぶっかいをゆげんすることが、かんたんにできるのである。これがずいえんしんにょのちである。このばあい、「ずいえん」のえんはごほんぞんにあたる。「しんにょ」とはぶっかいのことである。「ち」とはしんじんのことである。
 とうたいぎしょうをいんようすれば、ぼうとうに「とうみょうほうれんげきょうとはそのたいなにものぞや、うこたじっかいのえしょうすなわちみょうほうれんげのとうたいなり」0510-01とのおことばがある。これによれば、いっさいしゅじょうことごとくみょうほうのとうたいということになる。ところが、おなじとうたいぎしょうのさきをよんでいくと、つぎのようにおおせられている。
 「しょせんみょうほうれんげのとうたいとはほけきょうをしんずるにちれんがでしだんなとうのふぼしょしょうのにくしんこれなり、しょうじきにほうべんをすてただほけきょうをしんじなんみょうほうれんげきょうととなうるひとはぼんのうごう・くのさんどう・ほっしん.はんにゃ・げだつのさんとくとてんじてさんかん・さんたい.そくいっしんにあらわれそのひとのしょじゅうのところはじょうじゃっこうどなり、のうごしょご・しんど・しきしん・くたいくゆう・むささんしんのほんもんじゅりょうのとうたいれんげのほとけとはにちれんがでしだんなとうのなかのことなり」0512-09
 おんふみのごとく、ごほんぞんをしんずるもののみがみょうほうのとうたいなりとごはんていであられる。ふしんのものは、げんじつには、ぜったいにみょうほうのとうたいとはいえないことがあきらかである。
 ぜんぶんは、ふへんしんにょのりにやくしてのべられたごせいくんである。しかし、これはこう・ふこうとはべつもんだいであり、かちとはむかんけいである。ごぶんではこう・ふこうということがだいいちぎのもんだいであり、さいこうかちそうぞうのじんせいこうろは、いかにすべきかのもんだいにたいするおきんげんである。けっきょくはじっせいかつをいみするのである。これはずいえんしんにょのちではないか。
 さて、つぎにしゃくもんふへんしんにょのりにきすとは、まえにのべたとおり、だいうちゅうのほんげんりょくがなんみょうほうれんげきょうであり、このほんげんにきすことをいう。

  • [193]
  • 御義口伝講義  おんぎくでん こうぎ  かな 2

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月30日(日)02時37分5秒
 
おんぎくでん こうぎ  かな 2
 つぎに、ほけきょうしゃくもんにきてぜんせつをくつがえした。すなわち、にじょうさぶつ、にょにんじょうぶつ、あくにんじょうぶつをとき、さらにしょほうじっそうをといて、しんらばんしょうことごとくみょうほうのとうたいであることをしめしたのである。いわゆるいっさいのげんしょうはひゃかいせんにょ、いちねん3000なるをあかしたのである。
 このげんりに、もとづいてゆけば、だれびとたりともみょうほうのとうたいである。いな、ひじょうかいのくさき、がしゃくたりともおなじである。さらにぜんうちゅうがみょうほうのとうたいなのである。れいがいは、いっさいありえない。じかん、くうかんによって、へんかしさゆうされるものでもけっしてない。いっさいしゅじょうことごとく、みょうほうのとうたいであるというどうりは、ぜったいのしんりであり、ありのままのじっそうなのである。ほけきょうしゃくもんでは、このみょうほうれんげきょうという、うちゅうほんげんのり・ふへんしんにょのりをときあかしたのであった。
 りろんてきにこうさつしてゆけば、たしかに、しんらばんしょうは、すべてひゃかいせんにょ、いちねん3000のとうたいであることがうかがえるとおもう。うじょう・ひじょうにわたって、みな、ぶっかい、ぶっしょうをぐしているはずである。しかしこのぶんせきてきこうさつは、あくまでもりにすぎない。ぶっしょうをぐしているだけではかちはしょうじない。たとえば、じぶんじしんが、いかにりろんてきにみょうほうのとうたいであり、かつはぶっかいをぐしているとりかいしても、じじつのはたらきとはべつもんだいだ。びょうきのなやみ、けいざいてきなあっぱく、まいにちがうれえがあるせいかつであるならば、みょうほうのとうたいとも、ぶっかいのゆげんともけっしていえない。りとじのそういは、てんちのちがいがあることがめいりょうとなるわけである。
 われらのせいめいかつどうはたえず「えん」にふれておこなわれているといえよう。じごくかいからぶっかいまでのじっかいのせいめいかつどうは、げんぜんといっこのせいめいにそなわっているが、しかも、えんにふれなければけんげんしないものでる。しかし、われわれは、じごくかいからぼさつかいまでのきゅうかいのようそうは、じぶんのせいかつのうえにも、たにんのせいかつのうえにも、つねにみることができる。しかしながら、ぶっかいとは、いかなるせいめいじょうたいか、そして、そのぶっかいをあらわすほうほうはいかにすべきか、これこそぶっぽううえのじゅうだいもんだいなのである。
 かんじんのほんぞんしょうに「とうていわくろくどうにおいてふんみょうならずといえどもほぼこれをきくにこれをそなうるににたり、しせいはまったくみえざるはいかん、こたえていわくまえにはにんかいのろくどうこれをうたがう、しかりといえどもしいてこれをいってそうじのげんをいだだせしなりしせいもまたしかるべきかこころみにどうりをてんかしてまんかいちこれをのべん、ゆえにせけんのむじょうはげんぜんにありあににんかいににじょうかいなからんや、むこのあくにんもなおさいしをじあいすぼさつかいのいちぶんなり、ただぶっかいばかりげんじがたしきゅうかいをぐするをもってしいてこれをしんじぎわくせしむることれ」0241-10と。
 このげんじがきき、ぶっかいをげんずる。 ここに“しょうとく”ということがだいじになってくるわけである。
 しゃくもんは、りぐのぶっかい。ほんもんでは、ほんいん、ほんが、ほんごくどをあかす。しゃくそんじしんが、いつ、どこで、どういうげんいんによってほとけになったのか。このじじつのふるまいのうえに、かつはしゃくそんじしんのしょうとくのうえに、いちねん3000をときあかしたものであった。このほとけとしての、ぐたいてきじっさいのふるまい。これ「ずいえんしんにょのち」である。ここに「ほんもんずいえんしんにょのち」とおおせなのである。しかし、これはしゃかぶっぽうのはんいないのりろんである。にちれんだいしょうにんのぶっぽうからみれば、しゃくそんのほけきょうは、ほんしゃくともに「しゃく」となり、ともに「ふへんしんにょのり」となるのである。
 ほんいんみょうしょうにいわく「いちだいおうほとけのいきをひかえたるほうはりのうえのほっそうなればいちぶともにりのいちねん3000しゃくのうえのほんもんじゅりょうぞととくいせしむることをだっちゃくのもんのうえともうすなり」0877-02と。
 さきにのべたごとく、ほけきょうほんは、ことごとくまっぽうごしゅつげんのにちれんだいしょうにんおよびおおいごほんぞんのせつめいしょとなる。あたかも、たてもののせっけいずのようなものである。りのうえのほっそうなのである。ゆえに、しゃかぶっぽうは、しゃくもんふへんしんにょのりとなり、にちれんだいしょうにんのぶっぽうこそ、ほんもんずいえんしんにょのちであることがおわかりとおもう。

  • [192]
  • 御義口伝講義  おんぎくでん こうぎ  かな 1

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月29日(土)02時01分54秒
 
おんぎくでん こうぎ  かな 1
 なんみょうほうれんげきょうについて、にちれんだいしょうにんのおんぎくでんにはつぎのようにおおせである。
 「なむ」とはぼんごであって、これをかんごにやくせば「きみょう」という。そのきみょうするたいきょう・たいしょうに「にん」と「ほう」とがある。「にん」とはもんていのしゃくそんそくにんほんそんたるにちれんだいしょうにんである。「ほう」とはまっぽうのほけきょうであり、ほうほんぞんであるところのなんみょうほうれんげきょうである。すなわちひとぽういっかのだいごほんぞんにきみょうすることが、しんじつのなかのしんじつのきみょうなのである。
 また「き」というのは、しゃくもんふへんしんにょのりにきするのである。「みょう」とはほんもんずいえんしんにょのちにもとずくことなのである。なんみょうほうれんげきょうは、うちゅうほんげんのぜったいしんりである。ゆえにみょうほうととなえることによって、うちゅうのほんげんにがっちできうるのである。したがって、ふへんしんにょのりにきしたことになる。そして、そのいだいなるみょうほうのちからがわがせいめいかつどうに、せいかつのうえに、けんげんしてくるのである。これずいえんしんにょのちにもとずいたことになるわけである。けっきょく、きみょうとは、なんみょうほうれんげきょうのことになるのである。
 しゃくには「ずいえんふへん・いちねんじゃくしょう」とある。ずいえんしんにょのちも、ふへんしんにょのりも、ともにじつざいしているのが、せいめいのじったいであり、ほんしつなのである。これをみょうほうというのである。これすなわち、さんだいひほうのなんみょうほうれんげきょうである。このごほんぞんにきえすることによって、ぜったいてきこうふくきょうがいたるじょうぶつがかなうのである。
 また「き」とは、われわれのしきほうをいみする。「みょう」とは、われわれのしんぼうをいみするのである。このしきほうすなわちにくたい・ぶっしつと、しんぼうすなわちせいしん・こころのはたらきがふにであるととく、にちれんだいしょうにんのしきしんふにのせいめいてつがくこそ、さいこうゆいいつのてつがくなのである。このにちれんだいしょうにんの、だいしゅうきょうにきえすることによって、じょうぶつのきょうがい、すなわち、しきしんともに、ぜったいのこうふくかくりつをなすことができるのである。
 また、おおせには、なんみょうほうれんげきょうの「なむ」とはぼんごであり、みょうほうれんげきょうはかんごである。ぼんかんぐじになんみょうほうれんげきょうというのである。また、みょうほうれんげきょうとは、ぼんごのさだるま・ふんだりきゃ・そたらんサダルマ・フンダリキャ・ソタランをほんやくしたものである。さはみょうをいみし、だるまはほうをいみし、ふんだりきゃはれんげをいみし、そたらんはきょうをいみするこのさだるま・ふんだりきゃ・そたらんのきゅうじは、はちようきゅうそんをいみするのである。これをせいめいろんにやくしていえば、きゅうかいそくぶっかいをあらわしているところである。
 みょうほうをむみょう・ほっしょうにやくしてとけば、みょうはほっしょうでありさとりである。ほうはむみょうでありまよいをしめす。したがってみょうほうととうとき、すでにむみょうほっしょういったいであることがあらわされている。れんげとは、いんがのにほうをしめし、いんがいったい、すなわちいんがくじをあらわしている。
 きょうとはいっさいしゅじょうのごんごおんじょうをいうのである。しかして、しょうあんだいしが「こえぶつじをなすこれをなずけてきょうとなす」といっているように、ほっしょうこそ、さいこうのきょうなのである。また、せいめいが、かこ、げんざい、みらいのさんぜにわたって、えいえんにつづいていくことをきょうというのである。しょせん、だいうちゅうも、わがせいめいも、しんらばんしょうことごとくみょうほうであり、れんげであり、きょうなのである。うちゅうせいめいのこんげんのことを、みょうほうれんげきょうというのである。このなかで、れんげとは、はちようきゅうそんというけいしきでしめされている。いじょうのことを、よくよくしさくしなさい。

なんみょうほうれんげきょうがおんぎくでんのぼうとうにきているのは、なんみょうほうれんげきょうこそいっさいきょうのこんぽんであり、ほけきょうのかんようであるからである。
 そやどのごへんじに「なんみょうほうれんげきょうともうすはいちだいのかんじんたるのみならずほけきょうのこころなりたいなりしょせんなり」1058-08うん々ぬんと。
 おんぎくでんげの「28はちほんことごくなんみょうほうれんげきょうのこと」には「じょのじゅうにくいわそうじていちきょうをけっするにただよっつのみそのすうへいをとつてこれをじゅよすと。おんぎくでんにくいわいちきょうとはほんじゃく28ほんなりただよっつとはみょうゆうたいしゅうのよっつなりすうへいとはただだいもくのごじなりじゅよとはじょうこうぼさつにじゅよするなりこれとはみょうほうれんげきょうなりうんぬん、このしゃくふんみょうなりいまにちれんとうのぐつうのなんみょうほうれんげきょうはたいなりこころなり28ほんはゆうなり28ほんはじょぎょうなりだいもくはしょうぎょうなりしょうぎょうにじょぎょうをせっすべきなりうんぬん」0793と。
 またししんごほんしょうに「とうなにがゆえぞだいもくにまんぽうをふくむや、こたうしょうあんのいわく「けだしじょおうとはきょうのげんいをじょすげんいはもんのこころをじゅつすもんのこころはしゃくほんにすぎたるはなし」みょうらくのいわく「ほっけのもんしんをだしてしょきょうのゆえんをべんず」うんぬん、じょくすいこころなけれども、つきをえてみずからきよめりそうもくあめをえあにさとりって、はなさくならんや、みょうほうれんげきょうのごじはきょうもんにあらず、そのぎにあらず、ただいちぶのこころなるのみ、しょしんのぎょうじゃそのこころをしらざれどもしかもこれをぎょうずるにじねんにこころにあたるなり」0342-02とおおせである。
 このようなおんふみはかずおおくあり、ぜんぶなんみょうほうれんげきょうこそ、いっさいきょうのこつずいであり、うちゅうのこんぽんであることをしめしておられる。およそ、しゃかぶっぽうのさいこうほうであるほけきょうであっても、なんみょうほうれんげきょうをこんぽんとしなければ、いくらよんでも、まなんでも、しんじつにほけきょうをよみ、まなんだことにならないのである。げんざい、ほけきょうがさいこうのきょうもんであることは、すこしくぶっぽうをしるうちのひとならだれでもしっている。しかしながら、おおくのひとは、ほけきょうをよんだつもりでいても、もん々もんく々くにしゅうちゃくし、なぜほけきょうがさいこうであるかというこんぽんのりゆうをしらないのである。

いちだいせいきょうたいいに「このほけきょうはしらずしてならいだんずるものはただにぜんのきょうのりやくなり」0404-03と、またかいもくしょうじょうには「とうせいもほけきょうをばみなしんじたるやうなれどもほけきょうにては・なきなり」0195-10ともうされ、もんじょうよみのおおくのひと々びとのさっかくをきびしくいましめられている。
 いったい、ほけきょうにはなにがとかれているのか、これこそこんぽんもんだいなのである。じょぼんにおけるだいぎしき、ほうとうぼんのにしょさんえのぎしき、じゆのぼさつのだいちよりゆじゅつとう々とう、これらはなにをしめすものであろか。ほけきょうを、ほんとうにわかろうとするならば、とうぜんぶつかり、とかねばならないじゅうようかだいといえよう。ただもんじょうのみにとらわれ、まんぞくしているとすれば、ぞうじょうまんであり、ほうぼうのとかはまぬがれないのである。なお、だいぶっぽうてつりをば、われわれとまったくむかんけいにいちづけてしまうのである。せいかつとゆうりしたくうりくうろんにしゅうししてしまうわけである。ほけきょうじょぼんに、すでにだいふしぎがある。それを、とだじょうせいぜんかいちょうは、つぎのごとくのべている。
 「さてこのぎしゃくっせんにあつまっただいいちるいしょうもんしゅう・だいにるいぼさつしゅう・だいさんるいざっしゅうのかずをざっとかぞえてみれば、やく300000にちかいとおもわれる。これだけのだいたすうのにんげんが、どうしてあつまれたかということがふしぎになってくる。たとえ、あつまりえたとしても、しゃくそんのおんせいが、これらのひとへ、どうしてきかせたことか。ほとけはぼんのんじょうがあるといって、ぼんのんじょうのいちそうをもってこれをかたづけるとしても、まつだいわれわれぼんぷはしんずることができない。かくせいきのようなものがあったととくひとがいるが、きょうのかがくしゃはこれをしんずまい。こせきのはっくつから、それらしきものがでてくればべつであるが、いまだそんなはなしをきいたこともない。
 ことにざっしゅうちゅう、たいしゃくてんとか、じざいてんとか、だいぼんてんとか、また、ひとにあらざるりゅうおうとか、きんならとか、けんだっぱとか、かるらとかにいたっては、どうしてもこれをしんずることができょうか。
 ほけきょうをひもといて、これをうのみにするならいざしらず、すこしくかがくてきにこうりょするものは、じょぼんだいいちから、うたがいをおこして28ほんまでどくりょうするきにはならないであろう。しかるに、きょうもんの々ところどころにおいて、これをしんぜざるものはあくどうにだつとある。にちれんだいしょうにんも、また69384のもじもことごとくこんじきのほとけなりとおおせである。こんじきのほとけとはしんりなりとのおことばである。しんぜんとすれば、うたがわざるをえず、これをうたがえばしゃくそんおよびだいしょうにんのにぶつをもうごのほとけとなし、かつはあくどうにおちねばならぬ。ごじんはここにしんたいきわまれりというか。
 ひるがえってふつごをあんずるに、ほとけのことばはいつわりではない。

  しからばなにをいみするのか。
 ほけきょうはとうたいれんげ、ひゆれんげのぎがある。とうたいれんげとはうごかすことのできないしんりのちょくせつせつめいであり、ひゆれんげとはそのしんりをたとえをかりてせつめいしたものである。たとえば、れんげのごとくであるが、いんがぐじのほうそれじたいをとくときはとうたいれんげであって、いんがぐじのほうをれんげのはなをかりて、そのはなとみがどうじにあることをしめしてこれをせつめいするのがひゆれんげである。
 このじょほんのさんるいのたいしゅうのあつまりは、すなわちひゆれんげであって、とうたいれんげではないのである。しからばじょほんのとうたいれんげげいかん。なんまんのしょうもん・なんまんのぼさつ、なんまんのざっしゅうは、これことごとくしゃくそんこしんのしょうもんあり、しゃくそんこしんのざっしゅうである。みょうほうれんげきょうは、しゃくそんのいのちであり、しゃくそんのこころである。さればこそ、じっかいのしゅじょうことごとくしゃくそんのないしょにすむというとも、なんのまちがいもないのである。じょぼんをよむもの、よくよくこれをこころうなければならぬ。なお、すすんでいうならば、じゅりょうもんていのほとけのしもだいちがここにあらわれているとよんでいいのではないか」と。
 けっきょく、ほけきょうは、じょぼんから、せいめいそれじたいをといていることがめいりょうであろう。いな、かいきょうたるむりょうぎきょうにおいて、すでに、せいめいのふかしぎなじったいを、さまざまなかくどからときあかしている。かこ、いくせんまんのてつがくしゃ、しそうかたちが、かいけつにどりょくしてきた。そのせいめいのじったい、ほんたいこそなんみょうほうれんげきょうなのである。 このなんみょうほうれんげきょうは、もんじはななじであるが、そのぎは、じつにじんこゆうえんである。このふしぎなるじったいをあらわすために、しゃくそんはほけきょう28ほんをといて、せつめいにつとめた、ゆえに、しゃくそんのぶっぽうは、こんにちではいえのせっけいずである。にちれんだいしょうにんのぶっぽうたるなんみょうほうれんげきょうは、いえそれじたいである。しゃかぶっぽうは、なんみょうほうれんげきょうをせつめいするひゆれんげであり、だいしょうにんこんりゅうのだいごほんぞんこそ、とうたいれんげである。したがって、ここにだいしょうにんのおんぎくでんにより、はじめてほけきょうの々々もんもんくくがいみをもち、いかされ、せいかつのなかに、じっかんとして、みゃく々みゃくといきてくるのである。
にんぽうこれれありにんとはしゃくそんにこみょうしたてまつるなりほうとはほけきょうにこみょうしたてまつるなり。

 このだんのありかたについてのべれば、きみょうといっても、いろいろなきみょうがかんがえられてくる。むかしのかしんは、しゅくんにこみょうしたといえよう。あるにんは、しごと、けんきゅうに、いのちをとしぼっとうしてゆくばあいもある。これもいっしゅのこみょうのすがたである。あるにんはとざんかとして、やまにいのちをすてることをほんもうとしている。しかし、これらのこみょうはぜったいのこうふくにつうずるこみょうではないのである。
 なにに、きみょうするかによって、そのひとのじんせいのこうふこうはけっていされてしまう。めさきのことのみにいきるじんせい、ひくいもくてきのみにこみょうしてまんぞくしゆくじんせい、これほどあわれなじんせいはない。しからば、じんせいにとって、さいこうむじょうのこみょうはなにか。ほんげんてきなこみょうとはなにか。これこそ、にちれんだいしょうにんにこみょうしたてまつり、なんみょうほうれんげきょうにこみょうするにつきるのである。これさいこうのこみょうであり、じじつのうえに、ぜったいてきこうふくをかんとくできえるからである。
 じがげにいわく「いっしんよっけんぶつ・ふじしゃくしんみょう」と。えいえんのせいめいのえとく、かくち、ならびに、りょうぼうくじゅうのために、しんみょうをおしまぬしんじんこそ、じっせんこそ、こみょうのきゅうきょくといえるのではないだろうか。
 またかんじんのほんぞんしょうには「しゃくそんのいんぎょうかとくのにほうはみょうほうれんげきょうのごじにぐそくすわれらこのごじをじゅじすればじねんにかのいんがのくどくをゆずりあたえたまう」0246-15とおおせである。われわれが、だいごほんぞんをしんじ、しょうだいすることによって、すでにごん・しゃく・ほんのしゃくそんのいんいのまんぎょう、かいのまんとくがそなわるとのことばである。だいごほんぞんをじゅじすることは、うちゅうのほんげんりょくにこみょうするすがたとなるのである。ゆえに、いっさいのだいふくうんが、わがせいめいのなかにぐそくしてくるのである。すなわちじゅじそくかんじんのこそ、また、ただしいこみょうのすがたとなるのである。
またきというはしゃくもんふへんしんにょのりにきするなりみょうとはほんもんずいえんしんにょのちにもとずくなりこみょうとはなんみょうほうれんげきょうこれなり、しゃくにくずいえんふへんいちねんじゃくしょうと
 まず、しゃかぶっぽうにつて、かんがえてみる。しゃくそんは、にぜんきょうではにじょうふさぶつをといた。また、にょにんふじょうぶつ、あくにんふじょうぶつをといている。あるいは、ぼさつのしゅぎょうかていに52いのかいだんをつくった。これらはいくたのしゅぎょうをつんで、さいごにさとりがえられるとのときかたであった。

  • [191]
  • 御義口伝 おんぎくでん 本文

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月27日(木)01時26分2秒
 
おんぎくでん
ほんぶん
  なんみょうほうれんげきょう
 おんぎくでんにいわく、なむとは、ぼんごなり、これにはきみょうという、 にんぽうこれあり、ひととはしゃくそんにきみょうしたてまつるなり、ほうとはほけきょうにきみょうしたてまつるなり、 また、きというは、しゃくもんふへんしんにょのりにきするなり、 みょうとは、ほんもんずいえんしんにょのちにもとずくなり、きみょうとは、なんみょうほうれんげきょうこれなり、 しゃくにいわく、ずいえんふへん、いちねんじゃくしょうと、また、きとはわれらがしきほうなり、 みょうとは、われらがしんぼうなり、しきしんふになるを、いっごくというなり。
 しゃくにいわく、いっごくにきせしむゆえに、ぶつじょうというと、またいわく、なんみょうほうれんげきょうの、なむとはぼんご、みょうほうれんげきょうはかんごなり ぼんかんぐじに、なんみょうほうれんげきょうというなり、また、いわく、ぼんごにはさだるまふんだりきゃそたらんという、これにはみょうほうれんげきょうというなり、さはみょうなり、だるまはほうなり、ふんだりきゃは、れんげなり、そたらんはきょうなり。
 くじはくそんのぶつたいなり、きゅうかいそくぶっかいのひょうじなり、みょうとはほうしょうなり、ほうとはむみょうなり、むみょうほっしょういったいなるを、みょうほうというなり、れんげとはいんがのにほうなり、これまた、いんがいったいなり、きょうとは、いっさいしゅじょうの、ごんごおんじょうをきょうというなり、しゃくにいわく、こえぶつじをなす、これをなずけてきょうとなすと。
 あるいは、さんぜじょうごうなるをきょうというなり、ほうかいはみょうほうなり、ほうかいはれんげなり、ほうかいはきょうなり、れんげとは、はちようくそんのぶつたいなり、よくよくこれをおもうべしいじょう。

  • [190]
  • 御義口伝 べつでんのじょ

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月27日(木)01時24分48秒
 
原本は赤鬼さんより頂きました、ありがとうございます。
べつでんのじょ
 おんぎくでんべつでん「28ほんにいちもんずつのだいじ」「ひとつ28ほんことごとくなんみょうほうれんげきょうのこと」について、たしょう、そのゆらい、いぎをのべておきたい。
 「28ほんにいちもんあてのだいじ」のなかでとりあげられているきょうもんは、でんぎょうたいしが「ほっけ28ほんかんよう」としてえらんだものであり、にちれんだいしょうにんは、これをいちおうえようされ、もんていかんじんのたちばより、こうぜられたものである。
 「ほっけ28ほんかんよう」は、いちめい「ほっけいちぶようぶん」とも、また「でんぎょうずいしんしょう」とうとしょうされているが、これについて、つぎのようなでんがある。
 「このかんもんは、もしくはよみもしくはげするひと、すなわちいちだいせいきょうをそらんずるにことならず。ひとえいごうをへるといえども、あくしゅにだせず、しどいっしんじゃっこうのほうせつにいたるべし、いちがいにそうじょうのほか、たといじんしありといえども、さらによじんにつたうべからず」「ざいせのあいだ、これをきんたいにいれこうべにかけ、さゆうはなれず、これをしるひとなし、たいしにゅうめつののち、よしなお、えんちょう、きんさいをひらきこれをえる、じつにしょうちゅうのしほうなりうんぬん」と。
 すなわち、このしょが、でんぎょういっけのしほうとされていたのである。だいしょうにんのとうじはごんじつぞうらんのときであり、だいしょうにんごじしん、あるときはてんだい、でんぎょうのきょうほうをたてられたことでもあった。したがって、だいしょうにんのおでしのなかにもてんだいふじゅんのものもいたことはじじつである。このしょをおもんずるひともいたことは、 じゅうぶんかんがえられる。それにたいして、にちれんだいしょうにんは、もんじょうきょうそうのよみかたをはいし、もんていのよみかたをしめされたとおもわれる。これをほんこうのいちかじょうのだいじとはべつに、にっこうしょうにんがせいりされ、まとめられたのである。
 「28ほんことごとくなんみょうほうれんげきょうのこと」は、ほんこうがもん々もんく々くにわたるのにたいして、そうじて、ほん々ほんのときあかすきゅうきょくのじったいはなんみょうほうれんげきょうであることをしめされたのである。
 およそ、しゃくそんのいちだいせいきょうのさいこうほうは、ほけきょうである。だが、これも、まっぽうしゅつげんのさんだいひほうのせつめいしょにほかならないのである。みょうみつしょうにんごしょうそくの「28ほんはただしきことはわずかなりほむることばこそおおくそうろうへとおぼしめすべし」1242-01のもん、さんだいひほうしょうの「ほけきょうをしょぶつしゅっせのいちだいじととかせたまいてそうろうは このさんだいひほうをふくめたるきょうにてわたらせらせたまえばなり」1023-13のもんなどを、かんがえあわすべきである。
0786~0793 28ほんにいちもんずつのだいじ
0793~0803 ほんことごとくなんみょうほうれんげきょうのこと

  • [189]
  • 曾谷殿 ごこうしょう おおたしょう 五綱抄

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月26日(水)02時54分25秒
 
そやにゅうどうどのもとごしょ。
ごこうしょう、おおたしょう。
  しっぴつ 、けんじがんねん、ぶんえいじゅうにねんやよい、とうか。54さい、p1026。
 それ、おもんみれば、じゅうびょうをりょうじするには、りょうやくをこうさくし、ぎゃくぼうをきゅうじょするには、ようほうにはしかず、いわゆる、ときをろんずれば、しょうぞうまつ、きょうをろんずれば、しょうだい、へんえん、ごんじつ、けんみつ。
 くにをろんずれば、ちゅうへんのりょうこく、きをろんずればいぎゃくとみぎゃくと、いぼうとみぼうと、しをろんずればぼんしとしょうしと、にじょうとぼさつと、たほうとしどと、しゃっけとほんげとなり。
 ゆえにしえのぼさつとう、めつごにしゅつげんし、ほとけのふぞくにしたがって、りみだにきょうほうをえんぜつしたまわず。
 しょせんむちのもの、いまだ、たいほうをぼうぜざるにはたちまちに、たいほうをあたえず、あくにんたるうえ、すでにじつだいをぼうずるものには、しいて、これをとくべし、ほけきょう、だいにのまきに、ほとけ、しゃりほつにたいして、いわく「むちのひとのなかにして、このきょうをとくことなかれ」。
 また、だいよんのまきに、やくおうぼさつなどの、はちまんの、だいしにゆげたまはく、「このきょうは、これしょぶつ、ひようのぞうなり、ぶんぷしてみだりに、ひとにじゅよすべからず」うんぬん。
 もんのこころは、むちのものの、しかも、いまだしょうほうをぼうぜざるには、さうなく、このきょうをとくことなかれ、ほけきょうだいしちのまき、ふきょうほんにいわく、「ないしとおく、ししゅをみても、またまたことさらにゆいて」とううんぬん。
 またいわく、「ししゅのなかに、しんにをしょうじこころふじょうなるものあり、あっくめりしていわく、このむちのびく、いずれのところより、きたりてか」とううんぬん。
 またいわく、「あるいはじょうもく、がしゃくを、もってこれを、ちょうちゃくす」とううんぬん、だいに、だいよんのまきのきょうもんと、だいしちのまきのきょうもんと、てんちすいかせり。
 とうていわく、いちきょう、にせついずれのぎに、ついて、このきょうを、ぐつうすべき、こたえていわく、わたくしにえつうすべからず、りょうぜんのちょうしゅうたる、てんだいだいしならびに、みょうらくだいしなど、しょしょにおおくのしゃくあり、まずいちりょうのもんを、いださん。
 もんぐのじゅうにいわく、「とうていわく、しゃかはしゅっせして、ちちゅうして、とかず、いまはこれ、なんのいぞ、ぞうじにして、とくはなんぞや、こたえていわく、もとすでに、ぜんあるには、しゃかしょうをもって、これをしょうごし、もといまだぜんあらざるには、ふきょう、だいをもってこれをごうどくす」とう、うんぬん。
 しゃくのこころは、じゃくめつ、ろくや、だいほう、びゃくろとうの、ぜんしみのしょうだい、ごんじつのしょきょう、しきょうはちきょうの、しょひのきえん、  p1027
かれらが、かこをたずねみれば、くおんだいつうのときに、おいて、じゅんえんのたねをおろせしかども、しょしゅういちじょうきょうを、ぼうぜしかば、さんごのじんてんをきょうりゃくす、しかりといえども、おろせしところの、げしゅ、じゅんじゅくのゆえに、ときいたって、みずからけいじゅを、あらわす、ただ、よんじゅうよねんのあいだ、かこにすでに、けちえんのものも、なお、ぼうのぎあるべきのゆえに、しばらく、ごんしょうのしょきょうを、えんぜつしてこんきをねらしむ。
 とうていわく、けごんのとき、べつえんの、だいぼさつないし、かんぎょうなどのもろもろの、ぼんぷのとくどうは、いかん、こたえていわく、かれらのしゅは、ときをもって、これをろんずれば、そのきょうの、とくどうににたれども、じつをもって、これをかんがうるに、さんごげしゅのともがらなり。
 とうていわく、そのしょうこいかん、こたえていわく、ほけきょうだいごのまき、ゆじゅつほんにいわく、「このもろもろのしゅじょうは、せぜより、このかた、つねに、わがけをうくないし、このもろもろのしゅじょうは、はじめ、わがみをみ、わがしょせつをきいて、すなわちみな、しんじゅしてにょらいの、えにいるにき」とううんぬん。
 てんだい、しゃくしていわく、「しゅじょうくおん」とううんぬん、らくだいしのいわく、「だつはげんにありといえども、つぶさにほんしゅをあぐ」、またいわく、「ゆえにしんぬ、こんにちのとうえは、むかしじょうじゅくするのきにおもむく」とううんぬん。
 きょうしゃくけんねんのうえは、わたくしのりょうけんをまたず、れいせば、おうじょとげじょと、てんしのしゅしをおろさざれば、こくしゅとならざるがごとし。
 とうていわく、だいにちきょうなどの、とくどうのものは、いかん、こたえて、いわく、しゅじゅのいぎありといえども、しげきがゆえにこれをのせず、ただし、しょせんそれぞれの、きょうきょうに、しゅじゅくだつを、とかざれば、かえって、けだんにおなじ、けにしじゅうなきのきょうなり。
 しかるに、しんごんしらの、しょだんのそくしんじょうぶつは、たとえばぐうにんのみだりに、、ていおうとごうしてみずから、ちゅうめつをとるがごとし、おうもう、ちょうこうのやから、ほかにもとむべからず、いまのしんごんけなり。
 これらによって、ろんぜば、ほとけのめつごにおいて、さんじあり、しょうぞうにせんよねんには、なおげしゅのものあり、れいせば、ざいせよんじゅうよねんのごとし、こんきをしらずんば、さうなく、じつきょうをあたうべからず、。
 いまは、すでにまっぽうにはいって、ざいせのけちえんのものは、ぜんぜんにすいびして、ごんじつのにきみなことごとくつきぬ、かの、ふきょうぼさつ、まっせにしゅつげんして、どくくをうたしむるのときなり。
 しかるに、いまどきのがくしゃ、じきにめいわくして、あるいはしょうじょうを、ぐつうし、あるいはごんだいじょうをじゅよし、あるいはいちじょうをえんぜつすれども、だいもくのごじをもって、げしゅとなすべきのゆらいをしらざるか。
 ことに、しんごんしゅうのがくしゃ、めいわくをいだいて、さんぶきょうに、えひょうし、たんに、えにはにの、ぎをのぶ、なお、さんいちそうたいをとかず、そくしんとんごのどうせきを、けずり、そうもくじょうぶつは、なをもきかざるのみ。
 しかるに、ぜんむい、こんごうち、ふくうらのそうりょ、がっしより、かんどにらいりんせしとき、ほんごくにおいて、いまだぞんせざる、てんだいのたいほうさかんに、このくににるふせしむるのあいだ、  p1028
じあいしょじの、きょうひろめがたきにより、いちぎょうあじゃりをかたらいえて、てんだいのちえをぬすみとり、だいにちきょうなどに、しょうにゅうして、てんじくよりあるのよし、これをいつわる。
 しかるに、、しんたん、いっこくのおうしんなど、ならびににほんこくの、こうぼう、じかくのりょうだいし、これをわきまえずして、しんをくわう、いかの、しょがくはいうにたらず、ただ、かんど、にほんのなかに、でんきょうだいし、ひとりこれをおしたまえり。
 しかれども、いまだふんみょうならず、しょせん、ぜんむいさんぞう、えんまおうのせめをこうむりて、このかざいをくい、ふくうさんぞうの、かえって、てんじくにわたって、しんごんをすてて、かんどにらいりんし、てんだいのかいだんをこんりゅうして、りょうかいのちゅうおうの、ほんぞんに、ほけきょうをおきしこれなり。
 とうていわく、こんじのしんごんしゅうの、がくしゃらなんぞ、このぎをぞんせざるや、こたえていわく、まゆはちかけれども、みえず、みずからのわざわいを、しらずとは、、これのいいか。
 かじょうだいしは、、さんろんしゅうをすてて、てんだいのでしとなる、いまのまつがくら、これをしらず、ほうぞう、ちょうかん、けごんしゅうをおいて、ちしゃにきす、かのしゅうの、がくしゃこれをぞんせず、げんじょうさんぞう、じおんだいしは、ごしょうのじゃぎを、はいして、いちじょうのほうにうつる、ほっそうのがくしゃ、かたくこれをあらそう。
 とうていわく、そのしょういかん、こたえていわく、あるいはこころをうつして、みをうつさず、あるいはみをうつして、こころをうつさず、あるは、、しんしんともに、うつしあるいは、しんしんともにうつさず、そのしょうもんは、べっしにこれをいだすべし、このしょうそくのせんに、あらざれば、これをいださず。
 ぶつめつごに、さんじあり、いわゆるしょうほういっせんねん、さきのごひゃくねんには、かしょう、あなん、しょうなわしゅ、まてんだい、きょうびくなどにいっこうしょうじょうのくすりをもって、しゅじょうのけいびょうをたいじす。
 しあごんぎょう、じゅうじゅはちじゅうじゅとうのしょりつと、そうぞくげだつきょうなどの、さんぞうをぐつうして、のちには、りっしゅう、くしゃしゅう、じょうじつしゅうとごうする、これなり。
 のちのごひゃくねんには、めみょうぼさつ、りゅうじゅぼさつ、だいばぼさつ、むじゃくぼさつ、てんじんぼさつなどの、もろもろのだいろんし、はじめにはもろもろのしょうせいの、ひろめしところの、しょうじょうきょう、これをつうたつし、のちには、いちいちにかのぎをはしつしおわって、もろもろのだいじょうきょうを、ぐつうす、これまた、ちゅうやくをもって、しゅじょうのちゅうびょうをたいぢす。
 いわゆる、けごんきょう、はんにゃきょう、だいにちきょう、じんみつきょうなど、さんろんしゅう、ほっそうしゅう、しんごんだらに、ぜんほうなどなり。
 とうていわく、かしょう、あなんなどの、もろもろのしょうせい、なんぞ、だいじょうきょうをひろめざるや、こたえていわくひとつには、じしんたえざるがゆえに、ふたつには、しょひのきなきがゆえに、みっつには、ほとけよりゆずり、あたえられざるがゆえに、よっつには、とききたらざるがゆえなり。
 とうていわく、りゅうじゅ、てんじんなどなんぞ、いちじょうきょうを、ひろめざるや、こたえていわく、よっつのぎあり、さきのごとし、p1029
 とうていわく、もろもろのしんごんしのいわく、「ほとけのめつご、はっぴゃくねんに、あいあたって、りゅうみょうぼさつ、がっしにしゅつげんして、しゃくそんのけんきょうたる、けごん、ほっけなどを、めみょうぼさつなどにそうでんし、だいにちのみっきょうをば、みずからなんてんのてっとうを、かいたくし、まのあたり、だいにちにょらいとこんごうさつたとに、たいして、これをぐけつす。
 りゅうみょうぼさつに、ふたりのでしあり、だいばぼさつには、、しゃかのけんきょうをつたえ、りゅうちぼさつには、だいにちのみっきょうをさずく、りゅうちぼさつはあらおんにいんきょして、ひとにつたえず、そのあいだにだいばぼさつのつたうるところの、けんきょうは、まづかんどにわたる。
 そのご、すうねんをきょうりゃくして、りゅうちぼさつの、つたうるところの、ひみつのきょうを、ぜんむい、こんごうち、ふくう、かんどにわたす」とううんぬん このぎいかん。
 こたえていわく、いっさいのしんごんし、かくのごとし、またてんだい、けごんなどの、しょけもいちどうに、これをしんず。
 そもそも、りゅうみょう、いぜんには、がっしこくのなかには、だいにちのさんぶきょうなしというか、しゃかよりのほかに、だいにちにょらいよにしゅつげんして、さんぶのきょうをとくというか、けんをだいばにえつたえ、みつをりゅうちにさずくる、しょうもんいずれのきょうろんにいでたるぞ。
 このだいもうごは、だいばの、ぎおうざいにもすぎくぎゃりの、おうげんにもこゆ、かんど、にほんの、おういのつき、りょうちょうのそうりょのほうぼうとなるのゆらい、もっぱら、これにあらずや。
 しかれば、すなわち、かのしんたん、すでに、ほくばんのためにやぶられ、このにちいきも、またさいじゅうのために、おかされんとほっす、これらはしばらく、これをおく。
 ぞうほうにはいって、いっせんねん、がっしのぶっぽう、かんどにとらいするのあいだ、ぜんよんひゃくねんには、なんぼくのしょし、いぎらんぎくにして、とうざいのぶっぽう、いまださだまらず。
 よんひゃくねんののち、ごひゃくねんのさき、そのちゅうげん、ひゃくねんのあいだに、なんがくてんだいなど、かんどにしゅつげんして、ほぼほっけのじつぎをぐしせんたまう。
 されど、えんね、えんじょうにおいては、こくしたりといえども、えんとんのかいじょう、いまだこれをこんりゅうせず、ゆえにくにをあげてかいしとあおがず、ろっぴゃくねんの、いご、ほっそうしゅうせいてんよりきたれり、たいそうこうてい、これをもちゆるゆえに、てんだいほっけしゅうに、きえするのひと、ようやくうすし。
 ここに、ついてすきをえて、そくてんこうごうの、ぎょうにさきにやぶられし、けごん、またおこって、てんだいしゅうにすぐれたるのよし、これをしょうす。
 たいそうより、だいはちだい、げんそうこうていの、ぎょうに、しんごんはじめて、がっしよりきたれり、いわゆるかいげんよねんには、ぜんむいさんぞうの、だいにちきょう、そしっちきょう、かいげんはちねんには、こんごうち、ふくうの、りょうさんぞうの、こんごうちょうきょう、かくのごとくさんきょうをてんじくより、かんどにもちきた。
 てんだいのしゃくを、けんぶんして、ちほつして、しゃくをつくって、だいにちきょうと、ほけきょうとを、いちきょうとなし、そのうえ、いん、しんごんをくわえて、みっきょうとごうし、これにすぐるのよし、けっく、ごんきょうをもってじつきょうをくだす、 かんどのがくしゃ、このことをしらず。 p1030
 ぞうほうのすえ、はっぴゃくねんにあいあたって、でんきょうだいし、わこくにたくしょうして、けごんしゅうなどのろくしゅうのじゃぎを、きゅうめいするのみにあらず、しかのみならず、なんがく、てんだいもいまだ、ひろめたまわざる、えんとんかいだんを、えいざんにこんりゅうす。
 にほんいちしゅうの、がくしゃひとりものこらず、だいしのもんていとなる、ただてんだいと、しんごんとのしょうれつにおいては、おうわくとしってしかも、ふんみょうならず。
 しょせん、まっぽうにおくりたもうか、これらは、ぼうろんたるのゆえに、しばらくこれをおく、わがし、でんきょうだいし、さんごくにいまだ、ひろまらざるのえんとんの、だいかいだんを、えいざんにこんりゅうしたもう、これひとえにじょうやくをたもち、もちいて、しゅじょうのじゅうびょうを、ちせんとするこれなり。
 いま、まっぽうにはいって、にひゃくにじゅう、よねん、ごじょく、ごうじょうにして、さんさいしきりにおこり、しゅうけんのにじょく、くにじゅうにじゅうまんし、ぎゃくぼうのにはい、しかいにさんざいす。
 もっぱら、いちせんだいのやからを、あおいで、とうりょうとたのみ、ほうぼうのものを、そんちょうして、こくしとなす。
 こうきゅうの、こうきょう、これをひっさげてふぼのこうべをうち、しゃくそんのほけきょうを、くちにじゅしながら、きょうしゅに、いはいす、ふこうこくは、このくになり、しょうぼのさと、たきょうにもとめじ。
 ゆえに、せいてん、まなこをいからして、このくにをにらみ、こうちはいきどうりをふくんで、だいちをふるう、いぬる、しょうかがんねんの、だいちどう、ぶんえいがんねんの、だいすいせい、これらのようさいは、ぶつめつご、にせんにひゃく、にじゅうよねんのあいだ、がっし、かんど、にほんのうちに、いまだしゅつげんせざるところの、だいなんなり。
 かの、ほっしゃみつたらおうのごてんの、じとうをしょうしつし、かんどのえしょうてんしの、きゅうこくのそうにを、げんぞくせしめしに、ちょうかすることひゃくせんばいなり、だいほうぼうのやから、くにじゅうにじゅうまんし、いってんにはびこるに、よって、おこるところの、ようさいなり。
 だいはつねはんきょうにいわく、「まっぽうにはいって、ふこうほうぼうのもの、だいちみじんのごとし」、しゅい、ほうめつじんきょうに、「ほうめつじんのときは、くけんのそうに、ごうがしゃのごとし」とううんぬんしゅい。
 いままのあたり、このくにをけんぶんするに、ひとごとにこのふたつのあくあり、これらのだいあくのやからは、いかなるひじゅつをもって、これをふきゅうせん。
 だいかくせそん、ぶつげんをもって、まっぽうをかんちし、このぎゃく、ぼうのにざいを、たいじせしめんがために、いちだいひほうを、とどめおきたもう。
 いわゆる、ほけきょうほんもん、くじょうのしゃくそん、ほうじょうせかいの、たほうぶつ、たかさごひゃく、ゆじゅん、ひろさ、にひゃくごじゅう、ゆじゅんのだいほうとうのなかに、おいて、にぶつざをならべしこと、あたかも、にちがつのごとく、じゅっぽうぶんしんのしょぶつは、さたかさごひゃくゆじゅんの、ほうじゅのもとに、ごゆじゅんの、ししのざをならべしき、しゅうせいのごとくれつざしたもう。
 よんひゃくまんおく、なゆたの、だいちに、さんぶつにえに、じゅうまんしたもうのぎしきは、けごんじゃくじょうの、けぞうせかいにも、すぐれ、しんごんりょうかいの、せんにひゃくよそんにも、こえたり、いっさいせけんのまなこなり。 p1031
  このたいえにおいて、ろくなんくいをあげて、ほけきょうをるつうせんと、もろもろのだいぼさつに、かんぎょうせしむ、こんじきせかいの、もんじゅしり、としたぐうの、みろくぼさつ、ほうじょうせかいの、ちしゃくぼさつ、ふだらくせんのかんぜおんぼさつなど。
 ずだだいいちの、だいかしょう、ちえだいいちのしゃりほつなど、さんぜんせかいを、とうりょうする、むりょうのぼんでん、しゅみのいただきにこじゅうする、むへんのたいしゃく、いちしてんげをしょうようせる、あそうぎのにちがつ。
 じゅっぽうのぶっぽうを、ごじせる、ごうしゃのしてんのう、だいちみじんの、もろもろのりゅうおうなど、われにも、われにも、このきょうをふぞくせられよと、きそいのぞみしかども、せそん、すべてこれをゆるしたまわず。
 そのときに、かほうのだいちより、みけん、こんけんの、しだいぼさつを、ししためしいだしもう。
 いわゆる、じょうぎょうぼさつ、むへんぎょうぼさつ、じょうぎょうぼさつ、あんりゅうぎょうぼさつなり、この、だいぼさつ、おのおの、ろくまんごうがしゃのけんぞくをぐすそく、ぎょうみょう、いぎ、ことばをもって、のべかたく、こころをもって、はかるべからず。
 しょじょうどうの、ほうえ、くどくりん、こんごうどう、こんごうぞうなどの、しぼさつ、おのおの、じゅうごうがしゃのけんぞくを、ぐそくし、ぶつえをしょうごんせしも、だいいしつきょうの、よく、しきにかいのちゅうげん、たいほうぼうにおいて、らいりんせし、じゅっぽうのしょだいぼさつ、ないし、だいにちきょうのはちようのなかの、しだいぼさつも、こんごうちょうきょうのさんじゅうしちそんの、なかの、じゅうろくだいぼさつなども、このしだいぼさつに、ひきょうすれば、なおたいしゃくと、えんこうとかざんと、みょうこうとのごとし。
 みろくぼさつ、しゅうのうたがいをあげていわく、「いまし、ひとりをも、しらず」とう、うんぬん、てんだいだいしいわく、「じゃくじょうより、このかた、こんざよりさき、じゅっぽうのだいし、らいえたえず、かぎるべからずといえども、われ、ふしょのちりきをもって、ことごとくみ、ことごとくしる、しかも、このしゅにおいては、ひとりをもしらず」とう、うんぬん 。
 みょうらくいわく、「いまみるに、みなしらざるゆえんは、ないしちじんは、きをしり、じゃはみずから、じゃをしる」とう、うんぬん。
 てんだい、またいわく、「あめのたけきをみて、りゅうのだいなるをしりはなのさかんなるをみて、いけのふかきをしる」うんぬん。
 れいせば、かんおうのししょうの、ちょうりょう、はんかい、ちんぺい、しゅうぼつのよにんを、しょうざんのしこう、きりき、ろくりせんせい、とうえんこう、か、こうこうなどの、しけんに、ひするがごとし、てんちうんでいなり。
 しこうが、ていたらく、こうべには、はくせつをいただき、ひたいには、しかいのなみをたたみ、まゆには、はんげつをうつし、こしにはたらしをはり、けいていのさうにじして、よをおさめられたること。
 ぎょうしゅんの、いにしえをうつし、いってんあんのんなりしこと、しんのうのむかしにも、ことならず。
 この、しだいぼさつも、またまた、かくのごとし、ほっけのえにしゅつげんし、さんぶつをしょうごんし、ぼうじんのまんどうをたおすこと、たいふうのしょうじゅのえだをふくがごとく、しゅうえのけいしんを、いたすこと、しょてんのたいしゃくに、したがうがごとく、だいばが、ほとけをうちしも、したをいだして、たなごころを、あわせ、くぎゃりが、むじつをかまえしも、ちにふして、とがをくゆ。 もんじゅなどの、だいしょうは、みをはぢて、ことばをいださず、しゃりほつなどの、しょうしょうは、ちをしっしてこうべをたる。 p1032
そのときに、だいかくせそん、じゅりょうほんをえんぜつし、しかしてのちに、じゅうじんりきを、じげんして、しだいぼさつに、ふぞくしたもう。
 そのしょぞくのほうは、なにものぞや、ほけきょうのなかにも、こうをすて、りゃくをとり、りゃくをすてて、ようをとる、いわゆるみょうほうれんげきょうの、ごじ、みょう、たい、しゅう、よう、きょうの、ごじゅうげんなり。
 れいせば、きゅうほうえんが、そうばのほうには、げんこうをりゃくしてしゅんいつをとり、しとうりんが、こうきょうのほうには、さいかをすて、がんいをとるがごとしとう。
 この、しだいぼさつは、しゃくそんのはじめ、じゃくめつどうじょうのみぎりにも、きたらず、にょらい、にゅうめつのおわりに、ばつだいかわのほとりにも、いたらず、しかのみならず、りょうぜんはちねんのあいだに、すすんでは、しゃくもん、じょしょうのぎしきに、もんじゅ、みろくなどの、ほっき、ようごうの、しょしょうしゅにも、つらならず。
 しりぞいては、ほんもんるつうのざせきに、かんのん、みょうおんなどの、ほつせいぐきょうの、しょだいしにもまじわらず。
 ただ、このいちだいひほうをじして、ほんじょにいんきょするののち、ほとけのめつご、しょうぞうにせんねんのあいだに、おいて、いまだいちどもしゅつげんせず、しょせん、ほとけ、もっぱら、まっぽうのときに、かぎって、これらのだいしに、ふぞくせしゆえなり。
 ほけきょうの、ふんべつくどくほんにいわく、「あくせまっぽうのとき、よくこのきょうを、たもつもの」うんぬん、ねはんきょうにいわく、「たとえば、しちしの、ふぼ、びょうどうならざるに、あらず、しかもびょうしゃにおいて、こころすなわちひとえに、おもきがごとし」うんぬん。
 ほけきょうの、やくおうほんにいわく、「このきょうは、すなわち、これ、えんぶだいのひとの、やまいのりょうやくなり」うんぬん。
 しちしのなかに、かみのろくしは、しばらくこれをおく、だいしちのびょうしは、いちせんだいのひと、ごぎゃくほうぼうのもの、まつだいあくせの、にほんこくのいっさいしゅじょうなり。
 しょうほう、いっせんねんの、ぜんごひゃくねんには、いっさいのしょうもん、ねはんしおわんぬ、のちのごひゃくねんには、、たほうらいの、ぼさつ、だいたいほんどにかえりむおわんぬ。
 ぞうほうにはいっての、いっせんねんには、もんじゅ、かんのん、やくおう、みろくなど、なんがく、てんだいと、たんじょうし、ふだいし、ぎょうき、でんきょうなどと、じげんして、しゅじょうをりやくす。
 いままっぽうにはいって、これらのしょだいしも、みな、ほんじょにいんきょしぬ、そのほか、えんぶしゅごの、てんしんちぎも、あるいはたほうにさり、あるいは、このどにじゅうすれども、あくこくをしゅごせず。 あるいは、ほうみをなめざれば、しゅごのちからなし、れいせば、ほっしんのだいしに、あらざれば、さんあくどうに、いられざるがごとし、だいく、しのびがたきがゆえなり。 しかるに、ぢゆせんかいのだいぼさつ、ひとつには、しゃばせかいに、じゅうすること、たじんこうなり、ふたつには、しゃくそんにしたがって、くおんよりこのかた、しょほっしんのでしなり、みっつには、しゃばせかいのしゅじょうのさいしょげしゅのぼさつなり。
 かくのごときとうの、しゅくえんのほうべん、もろもろだいぼさつにちょうかせり。  p1033
  とうていわく、そのしょうこいかん、ほっけ、だいごゆじゅつほんにいわく、「そのときに、たほうのこくどより、もろもろのきたれる、ぼさつ、まかさつの、はちごうがしゃのかずに、すぎたる、ないし、そのときに、ほとけもろもろの、ぼさつ、まかさつしゅうに、つげたまわく、やみね、ぜんなんし、なんじらが、このきょうをごじせんことを、もちいじ」とう、うんぬん。
 てんだいいわく、「たほうは、このど、けちえんのこと、あさし、せんじゅせんとほっすといえども、かならず、こやくなし」うんぬん。
 みょうらくいわく、「なおひとえに、たほうのぼさつにふせず、あに、ひとりしんしのみならんや」うんぬん、またいわく、「ごうはちまんだいしとは、ないし、いまのしものもんに、かほうをめすがごとく、なお、ほんけんぞくをまつ、あきらけし、よはいまだたえざるたことを」うんぬん。
 きょうしゃくのこころは、かしょう、しゃりほつなどの、いっさいのしょうもん、もんじゅ、やくおう、かんのん、みろくなどのしゃっけ、たほうのしょだいしは、まっせのぐきょうにたえずというなり。
 きょうにいわく、「わがしゃばせかいに、みずから、ろくまん、ごうがしゃなどの、ぼさつまかさつあり、いちいちのぼさつに、おのおの、ろくまんごうがしゃの、けんぞくあり、このしょにんなど、よくわがめつごにおいて、ごじし、どくじゅし、ひろく、このきょうをとかん。
 ほとけ、これをときたもうとき、しゃばせかいの、さんぜんだいせんのこくど、ちみな、しんれつして、そのなかより、むりょうせんまんおくの、ぼさつまかさつあり、どうじにゆじゅつせり。
 ないし、このぼさつしゅうのなかに、よたりのどうしあり、いちをばじょうぎょうとなずけ、にをば、むへんぎょうとなずけ、さんをばじょうぎょうとなずけ、しをばあんりゅうぎょうとなずく、そのしゅのなかにおいて、もっともこれ、じょうしゅしょうどうのしなり」、とううんぬん。
 てんだいいわく、「これ、わがでし、まさにわがほうをひろむべし」うんぬん、みょうらくいわく、「し、ふのほうをひろむ」うんぬん、どうせんいわく、「ふぞくとは、このきょうは、ただかほう、ゆじゅつのぼさつに、ふす、なにがゆえに、しかるほう、これ、くじょうのほうなるによるがゆえに、くじょうのひとに、ふす」とううんぬん。
 これらの、だいぼさつ、まっぽうのしゅじょうを、りやくしたもうこと、なお、さかなのみずになれ、とりのてんにじざいなるがごとし、じょくあくのしゅじょう、このだいしにあって、ぶっしゅを、ううること、れいせばすいしょうの、つきにむかって、みずをしょうじ、くじゃくの、いかずちのこえをきいて、かいにんするがごとし。
 てんだいいわく、「なお、ひゃくせんのうみに、しおすべきがごとし、えんにひかれて、おうしょうするも、またまたかくのごとし」うんぬん。
 えにちだいしょうそん、ぶつげんをもって、かねてこれを、かんがみたまうゆえに、もろもろのだいしょうを、しゃきし、このししょうを、めしいだしてようほうをつたえ、まっぽうのぐつうを、さだむるなり。
 とうていわく、ようほうのきょうもんいかん、こたえていわく、くでんをもって、これをつたえん、しゃくそん、そののち、しょうぞうにせんねんの、しゅじょうのために、ほうとうよりいでて、こくうにじゅうりゅうし、みぎのてをもって、もんじゅ、かんのん、ぼんたい、にちがつ、してんなどの、いただきをなでて、かくのごとく、さんべんして、 ほけきょうの、ようよりのほかの、こう、りゃくにもん、ならびにぜんごのいちだいの、いっさいきょうを、これらのだいしにふぞくす。
 しょうぞう、にせんねんのきのためなり。 p1034

 そののち、ねはんきょうのえにいたって、かさねて、ほけきょうならびに、ぜんしみのしょきょうを、といて、もんじゅなどの、しょだいぼさつにじゅよしたもう、これらはくんじゅうのいぞくなり。
 ここをもって、めつごのぐきょうにおいても、ほとけのしょぞくに、したがって、ぐほうのかぎりあり、しかればすなわちかしょう、あなんなどは、にいっこう、しょうじょうきょうをぐつうして、だいじょうきょうをのべず。
 りゅうじゅ、むじゃくなどは、ごんだいじょうきょうをのべて、いちじょうきょうをぐつうせず、たとい、これをのべしかども、わずかにもって、これをしじし、あるいはしゃくもんのいちぶのみ、これをのべて、まったく、けどうのしじゅうを、だんぜず。
 なんがく、てんだいなどは、かんのん、やくおうなどの、けしんとして、しょうだい、ごんじつ、しゃくほんにもん、けどうのしじゅう、していのおんごんなど、ことごとく、これをのべ、そのうえに、い、こん、とうの、さんせつをたてて、いちだいちょうかのよしを、はんぜること、てんじくのしょろんにも、すぐれ、しんたんの、しゅうしゃくにもすぎたり。
 くやく、しんやくの、さんぞうも、あたかも、このしにはおよばず、けんみつにどうの、がんそも、てきたいにあらず。
 しかりといえども、こうしりゃくをもって、ほんとなして、いまだかんようにあたわず、じしん、これをぞんすといえども、あえて、たでんにおよばず、これ、ひとえにふぞくを、おもんぜしが、ゆえなり。
 でんきょうだいしは、ほとけのめつご、いっせんはっぴゃくねん、ぞうほうのまつに、あいあたって、にほんこくにうまれて、しょうじょう、だいじょう、いちじょうのしょかい、いちいちにこれをふんべつし、ぼんもう、ようらくの、べつじゅかいをもって、しょうじょうの、にひゃくごじゅっかいを、はしつし、また、ほっけ、ふげんのえんとんの、だいおうのかいをもって、しょだいじょうきょうの、しんみんのかいを、せめおとす。
 この、たいかいは、りょうぜんはちねんをのぞいて、いちえんぶだいのうちに、いまだ、あらざるところの、だいかいじょうを、えいざんにこんりゅうす。
 しかるあいだ、はっしゅうともに、へんしゅうをたおしいっこくをあげてでしとなる。
 かんろくのながれの、さんろん、じょうじつ、どうしょうの、わたせる、ほっそう、くしゃ、りょうべんのつたうるところの、けごんしゅう、がんじんわじょうのわたすところの、りっしゅう、こうぼうだいしのもんていなど、だれか、えんとんのたいかいを、たもたざらん。
 このぎに、いはいするは、ぎゃくろのひとなり、このかいを、しんこうするは、でんきょうだいしのもんとなり、にほんいちしゅう、えんきじゅんいつ、ちょうやおんごん、どうきいちじょうとは、このいいか。
 このほかは、かんどのさんろんしゅうの、きちぞうだいし、ならびに、ひゃくよにん、ほっそうしゅうの、じおんだいし、けごんしゅうのほうぞう、ちょうかん、しんごんしゅうのぜんむい、こんごうち、ふくう、え か、にほんのこうぼう、じかくなどの、さんぞうのしょしは、しえのだいしに、あらざる、あんしなり、ぐにんなり。
 きょうにおいては、だいしょう、ごんじつのむねをえずわきまず、けん、みつりょうどうの、おもむきをしらず、 ろんにおいては、つうしんと、べつしんとを、たださず、しんとふしんとを、あきらめず。 p1035
  しかりといえども、かのしゅうしゅうの、まつがくなど、このしょしを、すうけいして、これをしょうにんとごうし、これを、こくしと、たっとぶ、いま、まず、ひとつをあげんに、まんをさっせよ。
 こうぼうだいしの、じゅうじゅうしんろん、ひぞうほうやく、に、きょうろんなどにいわく、「かくのごときじょうじょう、じじょうに、なをえれどものちに、のぞめば、けろんとなる」。
 またいわく、「むみょうのへんいき」、またいわく、「しんたんのにんしら、あらそって、だいごをぬすみかくじしゅうに、なずく」とううんぬん。
 しゃくのこころは、ほっけのだいほうを、けごんと、だいにちきょうとにたいして、けろんのほうと、あなずり、むみょうのへんいきとくだし、あまつさえ、しんたん、いっこくのしょしを、ぬすびととののしる。
 これらのほうぼう、ぼうじんは、じおん、とくのいち、さんじょうしんじつ、いちじょうほうべんの、おうげんにも、ちょうかし、ぜんどう、ほうねんの、せんちゅうむいち、しゃへいかくほうの、かごんにも、うんでいせるなり。
 ろくはらみつきょうをば、とうのまつに、ふくうさんぞう、がっしよりこれをわたす、ごかんより、とうのはじめに、いたるまで、いまだこのきょうあらず、なんさん、ほくしちの、せきとく、いまだこのきょうをみず、さんろん、てんだい、ほっそう、けごんのにんし、だれびとか、かのきょうの、だいごをぬすまんや。
 また、かのきょうのなかに、ほけきょうは、だいごにあらずというのもん、これありや、いなや、しかるに、にほんこくのとうじのもんじんら、かたくこれをじてしんじて、しゅじゅに、びゃくけんをおこし、ひよりひをまし、くらきより、くらきにはいるふびんのしだいなり。
 かの、もんけのでんぽういんの、ほんがんたる、しょうかくの、しゃりこうしきにいわく、「そんこうなるものは、ふにまかえんの、ほとけ、ろごのさんじんは、くるまをたすくること、あたわず、ひおうなるものは、りょうぶまんだらの、きょう、けんじょうのしほうの、ひとは、くつをもとるに、たえず」うんぬん。
 さんろん、てんだい、ほっそう、けごんなどの、がんそなどを、しんごんのしにそうたいするに、うしかいにもおよばず、りきしゃにもたらずと、かける、ふでなり。
 こいねがわくは、かのもんとら、こころあらんひとは、これを、あんぜよ、だいあっくにあらずや、だいほうぼうにあらずや。
 しょせん、これらのおうげんは、こうぼうだいしのぼうごさけろんの、あっくより、おこるか。
 きょうしゅしゃくそん、たほう、じゅっぽうのしょぶつは、ほけきょうをもって、い、こん、とうのしょせつに、そうたいしてかいぜしんじつと、さだめ、しかるのち、せそんは、りょうぜんに、いんきょし、たほうしょぶつは、おのおのほんどに、りかえりたまいぬ、さんぶつをのぞくのほか、だれかこれを、はしつせん。
 なかんずく、こうぼうしょらんの、しんごんきょうの、なかに、さんせつをくいかえすのもん、これありやいなや。
 こうぼう、すでにこれをいださず、まつがくのち、いかんせん、しかるにこうぼうだいし、ひとりのみ、ほけきょうをけごん、だいにちのにきょうにそうたいして、けろん、ぬすびととなす。
 しょせん、しゃくそん、たほう、じゅっぽうのしょぶつをもって、ぬすびととしょうするか、まつがくら、まなこをとじてこれをあんぜよ。  p1036
  とうていわく、むかしより、このかた、いまだかって、かくのごときのぼうげんをきかず、なんぞ、じょうこ、せいだいのきそうに、いはいして、むしろ、とうこん、じょくせのぐりょを、きごうせんや。
 こたえていわく、なんじがいうところのごとくば、ぐにんは、さだんで、りうんなりと、おもわんか、しかれどもこれらは、みなひとの、ぎげんによって、にょらいのきんげんを、しらざるなり。
 だいかくせそん、ねはんきょうに、めつごをいましめていわく、「ぜんなんし、わがしょせつにおいて、もし、うたがいをしょうずるものは、なお、うくべからず」うんぬん。
 しかるに、ほとけ、なお、わがしょせつなりといえども、ふしんあらば、これを、じょゆうせざれとなり。
 いま、よをしょしにくらべて、ぼうなんをくわう、しかりといえども、あえて、しきょくをかまえず、もっぱらしゃくそんのゆいかいに、したがって、しょにんのびゅうしゃくをただすものなり。
 それ、せいのはじめより、りょうのまつにいたるまで、にひゃくよねんのあいだ、なんぼくのせきとく、こうたく、ちたんなどの、にひゃくよにん、ねはんきょうの「がとうしつみょう、じゃけんしにん」のもんをひいて、ほけきょうをもって、じゃけんのきょうと、さだめ、いっこくのそうに、ならびに、おうしんなどを、めいわくせしむ。
 ちんずいの、ころ、ちしゃだいし、これをきゅうめいせしとき、はじめてなんぼくの、びゃくけんをやぶりおわんぬ、とうのはじめに、たいそうのぎょうに、きほっし、しょうまんきょうの、「にゃくにょらい、ずいひしょよくにほうべんせつ、そくぜだいじょう、むうにじょう」のもんをひいて、いちじょうほうべん、さんじょうしんじつのぎをたつ。
 このじゃぎ、しんたんに、、るふするのみにあらず、にほんの、とくいちが、しょうとくてんのうの、おんとき、さかんに、ひぎをだんず。
 ここに、でんきょうだいし、ことごとく、かれのじゃけんを、はしおわんぬ。
 のち、とばいんのみよに、げんくう、ほうねん、かんむりょうじゅきょうのどくじゅ、だいじょうのいっくをもって、ほけきょうをしょうにゅうし、「かえって、しょうみょうねんぶつにたいすれば、ぞうぎょう、ほうべんなれば、しゃへいかくほうせよ」とううんぬん。
 しかりといえども、ごじゅうよねんのあいだ、なんと、ほくきょう、ごき、しちどうのしょじ、しょざんの、しゅそうら、このあくぎをやぶることあたはざりき、よがなんぱふんみょうたるのあいだ、いっこくのしょにんたちまちかのせんちゃくくしゅうをすておわんぬ、ねあらわるれば、えだかれ、みなもとかわけば、ながれ、つくとはけだしこのいいなるか。
 しかのみならず、とうのなか、ばげんそうこうていのみよに、ぜんむい、ふくうなどだいにちきょうのじゅうしんぼんの、にょじつ、いちどうしんのいっくにおいて、ほけきょうをしょうにゅうし、かえってごんきょうとくだす。
 にほんの、こうぼうだいしは、ろくはらみつきょうのごぞうのなかに、だいしのじゅくそみの、はんにゃ、はらみつぞうにおいて、ほけきょうねはんきょうなどを、しょうにゅうし、だいごのだらにぞうにそうたいしてあらそって、、だいごをぬすむとううんぬん。
 これらのかぐは、にほんいちしゅうのうち、よんひゃくよねん、いまに、いまだ、これをきゅうめいせしひとあらず、よがしょぞんの、なんぜいあまねく、いっこくにみつ、かならずかのじゃぎやぶられんか、これらはしばらくこれをやむ。  p1037
かしょう、あなんなど、りゅうじゅ、てんじんなど、てんだい、でんきょうなどのしょだい、しょうにんしってしかも、いまだ、ぐせんせざるところの、かんようのひほうは、ほけきょうのもん、かくかくたり、ろんしゃくなどにのせざること、めいめいたり。
 しょうちは、みずからしるべし、けんじんはみょうしにちぐうして、これをしんぜよ、ざいこんしんちょうの、やからは、じゃすいをもって、ひとをかろしめ、これをしんぜず、しばらくみみにとめ、ほんいにつかば、これをさとさん。
 だいしつきょうの、ごじゅういちに、だいかくせそん、がつぞうぼさつにかたっていわく、「わがめつごにおいて、ごひゃくねんのなかは、げだつけんご、つぎのごひゃくねんは、ぜんじょうけんご、いじょういっせんねん、つぎのごひゃくねんは、どくじゅたもんけんご、つぎのごひゃくねんは、たぞうとうじけんご、いじょうにせんねん、つぎのごひゃくねんは、わがほうのなかにおいて、とうじょうごんしょうして、びゃくほうおんもつせん」とううんぬん。
 いま、まっぽうにはいって、にひゃくにじゅうよねん、わがほうちゅう、とうじょうごんしょう、びゃくほうおんもつのときにあいあたれり。
 ほけきょうのだいしち、やくおうほんに、きょうしゅしゃくそん、たほうぶつとともに、しゅくおうけぼさつにかたっていわく、「わがめつどののち、のちのごひゃくさいのなかに、こうせんるふして、えんぶだいにおいて、だんぜつして、あくま、まみん、もろもろのてんりゅう、やしゃ、くはんだなどに、そのたよりをえせしむことなけん」。
 だいしつきょうのもんを、もって、これをあんずるに、さき、しかどのごひゃくねんは、ほとけのきもんのごとく、すでにふごうせしめおわんぬ、のだいごのごひゃくさいの、いちじ、あに、とうえんならん。
 したって、とうせのていたる、だいにほんこくと、だいもうここくと、とうじょうかっせんす、のだいごのごひゃくに、あいあたれるか。
 かの、だいしつきょうのもんを、もって、このほけきょうのもんを、おもうにのちのごひゃくさいちゅう、こうせんるふ、お、えんぶだいのほうしょう、あに、ふそうこくに、あらずや。
 みろくぼさつの、ゆがろんにいわく、、「とうほうにしょうこくあり、そのなかに、ただだいじょうのすじょうのみあり」うんぬん。
 じしぼさつ、ほとけのめつご、きゅうひゃくねんにあいあたって、むじゃくぼさつの、こいにおもむいて、ちゅういんどに、らいげして、ゆがろんを、えんぜつす、これあるいは、ごんきにしたがい、あるいは、ふぞくにしたがい、あるいはときによって、ごんきょうをぐつうす。
 しかりといえども、ほけきょうの、ゆうじゅつほんのとき、ぢゆのぼさつをみて、ごんじょうをうたがうのあいだ、ほとけ、しょうにおもむいて、じゅりょうほんをえんぜつし、ふんべつくどくほんにいたって、ぢゆのぼさつを、かんしょうしていわく、「あくせ、まっぽうのとき、よくこのきょうをたもたんもの」と。
 みろくぼさつ、じしんのふぞくにあらざれば、これを、ひろめずといえども、まのあたり、りょうぜんえじょうにおいて、あくせまっぽうじのきんげんを、ちょうもんせしゆえに、ゆがろんをとくのとき、まっぽうに、にほんこくに、おいて、ぢゆのぼさつ、ほけきょうのかんじんを、るふせしむべきのよし、かねてこれをしめすなり。
 じょうこうの、ほんきょうのきにいわく、「だいし、すりやそま、ひだりのてに、ほけきょうをじし、みぎのてに、くまらじゅうのいただきをなで、じゅよしていわく、ぶつにち、にしにはいって、いようまさに、ひがしにおよばんとす、このきょうてん、とうほくにえんあり、なんじつつしんででんぐせよ」うんぬん。 p1038
 よ、このきのもんを、はいけんして、りょうげんたきのごとく、いっしん、よろこびをあまねくす、「このきょうてん、とうほくにえんあり」うんぬん、せいてんのがっしこくは、ひつじさるのほう、とうほうのにほんこくは、うしとらのほうなり。
 てんじくにおいて、とうほくにえんありとは、あに、にほんこくにあらずや、じゅんしきのふでにいわく、「はじめにしよりつたう、なおつきのしょうずるがごとし、いままた、ひがしよりかえる、なおひののぼるるがごとし」うんぬん。
 しょうぞう、にせんねんには、にしよりひがしにながる、くれずきの、にしそらよりはじまるがごとし、まっぽうごひゃくねんには、ひがしよりにしにはいる、あさひのとうてんよりいずるににたり。
 こんぽんだいしの、きにいわく、「だいをかたればすなわちぞうのおわり、まつのはじめ、ちをたずぬれば、とうのひがし、かつのにし、ひとをたずぬれば、すなわちごじょくのしょう、とうじょうのときなり、きょうにいわく、ゆたおんしつ、きょうめつどごと、このことばまことにゆえあるがゆえに」うんぬん。
 またいわく、「しょうぞうややすぎおわって、まっぽうはなはだちかきにあり、ほっけいちじょうのき、いままさしくこれ、そのときなり、なにをもって、しることをえん。
 あんらくぎょうほんにいわく、まっせ、ほうめつのときなり」うんぬん、このしゃくは、ごうつくしく、こころかくれたり、よまんひと、これをげしかたきか、でんきょうだいしのごは、わがときににて、こころはまっぽうをねがいたもうなり。
 だいししゅつげんのときは、ほとけのめつご、いっせん、はっぴゃくよねんなり、だいしつきょうのもんをもって、これをかんがうるに、だいし、ぞんしょうのときは、だいしのたぞうとうじけんごのときに、あいあたるまったく、だいご、とうじょうけんごのときにあらず。
 しかるに、よそのしゃくに、まっぽうたうごんのことばはあり、さだめてしんぬ、とうじょうけんごの、ふではわがときをさすにあらざるなり。
 よ、つらつらことのこころを、あんずるに、だいし、やくおうぼさつとして、りょうぜんえじょうにじして、ほとけ、じょうぎょうぼさつ、しゅつげんのときをかねて、これをしるしたもうゆえに、ほぼ、これをさとすか。
 しかるに、よ、ぢゆのいっぶんにあらざれども、かねてこのことをしるゆえに、ぢゆのだいしにさきたちて、ほぼごじをしめす。
 れいせば、せいおうぼのせんそうには、せいちょう、まろうどのきたるには、かんじゃくのごとし、この、だいほうをぐつうせしむるのほうには、かならず、いちだいのせいきょうをあんちし、はっしゅうのしょうじょを、しゅうがくすべし、しかれば、すなわち、よ、しょじのせいきょう、たたこれあり。
 しかりといえども、りょうどのごかんき、しゅうどのだいなんのとき、あるいはいっかん、にかん、さんしつし、あるいは、いちじ、にじ、だつらくし、あるいは、ぎょろのあやまり、あるいは、いちぶにぶ、そんきゅうす。
 もしもだして、いちごをすぐるののちには、でしらさだんで、びゅうらん、しゅったいのもとなり、ここをもって、ぐしん、ろうもういぜんに、これを、きゅうちょうせんとほっす。
 しかるに、ふうぶんのごとくんばきへんならびに、おおたきんごどの、えっちゅうのごしょりょうのうち、ならびにきんぺんのてらでらに、あまたのしょうきょうありとううんぬん。
 りょうにんともに、おおだんななり、しょがんをじょうぜしめたまえ、 ねはんきょうにいわく、「うちには、ちえのでしあって、じんじんのぎをさとり、そとには、しょうじょうのだんのつあって、ぶっぽうくじゅうせん」うんぬん。 p1039
 てんだいだいしは、もうきなどを、あいかたらい、でんきょうだいしは、くにみちひろよなどを、たのむうんぬん。
 にんのうきょうにいわく、「せんりのうちをして、しちなんおこらざらしむ」うんぬん、ほけきょうにいわく、「ひゃくゆじゅんのうちに、もろもろのすいげんなからしむ」うんぬん、こくしゅ、しょうほうをぐつうすれば、かならずこのとくをそなう。
 しんみんなど、このほうをしゅごせんに、あにかないのだいなんをはらわざらんや、また、ほけきょうのだいはちにいわく、「しょがんむなしからず、また、げんせにおいて、そのふくほうをえん。
 またいわく、「まさに、こんぜにおいて、げんのかほうをうべし」うんぬん、またいわく、「このひとは、げんせに、びゃくらいのいやまをえん」またいわく、「こうべやぶれて、しちぶとならん」また、だいにかんにいわく、「きょうを、どくじゅし、しょじすることあらんものをみて、きょうせんぞうしつして、けっこんをいだかん、ないし、そのひと、みょうじゅうしてあびごくにはいらん」うんぬん。
 だいごのまきにいわく、「もし、ひとにくみ、ののしらば、くち、すなわちへいそくせん」うんぬん、でんきょうだいしのいわく、「さんするものは、ふくをあんみょうにつみぼうずるものは、つみをむげんにひらく」とううんぬん。
 あんみょうとは、しゅみせんのななり、むげんとは、あ びのべつめいなり、こくしゅ、じしゃをひぼうせば、くらいをうしない、しんみんぎょうじゃをきしすれば、みをほろぼす、いっこくを、こぞりて、もちいざれば、さだめてじほん、たひつしゅったいせしむべきなり。
 また、じょうぼんのぎょうじゃは、だいのしちなん、ちゅうほんのぎょうじゃは、にじゅうきゅうなんのうち、げぼんのぎょうじゃは、むりょうのなんの、ずいいちなり。
 また、だいの、しちなんにおいて、しちにんあり、だいいちはにちがつのなんなり、だいいちのうちに、また、ごのだいなん、あり、いわゆるにちがつどを、しっし、じせつほんぎゃくし、あるいは、しゃくじついで、あるいはこくじついで、に、さんし、ごのひいず、あるいはにっしょくして、ひかりなく、あるいはにちりん、いちじゅう、に、さんし、 ごじゅうりん、げんぜん。
 また、きょうにいわく、「ふたつのびつき、ならいでん」と、いま、このこくどにあらざるは、ふたつのひ、ふたつのつきなどのだいなんなり、よのなんは、たいてい、これあり。
 いま、このききょうをもって、にほんこくをうかべみるに、かならず、ほけきょうのだいぎょうじゃあるか、すでに、これをそしるものに、おおばちあり、これをしんずるもの、なんぞだいふくなからん。
 いまりょうにん、びりょくをはげまし、よがねがいに、ちからをそえ、ほとけのきんげんを、こころみよ。
 きょうもんのごとく、これをぎょうぜんにしるしなくんば、しゃくそんしょうじきのきょうもん、たほうしょうみょうの、じょうごん、じゅっぽうぶんしんのしょぶつのぜつそう、うごんむじつとならんか。
 だいばのだいもうごにすぎ、くぎゃりのだいおうげんにこえたらん、にちがつちにおち、だいちはんぷくし、てんをあおいでこえをはっし、ちにふして、むねをおさう。
 いんの、とうおうのぎょくたいを、たきぎにつみ、かいじつだいおうの、りゅうがんをひにいれしも、いま、このときにあたるか、もしこのしょをけんぶんして、しゅくじゅうあらば、そのこころを、ほつとくすべし。 p1040
  ししゃに、このしょをもたしめ、そうそう、ほっこくにさし、つかわし、きんごどのの、へんぽうをとりて、はやばやぜひをきかしめよ。
 このねがい、もしじょうぜば、こんろんさんのたま、あざやかに、もとめずして、くらにおさまり、たいかいのほうじゅまねかざるに、たなごころにあらん、きょうこうきんげん。
  げしゅんとおか。          にちれん かおう。
   そやにゅうどうどの。
   おおたきんごどの。
たいごう、 そやきょうしん、おおたじょうみょう。



  • [188]
  • 曽谷殿  にょぜがもんのこと 如是我聞事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月23日(日)02時52分46秒
 
  そやにゅうどうどのごへんじ。
にょぜがもんのこと。
    しっぴつ、 けんじさんねん、しもつき28にち。56さい、p1057。みのぶ。
 みょうほうれんげきょう、いちぶいっかん、しょうじきょうごくようのために、ごふせにこそでふたかさね、がもくじゅっかん、ならびにおうぎひゃくぽん。
  もんぐのいちにいわく、「にょぜとは、しょもんのほったいをあぐ」と、きのいちにいわく、「もし、ちょうはちのにょぜにあらずんば、いずくんぞこのきょうの、しょもんとなさん」とうんぬん。
 けごんきょうのだいにいわく、「だいほうこうぶつ、けごんきょう、にょぜがもん」うんぬん、「まかはんにゃはらみつきょう、にょぜがもん」うんぬん、だいにちきょうのだいにいわく「だいびるしゃな、しんぺんかじきょう、にょぜがもん」うんぬん。
 いっさいきょうのにょぜは、いかなるにょぜぞやと、たずぬれば、かみのだいもくをさしてにょぜとはもうすなり、ほとけ、いずれのきょうにても、とかせたまいし、そのしょせんのりをさして、だいもくとは、せさせたまいしを、あなん、もんじゅ、こんごうしゅなど、めつごにけつじゅうしたまいしとき、だいもくをうちをいて、にょぜがもんともうせしなり。
 いちきょうのうちの、かんじんはだいもくにおさまれり、れいせば、てんじくともうすくにあり、きゅうまんり、しちじゅうかこくなり、しかれどもそのなかの、じんちく、そうもく、さんが、だいち、みながっしともうす、にじのうちに、れきれきたり。
 たとえば、いちしてんげのうちに、ししゅうあり、そのなかのいっさいの、ばんぶつは、つきにうつりて、すこしもかくるることなし、きょうもまた、かくのごとく、そのきょうのなかの、ほうもんは、、そのきょうのだいもくのなかにあり。
  あごんきょうのだいもくは、いちきょうのしょせん、むじょうのりをおさめたり、げどうのきょうの、だいもくのあうのにじに、すぐれたること、ひゃくせんまんばいなり。
 きゅうじゅうごしゅの、げどう、あごんきょうのだいもくをきいてみな、じゃしゅうをたおし、むじょうのしょうろにおもむきぬ。
 はんにゃきょうのだいもくを、きいては、たいくう、たんちゅう、ふたんちゅうのほうもんをさとり、けごんきょうのだいもくをきくひとは、たんちゅう、ふたんちゅうのさとりあり。
 だいにちきょう、ほうとう、はんにゃきょうのだいもくをきくひとは、あるいは、しゃくくう、あるいはたいくう、あるいはたんくう、あるいはふたんくう、あるいはたんちゅう、ふたんちゅうのりをばさとれどもいまだじゅうかいごぐ、ひゃっかいせんにょ、さんぜんせけんのみょうかくの、くどくをばきかず。
  そのせんを、とかざれば、ほけきょうよりほかは、りそくのぼんぷなり、かのきょうきょうのほとけ、ぼさつはいまだ、ほけきょうのみょうじそくに、およばず、いかにいわんや、だいもくをもとなへざれば、かんぎょうそくにいたるべしや、ゆえにみょうらくだいしの、きにいわく、「もしちょうはちのにょぜにあらずんば、いずくんぞこのきょうのしょもんとなさん」うんぬん。
p1058
  それぞれの、、しょきょうのだいもくは、はちきょうのうちなり、あみのめのごとし、このきょうの、だいもくは、はちきょうのあみのめに、こえて、たいこうともうすものなり。
  いま、みょうほうれんげきょうと、もうすひとびとは、そのこころをしらざれども、ほけきょうのこころをうるのみならず、いちだいのたいこうをさとりたまへり。
 れいせば、いちにさんさいのたいし、くらいにつきたまいぬれば、くにはわがしょりょうなり、せっしょう、かんぱくいかは、わがしょじゅうなりとは、しらせたまはねども、なにも、このたいしのものなり。
 たとえば、しょうにはふんべつのこころなけれども、ひものちちをくちにのみぬれば、じねんにせいちょうするを、ちょうこうがように、こころおごれるしんかありて、たいしをあなづればみをほろぼす。
 しょきょう、しょしゅうのがくしゃら、ほけきょうのだいもくばかりを、となうるたいしをあなづりて、ちょうこうがごとくして、むげんじごくにおつるなり。
 また、ほけきょうのぎょうじゃのこころもしらず、だいもくばかりをとなうるが、しょしゅうのちしゃにおどされて、たいしんをおこすは、こがいともうせし、たいしがちょうこうにおどされ、ころされしがごとし。
   なんみょうほうれんげきょうともうすは、いちだいのかんじんたるのみならず、ほけきょうのこころなり、たいなり、しょせんなり、かかるいみじきほうもんなれども、ぶつめつご、にせんにひゃくにじゅうよねんのあいだ、がっしに、ふほうぞうのにじゅうよにん、ぐつうしたまはず。
 かんどの、てんだいみょうらくも、るふしたまはず、にほんこくには、しょうとくたいし、でんきょうだいしも、せんぜつしたまはず、されば、わほっしがもうすは、ひがごとにてこそあるらめとしょにん、うたがいてしんぜず、これまた、だいいちのどうりなり。
 たとえば、しょうくんなんどを、あやしのつわものなんどが、おかしたてまつるを、みなひと、よも、さはあらじと、おもへり、だいじんくぎょうなんどのようなる、てんだい、でんきょうのぐつうなからん、ほけきょうのかんじん、なんみょうほうれんげきょうを、わほっしほどのものが、いかでとなうべしとうんぬん。
 なんだち、これをしるや、からすともうすとりは、むげのげすとりなれども、わし、くまたかのしらざる、ねんじゅうのきっきょうをしれり。
 へびともうすむしは、りゅうぞうにおよばずとも、なのかのあいだの、こうずいをしるぞかし、たとい、りゅうじゅてんだいの、しりたまはざる、ほうもんなりとも、きょうもんけんねんなら、ばなにをかうたがはせうたまべき。
 にちれんをいやしみて、なんみょうほうれんげきょうととなえさせたまはぬは、しょうにがちちをうたがふて、なめず、びょうにんがくすしをうたがいて、くすりをふくせざるがごとし。
 りゅうじゅ、てんじんなどは、、これをしりたまへどもときなく、きなければ、ぐつうしたまわざるか、よじんは、またしらずして、せんでんせざるか、ぶっぽうはときにより、きによりて、ひろまることなればいうにかひなき、にちれんがときにこそあたりて、そうやらめ。 p1059 。
  しょせん、みょうほうれんげきょうの、ごじをば、とうじのひとびとは、なとばかりとおもへり、さにてはそうらはずたいなり、たいとはこころにてそうらう。
 しょうあんいわく、「けだし、じょおうは、きょうのげんいをじょし、げんいは、もんのこころをじゅつす」とうんぬん、このしゃくのこころは、みょうほうれんげきょうともうすは、もんにあらず、ぎにあらず、いちきょうのこころなりとしゃくせられてそうらう。
 されば、だいもくをはなれて、ほけきょうのこころをたずぬるものは、さるをはなれて、きもをたづねし、はかなきかめなり、さんりんをすてて、このみをたいかいのほとりに、もとめしえんこうなり、はかなしはかなし。
 けんじ、さんねん、ひのとうし、しもつき28にち。        にちれん、 かおう。
  そやじろう、、にゅうどうどの。
たいごう 、そやきょうしん。

  • [187]
  •  曾谷殿 ほっけしんごんいもく

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月21日(金)03時33分27秒
 
そや、にゅうどうどのごしょ。
ほっけしんごんいもく。
    しっぴつ ぶんえいじゅういちねんしもつきはつか。ごじゅうさんさい、p1024。19。
 じかいほんぎゃくなん、たほうしんぴつのなん、すでにあいそうらいおわんぬ、これをもって、おもうに「おおくたほうのおんぞくあって、こくないをしんりゃくし、じんみんもろもろのくのうを、うけとちにしょらくのところあることなけん」ともうすきょうもん、あいそうらいぬとおぼえそうろう。
 とうじ、いき、つしまのどみんのごとくに、なりそうらはんずるなり、これ、ひとえにぶっぽうの、じゃけんなるによる、ぶっぽうのじゃけんともうすは、しんごんしゅうとほっけしゅうとのいもくなり。
 ぜんしゅうと、ねんぶつしゅうとを、せめそうらいしは、このことをもうしあらわさんはかりなり、かんどには、ぜんむい、こんごうち、ふくうさんぞうの、おうわくのこころ、てんだいほっけしゅうを、しんごんのだいにちきょうにぬすみいれてかえって、ほけきょうのかんじんと、てんだいだいしのとくとを、かくせしにゆえ、かんど、めっするなり。
 にほんこくは、じかくだいしが、だいにちきょう、こんごうちょうきょう、そしっちきょうをちんごこっかのさんぶととって、でんぎょうだいしの、ちんごこっかを、はせしより、えいざんにあくぎ、しゅったいして、ついに、おうぼうつきにき。
 このあくぎ、かまくらに、くだって、またにほんこくを、ほろぼすべし、こうぼうだいしのじゃぎは、なかなかけんねんなれば、ひともたぼらかされぬものもあり。
 じかくだいしのほけきょう、だいにちきょうのりどうじしょうのしゃくは、ちじんすでにゆるしぬ、ぐしゃいかでかしんぜざるべき、じかくだいしは、ほけきょうとだいにちきょうとの、しょうれつをきしょうせしに、やをもって、ひをるいとみしは、このことなるべし。
 これは、じかくだいしのしんちゅうに、しゅらのはいって、ほけきょうのだいにちりんを、いるにあらずや、このほうもんは、とうせい、えいざんそのほか、にほんこくのひともちゆべきや。
 もしこのこと、じつじならば、にちれんあにしゅみせんを、なぐるものにあらずや、わがでしはもちゆべきやいかん、さいごなればもうすなり、うらみたまうべからず、きょうきょうきんげん。
  じゅういちがつ、はつか、  にちれん かおう、
 そや、にゅうどうどの。
 たいごう、 そやきょうしん。

  • [186]
  • しもやまごしょうそく 下山御消息 しもやましょう こうはん 後半

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月20日(木)01時24分51秒
 
ほけきょうの だいにのまきに しゅと しんと しとの さんだいじをときたまえり。いちきょうのかんじんぞかし。そのきょうもんにいわく「いま このさんがいはみなこれ わがうなり、そのなかのしゅじょうはことごとくこれ わがこなり、しかも いまこの ところはもろもろのげんなんおおし、ただ われいちにんのみ よく くごをなす」とううんぬん。また このきょうにそむくものを もんにといていわく「また きょうしょうすといえども しかもしんじゅせず、ないしそのひと みょうじゅうして あびごくにはいらん」とううんぬん。されば ねんぶつしゃが ほんしの どうこうは「ごちゅうしゅじょう」のほかか。「ゆいがいちにん」のきょうもんをやぶりて「せんちゅうむいち」といいしゆえに、げんしんに きょうじんと なりて やなぎにのぼりてみを なげ、けんどにおちてしにかねて、じゅうよにちより にじゅうしちにちまでじゅうよにちがあいだ、てんとうきょうししおわんぬ。


また しんごんしゅうのがんそ、ぜんむいさんぞう・こんごうちさんぞう・ふくうさんぞうらは、おやちちをかねたる きょうしゅしゃくそん ほうおうたてくだして だいにち たぶつをあがめしゆえに、ぜんむいさんぞうはえんまおうのせめに あづかるのみならず またむげんじごくにおちぬ。なんじら このこと うたがいあらば がんぜんにえんまどうのえを みよ。こんごうち・ふくうのことはしげければかかず。
 また ぜんしゅうのさんがいしんぎょうぜんじはほけきょうとうの いちだいせいきょうをばべつきょうとくだだす。わが つくれるきょうをばふきょうとすうちょうせしゆえにしえのだいしのごとくなりしかども、ほけきょうのじしゃの うばいにせめられて こえをうしない、げんしんにだいじゃとなりすうじゅうにんのでしをのみくらう。


 いま にほんこくの ひとびとは たとひ ほけきょうをたもち しゃくそんをしゃくそんとすうちょうしたてまつるとも、しんごんしゅう・ぜんしゅう・ねんぶつしゃをあがむるならば むげんじごくはまぬがれがたし。いかにいわんや さんしゅうのものどもをにちがつのごとく かつぎょうし、わがみにも ねんぶつをわざとせむものおや。こころあらんひとびとは ねんぶつ・あみだきょうとうをば、ふぼ・し・きみ しゅくせのかたきよりもいむべきものなり。れいせば ぎゃくしんがはたをばかんぺいは さすことなし、かんじきのまつりにはひをいむぞかし。さればいにしえのろんし てんじんぼさつはしょうじょうきょうをしたのうえにおかじとちかいひ、けんじゃたりし きちぞうだいしはほけきょうをだに よみたまわず。これらは もとしょうじょうきょうをもって だいじょうきょうをは(しっし、ほけきょうをもって てんだいだいしをきぼうしたてまつりしほうぼうのじゅうざいをしょうめつせんがためなり。


いま にほんこくのひとびとはひとりもなく、ふきょうきょうきごとく、くがん・しょういとうのごとく、いっこくばんにん、みなむげんじごくにおつべきひとびとぞかし。
p362
ほとけのねはんきょうにしるしてまっぽうには ほけきょうひぼうのものは、だいちみじんよりもおおかるべしとしるしたまいしこれなり。
 しかるに いま けきょうのぎょうじゃしゅつげんせば いっこくばんにん、みな ほけきょうのどくじゅをやめて きちぞうだいしのてんだいだいしにしたがうがごとくみをにくきょうとなし、ふきょうきょうきのかえってふきょうぼさつにしんぷくずいじゅうせしがごとくつかうるとも、いちにちふつか・ひとつき、ふたつき・いちねんにねん・いっしょう にしょうがあいだには ほけきょうひぼうのじゅうざいは、なおなを しめっしがたかるべきに、その ぎはなくしてとうせいのひとびとはししゅうともにいちまんをおこせり。

いわゆる ねんぶつしゃはほけきょうをすててねんぶつをもうす。にちれんはほけきょうをたもつといえども ねんぶつをたもたず、われらは ねんぶつをたもち ほけきょうをもしんず、かいをもたもちいっさいのぜんをぎょうず とううんぬん。これらは のうさぎがあとをかくし、きんちょうがあたまをあなにいれ、ろじんがこうしをあなづり、ぜんしょうがほとけを おどせしにことならず。しかうままよひやすく たか はとへんじがたきものなり。はかなし、はかなし。


 とうじはよが いにしえもうせしことのようやくあうかのゆえに、しんちゅうにはいかんせんとはおもうらめども、としごろあまりにほうにすぎて そしりあっくせしことがたちまちにひるがえりがたくてしんずるよしをせず、しかも もうこはつよりゆく。いかんせんとむなもり・よしともがようになげくなり。


 あはれひとはこころはあるべきものかな。こうしはくしいちごん、しゅう こうたんはよくするときはさんどにぎり しょくするときはさんどはきたまう。けんじんはかくごとく よういをなすなり。せけんのほうにも・ほうにすぎば・あやしめといふぞかし。くにをぢするひとなんどがひとのもうせばとて いさいにもたずねずして、さうなく とがにおこなわれしは あわれくやしかるらんに、かのけつおうがとうおうにせめられ、ごおうがえつおうにいけどりにせられしときは、けんじゃのかんぎょうをもちいざりしことをくい、あじゃせおうがあくそう みにいで、たこくにおそわれしときは、だいばをまなこにみじ みみにきかじと ちかい、ないし むなもりがいくさにまけ、よしつねにいけどられて かまくらにくだされておもてをさらせしときは、とうだいじをやきはらわせ さんのうのみこしをいたてまつりしことをなげきしなり。


 いまのよも またいちぶもたがうべからず。にちれんをいやしみしょそうをたっとびたまうゆえ然じねんにほけきょうのごうてきとなりたまう。ことをわきまえず せいどうにそむきておこなわるる(あいだ、ぼんしゃく・にちがつ)・してん・りゅうおうとうのだいおんてきとなりたまう。ほけきょうしゅごのしゃか・たほう・じっぽうぶんしんのしょぶつ・せんかい・しゃっけ たほう・にしょう・にてん・じゅうらせつにょ・きしぼじん)、たこくのけんおうのみにいりかわりて こくしゅをばっし、くにをほろぼさんとするをしらず。

p363
 まことの てんのせめにてだにもあるならば、たとい てっちせんをにほんこくにひきまわらし、すみせんをふたとして じっぽうせかいのしてんのうをあつめて なみぎわにたて ならべてふせがするとも ほけきょうのかたきとなり、きょうしゅしゃくそんより だいじなるぎょうじゃを ほけきょうのだいごまきをもって にちれんがこうべをうち、じゅつかんともにひきちらしてさんざんにふみたりし たいかは、げんとうにせいにのがれがたくこそそうらわんずらめ。にほんしゅごのてんしょうだいじん・しょうはちまんなども いかでか・かかるくにをばたすけたまうべき。いそぎいそぎ ちばつをくわえてみずからのとがを のがれんとこそはげみたまうらめ。おそくとがにおこなうあいだ、にほんこくのしょじんども よんだいてんのうにいましめられてや あるらんしりがたきことなり。


 きょうだいしいわく「ひそかにおもんみれば ぼさつはくにのたからなること ほけきょうにのせ、だいじょうの りたは まかえんのせつなり。みてんのしちなんはだいじょうきょうにあらずんばなをもってかのぞくことをせん。みぜんのたいさいはぼさつ そうにあらずんばあにみょうめつすることをえんや」とううんぬん。しかるをいま だいもうここくをちょうぶくするくげ・ぶけのにっきをみるに、あるいは ごだいそん、あるいはしちぶつやくし、あるいはぶつげん、あるいはこんりんとううんぬん。これらのしょうほうはたいさいをけすべしや。「げんちゃくおほんにん」となりてくにたちまちにほろびなんとす。


 あるいは ひよしのやしろにして ほっけのごまをおこなうといへども、ふくうさんぞうがあやまれる ほうをもととしておこなうあいだ、きとうのぎにあらず。また いまのこうそうらは、あるいはとうじのしんごん、あるいはてんだいのしんごんなり。とうじはこうぼうだいし、てんだいはじかく・ちしょうなり。このさんにんはかみにもうすがごとくだいほうぼうのひとびとなり。それより いげ)のしょそうらは、あるいはとうだいじのかいだんのしょうじょうのものなり。えいざんのえんとんかいはまたじかくのほうぼうに まげられぬ。かのえんとんかいもしゃくもんのだいかいなれば いまのときのきにあらず。かたがたかなうべきことにはあらず。ただいまこくどやぶれなん。こうかいさきにたたじ、ふびんふびんとかたりたまいしを、せんまんがいちをかきつけてまいらせそうろう。


 ただし みもげせんにうまれ、こころもおろかにそうろうへば、このことはどうりかとはうけたまわりそうらへども、こくしゅもおんもちいなきかのゆえに かまくらにては いかががそうらいけん、ふしんにおぼえそうろう。かえすがえすも ぐいにぞんじそうろうは これほどのくにのだいじをばいかにおんたずねもなくして、りょうどのごかんきには おこなわれけるやらんと、ききおぼしめしほどかせたまわぬひとびとの、あるいはどうりとも、あるいはひがごとともおおせあるべきこととはおぼえそうら)はず。またこのみにあみだきょうをよみそうらわぬも しかしながらおんため、ふぼのためにてそうろう。ただ りふじんによむべきよしをおおせをこうむりそうらわば そのときかさねてもうすべくそうろう。  p364


いかにも きこしめさずして、うしろのすいぎを なさんひとびとのおおせをば、たとひみはしたがうようにそうらえども、こころはいっこうにもちいまいらせそうろうまじ。またおそれにてそうろうへども かねて つみしらせまいらせそうろう。この ごぼうはただひとりおはします。もしやのおんことのそうらわんときはごこうかいやそうらわんずらん。せけんのひとびとのもちいねばとはいちたんの をろかのことなり。かみのごようあらんときは だれびとかもちいざるべきや。そのときは またもちいたりともなにかせん。ひとをしんじてほうをしんぜず。


 またせけんのひとびとのおもいてそうろうは おやにはこは ぜひにしたがうべしと。くんしん・していもかくのごとしと。これらはげてんをもわきまえず、ないてんをもしらぬひとびとのじゃすいなり。げてんのこうきょうには しふ、くんしんあらそうべきだんもあり。ないてん)は「おんをすてむいに はいるはしんじつにおんをほうずるものなり」とほとけさだめたまい)。しったたいしはえんぶだいいちのこうしなり。ちちのおうのめいをそむきてこそ、ふぼをいんどうしたまいしか。ひかんがおやちちちゅうおうをかんぎょうしてむねをほられてこそけんじんのなをば ながせしか。いやしみたまうともこぼっしがかんきょうをもちひたまわずば、げんとうのおんなげきなるべし。これはおやのためによみまいらせそうらはぬ あみだきょうにてそうらへば、いかにもとうじはかのうふべしとはおぼへそうらわず。きょうきょうもうしあげそうろう。
  けんじさんねんろくがつ ひ       そう にちえい
 しもやま ひょうご ごろうどのごへんじ
たいごう、あたう、しもやま、ひょうご、みつもと。

  • [185]
  • しもやまごしょうそく 下山御消息 しもやましょう 

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月20日(木)01時23分13秒
 
しもやまごしょうそく、  下山御消息
しもやましょう 、けんぽんしょう
    しっぴつ、けんじ、さんねん、みなつき。56さい、 P357。

たほう、じっぽうのしょぶつのおんまえにして きょうしゅしゃくそんのもうす くちとして まつだいとうせいのことをとかせたまいしかば、しょぼさつしるしていわく「あっきそのみにはいって われをめりきにくせん。ないし、しばしばひんずいせられん」とううんぬん。またしぶつしゃくそんのさいしょうおうきょうにいわく「あくにんをあいぎょうしぜんにんをちばつするによるがゆえに、ないし、たほうのおんぞくきたって こくじんそうらんにあわん」とううんぬん。

たとひ にちれんをばきょうせんせさせたまうとも きょうしゅしゃくそんのきんげん、たほう・じっぽうのしょぶつのしょうみようはむなしかるべからず。いっさいのしんごんし・ぜんしゅう・ねんぶつしゃとうのほうぼうのあくびくをば まえよりごきえありしかども、その だいかをしらせたまはねばすこしてんもゆるしぜんじんも すてざりけるにや。

しかるをにちれんがしゅつげんしていっさいのひとをおそれず しんみょうをすてて、さし もうさばけんなるこくしゅならば しさいをききたまうべきに、ききもせずもちいられざるだにもふしぎなるに、あまつさえ くびにおよばむとせしことは ぞんがいのしだいなり。しかればだいあくにんをもちいる だいか、しょうほうのだいぜんにんをちじょくする たいざい、にあく はなをならべてこのくににしゅつげんせり。たとえばしゅらをきょうけいし にってんをいたてまつるがごとし、ゆえにぜんだいみもんのだいじ くににおこるなり。

 これまた せんれいなきにあらず。かのけつおうはりゅうほうがこうべをはね、いんのちゅうおうはひかんがむねをさき、にせいおうはりしをころし、うだえんおうはびんずるそんじゃを べつじょし、だんみらおうはししそんじゃのくびをきる。ぶおうはえおんほっしとじょうろんし、けんそうおうははっきょいをおんるし、きそうこうていはほうどうさんぞうのおもてにかなやきをさす。これらはみなかんぎょうをもちいざるのみならずかえって あだをなせしひとびと、げんせには くにをほろぼしみをうしなひ、こうせいにはあくどうにおつ。これまたひとをあなづりざんげんをいれて りをつくさざりしゆえなり。
 しかるに いぬるぶんえいじゅういちねん にがつにさどのくにより めしかえされて どうしがつのようかにたいらきんごにたいめんしてありしとき、りふじんのごかんきのよし いさいにもうしふくめぬ。またうらむらくはこのくにすでに たこくにやぶれんことのあさましさよとなげきもうせしかば、きんごがいわく、いつのころかだいもうこはよせそうろうべきとといしかば、きょうもんには ふんみょうにねんげつをさしたることはなけれどもてんのみけしきをはいけんしたてまつるに、もってのほかに
p358
このくにをにらめさせたまうか、ことしはいちじょうよせぬとおぼふ。もし するならばひいりもおもてをむかうものあるべからず。これまた てんのせめなり。にちれんをば わどのばらがもちいぬもの なれば ちからおよばず、あなかしてあなかしこ。しんごんしらにちょうぶく おこなわせたまうべからず。もしおこなわするほどならばいよいよあしかるべきよしもうしつけて、さてかえりてありしに、じょうげともにさきのごとくもちいさりげにあるうえ、もとよりぞんちせり。
 こくおんをほうぜんがためにさんどまでは かんぎょうすべし。もちいずばさんりんにみをかくさんとおもひしなり。またじょうこのほんぶんにも さんどのいさめもちいずばされといふ。ほんぶんにまかせてしばらくさんちゅうにまかりいりぬ。そのうえはこくしゅのもちいたまわざらんに それいかにほうもんもうしてなにかせん。もうしたりともくにもたすかるまじ、ひともまたほとけになるべしともおぼへず。

 また ねんぶつはむげんじごく・あみだきょうをよむべからずともうすことも わたしのことばにはあらず。それみだねんぶつと もうすはみなもととしゃかにょらいのごじゅうねんの せっぽうのうち、まえよんじゅうねんのうちのあみだきょうとうのさんぶ)きょうよりしゅったいせり。しかれどもにょらいのきんげんなれば さだめてしんじつにてこそあるらめと しんずるところに、あとのはちねんのほけきょうのじょぶんたるむりょうぎきようにほとけ ほけきょうをとかせたまわんために、まづ よんじゅうねんのきょうきょうならびにねんきとうをつぶさにかぞえあげて、「みけんしんじつ・ないししゅうふとくじょう・むじょうぼだい」と、じゃっかんのきょうきょうならびにほうもんをただいちごんに うちけしたまうこと、たとえばたいすいのしょうかをけし おおかぜのもろもろのそうもくのつゆをおとすがごとし。

しこうしてにしょうしゅうのほけきょうのだいいっかんにいたって「せそんほうきゅうご・ようとうせつしんじつ」。またいわく「しょうじきしゃほうべん・たんせつむじょうどう」とときたまう。たとえばやみよにだいげつりんのしゅつげんし、だいとうたててのち あししろをきりすつるがごとし。しこうしてのちじつぎを さだめていわく「いまこの さんがいはみなこれ わがうなり。そのなかの しゅじょうはことごとく これ わがこなり。しかも いまこの ところはもろもろのげんなんおおし。ゆいがいちにんのみ よく くごをなす。また きょうしょうすと いえども しかも しんじゅせず。ないし、きょうをどくじゅし かきたもつことあらんものをみて、きょうせんぞうしつしてしかも
けっこんをいだかん。そのひと みょうじゅうして あびごくに はいらん」とううんぬん。

きょうもんのしだい ふつうのせいしょうのほうにはにず。つねにはごぎゃく・しちぎゃくのざいにんこそ あびじごくとはさだめてそうろうに、これはさにてはそうらわず。ざいせめつごのいっさいしゅじょう、あみだきょうとうのよんじゅうねんのきょうきょうをかたくしゅうして ほけきょうへうつらざらんと、たとひ ほけきょうへはいるともほんしゅうをすてず)て それぞれのきょうきょうを ほけきょうにならべて しゅぎょうせん ひとと、
p359
またじしゅうのきょうきょうを ほけきょうにすぐれたりといわんひとと、ほけきょうをほうのごとくしゅぎょうすとも ほけきょうのぎょうじゃをちじょくせんものと、これらのしょにんをさしつめて「そのひとみょうじゅう・にゅうあびごく」とさだめさせたまいしなり。
 このことは ただしゃかいちぶつのおおせなりとも げどうにあらずばうたがうべきにては あらねども、いこんとうのしょきょうのせつにいろをかへて おもきことをあらはさんがために、ほうじょうせかいのたほうにょらいは みずからはるばるきたまいて しょうにんとならせたまう。しゃかにょらいのせんぱんたるだいにちきょう・あみだきょう・ねんぶつとうをかたくしゅうして、のちの ほけきょうへ はいらざらむ ひとびとはにゅうあびごくは いちじょうなりと しょうみょうし、またあみだぶつなどのじっぽうのしょぶつはおのおののくにぐにを すててりょうぜん・こくうえにもうで(たまい、ほうじゅかにざして こうちょうぜつをいだし だいぼんてんにつけたまうこと、むりょうむへんのにじのこくうにたちたらんがごとし。

こころはよんじゅうねんのなかのかんぎょう・あみだきょう・ひけきょうなどにほうぞうびくなどのしょぼさつ、よんじゅうはちがんとうをおこして ぼんぷをくほんのじょうどへらいごうせんと とくことは、しばらくほけきょういぜんのやすめことばなり。じつにはそれぞれのきょうきょうのもんのごとくじっぽうさいほうへのらいごうはあるべからず。まことおもふことなかれ。しゃかぶつの いまときたまうがごとし。じつにはしゃか・たほう・じっぽうのしょぶつ、じゅりょうほんのかんようたる なむみょうほうれんげきょうのごじをしんぜしめんがためなりといだしたまう こうちょうぜつなり。

われらとしゃかぶつとは おなじほどのほとけなり。しゃかぶつはてんげつごとし、われらはすいちゅうのかげのつきなり。しゃかぶつの ほんどはじつには しゃばせかいなり。てんげつうごきたまわずばわれらも うつるべからず。このどにきょじゅうして ほけきょうのぎょうじゃをしゅごせんこと、しんかがしゅじょうを あおぎたてまつらんがごとく、ふぼのいっしをあいするがごとくならんといだしたまうしたなり。


 そのとき あみだぶつのいち にのでし かんのん・せいしとうは あみだぶつのあんばいなり、つばさなり、さゆうのしんなり、りょうめのごとし。しかして ごくらくせかいよりはるばるとおんともしたてまつりたりしが むりょうぎきょうのとき、ほとけのあみだきょうなどのよんじゅうはちがんとうはみけんしんじつ、ないしほけきょうにて いちめい あみだと なをあげてこれらのほうもんはしんじつならずと ときたまいしかば、まこととも おぼえざりしに あみだぶつ まさしくきたりてがてんし たまいしをうちみて、さては われらがねんぶつしゃとうをくほんのじょうどへらいごうのれんだいと、がっしょうのいんとはむなし かりけりとききさだめて、さては われらも ほんどにかえりてなにかせんとて はちまん にまんのぼさつのうちにいり、あるいはかんのんほんに「ゆうおしゃばせかい」ともうして このどの ほけきょうのぎょうじゃをしゅごせんとねんごろに もうせしかば、にほんこくよりちかき いちえんぶだいのうち、なんぽう ふだらくさんともうすしょうしょをしゃかぶつよりたまいて しゅくしょとさだめたまう。

p360
 あみだぶつは さゆうのしんかたる かんのん・せいしに すてられてさいほうせかいへはかえりたまわず。このせかいにとどまりて ほけきょうのぎょうじゃをしゅごせんとありしかば、このせかいのうち よくかい だいよんのとそつてん・みろくぼさつのしょりょうのうち しじゅうくいんのいち(いんをたまいて、あみだいんとがくをうって おはすると こそうけたまわれ。そのうえ あみだきょうには ほとけ しゃりほつににたいして ぼんぷのおうじょうすべき さまをときたまう。しゃりほつ、しゃりほつ、また しゃりほつとにじゅうよところまで いくばくもなききょうによびたまいしは、かまびすしかりしことぞかし。しかれども よんしのいちかんがうち すべてしゃりほつとうのもろもろ しょうもんのおうじょうじょうぶつをゆるさず。ほけきょうにきたりて こそはじめてけこうにょらい・こうみょうにょらいとはきせられたまいしか。いちえんぶだいだいいちのだいちしゃたる しゃりほつすら じょうどのさんぶきょうにて おうじょうじょうぶつのあとをけづる。ましてまつだいうしひつじのごとくなるなんにょ、それぞれのきょうきょうにてしょうじをはなれなんや。

 このよしをわきまえざる まつだいのがくしゃとう、ならびにほけきょうをしゅぎょうする しょしんのひとびと、かたじけなくあみだきょうをよみ ねんぶつをもうして、あるいはほけきょうにはなをならべ、あるいはあとにこれをよみて ほけきょうのかんじんとし、くどくをあみだきょうとうにあつらへて さいほうへえこうしおうじょうせんとおもうは、たとええばひりゅうがろばをのりものとし、ししがやかんをたのみたるか。はたまたにちりん しゅつげんののちのしゅうせいのこう、おおあめのさかんなるときのしょうろなり。ゆえにきょうだいしいわく「はくぎゅうををたまう あさにはさんしゃをもちいず、かぎょうをえる ゆうべになんぞ じょふんをもちいん」。ゆえにきょうにく「しょうじきにほうべんをすてて ただ むじょうどうをとく」。

また「ひいでぬればほしかくれ、たくみをみてつたなきをしる」とうんぬん。ほけきょうしゅつげんののちは いこんとうのしょきょうのすてらるることはもちろんなり。たとい しゅぎょうすとも ほけきょうのしょじゅうにてこそあるべきに、いまのにほんこくのひとびと、どうしゃくが「みういちにんとくしゃ」、ぜんどうが「せんちゅうむいち」、えしんがおうじょうようしゅうのじょ、えいかんがじゅういん、ほうねんがしゃへいかくほうなどをかたくしんじて、あるいはほけきょうをなげうちていっこうに ねんぶつをもうすものもあり、あるいは ねんぶつをほんとして たすけにほけきょうをたもつものもあり、あるいは みだ ねんぶつとほけきょうとをはなをならべてさゆうにねんじてにぎょうとぎょうずるものもあり、あるいは ねんぶつとほけきょうといっぽうのにみょうなりとおもいてぎょうずるものもあり。

 これらは みな きょうしゅしゃくそんの おやしきのうちにこして、ししゅをばさしおきたてまつりてあみだどうをしゃかにょらいの ごしょりょうのうちに くにごと、さとごと、いえいえごとにならべたて)、あるいはいち・にまん、あるいはななまんべん、あるいはいっしょうのあいだいっこうにしゅぎょうして、しゅししんをわすれたるだにふしぎなるに、
p361
あまつさえ おやちちたるきょうしゅしゃくそんの ごたんじょう、ごにゅうめつのりょうじつをうばいとりてじゅうごにちはあみだぶつのひ、ようかはやくしぶつのひとううんぬん。いちぶつたんにゅうのりょうじつを とうざいにぶつの ししょうのひとなせり。これあにふこうのものにあらずや。ぎゃくろ しちぎゃくのものにあらずや。ひとごとにこの じゅうかありて、しかもひとごとにわがみはとがなしとおもへり。むざんむきのいっせんだいにんなり。

  • [184]
  • 曽谷殿 しだんいちぶのこと 師壇一分事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月19日(水)02時12分20秒
 
    そやじろうにゅうどうどのごへんじ
しだんいちぶのこと
そやじろうにゅうどうどのごしらせ
    しっぴつ 、こうあんよねん、うるうふみつき、ついたち。60さい、p1065、19                       いぬる、ふみつき、のしょうそく、どうさんじゅうにちとうらいす、せけんのことは、しばらくこれをおく、もっぱら、ぶっぽうにさからうこと、ほけきょうのだいにに、いわく「ごにん、みょうじゅう、にゅうあびごく」とう、うんぬん。
 とうていわく、そのひととは、なんらのひとをさすや、こたえていわく、つぎかみにいわく「ゆいがいちにん、のういくご、すいぶきょうしょう、にふしんじゅ」と、またいわく、「にゃくにんふしん」と、またいわく「わくぶ、ひんしゅく」またいわく、「けんぬどくじゅ、しょじきょうしゃ、、きょうせんぞうしつ にえけっこん」と、  p1066
また、だいごにいわく、「しょうぎふしんしゃ、そくとうだあくどう」と、だいはちにいわく、「にゃくうにん、きょうきしごん、にょおうにんに、くうさぜぎょうしゅう、むしょぎゃく」とううんぬん。
 ごにんとは、これらのひとびとをさすなり、かの、しんたんこくの、てんだいだいしは、なんぼくじゅっしなどをさすなり、このにほんこくの、でんきょうだいしは、ろくしゅうのひとびととさだめたるなり。
 いま、にちれんは、こうぼう、じかく、ちしょうなどのさんだいし、ならびにさんがい、どうしゃく、ぜんどうなどを、さしてそのひとというなり。
 にゅうあびごくとはねはんきょう、だいじゅうくにいわく、「いたといいちにんひとり、このごくにおち、そのみたけだいにして、はちまんゆえんなり、そのちゅうげんにへんまんして、むなしきところなし。
 そのみ、しゅうそうして、しゅじゅのくをうく、たとい、たにんんあって、み、またへんまんすとも、あいぼうげせず」、どうさんじゅうろくにいわく、「ちんもつしてあびじごくにあって、うくるところの、しんぎょう、じゅうこう、はちまんよんせん、ゆじゅんならん」とううんぬん。
 ふげんきょうにいわく、「ほうとうきょうを、ぼうずる、このだいあくほうあくどうに、おつべきこと、ぼううにもすぎ、ひつじょうして、まさにあびじごくにおつべし」とうとは、あびごくにはいるもんなり。
 にちれんいわく、それ、にほんこくはみちは、しち、くには、ろくじゅうはちかこく、ぐんは、ろっぴゃくよん、ごうはいちまんよ、ながさはさんぜんごひゃくはちじゅうしちり、にんずうは、よんじゅうごおく、はちまんきゅうせん、ろっぴゃくごじゅうくにん、あるいは、いわく、よんじゅうきゅうおく、きゅうまんよんせんはっぴゃく、にじゅうはちにんなり、てらは、いちまん、いっせんさんじゅう、ななかしょ、やしろはさんぜん、ひゃくさんじゅう、にしゃなり。
 いま、ほけきょうのにゅうあびごくとは、これらのひとびとをさすなり、とうていわく、しゅじょうにおいて、あくにん、ぜんにんのにるいあり、しょうしょも、またぜんあくのにどうあるべし。
 なんぞ、にほんこくの、いっさいしゅじょう、いちどうににゅうあびごくのものと、さだむるや、こたえていわく、にんずうおおしといえども、ごうをつくることこれひとつなり、ゆえにおなじくあびごくと、さだむるなり。
 うたがっていわく、にほんこくのいっさいしゅじょうのなかに、あるいはぜんにん、あるいはあくにんあり、ぜんにんとは、ごかい、じっかい、ないしにひゃくごじゅっかいなどなり。
 あくにんとは、せっしょう、ちゅうとう、ないしごぎゃく、じゅうあくなどこれなり、なんぞ、いちごうというや、こたえていわく、それしょうぜん、しょうあくはことなりといえども、ほけきょうのひぼうにおいては、ぜんにん、あくにん、ちしゃ、ぐしゃともにさまたげこれなし、このゆえに、おなじくにゅうあびごくというなり。
 とうていわく、なにをもってか、にほんこくのいっさいしゅじょう、いちどうに、ほっけひぼうのものというや、こたえていわく、にほんこくの、いっさいしゅじょうたなりといえども、よんじゅうごおく、はちまんきゅうせん、ろっぴゃくごじゅうきにんにすぎず。
 これらの、ひとびと、きせんじょうげの、しょうれつありといえども、かくのごときのひとびとの、たのむところはただ、さんだいしにあり、しとするところ、さんだいしをはなることなし。 p1067
 よざんの、ものありといえども、しんぎょう、ぜんどうなどのいえをいでず、べからざるなり、とうていわく、さんだいしとは、だれびとぞや、こたえていわく、こうぼう、じかく、ちしょうのさんだいしなり、うたがっていわく、このさんだいしは、いかなるじゅうかあるによって、にほんこくの、いっさいしゅじょうを、きょうもんのそのひとのうちにはいるや。
 こたえていわく、このさんだいしは、だいしょうじょうじかいのひと、おもてには、はちまんのいぎをそなえ、あるいは、さんぜんとうこれをぐす、けんみつけんがくのちしゃなり。
 しかれば、すなわち、にほんこく、よんひゃくよねんのあいだ、かみいちにんより、しもばんみんにいたるまで、これをあおぐこと、にちがつのごとく、これをたっとむこと、せそんのごとし。
 なお、とくのたかきこと、しゅみにもこへ、ちえのふかきことはそうかいにもすぎたるがごとし、ただうらむらくは、ほけきょうを、だいにちしんごんきょうに、そうたいして、しょうれつをはんずるときは、あるいはけろんのほうといい、あるいはだいに、だいさんといい、あるいはきょうしゅをむみょうのへんいきとなずけ、あるいはぎょうじゃをば、ぬすびととなずく。
 かの、だいしょうごんぶつのまつの、ろっぴゃく、よんまんおく、なゆたのししゅのごとき、おのおののごういんことなりといえども、しのくがんなどの、よにんとともに、おなじくむげんじごくに、いりぬ。
 また、ししおんのうぶつの、まっぽうの、むりょうむへんの、でしらのなかにも、きせんのことなりありといえども、おなじくしょういがでしとなるがゆえに、いちどうに、あびだいじょうに、おちぬ、いま、にほんごくまたまた、かくのごとし。
 いぬる、えんりゃく、こうにん、ねんじゅう、でんきょうだいし、ろくしゅうのでし、だんなたちを、かしゃくすることばにいわく、「そのしのおつるところ、でしまたおつ、でしのおつるところ、だんのつ、またおつ、こんくのみょうせつ、つつしまざるべけんや、つつしまざるべけんや」とううんぬん。
 うたがって、いわく、なんじが、ぶんざい、なにをもって、さんだいしをはするや、こたえていわく、よは、あえて、かのさんだいしを、はせざるなり、とうていわく、なんじがかみのぎはいかん、こたえていわく、がっしよりかんど、ほんちょうにわたるところの、きょうろんは、ごせんななせんよかんなり、
 よ、ほぼこれをみるに、こうぼう、じかく、ちしょうにおいては、せけんのとがは、しばらく、これをおく、ぶっぽうにいっては、ほうぼうだいいちの、、ひとびとともうすなり。
 だいじょうを、ひぼうするものは、やをいるよりはやく、じごくにだすとは、にょらいのきんげんなり、はたまた、ほうぼうざいの、じんじゅうは、こうぼう、じかくなど、いちどうさだめたまいおわんぬ。
 ひとのことばは、しばらくこれをおく、しゃか、たほうのにぶつのきんげん、こもうならずんば、こうぼう、じかく、ちしょうにおいては、さだめてむげんだいじょうに、いり、じゅっぽうぶんしんのしょぶつのした、だらくせずんばにっぽん、こくじゅうのよんじゅうごおく、はちまんきゅうせん、ろっぴゃくごのいっさいしゅじょうは、かのくがんなどの、でしだんなたちのごとく、あびじごくにおちて、ねつてつのうえに、おいて、あおぎふして、きゅうひゃく、まんおくさい、ふくがして、きゅうひゃくまんおくさい、さきょうにふして、きゅうひゃくまんおくさい、うきょうにふしてきゅうひゃくまんおくさい、かくのごとくねつてつのうえにあって、さんぜんろっぴゃくまんおくさいなり。 p1068   しこうしてのち、このあびよりてんじて、たほうにうまれて、だいじごくにありて、むすう、ひゃくせんまんおく、なゆたさい、だいくのうをうけん。
 かれは、しょうじょうきょうをもって、ごんだいじょうをはせしも、つみをうくること、かくのごとし、いわんや、いまさんだいしは、みけんしんじつのきょうを、もってさんぜのぶっだの、ほんかいのせつを、はするのみにあらず、あまつさえ、いっさいしゅじょう、じょうぶつのみちを、うしなう。
じんじゅうのつみは、か、げん、みらいのしょぶつも、いかでか、これをきわむべけんや、いかでかこれを、すくうべけんや。
 ほけきょうの、だいしにいわく、「いせつ、こんせつ、とうせつ、におごちゅうし、ほけきょう、さいい、なんしんなんげ」またいわく、「さいざい、ごじょう」ならびに、「やくおうじゅうゆ」とううんぬん。 たきょうにおいては、けごん、ほうとう、はんにゃ、じんみつ、だいうん、みつごん、こんこうみょうきょうなどのしょきょうのなかに、きょうきょうのしょうれつ、これをとくといえども、あるいはしょうじょうきょうに、たいしてこのきょうを、だいいちといい、あるいはしんぞくにたいにたいして、ちゅうどうをだいいちといい、あるいはいん、しんごんなどをとくをもって、だいいちとなす。
 これらの、せつありといえども、まったく、い、こん、とうの、だいいちにあらざるなり、しかるに、まつのろんし、にんしたち、みょうしゅうのとしりつも、もんとまたはんたなり。
 ここに、にちれん、かのえきょうになきのよしを、せむるあいだ、いよいよ、しんいをいだいてぜひをきゅうめいせず、ただ、だいもうごをかまえて、こくしゅ、こくじんらを、おうわくし、にちれんをそんぜんとほっす、しゅ、せんの、なんをこうむらしむるのみに、あらず、りょうどのるざいあまつさえくびのざに、およぶこれなり。
 これらの、だいなんしのびがたきこと、ふきょうのじょうもくにもすぎ、はたまた、かんじのとうじょうにも、こえたり、また、ほっしほんのごときは、「まつだいに、ほけきょうをぐつうせんものは、にょらいのつかいなり、このひとを、きょうせんするのやからのつみは、きょうしゅしゃくそんを、いっちゅうこう、べつじょするにすぎたり」とううんぬん。
 いま、にほんごくには、だいばだった、だいまんばらもんなどがごとく、むげんじごくに、おつべき、ざいにん、くにじゅう、さんぜんごひゃく、はちじゅうしちりのあいだに、みつるところの、よんじゅうごおく、はちまんきゅうせん、ろっぴゃくごじゅくにんのしゅじょう、これあり。
 かのだいば、だいまんらの、むごくのじゅうざいをこの、にほんこくよんじゅうごおく、はちまんきゅうせん、ろっぴゃくごじゅうくにんにたいせば、けいざいちゅうのけいざいなり。
 とう、そのりいかん、こたう、かれらはあくにんなりといえども、まったくほっけを、ひぼうするものにはあらざるなり、また、だいばだったは、こうがだいにのひと、だいにに、いっせんだいなり、いま、にほんごく、よんじゅうごおく、はちまんきゅうせん、ろっぴゃくごくにんは、みな、ごうがだいいちのざいにんなりしかれば、すなわち、だいばが、さんぎゃくざいは、けいもうのごとし。
 にほんこくの、かみにあぐるところの、ひとびとのじゅうざいは、なおたいせきのごとし。 p1069
 さだめて、ぼんしゃくも、にほんこくを、すて、どうしょうどうみょうも、くにじゅうのひとをはなれ、てんしょうだいじん、はちまんだいぼさつも、いかでか、このくにをしゅごせん。
 いぬる、じしょうなどの、はちじゅういち、に、さん、よん、ごだいのごにんの、だいおうと、よりとも、よしときとこのくにを、おんいさかいあって、てんしとたみとのかっせんなり。
 なおようしゅんと、こんちょうとのしょうぶのごとくなれば、てんし、よりともなどに、かたんことひつじょうなり、けつじょうなり、しかりといえども、ごにんのだいおうは、まけおわんぬ。
 うさぎ、ししおうにかちしなり、まくるのみにあらず、あまつさえ、あるいは、そうかいにしずみ、あるいはしまじまにはなたれ、ひぼうほっけ、いまだ、ねんさいをつまざるとき、なおもって、かくのごとし。
 こんどは、それににるべらず、それはただしくにじゅうのわざわいばかりなり、そのゆえは、ほぼこれをみるに、もうこのちょうじょう、いぜんに、いぬるしょうか、ぶんえいなどのだいじしん、だいすいせいのつげによって、さいさんこれをそうすといえども、こくしゅあえて、しんようなし。
 しかるに、にちれんが、かんもんほぼ、ぶつちにかなうかのゆえに、このかっせん、すでにこうじょうなり、このくにのひとびと、こんじょうには、いちどうしゅらどうにだしごしょうには、みなあびだいじょうにはいらんことうたがいなきものなり。
 ここに、きへんと、にちれんとは、しだんのいっぶんなり、しかりといえども、うろの、えしんは、こくしゅにしたがうがゆえに、このなんにあわんと、ほっするか、かんるいおさえがたし。
 れいずのよにか、たいめんをとげんや、ただいっしんに、りょうぜんじょうどを、ごせらるべきか、たとい、みはこのなんにあうとも、こころは、ぶっしんにおなじ、こんじょうは、しゅらどうに、わるまじわるとも、、ごしょうは、かならず、ぶっこくにこせん、きょうきょう、きんげん。
 こうあん、よねん、うるうふみつき、ついたち。          にちれん、 かおう。
  そやじろう、にゅうどうどのごへんじ。
たいごう、 そやきょうしん。

  • [183]
  • 曽谷殿 りんだおうごしょ 輪陀王御書

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月15日(土)23時44分26秒
 
そやどのごへんじ。
りんだおうごしょ。
 しっぴつ こうあんにねんはつき17にち、p1059 。58さい。
 やきごめ、にひょうたびおわんぬ、こめはすこしとおぼしめしそうらへどもひとのじゅみょうをつぐものにてそうらう、いのちをば、さんぜんだいせんせかいにても、かはぬものにてそうらうと、ほとけはとかせたまへり。
 こめは、いのちをつぐものなり、たとえば、こめはあぶらのごとく、いのちはともしびのごとし、ほけきょうは、ともしびのごとく、ぎょうじゃはあぶらのごとし、だんなはあぶらのごとく、ぎょうじゃは、ともしびのごとし、いっさいのひゃくみのなかには、にゅうみともうして、うしのちちだいいちなり。
 ねはんきょうのしちにいわく、「なお、しょみのなかに、にゅうもっともこれだいいちなるがごとし」うんぬん、にゅうみを、せんずれば、らくみとなる、らくみをせんずれば、ないし、だいごみとなる、だいごみはごみのなかの、だいいちなり。
 ほうもんをもって、ごみにたとへば、じゅけのさんぜん、げどうの、じゅうはち、だいきょうにしゅうみのごとし、あごんきょうは、だいごみなり、あごんきょうはにゅうみのごとく、かんぎょうなどのいっさいのほうとうぶのきょうは、らくみのごとし、いっさいのはんにゃきょうはしょうそみ、けごんきょうはじゅくそみ、むりょうぎきょうと、ほけきょうと、ねはんきょうとは、だいごのごとし。
 また、ねはんきょうは、だいごのごとし、ほけきょうは、ごみのあるじのごとし、みょうらくだいしいわく、「もし、きょうしを、ろんずれば、ほっけはただ、かいごんけんのんをもって、きょうのしょうしゅとなす、ひとりみょうのなをうる、こころここにあり」うんぬん。
 またいわく、「ゆえにしんぬ、ほっけはこれ、だいごのしょうしゅ」とう、うんぬん、このしゃくは、まさしくほけきょうは、ごみのなかにはあらず、 このしゃくのこころはごみは、じゅみょうをやしなふ、じゅみょうはごみのあるじなり。 p1060
 てんだいしゅうには、ふたつのこころあり、ひとつには、けごん、ほうとう、はんにゃ、ねはん、ほっけはおなじく、だいごみなり。
 このしゃくのこころは、にぜんとほっけとを、そうじせるに、にたり、せけんのがくしゃなど、このすじのみをしりて、ほけきょうはごみのあるじともうす、ほうもんにめいわくせるゆへに、しょしゅうにたぼらかさるるなり。
 かい、みかい、ことなれども、おなじくえんなりとうんぬん、これは、しゃくもんのこころなり、しょきょうは、ごみ、ほけきょうは、ごみのあるじともうす、ほうもんは、ほんもんのほうもんなり。
 このほうもんは、てんだい、みょうらくほぼかかせたまいそうらへども、ふんみょうならざるあいだ、がくしゃのぞんじすくなし、このしゃくに、にゃくろんきょうしと、かかれてそうらうは、ほけきょうのだいもくを、きょうしとはかかれてそうらう。
 かいごんともうすは、ごじのなかの、、げのいちじなり、けんのんと、かかれてそうらうは、ごじのなかのれんのいちじなり、どくとくみょうみょうとかかれてそうらうは、みょうのいちじなり。
 いざいおしと、かかれてそうらうは、ほけきょうをいちだいの、こころともうすは、だいもくなりと、かかれてそうらうぞ、これをもってしんぬべし、ほけきょうの、だいもくは、いっさいきょうのたましい、いっさいきょうの、がんもくなり。 だいにちきょうなどの、いっさいきょうをば、ほけきょうにてこそ、かいげんくようすべきところに、だいにちきょうなどをもって、いっさいのもくえのほとけを、かいげんしそうらへば、にほんこくの、いっさいのじとうの、ぶつぞうなど、かたちは、ほとけににれどもこころは、ほとけにあらず、きゅうかいのしゅじょうのこころなり。
 ぐちのものを、ちしゃとすること、これよりはじまれり、くにのついへのみいれて、いのりとならず、かえって、ほとけへんじてまとなり、きとなり、こくしゅないし、ばんみんをわづらはす、これなり。
 いま、ほけきょうのぎょうじゃと、だんなとのしゅったいするゆえに、ひゃくじゅうのししおうを、いとひ、そうもくのかんぷうをおそるるがごとし、これはしばらくをく。
 ほけきょうは、なにゆえぞ、しょきょうに、すぐれていっさいしゅじょうのために、もちいることなるぞともうすに、たとえば、そうもくは、だいちを、ははとし、こくうをちちとし、かんうを、じきとし、かぜをたましいとし、にちがつを、めのととして、せいちょうし、はなさき、このみなるがごとく。
 いっさいしゅじょうは、じっそうをだいちとし、むそうを、こくうとし、いちじょうを、かんうとし、い、こん、とう、だいいちの、ことばを、おおかぜとし、じょうえりき、しょうごんを、にちがつとして、みょうかくのくどくを、せいちょうし、だいじだいひの、はなさかせ、あんらくぶっかの、このみなって、いっさいしゅじょうを、やしなひたまふ。
 いっさいしゅじょう、また、じきするによりて、じゅみょうをたもつ、じきにたすうあり、つちをしょくしみずをしょくし、ひをしょくし、かぜをしょくする、しゅじょうもあり。
 ぐらと、もうすむしは、かぜをしょくす、うぐろもちともうす、むしはつちをしょくす、ひとのひにく、こつずいなどをしょくするきじんもあり、にょうふんなどをしょくするきじんもあり。
 じゅみょうを、しょくするきじんもあり、こえをしょくする、きじんもあり、いしをしょくする、いを、くろがねをしょくする、、ばくもあり。 p1061
  ちじん、てんじん、りゅうじん、にちがつ、たいしゃく、だいぼんのう、にじょう、ぼさつ、ほとけは、ぶっぽうをなめて、みとし、たましいとしたまふ。
 れいせば、むかし、かこに、りんだおうともうす、だいおうましましき、いちえんぶだいのあるじなり、けんおうなり、このおうは、なにものをか、ともとしたまうともうせば、はくばのいななくこえをきこしめして、みもせいちょうし、しんしんもあんのんにして、よをたもちたまう。
 れいせば、かえるともうすむしの、ははのなくこえをきいて、せいちょうするがごとし、あきのはぎの、しかのなくに、はなのさくがごとし、ぞうげそうのいかづちのこえに、はらみ、じゃくろのいしに、あふて、さかうるがごとし。
 されば、このおう、はくばを、をほくあつめて、かはせたまふ、また、このはくばは、はくちょうをみてなく、うまなれば、をほくのはくちょうを、あつめたまいしかば、わがみのあんのんなるのみならず、ひゃっかん、ばんじょうも、さかへ、てんかもふうう、ときにしたがひ、たこくもかうべをかたぶけて、すねんすごしたまうに、まつりごとのさをいにやはむべりけん。
 また、しゅくごうによって、かほうや、つきけん、せんまんのはくちょう、いちどきにうせしかば、また、むりょうのはくばもなくことやみぬ。
 だいおうは、はくばのこえをきかざりしゆへに、はなのしぼめるがごとく、つきのしよくするがごとく、おんみのいろかはり、ちからよはく、ろっこんもうもうとして、ぼれたるがごとくありしかば、きさきも、もうもうしくならせたまい、ひゃっかんばんじょうも、いかんがせんと、なげき、てんもくもり、ちも、ふるひ、おおかぜ、かんぱちし、けかち、やくびやうに、ひとのしすること、にくは、つか、ほねは、かはらと、みへしかば、たこくよりも、をそひきたれり。
 このとき、だいおういかんがせんと、なげきたまいしほどに、せんするところは、ぶっしんに、いのるには、しくべからず、このくにに、もとよりげどうをほく、くにぐにを、ふさげり、またぶっぽうというものを、をほくあがめをきて、くにのだいじとす。
 いづれにてもあれ、はくちょうをいだして、はくばをなかせんほうをあがむべし、まづ、げどうのほうに、をほせつけて、すうじつをこなはせけれども、はくちょう、いちひきもいでこず、はくばもなくことなし。
 このとき、げどうのいのりを、とどめて、ぶっきょうに、をほせつけられけり、そのとき、めみょうぼさつともうす、こぞうひとりあり、めしいだされければ、このそう、のたまはく、くにじゅうに、げどうのじゃほうを、とどめて、ぶっぽうをぐつうしたまうべくば、うまをなかせんことやすしといふ。
 ちょくせんにいわく、をほせのごとく、なるべしと、そのときに、めみょうぼさつ、さんぜじゅっぽうのほとけに、きしやうしもうせしかば、たちまちに、はくちょうしゅったいせり。
 はくばは、はくちょうをみて、ひとこへなきけり、だいおう、うまのこえをひとこへ、きこしめして、まなこをひらきたまい、はくちょうにひき、ないし、ひゃくせんいできたりければ、ひゃくせんの、はくばいちどきに、よろこびなきけり。 p1062
  だいおうのおんいろ、なをること、にっしょくの、もとにふくするがごとし、みのちから、こころのはかりこと、さきざきには、ひゃくせんまんばいこへたり、きさきも、よろこび、だいじん、くぎょういさみて、ばんみんも、たなごころをあはせ、たこくも、かうべをかたぶけたりとみへてそうらう。
 いまのよも、また、これにたがうべからず、てんじんしちだい、ちじんごだい、いじょうじゅうにだいは、じょうこうのごとし、せんぜのかいりきと、ふくりきとによて、こんじょうのはげみなけれども、くにもおさまり、ひとの、じゅみょうも、ながし。
 にんのうの、よとなりて、にじゅうきゅうだいがあひだは、せんぜのかいりきも、すこしよはくこんじょうのまつりことも、はかなかりしかば、くににやうやくさんさい、しちなんをこりはじめたり。
 なを、かんどより、さんこう、ごていのよを、をさむべきふみわたりしかば、それをもて、かみをあがめて、くにのさいなんをしづむ、にんのう、だいさんじゅうだい、きんめいてんおうのよとなりて、くにには、せんぜのかいふくうすく、あくしんがうじやうのもの、をほく、できて、ぜんしん、をろかにあくしんはかしこし。
 げてんの、をしへは、あさし、つみも、をもきゆへに、げてんすてられ、ないてんになりしなり、れいせば、もりやは、にほんのてんじんしちだい、ちじんごだいがあいだの、ももやそかみを、あがめたてまつりて、ぶっきょうをひろめずして、もとのげてんと、なさんといのりき。
 しょうとくたいしは、きょうしゅしゃくそんを、ごほんぞんとして、ほけきょう、いっさいきょうを、もんしよとして、りょうほうのせうぶありしに、ついには、かみはまけ、ほとけはかたせたまいて、しんこくはじめて、ぶっこくとなりぬ。
 てんじく、かんどのれいのごとし、こんしさんがい、かいぜがうの、きょうもん、あらはれさせたまうべき、じょなり、きんめいより、かんむにいたるまで、にじゅうよだい、にひゃくろくじゅうよねんがあいだ、ほとけを、だいおうとし、かみをしんとして、よををさめたまいしに、ぶっきょうはすぐれ、かみはをとりたりしかども、いまだ、よ、をさまることなし。
 いかなることにやと、うたがはりしほどに、かんむの、ぎょうに、でんきょうだいしともうす、せいじんしゅったいして、かんがへて、いわく、かみはまけ、、ほとけはかたせたまいぬ。
 ほとけは、だいおう、かみはしんかなれば、じょうげあひついで、れいぎ、ただしければ、くにじゅうをさまるべしと、をもふにくにのしづかならざること、ふしんなるゆへに、いっさいきょうをかんがへてそうらへば、どうりにてそうらいけるぞ。
 ぶっきょうに、をほきなる、とがありけり、いっさいきょうのなかに、ほけきょうともうす、だいおうをはします。 p1063
  ついで、けごんきょう、だいぼんきょう、じんみつきょう、あごんきょうなどは、あるいは、しんのくらいあるいはさふらいのくらい、あるいは、たみのくらいなりけるを、あるいは、ねはんきょうは、ほけきょうには、すぐれたり、さんろんしゅう、あるいは、じんみつきょうは、ほけきょうにすぐれたり
 ほっそうしゅう、あるいは、けごんきょうは、ほけきょうに、すぐれたり、けごんしゅう、あるいは、りっしゅうは、しょしゅうのははなり、なんどもうして、ひとりとしてほけきょうのぎょうじゃなし。
 せけんに、ほけきょうを、どくじゅするは、かえって、をこつき、うしなうなり、「これによって、てんもいかり、しゅごのぜんじんも、ちからよはし」うんぬん。
 いわゆる、「ほけきょうを、ほむといえども、かえってほっけのこころを、ころす 」とう、うんぬん、なんとしちだいじ、じゅうごだいじ、にほんこくじゅうの、しょじしょざんの、しょそうなど、このことばを、ききて、をほきにいかり、てんじくのだいてん、かんどのどうし、わがくにに、しゅったいせり。
 いわゆる、さいちょうともうす、こほっしこれなり、せんするところは、ゆきあはむずるところにて、かしらをわれ、かたをきれ、をとせ、うて、のれともうせしかども、かんむてんのうともうす、けんのうたづね、あきらめて、ろくしゅうはひがごとなりけりとて、めてはじひへいざんを、こんりうして。
 てんだいほっけしゅうと、さだめをかせ、えんとんの、かいをこんりゅうしたまうのみならず、しちだいじ、じゅうごだいじの、ろくしゅうのうえに、ほっけしゅうをそへをかる。
 せんするところ、ろくしゅうを、ほけきょうの、ほうべんとなされしなり、れいせば、かみのほとけにまけて、もんまほりとなりしがごとし、にほんこくも、またまた、かくのごとし、ほっけさいだいいちの、きょうもんはじめて、このくににあらわれたまい、のうせつい、いちにん、せつ、ほけきょうのにょらいの、つかい、はじめて、このくににはいりたまいぬ。かんむ、へいぜい、さがのさんだい、にじゅうよねんがあいだは、にほんいちしゅう、みな、ほけきょうのぎょうじゃなり。
 しかれば、せんだんには、いらん、しゃくそんには、だいばのごとく、でんきょうだいしと、どうじに、こうぼうだいしともうす、せいじん、しゅつげんせり。
 かんどにわたりて、だいにちきょう、しんごんしゅうをならい、にほんこくにわたりて、ありしかども、でんきょうだいしの、ごぞんしょうのおんときは、いたう、ほけきょうに、だいにちきょう、すぐれたりといふことは、いはざりけるが。
 でんきょうだいし、いぬる、こうにんじゅうさんねん、みなつきよっかに、かくれさせたまいてのち、ひまをえたりとや、をもひけん、こうぼうだいし、いぬる、こうにん、じゅうよねん、しょうがつじゅうくにちに、しんごんだいいち、けごん、だいに、ほっけだいさん、ほけきょうは、けろんのほう、むみょうのへんいき、てんだいしゅうなどは、ぬすびとなり、なんどもうす、ふみどもをつくりて、さがのみかどを、もうしかすめたてまつりて、ひちしゅうに、しんごんしゅうをもうしくはえて、ひちしゅうをほうべんとし、しんごんしゅうは、しんじつなりと、もうしたおわんぬ。
 そののち、にほんいちしゅうのひとごとに、しんごんしゅうになりしうえ、のそののちまた、でんきょうだいしの、みでし、じかくともうすひと、かんどにわたりて、てんだいしんごんの、にしゅうのおうぎをきはめて、きちょうす。 p1064
  このひと、こんごうちょうきょう、そしっちきょうの、にぶのじょをつくりて、ぜんとういんともうすてらをえいざんにもうしたておわんぬ。
 これには、だいにちきょうだいいち、ほけきょうだいに、そのなかに、こうぼうのごとくなる、かごんかずうべからず、せむぜむに、せうせうもうしおわんぬ。
 ちしょうだいし、また、このだいしのあとをついで、をんじやうじに、ぐつうせり、たうじ、てらとて、くにのわざはいとみゆる、てらこれなり。
  えいざんの、さんぜんにんは、じかく、ちしょう、をはせずは、しんごんすぐれたりともうすをば、もちいぬひともありなん、えんにんだいしに、いっさいの、しょにんくちをふさがれ、こころをたぼらかされて、ことばをいだすひとなし。
 おうしんの、おんきえも、また、でんきょう、こうぼうにもちょうかしてみへそうらへば、えいざん、しちじ、にほんいちしゅう、いちどうに、ほけきょうは、だいにちきょうにをとりとうんぬん。
 ほけきょうの、ぐつうのてらでらごとに、しんごんひろまりて、ほけきょうのかしらとなれり、かくのごとくして、すでによんひゃくよねんになりそうらいぬ、やうやく、このじゃけんぞうじやうして、はちじゅういち、ないし、ごのごおう、すでにうせぬ、ぶっぽううせしかば、おうほうすでにつきおわんぬ。
 あまつさへ、ぜんしゅうともうす、だいじゃほう、ねんぶつとしゅうもうす、しょうじゃほう、しんごんともうす、だいあくほう、このあくしゅう、はなをならべて、いっこくに、さかんなり。
 てんしょうだいじんは、たましいをうしなって、うぢごをまほらず、はちまんだいぼさつは、いりょくよはくして、くにをしゅごせず、けつくは、たこくのものとならむとす。
 にちれん、このよしをみるゆへに、ぶっぽうちゅうおん、くだじごくなどのせめをおそれて、ほぼこくしゅにしめせども、かれらが、じゃぎにたぼらかされて、じうしんじたまうことなし、かえってだいおんてきとなりたまいぬ。
 ほけきょうを、うしなふひと、くにじゅうに、じゅうまんせりともうせども、ひとしることなければ、ただぐちの、とがばかりにてあること、いまは、また、ほけきょうのぎょうじゃ、しゅったいせり、にほんこくの、ひとびとおろかのうえに、いかりををこす、じゃほうをあいし、しょうほうをにくむ。
 さんどくがうじやうなる、いっこく、いかでか、あんのんなるべき、えこうのときは、だいのさんさいをこる、いはゆるかさい、すいさい、ふうさいなり。
 また、げんこうのときは、しょうのさんさいをこる、ゆはゆるけかち、えきびょう、かっせんなり、けかちは、だいとんよりをこり、やくびやうは、ぐちよりをこり、かっせんは、しんによりをこる。
 いま、にほんこくのひとびと、よんじゅうきゅうおく、きゅうまんよんせん、はっぴゃくのなんにょ、ひとびとことなれども、おなじく、ひとつのさんどくなり。
 いわゆる、なんみょうほうれんげきょうを、さかいとしてをこれる、さんどくなれば、ひとごとにしゃか、たほう、じゅっぽうのしょぶつを、いちどきにのり、せめながしうしなうなり。
 これ、すなわち、しょうのさんさいの、ついでなり、  p1065  しかるに、にちれんが、いちるいいかなるかこの、しゅくしうにや、ほけきょうの、だいもくのだんなとなりたまうらん。
 これをもってをぼしめせ、いま、ぼんでん、たいしゃく、にちがつ、してん、てんしょうだいじん、はちまんだいぼさつ、にほんこくのさんぜん、ひとひゃく、さんじゅうにしゃの、だいしょうのじんぎは、かこの、りんだおうのごとし。
 はくばは、にちれんなり、はくちょうは、われらがいちもんなり、はくばのなくは、われらが、なんみょうほうれんげきょうのこえなり。
 このこえをきかせたまう、ぼんでん、たいしゃく、にちがつ、してんなど、いかでかいろをまし、ひかりをさかんになしなし、たまはざるべき。
 いかでか、われらを、しゅごしたまはざるべきと、つよづよと、をぼしめすべし。
 そもそも、きへんの、いぬる、やよいのごぶつじに、がもく、そのかずありしかば、ことしいちひゃくよにんのひとを、さんちゅうにやしなひで、じゅうにときの、ほけきょうをよましめ、だんぎしてそうらうぞ。
 これらは、まつだいあくせには、いちえんぶだい、だいいちのぶつじにてこそ、そうらへ、いくそばくか、かこのしょうりょうも、うれしくをぼすらん、しゃくそんは、こうようのひとを、せそんとなづけたまへり、きへん、あに、せそんにあらずや、こ、だいしんあじゃりのこと、なげかしくそうらへども、これまた、ほけきょうのるふのしゅったいすべきいんえんにてや、そうらやらんと、をぼしめすべし、ことごといのちながらへば、、そのときもうすべし。
 こうあん、にねん、つちのとう、はずき、じゅうしちにち         にちれん、 かおう。
  そやどうしゅうごへんじ。
たいごう、 そやきょうしん。

  • [182]
  • 曽谷殿 じょうぶつようじんしょう 成仏用心抄

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月14日(金)01時26分51秒
 
そやどのごへんじ
じょうぶつようじんしょう
    しっぴつ、 けんじ、はつきみっか。55さい、 p1055。みのぶ。
 それ、ほけきょうだいいち、ほうべんぽんにいわく、「しょぶつのちえは、じんじんむりょうなり」うんぬん、しゃくにいわく、「きょうえんむへんなるゆえに、じんじんといいちすいはかりがたきゆえに、むりょうという」と。
 そもそも、このきょうしゃくのこころは、ほとけになるみちは、あに、きょうちのにほうにあらずや、されば、きょうというはばんぼうのたいをいいちというは、じたいけんしょうのすがたをいうなり。
 しかるに、きょうのふちほとりなく、ふかきときは、ちえのみずながるることつつがなし、このきょうち、がっしぬればそくしんじょうぶつするなり、ほっけいぜんのきょうは、きょうち、かくべつにして、しかも、ごんきょうほうべんなるがゆえにじょうぶつせず。
 いま、ほけきょうにして、きょうちいちにょなるあいだ、かいじごにゅうのしぶつちけんを、さとりて、じょうぶつするなり、このないしょうに、しょうもん、ひゃくしぶつさらにおよばざるところを、つぎしもに、いっさいしょうもん、ひゃくしぶつ、しょふのうちと、とかるるなり。
  このきょうちのにほうは、なにものぞ、ただなんみょうほうれんげきょうのごじなり、このごじをじゆのだいしをめしいだして、けつちょうふぞくせしめたもう、これをほんげふぞくのほうもんとはいうなり。
 しかるに、じょうぎょうぼさつなど、まっぽうのはじめのごひゃくねんに、しゅっしょうして、このきょうちのにほうたる、ごじをひろめさせたもうべしとみえたり、きょうもんかくかくたり、めいめいたり、だれか、これをぜんろん。
 にちれんは、、そのひとにもあらず、また、おんつかいにもあらざれども、まず、じょぶんにあらあらひろめそうらうなり、すでに、じょうぎょうぼさつ、しゃかにょらいより、みょうほうのちすいをうけて、まつだいあくせのここうの、しゅじょうにながれかよはしたもう。
 これ、ちえのぎなり、しゃくそんより、じょうぎょうぼさつへ、ゆずりあたへたもう、しかるに、にちれんまた、にほんこくにして、このほうもんを、ひろむ、また、これには、そうべつのにぎあり、そうべつのにぎ、すこしも、あいそむけば、じょうぶつ、おもいもよらず、りんねしょうじのもといたらん。
 れいせば、だいつうぶつの、だいじゅうろくの、しゃかにょらいに、げしゅせし、こんにちのしょうもんは、まったくみだ、やくしにあいて、じょうぶつせず。
 たとえばたいかいのみずを、けないへくみきたらんには、けないのもの、みなえんをふるべきなり、しかれども、くみきたるところの、たいかいのいってきを、さしおきて、またたほうの、たいかいのみずを、もとめんことは、だいびゃくあんなり、だいぐちなり。
 ほけきょうの、たいかいのちえのみずを、うけたるこんげんのしをわすれて、ほかへこころをうつさば、かならずりんねしょうじのわざはいなるべし。  p1056
  ただし、しなりとも、あやまりあるものをば、すつべし、またすてざるぎもあるべし、せけん、ぶっぽうのどうりによるべきなり、まっせのそうらはぶっぽうのどうりをば、しらずしてがまんに、じゃくしてしをいやしみ、だんなをへつらふなり。 ただ、しょうじきにして、しょうよくちそくたらんそうこそ、しんじつのそうなるべけれ、もんぐのいちにいわく、「すでに、いまだ、しんをおこさざれば、だいいちぎてんに、はじ、もろもろのしょうにんに、はず、そく、これうしゅうのそうなり、かんね、もしはっするは、すなわちしんじつのそうなり」うんぬん。
 ねはんぎょうにいわく、「もし、ぜんびくあって、ほうをやぶるものを、みておいてかしゃくし、くけんし、こせしょずんば、まさにしるしべし、このひとは、ぶっぽうのなかのあだなり、もし、くよくけんし、かしゃくし、こしょせんはこれ、わがでし、しんのしょうもんなり」うんぬん。
 この、もんのなかに、けんねほうしゃの、けんと、ちふかしゃくのちとを、よく、よく、しんぷに、そむべきなり、ほけきょうのてきをみながらおいて、せめずんば、しだんともに、むげんじごくは、うたがいなかるべし。
 なんがくだいしのいわく、「もろもろの、あくにんと、ともにじごくにおちん」うんぬん、ほうぼうを、せめずしてじょうぶつを、ねがはば、ひのなかに、みずをもとめみずのなかに、ひをたずぬるがごとくなるべし、はかなし、はかなし。
 いかに、ほけきょうをしんじたもうとも、ほうぼうあらば、かならず、じごくに、をつべし、うるし、せんばいに、かにのあしひとついれたらんがごとし。
 どくけじんにゅう、しっぽんしんこは、これなり、きょうにいわく、「ざいざい、もろもろのぶつどに、つねにしとともに、しょうぜん」。
 また、いわく、「もし、ほっしに、しんごんせば、すみやかに、ぼさつのどうをえん、このしにずいじゅんして、がくせば、ごうしゃのほとけを、み、たてまつることをえん」。
 しゃくにいわく「もとこのほとけにしたがってはじめてどうしんをおこし、また、このほとけにしたがって、ふたいちにじゅうす」。
 またいわく、「はじめ、このぶつぼさつに、したがってけちえんし、また、このぶつぼさつに、おいて、じょうじゅす」うんぬん、かえすがえすも、ほんじゅうたがへずして、じょうぶつせしめたもうべし。
 しゃくそんは、いっさいしゅじょうの、ほんじゅうのしにて、しかも、しゅしんのとくを、そなへたもう、このほうもんを、にちれんもうすゆえに、ちゅうげんみみにさからう、どうりなるがゆえに、るざいせられ、いのちにも、およびしなり。
 しかれども、いまだこりずそうらう。
 ほけきょうは、たねのごとく、ほとけはうへてのごとく、しゅじょうはたのごとくなり、もし、これらのぎをたがへさせたまはば、にちれんもごしょうは、たすけもうすまじくそうろう、きょうきょう、きんげん。
 けんじ、2ねん、きのえねはきみっか、  にちれん、 かおう。
  そやどの。
たいごう、 そやきょうしん。

  • [181]
  • 曽谷殿 もんじにくげんぶつげんそうい 文字肉眼仏眼相違

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月14日(金)01時25分34秒
 
そやにゅうどうどのごへんじ。
もんじにくげんぶつげんそうい。
しっぴつ 、けんじがんねんぶんえいじゅうにねんやよい。54さい、p1025。
 ほうべんほんの、ちょうぎょうしょ、まいせそうろう、さきにまいらせそうらいし、じがげにあいそえてよみたまうべし。
 このきょうの、もんじはみなくことごとしょうしんみょうかくの、おんほとけなり。
 しかれども、われらはにくげんなれば、もんじとみるなり、れいせばがきはこうがをひとみる、ひとはみずとみる、てんにんはかんろとみる、みずはひとつなれども、かほうにしたがってべちべちなり。
 この、きょうのもんじは、もうげんのものは、これをみず、にくげんのものは、もんじとみる、にじょうは、こくうとみる、ぼさつは、むりょうのほうもんとみる、ほとけはひとつひとつの、もんじをこんじきのしゃくそんとごらんあるべきなり。
 そくじぶっしんとは、これなり、されどもびゃくけんのぎょうじゃは、かようにめでたくわたらせたもうを、はしたてまつるなり。
 ただ、あいかまえて、あいかまえて、いねんなく、いっしんにりょうぜんじょうど、をごせらるべし、こころのしとはなるとも、こころをしとせざれとは、ろくはらみつきょうのもんぞかし、いさいは、けんざんのときをきしそうろう、きょうきょうきんげん。
ぶんえい、じゅうにねん、やよい、にちれん、 かおう。
   そやにゅうどうどの。
たいごう 、そやきょうしん。

  • [180]
  • 曽谷殿 ほうれんしょう 法連抄 

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月13日(木)02時47分11秒
 
ほうれんしょう。
ふしじょうぶつしょう。
  しっぴつ、 けんじ、がんねん、ぶんえいじゅうにねんうつき、16にち、p1040。54さい。みのぶ。
  それ、おもんみればほけきょうだいよんの、ほっしほんにいわく、「もし、あくにんあって、ふぜんのこころをもって、いちこうのなかにおいて、げんに、ぶつぜんにおいて、つねにほとけをきめせん、そのつみなおかるし。
 もしひと、ひとつの、あくげんをもって、 ざいけ、しゅっけのほけきょうを、どくじゅするものを、きしせん、そのつみはなはだおもし」とう、うんぬん。
 みょうらくだいしいわく、「しかも、このきょうのこう、たかく、りたえたるに、やくしてこのせつをなすことをうる、よきょうは、しからず」とう、うんぬん。
このきょうもんのこころは、いちこうとは、にんじゅはちまんさいありしより、ひゃくねんにいちさいをすて、せんねんにじゅっさいをすつ、かくのごとく、しだいにげんずるほどに、にんじゅ、じゅっさいになりぬ。
 このじゅっさいのときは、とうじのはちじゅうのおきなのごとし、また、にんじゅじゅっさいより、ひゃくねんありて、じゅういちさいとなり、また、ひゃくねんありて、じゅうにさいとなり、ないしいっせんねんあらば、はたちとなるべし、ないし、はちまんさいとなる。
 この、いちげん、いちぞうをいちこうとはもうすなり、またしゅじゅのこうありといへども、しばらく、このこうをもってもうすべし、このいちこうがあいだ、しんくいのさんごうより、ことおこりて、ほとけをにくみたてまつるもの、あるべし。
 れいせば、だいばだったがごとし、ほとけは、じょうぼんおうのたいし、だいばだったは、こくぼんおうのこなり、きょうだいのしそくなるあいだ、ほとけのおんいとこにて、をはせしかども、いまもむかしもしょうにんもぼんぷも、ひとのなかをたがへること、にょにんよりしておこりたる、だいいちの、あだにてはんべるなり。
 しゃかにょらいは、しったたいしとして、をはししとき、だいばだったも、おなじたいしなり。  p1041
やしゅだいじんにむすめあり、やしゅたらにょとなづく、ごてんじく、だいいちのびじょ、しかいめいよのてんにょなり、しったと、だいばとともに、きさきにせんことを、あらそひたまいしゆえに、なか、あしくならせたまいぬ。
 のちに、しったはしゅっけして、ほとけとならせたまい、だいばだった、またしゅだびくを、しとして、しゅっけしたまいぬ、ほとけはにひゃくごじゅっかいをたもち、さんぜんのいぎをととのへたまいしかば、もろもろのてんにんこれを、かつごうし、ししゅうこれを、くぎょうす。

 だいばだったを、ひと、たとまざりしかば、いかにしてか、せけんのめいよ、ほとけにすぎんと、はげみしほどに、とかうあんじいだして、ほとけにすぎて、せけんに、たとまれぬべきこと、いつつあり。
 しぶんりつにいわく、「いちにはふんぞうえ、にには、じょうこつじき、さんには、いちざじき、よんには、じょうろざ、ごには、しおおよび、ごみをうけず」とううんぬん。
 ほとけは、ひとのほどこすころもをうけさせたまう、だいばだったは、ふんぞうえ、ほとけは、ひとのほどこすじきを、うけたまう、だいばは、ただじょうこつじき、ほとけはいちにちに、いちに、さんべんもせじきさせたまい、だいばは、ただいちざじき、ほとけはちょかん、じゅかにもしょしたまい、だいばは、にっちゅうじょうろざなり。
 ほとけは、びんぎには、しを、またはごみをふくしたまい、だいばは、しをなどを、ふくせず、かうありしかば、せけん、だいばの、ほとけにすぐれたること、うんでいなり、かくのごとくして、ほとけをうしないたてまつらんと、うかがひしほどに、びんばしゃらおうは、ほとけのだんななり、ひびにごひゃくりょうのくるまを、すうねんがあいだ、いちどもかかさずおくりて、ほとけ、ならびに、みでしなどを、くようしたてまつる。
 これをそねみ、とらんがために、みしょうおんたいしを、かたらいて、ちち、びんばしゃらおうを、ころさせ、われはほとけをころさんとして、あるいはいしをもって、ほとけをうちたてまつるは、しんごうなり。
 ほとけは、おうわくのものと、めりせしは、くごうなり、ないしんより、しゅくせのあだとをもひしは、いごうなり、さんごうそうおうの、だいあく、これにはすぐべからず。
 この、だいばだったほどの、だいあくにん、さんごうそうおうして、いっちゅうこうがあいだ、しゃかぶつをめり、ちょうじょうし、しっとしそうらはん、だいざいはいくらほどかおもくそうらうべきや。
 この、だいちは、さあつは、じゅうろくまん、はっせんゆじゅんなり、されば、したいかいのみずをも、くざんのどせきをも、さんぜんのそうもくをも、いっさいしゅじょうをも、ちょうだいしてそうらへども、おちもせず、かたぶかず、やぶれずしてそうらうぞかし。
 しかれども、だいばだったが、みはすでに、ごしゃくのじんしんなり、わずかに、さんぎゃくざいにおよびしかば、だいちわれて、じごくにいりぬ、このあな、てんじくに、いまだそうらう。
 げんじょうさんぞう、かんどより、がっしにしゅぎょうして、これをみる、せいいきともうすもんに、のせられたり、 しかるに、ほけきょうのまつだいの、ぎょうじゃをこころにも、をもはず、いろにもそねまず、ただ、たわふれて、のりてそうらうが、かみの、だいばだったがごとく、さんごうそうおうして、いっちゅうこう、ほとけを、めりしたてまつるに、すぎてそうらうと、とかれてそうろう。  p1042
  いかにいわんや、とうせのひとの、だいばだったがごとく、さんごうそうおうしての、だいあくしんをもって、たねんがあいだ、ほけきょうのぎょうじゃを、めり、き にく、しっと、ちょうちゃく、ざんし、ぼつしに、あてんをや。
 とうていわく、まつだいのほけきょうの、ぎょうじゃを、あだめるものは、いかなるじごくにおつるや、 こたえていわく、ほけきょうのだいににいわく、「きょうを、どくじゅし、しょじすることあらんものをみて、きょうせんぞうしつしてけっこんをいだかん、ないし、そのひと、みょうじゅうして、あびごくにはいらん。
 いちこうをぐそくして、こうつきなば、また、しし、てんでんして、むすうこうにいたらん」とう、うんぬん、このだいちのした、ごひゃくゆじゅんをすぎて、えんまおうきゅうあり。
 その、えんまおうきゅうよりした、いっせんごひゃくゆじゅんが、あいだに、はちだいじごく、ならびに、ひゃくさんじゅうろくじごくあり、そのなかに、ひゃくにじゅうはちの、じごくは、けいざいのものの、しゅうしょ。
 はちだいじごくは、じゅうざいのものの、じゅうしょなり、はちだいじごくのなかに、ななだいじごくは、じゅうあくのもののじゅうしょなり、だいはちの、むげんじごくは、ごぎゃくと、ふこうと、ひぼうとの、さんにんのじゅうしょなり。
 いま、ほけきょうのまつだいのぎょうじゃを、けろんにもめり、ひぼうせんひとびとは、おつべしとときたまへるもんなり。
  ほけきょうの、だいよんほっしほんにいわく、「ひとあって、ぶつどうをもとめて、いちこうのなかにおいて、ないし、じきょうしゃをたんびせんは、そのふく、また、それにすぎん」とう、うんぬん。
 みょうらくだいしいわく、「もし、のうらんするものは、こうべしちぶにわれ、くようする、あらんものは、ふくじゅうごうにすぐ」とう、うんぬん。
  それ、にんちゅうには、てんりんじょうおう、だいいちなり、このりんおうしゅつげんしたまうべき、ぜんそうとして、たいかいのなかに、うどんげともうす、たいぼく、おいて、さきはなさき、このみなる。
 こんりんおう、しゅつげんして、してんのさんかいを、たいらかになす、だいちはわたのごとく、やはらかに、たいかいは、かんろのごとく、あまくたいざんは、こんぜん、そうもくは、しっぽうなり、この、りんおう、しゅゆのあいだに、してんげをめぐる。
 されば、てんもしゅごし、きじんも、きたって、つかへ、りゅうおうも、ときにしたがってあめをふらす、れっぷなんども、これに、したがひ、たてまつれば、しゅゆに、してんげをめぐる、これ、ひとえに、てんりんおうの、じゅうぜんのかんとくせる、だいかほうなり。
 びしゃもんなどの、しだいてんのうは、またこれにはるにべくもなき、してんげのじざいの、だいおうなり、たいしゃくは、とうりてんのあるじ、だいろくてんのまおうは、よくかいのいただきにこして、さんがいをすりょう。
 これは、じょうぼんのじゅうぜんかい、むしゃの、だいぜんのしょかんなり、だいぼんてんのうは、さんがいのてんそん、しきかいのいただきに、こして、まおう、たいしゃくをしたがへ、さんぜんだいせんかいを、てににぎる。
 うろのぜんじょうを、しゅぎょうせるうえに、じ、ひ、き、しゃの、しむりょうしんを、しゅぎょうせるひとなり、しょうもんと、もうして、しゃりほつ、かしょうなどは、にひゃくごじゅっかい、むろのぜんじょうのうえに、く、くう、むじょう、むがのかんをこらし。p1043
 さんがいの、けんじをだんじんし、すいかにじざいなりゆえに、ぼんのうとたいしゃくとを、けんぞくとせり。
  えんがくは、しょうもんに、にるべくもなきひとなり、ほとけと、しゅっせをあらそふひとなり、むかし、りょうしありき、うえたるよに、りたともうす、ひゃくしぶつにひえのはんを、いちはい、くようし、たてまつりて、そのりょうし、きゅうじゅういちこうがあいだ、にんちゅう、てんじょうのちょうじゃとうまる。
 こんじょうには、あなりつともうす、てんげんだいいちの、みでしなり、これを、みょうらくだいし、しゃくしていわく、「ひはん、かるしともいえども、しょうをしつくし、および、でんまさるるをもってのゆえに、まさるる、むくいをうる」とう、うんぬん。
 しゃくのこころは、ひえのはんは、かるしといへども、とうとき、ひゃくしぶつをくようするゆえに、かかる、だいかほうにたびたびうまるとこそ、かかれてそうらへ。
 また、ぼさつともうすは、もんじゅ、みろくなどなり、このだいぼさつなどは、そのひゃくしぶつに、にるべからざる、たいにんなり、ほとけは、よんじゅうにほんの、むみょうともうす、やみをやぶる、みょうかくの、ほとけなり。
 はつきじゅうごやの、まんげつのごとし、このぼさつなどは、よんじゅういちほんの、むみょうをつくして、とうかくのやまの、いただきにのぼり、じゅうよんやのつきのごとし。
 ほとけともうすは、かみのしょにんには、ひゃくせんまんおくばい、すぐれさせたまへる、だいにんなり、ほとけには、かならず、さんじゅうにそうあり、そのそうともうすは、ぼんのんじょう、むけんちょうそう、にくけいそう、びゃくごうそう、ないし、せんぷくりんそうなどなり。
 このさんじゅうにそうのなかの、いちそうをばひゃくふくをもって、じょうじたまへり、ひゃくふくともうすは、たとい、たいいありて、にほんこく、かんど、ごてんじく、じゅうろくのたいこく、ごひゃくのちゅうごく、じゅうせんのしょうこく。
 ないし、いちえんぶだい、してんげ、ろくよくてん、ないし、さんぜんだいせんせかいの、いっさいしゅじょうの、まなこの、めしいたるを、もとのごとく、いちどきに、あけたらんほどのだいくどくを、ひとつのふくとして、この、ふく、ひゃくをかさねてそうらはんをもって、さんじゅうにそうのなかの、いちそうをじょうぜり。
 されば、この、いちそうのくどくは、さんぜんだいせんせかいの、そうもくのかずよりも、おおく、してんげのあめのあしよりも、すぎたり。
 たとい、えこうのとき、そうぎゃだともうす、たいふうありて、しゅみせんを、ふきぬいて、しきくきょうてんに、あげて、かへつて、みじんとなす、たいふうなり、しかれども、ほとけのおんみの、いちもうをば、うごかさず、ほとけのみむねに、たいかあり、びょうどうだいえ、だいちこうみょう、かきょうざんまいという。
 ねはんのときは、このたいかを、むねよりいだして、いっしんをやきたまいしかば、ろくよく、しかいのてんじん、りゅうしゅなど、ほとけを、おしみたてまつるゆえに、あつまりて、おおあめをふらしさんぜんの、だいちをみずとなし、しゅみは、ながるといへども、このたいかは、きへず。
 ほとけには、かかるだいとくましますゆへに、あじゃせおうは、じゅうろくたいこくの、あくにんをあつめ、いちしてんげの、げどうをかたらひ、だいばをしとして、むりょうのあくにんをはなちて、ぶつでしをのりうち、さつせがいし、のみならず、けんおうにて、とがもなかりし、ちちのを、いっしゃくのくぎをもって、しちしょまでうちつけ、  p1044
はりつけにし、せいぼをば、たまのかんざしをきり、かたなをこうべにあてし、じゅうざいのつもりに、あくそう、しちしょにいでき。
 みなのかをへて、やよいのなのかに、だいちわれてむげんじごくに、おちて、いちこうをふべかりしかども、ほとけのみもとに、もうで、あくそう、いゆるのみならず、むげんじごくの、だいくをまぬかれ、よんじゅうねんのじゅみょうのびたりき。
 また、ぎばだいじんも、おんつかひなりしかば、ほのおのなかにいって、せんばちょうじゃが、こをとりだしたりき、これをもって、これをおもうに、いちども、ほとけをくようしたてまつる、ひとは、いかなるあくにん、にょにんなりとも、じょうぶつ、とくどうたがいなし。
 だいばには、さんじゅうそうあり、にそうかけたり、いわゆる、びゃくごうとせんぷくりんとなり、ほとけに、にそう、おとりたりしかば、でしなど、かるく、おもいぬべしとて、ほたるをあつめて、みけんにつけて、びゃくごうといひ。
 せんぷくりんには、かじに、きくがたをつくらせて、あしにつけて、いくほどにあし、やけて、だいじになり、けっくしせんとせしかば、ほとけにもうす、ほとけ、みてをもって、なでたまいしかば、くつうさりき。
 ここにて、かいごあるべきかとおもいしに、さはなくして、くどんがならふ、いしは、こざかしかりけり、また、じゅつにてあるなど、いひしなり。
 かかるかたきにも、ほとけは、あだをなしたまはず、いかに、いわんや、ほとけをいちども、るしんじ、たてまつるものをば、いかでか、すてたまうべきや。
かかる、ほとけなれば、もくぞう、がぞうにうつし、たてまつるに、うでんだいおうの、もくぞうは、あゆみをなし、まとうのがぞうは、いっさいきょうを、きときたまふ。
 これほどに、とうとききょうしゅしゃくそんを、いちとき、にとき、ならず、いちにちににちならず、いちこうがあいだ、たなごころをあわせ、りょうげんを、ほとけのみかおにあて、こうべをたれて、たじをすて、こうべのひを、けさんとほっするがごとく。
 かつしてみずををもひ、うえて、じきをおもうがごとく、ひまなく、くようしたてまつる、くどくよりも、けろんに、ひとこと、ままははのままこをほむるが、ごとく、こころざしなくとも、まつだいのほけきょうのぎょうじゃを、ほめくようせんくどくは、そのさんごうそうおうの、しんじんにて、いちこうがあいだ、しょうしんのほとけを、くようしたてまつるには、ひゃくせんまん、おくばいすぐべしと、ときたまいて、そうらう。
 これを、みょうらくだいしは、ふくかじゅうごうとは、かれてそうらうなり、じゅうごうともうすは、ほとけのとうのみななり、じゅうごうを、くようせんよりも、まつだいのほけきょうのぎょうじゃを、くようせん、くどくは、すぐるとかかれたり。
 みょうらくだいしは、ほけきょうのいっさいきょうに、すぐれたることを、にじゅうあつむる、そのひとつなり。
 いじょう、かみのふたつの、ほうもんは、ぶっせつにてはそうらへども、こころえられぬことなり、いかでか、ほとけをくようしたてまつるよりも、ぼんぷをくようするが、まさるべきや。
 しかれども、これをもうごといはんとすれば、しゃかにょらいの、きんげんを、うたがい、たほうぶつのしょうみょうをかろしめ、じゅっぽうしょぶつの、ぜつそうをやぶるになりぬべし。 p1045
もし、しからば、げんしんにあびじごくに、おつべし、がんせきにのぼりて、あらうまを、はしらするがごとし、しんかんしづかならず。
 また、しんぜば、みょうかくのほとけにも、なりぬべし、い かにしてか、このたび、ほけきょうに、しんじんをとるべき、しんなくして、このきょうを、ぎょうぜんは、てなくして、ほうせんにはいり、あしなくして、せんりのみちを、くわだつるがごとし。
 ただし、ちかきげんしょうをひいて、とおきしんをとるべし、ほとけのおんとし、はちじゅうの、しょうがつついたち、ほけきょうをとき、おはらせたまいて、おんものがたりあり、「あなん、みろく、かしょう、わがよにいでしことは、ほけきょうをとかんがためなり。
 われすでに、ほんかいをとげぬ、いまは、よにありてせんなし、いま、みつきありて、きさらぎじゅうごにちに、ねはんすべし」うんぬん。
 いっさい、ないげのひとびと、うたがいをなせしかども、ぶつごむなしからざれば、ついにきさらぎじゅうごにちに、おんねはんありき、されば、ほとけのきんげんは、まことなりけるかと、すこししんじんは、とられてそうらう。
 また、ほとけしるしたまふ、「われめつどののち、ひゃくねんともうさんに、あそかだいおうともうす、おうしゅつげんして、いちえんぶだい、さんぶんのいちぶが、あるじとなりて、はちまんよんせんのとうをたて、わが、しゃりをくようすべし」うんぬん。
 ひと、うたがいもうさんほどに、あんのごとくに、しゅつげんしてそうらいき、これよりしてこそ、しんじんをば、とりてそうらいつれ。またいわく、「われめつごに、よんひゃくねんともうさんに、かにしかおうともうす、だいおうあるべし、ごひゃくのあらかんを、あつめてばしゃろんをつくるべし」と、これまた、ぶつきのごとくなりき。
 これらをもってこそ、ほとけのきもんは、しんぜられてそうらへ、もし、かみにあぐるところの、ふたつのほうもん、もうごならば、この、いちきょうはみなもうごなるべし。
 じゅりょうほんに、われは、かこ、ごひゃくじんてんこうの、そのかみの、ほとけなりとときたまう。
 われらは、ぼんぷなり、すぎにしかたは、れてうまれてよりこのかたすら、なをおぼへず、やいわんや、いっしょう、にしょうをや、いわんや、ごひゃくじんてんこうのことをば、いかでか、しんずべきや。
 また、しゃりほつなどに、しるしていわく、「なんじみらいせにおいて、むりょうむへん、ふかしぎこうをすぎ、ないし、まさに、さぶつすることをうべし、ごうをけこうにょらいと、いわん」うんぬん。
 またまた、まかかしょうに、しるしていわく「みらいせにおいて、ないし、さいごのみにおいて、ほとけとなることをえん、なずけ、てこうみょうにょらいと、いわん」うんぬん。
 これらの、きょうもんは、またみらいのことなれば、われらぼんぷは、しんずべしともおぼえず、されば、かこ、みらいをしらざらん、ぼんぷは、このきょうは、しんじがたし、また、しゅぎょうしても、なんのせんかあるべき、これをもって、これをおもうに、げんざいにげんぜんの、しょうこあらんずるひと、このきょうをとかんときは、しんずるひともありやせん。
  いま、ほうれんしょうにんの、おくりたまえるふじゅのじょうにいわく、「じふ、ゆうりょうだいじゅうさんねんの、きしんにあいあたり、いちじょうみょうほうれんげきょう、ごぶをてんどくしたてまつる」とう、うんぬん。
p1046
それ、きょうしゅしゃくそんをば、だいかくせそんと、しごうたてまつる、せそんともうす、そんのいちじをば、こうともうす、こうともうす、いちじはまた、こうとくんずるなり、いっさいの、こうようのひとのなかに、だいいちのこうようのひとなれば、せそんとごうしたてまつる。
 しゃかにょらいの、おんみは、こんじきにして、さんじゅうにそうをそなへ、たまふ、そのさんじゅうにそうのなかに、むけんちょうそうともうすは、ほとけは、じょうろくのおんみなれども、ちくじょうげどうも、その、みたけを、はからず、ぼんてんも、そのいただきをみず、ゆえに、むけんちょうそうともうす。
 これ、こうよう、だいいちのだいにんなれば、かかるそうをそなへまします。
 こうきょうともうすに、ふたつあり、ひとつには、げてんのこうしともうせし、せいじんのしょに、こうきょうあり、ふたつには、ないてん、いまのほけきょうこれなり。
 ないげ、ことなれども、そのこころは、これおなじ、しゃくそん、じんてんこうのあいだ、しゅぎょうして、ほとけにならんとはげみしは、なにごとぞ、こうようのことなり。
 しかるに、ろくどうししょうのいっさいしゅじょうは、みなふぼなり、こうようおへざりしかば、ほとけにならせたまはず、いま、ほけきょうともうすは、いっさいしゅじょうを、ほとけになす、ひじゅつまします、みきょうなり。
 いわゆる、じごくのひとり、がきのひとり、ないし、きゅうかいのひとりを、ほとけになせば、いっさいしゅじょう、みなほとけになるべき、ことはりあらわる、たとえばばたけのふしを、ひとつわりぬれば、よのふし、またやぶるるがごとし。
 いごともうすあそびに、しちやうということあり、ひとつのいし、ししぬれば、おおくのいししぬ、ほけきょうもまた、かくのごとし、かねともうすものは、もくそうをうしなう、ゆうをそなへ、みずは、いっさいのひをけすとくあり。
 ほけきょうも、またいっさいしゅじょうを、ほとけになす、ゆうおはします、ろくどうししょうの、しゅじょうに、なんにょあり、このなんにょは、みなわれらがせんしょうの、ふぼなり。
 ひとりも、もれば、ほとけになるべからず、ゆえににじょうをば、ふちおんのものと、さだめて、ようふじょうぶつと、とかせたまう、こうようのこころ、あまねからざるゆえなり。
 ほとけは、ほけきょうをさとらせたまいて、ろくどう、ししょうの、ふぼ、こうようのくどくを、みにそなへたまへり、このほとけの、おんくどくをば、ほけきょうを、しんずるひとに、ゆづりたまう。
 れいせば、ひもの、くうもののちちとなりて、あかごをやしなうがごとし、「いま、このさんがいは、みなこれわがうなり、そのなかのしゅじょうは、くことごとこれ、わがこなり」とううんぬん。
 きょうしゅしゃくそんは、このくどくを、ほけきょうのもんじとなして、いっさいしゅじょうの、くちになめさせたまう、あかごのすいかをわきまへず、どくやくをしらざれども、ちちをふくめばしんみょうをつぐがごとし。
 あごんきょうを、ならうことは、しゃりほつなどのごとくならざれども、けごんきょうをさとること、げだつがつなどのごとくならざれども、ないし、いちだいしょうきょうを、むねにうかべたること、もんじゅのごとくならざれども、いちじいっくをも、これをききしひと、ほとけにならざるはなし。
 かのごせんのじょうまんは、ききてさとらず、ふしんのひとなり、  p1047
しかれどもぼうぜざりしかば、みつきをへて、ほとけになりにき、「もしはしんじ、もしはしんぜざれば、すなわち、ふどうこくにしょうぜん」と、ねはんきょうにとかるるは、このひとのことなり。
 ほけきょうは、ふしんのものすらぼうぜざれば、ききつるがふしぎにて、ほとけになるなり、いわゆる、しちぶじゃにかまれたるひと、いっぽ、ないししちほをすぎず、どくのゆうのふしぎにて、はちほをすごさぬなり。
 また、たいないのこの、なのかのごとし、かならずなのかのうちに、てんじて、よのかたちとなる、ようかをすごさず。
 いまの、ほうれんしょうにんも、また、かくのごとし、きょうしゅしゃくそんの、おんくどく、おんみにはいりかはらせたまいぬ。
 ほうれんしょうにんの、おんみは、かこしょうりょうの、ごようぼうをのこしおかれたるなり、たとへば、たねのなえとなり、はなのこのみとなるがごとし、そのはなは、おちてこのみはあり、たねはかくれて、なえは、げんにみゆ。
 ほうれんしょうにんの、おんくどくは、かこしょうりょうの、おんたからなり、まつさかふれば、かしわよろこぶ、しばかるれば、らんなく、こころなきくさきすら、かくのごとし、いかにいわんや、こころあらんをや、またふしのちぎりをや。
  そのふじゅにいわく、「じふ、へいがんのあさより、だいじゅうさんねんの、きしんにいたるまで、しゃかにょらいの、みまえにおいて、みずからじがげ、いっかんを、どくじゅしたてまつりて、しょうりょうに、えこうす」とう、うんぬん。
  とうじ、にほんこくのひと、ぶっぽうをしんじたるやうにはみへて、そうらへども、いにしえ、いまだ、ぶっぽうのわたらざりしときは、ほとけともうすことも、ほうともうすことも、しらずそうらいしを、もりやと、じょうぐうたいしと、かっせんののち、しんずるひともあり、また、しんぜざるもあり。
 かんども、かくのごとし、まとう、かんどにいってのち、どうしとじょうろんあり、どうしまけしかば、はじめてしんずるひともありしかども、ふしんのひと、おおし。
 されば、おりょうともうせし、のうしょは、しゅせきのじょうずなりしかば、ひと、これをもちゆ、しかれども、ぶっきょうにおいては、いかなるたのみありしかども、かかず、さいごりんじゅうのとき、しそく、いりょうをめしていわく。
 なんじわがやにうまれて、げいのうをつぐ、わがこうようには、ぶっきょうをかくべからず、ことにほけきょうを、かくことなかれ。
 わがほんしの、ろうしは、てんそんなり、てんにふたつのひなし、しかるに、そのきょうに、ゆいがいちにんと、とくときく、きかいだいいちなり、もし、ゆいごんをたがへて、かくほどならば、たちまちにあくりょうとなりて、いのちをたつべしといって、したやっつにさけて、こうべしちぶにわれ、ごこんよ、りちをはいてししおわんぬ。
 されども、そのこ、ぜんあくをわきまへざれば、わがちちのほうぼうのゆへに、あくそうげんじて、あびじごくにおちたりともしらず、ゆいごんにまかせて、ぶっきょうをかくことなし。
 いわんや、くちにじゅすることあらんをや、かくすぎゆくほどに、ときのおうを、しばしとごうしたてまつる、ごぶつじのありしに、しょしゃのきょうあるべしとて、かんどだいいちの、のうしょをたずねらるるに、いりょうにさだまりぬ。 p1048
 めして、おおせつけらるるに、さいさん、じたいもうせしかば、ちからおよばずして、たひつにて、いちぶのきょうを、かかせられけるが、ていおう、こころよからず、なお、いりょうをめして、おおせにいわく、なんじ、おやのゆいごんとて、ちんがきょうを、かかざること、そのいわれなしと、いえども、しばらく、これをめんず、ただだいもくばかりは、かくべしと、みたびちょくじょうあり。
 いりょう、なおじたいもうす、だいおう、りゅうがんこころよからずして、いわく、てんち、なおおうの、しんたいなり、しからば、なんじがおやは、すなわち、わがけにんにあらずや、わたくしをもって、くうじをかろんずることあるべからず。
 だいもくばかりはかくべし、もししからずんば、ぶつじのにわなりといへども、すみやかに、なんじがこうべをはぬべしと、ありければ、だいもくばかりかけり。
 いわゆる、みょうほうれんげきょう、かんだいいち、ないし、かんだいはち、とううんぬん、その、たそがれに、わたくしたくにかえりて、なげいていわく、われおやのゆいごんを、そむき、おうちょく、すべなきゆえに、ぶっきょうをかきて、ふこうのものとなりぬ、てんじんも、ちぎも、さだんで、いかりふこうのものと、おぼすらんとて、いねる。 よるのゆめのなかに、だいこうみょうしゅつげんせり、あさひのてらすかとおもへば、てんにんひとり、ていじょうにたちたまへり、また、むりょうのけんぞくあり、このてんにんの、ちょうじょうのこくうに、ほとけ、ろくじゅうしぶつまします、いりょう、がっしょうして、とうていわく、いかなるてんにんぞや。
 こたえていわく、われは、これ、なんじがちちの、おりょうなり、ぶっぽうをぼうぜしゆえに、したやっつにさけ、ごこんより、ちをいだし、こうべしちぶにわれて、むげんじごくにおちぬ。
 そのりんじゅうの、だいくをこそ、かんにんすべしともおぼへざりしに、むげんのくはなおひゃくせんおくばいなり、にんげんにして、どんとうをもて、つめをはなち、のこぎりをもてくびをきられ、すみびのうえを、あゆばせ、いばらにこめられなんどせしひとの、くをこのくにたとへば、かずならず、いかにしてか、がわがこにつげんとおもいしかども、かなはず。
 りんじゅうのとき、なんじを、いましめて、ぶっきょうをかくことなかれと、ゆいごんせしことの、くやしさもうすばかりなし、こうかいさきにたたず、わがみを、うらみ、したをせめしかども、かひなかりしに、きのうのあさより、ほけきょうのはじめの、みょうのいちじ、むげんじごくの、かなへのうえに、とびきたって、へんじて、こんじきのしゃかぶつとなる。
 このほとけ、、さんじゅうにそうをぐし、めんみょうまんげつのごとし、だいおんじょうをだして、といていわく、「たとい、ほうかいにあまねく、ぜんをたちたる、もろもろのしゅじょうも、ひとたび、ほけきょうをきかば、けつじょうして、ぼだいをじょうぜん」うんぬん。
 このもんじのなかより、おおあめふりて、むげんじごくのほのおをけす、えんまおうは、かんむりをかたぶけて、うやまひ、ごくそつは、つえをすててたてり、いっさいのざいにんは、いかなることぞと、あはてたり。
 またほうのいちじきたれり、さきのしごと、またれん、またげ、またきょう、かくのごとし、ろくじゅうよんじ、きたって、ろくじゅうよんぶつとなりぬ。
 むげんじごくに、ほとけ、ろくじゅうよんたいましませば、にちげつの、ろくじゅうよんが、てんにいでたるがごとし。 p1049  てんより、かんろをくだして、ざいにんにあたふ、そもそも、これらのだいぜんは、いかなることぞと、ざいにんなど、ほとけにとい、たてまつりしかば、ろくじゅうよんのほとけのこたえに、いわく、われらが、こんじきのみは、せんだんほうざんよりも、しゅつげんせず、これは、むげんじごくにある、おりょうがこの、いりょうがかける、ほけきょう、はちかんの、だいもくの、はち、はち、ろくじゅうしのもんじなり。
 かの、いりょうが、ては、おりょうがうめるところのみぶんなり、かけるもんじは、おりょうがかくにてあるなりととき、たまいしかば、むげんじごくの、ざいにんなどは、われらもしゃばにありしときは、こもあり、つまもあり、けんぞくもありき、いかに、とぶらはぬやらん、また、とむらへども、ぜんこんの、ゆうのよわくして、きたらぬやらんと、なげけどもなげけども、かいなし。
 あるいは、いちにち、ふつか、いちねん、にねん、はんこう、いちこうになりぬるに、かかるぜんちしきにあひたてまって、たすけられぬるとて、われらも、けんぞくとなりて、とうりてんにのぼるか。
 まず、なんじをおがまんとて、くるなりと、かたりしかば、ゆめのなかにうれしさみにあまりぬ、わかれてのち、またいつのよにかみんとおもいし、おやのすがたをもみたてまつり、ほとけをもはいしたてまつりぬ。
 ろくじゅうよんぶつのものがたりに、いわく、われらはべちのあるじなし、なんじは、われらがだんななり、こんにちよりは、なんじを、おやとしゅごすべし、なんじをこたることなかれ、いちごののちは、かならずきたって、とそつのないいんへ、みちびくべしと、おんやくそくありしかば、いりょうことに、かしこみて、ちかいて、いわく、こんにちいごげてんのもんじを、かくべからずとう、うんぬん。
 かのせしんぼさつが、しょうじょうきょうを、じゅせじとちかい、にちれんがみだねんぶつをもうさじと、がんせしがごとし。
 さて、ゆめさめて、このよしを、おうにもうす、だいおうのちょくせんにいわく、このぶつじ、すでにじょうじぬ、このよしをがんもんにかきたてまつれとありしかば、ちょくせんのごとくし、さてこそ、かんど、にほんこくは、ほけきょうには、ならせたまいけれ、このじょうは、かんどの、ほっけでんきにそうらう。
 これは、しょしゃのくどくなり、ごしゅほっしのなかには、しょしゃはさいげのくどくなり、いかにいわんや、どくじゅなんどもうすは、むりょうむへんのくどくなり、いまのせしゅ、じゅうさんねんのあいだ、まいあさどくじゅせらるる、じがげのくどくは、ゆいぶつよぶつ、ないのうくじんなるべし。
 それ、ほけきょうは、いちだいしょうきょうの、こつずいなり、じがげは、にじゅうはちほんのたましひなり、さんぜのしょぶつは、じゅりょうほんをいのちとし、じゅっぽうのぼさつも、じがげをげんもくとす。
 じがげのくどくをば、わたくしにもうすべからず、つぎしもに、ふんべつくどくほんに、のせられたり、このじがげをちょうもんして、ほとけになりたるひとびとの、かずをあげてそうらうには、しょうせん、だいせん、さんぜんせかいのみじんのかずをこそ、あげてそうらへ。
 そのうえ、やくおうほんいかのろくほん、とくどうのものじがげのよざんなり。 p1050
 ねはんきょう、よんじゅっかんのなかに、あつまりてそうらいし、ごじゅうにるいにも、じがげのくどくをこそ、ほとけは、かさねて、とかせたまいしか。
 されば、はじめ、じゃくめつどうじょうに、じゅっぽうせ かいみじんすうの、だいぼさつ、てんにんなど、くものごとくに、あつまりてそうらいし。
 だいしゅう、だいほんのしょしょうも、だいにちきょう、こんごうちょうきょうなどの、せんにひゃくよそんも、かこに、ほけきょうのじがげをちょうもんしてありし、ひとびと、しんりき、よはくして、さんごのじんてんを、へしかども、このたび、しゃかぶつにあいたてまつりて、ほけきょうのくどく、すすむゆえに、りょうぜんをまたずして、にぜんのきょうきょうを、えんとして、とくどなるとみえたり。
  されば、じゅっぽうせかいの、しょぶつはじがげをしとして、ほとけにならせたまう、せかいのひとのふぼのごとし、いまほけきょう、じゅりょうほんをもつひとは、しょぶつのいのちを、つぐひとなり。
 わが、とくどなりしきょうを、もつひとをすてたまうほとけあるべしや、もし、これをすてたまはば、ほとけかえって、わがみをすてたまうなるべし、これをもっておもうに、たむらとしひとなんどのようなる、つわものを、さんぜんにんうみたらん、にょにんあるべし。
 この、にょにんを、かたきとせんひとは、このさんぜんにんの、しょうぐんをかたきに、うくるにあらずや、ほけきょうのじがげをもつひとを、かたきとせんは、さんぜのしょぶつを、かたきとするになるべし。
 いまの、ほけきょうのもんじは、みなしょうしんの、ほとけなり、、われらは、にくげんなれば、もんじとみるなり、たとへば、がきはごうがをひとみる、ひとは、みずとみ、てんにんはかんろとみる、みずはひとつなれども、かほうにしたがってみるところ、かくべちなり。
 この、ほけきょうの、もんじは、もうもくのものは、これをみず、にくげんはこくしょくとみる、にじょうはこくうとみ、ぼさつは、しゅじゅのいろとみ、ぶっしゅじゅんせるじゅくひとは、ほとけとみたてまつる、さればきょうもんにいわく、「もし、よくたもつことあるは、すなわち、ぶっしんをたもつなり」とう、うんぬん。
 てんだいのいわく、「けいしゅ、みょうほうれんげきょう、いちちつ、はちじく、ししちほん、ろくまんきゅうせん、さんびゃくはちじゅうよん、いちいち、もんもん、ぜしんぶつ、しんぶつせっぽうり、しゅじょう」などとかかれてそうらう。
  これをもって、これをあんずるに、ほうれんほっしは、まいあさ、くちよりこんじきのもんじを、しゅつげんす、このもんじのかずは、ごひゃくじゅうじなり、いちいちのもんじへんじて、にちりんとなり、にちりんへんじて、しゃかにょらいとなり、だいこうみょうをはなって、だいちをつきとをし、さんあくどう、むげんだいじょうを、てらしないし、とうざいなんぼく、じょうほうにむかっては、ひそう、ひひそうへも、のぼり、いかなるところにも、かこしょうりょうのおはすらんところまで、たずねゆきたまいて、かのしょうりょうに、かたりたまうらん。
 われをば、だれとかおぼしめす、われはこれ、なんじがしそく、ほうれんがまいあさじゅするところの、ほけきょうの、じがげのもんじなり。
 このもんじは、、なんじがまなことならん、みみとならん、あしとならん、てとならんとこそ、ねんごろに、らせかたらせたまうらめ。 p1051
そのとき、かこしょうりょうは、わがしそく、ほうれんはこにはあらず、ぜんちしきなりとて、しゃばせかいにむかっておがませたまうらん、これこそ、まことのこうようにては、そうらいなれ。
  そもそも、ほけきょうをたもつともうすは、きょうはひとつなれども、たもつことは、ときにしたがって、いろいろなるべし、あるいは、みにくをさひて、しにくようして、ほとけになるときもあり。
 また、みをゆかとして、しにくようし、また、みをたきぎとなし、また、このきょうのために、じょうもくをかほり、また、しょうじんし、またじかいし、かみのごとくすれども、ほとけにならぬときもあり、ときによって、ふじょうなるべし。
 されば、てんだいだいしは、ちゃくじにいとかかれ、しょうあんだいしは、「しゅしゃとくぎ、ふかいっこう」とううんぬん。
  とうて、いわく、いかなるときか、みにくを、くようし、いかなるときか、じかいなるべき、こたえて、いわく、ちしゃともうすは、かくのごときときをしりて、ほけきょうを、ぐつうするが、だいいちのひじなり。
 たとへば、かつしゃは、みずこそもちうることなれ、きゅうせん、へいじょうはよしなし、はだかなるものは、ころもをもとむ、みずはゆうなし、いちをもって、まんをさっすべし、だいきじんありて、ほけきょうをぐつうせば、みをふせすべし、よのえじきはせんなし。
 あくおうあって、ほけきょうを、うしなわば、しんみょうをほろぼすとも、したがうべからず、じかいしょうじんの、だいそうら、ほけきょうをぐつうするやうにて、しかもうしなうならば、これをしって、せむべし。
 ほけきょうにいわく、「われ、しんみょうをあいせず、ただ、むじょうどうをおしむ」うんぬん、ねはんきょうにいわく、「むしろしんみょうをうしなうとも、ついに、おうのしょせつの、げんきょうを、かくさざれ」とううんぬん。しょうあんだいしの、いわく、「ねいそう、しんみょうふのくきょうとは、みはかるく、ほうはおもし、みをころして、ほうをひろむ」とう、うんぬん。
  しかるに、いま、にちれんは、がいけんのごとくば、にほんだいいちのびゃくにんなり、わがちょう、ろくじゅうろくかこく、ふたつのしまの、ひゃくせんまんおくのししゅ、じょうげばんにんに、あだまる。
 ぶっぽう、にほんこくにわたって、ななひゃくよねんいまだ、これほどに、ほけきょうのゆえに、しょにんににくまれたるものなし、がっし、かんどにもありとも、きこえず、またあるべしとも、おぼへず、されば、いちえんぶだいだいいちの、びゃくにんぞかし。
 かかるものなれば、かみには、いっちょうのいを、おそれ、しもには、ばんみんの、あざけりをかえりみて、しんるいも、とぶらはず、げにんは、もうすにおよばず、しゅっせのおんのみならず、せけんのおんを、こうむりしひとも、しょにんのまなこをおそれて、くちをふさがんためにや、こころに、おもはねども、そしるよしをなす。 p1052
  すうど、ことにあひ、りょうど、おかんきをこうむりしかば、わがみのとがに、あたるのみならず、ゆきこうひとびとのなかにも、あるいは、ごかんき、あるいはしょりょうをめされ、あるいは、みうちをだされ、あるいは、ふぼきょうだいにすてらる。
 されば、つきしひとも、すてはてぬ、いま、また、つくひともなし、ことに、このたびの、ごかんきには、しざいにおよぶべきが、いかがおもはれけん、さどのくににつかはされしかば、かのくにへ、おもむくものは、しはおおく、しょうは、まれなり。
 からくして、きゆきつきたりしかば、せつがい、むほんのものよりも、なおおもくおもはれたり、かまくらを、いでしよりひびに、ごうてきかさなるがごとし。
 ありと、あるひとは、ねんぶつのじしゃなり、のをゆき、やまをいくにも、そばひらの、そうもくのかぜに、したがって、そよめくこえも、かたきの、われをせむるかとおぼゆ。
 やうやくくににもつきぬ、ほっこくのならいなれば、ふゆはことにかぜはげしく、ゆきふかし、ころもうすくじきともし、ねをうつされし、たちばなのじねんに、からたちとなりけるも、みのうえにつみしられたり。
 すみかには、おばな、かるかやおひしげれる、のなかの、さんまいばらにおちやぶれたる、そうどうのうえは、あめもり、かべは、かぜもたまらぬ、あたりに、ちゅうや、みみにきくものは、まくらにさゆる、かぜのおと、あさに、まなこにさえぎるものは、おちこちのみちを、うずむゆきなり。
 げんしんに、がきどうをへ、かんじごくにおちぬ、かの、そぶが、じゅうきゅうねんのあいだ、ここくにとどめられて、ゆきをしょくし、りりょうが、がんくつにいってろくねん、みのをきて、すごしけるも、わがみのうえなりき。
  いま、たまたま、ごかんきゆりたれども、かまくらじゅうにも、しばらくも、みをやどし、あとを、とどむべきところなければ、かかる、さんちゅうの、いしのはざま、まつのしたに、みをかくし、こころをしずむれども、だいちをじきとし、そうもくを、きざらんより、ほかは、じきもなく、ころももたえぬるところに、いかなる、みこころねにて、かくかきわけておんといのあるやらん。
 しらず、かこのわがふぼの、みたましいの、おんみにはいかはらせたまうか、また、しらず、だいかくせそんの、おんめぐみにや、あるらん、なみだこそ、おさへがたくそうらへ。
  とうていわく、そもそも、しょうかのだいじしん、ぶんえいの、だいすいせいをみて、じたのほんぎゃく、わがちょうに、ほけきょうをうしなうゆえとしらせたまうゆへいかん。
 こたえていわく、このふたつの、てんさい、ちようは、げてんさんぜんよかんにも、のせられず、さんぷん、ごてん、しきなどに、きするところの、だいちょうせい、だいじしんは、あるいは、いっしゃくにしゃく、いちじょうにじょう、ごじょうろくじょうなり、いまだ、いってんにはみへず、じしんも、またかくのごとし。
 ないてんをもって、これを、かんがうるに、ほとけごにゅうめつ、いごは、かかるだいずいしゅつせずたい、がっしには、ほっしゃみつたらおうの、ごてんのぶっぽうをなくし、じゅうろくたいこくの、じとうをやきはららいそうにの、こうべをはねしときも、かかるきざしはなし。 p1053
  かんどには、えしょうてんしの、じいん、よんせん、ろっぴゃくよそを、とどめ、そうに、にじゅうろくまん、ごひゃくにんを、げんぞくせさせしときも、しゅつげんせず。 わがちょうには、きんめいの、ぎょうに、ぶっぽうわたりて、もりや、ぶっぽうにかたきせしにも、きよもりほっし、しちだいじを、やきうしない、さんそうなど、おんじょうじを、しょうもうせしにも、しゅつげんせざる、だいすいせいなり。
  まさに、しるべし、、これよりも、だいじなることの、いちえんぶだいのうちに、しゅつげんすべきなりと、かんがえて、りっしょうあんこくろんを、つくりて、さいみょうじにゅうどうどのに、たてまつる。
 かのじょうに、いわく、[]、このだいずいは、たこくより、このくにをほろぼすべき、せんちょうなり、ぜんしゅう、ねんぶつしゅうらが、ほけきょうをうしなうゆえなり、かのほっしばらが、くびをきりて、かまくらゆゐのはまにすてずば、くに、まさにほろぶべしとううんぬん。
 そのご、ぶんえいの、だいすいせいのときは、また、てに、にぎりて、これをしる、いぬる、ぶんえいはちねん、ながつきじゅうににちの、ごかんきのとき、かさねてもうして、いわく、よは、にほんこくのとうりょうなり、われを、うしなうはくにをうしなうなるべしと。
 いまは、もちいまじけれども、のちのためにとて、もうしにき、また、いぬるとしの、うつきようかに、へいのさえもんのじょうにたいめんのとき、もうここくは、いつごろかよせそうらうべきと、とうに、こたえていわく、きょうもんは、つきひをささずただし、てんげんのいかりしきりなり、ことしをば、すぐべからずともうしたりき。
 これらは、いかにしてしるべしと、ひと、うたがうべし、よ、ふしょうのみなれども、ほけきょうを、ぐつうする、ぎょうじゃを、おうしん、じんみん、これを、あだむあいだ、ほけきょうのざにて、しゅごせんと、ちかいをなせる、ちじんいかりをなして、みをふるひ、てんじん、みよりひかりをいだして、このくにをおどす。
 いかにいさむれども、もちいざれば、けっきょくは、ひとのみにはいって、じかいほんぎゃくせしめ、たこくより、せむべし。
  とうていわく、このこと、なにたるしょうこあるや、こたう、きょうにいわく、「あくにんを、あいぎょうし、ぜんにんをちばつするによるがゆえに、せいしゅくおよび、ふううみな、ときをもって、おこなず」とう、うんぬん。
 それ、てんちは、くにのめいきょうなり、いま、このくにに、てんさいちようあり、しるべし、こくしゅにとがありということを、、かがみにうかべたれば、これをあらそうべからず、こくしゅ、しょうかのあるときは、、てんきょうに、しょうさいみゆ。
 いまの、だいさいは、まさにしるべし、だいかありということを、にんのうきょうには、しょうなんは、むりょうなり、ちゅうなんは、にじゅうく、だいなんは、ななつとあり、このきょうをば、ひとつには、にんのうとなづけ、ふたつには、てんちきょうとなづく。
 この、こくしゅを、てんちきょうに、うつしてみるに、めいはくなり、また、このきょうにいわく、「しょうにんさらんときは、しちなんずかならずおこる」とううんぬん。
 まさにしるべし、このくにに、だいしょうにんありと、またしるべし、かのしょうにんを、こくしゅしんぜずということを。 p1054
 とうていわく、せんだいに、ぶつじをうしなひしとき、なんぞ、このきざしなきや、こたえていわく、きざしはとがの、けいちょうによりて、だいしょうあり、このたびの、きざしはあやしむべし、いちどにどに、あらずいちへんにへんにあらず、ねんげつをふるままに、いよいよさかりなり。
 これをもって、これをさっすべし、せんだいのとがよりも、すぎぎたるこくしゅに、とがあり、こくしゅのみにて、ばんにんをころし、またばんしんをころし、またふぼをころす、とがよりも、しょうにんを、あだむこと、それにすぐることを。
 いま、にほんこくのおうしん、ならびに、ばんみんには、がっし、かんどそうじて、いちえんぶだいに、ぶつめつご、にせんにひゃく、にじゅうよねんのあいだ、いまだなき、だいか、ひとごとにあるなり、たとえば、じゅっぽうせかいの、ごぎゃくのものを、ひとところにあつめたるがごとし。
 このくにの、いっさいのそうは、みな、だいば、くぎゃりがたましいを、うつし、こくしゅは、あじゃせおう、はるりおうの、けしんなり、いっさいの、しんみんは、うぎょうだいじん、がつしょうだいじん、せつだきりらの、あくにんをあつめて、にほんこくのたみとなせり。
 いにしえは、ふたり、さんにん、ぎゃくざいふこうのもの、ありしかばこそ、そのひとの、ざいしょは、だいちもわれていりぬれ、いまは、このくにに、じゅうまんせるゆえに、にほんこくの、だいち、いちときに、われ、むげんにおちいらざらんほかは、ひとり、ふたりの、じゅうしょの、おつべきやうなし。
 れいせば、ろうじんの、いちにの、しらがをば、ぬけども、ろうもうのときは、みなしらがなれば、なにをわけてわぬきすつべき、ただいちどに、そりすつるごとくなり。
 とうていわく、なんじが、ぎのごときは、わが、ほけきょうのぎょうじゃなるを、もちいざるがゆえに、てんぺんちようなどありと、ほけきょう、だいはちにいわく、「こうべわれて、しちぶとならんな」と。
 だいごにいわく、「もし、ひとにくみ、ののしれば、くちすなわちへいそくす」とう、うんぬん、なんぞ、すうねんがあいだ、のるとも、あだむとも、そのぎなきや。
 こたう、はんきつして、いわく、ふきょうぼさつを、きしし、めりし、ちょうちゃくせしひとは、こうへい、ずはありけるかいかん、とう、しかれば、きょうもんにそういすることいかん。
 こたう、ほけきょうを、あだむひとに、ににんあり、いちにんは、せんしょうに、ぜんこんありて、こんじょうに、えんをもとめて、ぼだいしんをおこして、ほとけになるべきものは、あるいは、くちとぢ、あるいは、こうべわる。
 いちにんは、せんしょうにぼうじんなり、こんじょうにも、ぼうじ、しょうじょうに、むげんじごくのごうを、じょうじゅせるものあり、これは、のれどもくちすなわち、へいそくせず。
 えたとえば、ごくにはいって、しざいにさだまるものは、ごくのなかにて、いかなるひがごとあれども、しざいをおこなうまでにて、べちのとがなし、ゆりぬべきものは、ごくちゅうにて、ひがごとあれば、これをいましむるがごとし、とうていわく、このことだいいちの、だいじなり、いさいにうけたまわるべし、こたえていわく、ねはんきょうにいわく、ほけきょうにいわくうんぬん。                                              にちれん、 かおう。
たいごう、 そやきょうしん。
そや、ほうれん、にちらい。



  • [179]
  • にちみょうしょうにんごしょ

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月 6日(木)16時47分15秒
 
にちみょうしょうにんごしょ
    しっぴつ  ぶんえい くねん さつき 25にち。51さい、 p1213 。
 かこに ぎょうぼうぼんじともうすものありき、じゅうにねんのあいだ、おおくのくにをめぐりて、 にょらいのきょうほうをもとむ、ときに すべて、ぶっぽうそうのさんぽうひとつもなし、この ぼんじのこころは かっしてみずをもとめ、 うえて じきをもとむるがごとく ぶっぽうをたずねたまいき。
 ときに、ばらもんあり、もとめていわく、われしょうきょうを、いちげたもてり、 もし まことに、ぶっぽうを、ねがはば、まさにあたふべし、ぼんじ、こたへていわくしかなり、ばらもんのいわく、まことにこころざしあらば、かわをはいでかみとし、ほねをくだいてふでとし、ずいをくだいて、すみとし、ちをいだしてみずとして、かかんといはば、ほとけの、げをとかん。
p1214
 ときに、このぼんじ よろこびをなして、かれがもうすごとくして、かわをはいでほしてかみとし、ないし、ひとことをもたがへず、ときに、ばらもん、こつねんとして、うせぬ、このぼんじ、。てんにあふぎ、ちにふす、ぶつだ、これをかんじて かほうよりわきいでて、といていわく、「にょほうはまさに、しゅぎょうすべし、ひほうはぎょうずべからず、こんぜもしは、こうせい、ほうをぎょうずるものは、あんのんなり」とううんぬん。
 このぼんじ、しゅゆに ほとけになる、これは、にじゅうじなり、むかししゃかぼさつ、てんりんおうたりしとき、「ぶしょうちょうし しめついらく」のはちじを とうとびたまふにゆえ、みをかへて せんとうにともして、 このはちじをくようしたまひ。
 ひとをすすめて、いしかべ、ようろに、かきつけて、みるひとをして ぼだいしんを おこさしむ、このこうみょう、とうりてんにいたる 、てんのたいしゃくならびに、しょてんの、ともしびとなりたまいき。
  むかし、しゃかぼさつ、ぶっぽうをもとめたまひき、らいにんあり、このひとにむかって、われしょうほうをもてり、そのじ、にじゅうなり、わが、らいびょうをさすり、いだきねぶり、りょうさんきんの、にくをあたへば とくべしという。
 かれがもうすごとくして、 にじゅうじをえて、ほとけになりたまふ、いわゆる「にょらいは ねはんをあかし ながく、しょうじをだんじたまう、もし ししんにきくことあらば まさにむりょうのらくをうべし」とう、うんぬん。
  むかし せっせんどうじと、もうすひとありき、せっせんともうすやまにして、げどうのほうを、つうたつせしかども、いまだ ぶっぽうをきかず、ときに、だいきじんありき とひていわく、「しょぎょうむじょう 、ぜしょうめっぽう」とううんぬん。
 ただ、はちじばかりをとひて、あとをとかず、ときに せっせんどうじ、このはちじを えてよろこびきわまり、なけれども、なかばなる、にょいじゅを、えたるがごとく、はなさきて、このみならざるに、にたり、のこりのはちじを、きかんともうす。
 ときに だいきじんいわく、われ、すうじつがあいだ、うえてしょうねんをみだる 、ゆへにあとのはちじを、ときがたし、じきをあたへよという、どうじとうていわく、なにをか、じきとする、おに、こたえへていわく、われは 、ひとの、あたたかなるけつにくなり、われ、ひこうじざいにして、しゅゆのあいだに、してんげをめぐって、たづぬれどもあたたかなる、けつにくえがたし。
 ひとをば、てんまもりたまうゆえに、とがなければ さつがいすることかたし、 とううんぬん、どうしのいわく、 わがみをふせとして、かのはちじをならい 、つたえんとうんぬん、きじんのいわく、ちえ、はなはだかしこし、われをや、すかさんずらん、どうじこたへて いわく、がりゃくにきんぎんをかへんに、これをかえざるべしや、われいたずらにこのやまにして、しなば、しきょう、ころうにくらはれて、いちぶのくどくなかるべし、あとの、はちじにかえなば ふんをいいに、かふるがごとし、おにのいわく、 われいまだしんぜず、
  p1215
どうじいわく、しょうにんあり、かこのほとけも、たてたまひし だいぼんてんおう、しゃくだいかんにん、にちがつ、してんも、しょうにんに たちたまふべし、このきじんあとのげを、とかんともうす、どうじ みにきたる しかのかわを、ぬいで ざにしき、こきがっしょうして、このざにつきたまへとしょうす、だいきじん、このざについて といていわく、「しょうめつめつち、じゃくめついらく」とう、うんぬん、このげをならひ、がくして もしは、き、もしは、いしなどに かきつけて、みをだいきじんのくちに、なげいれたまふ、かのどうじは、いまのしゃくそん、かのきじんは、いまのたいしゃくなり。
やくおうぼさつは、ほけきょうのごぜんに、ひじを、ななまんにせんさいがあいだ 、ともしたまひ、ふきょうぼさつは、たねんがあいだ、にじゅうよじのゆへに、むりょうむへんのししゅうにめり、きにく、じょうもく、がしゃく、にだちょうし、せられたまひき、いわゆる、にじゅうよじともうすは、「われふかく、なんだちをうやまふ、あえてきょうまんせず、ゆえんはいかん、なんだちみな、ぼさつのどうをぎょうじて、まさにさぶつすることをうべし」とう、うんぬん。
 かのふきょうぼさつは、いまのきょうしゅしゃくそんなり、むかしのすずだんおうは、みょうほうれんげきょうの、ごじのために、せんさいがあいだ、あしせんにんに、せめつかはれ、みをゆかとなさせたまひて、いまのしゃくそんとなりたまふ。
  しかるに、みょうほうれんげきょうは、はちかんなり、はちかんを、よめば、じゅうろくかんをよむなるべし、しゃか、たほうの、にぶつのきょうなるゆへ、じゅうろくかんはむりょうむへんのかんじくなり。
 じゅっぽうのしょぶつの、しょうみょうあるゆえに、いちじはにじなり、しゃか、たほうのにぶつの、じなるゆえへ、いちじは、むりょうのじなり、じっぽうのしょぶつのしょうみょうの、みきょうなるにゆえ。
 たとえば、にょいほうじゅのたまは、いちじゅなれども、にじゅ、ないし、むりょうじゅのたからを、ふらすこと、これをなじ、ほけきょうのもんじは、いちじは、いちのたから、むりょうのじは、むりょうのほうじゅなり。
 みょうのいちじには、にのした、まします、しゃか、たほうのおんしたなり、この、にぶつのおんしたは、はちようのれんげなり、このかさなるれんげのうえに、ほうじゅありみょうのいちじなり。
  このみょうのたまは、むかし、しゃかにょらいの、だんはらみつと、もうして、みをうえたる、。とらに、かひし、くどく、はとに、かひしくどく、しらはらみつと、もうして、しゅだまおうとして、そらこと、せざりし、くどくなど、にんにくせんにんとして、かりおうに、みをまかせしくどく、のうせたいし、じょうじゃりせんにんらの、ろくどのくどくを、みょうのいちじに、をさめたまいて、まつだいあくせの、われらしゅじょうに、いちぜんも、せしゅうざれども、ろくどまんぎょうを、まんぞくするくどくを、あたへたまう。
 こんしさんがい、かいぜが、う、ごちゅうしゅじょう、しっぜごし、これなり、われらぐばくの、ぼんぷ、たちまちに、きょうしゅしゃくそんと、くどくひとし、かのくどくをぜんたい、うけとるゆえなり。
 きょうにいわく、「にょがとうむい」とううんぬん、ほけきょうを、こころえるものは、しゃくそんと、さいとうなりと、もうすふみなり、たとえば、ふぼわごうして、こをうむこのみは、ぜんたい、ふぼのみなり、だれかこれをあらそうべき、ごおうのこは、ごおうなり、いまだ、ししおうとならず。
 ししおうのこは、ししおうと、なる、いまだ、にんのう、てんおうなどとならず、いまほけきょうのぎょうじゃは、「ごちゅうしゅじょうしっぜごし」ともうして、きょうしゅしゃくそんのみこなり、きょうしゅしゃくそんのごとく、ほうおうとならんこと、かたかるべからず。
 ただし、ふこうのものは、ふぼのあとをつがず、ぎょうおうには、たんしゅという、たいしあり、しゅんおうには、しょうきんともうす、おうじあり、ふたりともに、ふこうのものなれば、ちちのおうに、すてられて、げんしんにたみとなる。
 ちょうかと、うとは、ともにたみのこなり、こうようのこころ、ふかかりしかば、ぎょうしゅんのにおう、めして、くらいをゆづりたまいき、たみのみ、たちまちに、ぎょくたいにならせたまいき、たみのげんしんに、おうとなると、ぼんぷのたちまちに、ほとけとなると、おなじことなるべし。
 いちねんさんぜんの、かんじんともうすはこれなり、なをいかにとしてか、このくどくをばうべきぞ、ぎょうぼうぼんじ、せっせんどうじなどのごとく、かわをはぐべきか、みをなぐべきか、ひじをやくべきか、とう、うんぬん、しょうあんだいしいわく「しゅしゃよろしきをえて、いっこうにすべからず」とうこれなり。
 しょうほうをしゅうして、ほとけになるぎょうは、ときによるべし、にほんこくにかみなくば、かわをはぐべし、にほんこくに、ほけきょうなくて、しれるきじんひとり、しゅったいせばみをなぐべし、にほんこくに、あぶらなくばひじをも、ともすべし、あつきかみ、くににじゅうまんせり、かわを、はいで、なにかせん。
 しかるに、げんじょうは、せいてんにほうをもとめて、じゅうしちねん、じゅうまんりにいたれり、でんきょう、ごにっとう、ただ、にねんなり、はとうさんぜんりをへだてたり。
これらはだんしなり、じょうこなり、けんじんなり、しょうにんなり、いまだ きかず にょにんのぶっぽうをもとめて、せんりのみちをわけしことを、りゅうにょが、そくしんじょうぶつも、まかはじゃはだいびくにの、きべつあづかりしも、しらずごんげにや、ありけん。
 また、ざいせのことなり、なんし、にょにんそのしょう、もとよりわかれたり、ひはあたたかに、みずはつめたし、あまは、うおをとるに、たくみなり、かりうどは、しかをとるに、かしこし、にょにんは、ものをそねむに、かしこしとこそ、きょうもんには、あかされてそうらへ。
 いまだきかずぶっぽうに、かしこしとは、にょにんのこころを、せいふうにたとえたり、かぜはつなぐとも、とりがたきは、にょにんのこころなり、にょにんのこころをば、みずにゑがくにたとえたり、みなもには、もんじとどまらざるゆへなり、にょにんをば、おうにんにたとへたり、あるときは、じつなりあるときはきょなり、
p1217
にょにんをば、かわにたとえへたり、まがられる、ゆへなり、しかるに、ほけきょうは、しょうじきしゃほうべんとう、かいぜしんじつとう、しちじきいにゅうなんとう、にゅうわしちじきしゃとうともうして、しょうじきなること、ゆみのげんのはれるごとく、すみのなはを、うつがごとくなるものの、しんじまいらするみきょうなり。
 ふんをせんだんともうすとも、せんだんのかおりなし、もうごのものを、ふもうごと、もうすとも、ふもうごにはあらず、いっさいきょうは、みな、ほとけのきんくのせつ、ふもうごのみことばなり、しかれどもほけきょうにたいし、まいらすれば、もうごのごとし。 きごのごとし、あっくのごとし、りょうぜつのごとし、この、みきょうこそ、じつごのなかのじつごにてそうらへ、じつごのみきょうをば、しょうじきのもの、こころえそうろうなり、いまじつごの、にょにんにて、おはすか、まさに、しるべし、しゅみせんをいただきて、たいかいをわたるひとをば、みるとも、このにょにんをば、みるべからず。
 いさごを、むして、いいとなすひとをば、みるとも、この、にょにんをばみるべからず、まさにしるべし、しゃかぶつ、たほうぶつ、じゅっぽう、ぶんしんのしょぶつ、じょうぎょう、むへんぎょうなどの、だいぼさつ、だいぼんてんのう、たいしゃく、しおうなど、この、にょにんをば、かげのみに、そうがごとく、まほりたまうらん、にほんだいいちのほけきょうの、ぎょうじゃのにょにんなり。
 ゆえに、なをひとつ、つけたてまつりて、ふきょうぼさつのぎに、なぞらえん、にちみょうしょうにん、とう、うんぬん。
  そうしゅう、かまくらより、ほっこくさどのくに、そのちゅうかん、いっせんよりに、およべり、さんかいはるかに、へだてやまは、がが、うみはとうとう、ふうう、ときにしたがふことなし、さんぞく、かいぞく、じゅうまんせり、しゅくしゅく、とまり、とまり、たみのこころ、とらのごとし、いぬのごとし、げんしんに、さんあくどうのくをふるか、 そのうえ、とうせは、よみだれ、いぬるとしより、むほんのもの、くににじゅうまんし、ことし、きさらぎ、11にちかっせん。
 それよりいま、さつきのすゑ、いまだ、せけんあんのんならず、しかれども、ひとりのおさなごあり、あづくべきちちも、たのもしからず、りべつすでにひさし。
  かた、がた、ふでもおよばず、こころわきまへがたければとどめおわんぬ。
 ぶんえい、くねん、たいさい、みずのえさる、さつき にちれんかおう 。
  たいごう、  にちみょうあま 、 おとごぜのはは。

  • [178]
  • 日妙聖人  しんきょうほうじゅうしょう

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月 5日(水)01時38分18秒
 
おとごぜんごしょうそく。
しんきょうほうじゅうしょう。
    しっぴつ、 けんじがんねん、はつきよっか。ごじゅうよんさい、p1218。
 かんどに、いまだぶっぽうのわたりそうらはざりしときは、さんこう、ごてい、さんおう、ないしたいこうぼう、しゅうこうたん、ろうし、こうしつくらせたまいてそうらいしふみを、あるいはけいとなづけ、あるいはでんなどとなづく、このもんをひらいて、ひとにれいぎをおしへ、ふ ぼをしらしめ、おうしんをさだめて、よをおさめしかば、ひともしたがひ、、てんものうじゅをたれたまふ。
 これに、たがいしこをば、ふこうのものともうし、しんをば、ぎゃくしんのものとて、とがにあてられしほどに、がっしより、ぶっきょうわたりしとき、あるいちるいは、もちふべからずともうし、あるいちるいはもちふべしともうせしほどに、あらそひいできて、めしあわせたりしかば、げてんのもの、まけてぶつでしかちにき。
 そののちは、げてんのものと、ぶつでしをあわせしかば、こおりのひに、とくるがごとく、ひのみずにめっするがごとく、まくるのみならず、なにともなきものとなりしなり。
  またぶっきょうようやく、わたりきたりしほどに、ぶっきょうのなかに、また、しょうれつ、せんじんそうらいけり、いわゆる、しょうじょうきょう、だいじょうきょう、けんきょう、みつきょう、ごんきょう、じつきょうなり。
 たとえば、、いっさいのいしは、こがねにたいすれば、いっさいのこがねにおとれども、また、こがねのなかにもじゅうじゅうあり、いっさいのにんげんの、こがねはえんぶだんきんには、およびそうらはず。
 えんぶだんきんは、ぼんてんのこがねにはおよばざるがごとく、いっさいきょうは、こがねのごとくなれども、また、しょうれつ、せんじんあるなり。
 しょうじょうきょうともうす、きょうは、せけんのこぶねのごとく、わづかにひとのふたり、さんにんらはのすれどもひゃくせんにんはのせず、たとひ、ふたり、さんにんらはのすれども、しがんにつけて、ひがんへはゆきがたし。
 また、すこしのものをば、いるれども、おおいなるものをば、いれがたし、だいじょうともうすは、たいせんなり、ひともじゅう、にじゅうにんものるうえ、だいなるものをもつみ、かまくらより、つくし、みちのくへも、いたる。
  じつきょうともうすは、またかのたいせんの、だいじょうきょうには、にるべくもなし、おおいなる、ちんぽうをも、つみひゃくせんにんのりて、かうらいなんどへも、わたりぬべし。
 いちじょう、ほけきょうともうすきょうも、また、かくのごとし、だいばだったともうすは、えんぶだいいちのだいあくにんなれども、ほけきょうにしててんのうにょらいとなりぬ。
 また、あじゃせおうともうせしは、ちちをころせしあくおうなれども、ほけきょうのざにつらなりて、いちげいっくのけちえんしゅうとなりぬ。 p1219
りゅうにょともうせし、じゃたいのにょにんは、ほけきょうをもんじゅしりぼさつときたまひしかば、ほとけになりぬ、のそうえ、ぶっせつにはあくせまっぽうと、ときをささせたまいて、まつだいのなんにょに、をくらせたまいぬ。
 これこそ、からふねのごとくにてそうらう、いちじょうきょうにては、おはしませ、 されば、いっさいきょうは、げてんにたいすればいしと、こがねとのごとし。
 また、いっさいのだいじょうきょう、いわゆるけごんきょう、だいにちきょう、かんぎょう、あみだきょう、はんにゃきょうなどのもろもろのきょうきょうを、ほけきょうにたいすれば、ほたるびと、にちがつと、かざんと、ありつかとのごとし。
 きょうにしょうれつあるのみならず、だいにちきょうのいっさいのしんごんしと、ほけきょうのぎょうじゃとを、がっすればみずにひをあはせ、つゆとかぜとをがっするがごとし、いぬはししをほうればはらくさる、しゅらはにちりんをいたてまつれば、こうべしちぶにるわ。
 いっさいのしんごんしは、いぬとしゅらとのごとく、ほけきょうのぎょうじゃは、にちりんとししとのごとし、こおりは、にちりんのいでざるときは、かたきことこがねのごとし、ひはみずのなきときは、あつきこと、くろがねを、やけるがごとし。
 しかれども、なつのひにあひぬれば、けんぴょうのとけやすさ、あつきひの、みずにあひて、きへやすさ、いっさいのしんごんしはけしきの、たうとげさ、ちえのかしこげさ、にちりんをみざるもののかたきこおりをたのみ、みずをみざるもののひをたのめるがごとし。
  とうせのひとびとの、もうここくを、みざりしときのおごりは、ごらんありしやうに、かぎりもなかりしぞかし、こ ぞのじゅうがつよりは、ひとりも、おごるものなし。
 きこしめしし、やうに、にちれんいちにんばかりこそもうせしが、よせてだに、きたるほどならば、おもてをあはするひとも、あるべからず。
 ただし、さるのいぬををそれ、かえるのへびを、をそるるがごとくなるべし、これ、ひとえにしゃかぶつの、おんつかいたるほけきょうのぎょうじゃを、いっさいのしんごんし、ねんぶっしゃ、りつそうなどに、にくませて、われとじそん、ことさらに、てんのにくまれを、かほれるくになるゆえにみなひと、おくびょうになれるなり。
 えたとば、ひがみずをおそれ、きがこがねをおぢ、きじがたかをみてたましいをうしなひ、ねずみがねこに、せめらるるがごとし。
 ひとりも、たすかるものあるべからず、そのときは、いかがせさせたまうべき、いくさにはだいしょうぐんをたましいとす、だいしょうぐんをくしぬれば、つわものおくびょうなり。
  にょにんは、おとこをたましいとす、おとこなければ、にょにんたましいなし、このよに、おとこある、にょにんすら、よのなかわたりがたふ、みえてそうらうに、たましいもなくして、よをわたらせたまうが、たましいあるにょにんにも、すぐれてしんちゅうかひがひしくおはするうえ、かみにも、こころをいれほとけをもあがめさせたまへば、ひとにすぐれておはするにょにんなり。 p1220   かまくらに、そうらいしときは、ねんぶっしゃなどはさてをきそうらいぬ、ほけきょうをしんずるひとびとは、こころざしあるも、なきもしられそうらはざりしかども、おかんきを、かほりて、さどのしままで、ながされしかば、といとぶらうひともなかりしに、にょにんのおんみとして、かたがたおこころざしありしうえ、われとりいきたりたまいしこと、うつつならざる、ふしぎなり。
 そのうえ、いまのまうで、またもうすばかりなし、さだめてかみも、まほらせたまひ、じゅうらせつも、おんあはれみましますらん。
 ほけきょうは、にょにんのおんためには、くらきに、ともしび、うみに、ふね、おそろしきところには、まほりと、なるべきよし、ちかはせたまへり、らじゅうさんぞうは、ほけきょうを、わたしたまいしか、ばびしゃもんてんおうは、むりょうのもののふをして、そうれいをおくりしなり。
 どうしょうほっし、のなかにして、ほけきょうをよみしかば、むりょうのとらきたりてしゅごしき、これもまた、かれには、かはるべからず、 ちには、さんじゅうろくぎ、てんにはにじゅうはちしゅく、まほらせたまううえ、ひとにはかならずふたつのてん、かげのごとくに、そひてそうらう。
 いわゆる、ひとつをば、どうしょうてんといいふたつをば、どうみょうてんともうす、さゆうのかたにそひて、ひとをしゅごすれば、とがなきものをば、てんもあやまつことなし、
 いわんやぜんにんにおひてをや。
 されば、みょうらくだいしのたまはく、「かならず、こころのかたきによりて、かみのまもりすなわちつよし」とう、うんぬん。
 ひとのこころかたければ、かみのまほり、かならずつよしとこそそうらへ、これは、おんためにもうすぞ、いにしへのおこころざしもうすばかりなし、それよりも、いまいちじゅう、ごうじょうにおんこころざしあるべし。
 そのときは、いよいよ、じゅうらせつにょの、おんまほりも、つよかるべしと、おぼすべし、れいには、ほかをひくべからず。
 にちれんをば、にほんこくの、かみいちにんより、しもばんみんにいたるまで、ひとりもなく、あやまたんとせしかども、いままで、かうてそうらうことは、ひとりなれども、こころのつよきゆえなるべしと、おぼすべし。
 ひとつ、ふねにのりぬれば、せんどうのはかりごとわるければいちどうに、せんちゅうのしょにんそんじ、また、みつよきひとも、こころかひなければ、おおくののうもむようなり。
 にほんこくには、かしこきひとびとは、あるらめども、たいしょうのはかりごとつたなければ、かひなし。
 いき、つしま、ケきゅうかこくのつわもの、ならびに、なんにょ、おおく、あるいはころされ、あるいはとらはれ、あるいは、うみにはいり、あるいはがけよりおちしもの、いくせんまんと、いうことなし。
 また、こんどよせなば、さきには、にるべくも、あるべからず、きょうと、かまくらとは、ただいき、つしまのごとくなるべし、さきに、したくして、いづくへも、にげさせたまへ。
 そのときは、むかし、にちれんをみじ、きかじともうせしひとびとも、たなごころをあはせ、ほけきょうをしんずべし。
 ねんぶつしゃ、ぜんしゅうまでも、なんみょうほうれんげきょうともうすべし、 p1221。
そもそも、ほけきょうを、よくよくしんじたらん、なんにょをば、かたに、になひ、せに、おうべきよしきょうもんにみえてそうらううえ、くまらゑんさんぞうと、もうせしひとをば、もくぞうのしゃかをわせたまいて、そうらいしぞかし。
 にちれんがこうべには、だいかくせそん、かはらせたまいぬ、むかしと、いまといちどうなり、おのおのは、にちれんがだんななり、いかでか、ほとけにならせたまはざるべき。
  いかなるおとこを、せさせたまふとも、ほけきょうのかたきならば、したがひたもうべからず、いよいよごうじょうの、おんこころざしあるべし。
 こおりはみずよりいでたれども、みずよりもすさまじ、あおきことは、あいよりいでたれども、かさぬれば、あいよりもいろまさる、おなじほけきょうにては、をはすれども、こころざしをかさぬれば、たにんよりも、いろまさり、りしょうもあるべきなり。
 きは、ひにやかるれども、せんだんのきは、やけず、ひはみずに、けさるれども、ほとけのねはんのひはきえず、はなは、かぜにちれども、じょうごのはなは、しぼまず、みずはだいかんばつにうすれども、こうがにはいりぬればうせず。
 だんみらおうと、もうせし、あくおうは、がっしのそうの、くびをきりしに、とがなかりしかども、ししそんじゃのくびをきりしとき、かたなとてと、ともにいちどきにおちにき。
 ほっしゃみつたらおうは、けいずまじをやきしとき、じゅうにしんの、ぼうにかふべわられにき、いま、にほんこくのひとびとは、ほけきょうの、かたきと、なりて、みをほろぼし、くにぐにをほろぼしぬるなり。
 かうもうせば、にちれんがじさんなりと、こころえぬひとはもうすなり、さには、あらず、これをいわずば、ほけきょうのぎょうじゃにはあらず、また、いうことののちに、あへばこそ、ひともしんずれ、かうただ、かきをきなばこそ、みらいのひとは、ちありけりとは、しりそうらはんずれ。
 また、しんきょうほうじゅう、ししんぐほうと、のべてそうらはば、みはかるければ、ひとはうちはり、にくむとも、ほうはおもければ、かならずひろまるべし。
 ほけきょうひろまるならば、しかばね、かえって、おもくなるべし、かばねおもくなるならば、このかばねは、りしょうあるべし、りしょうあるならば、いまのはちまんだいぼさつと、いははるるやうに、いはうべし、そのときは、にちれんをくようせる、なんにょは、たけのうち、わかみやなんどのやうに、あがめらるべしと、おぼしめせ。
 そもそも、ひとりのもうもくを、あけてそうらはんくどくすら、もうすばかりなし、いわんやにほんこくのいっさいしゅじょうの、まなこをあけてそうらはんくどくをや、いかにいわんやいちえんぶだい、してんげのひとの、まなこの、しゐたるを、あけてそうらはんをや。
 ほけきょうの、だいしにいわく、「ぶつめつどののちに、よくそのぎを、げせんは、これもろもろの、てんにんせけんの、まなこなり」とう、うんぬん。 p1222
  ほけきょうを、たもつひとは、いっさいせけんの、てんにんの、まなこなりと、とかれてそうらう、にほんこくのひとの、にちれんをあだみ、そうらうは、いっさいせけんの、てんにんのまなこをくじるひとなり。
 されば、てんもいかり、ひびにてんぺんあり、ちもいかり、つきづきに、ちようかさなる、てんのたいしゃくは、やかんをうやまいて、ほうをならいしかば、いまのきょうしゅしゃくそんとなりたまい。
 せっせんどうじは、おにをしとせしかば、いまのさんがいのあるじとなる、だいしょう、しょうにんは、かたちをいやしみて、ほうをすてざりけり。
 いま、にちれんおろかなりとも、やかんと、おにとにおとるべからず、とうせいのひと、いみじくとも、たいしゃく、せっせんどうじにまさるべからず、にちれんが、みのいやしきについて、ぎょうげんをすててそうらうゆえに、くにすでにほろびんとする、かなしさよ。
 また、にちれんを、ふびんともうしぬる、でしどもをも、たすけがたからんことこそ、なげかしくは、おぼえそうらへ。
  いかなることも、しゅったいそうらはば、これへおわたりあるべし、みたてまつらん、さんちゅうにて、ともにうえしにしそうらはん。
 また、おとごぜんこそ、おとなしくなりてそうやらめ、いかにさかしくそうやらん、またまたもうすべし。
 はつきよっか。         にちれん、かおう。
  おとごぜんへ。
たいごう、 にちみょうあま、おとごぜんのはは。



  • [177]
  • 高橋入道殿 さんじそうおうのこと

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月 3日(月)03時40分9秒
 
たかはしにゅうどうどのごへんじ 。
さんじそうおうのこと。
  しっぴつ、 けんじがん、ふみつき、じゅうににち。54さい、 p1458  こう33。
                       しんじょう たかはしにゅうどうどのごへんじ             にちれん
 われらが じふだいかくせそんは、にんじゅひゃくさいのとき、ちゅうてんじくに しゅつげんし、ましまして、いっさいしゅじょうのために いちしょうきょうをときたまう。ほとけざいせのいっさいしゅじょうは、かこのしゅくじゅうあつて ほとけにえんあつかりしかば、すでにとくどう なりぬ。わがめつごのしゅじょうをば、いかんがせんとなげきたまいしかば、はちまんしょうきょうを もんじとなして、いちだいしょうきょうのなかに しょうじょうきょうをばかしょうそんじゃにゆづり、だいじょうきょう ならびにほけきょう、ねはんらをば もんじゅしりぼさつにゆづりたまう。ただ はちまんしょうきょうのかんじん、ほけきょうのげんもくたる みょうほうれんげきょうのごじをば、かしょう、あなんにもゆづりたまはず。
また もんじゅ、ふげん、かんのん、みろく、じぞう、りゅうじゅらのだいぼさつにもさづけたまはず。これらのだいぼさつらの、のぞみもうせしかども ほとけゆるしたまはず。だいちのそこよりじょうぎょうぼさつともうせしろうじんをめしいだして、たほうぶつ、じっぽうのしょぶつのみまえにして、しゃかにょらい、しっぽうのたっちゅうにして、みょうほうれんげきょうのごじをじょうぎょうぼさつにゆづりたまう。
  そのゆえは わがめつごのいっさいしゅじょうは みな わがこなり。いづれもびょうどうにふびんに をもうなり。しかれどもくすしのならい、やまいにしたがいて くすりをさづくるごとなれば、わがめつご ごひゃくねんがあいだは、かしょう、あなんなどにしょうじょうきょうのくすりをもって いっさいしゅじょうにあたへよ。つぎのごひゃくねんがあいだは、もんじゅしりぼさつ、みろくぼさつ、りゅうじゅぼさつ、てんじんぼさつに、けごんきょう、だいにちきょう、はんにゃきょうとうのくすりをいっさいしゅじょうにさづけよ。わがめつどいっせんねんすぎてぞうぼうのときには、やくおうぼさつ、かんぜおんぼさつ、ほけきょうのだいもくをのぞいてあまりのほうもんのくすりをいっさいしゅじょうにさづけよ。
まっぽうにはいりなば、かしょう、あなんなど、もんじゅ、みろくぼとう、やくおう、かんのんらのゆづられしところのしょうじょうきょう、だいじょうきょう、ならびにほけきょうはもんじはありともしゅじょうのやまいのくすりとはなるべからず。いわゆるやまいはおもし、くすりはあさし。
  そのときじょうぎょうぼさつしゅつげんして、みょうほうれんげきょうのごじをいちえんぶだいのいっさいしゅじょうにさづくべし。そのときいっさいしゅじょう、このぼさつをかたきとせん。
p1459
いわゆる さるの、いぬをみたるがごとく、きじんのひとを あだむがごとく、かこのふきょうぼさつのいっさいしゅじょうに、のり、あだまれし、のみならず、じょうもく、がりゃくにせめられしがごとく、かくとくびくがさつがいに およばれしが、ごとくなるべし。
 そのときは かしょう、あなんとうも、あるいはりょうぜんにかくれ こうがにぼっし、みろく、もんじゅとうも、あるいはとそつのないいんにはいり、あるいはこうざんにはいらせたまい、かんぜおんぼさつはさいほうにかへり、ふげんぼさつはとうほうにかへらせたまう。
しょきょうは ぎょうずるひとはありとも、しゅごのひとなければ りしょうあるべからず。しょぶつのみょうごうは となうるものありとも、てんじんこれを、かごすべからず。ただし こうしのははをはなれ、きじのたかにあへるがごとくなるべし。そのとき じっぽうせかいのだいきじん、いちえんぶだいにじゅうまんして、ししゅうのみにはいって、あるいはふぼをがいし、あるいはきょうだいとうをうしなはん。ことにくにじゅうのちしゃげなる、じかいげなるそうにのこころに、このきじんって こくしゅならびにしんかをたぼらかさん。
  このとき じょうぎょうぼさつのおかびをかほりて、ほけきょうのだいもく、なんみょうほうれんげきょうのごじばかりを いっさいしゅじょうにさづけば、かのししゅうとう、ならびにだいそうとう、このひとをあだむこと、ふぼのかたき、しゅくせのかたき、ちょうてき、おんてきのごとく、あだむべし。そのとき だいなるてんぺんあるべし。いわゆる にちがつしょくし、だいなるすいせいてんにわたり、だいちしんどうして すいじょうのわのごとくなるべし。そのごは じかいほんぎゃくなんともうして、こくしゅ、きょうだい、ならびにくにじゅうのおとなをうちころし、のちには たこくしんぴつのなんともうしてりんごくよりせめられて、あるいはいけどりとなり、あるいはじさつをし、くにじゅうのじょうげ、ばんみん、みなだいくにあうべし。これひとへにじょうぎょうぼさつのかびを、かをほりて、ほけきょうのだいもくを ひろむるものを、あるいはのり、あるいはうちはり、あるいはるざいし、あるいはいのちをたちなんどするゆへに、ぶつぜんにちかひをなせし ぼんてん、たいしゃく、にちがつ、してんとうの ほけきょうのざにてせいじょうをたてて、ほけきょうのぎょうじゃをあだまんひとをば、ふぼのかたきよりも、なをつよくいましむべしと、ちかうゆへなりと みへてそうろうに、いま にちれん、にほんこくにうまれて いっさいきょうならびに ほけきょうのめいきょうをもて、にほんこくのいっさいしゅじょうの おもてにひきむけたるに、すんぶんもたがはぬうえ、ほとけのしるしたまいしてんぺんあり ちようあり。
 さだんで このくに ぼうこくとなるべしと、かねてしりしかば、これを こくしゅにもうすならば、こくどあんのんなるべくも、たづねあきらむべし。ぼうこくとなるべきならば、よももちいじ。
p1460
もちいぬほどならば、にちれんはるざい、しざいとなるべしと、しりてそうらいしかども、ほとけ いましめていわく「このことをしりながら しんみょうを、をしみて、いっさいしゅじょうにかたらずば、わがてきたるのみならず、いっさいしゅじょうのおんてきなり。かならずあびだいじょうにおつべし」としるしたまへり。
 ここににちれん しんたいわづらひて、このことをもうすならば、わがみいかにもなるべし。わがみはさてをきぬ。ふぼ、きょうだい、ならびにせんまんひとのなかにも ひとりもしたがうものは、こくしゅばんみんにあだまるべし。かれらあだまるるならば、ぶっぽうはいまだわきまへず、ひとのせめはたへがたし。ぶっぽうをぎょうずるは あんのんなるべしとこそ、をもうに、このほうをたもつによって だいなんしゅったいするは、しんぬ このほうをじゃほうなりとひぼうして あくどうにおつべし。これもふびんなり。また これをもうさずばぶつせいにいするうえ、いっさいしゅじょうのおんてきなり。だいあびじごくうたがいなし。いかんがせんとをもひしかども、をもひきってもうしいだしぬ。もうしはじめしうえは、また ひきさすべきにもあらざれば、いよいよ、つよりもうせしかば、ほとけのきもんのごとく こくしゅもあだみ ばんみんもせめき。あだをなせしかば、てんもいかりて にちがつにたいへんあり、だいせいせいもしゅつげんしぬ。だいちもふりかへしぬべく、なりぬ。どしうちもはじまり、たこくよりも せめるなり。ほとけのきもんすこしもたがわず。にちれんがほけきょうのぎょうじゃなることもうたがはず。
 ただし こぞ かまくらより このところへにげはいりそうろういしとき、みちにてそうらへば、おのおのにももうすべくそうらいしかども もうすこともなし。また せんどのごへんじももうしそうらはぬことは、べちのしさいもそうらはず。なにごとにか おのおのをば、へだてまいらせそうろうべき。
 あだをなす ねんしゃ、ぜんしゅう、しんごんしとうをも、ならびに こくしゅとうをも、たすけんがためにこそもうせ。かれらのあだをなすは、いよいよふびんにこそそうらへ。まして いちにちもわがかたとて こころよせなるひとびとは、いかでかをろかなるべき。せけんのをそろしさに、さいしあるひとびとの とをざかるをば、ことによろこぶみなり。にちれんにつきて たすけやりたる、かたわなきうえ、わづかのしょりょうをも めさるるならば、しさいもしらぬさいし、しょじゅうとうが、いかに なげかんずらんとこころぐるし。
 しかも こぞのきさらぎに ごかんきをゆりて さつきのじゅうさんにちにさどのくにをたち、どうげつのにじゅうろくにちに かまくらにはいる。どううつきのようか へいのさえもんじょうにあひたりしとき、やうやうのことども、とひしなかに もうこくにはいつよすべきともうせしかば、ことしよすべし。
p1461
それにとて にちれんはなしてにほんこくに たすくべきものいちにんもなし。たすからんと をもひしたうならば、にほんこくの ねんぶつものとぜんとりつそうとうが くびをきって、ゆいのはまにかくべし。それもいまはすぎぬ。
  ただし みなひとの をもひてそうろうは、にちれんをば ねんぶつしとぜんとりつを そしるとをもひてそうろう。これは もののかずにて かずならず。しんごんしゅうともうすしゅうが うるわしきにほんこくの だいなるじゅそのあくほうなり。こうぼうたいしとじかくたいし、このことにまどひて このくにをほろぼさんとするなり。たといにねん、さんねんにやぶるべきくになりとも、しんごんしにいのらするほどならば いちねん、はんとしに、このくにせめらるべしと もうしきかせてそうらいき。
 たすけんがためにもうすを、これほど あだまるることなれば、ゆりてそうらいしとき、さどのくによりいかなる さんちゅううみべにも まぎれはいるべかりしかども、このことをいまいちど、へいのさえもんにもうしきかせて、にほんこくに せめのこされんしゅじょうを たすけんがために、のぼりてそうらいき。またもうしきかせそうらいしのちは、かまくらにあるべきならねば、あしにまかせて いでしほどに、びんぎにてそうらいしかば、たとい おのおのは いとはせたまうとも、いまいちどは みたてまつらんと、せんどをもひしかども、こころにこころを たたかいて すぎそうらいき。そのゆへは、するがのくには こうどののごりょう、ことに、ふじなんどは ごけあまごぜんのうちのひとびとおおし。こさいみょうじどの、ごくらくじどののかたきと、いきどをらせたまうなれば、ききつけられば おのおのの おんなげきなるべしと、おもひし こころばかりなり。いまにいたるまでも ふびんに をもひまいらせそうらへば、ごへんじまでももうさずそうらいき。この ごぼうたちの ゆきすりにも、あなかしこ、あなかしこ。ふじ、かじまのへんへ たちよるべからずともうせども、いかがそうやらんとをぼつかなし。
 ただし しんごんのことぞ ごふしんにわたらせたまいそうやらん。いかにと ほうもんは もうすともおんこころへあらんことかたし。ただ げんぜんのことをもつて しろしめせ。おきのほうおうは にんのうはちじゅうにだい、じんむよりは にせんよねん、てんしょうだいじんいりかわらせたまいて にんのうとならせたまう。いかなるものか、てきすべきうえ、きんめいより おきのほうおうにいたるまで、かんど、くだら、しらぎ、こうらいよりわたりきたるたいほう、ひほう、えいざん、とうじ、おんじょう、ななじ、ならびににほんこくに あがめをかれてそうろう。これはみなくにをしゅごし、こくしゅをまほらんためなり。おきのほうおう、よをかまくらに とられたることをくちをしと をぼして、えいざん、とうじとうのこうそうとうをかたらひて、よしときがいのちを めしとれとぎょうぜしなり。
p1462
このこといちねん、にねんならず すうねんちょうぶくせしに、ごんん0たゆうどのは ゆめゆめしろし、めさざりしかば、いっぽうも ぎょうじたまはず。また ぎょうずともかなうべしとも、をぼへずありしに、てんし いくさにまけさせたまいて、おきのくにへ つかはされさせたまう。にほんこくのおうとなるひとは、てんしょうだいじんのみたまのいりかわらせたまうおうなり。せんしょうの じゅうぜんかいのちからといひ、いかでか くにじゅうのばんみんのなかには かたぶくべき。たとい、とがありとも、つみあるをやを とがなきこのあだむにてこそ そうらいぬらめ。たとい おやにじゅうざいありとも このみとしてとがにおこなはんに、てんうけたまうべしや。しかるに おきのほうおうのはぢに あはせたまいしは、いかなるたいかぞ。これ ひとへにほけきょうのおんてきたる にほんこくのしんごんしを、かたらはせたまいしゆへなり。
 いっさいの しんごんしはかんじょうともうして、しゃかぶつとうを はちようのれんげにかきて、これを あしにふみて ひじとするなり。かかるふしぎのものども、しょざん、しょじのべっとうとあをぎて もてなすゆへに、たみのてにわたりて げんしんに はぢにあひぬ。このだいあくほう また かまくらにくだってごいちもんをすかし、にほんこくを ほろぼさんとするなり。このこと さいだいことなりしかば、でしとうにもかたらず、ただ いつはりをろかにて、ねんぶつとぜんとうはかりを そしりてきかせしなり。いまはまた もちいられぬことなれば、しんみょうもおしまず でしどもにももうすなり。かうもうせば、いよいよごふしんあるべし。にちれんいかにいみじくとうとくとも じかく、こうぼうにすぐるべきか。このうたがいすべて はるべからず。いかに とかすべき。
 ただし みな ひとはにくみそうらいに、すこしも ごしんようのありしうえ、これまでも おたづねのそうろうは、ただ こんじょうばかりのおんことには よもそうらはじ。さだめて かこのゆへか。ごしょろうのだいじにならせたまいてそうろうなること、あさまししくそうろう。ただし つるぎは かたきのため、くすりはやまいのため。あじゃせおうは ちちをころし ぼとけのてきとなれり。あくそうみにいで のちにぼとけにきぶくし ほけきょうをたもちしかば、あくそうもへいゆし、としをもしじゅうねんのべたりき。しかも ほけきょうは「えんぶだいにん、びょうしりょうやく」とこそとかれてそうらへ。えんぶのうちのひとは やまいのみなり。ほけきょうのくすりあり。さんじすでにそうおうしぬ、いっしんいかでか たすからざるべき。ただし おんうたがいのわたりそうらはんをば ちからをよばず。なんみょうほうれんげきょう、なんみょうほうれんげきょう。
p1463    かくじょうぼう、はわきぼうに たびたびよませて きこしめせ、きこしめせ。
 ふみつきじゅうににち          にちれん、かおう。
しんじょう たかはしろくろうひょうえにゅうどうとの  ごへんじ。


  • [176]
  • 太田殿 そくしんじょうぶつしょう 即身成仏抄

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月 3日(月)03時35分3秒
 
おおたどの、にょうぼうごへんじ。
そくしんじょうぶつしょう。
しっぴつ、 こうあん、さんねん、ふみつき、ふつか。59さい、p1005。
 はつきぶんのやぎ、いっこく、たびそうらいおわんぬ。
 そくしんじょうぶつと、もうすほうもんは、しょだいじょうきょう、ならびに、だいにちきょうなどの、きょうもんに、ふんみょうにそうらぞ。
 しかればとて、かのきょうきょうの、ひとびとの、そくしんじょうぶつともうすは、ふたつのぞうじょうまんに、おちて、かならず、むげんじごくへ、はいりそうらうなり。
 きのきゅうにいわく、「しかして、ふたつの、じょうまんしんせんなきにあらず、にょというは、すなわち、だいむざんのひととなる」とううんぬん。
 しょだいじょうきょうの、ぼんのうそくぼだい、しょうじそくねはんの、そくしんじょうぶつの、ほうもんは、いみじくをそたかき、やうなれども、これはあえて、そくしんじょうぶつのほうもんにはあらず。
 そのこころは、にじょうともうすものは、ろくおんにして、けんじをだんじて、いまだじんじゃ、むみょうをば、だんぜざるものが、われは、すでにぼんのうをつくしたり、むよにはいりて、けしんめっちのものとなれり。
 けしんなれば、そくしんにあらず、めつちなれば、じょうぶつのぎなし、されば、ぼんぷはぼんのうごうもあり、くかのえしんも、うしなうことなければ、ぼんのうごうをしゅとして、ほうしん、おうじんともなりなん。
 くかあれば、しょうじそくねはんとて、ほっしんにょらいともなりなんと、にじょうをこそ、だんかせさせたまいしか。
 さればとて、ぼんのう、ごう、くが、さんじんのしゅとはなりそうらはず、いま、ほけきょうにしてうよ、むよのにじょうがなき、ぼんのう、ごう、くをとりだして、そくしんじょうぶつと、ときたまうとき、にじょうの、そくしんじょうぶつするのみならず、ぼんぷも、そくしんじょうぶつするなり。  p1006
この、ほうもんをだにも、くはしくあんじほどかせたまわば、けごん、しんごんなどのひとびとの、そくしんじょうぶつともうしそうらうは、えきょうに、もんはそうらへども、そのぎは、あえてなきことなり、ひがごとのおこりこれなり。
  こうぼう、じかく、ちしょうらは、このほうもん、にめいわくせる、ひとなりと、みそうらう、いかにいわんや、そのいかのことく、せんとくなどは、いうにたらず。
 ただ、てんだいの、だいよんじゅうろくのざす、とうようの、ちゅうじんと、もうすひとこそ、このほうもんは、すこしあやぶまれて、そうらことはそうらへ。
 しかれども、てんだいのざす、じかくの、すえをうくるひとなれば、いつわり、をろかにて、さてはてぬるか、そのうえ、にほんこくに、しょうをうくるひとは、いかでか、こころには、をもうとも、ことばにいだしそうらうべき。
 しかれども、しゃか、たほう、じゅっぽうのしょぶつ、ぢゆ、りゅうじゅぼさつ、てんだい、みょうらく、でんきょうだいしは、そくしんじょうぶつは、ほけきょうにかぎると、をぼしめされてそうらうぞ、わがでしらは、このことを、をもひでにせさせたまへ。
  みょうほうれんげきょうの、ごじのなかに、しょろんし、しょにんしのしゃく、まちまちにそうらへども、みなしょきょうのけんをいでず、ただ、りゅうじゅぼさつの、だいろんともうすろんに、「たとえば、だいやくしのよく、どくをもって、くすりとなすがごとし」と、もうすしゃくこそ、このいちじを、こころへさせ、たまいたりけるかと、みへてそうらへ。
 どくともうすは、くじゅうの、にたい、しょうじのいんがは、どくのなかの、どくにてそうらうぞかし。
 このどくを、しょうじそくねはん、ぼんのうそくぼだいとなしそうらうを、みょうの、きわみとはもうしけるなり。
 りょうやくと、もうすは、どくのへんじて、くすりとなりけるを、りょうやくとは、もうしそうらいけり、この、りゅうじゅぼさつは、だいろんともうす、もんのひゃくのまきに、けごん、はんにゃとうは、みょうにあらず、ほけきょうこそ、みょうにてそうらへともうすしゃくなり。
 このだいろんは、りゅうじゅぼさつのろん、らじゅうさんぞうと、もうすひとの、かんどへわたしてそうらうなり。
 てんだいだいしは、このほうもんを、ごらむあつて、なんぼくをば、せめさせたまいて、そうらうぞ。
 しかるを、かんど、とうのなかごろ、にほん、こうにんいごのひとびとの、あやまりの、しゅったいし、そうらいけることは、とうのだいく、だいそうこうていのぎょう、ふくうさんぞうと、もうすひとの、てんじくより、わたしてそうらう、ろんあり、ぼだいしんろんともうす。
 このろんは、りゅうじゅの、ろんとなづけてそうらう、このろんにいわく、「ただしんごん、ほうのなかにのみ、そくしんじょうぶつするゆえに、これ、さんまぢの、ほうをとく、しょきょうのなかに、おいて、かいてしるせず」と、もうすもんあり。 p1007
  このしゃくに、ばかされて、こうぼう、じかく、ちしょうなどの、ほうもんは、さんざんのことにては、そうらうなり、ただし、だいろんは、りゅうじゅのろんたることは、じたあらそうことなし。
 ぼだいしんろんは、りゅうじゅのろん、ふくうのろんと、もうす、あらそいあり、これは、いかにもそうらへ、さてをきそうらいぬ。
 ただ、ふしんなることは、だいろんのこころならば、そくしんじょうぶつは、ほけきょうに、かぎるべし、もんともうし、どうりきわまれり。
 ぼだいしんろんが、りゅうじゅのろんとは、もうすとも、だいろんにそむいて、しんごんのそくしんじょうぶつを、たつるうえ、ただのいちじは、つよしとみへてそうらう。
 いずれの、きょうもんによりて、ゆいのいちじをば、おいて、ほけきょうをば、はしそうらいけるぞ、しょうもんたずぬべし。
 りゅうじゅぼさつの、じゅうじゅうびばしゃろんに、いわく、「きょうに、よらざるほうもんをば、こくろん」と、うんぬん、じごそういあるべからず。
 だいろんのひゃくにいわく、「しかも、ほっけなどのあらかんの、じゅけつ、さぶつないし、たとえば、だいやくしの、よくどくをもって、くすりとなすがごとし」とう、うんぬん。
 このしゃくこそ、そくしんじょうぶつの、どうりは、かかれてそうらへ、ただ、ぼだいしんろんと、だいろんとは、おなじりゅうじゅだいしょうの、ろんにてそうらうが、すいかのことなりをば、いかんせんと、みそうらうに、これは、りゅうじゅの、いせつにはあらず、やくしゃのそいなり。
 らじゅうは、したやけず、ふくうはしたやけぬ、もうごはやけ、じつごはやけぬこと、けんねんなり。
 がっしより、かんどへきょうろんわたすひと、ひゃくしちじゅうろくにんなり、そのなかに、らじゅうひとりばかりこそ、きょうしゅしゃくそんの、きょうもんに、わたくしのことば、いれぬひとにてはそうらへ。
 ひゃくななじゅうごにんのなか、らじゅうより、せんご、ひゃくろくじゅうよにんは、らじゅうのちをもって、しりそうらうべし。
 らじゅうきたらせたまいて、ぜんごひゃくろくじゅうよにんが、あやまりも、あらわれしんやくの、じゅういちにんが、あやまりも、あらわれ、また、こざかしくなりて、そうらうも、らじゅうのゆえなり。
 これ、わたくしのぎにはあらず、かんずうでんにいわく、「ぜつご、こうぜん」とうんぬん、さきを、てらすともうすは、ごかんより、ごしんまでの、やくしゃ、のちをぜっすともうすは、らじゅういご、ぜんむい、こんごうち、ふくうなども、らじゅうのちをうけて、すこし、こざかしくそうらうなり。 かんずうでんに、いわく、「いかのしょにん、ならびに、みなまつこと」、されば、このぼだいしんろんの、ゆいのもんじは、たとい、りゅうじゅのろんなりとも、ふくうのわたくしのことばなり。
 いかにいわんや、、つぎしもに、「しょきょうの、なかにおいて、かいてしるせず」と、かかれてそうらう、ぞんがいのあやまりなり。
  そくしんじょうぶつの、てほんたる、ほけきょうをば、さしをいて、あとかたもなき、しんごんに、そくしんじょうぶつをたて、あまつさえ、ゆいのいちじを、をかるるじょう、てんか、だいいちのびゃくけんなり、これ、ひとえにしゅらこんじょうの、ほうもんなり。
 てんだいちしゃだいしの、もんぐのきゅうに、じゅりょうほんの、こころをしゃくして、いわく、「ほとけ、さんぜにおいて、ひとしく、さんじんあり、しょきょうのなかに、おいて、これをひしてつたえず」と、かかれてそうらう。
 これこそ、そくしんじょうぶつの、みょうもんにては、そうらへ。 p1008
ふくうさんぞう、このしゃくを、けさんがために、ことを、りゅうじゅによせて、「ただ、しんごんほうのなかにのみ、そくしんじょうぶつするがゆえに、このさんまぢの、ほうをとく、しょきょうのなかに、おいて、かいて、しるせず」と、かかれてそうらうなり。
 されば、このろんの、つぎしもに、そくしんじょうぶつを、かかれてそうらうが、あへて、そくしんじょうぶつにはあらず、しょうしんとくにんに、にてそうらう。
 このひとは、そくしんじょうぶつは、めづらしきほうもんとは、、きかれてそうらへども、そくしんじょうぶつのぎは、あへてうかがわぬひとびとなり。
 いかにも、そうらへば、にじょうじょうぶつ、くおんじつじょうを、ときたまうきょうに、あるべきことなり、てんだいだいしの、「おしょきょうちゅう、ひしふでん」のしゃくは、せんしゃ、せんしゃ、きょうきょう。
  げてん、さんぜんよかんは、せいどうの、そういせるによって、よはにごると、あかす、ないてん、ごせん、ななせんよかんは、ぶっぽうの、びゃくけんによって、よにごるべしと、あかされてそうらう。
 いまの、よは、げてんにもそういし、ないてんにも、いはいせるかのゆへに、このだいか、いっこくにおこりて、すでに、ぼうこくとならむとしそうらうか、ふびん、ふびん。
 ふみつきふつか。         にちれん、かおう。
 おおたどの、にょうぼうごへんじ。
けんじ、がんねん、ふみつき。54さい。のあり。
      たいごう おおたじょうみょうのつま。


  • [175]
  • 太田殿  ほうべん、じゅりょう、かんじんのこと

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月 2日(日)01時08分16秒
 
  おおたさえもんのじょうごへんじ。
ほうべん、じゅりょう、かんじんのこと。
しっぴつ 、こうあん、がんねん、うつき、23にち。57さい、p1014。
      たいごう おおたじょうみょう。
 とうげつじゅうはちにちの、ごじょう、おなじき、にじゅうさんにちの、うまのこく、ばかりにとうらい。
 やがて、はいけんつかまつりそうらいおわんぬ、ごじょうのごとく、おふせちょうもく、じゅっかんもん、た ち、おうぎいっぽん、しょうこうにじゅうりょう、たまいそうらう。
 そもそも、もっぱらごじょうにいわく、それがし、ことしは、ごじゅうしちにまかりなりそうらへば、たいやくのとしかとおぼえそうらう。
 なにやらんして、しょうがつのげじゅんのころより、うづきのこのころにいたりそうらうまで、しんしんにくろうおおくしゅったいそうらう。
 もとより、じんしんをうくるものは、かならずしんしんに、しょびょうそうぞくして、ごたいにくろうあるべしと、もうしながらさらにうんぬん。
 このこと、さいだいいちの、なげきのことなり、じゅうにいんねんともうすほうもんあり、こころはわれらが、みは、しょくをもって、たいとなす。
 さればせんぜに、ごうをるつくゆえに、しょくをけうけ、せんぜの、あつまり、ぼんのうが、しょくをまねきあつめそうらう、かこのにいん、げんざいのごか、げんざいのさんいん、みらいのりょうかとて、さんぜしだいして、いっさいのくかをかんずるなり。
 ざいせの、にじょうが、これらのしょくをうしなはんとて、くうりにしずみ、けしんめつちして、ぼさつのごんぎょう、しょうじんのこころざしを、わすれくうりをしょうとくせんことを、しんごくとおもうなり。
 ほとけ、ほうとうのとき、これらのしんちを、だんかしたまいしなり、しかるに、しょうをこのさんがいに、うけたるもの、くをはなるるものあらんや。
 らかんのおうぐすら、なおかくのごとし、いわんやていげのぼんぷをや、さてこそ、いそぎしょうじを、はなるべしと、すすめもうしそうらへ。
  これらていの、ほうもんは、さておきぬ、ごへんは、ことしは、たいやくとうんぬん、むかし、ふぎのぎょうに、こうがともうすかわより、かめともうすうお、はっけともうす、ふみを、こうにおいて、うきでたり、ときのひと、このふみを、とりあげてみれば、ひとのしょうねんより、ろうねんのおわりまでやくのようを、あかしたり。
  p1015
  やくどしのひとの、あやうきことは、しょうすいにすむうおを、とびからすなんどが、うかがひ、ともしびのあたりにすめる、なつのむしの、かちゅうにはいらんとするがごとく、あやうし。
 きじん、ややもすれば、このひとのたましいを、うかがひ、なやまさんとす、しんないともうすときは、もろもろのかみ、みにあり、ばんじこころにかなう、しんげともうすときはもろもろのかみ、しきのいえをいでてばんじを、けんもんするなり。
 とうねんは、ごへんは、しんげともうして、、しょじんたこくへ、ゆぎょうすれば、つつしんで、じょさいとくらくを、いのりたまうべし、またもくしょうの、ひとにてわたらせたまへば、ことしは、たいやくなりとも、はるなつのほどは、なにごとか、わたらせたまうべき。
 しもんしょうきょうに、いわく、「きはかねにあって、よくようし、ひはみずをえてひかりめっし、つちはきにあいて、ときにやせ、こがねはひにはいって、きえうせ、みずはつちにあって、いかず」とう、うんぬん。
さして、ひきもうすべき、きょうもんにはあらざれども、よがほうもんは、ししつだんを、こころにかけて、もうすならば、あながちに、じょうぶつのりに、たがわざれば、しばらくせけん、ふつうのぎを、もちゆべきか。
 しかるに、ほけきょうともうすみきょうは、しんしんのしょびょうの、ろうやくなり、されば、きょうにいわく、「このきょうは、すなわちこれ、えんぶだいのひとの、やまいのろうやくなり、もしひと、やまいあらんに、このきょうを、きくことをえば、びょうそくしょうめつして、ふろうふしならん」とう、うんぬん。
 またいわく、「げんせは、あんのんにして、ごしょうにはぜんしょならん」とう、うんぬん、また、いわく、「しょよのおんてき、みなことごとくさいめつせん」とう、うんぬん。
 とりわけたてまつる、おまもり、ほうべんぽん、じゅりょうほん、おなじくはいちぶ、かきて、まいらせたく、そうらへども、とうじはさりがたき、ひまどもはいること、そうらへばりゃくして、にほんたてまつりそうらう。
 あいかまえ、あいかまえて、おんみをはなさず、かさねつつみて、ごしょじあるべきものなり、このほうべんぽんともうすは、しゃくもんの、かんじんなり。
 このほんには、ほとけ、じゅうにょ、じっそうのほうもんを、ときて、じゅっかいのしゅじょうの、じょうぶつを、あかしたまへば、しゃりほつなどは、これをきいて、むみょうのわくを、だんじ、しんいんのくらいにかなうのみならず、みらい、けこうにょらいとなりて、じょうぶつの、かくげつを、りくせかいの、あかつきのそらに、えいぜり。
 じゅっかいのしゅじょうの、じょうぶつのはじめは、これなり、とうじのねんぶつしゃ、しんごんしのひとびと、じょうぶつは、わがえきょうに、かぎれりと、ふかくしゅうするはこれらの、ほうもんを、しゅうがくせずして、みけんしんじつのきょうに、とくところの、みょうじばかりなる、じゅきをしゅうするゆえなり。
  きへんは、ひごろは、これらのほうもんに、まよいたまいしかども、にちれんがほうもんを、きいて、けんじゃなれば、ほんしゅうを、たちまちにひるがえしたまいて、ほけきょうをたもちたまうのみならず、けっくは、しんみょうよりも、このきょうをだいじとおぼしめすこと、ふしぎがなかの、ふしぎなり。
  p1016
これは、ひとえに、いまのことに、あらず、かこのしゅくえんかいはつせるにこそ、かくはおぼしめすらめ、ありがたし、ありがたし。
 つぎに、じゅりょうほんともうすは、ほんもんのかんじんなり、また、このほんは、いちぶのかんじん、いちだいしょうきょうの、かんじんのみならず、さんぜのしょぶつのせっぽうの、ぎしきの、たいようなり。
 きょうしゅしゃくそん、じゅりょうほんの、いちねんさんぜんのほうもんを、しょうとくしたまうことは、さんぜのしょぶつと、ないしょうひとしきがゆえなり。
 ただしこのほうもんは、しゃくそんいちぶつの、こしょうのみにあらず、しょぶつも、またしかなり。
 われら、しゅじょうの、むしいらい、ろくどう、しょうじのなみに、ちんぼつせしがいま、きょうしゅしゃくそんの、しょせつの、ほけきょうにあいたてまつることは、むかし、かこに、このじゅりょうほんの、くおんじつじょうの、いちねんさんぜんを、ちょうもんせしゆえなり、ありがたきほうもんなり。
  けごん、しんごんのがんそ、ほうぞう、ちょうかん、ぜんむい、こんごうち、ふくうなどがしゃくそん、いちだいしょうきょうの、かんじんなる、じゅりょうほんのいちねんさんぜんの、ほうもんをぬすみとりて、もとより、みずからのえきょうに、とかざるけごんきょう、だいにちきょうに、いちねんさんぜんありといって、とりいるるほどの、ぬすびとにばかされて、まつがく、ふかくこのけんを、すしゅうす、はかなし、はかなし。
 けっくは、しんごんのにんしのいわく、「あらそってだいごをぬすんで、かく、じしゅうに、なずく」うんぬん、またいわく、「ほけきょうのにじょうさぶつ、くおんじつじょうは、むみょうのへんいき、だいにちきょうにとくところの、ほうもんはみょうのぶんい」とう、うんぬん。
 けごんの、にんしのいわく、「ほけきょうに、とくところのいちねんさんぜんの、ほうもんは、しよう、けごんきょうのほうもんは、こんぽんのいちねんさんぜんなり」うんぬん、これ、あとかたもなきびゃくけんなり。
 しんごん、けごんきょうに、いちねんさんぜんをときたらばこそ、いちねんさんぜんというみょうもくをば、つかわめおかし、おかし、きもう、とかくのほうもんなり。
  まさしく、くおんじつじょうの、いちねんさんぜんのほうもんは、ぜんしみ、ならびに、ほけきょうのしゃくもん、じゅうよんほんまで、ひめさせたまいて、ありしが、ほんもん、しょうしゅうにいたりて、じゅりょうほんに、ときあらわしたまへり。
 このいちねんさんぜんの、ほうじゅをば、みょうほうごじの、こんごうふえの、ふくろにいれて、まつだいびんぐの、われらしゅじょうのために、のこしおかせたまいしなり。
 しょうほうぞうほうに、いででさせたまいし、ろんじ、にんしのなかにこのだいじを、しらず、ただ、りゅうじゅ、てんじんこそ、こころのそこに、しらせたまいしかども、いろにもいださせたまはず。
 てんだいだいしは、げんもん、しかんにひせんとおぼしめし、しかども、まつだいのためにや、しかん、じゅっしょう、だいしち、しょうかんのしょうにいたりて、ほぼかせかたまいたりしかども、うすはにしゃくをもうけてさてやみたまいぬ、ただ、りかんの、いちぶんをしめして、ことのさんぜんをば、しんしゃくしたまう。
  かのてんだいだいしは、しゃっけのしゅうなり、このにちれんは、ほんげのいちぶんなれば、さかんにほんもんの、じのぶんをひろむべし。
  p1017
しかるに、かくのごとき、だいじのぎりの、こもらせたまうみきょうを、かきてまいらせそうらへば、いよいよしんをとらせたまうべし。
 かんぱつほんにいわく、「まさにたって、とおくむかえて、まさにほとけを、うやまうがごとくすべし」とう、うんぬん、あんらく、ぎょうほんに、いわく、「しょてん、ちゅうやに、つねにほうのためのゆえに、しかもこれを、えいごす、ないしてんのもろもろのどうじ、もってきゅうじをなさん」とう、うんぬん。
 ひゆほんにいわく、「そのなかの、しゅじょうことごとくこれ、わがこなり」とう、うんぬん、ほけきょうのじしゃは、きょうしゅしゃくそんの、みこなれば、いかでか、ぼんでん、たいしゃく、にちがつ、しゅせいも、ちゅうや、ちょうぼに、まもらせたまはざるべきや。
 やくのとし、さいなんをはらはん、ひほうには、ほけきょうに、すぎずたのもしきかな、たのもしきかな。
  さては、かまくらに、そうらいしときは、ほそぼそもうし、うけたまわりそうらいしかども、いまは、おんごくにこじゅう、そうらうに、よりて、めんえつをごすること、さらになし。
 されば、しんちゅうに、ふくみたることも、ししゃたまずさに、あらざれば、もうすにおよばず、なげかしなげかし、とうねんのたいやくをば、にちれんにまかせたまへ。
 しゃか、たほう、じゅっぽうぶんしんの、しょぶつのほけきょうの、おんやくそくの、じつふじつは、これにてるはかべきなり、またまた、もうすべくそうらう。
 こうあんがんねんいぬとらうつき        にちれん、かおう。
 おおたさえもんのじょうどの、ごへんじ。

  • [174]
  • 太田殿  てんじゅうきょうじゅほうもん 転重 軽受法門

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年10月 2日(日)01時06分16秒
 
てんじゅうきょうじゅほうもん。
しっぴつ、 ぶんえい、はちねん、かんなつき、いつか。50さい、p1000。さがみえち。
   すりはんどくともうすは、きょうだい、ふたりなり、ひとりもありしかば、すりはんどくともうすなり、おのおの、さんにんはまたかくのごとし、ひとりもきたらせたまへば、さんにんとぞんじそうらうなり。
  ねはんきょうに、てんじゅうきょうじゅともうす、ほうもんあり、せんごうのおもき、こんじょうにつきずして、みらいにじごくのくをうくべきが、こんじょうに、かかるじゅうくにあいそうらへば、じごくのくるしみぱっときへて、しにそうらへば、にんでん、さんじょう、いちじょうのえきをうることのそうらう。
 ふきょうぼさつの、あっくめりせられ、じょうもくがりゃくをかほるも、ゆへなきにはあらず、かこのひぼう、しょうほうのゆへかと、みへて、ございひっちと、とかれてそうらうは、ふきょうぼさつのなんに、あうゆへに、かこのつみのめっするかとみへはんべり、これいち。
  また、ふほうぞうにじゅうごにんは、ほとけをのぞきたてまつりては、みな、ほとけのかねてしるしをきたまえる、ごんじゃなり、そのなかに、だいじゅうよんの、だいばぼさつは、げどうにころされ、だいにじゅうご、ししそんじゃは、だんみりおうに、くびをはねられ、そのほかぶつだみつた、りゅうじゅぼさつなんども、おおくのなんにあへり。
 また、なんなくして、おうほうにごきえ、いみじくて、ほうをひろめたるひともそうらう、これはよにあくこく、ぜんこくあり、ほうに、しょうじゅ、しゃくぶくあるゆへかとみへはんべる。 しょうぞう、なおかくのごとし、ちゅうごくまた、しかなり、これは、へんどなり、まっぽうのはじめなり、かかることあるべしとは、さきにをもひさだめぬ、ごをこそ、まちそうらいつれ、これに。
  このかみの、ほうもんは、いにしえ、もうしをきそうらいき、めづらしからず、えんぎょうの、ろくそくのくらいに、かんぎょうそくともうすは、しょぎょうにょしょげん、しょげんにょしょぎょうとうんぬん。 p1001
  りそく、みょうじのひとは、えんにんなれども、ことばのみありて、まことなることかたし、れいせば、げてんのさんぷん、ごてんには、よむひとかずをしらず。
 かれがごとくに、よををさめ、ふれまうこと、せんまんがひとつもかたし、さればよのをさまる、ことも、またかたし、ほけきょうは、かみつきに、こえをあげてよめども、かのきょうもんのごとく、ふれまうことかたくそうらうか。
 ひゆほんにいわく、「きょうを、どくしじゅ、しょじ、することあらんものを、みて、きょうせんぞうしつして、けっこんをいだかん」、ほっしほんにいわく、「にょらいのげんざいすらなお、おんしつおおし、いわんや、めつどののちをや」、かんじほんにいわく、「とうじょうを、くわえないし、しばしば、ひんずいせられん」、あんらくぎょうほんにいわく、「いっさいせけん、あだおおくして、しんじがたし」。
  これらは、きょうもんには、そうらへども、いつのよに、かかるべしとも、しられず、かこのふきょうぼさつ、かくとくびくなんどこそ、みにあたりて、よみまいらせてそうらいけると、みへはんべれ。
 げんざいには、しょうぞうにせんねんは、さてをきぬ、まっぽうにはいっては、このにほんこくには、とうじは、にちれんいちにんみへそうろうか。
 むかしの、あくおうのおんとき、おおくのせいそうの、なんにあいそうらいけるには、また、しょじゅう、けんぞくなど、でし、だんななど、いくぞばくか、なげきそうらいけんと、いまをもちて、をしはかりそうらう。
  いま、にちれん、ほけきょういちぶ、よみてそうらう、いっくいちげに、なお、じゅきをかほれり、いかにいわんや、いちぶをやと、いよいよ、たのもし。
 ただ、おほけなく、こくどまでとこそ、をもひてそうらへども、われともちいられぬよなれば、ちからおよばず。
 しげきゆへに、とどめそうらいおわんぬ。
  ぶんえい、はちねん、かのとひつじかんなつきいつか。   にちれん、かおう。
たいごう、おおたさえもんじょうどの。
     そやにゅうどうどの。
     かなはらほっきょうごぼう。
     ごへんじ、





  • [173]
  • 太田殿  さんだいひほうしょう 三大秘法抄 三大秘法稟承事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月30日(金)18時29分49秒
  • 編集済
 
さんだいひほう、ぼんじょうじ。
さんだいひほうしょう。
     しっぴつ こうあんよねんうつきようか。60さい。
       p1021。
 それ、ほけきょうの、だいしちじんりきほんにいわく、「ようをもって、これをいわば、にょらいのいっさいの、しょうのほう、にょらいのいっさいのじざいのじんりき、にょらいのいっさいのひようのぞう、にょらいのいっさいのじんじんのじ、みな、このきょうにおいて、せんじけんぜつす」とう、うんぬん。
 しゃくにいわく、「きょうちゅうの、ようせつのよう、よんじにあり」とう、うんぬん、とうしょせつのようげんのほうとは、なにものぞや。
こたえて、いわく、それ、しゃくそんしょじょうどうより、しみさんきょう、ないしほけきょうの、こうかいさん、けんいちの、せきをたちて、りゃくかいごん、けんのんを、とかせたまいし、ゆじゅつほんまで、ひせさせたまいし、じっそう、しょうとくの、そのかみ、しゅぎょうしたまいしところの、じゅりょうほんの、ほんぞんと、かいだんと、だいもくの、ごじなり。
 きょうしゅしゃくそん、このひほうをば、さんぜにれかくなき、ふげん、もんじゅなどにも、ゆずりたまはず、いわんや、そのいかをや。
 されば、このひほうを、とかせたまいし、ぎしきは、しみ さんきょう、ならびに、ほけきょうのしゃくもん、じゅうよんほんにことなりき、しょごのどは、じゃっこうほんぬのこくどなり、のうごのきょうしゅは、ほんぬむさのさんじんなり、しょけもってどうたいなり。
 かかるみぎりなれば、くおんしょうようの、ほんけんぞく、じょうぎょうなどの、しぼさつを、じゃっこうのだいちのそこより、はるばるとめしいだして、ふぞくしたまう。
 どうせんりっし、いわく、「ほうこれ、くじょうのほうなるに、よるゆえに、くじょうのひとに、ふす」とう、うんぬん、とうていわく、そのしょぞくの、ほうもん、ほとけのめつごにおいては、いずれのときに、ぐつうしたまうべきや。
 こたえていわく、きょうのだいしち、やくおうほんにいわく、「のちのごひゃくさいのなかに、えんぶだいにこうせんるふして、だんぜつせしむることなけん」とう、うんぬん。
 つつしんで、きょうもんをはいけんし、たてまつるに、ほとけのめつご、しょうぞうにせんねんすぎて、だいごのごひゃくさい、とうじょうけんご、びゃくほうおんもつのとき、うんぬん。
 とうていわく、それ、しょぶつのじひは、てんげつのごとし、きえんのみず、すめばりしょうのかげを、あまねくばんきのみずに、うつしたまうべきところに、しょうぞうまつの、さんじのなかに、まっぽうにかぎると、ときたまわば、きょうしゅしゃくそんの、じひにおいて、へんぱあるににたり、いかん。
 こたう、しょぶつのわこう、りもつのつきかげは、きゅうほうかいの、やみをてらすといえども、ほうぼういっせんだいの、じょくすいには、かげをうつさず、しょうほういっせんねんの、きのまえには、ただしょうじょう、ごんだいじょう、あいかなへり。
 ぞうほう、いっせんねんには、ほけきょうのしゃくもん、きかんそうおうせり、まっぽうのはじめの、ごひゃくねんには、ほけきょうのほんもん、ぜんごじゅうさんほんをば、おきて、ただじゅりょうほんの、いちほんを、ぐつうすべきときなり、きほうそうおうせり。 p1022
 いま、このほんもん、じゅりょうのいっぽんは、ぞうほうののちのごひゃくさい、きなおたえず、いわんやめはじの、ごひゃくねんをや、いかにいわんや、しょうほうのきは、しゃくもん、なお、ひあさし、まして、ほんもんをや。
 まっぽうにはいって、にぜんしゃくもんは、まったく、しゅつりしょうじのほうにあらず、ただ、らもっぱら、ほんもんじゅりょうの、いっぽんにかぎりて、しゅつりしょうじのようほうなり。
 これをもって、おもうに、しょぶつのけどうにおいて、まったくへんぱなしとう、うんぬん。
 とう、ほとけのめつご、しょうぞうまつの、さんじにおいて、ほんげ、しゃっけの、おのおののふぞく、ふんみょうなり、ただ、じゅりょうのいっぽんにかぎりて、まっぽうじょくあくの、しゅじょうのためなりといへる、きょうもん、いまだふんみょうならず、たしかに、きょうの、げんもんをきかんとほっす、いかん。
 こたう、なんじ、あながちにこれをとう、きいてのち、かたくしんをとるべきなり、いわゆるじゅりょうほんにいわく、「このよきりょうやくを、いまとどめて、ここにおく、なんじとってふくすべし、いえじとうれうるなかれ」とう、うんぬん。
 とう、じゅりょうほん、もっぱあまっぽうあくせに、かぎるきょうもん、けんねんなるうえは、わたくしになんせいをくわうべからず、しかりといえども、さんだいひほう、そのたいいかん。
 こたえていわく、よがこしんのだいじ、これにしかず、なんじがこころざし、むになれば、すこしこれを、いわん、じゅりょうほんに、こんりゅうするところの、ほんぞんは、ごひゃくじんてんの、そのかみより、このかた、しどうえんじんこう、ほんぬむさ、さんじんの、きょうしゅしゃくそんこれなり。
 じゅりょうほんにいわく、「にょらいひみつ、じんづうしりき」とう、うんぬん、じょのきゅうにいわく、「いっしん、そくさんじんなるをなずけて、ひとなし、さんじんそくいっしんなるを、なずけて、みつとなす、また、むかしよりとかざるところを、なずけてひとなし、ただ、ほとけのみみずからしるを、なずけてみつとなす。
 ほとけさんぜにおいて、ひとしく、さんじんあり、しょきょうのなかにおいて、これをひしてつたえず」とう、うんぬん。
 だいもくとは、ふたつのこころあり、いわゆるしょうぞうとまっぽうとなり、しょうほうには、てんじんぼさつ、りゅうじゅぼさつ、だいもくをとなえさせとなたまいしかども、じぎょうばかりにして、さてやみぬ。
 ぞうほうには、なんがく、てんだいなど、また、なんみょうほうれんげきょうと、となえたまいて、じぎょうのためにして、ひろくたのために、とかずこれ、りぎょうのだいもくなり。
 まっぽうにはいりて、いま、にちれんがとなうるところの、だいもくは、ぜんだいにことなり、じぎょう、けたにりわたて、なんみょうほうれんげきょうなり、みょうたい、しゅうようきょうの、ごじゅうげんの、ごじなり。
 かいだんとは、おうほう、ぶっぽうにみょうじ、ぶっぽう、おうほうにがっして、おうしんいちどうに、ほんもんのさんひみつのほうを、たもちて、うとくおう、かくとくびくの、そのむかしをまっぽうじょくあくの、みらいにうつさんとき、ちょくせんならびに、みぎょうしょを、もうしくだして、りょうぜんじょうどに、にたらん、さいしょうのちを、たずねて、かいだんをこんりゅうすべきものか、ときをまつべきのみ、じのかいほうともうすは、これなり。
 さんごくならびに、いちえんぶだいのひと、ざんげめつざいのかいほうのみならず、だいぼんてんのう、たいしゃくなども、らいげしてふみたまうべき、かいだんなり。 p1023
 このかいほうを、たちてのち、えんりゃくじの、かいだんは、しゃくもんのりかいなれば、やくあるまじきところに、えいざんに、ざすはじまって、だいさん、だいしの、じかく、ちしょう、ぞんのほかに、ほんし、でんきょう、ぎしんに、そむきて、りどうじしょうの、おうげんをもととして、わがやまの、かいほうをあなづり、けろんとわらいしゆえに、ぞんのほかに、えんりゃくじのかい、しょうじょうむぜんの、ちゅうどうのみょうかいなりしが、いたずらに、どでいとなりぬること、いうても、りあまあり、なげきてもなにかはせん。
 かのまりせんの、がりゃくの、つちとなり、せんだんりんの、いばらとなるにもすぎたるなるべし、それいちだいしょうきょうの、じゃしょうへんえんを、わきまえたらんがくしゃのひとをして、いまの、えんりゃくじのかいだんを、ふましむべきや。
 このほうもんは、ぎりをあんじて、ぎをつまびらかにせよ、このさんだいひほうは、にせんよねんの、そのかみ、ぢゆせんがいのじょうしゅとして、にちれんたしかに、きょうしゅ、だいかくせそんより、ぐけつそうじょうせしなり。
 いま、にちれんが、しょぎょうは、りょうぜんのぼんじょうに、けにばかりのそういなき、いろもかわらぬ、じゅりょうほんのじのさんだいじなり。
 とう、いちねんさんぜんの、ただしきしょうもんいかん、こたう、つぎに、いだしもうすべし、ここにおいて、にしゅあり、ほうべんぽんにいわく、「しょほうじっそう、しょいしょほう、にょぜそう、ないしよくりょうしゅじょう、かいぶっちけん」とう、うんぬん。
 ていげのぼんぷ、りしょう、しょぐの、いちねんさんぜんか、じゅりょうほんにいわく、「ぜんがじつ、じょうぶついらい、むりょうむへん」とう、うんぬん。
 だいかくせそん、くおんじつじょうの、そのかみ、しょうとくのいちねんさんぜんなり、いま、にちれんがときにかんじて、このほうもん、こうせんるふするなり、よが、としごろ、こしんにひすと、いえども、このほうもんを、かきつけて、とどめおかずんば、もんけのゆいていなど、さだめて、むじひのざんげんをくわふべし。
 そののちは、なんとくゆとも、うかのうまじきとぞんずるあいだ、きへんにたいしかきおくりそうらう、いっけんののち、ひしてたけんあるべからず、こうがいもせんなし。
 ほけきょうを、しょぶつしゅっせのいちだいじと、とかせたまいてそうらうは、、この、さんだいひほうを、ふくめたるきょうにて、わたらせたまえばなり、すひべし、すひべし。
 こうあんねんうづきようか。   にちれん、かおう、
  おおた、きんごどの、ごへんじ。
たいごう、 おおた、じょうみょう。


  • [172]
  • 太田殿  こんじゅにょ 金珠女事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月30日(金)18時27分2秒
 
じょうみょうしょうにんごごへんじ。
こんじゅにょ、
しっぴつ、 けんじ、さんねん、うつき、12にち。56さい、 p1012。
 そうしゅうの、かまくらより、せいふ、にゆい、こうしゅうみのぶのみねに、おくりつかわされそうらいおわんぬ。
  むかし、こんじゅにょは、きんせんいちもんを、もくぞうのはくとなし、きゅうじゅういちこう、こんじきのみとなりき、そのおとこの、こんしは、いまのかしょう、みらいの、こうみょうにょらい、これなり。
 いまの、、じょうみょうほっし、みょうにちならびに、さいじょは、どうせん、にせんまいを、ほけきょうに、くようす、それは、ほとけなり、これはきょうなり、きょうはしなり、ほとけはでしなり。
 ねはんきょうにいわく、「しょぶつの、しとするところはいわゆる、ほうなり、ないし、このゆえに、しょぶつくぎょう、くようす」と、ほけきょうの、だいしちにいわく、「もし、またひとあって、しっぽうをもって、さんぜんだいせんせかいに、みてて、ほとけおよび、だいぼさつ、ひゃくしぶつ、あらかんを、くようせし、このひとのえるところのくどくは、この、ほけきょうの、ないし、いちしくげを、じゅじする、そのふくの、もっともおおきにしかず」。 それ、おとるほとけを、くようする、なお、きゅうじゅういちこうに、こんじきのみとなりぬ、すぐれたるきょうを、くようするせしゅ、いっしょうに、ぶついに、いらざらんや。 ただ、しんごん、ぜんしゅう、ねんぶつしゃなどの、ほうぼうの、くようをのぞきさるべし、たとえば、しゅらをすうちょうしながら、たいしゃくをききょうするがごときのみ、きょうきょう、きんげん。
  うづきじゅうににち 。    にちれん、かおう。
 じょうみょう、しょうにんごへんじ。

  • [171]
  • 太田殿 ごうびょうのうちのこと 業病能治事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月30日(金)18時25分1秒
 
  おおたにゅうどうどのごへんじ
ごうびょうのうちのこと
しっぴつ、 けんじ、がんねん、しもつきつ、みっか。54さい、p1009。
 きさつ、これをひらいてはいけんす、みおんいたみのこと、ひとたびはなげきふたたびは、よろこびぬ。
 ゆいまきつきょうに、いわく、「そのときに、ちょうじゃ、ゆいまきつ、みずからねんずらく、いねてとこに、やむうんぬん。
 そのとき、ほとけ、もんじゅしりにつげたまわく、なんじ、ゆいまきつに、ぎょうけいして、やまいをとえ」うんぬん、だいねはんきょうにいわく、「そのときに、にょらい、ないし、みにやまいあるをげんじ、みぎわきにして、ふしたもう、かのびょうにんのごとくす」うんぬん。
 ほけきょうにいわく、「しょうびょう、しょうのう」うんぬん、しかんのだいはちにいわく、「もしびやにえんがし、、やまいについて、きょうをおこす、ないし、にょらいめつによせて、じょうをだんじ、やまいによって、りきをとく」うんぬん。
 またいわく、「やまいのおこる、いんねんをあかすに、むつあり、ひとつには、しだいじゅんならざるゆえにやむ、ふたつには、おんじきせつならざる、ゆえにやむ、みっつには、ざぜんととのわざるゆえにやむ、よっつには、き、たよりをえる、いつつには、まのそい、むっつには、ごうのおこるがゆえに、やむうんぬん。だいねはんきょうに、「よに、さんにんの、そのやまいなおしがたきあり、ひとつには、だいじょうをぼうず、ふたつには、ごぎゃくざい、みっつには、いっせんだい、かくのごときさんびょうは、よのなかの、ごくじゅうなり」うんぬん。
 またいわく、「こんぜに、あくごうじょうじゅし、ないし、かならずじごくなるべし、ないし、さんぽうをくようするがゆえに、じごくにだせずして、げんせに、むくいをうく、いわゆる、こうべとめとせとのなやみ」とううんぬん。
 しかんにいわく、「もし、じゅうざいあって、ないし、にんちゅうにかるくつぐなうと、これはこれ、ごうがしゃせんとほっするゆえにやむなり」うんぬん。
 りゅうじゅぼさつの、だいろんにいわく、「とうていわく、もし、しかれば、けごんきょう、ないし、はんにゃは、らみつは、ひみつのほうに、あらず、ほっけはひみつなりとう、ないし、たとえば、だいやくしの、よくどくをへんじてくすりとなすがごとし」うんぬん。
 てんだい、、このろんをうけていわく、「たとえば、りょういの、よくどくをへんじて、くすりとなすがごとく、ないし、こんきょうの、とくきは、すなわちこれ、どくをへんじてくすりとなすなり」うんぬん。
 ゆえに、、ろんにいわく、「よきょうは、ひみつにあらず、ほっけをひみつとなすなり」うんぬん、しかんにいわく、「ほっけよくなおす、また、しょうしてみょうとなす」うんぬん。
 みょうらくいわく、「なおしかたきを、よくなおす、ゆえに、みょうとしょうす」うんぬん、だいきょうにいわく、「そのときに、おうしゃだいじょうの、あじゃせおう、そのしょうへい、あくにして、ないし、ちちをがいしおわって、こころに、げねつをしょうず。 p1010
ないし、こころ、げねつするがゆえに、へんたいきずをしょうず、そのきず、しゅうえにして、ふきんすべからず、そのときに、そのはは、いだいけとなずく、しゅじゅのくすりをもって、しかもために、これをつく、そのきずついにましてこうそんあることなし。
 おう、すなわち、ははにもうす、かくのごときのきずは、こころよりしてしょうず、しだいよりおこるにあらず、もし、しゅじょう、よくちするものありといわば、このことわりあることなけんうんぬん。
 そのときに、せそん、だいひどうし、あじゃせおうのために、がつあいさんまいにはいりたもう、さんまいにはいり、おわってだいこうみょうを、はなつ、そのひかりしょうりょうにして、ゆいて、おうのみをてらすに、みのきずすなわちいえぬ」うんぬん。
 びょうどうだいえ、みょうほうれんげきょうの、だいしちにいわく、「このきょうは、すなわちこれ、えんぶだいのひとの、やまいのろうやくなり、もしひと、やまいあらんに、このきょうをきくことをえば、やまいすなわち、しょうめつしてふろうふしならん」うんぬん。
  いじょう、かみのしょもんをひいて、ここにおんやまいをかんがうるに、ろくびようをいでず、そのなかの、ごびょうは、しばらく、これをおく、だいろくのごうびょう、もっともなおしがたし。
 はたまた、ごうびょうにかるきあり、おもきありて、たしょうさだまらず、なかんずく、ほっけひぼうの、ごうびょうもっとも、だいいちなり、しんのう、こうてい、かだ、へんじゃくも、てをこまねき、じすい、るすい、ぎば、ゆいまも、くちをとず。
 ただ、しゃくそん、いちぶつのみょうきょうのろうやくにかぎって、これをなおす、ほけきょうにいわく、かみのごとし。
 だいねはんきょうに、ほけきょうをさしていわく、「もし、このしょうほうを、きぼうするも、よく、みずからかいげし、かえりて、しょうほうにきすることあれば、ないし、このしょうほうを、のぞいて、さらにくごすることなし、このゆえに、しょうほうにげんきすべし」うんぬん。
 けいけいだいしのいわく、「だいきょうに、みずから、ほっけをさしてごくとなす」、うんぬん、またいわく、「ひとのちにたおれて、かえってちによりて、たつがごとし、ゆえにしょうのぼうをもってよこしまのおつるをすせっ」うんぬん。 せしんぼさつは、もと、しょうじょうのろんじなり、ごじくの、だいじょうをとどめんがために、ごひゃくぶの、しょうじょうろんをつくる、のちに、むじゃくぼさつに、あいたてまつりて、たちまち、じゃけんをひるがえし、いちじ、このつみを、めつせんがために、じゃくにむかってしたをきらんとほっす。
 じゃくとどめていわく、なんじ、そのしたをもって、だいじょうをさんたんせよと、しん、たちまちにごひゃくぶのだいじょうろんをつくって、しょうじょうを、はしつす。
 また、ひとつのがんをせいりつせり、われ、いっしょうのあいだ、しょうじょうを、したのうえにおかじと、しかしてのち、つみめっして、みろくのてんにしょうず。
 めみょうぼさつは、ひがしいんどのひと、ふほうぞうの、だいじゅうさんに、つらなれり、もと、げどうのちょうたりしとき、ろくびくと、ないげのじゃしょうを、ろんずるに、そのこころげんかにとけて、じゅうかをしゃせんがために、みずからこうべをはねんとぎす。
 いわく、われわれに、てきしてだごくせしむ、ろくび く、いさめとどめていわく、なんじ、こうべをきることなかれ、そのこうべと、くちとをもって、だいじょうを、さんたんせよと。 p1011
  みょう、きゅうに、きしんろんをつくって、げしょうをはしつせり、がっしの、だいじょうのはじめなり、かじょうじのきちぞうだいしは、かんどだいいちの、めいしょう、さんろんしゅうのがんそなり、ごえに、どっぽし、まんどうもっともたかし、てんだいだいしにたいして、い、こん、とうの、もんをあらそいたちどころに、じゃしゅうを、ほんぱし、ぼうじん、ほうぼうのじゅうざいをめっせんがために、ひゃくよにんの、こうとくをあいかたらいちしゃだいしを、くつしょうして、みをにくきょうとなし、こうべにりょうあしをうく。
 しちねんのあいだ、たきぎをとり、みずをくみ、こうをはいししゅうをさんじ、まんどうをたおさんがため、ほけきょうをじゅせず。
 だいしのめつご、ずいていにおうけいし、そうそくを、きょうせつし、なみだをながしてわかれをつげこきょうを、かんけんして、じえいをしんじょくす、ぼうびょうを、めつせんとほっして、かみのごとくざんげす。
 それ、おもんみれば、いちじょうのみょうきょうは、さんしょうのきんげん、い、こん、とうのみょうじゅ、しょきょうのいただきにこす。
 きょうにいわく、「しょきょうのなかにおいて、もっともそのかみにあり」またいわく、「ほっけさいだいいちなり」、でんきょうだいしのいわく「ぶつりゅうしゅう」うんぬん。
  よ、ずいぶん、だい、こん、ちなどの、もろもろのしんごんの、きょうをかんがえたるに、あえてこのもんのえつうの、みょうもんなし、ただ、い、ち、くう、ぼう、かく、しょうらの、こくえにみえたり、これにしんぬ、しゃくそん、だいにちのほんいは、かぎって、ほっけのさいじょうにあるなり。
 しかるに、ほんちょう、しんごんのがんそたるぼう、かく、しょうらの、さんだいし、にっとうのとき、い、ち、くうらのさんさんぞうの、おうわくをか、せんらにそうじょうして、きちょうしおわんぬ。
 ほっけ、しんごんぐつうのとき、さんせつちょうかのいちじょうの、みょうげつをかくして、しんごんりょうかいのけいかを、あらわしあまつさえ、ほけきょうをめりしていわく、けろんなり、むみょうのへんいきなり。
 じがいのみょうごにいわく、だいにちきょうはけろんなり、むみょうのへんいきなり、ほんしすでにまがれり、まつよう、あにちょくならんや、みなもとにごれば、ながれきよからずとう。
 これをいうか、これによって、にほんひさしく、やみよとなり、ふそうついに、たこくのしもにかれんとほっす。
  そもそも、きへんは、ちゃくちゃくのまつりゅうの、いちぶにあらずといえども、はたまた、だんなのしょじゅうなり、みはじゃけにしょして、としひさしく、こころはじゃしにそみて、つきかさなるたとい、たいざんはくずれ、たといたいかいは、かわくとも、このつみはきえがたきか。
 しかりといえども、しゅくえんのもよおすところ、また、こんじょうにじひのくんずる、しょぞんのほかに、ひんどうにちぐうして、かいごをほっきするゆえに、みらいのくをつぐなうも、げんざいに、けいそうしゅつせるげんか。
 かのじゃおうの、しんそうは、ごぎゃくひほうの、にざいのまねくところなり、ほとけ、がつあいさんまいにはいって、そのみをてらしたまえば、あくそう、たちまちにきえさんしちにちの、たんじゅをのべて、よんじゅうねんのほうざんをたもちかねては、また、せんにんのらかんをくつじょうして、いちだいのきんげんをかきあらわし、しょうぞうまつに、るふせり。 p1012
このぜんもんの、あくそうは、ただ、ほうぼうのいちかなり、しょじのみょうほうは、がつあいに、ちょうすか、あに、けいそうをいやして、ちょうじゅをまねかざらんや。
 このことば、しるしなくんば、こえをおこして、いっさい、せけんげんは、だいもうごのひと。
 いちじょうみょうきょうは、きごのてんなり、なをおしみたまわば、せそん、しるしをあらわし、ちかいをおそれたまわば、もろもろのけんりしょう、きたまもりたまえと、きょうかんしたまえと、しかいうしょは、ことばをつくさず、ことばはこころを、つくさずことごと、けんざんのときを、ごせん、きょうきょう。
 しもつき、みっか。           にちれん、かおう。
  おおたにゅうどうどの、ごへんじ。
たいごう、 おおたじょうみょう。

  • [170]
  •  太田殿 てんだいしんごんしょうれつのこと 天台真言勝劣事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月29日(木)03時15分31秒
 
 おおたどのもとごしょ。
てんだいしんごんしょうれつのこと。
しっぴつ、 けんじ、がんねん、
ぶんえいじゅうにねん、むつき24にち。ごじゅうよんさい、p1002。
 しんしゅんの、ごけいが、じたこうじん、こうじん。
  そもそもも、ぞくたい、しんたいのなかには、しょうぶをもって、せんとなしせけん、しゅっせには、こうおつをもって、さきとなすか。
 しかるに、しょきょう、しょしゅうのしょうれつは、さんごくのしょうにん、ともに、これをぞんし、りょうちょうのぐんけん、おなじく、これをしるか。
 ほけきょうと、だいにちきょうと、てんだいしゅうと、しんごんしゅうの、しょうれつは、がっし、にほん、いまだ、これをべんぜず、せいてん、とうどにも、あきらめざるものか。
 しょせん、てんだい、でんきょうの、ごときしょうにん、こうじょうにおいて、ぜひをけっせず、めいてい、かんむのごとき、こくしゅこれをきかざるゆえか。
 いわゆる、ぜんむいさんぞうなどは、ほけきょうとだいにちきょうとは、りどうじしょうなどと、じかく、ちしょうなども、このぎをぞんするか。
 こうぼうだいしは、ほけきょうをけごんきょうより、くだすなど、これらのにぎともに、きょうもんに、あらず、おなじく、じぎをぞんするか。
 はたまた、じかく、ちしょうなど、ひょうをつくってこれをそうす、もうすにしたがってちょくせんあり、きくがごとくんば、しんごん、しかん、りょうきょうのしゅうをば、おなじくだいごとごうし。
 ともにじんぴとしょうす、ないし、えたとばなおひとのりょうめ、とりのそうよくのごときものなりとう、うんぬん。
 また、じゅうかいのちょくせんあり、きくがごとくんば、さんじょうのそうら、もっぱらせんしのぎにいして、へんしゅうのこころを、じょうず、ほとんどもって、よふうをせんようし、くごうをこうりゅうすることを、かえりみずとう、うんぬん。
 よ、うまれて、まつのはじめに、こし、がくしょけんのおわりをうく、じかく、ちしょうの、しょうぎのうえに、ちょくせんかたがた、これあり、うたがいあるべからず、いちごんをも、いだすべからず。
 しかりといえども、、えんにん、えんちんのりょうだいし、せんし、でんきょうだいしの、しょうぎをこうりゃくして、ちょくせんを、もうしくだすのうたがいこれあるうえ、ぶつれかい、のががたし。
 したがって、またぼうこくのいんねん、ほうぼうのげんしょ、これにはじまるか、ゆえによのそしりを、はばからずゆう、ふゆうを、しらず、しんみょうをすてて、これをもうすなり。
  うたがっていわく、ぜんむい、こんごうち、ふくうのさんさんぞう、こうぼう、じかく、ちしょうの、さんだいし、にきょうを、そうたいして、しょうれつをはんずるのとき、あるいは、りどうじしょう、あるいはけごんきょうよりくだるとう、うんぬん。 p1003
  したがって、、また、せいけんのほうぶん、これあり、しょとく、これをもちいてとしひさし、このほかに、なんじいちぎをぞんして、しょにんをめいわくし、あまつさえ、てんかのじもくを、おどろかす、あに、ぞうじょうまんのものにあらずや、いかん。
 こたえていわく、なんじらが、ふしん もっともなり、にょいろんしの、せしんぼさつを、へいかいせる、ことばは、これなり。
 その、じょうにいわく、「とうえんのしゅと、たいぎをきそうことなく、ぐんめいのなかに、せいろんをべんずることなかれと、いい、おわってしす」うんぬん。
 ごふしん、これにあたるか、しかりといえども、ほとけ、せそんは、ほけきょうを、えんぜつするに、いちきょうの、うちに、にどのるつう、これあり。
 かさねて、いちきょうを、といて、ほけきょうをるづうす、ねはんきょうにいわく、「もし、ぜんびくあって、ほうをやぶるものをみておいて、かしゃくし、くけんし、こせしょずんば、まさにしるべし、このひとは、ぶっぽうのなかのあだなり」とう、うんぬん。
 ぜんむい、こんごうちの、りょうさんぞう、じかく、ちしょうの、にだいし、だいにちのごんきょうをもって、ほっけのじつきょうを、はえせり。
  しかるに、にちれん、よをおそれて、これをいわずんば、ぶってきとならんか、したがって、しょうあんだいし、まつだいのがくしゃを、かんびょうして、いわく、「ぶっぽうを、えらんするは、ぶっぽうのなかの、あだなり、じなくして、いつわりしたしむは、これ、かのひとの、あだなり、よくきゅうじするものは、すなわちこれ、かれがおやなり」とう、うんぬん。
 よは、このしゃくをみて、きもにそむるがゆえに、しんみょうをすてて、これを、きゅうめいするなり、だいばぼさつは、ふほうぞうの、だいじゅうよん、ししそんじゃは、にじゅうごにあたる、あるいはいのちをうしないあるいは、こうべをはねらるとうこれなり。
  うたがっていわく、きょうきょうの、じさんは、しょきょう、つねのならいなり、いわゆる、こんこうみょうきょうにいわく、「しょきょうのおう」、みつごんきょうの、「いっさいきょうちゅうのしょう」、そしっちきょうにいわく、「さんぶのなかにおいて、このきょうをおうとなす」、ほけきょうにいわく、「これ、しょきょうのおう」とう、うんぬん。
 したがって、しえのぼさつ、りょうこくの、さんぞうもかくのごとし、いかん、こたえて、いわく、たいこく、しょうこく、だいおう、しょうおう、たいけ、しょうけ、そんしゅ、こうき、おのおの、ぶんざいありしかりといえども、くにぐにの、ばんみん、みな、だいおうとごうしおなじくてんしとしょうす、せんをもって、これをぜろんば、ぼんのうを、だいおうとなし、ほけきょうをもって、てんしとしょうするなり。
  もとめていわく、そのしょういかん、こたえていわく、こんこうみょうきょうの、ぜしょきょうし、おうのもんは、ぼんしゃくの、しょきょうに、そうたいし、みつごんきょうの、いっさいきょうちゅうしょうのもんは、つぎかみに、じゅうちきょう、けごんきょう、しょうまんきょうなどを、あげて、それぞれのきょうきょうに、そうたいしていっさいきょうのなかに、すぐるとうんぬん。
 そしっちきょうの、もんは、げんもんこれをみるに、さんぶのなかにおいて、おうとなす、とううんぬん、そしっちきょうは、だいにちきょう、こんごうちょうきょうにそうたいして、おうとうんぬん。
 しかるに、ぜんむいなど、あるいは、りどうじしょうあるいは、けごんきょうより、くだるととううんぬん。 p1004   これらの、びゃくもんは、けいかを、にちがつにおなじ、たいかいを、こうがにいるるか。
  うたがって、いわく、きょうきょうのしょうれつ、これをろんじてなにかせん、こたえていわく、ほけきょうのだいしちにいわく、「よく、このきょうてんを、じゅじするもの、あれば、またまた、かくのごとし、いっさいしゅじょうのなかに、おいて、またこれ、だいいちなり」とう、うんぬん。 このきょうの、やくおうほんに、じゅうゆをあげて、い、こん、とうの、いっさいきょうに、ちょうかすとうんぬん。
 だいはちのたとえ、かねて、かみのもんにあり、しょせん、ほとけのこころのごとくならば、きょうのしょうれつを、せんずるのみにあらず、ほけきょうのぎょうじゃは、いっさいのしょにんに、すぐれたるのよし、これをとく。
 だいにちきょうなどの、ぎょうじゃは、しょざん、しゅせい、こうが、しょみんなり、ほけきょうのぎょうじゃは、しゅみせん、にちがつ、たいかいなどなり。
 しかるに、いまのよは、ほけきょうをけいべつすること、つちのごとし、たみのごとし、しんごんのびゃくにんなどを、ちょうすうして、こくしとすること、こがねのごとし、おうのごとし。
 これによって、ぞうじょうまんのもの、くにじゅうにじゅうまんす、せいてんいかりをなし、おうじ、ようけつをいたす、したたりあつまりて、ようせんをやぶるがごとく、たみのうれいつもりて、くにをほろぼす、などこれなり。
  とうていわく、ないげのしょしゃくのなかに、かくのごときのれい、これありや、こたえていわく、ししん、ごきょうが、たいそうにたてまつる、ひょうにいわく、「かひそにおもんみればたいそう、ぶんぶこうていの、せいか、こうこより、これもとむるに、いまだかくのごとくの、さかんなるもの、あらずとうぎょう、ぐしゅん、かう、いんとう、しゅうのぶんぶ、かんのぶんけいといえども、みないまだおよばざるところなり」うんぬん。
 いま、このひょうをみれば、たいそうをまんぜるおうとういべきか、せいどうのしみょう、せんしょうにこえて、さんずるところなり、しょうあんだいし、てんだいをほめていわく、「てんじくのだいろん、なおそのたぐいに、あらず、しんたんのにんし、なんぞ、わずらわしく、かたるにおよばん、これ、こようにあらず、ほっそうのしからしむるのみ」とううんぬん。
 じゅうぎほっし、かさねて、ほめていわく、「りゅうじゅ、てんじん、いまだてんだいにはしかず」でんきょうだいし、じさんしていわく、「てんだいほっけしゅうの、しょしゅうに、すぐるることは、しょえのきょうに、よるがゆえに、じさんきたならず、こいねがわくば、うちのくんしきょうを、たずねてしゅうをさだめよ」うんぬん。
 またいわく、「よく、ほっけをたもつものは、またしゅじょうのなかの、だいいちなり、すでにぶっせつによる、あにじさんならんや」うんぬん。
 いま、ぐけんをもって、これをかんがうるに、ぜんむい、こうぼう、じかく、ちしょうなどは、みな、ぶつちにたがうのみにあらず、あるいは、ほうのぬすびと、あるいは、でんきょうだいしに、さからえる、びゃくにんなり。
 ゆえに、あるいは、えんまおうのせめをこうむり、あるいは、ぼふんなく、あるいは、ことをにゅうじょうによせ、あるいは、たびたび、たいか、たいひょうにあえり、ごんしゃは、はじをしがいにあたえざるところの、ほんぶんにいするか。
  うたがっていわく、ろくしゅうのごとく、しんごんのいちしゅうも、てんだいにおちたるじょう、これありや。 p1005
 こたう、きのじゅうの、まつに、これをのせたり、したがって、でんきょうだいし、えひょうしゅうをつくって、これをあつむ、まなこあらんものは、ひらいてこれをみよ。
 ねがわしきかな、まつだいのがくしゃ、みょうらく、でんきょうの、しょうげんに、したがって、ぜんむい、じかくのぼんげんを、もちゆることなかれ、よが、もんけ、などふかくこのよしをぞんぜよ、こんじょうに、ひとをおそれてごしょうに、あくかをまねくことれなかれ。
 きょうきょう、きんげん。
 むつき24にち。           にちれん、かおう。
  おおた、きんご、にゅうどうどの
たいごう、 おおたじょうみょう。

  • [169]
  • 太田殿 だいしこうごしょ 大師講御書

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月29日(木)03時13分25秒
 
きんごどのごへんじ。
だいしこうごしょ。
    しっぴつ 、ぶんえい、7ねん、しもつき。49さい、p999。
 しかんのご、むつきついたちより、よみそうらいて、げんせあんのん、ごしょうぜんしょと、きしょうつかまつりそうらう、びんぎに、たまわりそうらうほん、すえはうせてそうらいしかども、これにすりさせてそうらう、おおくほんいるべきに、もうしそうらう。
 だいしこうに、、がもくごれん、たびそうらいおわんぬ、この、だいしこう、さんよねんにはじめてそうらうが、ことしは、だいいちにて、そうらいつるにそうらう。
 そもそも、このほうもんのこと、かんもんのうむによって、ひろまるべきか、ひろまらざるか、きょねんかたがたに、もうしてそうらいしかども、いなせのへんじ、そうらはずそうらう。
 ことし、しもつきのころ、かたがたへもうしてそうらへば、しょうしょうへんじあるかたもそうらうを、おほかた、ひとのこころもやわらぎて、さもやと、をぼしたりげにそうらう。
 またかみの、けさんにもいりてそうやらむ、これほどの、ひがごともうしてそうらへば、る、しの、にざいのうちは、いちじょうとぞんぜしが、いままでなにと、もうすこともそうらはぬは、ふしぎとをぼへそうらう、いたれるどうりにて、そうやらむ。
 また、じかいほんぎゃくなんのきょうもんも、あうべきにてそうやらむ、さんもんなんども、いにしえにも、ひゃくせんまんおくばいすぎて、どうようと、うけたまわりそうらう。
 それならず、しさいどもそうやらん、しんたん、こますでにぜんもん、ねんぶつになりて、しゅごのぜんじんの、いぬるかのあいだ、かのもうこに、したがいそうらいぬ。
 わがちょうも、またこのじゃほう、ひろまりててんだいほっけしゅうを、ゆるがせのゆへに、さんもん、あんのんならず、しだん、いはんのくにと、なりそうらいぬれば、じゅうが、はち、くは、いかんがと、みえそうらう。
 じんしんすでに、うけぬ、じゃしまたまぬがれぬ、ほけきょうのゆへに、るざいにおよびぬ、いましざいに、おこわれぬこそ、ほいならずそうらへ、あわれ、さることのしゅったいしそうらへかしと、こそ、はげみそうらいて、かたがたに、ごうげんをかきて、あげをきそうらうなり。
 すでに、としごじゅうにおよびぬ、よめいいくばくならず、いたづらにこうやにすてんみを、おなじくは、いちじょう、ほっけのかたになげて、せっせんどうじ、 p1000
 やくおうぼさつの、あとをおひせんよ、うとくのなを、こうだいにとどめてほっけ、ねはんきょうに、ときいれられ、まいらせんとねがうところなり、なんみょうほうれんげきょう。
 しもつき28にち、          にちれん、かおう。
  ごへんじ、
たいごう、 おおた、じょうみょう。

  • [168]
  • 太田殿 こんじきおうのこと 金色王事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月29日(木)03時12分6秒
 
おおたどの、にょうぼうごへんじ。
こんじきおうのこと
しっぴつ、こうあん、がんねん、ながつき、24にち。57さい、p1018。
 やぎいっこくつき、じゅうごう、ていればだいかんばつのよに、かはけるものに、みずをほどこしては、だいりゅうおうとうまれて、あめをふらして、にんでんを、やしなう。
 うえたるよに、じきをほどこせるひとは、こくおうとうまれてそのくに、ゆたかなり。
 かこのよに、こんじきともうす、だいおうましましき、そのくにをば、はらないこくともうす、じゅうにねんがあいだ、かんばつゆきて、じんみんうえしぬことおびただし。
 たくじゅうには、しにんじゅうまんし、どうろには、がいこつじゅうまんせり、そのときだいおう、いっさいしゅじょうを、あはれみて、おおくのくらをひらきて、せをほどこしたまいき。くらのなかの、たからつきて、ただいちにちのくごのみのこりてそうらいし、しゅそうを、あつめて、くようをなし、おうときさきと、しゅそうと、ばんみんと、みなうえしなんとせしほどに、てんよりおんじき、あめのごとくふりて、たいこくいちどきに、ふうきせりと、こんじきおうきょうに、とかれてそうらう。
 これもまた、かくのごとし、このくようによりて、げんせには、ふくにんとなり、ごしょうにはりょうぜんじょうどへ、まいらせたまうべし、きょうきょう、きんげん。
                 にちれん、かおう。
   おおたにゅうどうどの、にょうぼうごへんじ。
 たいごう、 おおたじょうみょうの、つま。

  • [167]
  • 太田殿 じかくだいしのこと 慈覚大師の事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月28日(水)02時43分57秒
 
じかくだいしのこと。
しっぴつ 、こうあん、さんねん、むつき、27にち。59さい、p1019。
 ぜに、さんかん、きぬのけさ、いちじょうたまいそうらいおわんぬ、ほうもんのことは、あきもとたろう、ひょうえのじょうどののごへんじに、しょうしょうしるしてそうらう、ごらんるあべくそうらう。
 なによりも、うけがたきじんしん、あいがたきぶっぽうにあいてそうらうに、ごしゃくのみに、いっしゃくのかおあり、そのかおのなか、さんずんのまなこふたつあり。
 いちさいより、ろくじゅうにおよんでおおくのものをみるなかに、よろこばしきことは、ほけきょうさいだいいちのきょうもんなり。
 あさましきことは、じかくだいしの、こんごうちょうきょうの、いただきのじを、しゃくしていわく、「いうところのいただきとは、もろもろのだいじょうのほうのなかに、おいて、さいしょうにして、むかじょうなるゆえに、いただきをもって、これになづく、ないしひとのみの、いただきもっともこれまさるがごとし。
 ないし、ほっけにいわく、ぜほうじゅう、ほういといま、まさしく、このひみつのりを、けんぜつす、ゆえにこんごうちょうというなり」うんぬん。
 またいわく、「こんごうは、たからのなかの、たからなるがごとく、このきょうもまた、しかなり、もろもろのきょうほうのなかに、もっともこれ、だいいちにして、さんぜのにょらいの、もとどりのなかの、たからなるゆえに」とううんぬん。このしゃくのこころは、ほっけさいだいいちの、きょうもんを、うばいとりて、こんごうちょうきょうに、つくるのみならず、にょにん、ししんちょう、さいいしょうの、しゃくのこころは、ほけきょうのこうべをきりて、しんごんきょうの、いただきとせり。
 これすなわち、つるのくびをきって、かえるのくびにつけけるか、しんごんのかえるも、しにぬ、ほけきょうの、つるの、おんくびもきれぬとみえそうらう。
 これこそ、じんしんうけたる、まなこのふしぎにては、そうらへ、さんぜんねんに、いちどはなひらくなるうどんげは、てんりんじょうおう、これをみる。
  くきょう、えんまんの、ほとけにならざらんよりほかは、ほけきょうの、おんてきは、みしらさんなり、いちじょうの、かたきゆめのごとく、かんがへだしてそうらう。
 じかくだいしの、おんはかは、いづれのところにありともうすこと、きこへずそうらう、せけんにいう、おんこうべは、でわのくに、りっしゃくじにありうんぬん。
 いかにも、このことは、こうべとみとは、べちのところにあるか、みょううんざすは、よしなかに、くびをきられたり、てんだいざすを、みそうらへば、でんきょうだいしは、さておき、まいらせそうらいぬ。
だいいちぎしん、だいにえんちょう、このりょうにんは、ほけきょうをしょうとし、しんごんをぼうとせり、だいさんのざす、じかくだいしは、しんごんをしょうとし、ほけきょうをぼうとせり、そのいごだいだいのざすは、そうろんにて、おもいさだむることなし。  p1020
 だいごじゅうごならびに、のごじゅうしちにだいは、みょううん、だいそうじょうざすなり、このざすは、あんげんさんねん、さつき、にちいんいんかんをこうむりて、い ずのくにへはいる、さんそう、おおつにて、いりうばいとりてのち、じしょうさんねん、しもつきに、ざすとなりて、みなもとのうしょうぐん、よりともを、ちょうぶくせしほどに、じゅえい、にねん、しもつき、19にち、よしなかに、うたれさせたまう。
 このひと、いけるとしぬと、にど、だいなんにあえり、しょうのなんは、ぶっぽうのていれい、せいけんのごはんじょうのはななり、しののちの、、ちじょくは、あくにん、ぐにん、ひぼうしょうほうのひと、まねくわざわいなり。いわゆる、だいまんばらもん、しゅり、とうなり。
  ほぼこれを、かんがえたるに、みょううんより、にいっこうしんごんのざすとなりてのち、いま、さんじゅうよだい、ひゃくよねんがあいだ、いっこうしんごんのざすにて、ほけきょうのしょりょうを、うばえるなり。
 しかれば、これらのひとびとは、しゃか、たほう、じゅっぽうのしょぶつの、だいおんてき、ぼんしゃく、にちがつ、してん、てんしょうだいじん、しょうはちまん、だいぼさつのおんかたきなりと、みえてそうらうぞ。
 わがでしら、このむねを、ぞんじてほうもんを、あんじたまうべし、きょうきょう。
 むつき27にち。      にちれん、かおう。
  おおたにゅうどうどの、ごへんじ。
たいごう、 おおたじょうみょう。

  • [166]
  • 太田殿 ほうべん、じゅりょう、かんじんのこと 方便寿量肝心事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月28日(水)02時40分46秒
 
  おおたさえもんのじょうごへんじ。
ほうべん、じゅりょう、かんじんのこと。
しっぴつ 、こうあん、がんねん、うつき、23にち。57さい、p1014。
      たいごう おおたじょうみょう。
 とうげつじゅうはちにちの、ごじょう、おなじき、にじゅうさんにちの、うまのこく、ばかりにとうらい。
 やがて、はいけんつかまつりそうらいおわんぬ、ごじょうのごとく、おふせちょうもく、じゅっかんもん、た ち、おうぎいっぽん、しょうこうにじゅうりょう、たまいそうらう。
 そもそも、もっぱらごじょうにいわく、それがし、ことしは、ごじゅうしちにまかりなりそうらへば、たいやくのとしかとおぼえそうらう。
 なにやらんして、しょうがつのげじゅんのころより、うづきのこのころにいたりそうらうまで、しんしんにくろうおおくしゅったいそうらう。
 もとより、じんしんをうくるものは、かならずしんしんに、しょびょうそうぞくして、ごたいにくろうあるべしと、もうしながらさらにうんぬん。
 このこと、さいだいいちの、なげきのことなり、じゅうにいんねんともうすほうもんあり、こころはわれらが、みは、しょくをもって、たいとなす。
 さればせんぜに、ごうをるつくゆえに、しょくをけうけ、せんぜの、あつまり、ぼんのうが、しょくをまねきあつめそうらう、かこのにいん、げんざいのごか、げんざいのさんいん、みらいのりょうかとて、さんぜしだいして、いっさいのくかをかんずるなり。
 ざいせの、にじょうが、これらのしょくをうしなはんとて、くうりにしずみ、けしんめつちして、ぼさつのごんぎょう、しょうじんのこころざしを、わすれくうりをしょうとくせんことを、しんごくとおもうなり。
 ほとけ、ほうとうのとき、これらのしんちを、だんかしたまいしなり、しかるに、しょうをこのさんがいに、うけたるもの、くをはなるるものあらんや。
 らかんのおうぐすら、なおかくのごとし、いわんやていげのぼんぷをや、さてこそ、いそぎしょうじを、はなるべしと、すすめもうしそうらへ。
  これらていの、ほうもんは、さておきぬ、ごへんは、ことしは、たいやくとうんぬん、むかし、ふぎのぎょうに、こうがともうすかわより、かめともうすうお、はっけともうす、ふみを、こうにおいて、うきでたり、ときのひと、このふみを、とりあげてみれば、ひとのしょうねんより、ろうねんのおわりまでやくのようを、あかしたり。
  p1015
  やくどしのひとの、あやうきことは、しょうすいにすむうおを、とびからすなんどが、うかがひ、ともしびのあたりにすめる、なつのむしの、かちゅうにはいらんとするがごとく、あやうし。
 きじん、ややもすれば、このひとのたましいを、うかがひ、なやまさんとす、しんないともうすときは、もろもろのかみ、みにあり、ばんじこころにかなう、しんげともうすときはもろもろのかみ、しきのいえをいでてばんじを、けんもんするなり。
 とうねんは、ごへんは、しんげともうして、、しょじんたこくへ、ゆぎょうすれば、つつしんで、じょさいとくらくを、いのりたまうべし、またもくしょうの、ひとにてわたらせたまへば、ことしは、たいやくなりとも、はるなつのほどは、なにごとか、わたらせたまうべき。
 しもんしょうきょうに、いわく、「きはかねにあって、よくようし、ひはみずをえてひかりめっし、つちはきにあいて、ときにやせ、こがねはひにはいって、きえうせ、みずはつちにあって、いかず」とう、うんぬん。
さして、ひきもうすべき、きょうもんにはあらざれども、よがほうもんは、ししつだんを、こころにかけて、もうすならば、あながちに、じょうぶつのりに、たがわざれば、しばらくせけん、ふつうのぎを、もちゆべきか。
 しかるに、ほけきょうともうすみきょうは、しんしんのしょびょうの、ろうやくなり、されば、きょうにいわく、「このきょうは、すなわちこれ、えんぶだいのひとの、やまいのろうやくなり、もしひと、やまいあらんに、このきょうを、きくことをえば、びょうそくしょうめつして、ふろうふしならん」とう、うんぬん。
 またいわく、「げんせは、あんのんにして、ごしょうにはぜんしょならん」とう、うんぬん、また、いわく、「しょよのおんてき、みなことごとくさいめつせん」とう、うんぬん。
 とりわけたてまつる、おまもり、ほうべんぽん、じゅりょうほん、おなじくはいちぶ、かきて、まいらせたく、そうらへども、とうじはさりがたき、ひまどもはいること、そうらへばりゃくして、にほんたてまつりそうらう。
 あいかまえ、あいかまえて、おんみをはなさず、かさねつつみて、ごしょじあるべきものなり、このほうべんぽんともうすは、しゃくもんの、かんじんなり。
 このほんには、ほとけ、じゅうにょ、じっそうのほうもんを、ときて、じゅっかいのしゅじょうの、じょうぶつを、あかしたまへば、しゃりほつなどは、これをきいて、むみょうのわくを、だんじ、しんいんのくらいにかなうのみならず、みらい、けこうにょらいとなりて、じょうぶつの、かくげつを、りくせかいの、あかつきのそらに、えいぜり。
 じゅっかいのしゅじょうの、じょうぶつのはじめは、これなり、とうじのねんぶつしゃ、しんごんしのひとびと、じょうぶつは、わがえきょうに、かぎれりと、ふかくしゅうするはこれらの、ほうもんを、しゅうがくせずして、みけんしんじつのきょうに、とくところの、みょうじばかりなる、じゅきをしゅうするゆえなり。
  きへんは、ひごろは、これらのほうもんに、まよいたまいしかども、にちれんがほうもんを、きいて、けんじゃなれば、ほんしゅうを、たちまちにひるがえしたまいて、ほけきょうをたもちたまうのみならず、けっくは、しんみょうよりも、このきょうをだいじとおぼしめすこと、ふしぎがなかの、ふしぎなり。
  p1016
これは、ひとえに、いまのことに、あらず、かこのしゅくえんかいはつせるにこそ、かくはおぼしめすらめ、ありがたし、ありがたし。
 つぎに、じゅりょうほんともうすは、ほんもんのかんじんなり、また、このほんは、いちぶのかんじん、いちだいしょうきょうの、かんじんのみならず、さんぜのしょぶつのせっぽうの、ぎしきの、たいようなり。
 きょうしゅしゃくそん、じゅりょうほんの、いちねんさんぜんのほうもんを、しょうとくしたまうことは、さんぜのしょぶつと、ないしょうひとしきがゆえなり。
 ただしこのほうもんは、しゃくそんいちぶつの、こしょうのみにあらず、しょぶつも、またしかなり。
 われら、しゅじょうの、むしいらい、ろくどう、しょうじのなみに、ちんぼつせしがいま、きょうしゅしゃくそんの、しょせつの、ほけきょうにあいたてまつることは、むかし、かこに、このじゅりょうほんの、くおんじつじょうの、いちねんさんぜんを、ちょうもんせしゆえなり、ありがたきほうもんなり。
  けごん、しんごんのがんそ、ほうぞう、ちょうかん、ぜんむい、こんごうち、ふくうなどがしゃくそん、いちだいしょうきょうの、かんじんなる、じゅりょうほんのいちねんさんぜんの、ほうもんをぬすみとりて、もとより、みずからのえきょうに、とかざるけごんきょう、だいにちきょうに、いちねんさんぜんありといって、とりいるるほどの、ぬすびとにばかされて、まつがく、ふかくこのけんを、すしゅうす、はかなし、はかなし。
 けっくは、しんごんのにんしのいわく、「あらそってだいごをぬすんで、かく、じしゅうに、なずく」うんぬん、またいわく、「ほけきょうのにじょうさぶつ、くおんじつじょうは、むみょうのへんいき、だいにちきょうにとくところの、ほうもんはみょうのぶんい」とう、うんぬん。
 けごんの、にんしのいわく、「ほけきょうに、とくところのいちねんさんぜんの、ほうもんは、しよう、けごんきょうのほうもんは、こんぽんのいちねんさんぜんなり」うんぬん、これ、あとかたもなきびゃくけんなり。
 しんごん、けごんきょうに、いちねんさんぜんをときたらばこそ、いちねんさんぜんというみょうもくをば、つかわめおかし、おかし、きもう、とかくのほうもんなり。
  まさしく、くおんじつじょうの、いちねんさんぜんのほうもんは、ぜんしみ、ならびに、ほけきょうのしゃくもん、じゅうよんほんまで、ひめさせたまいて、ありしが、ほんもん、しょうしゅうにいたりて、じゅりょうほんに、ときあらわしたまへり。
 このいちねんさんぜんの、ほうじゅをば、みょうほうごじの、こんごうふえの、ふくろにいれて、まつだいびんぐの、われらしゅじょうのために、のこしおかせたまいしなり。
 しょうほうぞうほうに、いででさせたまいし、ろんじ、にんしのなかにこのだいじを、しらず、ただ、りゅうじゅ、てんじんこそ、こころのそこに、しらせたまいしかども、いろにもいださせたまはず。
 てんだいだいしは、げんもん、しかんにひせんとおぼしめし、しかども、まつだいのためにや、しかん、じゅっしょう、だいしち、しょうかんのしょうにいたりて、ほぼかせかたまいたりしかども、うすはにしゃくをもうけてさてやみたまいぬ、ただ、りかんの、いちぶんをしめして、ことのさんぜんをば、しんしゃくしたまう。
  かのてんだいだいしは、しゃっけのしゅうなり、このにちれんは、ほんげのいちぶんなれば、さかんにほんもんの、じのぶんをひろむべし。
  p1017
しかるに、かくのごとき、だいじのぎりの、こもらせたまうみきょうを、かきてまいらせそうらへば、いよいよしんをとらせたまうべし。
 かんぱつほんにいわく、「まさにたって、とおくむかえて、まさにほとけを、うやまうがごとくすべし」とう、うんぬん、あんらく、ぎょうほんに、いわく、「しょてん、ちゅうやに、つねにほうのためのゆえに、しかもこれを、えいごす、ないしてんのもろもろのどうじ、もってきゅうじをなさん」とう、うんぬん。
 ひゆほんにいわく、「そのなかの、しゅじょうことごとくこれ、わがこなり」とう、うんぬん、ほけきょうのじしゃは、きょうしゅしゃくそんの、みこなれば、いかでか、ぼんでん、たいしゃく、にちがつ、しゅせいも、ちゅうや、ちょうぼに、まもらせたまはざるべきや。
 やくのとし、さいなんをはらはん、ひほうには、ほけきょうに、すぎずたのもしきかな、たのもしきかな。
  さては、かまくらに、そうらいしときは、ほそぼそもうし、うけたまわりそうらいしかども、いまは、おんごくにこじゅう、そうらうに、よりて、めんえつをごすること、さらになし。
 されば、しんちゅうに、ふくみたることも、ししゃたまずさに、あらざれば、もうすにおよばず、なげかしなげかし、とうねんのたいやくをば、にちれんにまかせたまへ。
 しゃか、たほう、じゅっぽうぶんしんの、しょぶつのほけきょうの、おんやくそくの、じつふじつは、これにてるはかべきなり、またまた、もうすべくそうらう。
 こうあん、がんねん、いぬとら、うつき、        にちれん、かおう。
 おおたさえもんのじょうどの、ごへんじ。

  • [165]
  • 太田殿 はちかん、じごくのこと 八寒地獄事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月25日(日)02時52分55秒
 
おおたどの、にょうぼうごへんじ。
はちかん、じごくのこと。
 しっぴつ 、けんじ、さんねん、しもつき、18にち。56さい、p1013。みのぶ。
 かきの、あを うら のこそで、わた じゅうりょうに、およんでそうらうか。
  この、だいちのしたは、ふたつの、じごくあり、ひとつには、ねつじごく、すみを をこし、のにひをつけせうまうのひ、くろがねのゆのごとし、ざいにんのやくることは、たいかにかみをなげ、たいかに、かなくづを、なぐるがごとし。
 このじごくへは、やきとりと、ひをかけて、かたきをせめ、ものをねたみて、むねをこがす、にょにんのおつるじごくなり。
 ふたつには、かんじごく、このじごくに、やっつあり、ねはんきょうにいわく、「はちしゅのかんぴょうじごくあり、いわゆる、あははじごく、あたたじごく、あららじごく、あばばじごく、うばらじごく、はずまじごく、くもずじごく、ふんだりじごく」うんぬん。
 この、はちだいかんじごくは、あるいはかんにせめられたるこえ、あるいは、みのいろなどにてそうらう、このくにのすわのおいけ、あるいはえっちゅうの、たてやまのかへし、かがの、しらやまの、れいのとりのはねを、とぢられ、やもめをうなの、すそのひゆる、ほろろのゆきに、せめられたるを、もて、しろしめすべし。
 かんにせめられて、をとがいの、わなめくなどを、あはは、あたた、あららなどと、もうす、かんに、せめられてみの、くれないに、にたるを、ぐれん、だいぐれんなどと、もうすなり。
 いかなるひとの、このじごくに、をつるぞともうせば、このよにて、ひとのいふくをぬすみとり、ふぼししょうなどの、さむげなるを、みまいらせて、われはあつく、あたたかにして、ちゅうやをすごすひとびとの、おつるじごくなり。
 ろくどうのなかに、てんどうともうすは、そのところにしょうずるより、いふくととのをりて、うまるるところなり、じんどうのなかにも、しょうなわしゅ、せんびゃくびくになどは、ひものたいないより、いふく、ととのをりて、うまれたまへり、これは、たうときひとびとに、、いふくをあたへたるのみならず、ふぼ、しゅくん、さんぽうにきよく、あつきころもをまいらせたるひとなり。
 しょうなわしゅと、もうせしひとは、らぎょうなりし、ひゃくしぶつに、きぬをまいらせて、せぜ、しょうじょうに、いふく、みにしたがふ。
 きょうどんみと、もうせし、にょにんは、ほとけに、きんばらえを、まいらせて、いっさいしゅじょう、きけんぶつとなりたまう。
 いま、ほけきょうに、きぬをまいらせたまう、にょにんあり、ごしょうに、はちかんじごくの、くをまぬかれさせたまうのみならず、 p1014
こんじょうには、だいなんをはらひ、そのくどくの、あまりを、なんにょの、きんだち、きぬにきぬをかさね、いろにいろをかさねたまうべし、あなかしこ、あなかしこ。
 けんじ、にねん、ひのとうし、しもつき、18にち。        にちれん、かおう、
   おおた、にゅうどうどの、にょうぼうごへんじ。

  • [164]
  • 池上殿 りょうにん、おんちゅうごしょ 両人御中御書

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)02時23分16秒
 
りょうにん、おんちゅうごしょ。
    しっぴつ、 こうあん、にねん、かんなつき、はつか。58さい、p1101。
 たいこくあじゃり、えもんの、た  いうのさかんどのなどに、もうす、こ だいしんあじゃりのぼうは、おのおのの、おんはからいにあるべきかとぞんじそうらうに、いまにひとも、じゅうせず、なんどそうらうなるは、いかなることぞ。
 ゆづりのなくばこそ、ひとびとも、はからいそうらはめ、くはしくうけたまわりそうらへば、べんのあじゃりに、ゆづられてそうらうよし、うけたまわりそうらいき。
 またいぎあるべしとも、をぼへずそうらう、それにおんもちいなきは、べちのしさいのそうらうか、そのしさいなくば、たいこくあじゃり、たゆうどのの、おんはからいとして、べんのあじゃりの、ぼうへこぼちわたさせたまいそうらへ。
 こころ、けんなるひとに、そうらへば、いかんがとこそ、をもいそうやらめ、べんのあじゃりの、ぼうをすりして、ひろくもらずば、しょにんのおんために、おたからにてこそ、そうらはんずらむめ。
 ふゆはせうまう、しげし、もし、やけなば、そむともうし、ひともわらいなん、このふみついて、りょうみっかがうちに、こときれて、おのおの、ごへんじたびそうらはん、きょうきょうきんげん。
  かんなつき、はつか、    にちれん、 かおう、
    りょうにん、おんちゅう、
 ゆづりじょうをたがうべからず。
たいごう 、にちろう 、いけがみむねなか。

  • [163]
  • 池上殿 かねき、くようしょう 銅器供養抄

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)02時21分26秒
 
ひょうえのさかんどの、にょうぼうごへんじ
かねき、くようしょう
    しっぴつ、 けんじ、さんねん、しもつき、なぬか。56さい、p1097。みのぶ。
      たいごう 、いけがみ、ひょうえのさかんの、つま
 かねのごき、ふたつ、たびおわんぬ、しゃかぶつ、さんじゅうの、おんとし、ほとけになりそめて、をはしそうらうとき、もくごにょと、もうせしにょにん、ちちのかいを、にてほとけに、まいらせんとしそうらいしほどに、いれて、まいらすべき、うつわなし。
 びしゃもんてんおうなどの、してんのう、よんはちを、ほとけにまいらせたりし、そのはちをうちかさねて、かいをまいらせしに、ほとけにはならせたまふ。
 そのはち、のちにはひとも、もらざりしかども、につねはんのみちしなり、のちに、めみょうぼさつと、もうせし、ぼさつ、つたへて、きんせんさんかんに、ほうじたりしなり。
 いまごきふたつを、せんりにをくり、しゃかぶつにまいらせたまへば、かの、ふくのごとくなるべし、くわしくはもうさずそうらう。
                    にちれん かおう
    たいごう 、いけがみ、ひょうえのさかんの、つま

  • [162]
  • 池上殿 きぬかたうら、くようのこと 絹片裏供養事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)02時17分19秒
 
ひょうえのさかんどのにょうぼうごへんじ
きぬかたうら、くようのこと、
     しっぴつ 、こうあんさんねん、しもつき25にち。58さい、p1108。
 ひょうえのさかんどの、にょうぼう、きぬかたうらたまいそうらいおわんぬ。
  このみこころは、ほけきょうのごほうぜんに、もうしあげてそうらう。
まこととは、をぼへそうらはねども、このごぼうたちの、もうしそうらうは、おんこどもはなし、よにせけん、ふつふつと、をはするともうしそうらうこそ、なげかしくそうらへども、さりともと、をぼしめしそうらへ、きょうきょう。
  しもつき25にち     にちれん、ざいごはん、
   ひょうえのさかんどの、にょうぼうごへんじ、
たいごう、 いけがみ、ひょうえさかんの、つま。

  • [161]
  • 池上殿 じゅどうぼさつごしょ 儒童菩薩御書

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月24日(土)02時11分29秒
 
ひょうえさかんどの、にょうぼうごしょ、
じゅどう、ぼさつごしょ、
    しっぴつ、 けんじ、さんねん、やよいふつか。56さい、p1094。みのぶ。
 さきたび、ぶっきまいらせさせたまい、そうらいしが、このたび、このあまごぜん、だいじのおんうまにのせさせたまいてそうらうよし、うけたまわりそうらう。
 ほうにすぎてそうらう、おんこころざしかな、これは、とのはさることにて、にょうぼうのはからひか、むかし、じゅどうぼさつともうせし、ぼさつは、ごくきのれんげを、ごひゃくのきんせんをもって、かいとり、じょうこうぼさつを、なのか、しちや、くようしたまいき。
 にょにんあり、くいとなづく、ふたくきのれんげを、もって、みずからくようして、いわく、ぼんぷにてあらんときは、せぜ、しょうじょう、めのととならん、ほとけにならんときは、どうじにほとけになるべし。
 このちかひ、くちずして、きゅうじゅういちこうのあいだ、めのととなる、けっく、じゅどうぼさつは、いまのしゃかぶつ、むかしのくいは、いまの、やしゅたらにょ。いま、ほけきょうの、かんじほんにして、ぐそくせんまんこうそうにょらい、これなり、しったたいし、だんとくせんにはいりたまいしには、こんでいこま、たいしゃくのけしん、まとうか、じくほうらんのきょうを、かんどにせわたしには、じゅうらせつ、けして、はくばとなりたまふ。
 このうまも、ほけきょうのみちなれば、ひゃくにじゅうねんおん、さかへののち、りょうぜんじょうどへ、のりたまふべき、おんうまなり、きょうきょうきんげん。
  にちれん、 かおう、
   ひょうえさかんどの、にょうぼう、
たいごう いけがみ、ひょうえさかんの、つま。

  • [160]
  • 池上殿 さんしょうしまのこと 三障四魔事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月22日(木)02時04分18秒
 
  ひょうえさかんどのごへんじ、
 さんしょうしまのこと。
    しっぴつ、 けんじ3ねん、しもつき、はつか。56さい、p1090。
 かたがたの ものふ ふたりを、もって、おくりたびてそうらう、そのこころざし べんどののおんふみに もうすげにそうらう、さてはなによりもおんために だいいちのだいじを もうしそうらうなり、しょうほう、ぞうほうのときは よもいまだ おとろへず しょうにん、けんじんも、つづきうまれそうらいき てんも ひとを まもりたまいき、まっぽうになりそうらへば ひとの とんよくやうやく すぎそうらいて しゅと しんと おやとこと あにと おとうとと じょうろんひまなし、まして たにんは もうすに およばず、これに、よりて てんも、そのくにを すつれば さんさいしちなん ないし ひふみいむなのひいでて そうもくかれ うせ しょうたいがもつき だいちはすみのごとく、おこり たいかいは あぶらのごとくになり、けっくは むげんじごくより ほのおいでて かみぼんでんまで かえん、じゅうまんすべし、これていの こといでんとて、やうやくせけんは おとろへそうらうなり、
みな ひとの おもいてそうらうは ちちには こしたがい しんは きみにかない でしは しに いすべからずとうんぬん、かしこきひとも いやしきものも しれることなり、しかれどもとんよく しんにぐちと もうす さけに よいてしゅに てきし おやをかろしめ しをあなづる つねにみへてそうらう、ただ しと しゅと おやとに したがいて あしきことをば いさめばこうようとなることは さきの おんふみにかきつけて そうらいしかばつねに ごらんあるべし。
 ただこのたび えもんのさかんどの かさねて おやの かんどうあり、とのの ごぜんにこれにて もうせしがごとく いちじょうかんどうあるべし、ひょうえのさかんどの おぼつかなし ごぜん かまえて おんこころへあるべしと もうしてそうらいしなり こんどは とのは いちじょう おちたまいぬとをぼうるなり おちたまはんを いかにともうす ことは ゆめゆめ そうらわず
 ただ じごくにて にちれんを うらみたまうことなかれ しりそうらうまじきなり せんねんの かるかやも いちどきにはひとなる ひゃくねんのこうも ひとことにやぶれそうらうは ほうのことわりなり、さえもんのたゆうどのは こんど、ほけきょうのかたきに、なり さだまり たまうと みへてそうらう、えもんのたゆうのさかんどのは こんどほけきょうのぎょうじゃになりそうらわんずらん、とのは げんぜんのはからいなれば おやにつきたまわんずらむ、ものぐるわしき ひとびとは これをほめそうらうべし、
 むねもりが おや にゅうどうのあくじに したがいて しのわらにて くびを きられし しげもりが したがわずして さきに しし いづれか おやのこうじんなる、ほけきょうのかたきに なる おやにしたがいて いちじょうのぎょうじゃなる あにをすてば おやのこうようとなりなんや、せんする ところ ひとすぢに おもいきって あにとおなじく ぶつどうを なりたまへ、おやは みょう)しょうごんおうの ごとし きょうだいは じょうぞう じょうがんなるべし、むかしと いまはかわるとも ほけきょうの ことわりは、たがうべからず、とうじもむさしのにゅうどう そこばくの しょりょう しょじゅうなどを すてて とんせあり、ましてわどのばらが わづかのことを へつらいて こころうすくて あくどうにおちて にちれんを うらみさせたまうな、かえす がへす こんど とのは おつべしと おぼうるなり。
 このほど こころざし ありつるがひきかへて あくどうに おちたまわんことが ふびんなれば もうすなり。ひゃくにひとつ せんにひとつも にちれんがぎにつかんと、おぼさば おやにむかって いいきりたまへ おやなれば、いかにもしたがい まいらせ そうらうべきが ほけきょうの おんかたきになりたまへば、つきまいらせては ふこうのみとなりぬべくそうらへば、すてまいらせて あににつき そうらうなり、あにを すてられそうらわば あにといちどうと おぼすべしともうし きり たまへ、すこしも、おそるるこころなかれ、かこおんのんごうより ほけきょうを しんぜしかども ほとけにならぬことこれなり、しをのひると、みつと つきのいづると、いると、なつとあきと ふゆとはるとの さかいには かならずそういすることあり ぼんぷの ほとけになる またかくのごとし、かならず さんしょうしまともうす(さわり いできたれば けんじゃは よろこび ぐしゃは しりぞくこれなり、このことはわざとも もうす またびんぎに と、おもいつるに おんつかいありがたし、おちたまうならば、よも この おんつかいは、あらじと、おもいそうらへば、もしやともうすなり。
ほとけになりそうらうことは このしゅみせんに はりをたてて かの しゅみせんよりいとをはなちて、そのいとの、すぐにわたりて、はりのあなに はいるよりも かたし、いわうや さかさまに おおかぜのふき むかへたらんは、いよいよかたきことぞかし、きょうにいわく「おくおくまんごうより ふかぎにいたる ときにすなわち この ほけきょうをきくことを え おくおくまんごうより ふかぎに いたる しょぶつせそんときに この きょうを ときたもう、この ゆえに ぎょうじゃ ぶつめつごにおいて かくのごときの きょうをきいて ぎわくを(しょうずること なかれ」とううんぬん、この きょうもんは ほけきょうにじゅうはちほんの なかに、ことにめづらし、じょぼんより ほっしほんにいたるまでは とうかくいかのにんてん、ししゅう、はちぶ、そのかずありしかども ほとけは ただしゃかにょらい いちぶつなり、おもくて かろきへんもあり、ほうとうほんより ぞくるいほんにいたるまでの じゅうにほんは ことに おもきがなかの おもきなり、そのゆえは しゃかぶつのみまえに たほうのほうとうゆげんせり つきのまえにひのいでたるがごとし、また じゅっぽうの しょぶつは じゅかにおわします じゅっぽうせかいのそうもくの うえにひを ともせるがごとし、このみまえにてせんせられたる もんなり。
p1092
 ねはんきょうに いわく「むかしむすうむりょうこうより このかた つねに くのうをうくいちいちの しゅじょういちこうのなかにつむ ところの ほねはおうしゃじょうのびふらさんのごとく のむところの ちちは しかいのみずの ごとく みよりいだす ところのちは しかいのみずより おおく ふもきょうだい さいしけんぞくの みょうじゅうにこうきゅうして いだところの なんだは したいかいより おおく、ちのそうもくをつくして しすんのかずとりとなし もって ふもをかずうも またつくすこと あたわじ」うんぬん。
 このきょうもんは ほとけさいごに そうりんのもとに ふしてかたり たまいし みことばなり もっとも こころを とどむべし、むりょうこうより このかた うむところのふもは じゅっぽうせかいの だいちのそうもくをしすんにきりて あて かぞうとも、たるべからずと もうす きょうもんなり、これらのふもには あいしかども ほけきょうには いまだ、あわず、されば ふもは まうけやすし ほけきょうはあひがたし、こんどあひやすき ふものことばを、そむきて、あいがたき ほけきょうのともに はなれずば わがみ、ほとけになるのみならず、そむきし おやをもみちびきなん、れいせば しったたいしは じょうぼんおうの ちゃくしなり、くにをもゆづり くらいにもつけんと、おぼして、すでに みくらいにつけまいらせたりしを みこころをやぶりて よなかしろをにげいでさせたまいしかば ふこうのもの)なりと、うらみさせたまいしかども ほとけに ならせたもうては、まづじょうぼんおう、まやふじんをこそ、みちびかせたまいしか。
p1093
 おやという、おやのよをすてて ほとけになれと もうすおやは ひとりもなきなり、これは、とによせ、かくによせて、わどのばらを じさい、ねんぶつしゃらが、つくり、おとさんために、おやを、すすめおとすなり、りょうかぼうはひゃくまんべんのねんぶつを すすめてひとびとのうちを せきて、ほけきょうのたねを、たたんと、はかると きくなり。
ごくらくじどのは いみじかりし ひとぞかし、ねんぶつしゃらにたぼらかされて にちれんをあだませたまいしかば わがみと いい そのいちもん みなほろびさせたまふ、ただいまは、えちごのかみどのひとりばかりなり、りょうかぼうを ごしんようある ひとは いみじきと ごらむあるか、なごえのいちもんのぜんこうじ、ちょうらくじ、だいぶつでんたてさせたまいて その いちもんの ならせたまうことをみよ、また こうどのは にほんこくのあるじにてをはするが、いちえんぶだいのごとくなる、かたきをえさせたまえり。
 わどの あにをすてて、あにがあとを、ゆづられたりとも、せんまんねんのさかえ、かたかるべし。しらず またわづかの ほどにや、いかんがこのよならんずらん。よくよくおもひきって いっこうに ごせをたのまるべし、かうもうすとも、いたづらのふみなるべしと、おもへば、かくも、ものうけれども、のちのおもいでに しるしもうすなり。きょうきょうきんげん。
 (しもつき)、はつか、        にちれん、 かおう。
  ひょうえのさかんどのごへんじ。




  • [159]
  • 池上殿 げんとう、しんざんごしょ 厳冬深山御書

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月22日(木)02時02分31秒
 
ひょうえさかんどの、ごへんじ、
げんとう、しんざんごしょ、
 しっぴつ 、こうあんがんねん、しもつき29にち。57さい、p1098。
  ぜに、ろくかんもんの、うちいっかん、じろうよりのぶん、しろあつわた、こそでいちりょう。
  しきにわたりて、たからを、さんぽうにくようしたまふ、いづれも、いづれも、くどくに、ならざるはなし、ただし、ときにしたがいて、しょうれつ、せんじんわかれてそうらう。
 うへたるひとには、ころもをあたへたるよりも、じきをあたへてそうらうは、いますこし、くどくまさる、こごへたるひとには、じきをあたへてそうらうよりも、ころもは、またまさる。
 はるなつに、こそでをあたへてそうらうよりも、あきふゆにあたへぬれば、また、くどくいちばいなり、これをもつて、いっさいはしりぬべし。
 ただし、このことに、をいては、しきをろんぜず、にちがつをたださず、ぜに、こめ、かたびら、きぬこそで、ひび、つきづきにひまなし。
 れいせば、びんばしやらわうの、きょうしゅしゃくそんに、ひびに、ごひゃくりょうの、くるまををくり、あそかだいおうの、じゅうおくのさきんを、けいずまてらに、せせしがごとし、だいしょうことなれども、こころざしは、それにもすぐれたり。
 そのうえ、ことしは、しさいそうらう、ふゆともうすふゆ、いづれのふゆか、さむからざる、なつともうすなつ、いづれのなつか、あつからざる。
 ただし、ことしは、よこくは、いかんがそうやらん、この、はきゐは、ほうにすぎて、かんじそうらう、ふるきをきなどにも、とひそうらへば、はちじゅう、きゅうじゅう、ひゃくになるものの、ものがたりそうらうは、すべて、いにしへ、これほどさむきこと、そうらはず、この、あんじちより、しほうのやまのそと、じゅっちょう、にじゅうちょう、ひとかようこと、そうらはねば、しりそうらはず。
 きんぺん、いっちょうのほどは、ゆきいちじょう、にじょう、ごしゃくなどなり、このうるう、かんなずき、さんじゅうにち、ゆきすこしふりてそうらいしが、やがて、きへそうらいぬ。
 このつきの、じゅういちにち、たつのとき、よりじゅうよっかまで、おおゆきふりて、そうらいしに、りょうさんにち、へだてて、すこし、あめふりて、ゆきかたくなること、こんごうのごとし。
 いまにきゆることなし、ひるも、よるも、さむくつめたくそうらうこと、ほうにすぎてそうらう、さけはこをりていしのごとし、あぶらはかねににたり、なべ、かま、は、すこしみずあれば、こおりてわれ、かんいよいよかさなりそうらへば、きものうすく、じきともしくして、さしいづるものも、なし。
 ぼうは、はんさくにて、かぜゆきたまらず、しきものはなし、きは、さしいづるものも、なければ、ひもたかず、
p1099
  ふるき、あかづきなんどして、そうらう、こそで、ひとつなんど、きたるものは、そのみのいろぐれん、だいぐれんのごとし、こへは、、はは、だいばばじごくにことならず、てあし、かんじてきれさけひとしぬことかぎりなし。
 ぞくのひげをみれば、やうらくをかけたり、そうのはなをみればすずをつらぬきかけて、そうらう、かかるふしぎそうらはず、そうらうに、こぞの、しわすの、さんじゅうにちより、はらのけのそうらいしが、はる、なつやむことなし。
 あきすぎて、かんなづきのころ、だいじになりて、そうらいしが、すこして、へいゆ、つかまつりてそうらへども、ややも、すればをこりそうらうに、きょうだい、ふたりのふたつのこそで、わたよんじゅうりょう、1、6㎏をきてそうらうが、なつのかたびらのやうにかるくそうらうぞ。
 まして、わたうすく、ただぬのものばかりのもの、をもひやらせたまへ、このふたつのこそでなくば、ことしは、こごへしに、そうらうなん。
 その、うえ、きょうだいともうし、うこんのじょうのことともうし、じきもあいついてそうらう、ひとはなきときは、よんじゅうにん、あるときは、ろくじゅうにん、いかにせきそうらへども、これにあるひとびとの、あにとて、しゅったいし、しゃていとて、さしいで、しきゐそうらいぬれば、かかはやさに、いかにとももうしいへず、こころにはしずかに、あじちむすびて、こほっしと、わがみばかり、みきょうよみまいらせんとこそ、ぞんじてそうらうに、かかるわづらはしきこと、そうらはず。
 また、としあけそうらわば、いづくへも、にげんとぞんじそうらうぞ、かかる、わづらわしきこと、そうらはず、またまたもうすべくそうらう。
 なによりも、えもんのたゆうのさかんと、とのとの、おんこと、ちちのおんなかともうし、かみのをぼへともうし、めんにあらずばもうしつくしがたし、きょうきょう、きんげん。
 しもつき、29にち       にちれん、 かおう、
  ひょうえさかんどの、ごへんじ、
たいごう 、いけがみ、ひょうえさかん。



  • [158]
  • 池上殿 きょうだいどうしん、ごしょ 兄弟同心御書

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月20日(火)02時34分40秒
 
ひょうえさかんどの、ごへんじ、
きょうだいどうしん、ごしょ、
 しっぴつ、 こうあん、さんねんしもつき。59さい、p1108 。

 わが、ほけきょうも、ほんじゃくわごうして、りやくをむりょうにあらはす、おのおの、ふたり、またかくのごとし、ふたりどうしんして、おおごしょ、こうどの、ほっけどう、はちまんなど、つくりまいらせたまうならば、これはほけきょうの、ごりしょうと、をもわせたまわざるべき。
 ふたりいちどうのぎは、くるまのふたつのわのごとし、とりの、ふたつのはねのごとし、たとい、さいしなどのなかの、たがわせたまうとも、ふたりのおんなか、ふわなるべからず、おそれそうらへども、にちれんを、たいとしとをもひ、あわせたまへ。
 もし、なかふわにならせたまうならば、ふたりのみょうがいかんがあるべかるらめと、おぼしめせ、あなかしこ、あなかしこ、おのおのみわき、かたきもたせたまいたるひとびとなり、うちよりろんいできれば、いっぽうのあいひしぐも、ぎょふのをそれあるべし、なむみょうほうれんげきょうと、おんとなえつつしむべし、つつしむべし、きょうきょう。
  しもつき12にち、       にちれん、 ざいごはん、
   ひやうえのさかんどの、ごへんじ。
たいごう、 いけがみひょうえさかん。


  • [157]
  • 池上殿 かまたり、ぞうぶつじ 鎌足造仏事

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月20日(火)02時32分13秒
  • 編集済
 
ひょうえさかんどの、ごへんじ、
かまたり、ぞうぶつじ、
    しっぴつ、 けんじ、さんねん、はつき、21にち。56さい、p1089 。
または、けんじがんねん、はつき。。

 がもく、にかんもん、むさしぼう、えんいんぼうをつかいにて、たびそうらいおわんぬ。
  にんのう、さんじゅうろくだい、こうぎょくてんのうともうせし、おうは、にょにんにてをはしき。
 そのとき、いるかのおみともうすものあり。
あまり、おごりの、ものぐるわしさにおういを、うばはんと、ふるまいしを、てんのうおうじたち、ふしぎとは、をぼせしかども、いかにも、ちから、およばざりしほどに、おおえのおうじ、かるのおうじなど、なげかせたまいて、なかとみのかまこと、もうせししんに、もうしあわせさせたまいしかば、しんもうさく、いかにも、じんりきは、かなうべしとは、みへそうらはず。
 うまこが、れいをひきて、きょうしゅしゃくそんの、みちからならずば、かないがたしともうせしかば、さらばとて、しゃくそんをつくりたてまつりて、いのりしかば、いるかほどなくうたれにき。
  この、なかとみのかまこともうすひとは、のちにはせいをかへて、ふじわらのかまたりともうし、ないだいじんになりだいしょくかんともうすひと、いまの、いちのひとの、ごせんぞなり。
 この、しゃかぶつは、いまのこうふくじのほんぞんなり、されば、おうのおうたるも、しゃかぶつ、しんのしんたるもしゃかぶつ、しんこくのぶっこくとなりしことも、えもんのたいうどのの、おんふみとひきあわせて、こころへさせたまへ。
 きんだいの、たこくに、うばわれんとすること、しゃくそんを、いるがせにするゆえなり、かみのちからも、およぶ、べからずともうすはこれなり、おのおの、ふたりは、すでにとこそ、ひとはみしかども、かくいみじくみへさせたまうは、ひとえに、しゃかぶつ、ほけきょうのおんちからなりと、をぼすらむ。 p1090
 また、これにも、をもひそうらう、 ごしょうの、たのもしさもうすばかりなし、これよりのちも、いかなることありとも、すこしもたゆむことなかれ、いよいよ、はりあげてせむべし、たとひ、いのちにぶおよとも、すこしも、ひるむことなかれ、あなかしこ、あなかしこ、きょうきょうきんげん。
  はつき21にち、     にちれん、 かおう、
   ひょうえさかんどの、ごへんじ、
たいごう、 いけがみ、ひょうえさかん。

  • [156]
  • 池上殿 しょうだい、いっぺんのこと、

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月20日(火)02時30分11秒
 
ひょうえさかんどの、ごへんじ 、
しょうだい、いっぺんのこと、
    しっぴつ、 けんじさんねん、みなつき18にち。56さい、p1104。
またはこうあん、よねん、みなつき。60さい。

 せいふ、ごかんもん、おくりたびおわんぬ。
  となえたてまつる、なんみょうほうれんげきょう、いっぺんのこと、きょうきょう。
  みなつき、18にち。        にちれん、 かおう、
   ひょうえさかんどの、ごへんじ、
たいごう、 いけがみひょうえさかん。

  • [155]
  • 池上殿 ふほうぞう、れっき 付法蔵列記

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月20日(火)02時27分32秒
 
たゆうのさかんどの、ごへんじ。
 ふほうぞう、れっき。
    しっぴつ 、こうあん、、さんねん、しもつき、25にち。59さい、p1103。
 こそでひとつ、ひたたれさんぐ、おなじくこしさんぐとう、うんぬん、こそでは、しちかん、ひたたれならびにこしは、じゅっかん、いじょうじゅうしちかんもんにあたれり。
  それ、おもんみれば、てんだいだいしの、みくらいをしょうあんだいし、あらわしていわく、「しかんのだいいちに、じょもんをひいていわく、あんぜんとしてけす、くらいごほんにこしたまへり。
 ゆえに、きょうにいわく、よんひゃくまんのく、なゆたのくにのひとに、ほどこすに、いちいちに、みなしっぽうをあたえまた、けして、ろくつうをえしむるすら、しょずいきのひとに、しかざること、ひゃくせんまんばいせり。
 やいわん、ごほんをや、もんにいわく、そく、にょらいのつかいなり、にょらいのしょけんとして、にょらいのじをぎょうず」とう、うんぬん。
 でんきょうだいし、てんだいだいしを、しゃくしていわく、「いま、わがてんだいだいしは、ほけきょうをとき、ほけきょうをしゃくし、ぐんにとくしゅうし、とうにどっぽす」うんぬん。
 またいわく、「あきらかにしんぬ、にょらいのつかいなり、ほむるものは、ふくをあんみょうにつみそしるものは、つみをむげんにひらく」と、うんぬん。
 かくのごときは、しばらくこれをおく、めつごいちにちより、しょうぞう、にせんよねんのあいだ、ほとけのおんつかい、にじゅうよにんなり。
 いわゆる、だいいちは、だいかしょう、だいには、あなん、だいさんは、までんだい、だいよんは、しょうなわしゅ、だいごは、きくた、だいろくは、だいたか、だいしちは、みしゃか、だいはちは、ぶつだなんだい。だいくは、ぶつだみつた、だいじゅうは、きょうびく、だいじゅういちは、ふなしゃ、だいじゅうには、めみょう。
 だいじゅうさんは、びら、だいじゅうよんは、りゅうじゅ、だいじゅうごは、だいば、だいじゅうろくは、らご、だいじゅうしちは、そうぎゃなんだい、だいじゅうはちは、そうぎゃやしゃ、だいじゅうきゅうは、くまらだ、だいにじゅうは、しゃやな。
 だいにじゅういちは、ばんだ、だいにじゅうには、まぬら、だいにじゅうさんは、かくろくやおしゃ、だいにじゅうよんは、ししそんじゃ。
 このにじゅうよにんは、こんくのきするところの、ふほうぞうきょうに、のす、ただししょうじょう、ごんだいじょうきょうの、おんつかいなり、いまだほけきょうのおんつかいにはあらず。
  さんろんしゅうの、いわく、「どうろうきちぞうは、ほとけのつかいなり」、ほっそうしゅうのいわく、「げんじょう、じおんは、ほとけのつかいなり」、けごんしゅうのいわく、「ほうぞう、ちょうかんは、ほとけのつかいなり」。
 しんごんしゅうのいわく、「ぜんむい、こんごうち、ふくう、けいか、こうぼうらは、ほとけのつかいなり」。
 にちれん、これをかんへていわく、まったく、ほとけのつかいにあらず、まったくだいしょうじょうのつかいにも、あらず、これを、くようせば、わざわいをまねき、これをぼうぜば、ふくをいたさん。
 とう、なんじのじぎか、こたえていわく、たとひじぎなりといえども、うもん、うぎならば、なんのとがあらん。
p1104
しかりといえどもしゃくあり、でんきょうだいしいわく、「だれか、ふくをすて、つみをしたうものあらんや」、うんぬん、ふくをすてるとは、てんだいだいしを、すてるひとなり。
 つみをしたうとは、かみにあぐるところの、ほっそう、さんろん、けごん、しんごんのがんそなどなり。
 かのしょしを、すてにいっこう、てんだいだいしをくようするひとの、そのふくを、いまもうすべし、さんぜん、だいせんせかいと、もうすは、とうざいなんぼく、いちしゅみせん、ろくよくぼんでんを、いち、してんげとなづく。
 ひゃくおくのしゅみせん、ししゅうなどを、しょうせんという、しょうせんの、せんを、ちゅうせんという、ちゅうせんの、せんを、だいせんともうす。
 このさんぜんせかいを、ひとつにして、よんひゃくまんおく、なゆたこくの、ろくどうのしゅじょうを、はちじゅうねんやしなひ。
 ほけきょうより、ほかの、い、こん、とうの、いっさいきょうを、いちいちのしゅじょうに、どくせじゅさせて、さんみょうろくつうの、あらかん、ひゃくしぶつ、とうかくの、ぼさつとなせる、ひとりのだんなと、せけんしゅっせの、たからをいちぶも、ほどこさぬひとの、ほけきょうばかりを、いちじ、いっく、いちげたもつひとと、そうたいしてくどくを、ろんずるに、ほけきょうのぎょうじゃの、くどくすぐれたること、ひゃくせんまん、おくばいなり。
 てんだいだいし、これにすぐれたること、ごばいなり、かかるひとを、くようすれば、ふくをしゅみせんにつみたまうなりと、でんきょうだいしことはらせ、たまひてそうらう。
 このよしを、にょうぼうには、もうさせたまへ、きょうきょうきんげん。
 かおう、  たゆうの、さかんどの、ごへんじ、
たいごう、 いけがみ、むねなか。


  • [154]
  • 池上殿  きょうだいしょう  9

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月18日(日)02時51分9秒
 
このしゃくに、さんしょうともうすは、ぼんのうしょう、ごうしょう、ほうしょうなり、ぼんのうしょうともうすは、とんじんちなどによりて、しょうげしゅったいすべし、ごうしょうともうすは、さいしなどによりて、しょうげしゅったいすべし、ほうしょうと、もうすは、こくしゅ、ふぼなどに、よりて、しょうげしゅったいすべし、また、しまのなかに、てんしまと、もうすも、かくのごとし、いま、にほんこくに、われも、しかんをえたり、われもしかんをえたり、というひとびと、だれか、さんしょうしま、きそへるひとあるや、これに、したがえば、にまさひとをして、あくどうに、むかわしむと、もうすは、ただ、さんあくどうのみならず、にんでん、きゅうかいを、みなあくどうとかけり、されば、ほけきょうを、のぞきて、けごん、あごん、ほうとう、はんにゃ、ねはん、だいにちきょうなどなり、てんだいしゅうを、のぞきて、よの、ひちしゅうのひとびとは、ひとをあくどうに、むかわしむる、ごくそつなり、てんだいしゅうの、ひとびとのなかにも、ほけきょうを、しんずるやうにて、ひとをにぜんへやるは、あくどうに、ひとをつかわす、ごくそつなり。
 いま、ふたりのひとびとは、いんしと、れっしとのごとし、ひとりもかけなば、じょうずべからず、たとえば、とりのふたつの、はね、ひとのりょうげんのごとし、また、ふたりのごぜんたちは、このひとびとの、だんなぞかし、にょにんとなることは、ものにしたがって、ものをしたがえるみなり、おとこたのしくば、つまもさかふべし、おとこぬすびとならば、つまも、ぬすびとなるべし、これ、ひとえに、こんじょうばかりのことにはあらず、せぜ、しょうじょうに、かげとみと、はなとこのみと、ねとはとのごとくにて、おはするぞかし、きにすむむしは、きをはむ、みずにあるさかなは、みずをくらふ、しばかるれば、らんなく、まつ、さかうれば、かしわよろこぶ、くさきすら、かくのごとし、ひよくと、もうすとりは、みはひとつにて、かしらふたつあり、ふたつのくちよりはいるもの、いっしんを、やしなふ、ひほくと、もうすさかなは、いちもくづつあるゆえに、いっしょうがあいだ、はなるることなし、おとこと、つまとは、かくのごとし、このほうもんの、ゆへには、たとひ、おとこに、がいせらるるとも、くゆることなかれ、いちどうして、おとこのこころを、いさめば、りゅうにょがあとをつぎ、まつだいあくせの、にょにんのじょうぶつのてほんと、なりたまうべし、かくのごとく、おはさば、たとひ、いかなることありとも、にちれんが、にしょう、にてん、じゅうらせつ、しゃか、たほうにもうして、じゅんじしょうに、ほとけになし、たてまつるべし、こころのしとは、なるとも、こころをしとせざれとは、ろくはらみつきょうのもんなり。
 たとひ、いかなる、わづらはしきことありとも、ゆめになして、ただほけきょうのことのみ、さはぐらせ、たまうべし、なかにも、にちれんが、ほうもんは、いにしえへこそ、しんじがたかりしが、いまは、さきざき、いひをきしこと、すでにあひぬれば、よしなく、ぼうぜしひとびとも、くゆる、こころあるべし、たとひ、これよりのちに、しんずる、なんにょありとも、おのおのには、かへおもふべからず、はじめは、しんじてありしかども、せけんの、をそろしさに、すつる、ひとびとかずをしらず、
p1089
  そのなかに、かえって、もとより、ぼうずるひとびとよりも、ごうじょうに、そしるひとびと、また、あまたあり、ざいせにも、ぜんしょうびくなどは、はじめは、しんじてありしかども、のちに、すつるのみならず、かえって、ほとけを、はうじたてまつりしゆへに、ほとけもかないたまはず、むげんじごくに、をちにき、このおんふみは、べっして、ひやうへのさかんどのへ、まいらせそうらう、また、たゆうのさかんどののにょうぼう、ひょうえのさかんどのの、にょうぼうに、よくよく、もうしきかせ、させたまうべし、きかせさせたまうべし、なむみょうほうれんげきょう、なむみょうほうれんげきょう。
       にちれん かおう


  • [153]
  • 池上殿  きょうだいしょう  8

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月18日(日)02時48分57秒
 
かなしくもあり、よろこばしくもあれども、ものいはず、かくのごとくして、とし、ろくじゅうゆうごになりぬ、わがつま、かたりていわく、なんじもし、ものいはずば、なんじが、いとをしみのこを、ころさんという、ときに、われおもはく、われすでに、としおとろへぬ、このこを、もしころされなば、また、こを、まうけがたしと、おもいつるほどに、こえをおこすと、をもへば、をどろきぬと、いいければ、しがいわく、ちからおよばず、われもなんじも、まに、たぼらかされぬ、ついに、このこと、じょうぜずと、いいければ、れっしおおいに、なげきけり、わがこころよはくして、しのせんぽうを、じょうぜずと、いいければ、いんしがいわく、がわとがなり、かねて、いましめざりけることをとくゆ、しかれども、れっし、しのおんを、ほうぜざりけることを、なげきて、ついに、おもひしに、ししぬと、かかれてそうらう、
 せんのほうと、もうすは、かんどには、じゅけよりいでて、がっしには、げどうのほうの、いちぶんなり、いうにかひなき、ぶっきょうのしょうじょう、あごんきょうにもおよばず、いわんや、つう、べつ、えんをや、いわんや、ほけきょうに、およぶべしや、かかる、あさきことだにも、じょうぜんとすれば、しまきそいて、じょうじがたし、いかに、いわんや、ほけきょうのごくり、なむみょうほうれんげきょうの、しちじをはじめてたもたん、にほんこくの、ぐつうのはじめならん、ひとのでし、だんなとならん、ひとびとの、たいなんのきたらんことをば、ことばをもつて、つくしがたし、こころをもつて、をしはかるべしや。
 されば、てんだいだいしの、まかしかんと、もうすふみは、てんだいいちごの、だいじ、いちだいしょうぎょうの、かんじんぞかし、ぶっぽう、かんどにわたって、ごひゃくよねん、なんぼくのじゅっし、ちは、にちげつにひとしく、とくは、しかいに、ひびきしかども、いまだ、いちだいしょうぎょうの、せんじん、しょうれつ、ぜんご、しだいには、めいわくしてこそ、そうらいしが、ちしゃだいし、ふたたび、ぶっきょうを、あきらめさせたまうのみならず、みょうほうれんげきょうの、ごじの、くらのなかより、いちねんさんぜんの、にょいほうじゅを、とりいだして、さんごくの、いっさいしゅじょうに、あまねくあたえへ、たまへり。
 このほうもんは、かんどにはじまるのみならず、がっしのろんじまでも、あかし、たまはぬことなり、しかれば、しょうあんだいしの、しゃくにいわく 「しかんのみょうじょうなる、ぜんだいにいまだきかず」うんぬん、またいわく 「てんじくのだいろん、なおそのたぐいにあらず」とううんぬん。
  その、うえまかしかんの、だいごのまきの、いちねんさんぜんは、いまいちじゅう、たちいりたる、ほうもんぞかし、この、ほうもんを、もうすには、かならず、ましゅったいすべし、まきそはずば、しょうほうとしるべからず、だいごのまきにいわく 「ぎょうげすでに、つとめぬれば、さんしょうしま、ふんぜんとして、きそいおこる、ないし、したがう べからず、おそるべからず、これに、したがえば、まさにひとをして、あくどうに、むかわしむ、これをおそれば、しょうほうを、しゅうすることを、さまたぐ」とううんぬん、このしゃくは、にちれんが、みにあたるのみならず、もんけの、めいきょうなり、つつしんで、いならいつたえて、みらいのしりょうとせよ。
  p1088

  • [152]
  • 池上殿  きょうだいしょう  7

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月18日(日)02時46分54秒
  • 編集済
 
さて、にんとく、くらいに、つかせたまいたりしかば、くにをだやかなるうえ、しんら、はくさひ、かうらいも、にほんこくに、したがひて、ねんぐを、そうはちじゅうそなへけると、こそみへてそうらへ。
 けんおうのなかにも、きょうだい、をだやかならぬ、れいもあるぞかし、いかなるちぎりにて、きょうだいかくは、をはするぞ、じょうぞう、じょうげんの、ふたりのたいしのうまれかはりて、をはするか、やくおう、やくじょうの、ふたりか、たゆうのさかんどのの、おんをやの、ごかんきは、うけたまわりしかども、ひやうへのさかんどのの、ことは、こんどは、よも、あにには、つかせたまわじ、さるにては、いよいよたゆうのさかんどののをやのごふしんは、をぼろげにては、ゆりじなんど、をもってそうらへば、この、わらわの、もうしそうらうは、まことにてやそうやらん、ごどうしんと、もうしそうらへば、あまりのふしぎさに、べつのおんふみを、まいらせそうらう、みらいまでの、ものがたり、なにごとか、これにすぎそうらうべき。
せいいきと、もうすもんにかきてそうらうは、がっしに、はらなっしこく、せろくりんと、もうすところに、ひとりのいんしあり、せんのほうをじょうぜんと、をもう、すでに、がりゃくをへんじて、たからとなし、じんちくのかたちをかえけれども、いまだ、ふううんにのつて、せんぐうには、あそばざりけり、このことを、じょうぜんがために、ひとりのれっしを、かたらひ、ちょうとうをもたせて、だんのすみにたてて、いきをかくし、ことばをたつ、よひより、あしたにいたるまで、ものいわずば、せんのほう、じょうずべし、せんをもとむる、いんしは、だんのなかに、ざして、てにちょうとうを、とって、くちにしんじゅを、ずうす、やくそくしていわく、たとひ、しなんとすることありとも、うものいことなかれ、れっしいわく、しすとも、ものいはじ、このごとくして、すでに、よなかをすぎて、よるまさに、あけんとするとき、いかんが、おもいけん、れっし、おおいにこえをあげて、よばはる、すでに、せんのほうじょうぜす、いんしれっしに、いっていわく、いかに、やくそくをば、たがふるぞ、くちおしきことなりという、
 れっし、なげいていわく、すこしねむってありつれば、むかししつかへし、しゅじんみずからきたりて、せめつれども、しのおんあつければ、しのんで、ものいはず、かのしゅじん、いかって、くびをはねんという、されど、また、ものいはず、ついに、くびをきりつ、ちゅういんに、おもむく、わがしかばねを、みればおしくなげかし、されど、ものいわず、ついに、みなみいんどのばらもんのいえに、うまれぬ、にゅうたい、しゅったいするに、だいくしのびがたし、されどいきをいださず、また、ものいはず、すでに、かじゃとなりて、つまを、とつぎぬ、また、おやしぬ、また、こを、まうけたり、
p1087

  • [151]
  • 池上殿  きょうだいしょう  6

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月18日(日)02時45分14秒
 
ひに、いちにど、やまえのぼり、よるに、さんよど、うまにくらを、をく、げんしんにしゅらどうを、かんぜり、おのおのの、せめられさせたまうことも、せんするところは、こくしゅの、ほけきょうの、かたきと、なれるゆへなり、こくしゅのかたきと、なることは、じさいなど、ねんぶつしんごんしなどが、ほうぼうより、をこれり、こんど、ねうしくらして、ほけきょうの、ごりしょう、こころみさせたまへ。
にちれんも、またごうじょうに、てんにもうしあげそうろうなり、いよいよ、をづるこころね、すがた、をはすべからず、さだんで、にょにんは、こころよはく、をはすれば、ごぜたちは、こころひるがへりてや、をはすらん、がうじやうに、はがみをして、たゆむこころなかれ、れいせば、にちれんが、へいの、さえもんのじょうが、もとにて、うちふるまいいゐしがごとく、すこしも、おづる、こころなかれ、わだが、ことなりしもの、わかさのかみが、ことなりし、まさかど、さだとうが、ろうじゅうなどと、なりしもの、ほとけになるみちには、あらねども、はぢを、おもへば、いのちをしまぬ、ならいなり、なにと、なくとも、いちどのしは、いちじょうなり、いろばし、あしくて、ひとに、わらはれさせ、たまうなよ。
 あまりに、をぼつかなくそうらへば、だいじの、ものがたりひとつ、もうす、はくひ、しゅくせいと、もうせしものは、こちくこくの、おうの、ふたりのたいしなり、ちちのおう、おとの、しゅくせいに、くらいをゆづりたまいき、ちちししてのち、しゅくせい、くらいにつかざりき、はくひがいわく、くらいにつきたまえ、しゅくせいが、いわく、あに、くらいをつぎたまえ、はくひが、いわく、いかに、おやのゆいごんをば、たがへたまうぞと、もうせしかば、おやのゆいごんは、さることなれども、いかんがあにを、をきては、くらいには、つくべきと、じたいせしかば、ふたりともに、ふぼのくにをすてて、たこくへ、わたりぬ、しゅうのぶんおうに、つかへしほどに、ぶんおう、いんのちゅうおうに、うたれしかば、ぶおう、ひゃっかにちがうちに、いくさを、をこしき、はくひ、しゅくせいは、ぶおうのうまのくちに、とりつきて、いさめていわく、をやの、ししてのち、さんかねんがうちに、いくさを、をこすは、あにふこうに、あらずや、ぶおういかりて、はくひ、しゅくせいをうたんと、せしかば、たいこうぼうせいして、うたせざりき、ふたりは、このおうを、うとみて、すやうと、もうすやまに、かくれゐて、わらびを、をりて、いのちを、つぎしかば、ましと、もうすものゆきあひて、いわく、いかに、これには、をはするぞ、ふたり かみのくだんことを、かたりしかば、ましがいわく、さるにては、わらびは、おうのものにあらずや、
p1085
 ふたり、せめられて、そのときより、わらびをくわず、てんは、けんじんをすてたまわぬ、ならひなれば、てん、はくろくとげんじて、ちちを、もって、ふたりをやしなひき、はくろくさってのちに、しゅくせいがいわく、この、はくろくの、ちをのむだにも、うまし、まして、にくを、くわんと、いゐしかば、はくひ、せいししかども、てんこれを、ききて、きたらず、ふたり、うへてしににき、いっしょうが、あいだ、けんなりし、ひとも、いちごんに、みをほろぼすにや、おのおのも、おこころのうちは、しらずそうらへば、をぼつかなし、をぼつかなし。
 しゃかにょらいは、たいしにて、をはせしとき、ちちのじょうぼんおう、たいしを、をしみたてまつりて、しゅっけをゆるしたまわず、しもんに、にせんにんの、つわものをすへて、まほらせたまひしかども、ついに、をやの、みこころを、たがへて、いえを、いでさせたまいき、いっさいは、をやに、したがうべきにてこそそうらへども、ほとけになるみちは、したがわぬがこうようの、もとにてそうらうか、されば、しんちかんぎょうには、こうようのもとを、とかせたまうには、きおんにゅうむい、しんじつほうおんしゃとううんぬん、いうこころは、まことのみちにはいるには、ふぼのこころに、したがわずして、いえをいで、ほとけになるが、まことのおんを、ほうずるにてはあるなり。
 せけんのほうにも、ふぼの、むほんなんどを、をこすにはしたがわぬが、こうようと、みへてそうらうぞかし、こうきょうともうすきょうに、みへてそうらう、てんだいだいしも、ほけきょうの、さんまいにはいらせたまいて、をはせしときは、ふぼ、さゆうのひざに、じゅうして、ぶつどうを、さえんとしたまいしなり、これ は、てんまのふぼのかたちを、げんじてさうるなり。
 はくひ、すくせいが、いんねんは、さきにかきそうらいぬ、また、だいいちのいんねんあり、にほんこくの、にんのう、だいじゅうろくだいに、おうをはしき、おうじんてんのうともうす、いまのはちまんだいぼさつこれなり、このおうのみこ、ふたりまします、いろえのみこをば、にんとく、いろとのみこは、うじのみこてんのう、つぎのうじのみこに、くらいを、ゆづりたまいき、おうほうぎょ、ならせたまいてのち、うじみこのいわく、いろえくらいにつきたまうべし、あにのいわく、いかに、をやの、おんゆづりをば、もちゐさせたまわぬぞ、かくのごとく、たがいにろむじて、さんかねんがあいだ、くらいに、おうをはせざりき、ばんみんのなげき、いふばかりなし、てんかのさいにて、ありしほどに、う じのみこ、いわく、われいきて、あるゆへに、あにくらいにつきたまわずといって、かくれさせたまいにき、  にんとくこれを、なげかせたまいて、またふししづませ、たまいしかば、うじのみ こいきかへりて、やうやうに、をほせ、をかせたまいて、またひきいらせ、たまいぬ。
p1086

  • [150]
  • 池上殿 きょうだいしょう 5

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月17日(土)00時20分17秒
 
もんのこころは、われらかこに、しょうほうを、ぎょうじけるものに、あだをなしてありけるが、いま、かへりて、しんじゅすれば、かこにひとを、ささえるつみにて、みらいに、だいじごくに、おつべきが、こんじょうに、しょうほうを、ぎょうずる、くどく、ごうじょうなれば、みらいの、だいくを、まねぎこして、しょうくにあうなり、このきょうもんに、かこの、ひぼうによりて、やうやうの、かほうを、うくるなかに、あるいは、ひんけにうまれ、あるいは、じゃけんのいえに、うまれ、あるいは、おうなんに、あうとううんぬん、このなかに、じゃけんのいえともうすは、ひぼうしょうほうの、いえなり、おうなんなどともうすは、あくおうに、うまれあうなり、このふたつのたいなんは、おのおののみにあたって、をぼへつべし。
 かこの、ほうぼうの、つみを、めつせんとて、じゃけんのふぼに、せめられさせたまう、また、ほけきょうのぎょうじゃを、あだむ、こくしゅにあへり、きょうもん、めいめいたり、きょうもんかくかくたり、わがみは、かこに、ほうぼうのものなりけること、うたがいたまうことなかれ、これを、うたがって、げんせの、けいくしのびがたくて、じふのせめに、したがいて、ぞんがいに、ほけきょうを、すつるよし、あるならば、わがみじごくに、おつるのみならず、ひもも、じふも、だいあびじごくに、おちて、ともに、かなしまんこと、うたがいなかるべし、だいどうしんとすもうはこれなり。
 おのおの、ずいぶんに、ほけきょうを、しんぜられつる、ゆへに、かこのじゅうざいを、せめいだし、たまいてそうらう、たとへば、くろがねを、よくよくきたへば、きずのあらわるるがごとし、いしはやけば、はいとなる、こがねは、やけば、まがねとなる、このたびこそ、まことの、ごしんようは、あらわれて、ほけきょうのじゅうらせつも、しゅごせさせたまうべきにて、そうやらめ、せっせんどうじの、まえに、げんぜし、らせつは、たいしゃくなり、しびおうのはとは、びしゃもんてんぞかし、じゅうらせつ、こころみたまわんがために、ふぼのみに、はいらせたまいて、せめたまうこともや、あるらん、それに、つけても、こころあさからんことは、こうかいあるべし。
 またぜんしゃのくつがへすは、こうしゃのいましめぞかし、いまのよには、なにとなくとも、どうしんをこりぬべし、このよのありさま、いとうとも、よも、いとわれじ、にほんのひとびと、さだんで、だいくに、あいぬと、みへてそうらう、げんぜんの、ことぞかし、ぶんえいくねん、にがつの、じゅういちにちに、さかんなりし、はなの、おおかぜに、をるるが、ごとく、すずしの、たいかに、やかるるが、ごとくなりしに、よを、いとうひとの、いかでか、なかるらん。ぶんえいじゅういちねんの、じゅうがつ ゆき、つしまのものども、いちどきに、しにんとなりしことは、いかに、ひとのうえと、をぼすか、とうじも、かのうてに、むかいたる、ひとびとのなげき、おいたる、をや、をさなきこ、わかきつま、めづらしかりし、すみか、うちすてて、よしなきうみを、まほり、くもの、みうれば、はたかとうたがい、つりぶねの、みゆれば、へいせんかと、かんじんをけす。

  • [149]
  • 池上殿 きょうだいしょう 4

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月17日(土)00時19分19秒
 
また、はんにゃきょうへ、すかしをとす、あくゆうは、かじょう、そうせんなど、これなり、また、じんみつきょうへ、すかしをとす、あくゆうは、げんじょう、じおんこれなり、また、だいにちきょうへ、すかしをとす、あくゆうは、ぜんむい、こんごうち、ふくう、こうぼう、じかく、ちしょうこれなり、また、ぜんしゅうへすかしをとす、あくゆうは、だるま、えかなどこれなり、また、かんぎょうへすかしをとす、あくゆうは、ぜんどう、ほうねんこれなり、これは、だいろくてんのまおうが、ちしゃのみにはいつて、ぜんにんをたぼらかすなり、ほけきょうだいごのまきに 「あっき、そのみにはいる」ととかれてそうらうは、これなり。
 たとひ、とうかくのぼさつなれども、がんぽんのむみょうともうす、だいあっきみにはいって、ほけきょうともうす、みょうかくの、くどくをささへ、そうらうなり、いかにいわんや、そのいかの、ひとびとにをいてをや、また、だいろくてんのまおう、あるいは、さいしのみにはいって、おや、おっとをたぼらかし、あるいは、こくおうのみにはいって、ほけきょうのぎょうじゃを、をどし、あるいは、ふぼのみにはいって、こうようのこを、せむることあり、しったたいしは、くらいをすてんとしたまいしかば、らごらはらまれて、をはしませしを、じょうぼんおう、このこうまれてのち、しゅっけしたまえと、いさめられしかば、まが、こを、をさへて、ろくねんなり、しゃりほつは、むかし、せんだらぶつと、もうせし、ほとけのまっせに、ぼさつのぎょうをたてて、ろくじゅっこうをへたりき、すでによんじゅうこうちかづきしかば、ひゃくこうにて、あるべかりしを、だいろくてんのまおう、ぼさつのぎょうの、じょうぜんことを、あぶなしとやおもいけん、ばらもんとなりて、まなこをこいしかば、そういなく、とらせたりしかども、それより、たいするこころ、いできたりてしゃりほつは、むりょうこうがあいだ、むげんじごくに、おちたりしぞかし、だいしょうごんぶつのまつの、ろっぴゃく、はちじゅうおくのだんななどは、くがんなどの、よんびくに、たぼらかされて、ふじびくを、うらみてこそ、だいちみじんこうがあいだ、むげんじごくをへしぞかし、ししおんのうぶつの、まつの、なんにょらは、しょういびくともうせし、じかいのそうを、たのみて、きこんびくを、わろうてこそ、むりょうこうがあいだ、じごくにおちつれ。
 いままた、にちれんが、でしだんななどは、これにあたれり、ほけきょうには 「にょらいのげんざいにすら、なお、おんしつおおし、いわんやめつどののちをや」またいわく 「いっさいせけん、あだおおくして、しんじがたし」、ねはんきょうにいわく 「よこしまに、しおうにかかり、かしゃく、めにく、べんじょう、へいけい、きが、こんく、かくの、ごときとうの、げんせのけいほうを、うけて、じごくにおちず」とううんぬん、  はつないおんきょうに、いわく 「えぶくふそくにして、おんじきそそなり、ざいをもとめるに、りあらず、ひんせんのいえ、およびじゃけんのいえに、うまれ、あるいは、おうなんおよび、よのしゅじゅのにんげんの、くほうにあう、げんせにかるくうくるは、これ、ごほうのくどくりきに、よるゆえなり」とううんぬん。
p1083

  • [148]
  • 池上殿 きょうだいしょう 3

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月17日(土)00時16分45秒
 
されば、じおんだいしと、もうせしひとは、げんじょうさんぞうの、みでし、たいそうこうていの、おんしなり、ぼんかんを、そらにうかべ、いっさいきょうを、むねにたたへ、ぶっしゃりを、ふでのさきよりあめふらし、きばよりひかりを、はなちたまいし、しょうにんなり、ときのひとも、にちがつのごとく、きょうけいし、のちのひとも、げんもくとこそ、かつごうせしかども、でんぎょうだいし、これをせめたまうには、すいさんほけきょう、げんしほっけしんとう々うんぬん、いうは、かのひとのこころには、ほけきょうを、ほむと、をもへども、りのさすところは、ほけきょうを、ころすひとになりぬ、ぜんむいさんぞうは、がっしこく、うぢやうなこくの、こくおうなり、くらいをすて、しゅっけして、てんじくごじゅうよの、くにをしゅぎょうして、けんみつにどうを、きわめ、のちには、かんどにわたりて、げんそうこうていの、おんしとなる、しな、にほんの、しんごんし、だれか、このひとのながれにあらざる、かかる、たうときなれども、いっときにとんしして、えんまのせめに、あはせたまう、いかなりける、ゆへとも、ひとしらず。
 にちれんこれをかんがへたるに、もとは、ほけきょうのぎょうじゃなりしが、だいにちきょうをみて、ほけきょうに、まされりといゐしゆへなり、されば、しゃりほつ、もくれんなどが、さんごのじんでんをへしことは、じゅうあく、ごぎゃくのつみにもあらず、むほん、はちぎゃくのとがにてもあらず、ただし、あくちしきにあうて、ほけきょうのしんじんを、やぶりて、ごんきょうにうつりしゆへなり、てんだいだいし、しゃくしていわく 「もし、あくゆうに、あえば、すなわちほんしんをうしなう」うんぬん、ほんしんともうすは、ほけきょうを、しんずるこころなり、うしなうともうすは、ほけきょうのしんじんを、ひきかへて、よきょうへ、うつるこころなり、さればきょうもんにいわく 「ねんよろうやく、にふこうふく」とう々うんぬん、てんだいのいわく 「そのこころを、うしなふものは、ろうやくをあたうといえども、しかも、あえてふくせず、しょうじにるろうし、たこくにじょうぜいす」うんぬん。
 されば、ほけきょうを、しんずるひとの、をそるべきものは、ぞくじん、ごうとう、ようち、ころう、ししなどよりも、とうじの、もうこのせめよりも、ほけきょうのぎょうじゃを、なやます、ひとびとなり、このせかいは、だいろくてんのまおうのしょりょうなり、いっさいしゅじょうは、むしいらい、かのまおうの、けんぞくなり、ろくどうのなかに、にじゅうごうともうす、ろうをかまへて、いっさいしゅじょうをいるるのみならず、さいしともうす、ほだしをうち、ふぼ、しゅくんともうすあみを、そらにはり、とんじんちのさけをのませて、ぶっしょうのほんしんを、たぼらかす、ただあくの、さかなのみを、すすめて、さんあくどうの、だいちにふくがせしむ、たまたま、ぜんのこころあれば、しょうがいをなす、ほけきょうを、しんずるひとをば、いかにもして、あくへおとさんと、をもうに、かなわざれば、やうやくすかさんがために、そうじせる、けごんきょうへ、をとしつ、とじゅん、ちごん、ほうぞう、ちょうかんなど、これなり、
p1082


  • [147]
  • 池上殿 きょうだいしょう 2

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月17日(土)00時15分49秒
  • 編集済
 
かくのごとく、おちゆくほどに、さんぜんじんてんごうがあいだ、たぶんは、むげんじごく、しょうぶんは、しちだいじごく、たまたまには、ひゃくよのじごく、まれには、が き、ちくしょう、しゅらなんどに、うまれ だいじんでんごうなんどをへて、にんでんには、うまれそうらいけり。
 されば、ほけきょうの、だいにのまきにいわく 「つねにじごくにしょすること、おんかんに、あそぶがごとく、よのあくどうにあること、おのがしゃたくのごとし」とう々うんぬん、じゅうあくを、つくるひとは、とうかつ、こくじょうなんどもうすじごくにおちて、ごひゃくしょう、あるいはいっせんさいをへ、ごぎゃくを、つくれるひとは、むげんじごくにおちて、いちちゅうこうをへて、のちは、またかへりてしょうず、いかなることにやそうやらん、ほけきょうを、すつるひとは、すつるときは、さしも、ふぼをすころなんどのやうに、をびただしくは、みへそうらはねども、むげんじごくにおちては、たこうを、へそうらう、たとい、ふぼを、ひとり、ふたり、じゅうにん、ひゃくにん、せんにん、まんにん、じゅうまんにん、ひゃくまんにん、おくまんにんなんど、ころしてそうらうとも、いかんが、さんぜんじんでんごうをば、へそうらうべき、いちぶつ、にぶつ、じゅうぶつ、ひゃくぶつ、せんぶつ、まんぶつ、ないし、おくまんぶつを、ころしたりとも、いかんが、ごひゃくじんでんごうをば、へそうらうべき、しかるに、ほけきょうを、すてそうらいけるつみによりて、さんしゅうのしょうもんが、さんぜんじんでんごうをへ、しょだいぼさつの、ごひゃくじんでんこうを、へそうらいけること、をびただしく、をぼへそうらう、せんするところはこぶしをもつて、こくうをうてば、くぶしいたからず、いしをうてばくぶしいたし、あくにんをころすは、つみあさし、ぜんにんをころすはつみふかし、あるいは、たにんをころすは、こぶしをもつて、どろをうつがごとし、ふぼをころすは、こぶしをもって、いしをうつがごとし、しかを、ほうる、いぬは、かしらわれず、ししを、ほうるいぬは、はらわたくさる、にちがつをのむ、しゅらは、こうべしちぶにわれ、ほとけをうちし、だいばは、だいちわれて、いりにき、しょたいによりて、つみのけいちょうは、ありけるなり。
 されば、このほけきょうは、いっさいの、しょぶつのげんもく、きょうしゅしゃくそんの、ほんしなり、いちじいちてんも、すつるひとあれば、せんまんの、ふぼをころせる、つみにもすぎ、じっぽうのほとけのみより、ちをいだす、つみにもこへて、そうらいけるゆへに、さんごのじんでんをへそうらいけるなり このほけきょうは、さてをきたてまつりぬ、またこのきょうを、きょうのごとくに、とくひとに、あうことは、かたきにてそうらう、たとい、いちげんのかめの、ふぼくにはあうとも、はちすの、いとをもつて、しゅみせんをば、こくうにかくとも、ほけきょうを、きょうのごとく、とくひとに、あひがたし。
p1081

  • [146]
  • 池上殿 きょうだいしょう 1

  • 投稿者:赤胴鈴之助
  • 投稿日:2016年 9月17日(土)00時14分59秒
 
きょうだいしょう 1

    しっぴつ ぶんえいじゅうにねんしがつ。ごじゅうよんさい。
      たいごう いけがみむねなか、いけがみひょうえのさかん p1079
 それ、ほけきょうともうすは、はちまんほうぞうのかんじん、じゅうにぶきょうのこつずいなり、さんぜのしょぶつは、このきょうを、しとして、しょうかくをじょうじ、じっぽうのぶっだは、いちじょうをげんもくとして、しゅじょうを、いんどうしたまふ、いま、げんに、きょうぞうにはいってこれをみるに、ごかんのえいへいより、とうのまつにいたるまでわたれるところの、いっさいきょうろんに、にほんあり、いわゆる、くやくのきょうは、ごせんよんじゅうはちかんなり、しんやくのきょうは、ななせんさんびゃくきゅうじゅうきゅうかんなり、かのいっさいきょうは、みなおのおの、ぶんぶんに、したがって、われだいいちなりとなのれり、しかるにほけきょうと、かのきょうきょうとを、ひきあわせて、これをみるに、しょうれつてんちなり、こうげうんでいなり、かのきょうきょうは、しゅうせいのごとくほけきょうは、つきのごとし、かのきょうきょうは、とうこ、ほし、つきのごとく、ほけきょうは、だいにちりんのごとしこれはそうなり。
 べっしてきょうもんにはいって、これをみたてまつればにじゅうの、だいじあり、だいいち、だいにの、だいじは、さんぜんじんでんごう、ごひゃくじんてんこうと、もうすふたつのほうもんなり、その、さんぜんじんてんともうすは、だいさんのまき、けじょうゆほんと、もうすところにいでてそうろう、この、さんぜんだいせんせかいを、まつして、ちりとなし、とうほうにむかって、せんのさんぜんだいせんせかいを、すぎて、いちじんをくだし、またせんのさんぜんだいせんせかいをすぎて、いちじんをくだし、かくのごとく、さんぜんだいせんせかいの、ちりをくだしはてぬ、さて、かえつて、くだせるさんぜんだいせんせかいと、くださざる、さんぜんだいせんせかいを、ともにおしふさねて、またちりとなし、このもろもろのちりをもて、ならべをきて、いちじんを、いちこうとして、へつくしては、またはじめ、またはじめかくのごとく、かみのしょじんのつくしへたるを、さんぜんじんでんとはもうすなり。
 いま、さんしゅうのしょうもんと、もうして、しゃりほつ、かしょう、あなん、らうんなんど、もうすひとびとは、かこおんのんごう、さんぜんじんでん