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  • アルベア論

  • 投稿者:管理人
 
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  • 「非二元」と「灰身滅智]

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月19日(火)05時44分50秒
 
「非二元」と「灰身滅智]

「非二元」の体感・体験者によると「自分が消えて無い」「時間も無い」「空間

も無い」と表現されている。「エネルギー感覚」が定着化すると、自分自身の枠

が消えて「現象」としての現われになる、瞬間、瞬間の中に感じる

全体性、つまり「空」「無」という感覚が常にあるということである。「瞬間の

妙」である。

同じ世界を生きていても、生きている世界が異なるという現象があるということ

だ。

いつも述べているが、「体感・体験は個人の志向性により異なる」「体感・体験

」の過程は「相対的現象・現実」から「絶対的現象・現実」のシフトを示すもの

でもある。

Ⅰ~Ⅳまでは「相対的現象・現実」の世界である。Ⅳ・Ⅴは「絶対的現象・現実

」の世界である。

Ⅰ・自己探求⇒Ⅱ・一瞥体験(3回前後)⇒Ⅲ・身心脱落体験⇒Ⅳ・自己探求の

終わり⇒Ⅴ・体感・体験の定着生活の中での意識の使い方を学ぶことにより、変

化が生じる。

①「思考」「概念」から離れる生活をする。「自我機能」の生活から「自己機能

」の生活に「意識づけ」をする。

意識を日常生活で身体感覚を意識するようにすることである

②身体感覚に慣れてくると「エネルギー感覚」がわかるようになってくる。

③「エネルギー感覚」に慣れて来ると、「エネルギー体」として「自分自身」を

見ることができるようになる。

④「エネルギー体」としての「自分自身が消える」という体感・体験が生じる。

エネルギーの全体性に融け込む現象である。いわゆる「非二元者たち」が言う

「自分自身がいない」という表現になる。仏法で言う「灰身滅智」(けしんめっ

ち)の体感・体験である。禅宗的な表現で言うならば「身心脱落」と言う。
(謗法臭いとのこと)

⑤完全なる体感覚知が定着化すると、全ての現象をエネルギー感覚で見ることが

できるようになる。


★「灰身滅智」(けしんめっち)「身心脱落」等の言葉は、以前にも述べたが「

現象の現われ」としてあるから「言葉」としてあるのである。ただ単なる単語・

用語ではない。現代人は文明として利便性を追求してきたが、人間に内在する

「意識」の働きを放棄し、目に見える世界・現象に依存する体質が自得されてき

ているのが様々な不具合をもたらせているのである。つまり「言葉を言葉として

体感できない」という現象がある。こうした世界「相対的現象・現実」の世界か

らの脱却・離脱が必要な時に来ているように感じられる。だから「意識のイノベ

ーション」が必要なのだ。

「言葉を言葉として体感できない」という現象が、偽装や嘘、誤解、行き違い、

ボタンの掛け違い等々、自分の都合優先、他者に対しては「他人事」という反転

する世界が起きているのである。生命感覚の汚れである。

ちなみに創価用語のほとんどは「言葉を言葉として体感できない」という現象の

中にある。



  • [99]
  • 闘い方を学ぶ 

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月18日(月)08時57分33秒
 
闘い方を学ぶ

「相対的現象・現実」の中に入ると、常に主体は一方向しか見る事ができない。

相手の存在により自分と言う主体が見えてくる。平面的・直線的な眼差しである

。自分事中心は常に他人事が先行するという反転をもたらせている。ここに「気

づく」のが本来は「長」であるが「気づけない者」が「長」になっている。

俯瞰的になることができると、立体的な眼差しとなり、相互の関連「相対的」な

姿が見えてくる。この「相対的現象・現実」の中に入るということを意識してい

くことが法華経の智慧なのだ。「法華経の兵法」と言っても「ただ祈って動いて

もダメ、俯瞰的な眼差しで相手をも救っていくんだ」という視点にならなければ

ならない。

「智慧」あるリーダーの闘いには常にそうした相手側への慈悲があった。それが

大阪の闘いである。表面的な次元で見ても、その本質は見えてこない。全てを反

転させる原理とは「長の一念だ」長の一念が希薄、無ければ、世法の闘いとなる

。天は味方しない。

池田先生の大阪の闘いの前、札幌夏の陣で、その闘いの「ひな形ができた」法華

経の行者の闘い方である。曰く「緒方班長のスクターの後ろに乗り、題目を唱え

ていた」札幌の大地に題目を染みこませていた。「戸田先生亡き後、戸田先生の

写真を胸に、世界に行く先々、道中で常に題目を唱えていた」当時の柏原女子が

語った世界広布の池田先生の「闘い方」だった。札幌夏の陣の前は「鶴見炎上す

る」の見出しの如くの闘いも同じであった。鶴見の三羽カラスといわれる今は亡

き多宝会の(婦人部)証言である。(生前の父は鶴見支部の2月闘で争入信した


父も家庭指導に行く時、必ず題目を上げ、道中は題目を上げていた。「闘い方を

若き先生から教わっていたのである」「法華経の兵法は自得するものである。先

生と同じになることである」とは三羽カラスのAおばさんの言葉だった。戸田先

生を護り、懸命に戦う若き闘将を婦人部は守って闘ってこられた。黄色いタクア

ンの食事を卵焼きだと言って会合前の池田先生に御馳走する姿は「誇らしげでも

あった」先生は「栄養満点、元気百倍」といいながら食された。(当時は無給の

状況で、かつ結核を患っていた)まさに「同志愛」この体感・体験こそが今日の

創価を作り上げてきた事実なのだ。だから父はよく「気づいた者が、やるしかね

えな」と言っていた。その通り、



  • [98]
  • 創価の権力の構造⇒作用反作用

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月18日(月)06時26分29秒
  • 編集済
 
創価権力の構造⇒作用反作用

創価権力の腐敗構造「師弟」なき「指定者」たちの合意性の導入、本質は臆病者の「仲良し子よし」

「師弟」は「指定」であり、仲間内の「指定認定制度」によるものである。

さて「相対的現象・現実」の中では常に「作用反作用」の力が働いている事は示した通りである。

この構造の中「戸田先生は牧口先生の仇討をした。」そして池田先生は「自ら捨てきり事をなした。」このこ

とは小説「人間革命」に書かれている通りである。しかし明確に相対的現象・現実としては語られていない。

反対する古参幹部の姿が語られている程度である。作用反作用を超えるほどのパワーが「同意」という現象な

のだ。

生前の父の「師弟観」である「師弟は「同意」でなければ『腐敗・堕落』する、法を破る」

「『同意』とは「体感」するしかない、戸田先生は「獄中体験」により『同意』に至った」

「後の者は全て『師弟ごっこ』の茶番だ」いくら壇上にいても信用はできない」

「『体感』とは『獄中体験』だ。この体験が自分の中に無い者は『同意』ではなく『差異』だ。」

戦争経験者として見てきた父であった。「軍部・執行部の腐敗、皇軍という天皇祭り上げ、全ては同じ構造、

相対的現象・現実の世界では、常にそうなる働き作用がある。幕末の大転換も同じ働き作用だ」

「外圧(占領)により『やっと民衆が目覚めた』高い代償だ(広島・長崎・空襲等)馬鹿は己が危うくならな

いと気づかない。その時はもう遅い」⇒終戦の受諾

「創価の権力も常に作用反作用の中にある」「どこの組織にも見られる姿だ」「信仰・信心という純粋な世界

に自分を持ち込んだら腐敗、堕落する。自分を持ち込むことは『同意』という体験が無いからだ」

「『同意』となるから『智慧』が働き出てくるのだ。このことを知らないから自分を持ち込む、大聖人時代と

変わらない、大聖人死後100年たたずにお山は滅亡した、歴史の事実だ」

「創価がもっと大きくなれば、必ず腐敗・堕落する。その時、どれだけの『同意』となる弟子がいるかだ」

個人の信心と組織は別物、「同意」する者が出てくれば、組織は自然と仏意仏勅になる、それが戸田先生・池

田先生の師弟なのだ。

その時、なぜ腐敗・堕落が起きるのか、尋ねた。

父は「それは、自分というものを持ち出している学会員が増えてくるから、自分勝手な信心だから、その汚れ

が、幹部になれば、なるほど、受けてしまうからだ。本来は、それが責任職というものだ」「見栄と虚栄に溺

れる役職馬鹿がいるからだ」

「あいつら(執行部)は、気づかないうちに学会員の命の汚さを背負い込んでしまっているのだ。だから半端

もんは『はじかれ』ていく。『同意』ではないからだ。」

『同意』であるならば、すべてが『智慧』になる。このことは個人の信心のことである。」


言論問題が表面化した時に父が「創価の腐敗・堕落による罰だ」と言いながら語ってくれたものである。



  • [95]
  • 「刀匠」に学ぶ「体感覚知」

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月17日(日)09時19分34秒
 
「現象」の現われ

「刀匠」に学ぶ「体感覚知」

「技を伝える」ということで2005年にNHKで放映された刀匠です。その後に江戸時代以前の

「焼き入れ」の技法を発見し、実用・実践の「刀」として「美」が高まってきたことを検証し

「正宗賞」の受賞となったものです。一流の職人「技」は、時代を超えるということ。この刀匠の体感

・体験過程は「悟り」の現象の「体感覚知」と同様な過程です。是非、ご覧ください。

美の壺「BSプレミアム] 千年の光「日本刀」

2016年1月19日(火) 午前11:00~午前11:30(30分)

2016年1月21日(木) 午前6:30~午前7:00(30分)


  • [94]
  • 「悟り」現象22 ワーク・トレーニング 1/17改変

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月17日(日)07時21分54秒
 
「悟り」現象22 ワーク・トレーニング 1/17改変

1週間前に紹介した内容ですが、おそらく多くの方々は「見ただけ」です。「や

ろうとしない」これが今の現実なのです。どうしてか「自我機能」による働き作

用が強いからです。「やれば」体感するのに、自分自身の選択です。必要性がな

い、関心がない、という選択が続く事は、今のままということです。

適応範囲として心身の不適応の回復改善もあることをお伝えします。

心身の不具合・不良不全の回復改善の方法として「ワーク・トレーニング」を

取り入れても効果はあります。

軽度のストレス性障害・うつ等に効果はあります。「右脳」刺激による活性化

現象がもたらされるからです。

「右脳」刺激により「自我機能」「自己機能」の分離・区別ができるようにな

ることで「自然治癒力」が誘発されるからです。

「悟り」現象を誘発させる「眼球運動」3

「悟り」現象とEMDR「眼球運動による脱感作と再処理法」がなぜ関係あるのか?

ジルボルト・テーラーの言う「右脳の活性化」を誘導するのに適しているからです。

思考・概念で束縛からの解放という意味で利用できるからです。

「悟り」現象21で「EMDRがどのようなものなのかを理解して下さい」と述べま

したが、わかりやすい導入として紹介したものなのです。内容は心的外傷体験者に対

するものでした。

Ⅰ・「悟り現象の眼球運動による誘発」

PC画面のグリーン光の追尾 やり方

0-準備運動 簡単な体操をして全身をほぐして下さい。(ラジオ体操でもいいです)

1-まず、リラックスした状態で「椅子」に座る。

椅子に座りノートPCなら厚手の本を下に置く等工夫して。画面が正面にくるようにセットして下さい。

2-PCの画面に下記のURLを出す。

画面を最大にしてグリーンの光を追尾して下さい。

EMDR Self Administered with 528Hz Harmonics 10分12秒

https://www.youtube.com/watch?v=DALbwI7m1vM

3-PCの画面のグリーンの光を追尾します。1分ぐらい⇒「慣らし」

慣れていないので、始めは、「違和感」を感じますが、しだいに慣れてきます。

4-追尾しながら

「悟り」「悟り」「悟り」と、言いながら(思うだけでもいい)追尾する 3分

「悟り」を「元気」に置き換えてもいいです。

「歓喜・歓喜・大歓喜」と、言いながら(思うだけでもいい)追尾する 2分

5-朝、晩、それぞれ5分間

6-まず1週間実行する


Ⅱ・「悟り現象の眼球運動による誘発」

「頭のない方法」ワーク  「悟り」現象19参照の事(1/9投稿)

ダグラス・ハーディングとリチャード・ラング「頭のない方法」

https://www.youtube.com/user/FacelessJapanFilms/videos?view=0

ダグラス・ハーディングの紹介サイト

http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank.html

1-ワーク「指差し」を、つま先から自分の「顔」まで(ゆっくり)3回往復

2-自分自身の「頭がない」という感覚を意識する。

3-朝、晩、それぞれ 3分 任意でやればいいです。

★Ⅰ・Ⅱを合わせて、毎日1週間実行すると、「眼差し」の感覚が明晰となり、

静寂の世界を感じるようになる。この感覚がいわゆる初期段階の「悟り」の現

象である。一日中持続するわけではない。意識すると明晰と静寂の世界を自然に

感じ取ることができるようになるということです。

★「ワーク・トレーニング」の簡単なメモ程度の日記をつけておくといいです。

★Ⅰ・Ⅱを続けるうちに自然に「相対的現象・現実」の世界が見えてくるように

なる。(個人差がある)

「悟り」現象に慣れるに従い、いろいろ体感することができるようになる。

(2週間ぐらい)

 1週間目で自己確認・自己検証するために、読み馴染んでいる「本」を読む

(法華経の智慧など) 今までの読んだ印象・感じと異なる事に気づく。

 周辺の人との普段の会話の中でいろいろ気づくことが起きていることに

「気づく」

たった2週間で「体感覚知」がもたらされてしまう。これって何?

★眼球による追尾は下記のURLで呼び出し利用して下さい。一応、今回は

グリーン光を使っています。

 なれたら★の□マークの追尾を利用してもいいです。

★-画面を最大にして□マークを追尾して下さい。

Self-administered EMDR therapy 10分04秒

https://www.youtube.com/watch?v=OlfQIRJEsYk



  • [93]
  • 「悟り」の現象・実例として紹介

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月17日(日)06時32分23秒
 
「悟り」の現象・実例として紹介ヒンドゥー教・チャネラーの場合

インド人のヒンドゥー教徒のシュリ・バガヴァンは「悟り」現象の独自のプログ

ラムを展開している。

「悟り」現象の理解ということで紹介する。(あくまでも「悟り」現象のみを参

考にしてほしい、他事はどうでもいい)非二元・禅等の「悟り」世界と同じよう

なことを言っている。

悟りとは何でしょう。シュリ・バガヴァン

https://www.youtube.com/watch?v=IEwUud69r6c

目覚めた人 - シュリ・バガヴァン

https://www.youtube.com/watch?v=tPS_bE-vfZM

「この世の真実」

「バシャール」 世界的なチャネラーの一人 翻訳本やYou tubeで多数の動画

があります。

You tube 2015/08/24 に公開された「この世の真実」についてバシャールか

らのメッセージです。

https://www.youtube.com/watch?v=x1Zz0moNXso

「人間の存在はエネルギーである」といういわゆるスピリチャル系のメッセージ

だが「この世の真実」は非二元の語る世界と同様なものである。一足飛びに「エ

ネルギー存在」だと言われても、わからなくて当り前である。

「エネルギー感覚」と言う現象を覚知できないからである。生命感覚・エネルギ

ー感覚を覚知することを「体感覚知」と呼んでいる。「悟り」現象の「体感覚知

」を言う。

だから「体感のワーク」が必要なのである。

閉塞・疲弊する社会は閉塞・疲弊する個人と言う存在が反転している現象なのだ

。だから息苦しい・だからつまらない、だから、よけいわからない、というトラ

イアングルの現象が、そこ、ここで起きているのである。

エネルギーを遮断する働き作用があるのだ。エネルギーを循環していることに

「気づかない」限り閉塞・疲弊は続く。また現代人は、エネルギーをチャージ

することを知らない、教わっていない、孤立と孤独というドツボにはまっているのだ。


  • [92]
  • 「論より証拠」 

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月16日(土)07時06分55秒
 
「論より証拠」

「悟り」現象は「論より証拠」つまり「体感・体験」した自分自身の存在が「証

拠」となるのです。つまり現象の現われである自分自身が「証拠」となるのです

。いつも言いますが「自分自身」と言うのは個別的ですが、人間の生命現象とし

て見た場合「全体性」の中にあるものです。それは「悟り」現象は「同じ」とい

うことになるのです。「私」「自分自身」という個別相が消え「全体性」として

覚知されるということなのです。

(※自分自身の存在、生命が消えることではない、覚知する、認識する、という

現象を言う)

ジルボルト・テーラーが、いかに自分自身の体感したことを、どのように伝えれ

ばいいのか、苦悩しました。そしてTEDやスピリチャル系のアメリカTVに出

演したり、セミナーを開催したりしています。少しでも彼女が言う「右脳的」世

界を皆さん方に体感・体験してほしいとの思いで活動をしています。宗教の枠組

みからハズレたアプローチです。彼女の体感・体験を宗教的概念で解釈し仮説を

立てる人々もいます。「相対的現象・現実」の世界だからです。

私が皆さんにお伝えしているのも「相対的現象・現実」の世界です。当然、「正

」「反」「合」の弁証法的現象の世界ですので反発する反応も数多く見受けられ

ます。そういう現象も含めて「現象の現われ」なのです。このような視点、眼差

しを「俯瞰的眼差し」というのです。自分自身が見る「眼差し」の焦点付けが「

体感・体験者」の唯一の「証拠」となるのです。「生命現象」を捉えると「体感

・体験者」自身が「証拠」となるということなのです。

日蓮教学・創価教学は全て宗教的な枠組みです。その中での議論・論議は、それ

は、それでいいのです。人間が捉えた事を思考・文字に置き換え表現した現象で

すから。生命現象にはそうした枠組みはないのです。「ただ現象が現われている

というだけです」から。

日蓮教学・創価教学等は起きた現象の後に思考・概念により「後付け」した現象

なのです。当然、「自我機能」による意図的なアレンジも含まれています。


★(ここで、多くの創価の方々は反発します。由って立つ「自我」基盤が揺れ動

くからです。このことに気づき始めた頃は、私も揺れ動きました。)

池田先生がよく言われる「本質を見よ」とは、その時々の文脈により異なります

が、いわゆる「本質」とは「現象の現われ」であり、生命現象であり、そこにあ

る「智慧」という「現象の現われ」だと私は感じています。

私たちの日常生活のほとんどは思考・概念から外れた「自己機能」の働き作用で

す。何かについて考え出すと「自我機能」の働き作用へ意識がシフトして思考・

概念で物事を見てしまうのです。日々の生活のほとんどは身体機能・身体感覚の

中で起きている現象なのです。自己観察すれば誰でもわかることです。しかし「

自分で思いにはせた瞬間」、自我が動き出すのです。「自己機能」は追いやられ

てしまうのです。そして人は誰でも「思考・概念」こそが「私だ」と思い込み・

信じ込むのです。悩みを悩みとして創造し、苦悩、苦闘しているのです。このよ

うな現象により「私」「自分自身」という「概念」を見事に作り上げているのが

「私」「自分自身」の在り様なのです。つまり「自分自身観」という世界観がで

きているのです。この「自分自身観」が妄想・幻想なのだということなのです。

事実を事実として認識するのが「自己機能」の働き作用です。しかし、ほとんど

の人は「自我機能」との癒着により事実と誤認しているが当り前になっているの

です。このようなことから「悩みは悩みとして」あり続けている現象があるので

す。「自我機能」からの意図的な離脱が古今東西の「悟り」現象の課題だったの

です。


  • [91]
  • 「悟り」現象に見られる「体感・体験」過程 

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月16日(土)06時53分17秒
 
「悟り」現象に見られる「体感・体験」過程

非二元・覚醒者・至高体験者・悟り体験者等の内面的「体感・体験」過程を観察

された現象を見ていくと個人の志向性は異なるが共通した「過程」によりシフト

していくのが覗われている。

「自我機能」「自己機能」が何らかの「衝撃」を受けた時の心身の反応を見てい

くとおおむね次のような過程である。


事件・事故・死別・失恋・離婚・解雇などの日常生活での出来事に遭遇した時に

起きる現象後の反応パターンを見ると

一般的な反応として、「自我機能」「自己機能」の癒着による反応が見られる。
(キューボラ・ロスの「死の五段階」)

Ⅰ・衝撃⇒拒否・拒絶⇒抑うつ⇒取引⇒受け入れざるを得ないことを知る?

キューボラ・ロスの「五段階」

一般的な反応が当事者の心身の不具合(抑うつ・パニック障害・ストレス障害等

の発症)により、「自我機能」「自己機能」の離脱分離現象がもたらされ「自我

機能」が外れると同時に「相対的現象・現実」の世界からの離脱が起きる。この

場合、ロスの五段階を2~3回体験し「Ⅱ」の段階へと移行するのが見られてい

る。


Ⅱ・衝撃⇒気づき⇒喜び・感動⇒抑うつ⇒確認⇒実存体感⇒体感覚知
                ←←自我機能が外れ出す→→
「喜び・感動」の後に起きてくる「抑うつ」「確認」は、自分自身の身に起きた

現象を確認しようとする衝動に突き動かされる。その後に「実存体感」という現

象により「確信」を得て「体感覚知」が定着化する。「実存体感」とは「絶対的

現象・現実」により起きている現象である。「相対的現象・現実」からシフトし

た時に体感する現象である。


※わかりやすい実例として一流の職人・武道家の体感・体験を引き合いに出すが

、彼らの「体感・体験」過程もほぼ同様な過程を経ていくのが覗われている。

例⇒正宗賞に輝いた刀匠・河内國平さん 1/21.(木)BSプレミアムAM6:30~7:00再放送

「自己機能」(身体機能・身体感覚)の反応は、

Ⅲ・「衝撃」⇒生体反応⇒生体防衛対応⇒沈静化⇒修復・改善⇒回復

以上の経過をたどる。この場合も「衝撃」の度合い、個人の志向性により2~3

回繰り返す者もいる。

整理すると次のようになる。

「自我機能」「自己機能」が何らかの「衝撃」を受けた時の心身の反応

Ⅰ・衝撃⇒拒否・拒絶⇒抑うつ⇒取引⇒受け入れざるを得ないことを知る
Ⅱ・衝撃⇒気づき⇒喜び・感動⇒抑うつ⇒確認⇒実存的体感⇒体感覚知
                自我機能が外れ出す
「自己機能」が何らかの「衝撃」を受けた時の反応
Ⅲ・「衝撃」⇒生体反応⇒生体防衛対応⇒沈静化⇒修復・改善⇒回復




  • [90]
  • アルベア様に感謝

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月16日(土)00時52分16秒
 
貴重なお話ありがとうございます。
法華経の智慧、様々な提示された参考、そしてお話
様々な気づきがあると思います。
時間貧乏ではありますが、特に法華経の智慧には、何か僕の求めるキーワードがある気がします。
少しずつでも、読みすすめていきたいと思います。

アルベア様、通常では、出会えない方と巡り合えて感謝です。
もうひとつ、手が届きそうで、届いていない、もう一段上の何か
そこへの何らかの手がかりが、教えていただいた中にある気がします。
ありがとうございました。

  • [89]
  • 蘭夢 様

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月15日(金)06時39分3秒
  • 編集済
 
蘭夢 様2016年 1月15日(金)00時14分

いつも、正直な問いかけ有難うございます。とりあえず回答しますが、「見極め

」という現象は、戸田先生、大聖人、釈尊も体験後に「見極め」しようとする衝

動にかられていたことがあります。それは、お書きになった通りです。その過程

と同じであることに気づきませんか、気づく時がおとずれます。


★今、現在は、悟りたいというより、悟った気がするが、それが正しいのか否か
を見極めようとしているってところかなぁ。板をROMしているのは、そんな理由。
だから、他の人の悟りなり、話とか聞いて、自身の感じたものを見極めようとし
ているって感じでしょうか


回答 よくわかります。「悟りの過程」で述べたと思いますが?

一過性(短い単発の体験)の体験を数回することにより「悟り」現象を了解する

人、このような体験を「一瞥体験」と言っています。つまり単発的な体験の繰り

返しにより自分自身で確証を得ることにより「悟り」現象の終わり、自得完了が

もたらされるのです。自己探求・自己言及ということが終わる時がくることを言

います。人により「終わるか」「終わらないか」は異なります。

1-短い単発的な体験は、アレ!なんだこれ!という不思議な体感現象をいいま

す。
2-繰り返される単発的な自分自身に起こる現象に、戸惑い、不安になる、気が

狂ったのでは?等々、自己確認をせざるを得ないことが起こります。私も常に「

自己確認」をしていました。自分に起きた現象が正しいのか、どうなのか、悪鬼

入其身?等々、「体験したことを他者の体験とすり合わせる」という作業を何年

もしてきました。

3-そうした一連の過程の中で、「自分がいなくなる」「自分が消える」という

体験を持つ「非二元」の体験者の方々と動画で出会い、更にチェックしてきまし

た。蘭夢 様のいう「灰身滅智」の現象かとの思いも抱きました。しかしこの現

象は「宇宙に溶け込む」・「宇宙と一体」になるということで「生命の全体性の

覚知」ということで納得できました。

4-私の場合、こんなことをしていても、しょうがない、という気持ちが出てき

て、とにかく自分自身が体験したことを伝え、誰にでも起きる究極の「智慧」の

体験がもたらされると確信に至ったのです。この現象を「体感覚知」と言ってい

ます。

「板」では書けない不思議な体験が数多くあります。そうした体験も「自己確認

」のために自身で現象化してきたことなのだと納得しています。

5-不思議体験⇒単発的体験が起きると「確認」したくなります。それは確証を

得るまで続きます。「確証をえるまで」と言うのは、従来の「自我機能」による

検証、体験のすり合わせの作業です。「体感」したことを思考・概念で見極めよ

うとしていたことに気づいたのです。これは到底無理な事だと気づいたら、緊張

感が取れて楽な気持ちになったのです。「自我機能」「自己機能」「意識機能」

の区別が自分自身の中で明確になったのです。

6-このような体験の過程は、非二元の方々、禅宗の坊さんの「悟り体験」と志

向性は異なるが同じということを感じたのです。ちなみにこうした過程は、釈尊

、戸田先生等なども同じ過程にあったと言えます。

7-「三証」について、日蓮仏法の信仰者・創価の人々は、宗教と言う枠組みで

捉えようとします。当然「三証」という概念も教学的な概念・思考です。

創価の生命論から言うと「三証」という概念は個人の志向性です。生命現象を「

三証」と区分したにすぎません。生命現象を論じたりするときは、そうした概念

・思考は必要ないのです。なぜならば「既に在る」という現象だからです。創価

の信心は、長年の思い込み・信じ込みにより生命現象を歪強化して見てしまうと

いう妄想が成立しやすくなっているということです。私は、一度、創価の思考・

概念から、離れた位置から見直してきました。そうしたことをやらないと思考・

概念では納得できなかったということです。

8-さて、ながなが述べてきましたが、一番ストンと腑に落ちたのは「頭のない

方法」でした。これが一番です。「眼差し」の世界です。

★いろいろと尋ねてこられることは「自己追及」「自己言及」の現象です。ご自

分の体験されたことを「三証」で示すどうなるのでしょうか?まさに教学的論理

という思考でいくら考えても答えはでてきません。ただ今、ここで生きている自

分自身には、どうでもいい事ということわかりますか、教学や知識の全ては「後

付け」なのです。体感・体験したことを「後で、方向づけ」体系化したものなの

です。「悟り」現象そのもの、生命現象ではないのです。「創価教学」「創価生

命論」なのです。私たちは現象の現われなのです。

私からみると、あえて言うならば、創価の思考・概念から「全ては法華経の智慧

」にあるということです。


  • [88]
  • 動画長いっす

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月15日(金)00時16分12秒
 
動画長いのでまだ
らくちんこ道の1個目しか見れていません。
で、この方の話を聞く限りは、自分の存在が消えるように感じるとか
似たような体験を僕も持っていますが
危険を感じて、深く突っ込んでいません。
後に教学上、それは灰身滅智だと理解し、放置、棚上げしてます。
今は、別の体感?
灰身滅智とは異なるものを体感?
しているといった感じです。
自我の消失により宇宙を感じる? という感じじゃなくて
自我はあくまで存在します。煩悩もバリバリ渦巻いています。
灰身滅智、が
左脳という自我をオフし、煩悩から解放、右脳優位の状態へシフトチェンジする
それに対して
別の体感とは、渦巻く煩悩、左脳はそのまま、自我を保ちつつ
右脳を活性化、左脳と右脳のパワーバランスをとるという感じでしょうか
具体的な方法とは、信心そのものです。
御本尊様にお題目をあげることです。
ただ、キーとなるものは、一念の違いです。
本来、信心とは、ちゃんとしたトレーニングだという認識です。
ただ、今の創価は信心というより、選挙団体となってしまっています。
正しく大聖人の教えを学べなくなっている、そんな感じでしょうか。

  • [87]
  • 回答ありがとうございます。

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月15日(金)00時14分4秒
 
回答ありがとうございます。
返事遅くなりすみません。

僕の質問の意図は、アルベア様の体感が正しいかとかどうかではなく
僕自身の話になります。
僕自身が、見たものが、体感なのか、自身の思い込みなのか、幻覚なのか
よくわからないので、とりあえず忘れるようにしているのですが
それと向き合うにあたり、アルベア様は、どのように、それが体感であるとか
理解されるようになったのか、先達の経験が聞きたかったのです。

回答としては、擦り合わせるとのことですね。ありがとうございました。
今、動画を少しづつ見ています。

■質問⇒蘭夢 様の言う「悟り」とはどのようなものですか?また我見との異なり
は具体的にどうのようなものなのですか?

体感なのか、そういったものから、世界のこと生命のこといろいろと、
解る気がするんですが、果たしてそれが真実、真理を正しく捉えられているのか
それとも、まだまだ、未熟で、欠陥があるのに、それに気が付かずにいるのか
間違った真理を正しいと思い込んでいることはないのか、それで我見といっています。
あくまでも自身の考えに対する自身の誡めです。


■質問⇒「戸田先生の一連の獄中体験」の根拠はなんでしょうか?人間革命に書か
れていたからが根拠なのですか?戸田先生も釈尊も「悟り」現象体験についてい
かに、文字にしたり、話をすればいいかを苦慮しています。わかります?。体感
する世界を伝える事の難しさがあります。自分自身の身に起きた現象ですから、
蘭夢 様は、どうのような事が根拠だと思っているのですか、
宝塔品の比喩はどうして成立したのでしょうか?
牧口先生・戸田先生・池田先生、三代の生命活動を支えてきた現象の根拠はなん
だと思いますか?小説という内容でしか示されなかった現実をどうのように認識
しているのでしょうか?

戸田先生は確か、法華経と御書を照らし合わせて、自身の体験したことを、そこに
認めたから、その通りだと、確信にいたったと思っています。
つまり、大聖人は、自身の正当性を法華経の身読で顕わし、戸田先生も法華経と御書を
よりどころとして正当性の根拠にあてています。
つまり三証です。そのうちの文証が法華経であり、大聖人の御書です。
だから、僕は、自身の体感なのか幻覚なのか妄想なのかわかりませんが、法華経、御書と
整合性がとれるなら、少なくとも方向性は正しいと考えられるのかと思っています。
なので、根拠というか、正邪の判断のものさしとしては、法華経、御書が基本的にベースになります。
一応、大聖人の仏法を学ぶ、末弟子ですから。
その物差しからはずれるなら、邪魔なものとして忘れるようにしているといったところでしょうか。

■「自分自身も悟り体験をしよう」との思いにならなかったのか、わかります。
「自分には無理」という世界観が内部で構築されていたからではないですか、

何か悟りを開きたいとか考えてたかなぁ、生命論には興味あったけれど。
目の前で、様々な親の体験を見ているので、それで充足していたのかも。
ただ、そう。今、現在は、悟りたいというより、悟った気がするが、それが正しいのか否かを
見極めようとしているってところかなぁ。
板をROMしているのは、そんな理由。
だから、他の人の悟りなり、話とか聞いて、自身の感じたものを見極めようとしているって感じでしょうか
その割には、まだ未検証の自身の考えを妄想という言葉でスモーク炊いて投稿してますけど。

■「根拠」をいうならば蘭夢 様は、「なぜ信心したのですか、どうしてこの信心
が正しいと判断されたのですか、その結果、なにが起きたのですか、その根拠を
お示し下さい。」と質問

学会2世なので、入信に自分の意志はありませんでした。

親の信心を見て、願いが叶うという現象、体験を目の前で見ました。
また、自分自身も祈り、願いが叶うことに力を確信しました。
さらに自分自身が折伏した友人の体験を見ることで、絶対的な確信となりました。
これが、現証としての正しさの根拠です。
理証としては、その深い生命論、哲学に感服し、正しいと確信しました。
文証として、法華経があり、大聖人の御書がある。
これら三証です。結局、学会教学そのものですが・・・笑、染みついています。



  • [86]
  • リオ 様

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月14日(木)18時52分13秒
 
リオ 様2016年 1月14日(木)17時14分50秒

投稿をいつもご覧いただき有難うございます。感謝いたします。

「今の姿がどうであれ先生に対する気持ちは変わらないと思うんですけど。」

「人は変われど、我は変わらじ」です。意識のイノベーションです。

いろいろなことが現象化してきます。SMAP騒動もそうです。COCO一番ビ

ーフカツ廃棄処分を転売するモラルの低さ(COCO一番が問題ではない)既存

のシステム不良不全、人間の意識の汚れが表に出てきています。

心していくことが問われます。主体者として何をすればいいのか、それは、一人

一人の「体感覚知」だと私は思っています。親孝行は最高の身の供養です。頑張

って行きましょう。「胸中に先生の微笑を見ながら」

有難うございました。


  • [85]
  • アクセンチュア

  • 投稿者:リオメール
  • 投稿日:2016年 1月14日(木)17時14分50秒
 
こちらは初めてお邪魔しますが宿坊に投稿されているときから読ませていただいていました。
アクセンチュアによって今の学会の方向性が決められていたんですね。
いつ頃からかなんか学会が変わってきてるとは思ってましたが、こういうことだったのかと納得しました。
先生のご健康状態については私も同じように思っていました。高齢の家族を抱えていたり、周囲にもそういう方が増えてきていますからね。
気づいている人も結構いると思います。今の姿がどうであれ先生に対する気持ちは変わらないと思うんですけど。

  • [84]
  • アクセンチュア・コンサルティング

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月14日(木)12時28分24秒
 
アクセンチュア・コンサルティング

「俯瞰的な眼差し」から見ると、妄想ですので

アクセンチュア(Accenture)は、アイルランドに登記上の本拠を置く総合コン

サルティング会社。

池田先生の辛らつな執行部批判に対しての対応できない焦り、先生の健康状態、

激減する創価人口、人材不足、財務の減少等に対する今後の戦略と企業防衛と言

う視点から彼らと委託契約した。

また巨大化する教団の運営マネジメントが追いつていかないという現状があった

。なぜならば専門家集団の育成を怠ってきたからである。代々坊主システムによ

る系列社員しか雇わない結果が招いたのである。

「法華経の智慧」が大白で掲載されたころから画策(対応)は始まっていたよう

である。(1995,2月)

ちなみにアクセンチュュアには創大卒業生が数多く就職している。その多くは中

堅幹部になっている。こうした人脈・八○・○川・原○ラインで学会側から呼びか

けし、教団としての会計・人事・システム等包括的にコンサル契約をしたのが真

実。アクセンチュア内の創大出身者に聞いたらわかるよ~当然、面と向かって言

わない、彼らも創価のためと思い込み・信じ込んでいるからだ。実務の窓口は創

大出身者。(3名?)

包括的契約とは、教団関連の人事を含む事業全般にわたるものであり、創大も当

然、含まれる。執行部は、そうした相互で契約した事項を粛々と実行しているだ

けである。

三代の偶像化は中国の毛沢東の偶像化による統治支配パターンと同じ、そこには

民衆救済という尊貴な目的は消失している。聖教新聞の題字変更もその一貫にし

かすぎない。名誉会長の呼称からSGI会長への呼称変更もその一貫、世間の権

力機構は「相対的現象・現実」の中では全て同様のパターンとなって現象化して

いるのである。「映像の世紀」を見た方々はわかると思うが・・・

歓喜も無く、喜びも無い「創価」の現実は世間の教団と変わらない様相が定着化

しているのだ。このような現象は既に全国各地に浸透している。信濃町は、長野

の善光寺化している。

今述べた様相状況を知っても、何もできない現実。相対的現象・現実」では、当

事者(支配勢力)のパワーが強く働く作用がある。「俯瞰的眼差し」からみると

「このまま」みたい。

「おかしい」「変だ」と気づいても「エネルギーの流れは、行き着くところまで

行かないと止まらない」、さて、どんな「どんでん返し」(反転)が現象化する

のでしょうか、楽しみですね。

今の池田先生の健康状態は、要介護4・3を行ったり来たりみたいですが・・・

常識ある方ならばわかります。

主任副会長、執行部の方々たちは毎日、毎日、多岐にわたり「今後の事を」考え

ているようです。大変なことです。ご苦労様です。組織を束ねることは、そう簡

単にやすやすはできません。業務上の責任感です。「相対的現象・現実」の世界

ですから「意識のイノベーション」が必要です。



  • [83]
  • 悟り」現象を確認する

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月14日(木)05時09分6秒
  • 編集済
 
悟り」現象を確認する

おすすめDVDです。私は購入しました(もしかしてレンタルできるかもしれませんが)

誰が夢のバスを運転している?2014.2/8.1時間38分45秒(2009年制作)
非二元を語る8人の存在 ナチュラルスプリット3200円+税

いわゆる「非二元」の体感・体験者のインタビューです。一人一人の志向性は異

なるが「体感覚知」した世界は同じであることが理解されます。このような「非

二元」の体感・体験者は増える傾向にあります。どうしてか、それは生命現象と

しての変化の時にあるからのようです。「体感覚知」すれば、わかります。

1回見ただけでは、なかなか理解はできないと思います。私は「逐語録」を作成

し8名の体感・体験現象を検証しながら鑑賞しました。彼らの語る体感・体験は

欧米の世界観・文化圏のものであり、東洋的な世界観とは異なるものです。しか

、しその体感世界は「禅」の「悟り」の内容と極めて類似しているものでした。

「現象としての現われ」という眼差しでみると了解できると思います。

8名の体感・体験者には「自我機能」「自己機能」「意識機能」という区別は明

確にありませんが、それぞれ区別されている様子が見られます。「気づいて」い

ないのです。

「自我機能」「自己機能」「意識機能」の3つの区分は「悟り」現象を体感する

「道案内」として有効です。

また「相対的現象・現実」「絶対的現象・現実」「弁証法的現象」「反転」「転

換」「不二」等もあらゆる現象の「見極め」として有効な「道案内」です。
新型のナビケーションシステムとして見るとわかりやすいと思います。


「自我機能」は、思考・概念の世界であり、常に「弁証法的現象」が起きている
。「妄想・幻想現象」

「自己機能」は、身体機能・身体感覚の世界であり、自然の機能として働き作用
している。「体感現象」

「意識機能」は、「自我」「自己」を貫く意識感覚の世界であり、この意識感覚

が体感されることが「悟り」現象と言う。

漢字の「自分自身」という文字を縦書きにすると、「自分」自ら分けている。⇒

相対的働き作用、その相対的世界を貫くのが「自身」という身体機能であるとい

うこと、そして、そこには常に「意識」があるということを示しているのです。

日本語の漢字は表意文字としての素晴らしさがあることに気づく事も学びです。

「道案内」は、自分自身という存在の見方です。従来型の固有名詞としての「名

前」のある「私」という世界観から離脱した「存在する」という世界観へのシフ
トを言います。

「悟り」現象としての覚知は、1-生命感覚としての覚知 2-エネルギー感覚

の覚知を言います。

分離・分断されている「相対的現象・現実」の世界の在り様、働き作用の全てを

「了解」することとなります。



  • [82]
  • アルベア様

  • 投稿者:獅子の子
  • 投稿日:2016年 1月13日(水)16時42分44秒
 
教えて頂きありがとうございました。
全て相対的現象 現実の中の自我機能による働きなのですね。
又その中で反転現象が起こっていると言う事ですね。
とてもシンプルな事だったんですね。

そうですね。私の日々の生活には何にも関係無い事でした(笑)
どうでもいい事でしたね(笑)
質問事態が他人事でした(>_<)

又こんな私の名に
激励までして頂き感謝です。
ありがとうございます。
常に自分自身だと言う事も
仰る通りですm(__)m
わかっているつもりでしたが
何も見えて無かったです。
所詮つもりと言う思い込みからなっていたのですね。

わかるか わからないか
気づくか 気づかないか
なのですよね。
又それらは縁により深く関わってくると言う事なんですね。

まだまだ小さい気づきに過ぎませんが自我機能の自分と言う事を改めて気づかせて頂きました。
自分自身を見つめ直したいと
思います。
ありがとうございましたm(__)m

  • [81]
  • 「自我機能」と「自己機能」

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月13日(水)08時09分26秒
 
「自我機能」と「自己機能」

「自己機能」は「身体感覚」による反応を言います。

「自我機能」は、思考・概念・思い込み・信じ込みにより作られた働き作用です。

ピンとこないのが「当り前」の現象としてあるからです。

この区別がきちんとできないと「人間の存在」はわかりません。

特に「自我機能」による妄想・幻想は身体の深部まで癒着しています。「悟り」

を得るために古今東西の修行者たちは必死に「自我機能」の働き作用を拒もうと

してきました。自分を捨てる、自己を離れる、等々、

わかりやすい実例として、職人や武道家の身体感覚・眼差しについて取り上げて

きましたが、残念ながら「わからない方々」が多い。「気づけない」「気が付か

ない」くらい「自我」に侵されている現象があるのです。

例⇒「宗教」特に創価信仰の方々にとってはかなり大変な課題のようです。「宗

教的な枠組み」がハズレるということは今までの自分自身の根拠が崩落・崩壊す

るからです。「不安反応」が拒否・拒絶・敵意となって現象化してくるのです。

これは、しょうがない現実です。20年前の私もそうでした。

しかし事故の体感・体験によりそうした思考・概念が外れてしまったのです。事

故に伴う身体感覚の活性化が起きたからだと思います。

創価の拘束・縛りが消失したのです。「宗教の概念」が自分自身の中で消えたの

です。

日蓮大聖人・牧口先生・戸田先生・池田先生等も「対象化」した思い込み・信じ

込みの世界観であったことを自分なりに感じてしまったのです。その後、この思

いは正しいのか、否か、どうすればいいのか、とかなり悩みましたが、母の介護

・父の介護を通し、不思議と自然に思えるようになってきたのです。全ての思考

・概念は自分にとっては「どうでもいいこと」、ただ創価の中にいる限り、皆さ

んに合わせていくのが得策だと判断したのです。いろいろな人が創価にはいます

。いつも言いますが「それはそれでいい」のです。

ただ疲弊し閉塞する状況を変えることをお伝えしたいと言う思いがあるだけです

。これまたいつも言いますが、「気づいた人」「気づく人」がいればいいのです

。「気づかない人」は「気づかなくてもいい」のです。

なぜならば「現象としての現われ」という視点から述べているのです。

ちなみに「アルベア」という現象を閲覧者の方々はどう見ているのでしょうか?

今までの思考・概念パターンで「ああだ、こうだ」と勝手に思い浮かんでくるこ

とを、言葉にしたり、文字にしたりして考えているだけで、「現象の現われ」と

しては「見れない世界にある」ということなのです。「悟り現象は、誰にでも起

きる現象ですよ」と言っても、信じられないのです。弁証法的現象が現象化して

しまうからです。

「仏法の生命論の展開が大事だと」斎藤教学部長が言っていましたが、「思いの

世界」であり、そのための方途は、全くなかったのを覚えています。生命論・生

命現象を見ていくという事は、全てハズレない限り、思考・概念の世界に留まる

のです。例えば、「御本尊に向かい祈ると宿命が転換できる。」ということは「

生命現象」から見るとどのように言うのでしょうか?「御本尊に向かい祈ると宿

命が転換できる。」という生命現象は「自我機能」の働き作用です。今述べたよ

うな問いかけに応える人は、いまだにいないのです。また「不二」「不二」と自

分と人に言い聞かせるだけであり、現実に現象化する方法を教えてくれる人はい

ません。どうしてでしょうか?「池田先生が言っているから」では、なぜ「不二

」になれないのですか?まずなにより「不二」になろうと何をしているのですか

?結局、何もしてないという現実があるだけ。これが今の創価の実情です。世俗

化の信仰形態が根付いているのです。多くの閲覧者の方々が思っている「創価」

は既に終わっていることに「気づく時期」にあるのではと思いますが・・・自分

自身の地域を見ればわかるかと思いますが・・・

「わかっても、なにもなりません」「智慧」を出して下さい。

「自我機能」の働き作用をコントロールするのは「自己機能」の活性化なのです。


  • [80]
  • 「現象の現われ」としての「私」・「自分自身」

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月13日(水)05時50分36秒
 
「現象の現われ」としての「私」・「自分自身」

「エネルギー変換」とは自然の働き作用であることは既に述べた事である。では

、私たちが意図的に「エネルギー変換」をする方法とは、どうすれいいのか、そ

れは「意識」を「対象に向かわせるだけ」でいいのである。思考・概念で向かわ

せてもエネルギー変換は起きない。「眼差しを向ける」ことにより「エネルギー

変換」が起きるのである。⇒「体感覚知後」できるようになる。

「現象の現われ」としての「私」「自分自身」とは、「現象」そのものが「私」

であり「自分自身」であることを知る事である。このことは「エネルギー」とし

ての「私」「自分自身」を同時に知ることでもある。

今までの70回の投稿を「俯瞰」すれば、私が何を伝えたいのかが、そろそろ

「わかってきている」のではと思う。


?つまり「私」の「眼差し」を写していることになるからだ。

②また「悟り」現象の0~25により「見る世界」が変化してきているのではと

思う。

③様々な見極めができるようになり、読み始めの前の頃と比べ、心身の調子が良

好になってきているのではと思う。


他の方々の投稿を見ても「何も変わらない」という事が「わかった」のではと思

う。

思考・概念という「自我機能」の働き作用は、妄想・幻想であるとの見極めはも

うすぐ訪れる。

なぜこのような現象がもたらされるのか、それは「私」が「現象」そのものだか

らである。


  • [79]
  • 「現象の現われ」について

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月13日(水)05時47分30秒
  • 編集済
 
「現象の現われ」について

「現象」とは、「エネルギー変換」で述べたように「人間が見ている世界・見え

ている世界」を言います。このことは「見える範囲」に限定されていることでも

あります。人間の眼で「見える範囲」は宇宙の大自然の働き作用のわずか3%~

5%であると言われています。95%は「目に見えない世界」なのです。

「見えている世界」が100%であると「思い込んで・信じ込んでいる」のが、

多くの人々の姿です。「不思議な現象」のほとんどは「目に見えない」働き作用

なのです。

人間は「眼に見えない現象」を「見える化」させて文明を発展させてきているの

です。「見える化」とはエネルギーの変換によるものです。

例⇒「十界」とは、内部観察による現象のカテゴリー化によるものであり、自然

現象を人間の現象に置き換えたものです。「悪鬼入其身」とは、見えない現象を

言葉に置き換えた現象なのです。日寛上人は「蓮祖が其身に入るなり」との表現

を使用していますが、このことも現象としての現われを示したものなのです。

仏法の様々な教えは「言葉」により置き換えられ、現象の現れを示したものなの

です。しかし、聞く者、読む者により「言葉」「文字」に拘束されるという反転

が起きてしまうのも人間の現象でもあります。

「言葉」「文字」という記号ですら「相対的現象・現実」の中で弁証的現象が既

に内在しているのです。パワーゲームという現象が現われやすい状況があるとい

うことです。このように現象の現われを「観察された事実」として人間は見てい

るのです。私たちが見る事のできる現象は、生命活動の「現われ」の一部なので

す。

「観察された事実」とは人間の身体的機能・身体的感覚によりもたらされた現象

です。「自己機能」の働き作用なのです。「自我機能」ではありません。

一番、身近な「生命現象」「現象の現われ」は、他ならぬ「自分自身」なのです

。つまり「現象の現われ」として「私」「自分自身」が在るということなのです

こうして「投稿文章を書いている」ということも「現象の現われ」なのです。投

稿された記事も「現われ」なのです。私たちは「現象の現われ」の中で「生かさ

れている」のです。「宗教」という「枠組み」も「現象の現われ」です。

では「現象の現われ」はなぜあるのでしょうか、それは「生命現象」そのものだ

からです。このような見方は「覚知」することによりわかるのです。一般的には

「悟り」「覚醒」「目覚め」「解放」等と言っている現象です。「現象」として

既にあるということを示しているのです。

「現象の現われ」を理解することは「人間」の本質を知るキッカケとなるのです。

「本質を知る」とは意識の自由を手にすることとなるのです。


  • [78]
  • 蘭夢 様

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月13日(水)05時40分55秒
 
蘭夢 様 2016年 1月13日(水)02時10分14秒

どうしても「悟り」現象を扱うと「禅宗的」な問題が出てきます。いつも言いま

すが、この「悟り」現象は、何も「禅宗」の専売特許ではありません。人間の「

自然現象」としてあるものです。日本ではたまたま「禅宗系」の開祖が「悟り」

現象があったから伝えられているのです。私にしてみれば「どうでもいいことで

す」また、これも何回もお伝えしていますが古今東西の賢者・聖人等と言われる

方々の「悟り」現象は、個人の志向性により異なっていることもお知らせしてい

ます。
?禅の悟りのようで、違うとのことのようですが
良くわからないのは、何らかの体感をして悟ったとして
それが、本当の悟りなのか、我見の妄想なのか
どうやって、わかるのでしょうか。


回答 過去に体感・体験した方々の内容と擦り合わせれば一応は納得するもので

すが、結局は、「体感後」のその人方の行動、その後の人生で見ていくしかない

のが現実のようです。なぜならば「「体感」することは「言葉にできない、文字

にできない」現象ですから。


質問⇒蘭夢 様の言う「悟り」とはどのようなものですか?また我見との異なり

は具体的にどうのようなものなのですか?

②アルベア様が体感された内容は、どうして、妄想、幻覚ではなく悟りだと確信

されたのでしょうか悟りだと確信された根拠を教えてください。また、悟りには

深さがあり種類もあります。


回答 「悟り」現象の確信の根拠は自分自身の「体感」です。それをどのように

形にしていくかが、それぞれの課題になっているようです。「体感」という言葉

でしか説明できないのが本当のことです。ただ「縁」があったということは感じ

ています。

「悟り」の深さ、種類があることは個人の志向性でその違いを述べています。

③アルベア様は、創価的言葉ですみませんが、大聖人と同じ悟りを得た覚知した

と、つまり仏であると覚知したと思ってよろしいでしょうか。


回答 大聖人と同じ「悟りを得た」とは言っていません。「悟り」現象を体感・

体験したと述べているのです。このような誤解を生じさせることも「相対的現象

・現実」の世界の働き作用なのです。

もし、そうであるならば、何をもって、そのように確信されたのでしょうか
その根拠を教えてください。


回答 「根拠」を示すとしたら、今、私が投稿している内容全てを検討吟味して

いただければと思います。そして私自身の身で起きた様々な現象をいいます。

大聖人は「身読」ということで「法華経の巻き」を通して根拠を示されています


道元等の禅宗系の場合「見性」(けんしょう)体験といい、「悟った」というこ

とを「悟った先輩、または悟った師匠が認めるという人材育成のパターンが成立

しています。しかし今日、世俗化による風化により、このような形は「見性」した者の

系列の一部しか残されていません。

質問⇒「戸田先生の一連の獄中体験」の根拠はなんでしょうか?人間革命に書か

れていたからが根拠なのですか?戸田先生も釈尊も「悟り」現象体験についてい

かに、文字にしたり、話をすればいいかを苦慮しています。わかります?。体感

する世界を伝える事の難しさがあります。自分自身の身に起きた現象ですから、

蘭夢 様は、どうのような事が根拠だと思っているのですか、

宝塔品の比喩はどうして成立したのでしょうか?

牧口先生・戸田先生・池田先生、三代の生命活動を支えてきた現象の根拠はなん

だと思いますか?小説という内容でしか示されなかった現実をどうのように認識

しているのでしょうか?

「根拠」という概念は、自分自身が納得するための裏付けのようなものですが、

これまた他者に伝えるとなると難しいものなのです。例⇒排尿の感覚は、言葉で

伝えるのは難しい事わかります?「悟り」現象もこのような「体感反応」なので

す。

日蓮教学・創価教学また日々の学会活動で培ってきた信じ込み・思い込みにより

、質問されたような信念体系が構築されてしまっていることわかりますか?私は

「悟り」現象は自然現象だと認識しています。人間の思い込み・信じ込みという

思考・概念では理解はできないものだという事です。それは我が身により「了解

」することだからです。

信じ込み・思い込み・思考・概念の世界は、すべて「対象化」している現象です

。「対象化」する前の段階は言葉や文字にならない世界なのです。人間と言う現

象を見ていくとわかってきます。全てを知っているようで、何もわかっていない

ということなのです。自分で「自身の思考観察していけば」わかることです。な

ぜ思考という現象が次から次へと湧いてくるのでしょうか?「思い浮かぶ」とい

う現象があるのでしょうか?

まずなによりも、今まで、長年創価にいてどうして、「自分自身も悟り体験をし

よう」との思いにならなかったのか、わかります。「自分には無理」という世界

観が内部で構築されていたからではないですか、

ちなみに、そうした根拠はどうでもいいことです。「体感する世界」は根拠では

ない、生の反応ですから、

「根拠」をいうならば蘭夢 様は、「なぜ信心したのですか、どうしてこの信心

が正しいと判断されたのですか、その結果、なにが起きたのですか、その根拠を

お示し下さい。」と質問されたら、どうのように「根拠」を示しますか、「自然

現象の根拠を示して下さい、」と言われて、どのように示しますか、蘭夢 様の

根拠をお示し下さい。

「相対的現象・現実」の世界では、このような「正」「反」「合」という現象が

絶えず自我機能により起きているのです。

「悟り」現象が蘭夢 様に関係ない、関係あるのかは、ご自身で判断していけば

いいだけです。私には関係ない事ですから、なぜならば御自身のことだからです


多くの人たちと同じように抱く、率直な疑問、質問、有難うございます。感謝し

ます。

「相対的現象・現実」の世界は絶えず「自我機能」の働き作用が強く働いている

のです。


  • [77]
  • 禅とは違うとは?

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月13日(水)02時10分14秒
 
アルベア様

禅の悟りのようで、違うとのことのようですが
良くわからないのは、何らかの体感をして悟ったとして
それが、本当の悟りなのか、我見の妄想なのか
どうやって、わかるのでしょうか。
アルベア様が体感された内容は、どうして、妄想、幻覚ではなく悟りだと確信されたのでしょうか
悟りだと確信された根拠を教えてください。
また、悟りには深さがあり種類もあります。
アルベア様は、創価的言葉ですみませんが、大聖人と同じ悟りを得た覚知したと、つまり仏であると覚知したと思ってよろしいでしょうか。
もし、そうであるならば、何をもって、そのように確信されたのでしょうか
その根拠を教えてください。

  • [76]
  • 獅子の子 様

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月12日(火)21時34分26秒
 
獅子の子 様 2016年 1月12日(火)19時24分47秒

確かに「自我機能」からの質問承りました。理解の仕方はいい方向に向いています。

?学会の中でも大聖人の仏法は信じているが池田先生が学会をおかしくしたと思っている人たちがいますよ

ね。

池田先生が会長になってから学会組織も又公明党出現により世の中も狂いが生じ悪い現象ばかりが増えたと騒

いでいます。先生が悪の元凶で、大聖人の御書に照らして池田先生のして来た事は謗法者で仏敵だと言ってい

ます。

池田教 池田宗とその人たちは言っていますが先生を信じている学会員さんも謗法者だとしネット内や現場で

破折されている様なんですが…


回答 このような方々は、おそらく親が90歳以上の方からのそのような話を聞

かされた方に多いようです。また、いわゆる寺信心中心で来られた方々に多く見

受けられる現象です。

まず90歳以上の男性は池田先生より年齢が上です。男の本性というか、愚考に

より「自分より年下の者の活躍に、嫉妬する、うらやむ生命が働き作用するのが

見られます。特に戦前教育を受けてきた方々には、そのような傾向が強く見られ

ます。若い年齢の方々60歳以下の方々の場合は、今述べてきた中での立ち位置

を継承していると見ることができます。

まさに「相対的現象・現実」の中での「自我機能」の働き作用です。

「自我機能」の働き作用には同時に弁証法的現象、対立の構図(トライアングル

現象)があります。当然、「日蓮大聖人VS池田大作」という現象も含まれている

のです。この異なりが「立ち位置」という当人たちの意識ポジションによる差な

のです。絶対的現象・現実から見ればどうでもいいことなのです。自ずとわかる
からです。


②何故大聖人の仏法は称賛され、先生は謗法者 仏敵と言う風に見えているので
しょうか?


回答 「大聖人は称賛され」とは宗祖だからです。「宗祖だから偉い」という思い込み

・信じ込みレベルの宗教観だからです・そして「池田先生は僧籍ではない」という

「坊主が上、信徒は下」という構図が自我機能の中に定着化しているからです。

「相対的現象・現実」の中では常に「反転」現象が起きています。自分自身の意識の

ポジションにより、状況・条件・都合等により意識していることと真逆の現象がもた

らされているのです。

創価の方々の信心のレベルは人数分あるのです。それは世俗化した教団の当り前の姿

として他の宗教とはかわらないということです。「創価だから」との期待・依存は、

思い込み・信じ込みのレベルです。

例⇒宿坊は創価本部から見ると仏敵です。宿坊関係者から見ると創価執行部は仏敵です。

「相対的現象・現実」の現象なのです。では、「どちらがいいのか」と「考えても」答え

は「自我機能」では出せない輩が多いのです。

だから自分自身の「体感覚知」が必要なのです。ちなみに質問自体は獅子の子 様の日々の

生活にどのような関係があるのでしょうか、質問自体が他人事なのです。既に述べています

が仏法は自分自身の体感・体験の世界です。極端な話、創価であろうとなかろうと関係ないの

です。自分自身なのです。

「獅子の子」と名のる以上、獅子(師子)としての「証」・体感・体験をすることにより「真実」

が自分自身の中で明白になります。

「体感覚知」すると、今まで真実であると信じ込んでいたことや、教わってきたことが「ぶっ飛び

ます」、創価は創価、大聖人を讃嘆し池田先生を謗法呼ばわりすること等も、どうでもいいことな

のです。

投稿をいつも読んでいただき有難うございます。何らかの気づきになればと思います。

有難うございました。


  • [75]
  • アルベア様

  • 投稿者:獅子の子
  • 投稿日:2016年 1月12日(火)19時24分47秒
 
おじゃまします。
アルベア様の部屋が出来て
良かったですね。
一時はどうなるかと…
提案して下さった方と
管理人様に感謝ですね。

アルベア論ですが
ん~わかるような
わからないような…
わかるようでわからない…
私も自我機能の一人なんでしょうね(^^;)

こんな私ですが
ちょっと聞いて欲しい事があるのです。
学会の枠組み概念からの
問いになっているかもしれませんがご了承をm(__)m

学会の中でも大聖人の仏法は
信じているが池田先生が学会をおかしくしたと思っている人たちがいますよね。
池田先生が会長になってから
学会組織も又公明党出現により
世の中も狂いが生じ悪い現象ばかりが増えたと騒いでいます。
先生が悪の元凶で
大聖人の御書に照らして
池田先生のして来た事は
謗法者で仏敵だと言っています。
池田教 池田宗とその人たちは言っていますが
先生を信じている学会員さんも謗法者だとし
ネット内や現場で破折されている様なんですが…

アルベア論 悟り現象18
で述べている事なんだと思います。

でももう少し詳しくこの現象について聞かせて頂けないでしょうか?

何故大聖人の仏法は称賛され
先生は謗法者 仏敵と言う風に見えているのでしょうか?

未熟者ゆえ
より詳しく又分かりやすく聞かせて頂けたら幸いです。

  • [74]
  • 「悟り」現象の簡単まとめ 25 

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月12日(火)17時36分38秒
  • 編集済
 
「悟り」現象の簡単まとめ 25

「悟り」現象は、「眼差しの向け方」で、誰もが体感・体験できる現象です。意識の反応パターンが膠着しているから、わからないのです。「自我機能」と「自己機能」の癒着が強固だから「わからない」という現象が起きるのです。

人間の在り様から見た「右脳の活性化」プログラムを「やる」と「体感覚知」という現象が起きます。「意識のイノベーション」です。「悟り」現象0~24を簡単にまとめました。

★3つの機能の区分に慣れる

1-「自己機能」身体機能・身体感覚⇒「肉体」という「実体」がある。「体感のワーク」

2-「自我機能」思考・概念の世界⇒「実体」が無い。          「思考観察」

3-「意識機能」⇒意識している自己を感じ取れる。⇒「自己」と「自我」を貫く働き作用⇒実体は肉体

★2つの現象世界の区分に慣れる「眼差しのトレーニング」

1-人間の生息している世界を「相対的現象・現実」の世界といいます。

弁証法的現象⇒「正」VS「反」⇒「合」というトライアングル現象の活動が常に起きている世界

2-全ての世界である「全体性」から見た「絶対的現象・現実」の世界

★「ワーク・トレーニング」 「眼球運動」と「頭のない方法」を毎日5分~7分朝晩に行う。「右脳の活性化」


  • [73]
  • 革命こそ蘇生 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月12日(火)17時35分7秒
 
革命こそ蘇生 様 :2016年 1月12日(火)11時58分50秒

まじめなご質問有難うございます。また「眼球運動の実践」有難うございます。

「眼球運動」をやれば、やるほど「ハマッテ」行きます。「見えてくる」眼差し

の働き作用によりもたらされる効果だからです。「板」を見る眼差し、先生のス

ピーチや講義を読む眼差しが、今まで読んだ理、見たりした印象と異なった印象

を受ける様になってきます。自分なりにメモ記録を付けやり続けてみて下さい。

「眼差し」については2015.12/29.5:03投稿で述べています。

真摯に考察させて頂きますと、仏法で言う所の五眼と言っても、人間の死をどう捉えるかの眼差しでしかないのかな?と考えてみました。


回答 「人間の死を捉えるだけの」眼差しだけではありません。人間の意識をも救済する眼差しにもなるの

です。「生死生死」という新陳代謝が絶えず身体内部で起きています。「生と死」と分離した「眼差し」に

なると、どちらかに重きを置く「眼差し」になってしまいます。「眼差し」とは人間の「生死」からの離脱

をもたらせるものです。「生死生死」は現象です。「眼差し」も現象です。

そして「眼差し」により「永遠の生命」の覚知がもたらされるのです。「歓喜」という「喜び」の「眼差し

」を得る事となり「慈悲の眼差し」になるのです。

また、他人に教える時には、教えでしかない事はパラドックスを感じます。
宗教とは、ストーリーと実践法なのかもしれないと思います。


答 このような「捉え方」はいい方向に向いていると感じます。 「パラドック

」とは意識の反転の現われです。意識する者の「眼差し」のポジションで起きる

現象です。

「ストーリーと実践法」という見方もいい方向に向かっています。「眼球運動

」をつづけると「自己機能」の働き作用が活性化し(右脳の活性化)「自我機能

」による思考・概念がハズレていきます。心身のコンディションが楽になります

。このような反応は「自然治癒力」が活性化したからもたらされる現象なのです

「眼差し」の感覚が「自己機能」の働き作用であることがわかってくると、思考

・概念等の「自我機能」の愚考世界が見えてきます。見比べ、判定・評価する

「眼」が活性化してくるからです。


  • [72]
  • 五眼

  • 投稿者:革命こそ蘇生
  • 投稿日:2016年 1月12日(火)11時58分50秒
 
眼球運動をすると冴えますね。自分が、どんな時どんな風に眼球運動をやってたか思い起こしながらアレンジ(笑)して、画面を見なくてもやってみてます。
自分でやってた時は、なんだこれ面白いなぐらいの感覚で、継続的にやる事はありませんでしたが。

真摯に考察させて頂きますと、仏法で言う所の五眼と言っても、人間の死をどう捉えるかの眼差しでしかないのかな?と考えてみました。

(1) 肉身の所有している「肉眼 (にくげん) 」
=分からない、他人事
(2) 色界の天人が所有している「天眼 (てんげん) 」=教えに従う、妄信
(3) 二乗の人が一切の現象は空であると見抜くことのできる「慧眼 (えげん) 」=自分を挟まず在るままに見る
(4) 菩薩が衆生を救うために一切の法門を照見するところの「法眼 (ほうげん) 」=在るままの奥の真理を見る
(5) 仏陀の所有している,前記の四眼をすべてそなえた「仏眼 (ぶつげん) 」=それは私だ

こんな感じで考えると、創価三代とその他の違いが浮き彫りになるようにも思います。

また、他人に教える時には、教えでしかない事はパラドックスを感じます。

宗教とは、ストーリーと実践法なのかもしれないと思います。

目の前にいる今にも死んでしまう人達。私の場合、向き合ったのは自殺志願者が多かったですが、そういう経験も、受け入れる素養の一つかもしれないですね。

  • [71]
  • 「エネルギー変換」現象

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月12日(火)05時25分33秒
 
「エネルギー」という存在(現象)2016.1/9.18:02投稿  改変

「現象」とは、人間が見えるという範囲でのエネルギー現象の変換作用の働きです。「魔」「仏」「諸天善神

」「南無妙法蓮華経」等も突き詰めていくと「エネルギー」の働き作用です。生命現象の現れとしての「エネ

ルギー現象」なのです。

私たち人間は「言語」と言う枠組みで捉えるから、言葉により限定されたイメージとして、人間の思考に定着

化してしまっているのです。「エネルギー」という感覚が感じ取れない状況があるのです。

人間の存在様式には、言語・言葉による支配(重力作用)が起きているのです。様々な「現象化」という現れ

は、エネルギー変換によるものなのです。全てが自然の現象なのです。それが「生命現象」なのです。

「相対的現象・現実」も同様です。現象として見えるから、わかりやすい、しかしエネルギーとして見ると「

見えない」「わからない」「気づかない」ということが起きるのです。

「俯瞰的眼差し」は、そうした現象やエネルギーを感知し、探知することが同時にもたらされるのです。それ

が言葉になると「智慧の働き作用」と変換されるのです。

「私」、「自分自身」という個は、エネルギーに変換すると、「私」、「自分自身」という存在感覚は消えま

す。現象化している世界では個別としての「私」、「自分自身」があるのですが、エネルギー体として見えて

くると、全てが平等であり、同じであると言う感覚が出てきます。「相対的現象・現実」からの離脱・脱却が

起きるのです。

このことは父が亡くなり、父のアルバムを整理していた時、尋常小学校時代の父の写真を見て「あっ?これ、

俺だ!」という感覚になった時に始めて感じました。「私はあなた、あなたは、私」という事を「体感」した

瞬間でした。個別の自他として見ていた感覚がエネルギー体として見えた時、自他の区別が消えたのです。こ

の現象が「不二」という現象なのです。

「師弟不二」とは、自他の関係である限り、「不二に非ず」なのです。「エネルギー体」としての「自己覚知

」により自他の区別が消えて「不二」となるのです。言語・言葉の世界にいると「不二」は「不二」という言

葉に拘束された世界に留まるという事なのです。

エネルギー体としての「自己覚知」は、全ての思考・概念・信念体系の枠がハズレることを意味します。「善

・悪不二」という言葉上の概念も、自然に納得できちゃうのです。なぜならばエネルギーの働き作用には「善

・悪」の区別はないからです。

「法華経の智慧」というストーリーもエネルギー変換してしまうと、「自然にわかっちゃう」のです。全ての

個別的な人間の物語なのです。一人一人の「この世の物語」であることがわかると同時に、常にそれは存在し

ていた、元々あった、これからも在る、という「時空を超えたエネルギーの世界にある」ことに「気づく」の

です。

今述べているような「体感覚知」は人間である以上だれでも覚知できる現象なのです。このことを「成仏」と

言ったり「仏の生命」等と言葉で表現しているだけなのです。

エネルギー変換という現象は、私たちの身体活動でも瞬時も休むことなく起きている現象です。食べ物を摂取

してエネルギーに変換し身体活動が維持されています。新陳代謝という現象もエネルギー変換による生命活動
です。

また経済活動に伴う貨幣による変換もエネルギー変換の働き作用です。このように「エネルギー」に意識を向

けていくと自然に「エネルギー感覚」がもたらされるようになるのです。

「エネルギー感覚」から見ると、人間は物事を対象化し、モノ化して、人間の都合による世界を創ってきてい

るのがわかります。言葉による分離・分断の働き作用が常に日常的に起きているのです。他人事(たにんごと

)としての「対象化現象」があるのです。言語・言葉の世界では例えば「同苦」同意」という事が分離・分断

の働きが強いため生じにくくなっているのです。言葉があっても現象としては難しいということが起きている

のです。

「非二元」の世界を「体感覚知」した人々に共通して見られる現象は「エネルギー感覚」から「今いる現実」

を見ているということです。同じ現実にいながら、見ている世界・感じる世界は異なっているという現象が起

きているのです。

「体感覚知」すると「エネルギー感覚により、世界を俯瞰する」という意識の現象が起きてくるのです。それ

は「相対的現象・現実」から解き放なられた現実として「絶対的現象・現実」から見ているのです。

言語・言葉・文字の現われの世界は人間現象活動の一側面です。生命現象としての「人間」を見いていく場合

、「エネルギー」の視点からの「眼差し」が重要になってくるのです。なぜならば「言葉」で言い尽くせない

、表現できない現象が、当たり前にあるからです。(創価の硬直した方々は「やっぱり禅宗的・天魔」との判

断を下す。どうでもいいこと)

そうした生命現象の本質を日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」と集約し文字として残されたのです。つまり「南

無妙法蓮華経」それ自体が「エネルギーを集約した現象」なのです。「エネルギー感覚」を意識して唱えると

心身が反応するという現象が起きるのです。我が生命にエネルギーを呼び起こすエネルギー変換の方法でもあ

るのです。

このような見方が「意識のイノベーション」なのです。教義・教学は思考・概念による論理的体系です。人間

は「体感的存在」なのです。生きている現象は思考や概念ではないのです。人間は「思考・概念的存在」では

ないのです。自然の中での現象的な存在なのです。

「現象の現われ」は、エネルギー変換によるものであり、そうした現象そのものが「生命現象」なのです。


  • [70]
  • 蘭夢 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月12日(火)05時15分14秒
 
蘭夢 様:2016年 1月11日(月)15時00分52秒

真摯な学び敬服いたします。

さて「意識のイノベーション」について丁寧な正直な回答いただきましたが、回

答の全てが入信して以来の教学的な思い込み・信じ込みの範疇であることに気づ

きますでしょうか、

例えば

「仏と同じ境涯ということになりますが、とても簡単には説明できないです。⇒正直でいい感じを受けます。
自身の生命に仏の生命があると覚知することにより、あるがままに生きられれるということでしょうか。
宿業といい、自身の置かれている様々なものを正しく把握することにより、煩悩即菩提となる。」
「己心の生命内在の仏性に気づくこと」との回答ですが、

具体的にどういうことなのでしょうか?己心の仏性に気づくことができないのはどうしてでしょうか?個人差

の問題なのでしょうか?どうして役職者は仏性に気づけないのでしょうか?


回答 「自身の生命に仏の生命があると覚知することにより」とありますが、

「覚知」した人はいるのでしょうか?創価の方々はみなさん覚知しているのでし

ょうか?

「自身の置かれている様々なものを正しく把握することにより」とありますが、

どういうことを「正しく把握」することなのでしょうか、またどうすればいいの

でしょうか、

全てを否定するような回答ですが、書かれた内容が「思い込み」「信じ込み」と

いう「自我機能」からのものであることがわかりますでしょうか、意識のイノベ

ーションとは従来の自分自身の考え方を一度全て放棄していくことです。自分の

思考・概念を取り込まずに物事を見直すということです。そうすると見えてくる

のではと思います。

また「救済とは、成仏すること」では、具体的にどうのような事なのでしょうか



己心の生命内在の仏性に気づくことになりますが、ここで、多分、アルベア様の

言うところと僕が感じるものと、やはり異なっているのではないかと最近、思っ

ています。アルベア様のいうところの気づきは、自己の生命への達観であって、

禅宗の悟りに非常に酷似しており、大聖人の仏法からは、禅天魔と破折されるよ

うな内容に思えてなりません。


回答 ここの部分は一番、創価の人からは批判される部分です。「仏性に気づく

事」と「達観」は同じ現象です。⇒ここで反発する人は多くいます。「現象と言

う現われ」は同じなのですが、否認・拒絶するのは「思い込み・信じ込み」が崩

れる不安から反応しているのです。この反応は「相対的現象・現実」の反応です



用語が違うだけです。大聖人の「四箇の格言」は、当時の邪宗教への破折でした

。「相対的現象・現実」の中での民衆救済を実行したから生まれた「格言」だっ

たと推察されます。

私は「『悟り』現象」を「現象の現われ」として展開しているものです。当然、

他宗の悟り現象も取り扱ってきています。いつも述べていますが、「現象」とし

て見ていくと、従来の教学的な枠組みや宗教的な枠組みが外れてしまうのです。

今日、創価教学だけではなく宗教という存在自体が固定化された世俗文化と同一

視されている現実があるのです。(文明の特質でもある)

自然現象・生命活動には「禅、天魔」という現象はありません。「自我機能」と

いう宗教的な枠組みの事です。50年以上前に池田先生の「科学と宗教」を読ん

だとき「四箇の格言」を生命論で展開すると、どうなるかと考えたことがありま

す。

その時、生命現象として見た場合は「生命の傾向性」として4つに分類されるも

のであり、人間が陥りやすい生命の傾向性であると理解しました。現在は「相対

的現象・現実」で起きている人間現象の一つとして理解しています。それは「自

我機能」の働き作用であり、「悟り現象」は「自己機能」の働き作用と理解して

いるからです。

狭い範囲内の創価の人々のみを対象として展開しているわけではありません。な

ぜならば普遍的な仏法というならば、なおさらです。硬直化した思考・概念は生

きている世界を狭めてしまうのからです。

全ては「思い込み」「信じ込み」の従来型のパターンが続いているだけなのです

。意識のイノベーションとはそうした見方を変えていくという取り組みなのです

。そして民衆救済をしていくということです。そこに「体感覚知」する世界があ

るからです。今の創価に問われているのは教学・会則ではなく「個人の信心の在

り方」が問われているのだと思います。また創価に欠落しているのは「体感覚知

」するということがなおざりにされてきたということです。

「体感する、体感する、というが、何を体感するだ」との批判もあります。「他

人事」だから言える事です。「幸福境涯」「歓喜」「喜び」は「体感現象」です

。「苦悩」という現象も「体感」です。思考・概念の方々は「わからない」世界

に身を置いているのです。彼らの愚考は「体感」する現象ですら思い込み・信じ

込みなのです。一見、理知的に見えるけど、ただそれだけのレベルです。

壮年部の方々と懇談会を持った時です。参加者のほとんどは大卒、それなりの経

歴もある方々、懇談内容は、全て他人事、能書きと不平不満だらけ、安保・会則

などについても「評論家ブリ」バカさらすだけの方々、これが中堅幹部と言われ

るレベルです。とても「己心の生命を覚知」したとは言えません。生命の濁り・

ズルさを感じました。立場上、いろいろ話を聞いて激励しましたが、思考・概念

の世界でしか反応はしていませんでした。「自己機能」が不良不全の状態にある

からです。

周辺の創価の人々をよく観察してみて下さい。そこに意識のイノベーションが必

要であることの答えがあります。

いろいろまた考えると思いますが、考えて下さい。閲覧者の方々も同じように触

発されて、いろいろ考え始めてくれるからです。有り難うございました。感謝い

たします。


  • [69]
  • 意識のイノベーションのために・考えてみました

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月11日(月)15時00分52秒
 
意識のイノベーションのために・考えてみました。
少し長くなったので、かなり後半、端折っていますが・・・

1-「救済とはなんでしょうか」
一言でいえば、成仏。
仏と同じ境涯ということになりますが、とても簡単には説明できないです。
自身の生命に仏の生命があると覚知することにより、あるがままに生きられれるということでしょうか。
宿業といい、自身の置かれている様々なものを正しく把握することにより、煩悩即菩提となる。

2-「折伏して、ご本尊受持して、学会活動して、広宣流布していく」というのが、「救済」といわれる概念
です。生命現象から見ればどいうことをいのうでしょうか?

信心をして、まず初心の功徳をいただき、まず何か願いがかなう。
そこから人生の困難は打開可能であるとの気づきが始まる。自分は変われるんだという気づき、これは生命に仏界の生命があるということを気づかせる初期段階です。
折伏するというのは、実は相手を救うということではなく、自身の生命の反射が相手なので、そこから自身の生命の歪みを見つめる
行為になります。
折伏せず、ただただ拝んでいては、自身の生命の歪みに気づき、治すことができません。
折伏をすれば、わかると思いますが、相手を動かすものは何でしょうか、最終的には理屈ではないはずです。
動かすのは心です。さらに言えば、自身の生命が変わることで、それに感応して相手の生命も変わるのです。
それをお互いの磨きあう場としての学会活動があるのです。
広宣流布といっても、こういった一人一人の生命の変革の積み重ね。それが万波を呼び起こし変えていくものだと思っています。


3-「救済とは、成仏すること」では、具体的にどうのような事なのでしょうか?
己心の生命内在の仏性に気づくことになりますが、ここで、多分、アルベア様の言うところと僕が感じるものと、やはり異なっているのではないかと最近、思っています。アルベア様のいうところの気づきは、自己の生命への達観であって、禅宗の悟りに非常に酷似しており、大聖人の仏法からは、禅天魔と破折されるような内容に思えてなりません。

4-「祈って、動いて」というのも言葉の表現ですが、「祈り」とはなんでしょうか?
祈りとは、南無妙法蓮華経。自己の境涯ではなく、ご本仏の境涯に境智冥合するということです。
この事により、自身の持つ以上の力、仏力、法力の発現となります。
広宣流布を成就させる力とは、御本尊の力によってのみ可能となります。折伏も同じです。自分の力でできたものと錯覚したら、その瞬間にそれは、天魔と同じです。逆に言えば、口下手であっても、教学がなくても、折伏はできるということです。
ある意味、折伏は、どこまでも相手を敬い、思いやる心、その一念にあります。

5-「いつ成仏するのでしょうか」「いつ広宣流布するのでしょうか」「広宣流布になったらどうなるのでしょうか」
成仏というのは、自身の生命の内にあることを悟り、感じたときが成仏です。それを忘れてしまったら凡夫です。
一瞬、一瞬、それは変化します。
いつ広宣流布するか、ある意味、興味深い話です。
学生の時に、よく、キリスト教の方とお話した時に、冗談まじり若気のいたり、こんなこと言ってました。
「あなた方の信じる神は、愛に満ちているというが、この世界の悲惨な状態を見て戦争を見て、涙は流すのか、愛に満ちているのならあまりの悲惨な出来事に心は張り裂けて発狂しているのでないか、そうか、愛に満ちているから神は絶えられず、既に自殺していなくなっているから、このような世界なのか」
同じような問いとして、仏はなぜ、仏になれたのか。
菩薩は、人を救うことを悩みとする。ならば、この世界に闇は多く、人々は苦悩の海に沈んでいる。
菩薩は、永久に仏になれないのではないか。ならば仏など、この世界にいないのではないか。
なぜ仏は仏になれたのか
ただ、アルベア様は、その答えを持っているのでしょう。僕も僕なりの答えをもっています。
ならば、広宣流布された世界、異なる価値観、別の文明とは何なのかも見えていますよね。
僕も見えています。その変革とは、先生が言われているように「人間革命」ですね。これ以上は、つまらない僕の言葉よりも先生のスピーチを読む方が、良いので語りません。

6-どうして「苦難があるのでしょうか」
個人の苦難とは、知るためです。生命の歪みが引き起こしているだけなのです。その歪みに気づけば解決します。
また、法難ともいうべきもの、これも規模が違うだけで、同じ原理と思います。
三類の強敵とは、法華経の行者をあきらかにするための現象とも言えます。

7-「創価の信仰・信心とは、具体的にどういうことなのでしょうか」
創価とは、価値創造というところから来ていたと記憶しています。教育者だった、牧口先生、戸田先生が原点なのです。
人類の変革は、人間教育からであるとの深い洞察があったと思います。
日蓮正宗の一法華講だったものが、創価学会でした。
区別をつけるために言うならば、日蓮正宗は法華経の信者であり、創価学会は法華経の行者という違いがあります。
また、行者であるがため、人間革命として、人の変革を促し、人の変革をもって、社会の変革、世界の変革を促していくという理念があると思っております。

8-「仏法は勝負」とは、どういうことなのでしょうか、
いかに高尚な言葉をならべたとしても、いかに雄弁に語ろうとも、最終的には仏法が勝つ結果となりますよという意味です。
それは、仏法が道理であるから、本当に真実を説いているから、結局は、最後には勝負は仏法が勝つことになる。
このことは、戦いにおいては、法華経の兵法を用いなさいということに通じる。

9-「功徳」とはどういうことをいうのでしょうか、
願いが叶う、病気がよくなるという話は、実際のところ、本当の功徳ではない。
六根清浄が、功徳。というとピンとこない人もいるかも知れない。ただ、意味がわかると、それがどれほど凄いことなのかわかります。文面が長くなっているのでこれ以上は書きません。

10―組織と信心とは、その関係についてわかりやすく語るとしたら
善知識が組織の役割です。組織で何かするとかいうものではありません。
極端にいえば、組織が無くても信心はできます。また善知識は、組織でなくても、求めて探せばよいのです。
そのひとつが、このような板でないかと思います。

11―54年問題いろいろ言われていますが、どうすれば、どうなれば、いいのでしょうか
4人組がいなくなっても意味ありません。
先生の継承者、本門の弟子、師弟不二の弟子が陸続と顕れてくる必要があります。
今の現象は、すべて、その為の現象です。


  • [68]
  • 意識のイノベーションのために

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月11日(月)09時23分24秒
 
意識のイノベーションのために

素朴な疑問から いろいろ考えてみるのも「気づき」になります。

1-「救済とはなんでしょうか」

2-「折伏して、ご本尊受持して、学会活動して、広宣流布していく」というのが、「救済」といわれる概念

です。生命現象から見ればどいうことをいのうでしょうか?

3-「救済とは、成仏すること」では、具体的にどうのような事なのでしょうか?

4-「祈って、動いて」というのも言葉の表現ですが、「祈り」とはなんでしょうか?

5-「いつ成仏するのでしょうか」「いつ広宣流布するのでしょうか」「広宣流布になったらどうなるのでしょうか」

6-どうして「苦難があるのでしょうか」

7-「創価の信仰・信心とは、具体的にどういうことなのでしょうか」

8-「仏法は勝負」とは、どういうことなのでしょうか、

9-「功徳」とはどういうことをいうのでしょうか、

10―組織と信心とは、その関係についてわかりやすく語るとしたら

11―54年問題いろいろ言われていますが、どうすれば、どうなれば、いいのでしょうか


  • [67]
  • 意識のイノベーション

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月11日(月)07時27分31秒
 
意識のイノベーション

ゴルバチョフと池田先生の対談で「新思考」「ペロストロイカ」が語られていま

す。「共産主義」の崩落です。人間のとらえる○○主義とは思考・概念です。その

思考・概念がハズレると新たな世界が開かれることを証明したのが「ペロストロ

イカ」だったのです。明治の「文明開化」という現象も、終戦後の我が国の復興

も「新思考」によるものだったことは承知の通りです。

さて近年ここ36年の創価を見てみると「創価主義」という暗黙知の中で起きて

いる様々な不具合が見受けられます。硬直した思考支配が起きているのです。池

田先生の最晩年にもたらされている現象です。

「創価主義」の崩落現象が起きているのです。「新思考」が求められているので

す。「新思考」の促しということでの「意識のイノベーション」という概念を提

案しているのです。なぜならば疲弊した閉塞状況が「創価主義」にあるからです

「新思考」という展開が今、求められているのです。しかし「創価主義」にドッ

プリ浸かっている方々はわからないまま、「変だ、おかしい」という印象に留ま

っているのです。誰かが「気づく」こと、誰かが「気づき」を促す事、誰かが

「新思考」により「創価」を再生する状況にあるということです。

このことは従来型の「池田先生を求める」という姿勢も「新思考」でとらえてい

かなくてはいけないという弟子の側の課題でもあります。従来型の膠着した師弟

観をわたしは「池田主義」と呼んでいます。「池田主義」の脱却が多くの方々の

課題なのだということです。「思い込み・信じ込み」から「体感」する「感応」

する「事の師弟観」が課題になってきているということです。今こそ、ひとりひ

とりが先生の生命と自分自身の生命の対話をする時です。「新時代」は始まって

いるのです。


  • [66]
  • 蘭夢 様 

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月11日(月)06時06分2秒
 
蘭夢 様 :2016年 1月11日(月)01時07分11秒


真摯な質問ありがとうございます。感謝いたします。

「意識のイノベーション」「悟り」の現象について、生命現象、生命活動という視点から展開させていただい

ています。

「トレーニングで云々」「達観・感得すと・・・かもしれません」「縁がある」「縁がない」いろいろお考え

なられての質問だったと思います。有り難うございます。

★「本未有善」、愚考の人は、どうすれば救えるのだろう。その答えが、大聖人の仏法であるし、法華経だと

僕は思っている。

回答  その通りですが、生命現象という視点から述べると「仏法」の枠組みを離れてしまうのです。

「体感」すると即過去になり「後付」として言語化するとストーリーになります。蘭夢 様が信心で「体感」

された現象を「仏法」の物差しで「後付」した場合、蘭夢 様のように語れるのです。このことが「思考」と

いう枠組みです。

「トレーニング」で救えるか、

回答 一般論でいうならば「救えます」、法華経以前・釈尊誕生以前の人間は「救う」「救われない」以前の

ことはらどうだったのでしょうか?日蓮大聖人が文字曼荼羅を現わす以前の民衆は、どうだったのでしょうか



「日蓮大聖人」⇒「法華経の智慧」という構図は760年ほどの出来事です。総合的な民衆救済方法を体系づ

けられ「思考」「概念」「信念体系」です。仮説・解釈の世界です。生命現象には思考・概念・信念・等とい

う「人間の言語的枠組み等は一切ありません」私たち人間の存在は信心している者からみると教学により体系

づけられたことを教えられてきたのです。人間の思考は自己言及・自己追及という現象をもたらさせているの

です。

「広宣流布」という「概念」も人間の意味づけとしてのものであり「対象化」されたものです。生命現象には

そのような概念はありません。人間の思考する世界にのみある言語・言葉の位置づけ・定義にしかすぎないの

です。「輪廻転生」という用語も概念です。生命現象からみると生成発展という現象です。人間が自我都合で

取り上げたきわめて人間臭い概念です。

★人間として誕生した事実は「生命活動体として完璧である」「自己機能」として完璧であるということです。

しかし「三毒に犯されて悩み苦しむ」この「苦しみ」は「自我機能」の働き作用です。この区分がわかると見

えてくるものがあると思いますが・・・

★「トレーニング」は、「体感覚知」することを促すものです。「自己機能」と「自我機能」の区分できるよ

うになると自然に解放されるのです。私が過去に経験した末期患者さんへのアプローチで検証済みです。その

多くは「創価の方々」ではありません。創価に入信し、頑張ってこられている方は、それでいいのです。自己

言及・自己追及のモデルが既にあるからです。それは、それなりの「体感覚知」だからです。本人の選択だか

らです。

★大聖人の民衆救済の体系は「人間」という存在から生命という存在への壮大なるスケールのものです。しか

しその展開は「人間」という「眼差し」からの「相対的現象・現実」の世界でのことです。「絶対的現象・現

実」を体感覚知されていたからこそもたらされた現象なのです。このことが体感として了解できないと、思考

・概念という枠組みに陥って言葉に捉われてしまうのです。自然現象には言語・言葉による概念はありません。あるのは「現象」という「現われ」だけです。

生命的存在「自己機能」という視点からは「釈尊」「大聖人」「牧口先生」「戸田先生」「池田先生」「蘭夢

様」は同じです。

違うのは「自我機能」の世界です。しかしこの「自我機能」とて、その生命活動は同じです。個別的な存在と

して見ると時間・空間が異なるのです。

★教学的、生命論的な視点からは、自分で思索され、内的に深められていくことも必要です。そうした現象も

「現象の現われ」なのです。

★一応、回答しましたが納得はできないと思われます。また新たな疑問が出てきたのではと思います。この

「板」では「人間」という存在、人間中心の思考ではなく、「現象」としてどう見ていくかにポイントを置い

ていることからの救済方法としてのトレーニングを提供しているのです。

真摯な質問ありがとうございました。このようなやり取りも「相対的現象・現実」の世界のことですので、

弁証法的現象が閲覧する人には起きているのです。

★ちなみにこの「板」の閲覧者の方々は増えています。これからも増えていきます。なぜなら「モアー」とし

ていた「モヤモヤ感」が晴れてくることを感じているからです。


  • [65]
  • 既に広宣流布は成就しているのです

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月11日(月)01時07分11秒
 
エネルギー変換すると、既に広宣流布は成就しているのです。
とのアルベア様の言葉。

同じかどうかはわかりませんが、ある意味、感得する世界というのなら
理解できなくはありません。

スウェデンボルグの話がでてきたときは、何だかな・・・
と思いましたが。

内在する御本尊を胸中に感じるということは、既に広宣流布した世界を見ることになるわけです。
実際には、自分自身の生命の内に、一念三千の世界を感得することになるわけですが

言葉で伝わるかは難しいですが
広宣流布される未来、されず魔に支配される未来。どちらも存在するんだということ。
ありとあらゆる無限に広がる選択肢、異なる時間、空間、世界があたかも糸のように、それらは時には絡み合い離れていく
そういう時空間の糸というべきもの、それらすべてを包み込み、もれなく内在しているのが生命だとわかってくる。
そこには、自身の我とおもっていたもの、他人と自分の境界さえもなくなってくる。
その瞬間に自分は自分であり、他人でもある。他人もまた自分自身であることがわかる。
善もまた、自分であり、悪もまた自分である。
マクロとミクロという観点で、例えを置き換えるとわかりやすいかも知れない。
例えば、僕の手は僕の手だ。僕の足は僕の足だ。
僕の体はおよそ37兆個の細胞でできている。そして各々の細胞は生死を絶えず繰り返している。
僕という存在は、そのどこにあるだろうか
宇宙と自分が同じという感覚は、すなわち、個々の人を細胞に例えて、その集合たる集合意識、地球生命群の集合意識。
さらには、宇宙というさらに大きな生命体から見た視点といえばわかるだろうか
自分という我、そして他の意識も含めて感じる視点。

他者を愛せよ、言われなくとも、結局、他者は自分のことであることがわかるならば、愛さずにはいられないだろう。
自然は支配するものではなく、自然とは自分自身の体の一部であるとわかるならば、環境破壊などできるわけがない。
わずか数十年の人生の記憶という垢のようなものだけが自分だと矮小化し、仮の器たる肉体を維持するがための欲望に支配され本質を見失った姿、それが元品の無明に縛られる末法の人々ではなかろうか。

これが、自己の生命を達観したときに得られる感覚だろうと思う。
このことをアルベア様が言っているのかどうかはわからない。
ただ、その先があるということを僕は知っている。
自身の生命を達観することは、禅の教えであり、スピリチュアルなものも、その達観を持って、内在する宇宙意識との交流と説く。
だが、それでは、残念ながら、輪廻する世界に捕らわれている。
それは、アルベア様が言う通り、縁がなければ、わからない。わからない人にはわからない。いつか時が来ればわかる。
その通り、だって、何も変革しているわけではなく、ただ、達観しただけなのだから。
ただ、宇宙を貫くエネルギーを達観しただけ、そのエネルギーの奔流に流されているだけ。
流れに抵抗しなければ、楽になるよ。確かにね。その流れのいくつく先がどこなのか。
既に、エネルギーに善悪がないことは達観しているわけだから、そのゴールが悪であっても何も問題ないわけだ。
性善説ではないから、末法の衆生なのだから
衆生の機根には、「本已有善」「本未有善」とある。「本已有善」の人であれば、善のゴールでめでたしめでたしだろう。
だけどね、今の世界の人々は「本未有善」なのだよ。だから、大乗と小乗と言われている。
結局、小乗では、自分は救えても、機根に優れた人は救えても、「本未有善」の人は救えないんだよ。
「本未有善」の人を救うにはどうしたら良いか。
そこまで、考えがいたるとき、初めて「法華経」しかないことがわかる。
ただ、その理由を知るためには、自分がなぜ、気付き、達観できたのかを知らなくてはいけない。
なぜ、自分は気付き、真理を達観できたのか、なぜ、気付かない愚考の人がいるのか。
もし、そのトレーニングが最高のものであるならば、差別なく人は救われ、今のような世界にはならないだろう。
愚考の人には無駄なトレーニングなのだろう、ならば、それはトレーニングの成果ではなく、本来その人のもつ機根の優劣に頼っているのではないかと思うが、どうだろうか。
「本未有善」、愚考の人は、どうすれば救えるのだろう。
その答えが、大聖人の仏法であるし、法華経だと僕は思っている。
僕が感じる歓喜とは、自身に歓喜だと刷り込むようなものではない。
また、何か真理を達観した歓喜でもない。
確かに、それは昔、感じた歓喜。温かさも温泉につかるような・・・歓喜。
今の僕は違う、去年、この板と出会い、変わった。
もっと、抑えがたい大感情の歓喜になった。涙がぼろぼろでてくしゃくしゃになって、抑えがたい大感情。
ありがたくてありがたくて、ただ、こればかりは言葉で説明するのは本当に難しい。
ただ、我即宇宙と感じた瞬間といった悟りの歓喜なんてものは、はるかに小さいものであることが今はわかる。


  • [64]
  • 「悟り」現象24 「非二元」の世界2

  • 投稿者:アルベア
  • 投稿日:2016年 1月10日(日)08時20分52秒
 
「悟り」現象24  「非二元」の世界2

非二元の「体感・体験者」3人の実例

「悟り」現象16.1/8.で「非二元」の「悟り」講座を紹介しました。

今回は「非二元」の体感・体験者のyou tube を紹介します。ご覧下さい。


「相対的現象・現実」からの離脱現象として見ると参考になります。

一応、わかりやすい事例を選びました。(他にもありますが「怪しげ」な人々が
多い)

3人の体感・体験現象を見ると「悟り」現象といわれる概要が理解できるのでは
と思います。

思考・概念という「自我機能」の方には理解はできないと思います。

①らくちんこ道

1-https://www.youtube.com/watch?v=znjcmaXbVHI

2-https://www.youtube.com/watch?v=13p2hXVspXc

②非二元とセラピーの接点 溝口あゆかさん [悟りへの道]

https://www.youtube.com/watch?v=x-5xj6gNITw

③大和田菜穂

1-https://www.youtube.com/watch?v=Pu0aNix-27M

2-https://www.youtube.com/watch?v=bpwPZhPrw64


  • [63]
  • 「悟り」現象23

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月10日(日)04時01分32秒
 
「悟り」現象23

「悟り」現象の「体感・体験」プログラムのまとめです。

1-創価の信仰・信心等は一切関係ない方法です。

2-身体機能による身体感覚のワーク・トレーニングです。

3-「右脳機能」の働き作用を活性化させるプログラムです。

4-「自我機能」は必要ありません。「自己機能」によるプログラムだからです。

5-「縁」がある方々が選択するプログラムです。

1-「体感覚知」のワーク 2-眼差しのトレーニング 3-「ワーク・トレー

ニング」の3セットは「悟り」現象を誘発させる技法です。「智慧」「気づき」

の向上もたらす技法です。

古今東西の「悟りを得た人」「覚醒した人」「目覚めた人」「至高体験者」等、

賢人・聖人と言われた方々の「体感覚知」した世界をわずか3ケ月でもたらす画

期的技法です。

難行苦行・礼拝・マントラ・経典読誦等は全く関係のない「右脳刺激」だけによ

るプログラムです。

ただ、長年染み込んだ「思考」・「概念」等が阻害することがありますが、考え

ずにやればいいのです。

過去の「悟り」現象の記録や伝承を吟味し、職人や武道家が身体感覚を通し、技

術を修得する過程を精査し、創始した技法です。「悟り」の修行の30年から5

0年分の時短プログラムです。

人間のやることなす事の「愚考」が自分自身で知ることができるのです。

「板」で行われている、日夜のあれこれのやり取り、ネット上の世界、TV・

新聞等のメディア世界、自分自身の日常生活の営みの「くだらなさ」「馬鹿馬鹿

しさ」を感じるとともに「本当の世界」を感じるのです。

くわしくは「体感覚知」して自分自身で確かめて下さい。

「悟り」現象については、読んでも、見ても「わからない人」「拒否する人」等

がいます。「相対的現象・現実」の世界だからです。それは、それでいいのです。

「気づいた人」がワーク・トレーニングをすればいいのです。

「縁」ある人が選択するプログラムとも言えます。「縁」無き人には無理なこと

です。これもまた自然に選択される現象として起きてくるのです。


  • [62]
  • 「悟り」現象22 ワーク・トレーニング

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月10日(日)03時21分9秒
 
「悟り」現象22 ワーク・トレーニング

「悟り」現象を誘発させる「眼球運動」3

★「くだらない」「馬鹿馬鹿しい」と感じるならばやらない★

「悟り」現象とEMDR「眼球運動による脱感作と再処理法」がなぜ関係あるのか?

ジルボルト・テーラーの言う「右脳の活性化」を誘導するのに適しているからで

す。思考・概念で束縛からの解放という意味で利用できるからです。

「悟り」現象21で「EMDRがどのようなものなのかを理解して下さい」と述

べましたが、わかりやすい導入として紹介したものなのです。


Ⅰ・「悟り現象の眼球運動による誘発」ワーク・トレーニング

PC画面のグリーン光の追尾 やり方

0-準備運動 簡単な体操をして全身をほぐして下さい。(ラジオ体操でもいい
です)

1-まず、リラックスした状態で「椅子」に座る。

椅子に座りノートPCなら厚手の本を下に置く等工夫して。画面が正面にくるよ

うにセットして下さい。

2-PCの画面に下記のURLを出す。

画面を最大にしてグリーンの光を追尾して下さい。

EMDR Self Administered with 528Hz Harmonics 10分12秒

https://www.youtube.com/watch?v=DALbwI7m1vM


3-PCの画面のグリーンの光を追尾します。1分ぐらい⇒「慣らし」


慣れていないので、始めは、「違和感」を感じますが、しだいに慣れてきます。


4-追尾しながら

「悟り」「悟り」「悟り」と、言いながら(思うだけでもいい)追尾する 3分

「歓喜・歓喜・大歓喜」と、言いながら(思うだけでもいい)追尾する 2分

5-朝、晩、それぞれ5分間

6-まず1週間実行する


Ⅱ・「悟り現象の眼球運動による誘発」

「頭のない方法」ワーク  「悟り」現象19参照の事(1/9投稿)

ダグラス・ハーディングとリチャード・ラング「頭のない方法」

https://www.youtube.com/user/FacelessJapanFilms/videos?view=0

ダグラス・ハーディングの紹介サイト

http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank.html


1-ワーク「指差し」を、つま先から自分の「顔」まで(ゆっくり)3回往復

2-自分自身の「頭がない」という感覚を意識する。

3-朝、晩、それぞれ 3分 任意でやればいいです。


★Ⅰ・Ⅱを合わせて、毎日1週間実行すると、「眼差し」の感覚が明晰となり、

静寂の世界を感じるようになる。この感覚がいわゆる初期段階の「悟り」の現象

である。一日中持続するわけではない。意識すると明晰と静寂の世界を自然に感

じ取ることができるようになるということです。

★「ワーク・トレーニング」の簡単なメモ程度の日記をつけておくといいです。

★Ⅰ・Ⅱを続けるうちに自然に「相対的現象・現実」の世界が見えてくるように

なる。(個人差がある)
「悟り」現象に慣れるに従い、いろいろ体感することができるようになる。

(2週間ぐらい)

 1週間目で自己確認・自己検証するために、読み馴染んでいる「本」を読む

(法華経の智慧など)

 今までの読んだ印象・感じと異なる事に気づく。
周辺の人との普段の会話の中でいろいろ気づくことが起きていることに「気づく」

たった2週間で「体感覚知」がもたらされてしまう。これって何?「アルベア法」といいます。

★眼球による追尾は下記のURLで呼び出し利用して下さい。一応、今回はグリーン光を使っ

ています。 慣れたら★の□マークの追尾を利用してもいいです。

★-画面を最大にして□マークを追尾して下さい。

Self-administered EMDR therapy 10分04秒
https://www.youtube.com/watch?v=OlfQIRJEsYk



  • [61]
  • 「悟り」現象21  ワーク・トレーニング

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月10日(日)03時08分55秒
 
「悟り」現象21  ワーク・トレーニング

「悟り」現象を誘発させる「眼球運動」2

「こういう脳刺激もあるのか」程度の見方でいいです。「専門的」という先入観

は排除して下さい。思考・概念ですから。

まずは「EMDR」がどのようなものなのかを理解して下さい。

EMDRの概要につて簡単にお伝えします。今お伝えするのは、一般的な臨床領

域での適用です。理解のために述べるものです。「何の意味があるのか」どうい

うことをするのが「右脳刺激」となるかを知るだけでいいです。

EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)は、フランシーン・シャピロ博士

が1989年に発表した外傷的な記憶を処理できる心理療法です。APA(アメリカ心

理学会、精神医学会)、ISTSS(国際トラウマティックストレス学会)、英国保

健省、イスラエル政府、仏政府、豪政府、WHOもPTSD (心的外傷後ストレス障害)

の治療ガイドラインにEMDRを載せています。最近では、適用範囲は、不安、うつ

といった精神疾患から疼痛といった身体疾患までと広がっています。眼球運動

(他の両側性の刺激)が、脳の適応的情報処理機能を賦活することで外傷的な記

憶の再処理を引き起こすと考えられています。

EMDRは、左右に振られるセラピストの指を目で追いながら、「過去の外傷体験

を想起する」という手続きがとられます。

★左右に振られる指ではなく、光刺激機器を使用する場合もある。光刺激による

ものは次回紹介します。


1-まず、リラックスした状態でクライエントを座らせ、不安やトラウマ体験を

想起させます。

2-治療者は、クライエントの眼前で、1分間に3~4往復の速さで指を左右に

振り、クライエントはその指の動きを眼で追っていきます。

3-20~30往復したところで休憩し、その後、再び同様に眼前の指の動きを

眼で追うという流れを、1時間程度繰り返します。

★「ワーク・トレーニング」では5~7分★


正規の治療過程は、アセスメントや日誌記録などを含む8段階から構成されてお

り、眼球運動による介入が行われるのはその中の一部とされています。

★「EMDR」の概要の理解だけでいいです。また実際の「ワーク・トレーニン

グ」は1回5~7分です。



  • [60]
  • 「悟り」現象20  ワーク・トレーニング

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月10日(日)02時53分30秒
 
「悟り」現象20  ワーク・トレーニング

「悟り」現象を誘発させる「眼球運動」1

「眼差し」のトレーニングは「眼球運動」でもあります。近年、トラウマやうつ

、ストレス性障害等の回復改善方法として「眼球トレーニング」が効果を上げて

いることが知られています。従来の心理療法や認知療法と全く異なるアプローチ

です。この方法は「眼球運動」により「右脳」に刺激を与えバランスを回復させ

る方法です。

(EMDRセラピー)点滅する光を追跡する方法です。

(EMDRセラピー)「眼球運動による脱感作と再処理法」

2013年9月にNHK.ETV特集により一躍脚光をあびた「心理療法」です。眼

球運動とストレス、脳の活動と眼球運動については1970年代から、その関係は知

られるようになってきていましたが、セラピーとして導入したのが、フランシー

ン・シャピロ博士が最初でした。

日本の職人・武道家等は、その専門技法を修得する過程で同様な眼球運動があっ

たことは、あまり知られていません。例⇒宮本武蔵が箸で飛んでいるハエを瞬時

に捕まえた。というエピソードがあります。スポーツ領域では動体視力と呼んで

いますが同じ事です。アフリカのマサイ族の動体視力は高いことが知られていま

すが、狩猟という日常生活から自然に獲得形成されたものです。「自己機能」が

健全に働いているということです。ちなみに彼らにはうつ病等の心身の不適応はあ

りません。

右脳と左脳の意識的な切り替えは、ジルボルト・テーラーによる意識操作であり

、その具体的広まりはまだなく、彼女自身に留まっているのが現実のようです。

一般化できないのです。せっかく「悟り」の現象を覚知したのに他者に伝えられ

ないのです。脳科学者でありながら言葉で伝えるだけで、相手は「わからない」と

いう事が起きているのです。

「EMDR」は、誰にもできる「右脳刺激」です。「頭のない方法」と合わせて

行うと「自我機能」からの離脱脱却が容易にもたらされます。





  • [59]
  • 「エネルギー」という存在(現象)

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)18時00分41秒
 
「エネルギー」という存在(現象)

「現象」とは、人間が見えるという範囲でのエネルギー現象の変換作用の働きで

す。「魔」「仏」「諸天善神」「南無妙法蓮華経」等も突き詰めていくと「エネ

ルギー」の働き作用です。生命現象の現れとしての「エネルギー現象」なのです。

私たち人間は「言語」と言う枠組みで捉えるから、言葉が限定されたイメージと

して、人間の思考に定着化してしまっているのです。人間の存在様式には、言語

・言葉による支配(重力作用)が起きているのです。様々な「現象化」という現

れは、エネルギー変換によるものなのです。全てが自然の現象なのです。それが

「生命現象」なのです。

「相対的現象・現実」も同様です。現象として見えるから、わかりやすい、しか

しエネルギーとして見ると「見えない」「わからない」「気づかない」というこ

とが起きるのです。「俯瞰的眼差し」は、そうした現象やエネルギーを感知し、

探知することが同時にもたらされるのです。それが言葉になると「智慧の働き作

用」と変換されるのです。

「私」、「自分自身」という個は、エネルギーに変換すると、「私」、「自分自

身」という存在感覚は消えます。現象化している世界では個別としての「私」、

「自分自身」があるのですが、エネルギー体として見えてくると、全てが平等で

あり、同じであると言う感覚が出てきます。「相対的現象・現実」からの離脱・

脱却が起きるのです。

このことは父が亡くなり、父のアルバムを整理していた時、尋常小学校時代の父

の写真を見て「あっ?これ、俺だ!」という感覚になった時に始めて感じました。

「私はあなた、あなたは、私」という事を「体感」した瞬間でした。個別の自他と

して見ていた感覚がエネルギー体として見えた時、自他の区別が消えたのです。この

現象が「不二」という現象なのです。

「師弟不二」とは、自他の関係である限り、「不二に非ず」なのです。「エネル

ギー体」としての「自己覚知」により自他の区別が消えて「不二」となるのです。

言語・言葉の世界にいると「不二」は「不二」という言葉に拘束された世界に留ま

るという事なのです。

エネルギー体としての「自己覚知」は、全ての思考・概念・信念体系の枠がハズ

レることを意味します。「善・悪不二」という言葉上の概念も、自然に納得でき

ちゃうのです。なぜならばエネルギーの働き作用には「善・悪」の区別はないか

らです。

「法華経の智慧」というストーリーもエネルギー変換してしまうと、「自然にわ

かっちゃう」のです。全ての個別的な人間の物語なのです。一人一人の「この世

の物語」であることがわかると同時に、常にそれは存在していた、元々あった、

これからも在る、という「時空を超えたエネルギーの世界にある」ことに「気づ

く」のです。

今述べているような「体感覚知」は人間である以上だれでも覚知できる現象なの

です。このことを「成仏」と言ったり「仏の生命」等と言葉で表現しているだけ

なのです。


創価の世俗化、腐敗堕落等々、どうでもいいことになるのです。いちいち言って

も、しょせん「相対的現象・現実」の世界のことだからです。会長の「拡大しま

しょう」というハッパ号令が、なんと虚しい事か、「体感」なき弟子の姿がある

だけ、勇気と希望の前進という響きがないのです(エネルギーが無いのです)

歓喜が無い、喜びが無い、金はある、仲間はいる、馬鹿にしないでよ~プレイバ

ック・プレイバック⇒古くてごめん

ここからの離脱・脱却が「発迹顕本」なのです。そこにおいて広宣流布は成就す

るのです。次元が違う、喜びが違う、全てが違うのです。

ちなみに「体感覚知」すると、エネルギー変換すると、既に広宣流布は成就して

いるのです。???まあーいっか~

エネルギー普遍の法則が働いて作用しているから~自然の原理・法則の世界は、

「生命現象」の世界は、歓喜・歓喜・大歓喜のエネルギーに満ち溢れています。

⇒これって人格障害?というのは学者・坊主・創価教学の面々、創価の人々、ど

うでもいい事、

もしかして「俯瞰的眼差し」ってヤバクない!それも、どうでもいいこと



  • [58]
  • 革命こそ蘇生 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)17時52分4秒
 
「ダグラス・ハーディングの紹介サイト読みました」※ 何かの気づきになれば幸いです。有難うございます。

「アレックス・グレイの世界」も合わせてご覧になると、また何か気づくかもしれません。

聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術―

https://www.youtube.com/watch?v=r-LKopp9heU

https://www.youtube.com/watch?v=l9P-rrVZDKA&list=PLC9886DD51DB682BC


  • [57]
  • 読んでます

  • 投稿者:革命こそ蘇生
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)12時53分58秒
 
ダグラス・ハーディングの紹介サイト読みました。
眼差しって、眼差しなんですね。
初めからそう言ってるって?
見えるように見る難しさですね。
確かに眼差しは分かりやすいですね。
いろんな発見があります。
色とりどりの世界に感謝です。

  • [56]
  • 「相対的現象・現実」について

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)08時49分14秒
  • 編集済
 
「相対的現象・現実」について

これまで5回以上「相対的現象・現実」について述べてきていますが、「リアル

な思考実験」で示したように弁証法的現象・トライアングル現象が常に相対的に

存在しているということです。毎日、毎日、現象化しているということです。そ

ういう現象の中に個人・個人がいるということです。つまり「正」「反」「合」

というトライアングルです。

例⇒自他の関係・二者関係において「自分が抱いた思い」と真逆の「思い」が先

方に存在しているということです。⇒作用反作用(中学・理科)

「板」に投稿する内容は「自我機能」の働き作用で同族・同系列の方々が反応して

います。しかし、その同族・同系列の方々と「真逆の反応」も存在しているとい

うことです。ただ「俯瞰的眼差し」が無いので「見えない」「感じない」のです。

この「相対的現象・現実」の世界を知る人と知らない人とでは、現実的な対応が異

なるということです。

現代民主主義では「寛容性」が徳目として挙げられていますが、「寛容性」とは

「俯瞰的眼差し」がなければ、常に言葉上のものであり、いざという時「正」

「反」の構図に戻ってしまうのです。対立・対決構造の中に組み込まれてしまう

のが、これまでの歴史でした。

人間の幸・不幸の現われは、全て「相対的現象・現実」なのです。人間の様々な

社会現象・人間の身体現象、等々は「生命現象の働き作用」として現れているの

です。

スピリチャルな世界観を信ずる人、スピリチャルな世界観を否定する人。「悟り

現象」があるという人。「悟り現象」は特別な人だからだという人。開発は必要

だ。開発は環境破壊だから必要ない。等々、弁証法的現象の現われです。

このような対立を昇華させ第三の道を説いたのが「中道思想」の考え方なのです。

「中道思想」も弁証法的現象の働き作用を述べたものなのです。「智慧」の現象

化です。(短絡的な「中間」「真ん中」を言うのではない)「眼差し」が単眼的だと

「中道」はわかりません。複眼的な「眼差し」があってわかるものなのです。

創価教学・日蓮教学をいくら羅列しても、それは思考によるものであり、非現実

的なものでしかありません。なぜならば生命現象を語っていても「体感」が無いか

らです。「中道」という現象を使いこなせないということです。認識レベルで止ま

っているということです。

会則・教義等も、複眼的な眼差しで見れば「非現実的」なものなのです。なぜな

らば勝手な思考による取り決めだからです。そうした取り決めに抵抗するのが「

反」という現象があるのです。


動物行動学の眼差しから見ると、身勝手な思考も生態現象なのです。

個人と個人、1対1の場合、上下関係の発生、合意は得やすい、1対2の三者関

係になると「ルール」が発生する。(ルールとはグループ内の合意事項)1対2

の関係だと順位・序列が発生する。(3者関係は、いじめ現象の最小発生単位)

1対4の5者関係になると、ルールは「掟」となり、グループ内の序列は固定化する。

人間の場合は成文化するという行為が生まれてくるのです。集団の秩序維持のために

「掟」という現象が発生したのです。

その「掟」が人間になると「取り決め」という現象により「会則」「教義」にな

るのです。

集団のスケールが大きくなれば、なるほど、5者関係が最小単位として働き作用

します。この5者関係が、いわゆる「親分・子分」「仲良し、こよし」をもたら

すのです。この現象は人間の集団的な力動で観察されるものであり地球上で生息

する人間に見られる現象です。例⇒軍隊の構成 小隊・中隊・大隊・本部 等の区分

は、呼び名は異なっても集団に見られる現象です。係り・係長補佐・係長・部長等の

役職名

人間は個体として集団を形成することにより社会文化をそれなりに発展させてき

たのです。

その集団に抵抗する集団も同じ次元で同時に存在しているということです。「相

対的現象・現実」の世界にあるということなのです。このことは「集団の意思」

とか呼ばれ、その集団に所属する成員(個人)の思考・概念の方向づけをもたら

せているのです。宗教紛争・民族紛争等の背景にはこのような生態行動があると

いうことです。

その対立を超える道が中道であり、その方途の一つが「悟り」現象なのです。

「板」の中での集団的な現象も瞬間、瞬間、現象化しているということです。だ

から「現象の働き作用」を見ていかないと何も変わらないのです。見ていても変

わらないが「気づく」と現象化が変わるのです。それが「生命現象」なのです。

「気づくは仏(智慧)気づかぬは魔と心得よ」とはこのことでもあるのです。



  • [55]
  • 「悟り」現象19

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)05時08分57秒
 
「悟り」現象19

「頭のない方法」⇒「眼差しのトレーニング

昨年、ジルボルト・テーラーの「左脳・右脳」の働き作用を紹介した時に、

「右脳の活性化」方法として「頭のない方法」を一緒に紹介しました。(「頭の

ない方法」は今回で3回目です)

「頭のない方法」は「眼差し」のトレーニングです。この「眼差し」のトレーニ

ングは、思考・概念ではありません。身体感覚によるトレーニングです。
私は、始めて「頭のない方法」を見た時、自分が今までやってきた「俯瞰的眼差

し」の方法と類似の方法であることに驚きを覚えたものです。まさに宗教や哲学

といった概念とは関係ない「悟り」へのアプローチ方法です。

ただ、この方法を自分自身でトレーニングするには思考・概念優先の方々には

「わかりにくい」ということがあります。セミナー参加者の質疑応答を見ても正

確に理解する方は少なかったように見えました。思考・概念が邪魔をしているか

らです。セミナー自体が思考・概念となってしまい、本来の「頭のない方法」が

理解されていないのを感じました。

一応「悟り現象」へのアプローチの一つとして理解してもいいのではと思い紹介

します。「頭のない方法」を思考・概念によりまず理解するのがいいと思うから

です。「反転現象」の誘発です。

ダグラス・ハーディングとリチャード・ラング

「頭のない方法」

https://www.youtube.com/user/FacelessJapanFilms/videos?view=0

ダグラス・ハーディングの紹介サイト

http://www.ne.jp/asahi/headless/joy/99_blank.html



  • [54]
  • 「悟り」現象18

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)05時04分11秒
 
「悟り」現象18

「悟り」現象は、思考・概念ではないことを伝えた。職人・武道家の技法と同じ

ように身体機能の鍛錬・稽古等によりもたらされる現象なのだ。このことは「や

れば、できる、もたらされる」現象なのだ。

あまりにも「自我機能」による思考・概念が過剰な状態にあり混乱・混迷をもた

らせている状況であると言える。

創価関係者の「板」や「ブログ」等を閲覧しても、そのほとんどは思考・概念・

観念の世界であり、自分勝手な思い込み・信じ込みでの不平不満の羅列である。

信仰・信心の喜び・感動も無い世界を選択しているのがよくわかる。この程度が

創価の方々の在り様なのだ。「魔」に負けているのだ。どう見ても「仏の軍勢」

という姿ではない。

恐らくこのような印象を抱く方々は「『悟り』現象」をまじめに読まれてきた方

々だと思う。「自我機能」「自己機能」「意識機能」の区別がだんだんできるよ

うになってきたから「見える」のだ。「眼差し」が変わってきたということなの

だ。

能書きを垂れているうちに「魔」の勢力は着々と、そして次々と手を打ってきて

いる。「智慧」無き対抗、抵抗は意味が無いのだ。「法華経の兵法」と言っても

「言葉」を知っているだけが現実の現象なのだ。「悪智慧」と「善の智慧」の弁

証法的現象である。トライアングル現象である。「相対的現象・現実」の世界の

出来事である。

最高の智慧・最大の智慧とは「体感覚知」なのだ。「体感」なき方々の戦後創価

の歴史を見ればわかること。「気づけない」現実がある。

創価の「師弟」は常に思い込み・信じ込みという愚行により成り立っているのだ。

わかります?創価本部の方々も同じですので安心して下さい。どちらが「気づくか」

です。「気づいても、何もできない」ですが、

どうしてか、「縁」が無いからです。「縁」がある人しか「気づかない」のです。

だから「妙法」なのです。

「縁」という言葉を甘くみてはいけない、「縁が起きた」から創価三代が誕生じ

たのだ。「法華経の智慧」を身で読むことができない方々は「縁」がなく「わからない」のだ。

ちなみに私には「縁」があったのだ。だから「縁」を不特定多数の方々に伝えて

いるのだ。「縁」がある方々は気づきはじめているのだ。


  • [53]
  • スウェデンボルグの世界 蘭夢 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)04時44分16秒
 
ご質問、有難うございます。読み手の方々が、拒否、否定すると思っていました

が、あえてスピリチャル系の話題を提供しました。それは、それで「現象」とし

て「ある」からです。

「スピリチャル系は、スピリチャル系」です。確かに、そうです。しかし「スウ

ェデンボルグの世界」のような現象もあるということです。スウェデンボルグ的

な世界観を持つ人もいるということです。

ではスピリチャル系の人から見ると「十界」「「魔」「第六天の魔王」「閻魔大

王」等と言う世界と「同じではないか」との指摘も現実に有りますが・・・・

?立場が異なると見方、見られ方が「反転」するという「現象」が起きてしまう

のです。

いつも述べていますが②「現象としての現われ、働き作用」の視点で述べている

ものです。③また「相対的現象・現実」の世界であること踏まえてお伝えしてい

るわけです。④どのような視点で受け入れるかは、読み手の志向性により異なる

という事もあります。

「生命現象」という事を、いかに見ていくか、そして、どのようにすれば、個人・集団としての

「不幸」という生命現象を変えていけるのか、「祈って・動いて」等と言う従来型の思考・概念

ではなく「生命現象」を捉え、変えていく試みとして今回はスウェデンボルグの世界を取り上げた

のです。

臨床の現場にいると「憑依現象」や「霊的な障り現象」等が現実にあるのです。本人や家族にとっては

大きな問題として生命ですら脅かされている現実があるのです。そうした方々から「救って」「助けて」

と言われるのです。「同苦」するとわかります。「異苦」だと「他人事」になるのです。

私が述べているのは、人間の思考・概念等からみた他人事ではなく自分事という「眼差し」から見たもの

なのです。「現象の現われの働き作用」からの視点です。

ご質問、有難うございました。読み手の方の質問は、どの様に伝えればいいかの判断になるので参考になり

ます。


  • [52]
  • スウェデンボルグの世界

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)02時50分7秒
 
すみません、気を悪くしたらごめんなさい。
正直、スウェデンボルグですか・・・参考には、なりにくいです。
見ましたが、映像と音楽は良いですね。
ただ、語られている内容は、
悟りというには、ちょっと・・・スウェデンボルグだし。
抵抗感とかではなくて、感想は、いわゆる六道輪廻の世界を彷徨っているなぁ・・・です。
霊界、まぁ、そういう感応もあるでしょう。
そういう世界が物質的にあるわけではなく、そういうように死後の生命が感じるということだと
僕は捉えています。
ただ、衣食住とか、伴侶と永遠になどと語られるということは、生前のしがらみそのもので、
もろ六道輪廻を死後、感応しているということにしか見えないです。
そこまでしか、見えなかった。天界でしたか霊界でしたか、そこまでしか
見えなかったという残念な話といったところでしょうか。
霊界の太陽でしたか、そう表現するしかなかったもの。そこまでしかわからなかったんだなぁって。

臨死体験、似たような夢を見たことがあります。
小学生くらいの時に、変な夢を見て。
後に中学生くらいのときに、オカルトに興味をもって、自分の見た夢が
臨死体験に似ているってね。

アルベア様、かなり、スピリチュアルに走っているように見えますが・・・
別にスピリチュアルでも良いのですが、初期の参考にはいいかも知れませんが
スピリチュアルはスピリチュアルです。

既視感という感覚で先が読めたとしても、様々な本質が見えたとしても。
何も変わらない、なるようにしかならない。全ては神のみぞ知る・・・
という消極的な感じに陥りませんか?


  • [51]
  • 京都乃虎様

  • 投稿者:タコラメール
  • 投稿日:2016年 1月 9日(土)00時25分47秒
 
先日の和歌が間違えていたみたいです。 訂正させていただきます。

色あせた虚像の人々 見下ろして

花咲く我が道 悔いなく生きゆけ

失礼致しました。



  • [50]
  • 「悟り」現象17 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 8日(金)06時18分22秒
 
「悟り」現象17

「エネルギー体」としての存在、スウェデンボルグの世界、「悟り」の無料動画

の紹介等、創価の世界と全く関係ない世界を紹介してきましたが、こうした内容

、世界も「相対的現象・現実」で起きている現象なのです。

いくら「生命論」「御書」等を読んでも「体感」できない現実があるだけです。

創価だけではなく一般的な宗教・信仰には、思い込み・信じ込みの世界が当り前

の現象としてみられているのです。世界的な宗教的次元の現象なのです。「自我

機能」による世界がはびこっているのです。

「自我機能」の働き作用があるからです。職人・武道家の世界では「自分を捨て

ろ」「自分をだすな」「考える暇があったら体動かせ」等、親方や師匠が共通し

て語り指導しています。思考や概念という「自我機能」では「わからない」世界

のことなのです。「理」と「事」の異なる世界があるということです。

職人・武道の学びは「自己機能」の働き作用によるものです。身体機能を通して

の感覚運動・運動感覚の世界なのです。思考・概念という観念の世界ではないの

です。「区別ができない」という「無知」があることに気づけないのです。

「生きている」という感覚は「自我機能」です。「生かされている」という感覚

は「自己機能」です。「生かされている」という現実が認識できないのが人間の

文明なのです。だから戦争という愚考が繰り返されるのです。

「人間」と言う用語には「生物感覚」である身体機能・身体感覚が排除されてい

る社会文化的状況が稼働しているのです。

今、読み手の方は、投稿の記事を読んでいます。同時に読み手の方の世界では休

むことなく新陳代謝が起きています。私は、今投稿記事を書いています。同時に

「虫歯の痛み」という身体感覚があり、「歯科に行こう」と「自己機能」が働い

ています。このことは「自我機能」と「自己機能」が同時に働いて作用している

ということです。

このような身体感覚のバランス感覚の修得が「自己機能」の働きなのです。

「自己機能」の排除・無視しているのが「自我機能」なのです。職人・武道では

「自我機能」と「自己機能」のバランス回復のために身体的機能を使い働きかけ

ているのです。

ちなみに禅宗の坊さんの「師匠と弟子」の関係は「自我機能」ではなく「自己機

能」による師弟関係が見られています。この違いは創価の方々の「師弟」関係と

は異なるものです。別にわかる必要はありません。関係ないのですから、

「悟り」現象は、思考・概念では現象化されないのです。身体的反応として「体

感」することなのです。「体感」が希薄化している方々には「縁がない」という

ことでもあるのです。


  • [49]
  • 「悟り」現象16 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 8日(金)05時12分33秒
 
「悟り」現象16

「非二元」の世界1 一般論としてお伝えします。

「非二元」は「不二一元論」「アドヴァイタ」「ノン・ジュアリティ」等と表現

されている「悟り」に関する用語です。10年前から「非二元」という「言葉」が

「悟り」「覚醒」「目覚め」等のスピリチャル系の人たちが用いるようになった

用語です。

非二元とは、もともとサンスクリット語であるアドヴァイタ(ad=not, vaita

=two、「二つではない」を日本語に訳した言葉です。英語では、Non Duality

(ノン・デュアリティー、二つではない)と訳されています。非二元を不二一元

論とか非二次元(次元とは関係ありません)と訳すものや、二元を「二極」と解

釈している人などもみかけますが、非二元とは単純に「二つではない」という意

味です。ポジティブ、ネガティブ、熱い、寒い、善、悪という相対的なことでは

なく、「主体」と「客体」の二つではない、「私」と「世界」という二つがある

のではない、ということです。

現在は「非二元」の考え方は「悟り」現象を現す言葉で用いられているようです。

「相対的現象・現実」「絶対的現象・現実」の考え方に近い概念です。

紹介する動画は、「非二元」の体感・体験者の「悟り」のための動画です。「悟

り」現象のアプローチの一つとして見ればいいと思います。⇒見てもわからない

人が多いと思いますが、世間の流れです。

you tube で「地球ひろし」氏の「悟りの無料動画セミナー」がありましたの

で紹介します。

1-https://www.youtube.com/watch?v=wlV8i-E_MmE&feature=youtu.be

2-https://www.youtube.com/watch?v=bOj4vcQd1kE&feature=youtu.be

3-https://www.youtube.com/watch?v=Sudhyn0vyic&feature=youtu.be

4-https://www.youtube.com/watch?v=Q3jd9t2dORs&feature=youtu.be

5-https://www.youtube.com/watch?v=NPhaouSFNVQ&feature=youtu.be

6-https://www.youtube.com/watch?v=u79S4JPwX_k&feature=youtu.be

7-https://www.youtube.com/watch?v=eA3O9kFgjeY&feature=youtu.be

8-https://www.youtube.com/watch?v=mnNNWNvXTJ4&feature=youtu.be

9-https://www.youtube.com/watch?v=H2iMW9br3C4&feature=youtu.be

10―https://www.youtube.com/watch?v=D5yzWQaMsuc&feature=youtu.be

11―https://www.youtube.com/watch?v=YBHrlHJbK10&feature=youtu.be

12―https://www.youtube.com/watch?v=GYbJKxOjRqc&feature=youtu.be

12-2―https://www.youtube.com/watch?v=A9q3DFlVkT0&feature=youtu.be


★「悟り」現象は、一般的に起きている現象です。ただyou tubeでは胡散臭い

、怪しげな動画があふれていますので、影響を受けないように取捨選択して下さ

い。



  • [48]
  • 「悟り」現象15 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 8日(金)04時53分41秒
 
「悟り」現象15
スウェデンボルグの世界⇒現象の現われ、働き作用

現象の「現われ働き作用」について述べてきていますが、今回は「スウェデンボ

ルグの世界」を取り上げます。

今回の内容は、私が仕事でやってきたことですので、どこかの、誰かの思考・概念では

ないことをお断りしておきます。


このような投稿を創価の方々は真言密教・邪宗・謗法という「眼差し」で拒絶反応

を示します。これは、もうしょうがない、それだけ創価の思い込み・信じ込みにより

「自我機能」が癒着しているから、見る人が見ればいいのです。

臨死体験者の面接、末期患者さん方のサポート面接、御遺族の方々の話を検討し

吟味していくと「スウェデンボルグの世界」と同様な事が語られていることに

「気づき」その内容が「相対的現象・現実」の現われであることがわかったので

す。⇒(私がわかったということです)

(エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年~1772年)

「エネルギー感覚」「生命感覚」による「俯瞰的眼差し」で見ると彼の言う通りの世界があるということです。

もちろん「眼差し」を向ける個人の志向性が影響しますが、

何が言いたいのか?彼の見た世界は「生命の永遠性を覚知」した者の世界であるということです。このような

体感・体験者は、いつの時代でもいた、見られていた、ということです。しかし、その世界を知ることが人類

の宿命を転換し、個人の幸福へと結びつく事が、結果としてわからなかったのです。

つまり導くことをしなかった。できなかった、記別がなかった、授記がなかった、ということなのです。釈尊

の悟り、日蓮大聖人の発迹顕本に及ばなかったということです。

しかし今、多くの人々が「覚醒」「目覚める」時を迎えています。これは人類誕

生以来の出来事、現象なのです。

「体感覚知」すればわかることです。

「霊」「霊界」「霊的存在」等の用語は、時代や個人の志向性により使われてきていますが、今日では「胡散

臭い用語」として認知してしまう人が多いように見受けられます。こうしたことは誤解を招きます。だから私

は「『相対的現象・現実』の現われ、働き作用」と呼んでいるのです。

ここで「スウェデンボルグの世界」を参考までにご覧下さい。

スウェデンボルグの世界  霊界動画⇒第1章~第8章

https://www.youtube.com/watch?v=QQaoBn-Ek7U&list=PLD528nTnO5eLqMnM3_uYiVL9cDHX7PVy9

「スウェデンボルグの霊界 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」「霊界日記」「天国と地獄」 「丹波哲郎の大霊界」 「レモンド・A・ムーディのかいまみた死後の世界」 「A.ファーニス コスモトゥーワンの死後世界地図」参照



  • [47]
  • 創価ネットの座談会御書

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)19時20分31秒
  • 編集済
 
創価ネットの座談会御書「諸法実相抄」講義 原田君!副教学部長?ヤバクナイ!この程度が創価教学

腐敗堕落の姿、見え、見え、終わってる、認定!


  • [46]
  • 世俗化・腐敗堕落の「聖教珍聞」

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)19時05分49秒
 
世俗化・腐敗堕落の「聖教珍聞」

1面韓国からの記事12月15日のこと、今日は1月7日 本幹SGI研修写真無し

、創価幼稚園写真、不自然なアングル、京都での会合写真、当目で歓喜伝わらず

、カメラマンの質的低下明らか、

やることなすこと腐敗と堕落が前面に出ている。カメラマンはアマチュアの低レ

ベル。清純さ消え、広布への真剣さ消え、そして全て消えていった・・・1月4日

づけ「千客万来広布拡大の喜び」等の見出しも無く、

手間暇かけぬ聖教、聖教の魂消えた、そんな新聞、多部数購読だと、民衆・大衆を馬鹿

にする聖教珍聞は今日も、明日も聖教珍聞、愚弄する創価の迷走始まり始まり、

おのおのご覧ぜよ、殿方、老中の方々の狼狽を、平成創価歌舞伎の第一幕の開演なり、


  • [45]
  • 京都の虎様

  • 投稿者:タコラメール
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)16時30分42秒
 
拝見して思い出しました。

以前の組織の時に頂いた和歌ですが、


色あせた虚像の人々見下ろして

花咲くわが道楽しくいきゆけ


この様な和歌だったと記憶しています。

ご健闘お祈りします。

  • [44]
  • アルベア様

  • 投稿者:京都乃虎
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)16時15分3秒
 
早速のご回答ありがとうございます。
非常に納得しました。
今日より一段となぜここにいるのかを考えていきたいと思います。


  • [43]
  • 京都乃虎 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)15時41分34秒
  • 編集済
 
京都乃虎様2016年 1月 7日(木)14時57分48秒

「どうでもいい投稿を読みたくない」というのは成長したことを意味しています。「気づ

かないところで、気づいてきている」のを感じます。

まず行動したいと言う思い、気持ちはわかりますが、今その行動の仕方、方法が

問題となる事が大だと思います。

先方のドツボにはまり利用されてお終いです。

私の場合は「体感覚知」する方が増えていくならばと思っています。池田先生が

指揮を取られていた今までのような創価ではないのです。世俗化した創価にいく

ら「元戻れと」言っても無理な状況にあると思います。

智慧を働かすと、「気づいた人が悟っていけばいい」ということになるのではと

思います。

3人のブログの方々の闘い方をみても愚考です。法的手段をせずに、騒いで自分た

ちを正当化しているだけです。何も変わりません。

「法華経の智慧」では「個人の在り方」として「悠遊と、楽しくいけばいい」の

ですと。創価に期待・依存は止める時期にあると思います。先生の気持ちを拝し

、自分が感じたならばいいと思いますが、焦らずに先生の気持ちを拝する気持ち

でお読み下さればと思います。


  • [42]
  • アルベア様

  • 投稿者:京都乃虎
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)14時57分48秒
 
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。
昨日、2回目の法華経の智慧を読み終えました。
何か変化があったかといえば、何も変わってはいませんが、一部の方の文面を読んでどうでもいいよと強く感じると同時に読む気がしません。
常に先生ならばこの掲示板を見てどう思われるのか?
ならば、先生ならばどうされるかを考えたら.......
今日から方便品、寿量品講義を2回目を読み始めます。
最後に質問です。
今ものすごく行動がしたくてしたくて、処分覚悟で抗議活動をしようかと思いますが、まわりからは、負け戦さはするなとのご意見をいただいております。
でも、自分の中ではええかっこしい思われても、誰かが行動しないと現執行部の進め方についていけず、なので心の何処かで処分されたい自分がいます。
やはり面と向かって正面突破の行動はしないほうがいいのでしょうか?
そんなやり方は、先生ならばされないのでしょうか?
回答のほど、宜しくお願い申し上げます。



  • [41]
  • 「悟り」現象14 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)08時44分19秒
 
「悟り」現象14

「『現象』の働き作用」について述べてきていますが、そのほとんどは「相対的現象・現実」の世界のことで

す。この「働き作用」がわかるのは「絶対的現象・現実」からの「俯瞰的眼差し」です。

この「俯瞰的眼差し」をビジュアル化したのがアレックス・グレイの一連の絵画です。「俯瞰的眼差し」の働

き作用は浄化であり、生命の躍動であり、エネルギー活動の活性化現象です。

そのエネルギー作用と働きが「相対的現象・現実」の世界に「現象化」するのです。

先に「神」「仏」という現象も「現れの働き作用」だと述べましたが、なかなか理解できないと思いますが、

人間が思考・概念で捉える全ての現象が、エネルギーの働き作用としてもたらされているということなのです。

宗教的な枠組みが無いのです。つまり人間的な事象は人間が中心になって作り上げてきた人工的な産物にしか

すぎないのです。宗教の教義、本尊等は自然の現象・活動には元々無いのが当り前なのです。その中の一部を

人間が定めた思考・概念で、現したのが教義や本尊ということで象徴化したものなのです。

「自我機能」の働き作用をコントロールし「自己機能」が活性化されると「わかる」ことなのです。このこと

は「日蓮大聖人が現された御本尊に祈り、宇宙のリズムに合致し、人々を救済する」ということと同じ事なの

です。

わかりますか?宗教的な枠組みから離れると、「自我機能」を意識的にコントロールし「自己機能」が活性化

されると、功徳や救済という現象が起きると言うことなのです。「相対的現象・現実」の中では、宗教的な枠

組みに取り込まれることにより、拘束されるという現象起きてしまうのです。入信することにより初心の功徳

がもたらされ、いつしか疲弊し生命力が低下すると言う現象は反転された現象なのです。

「相対的現象・現実」の中での「祈り」とは、期待・依存の現われです。「祈らざるをえない」人間の事情・

現実があるから生じた現象なのです。光合成には「祈り」という現象はありません。ただ太陽の光に向かって

反応しているだけです。人間的な言葉で表現するならば「光合成」という働き作用、生命活動そのものが「祈

り」の現象ということであるとも言えます。「祈り」の姿そのものが「人間の生命活動」ということです。

つまり「現れの働き作用」としての自分自身に「気づく」ということが「祈り」の本質なのです。ああだ、こ

うだ、等と言う能書きは宗教的な枠組みの現象であるということなのです。「気づけば」自ずとリズムに乗れ

るのです。誰でも、気づけば「自我機能」からハズレ「自己機能」のリズムが正される現象が起きるのです。

(完全なる宗教否定と受け取られますが、生命現象の働き作用から見ると、全ての人間的な事象がハズレてい

くのです。このことについて拒否・拒絶・敵意を反応する人は思考・概念が強く、自我に癒着しているという

ことです。こうした「癒着現象」の現れが癌化しているのです。)癌と言う「字」は、病に品の山と書きます

。自我の強い反応、欲張りが品物を収集し山となると癌化という現象が現われるということです。(こじつけ

と見るか、生命感覚で、そうか、そうなんだと見るか、見る側の都合、眼差しです)


  • [40]
  • 「エネルギー」蘭夢 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)07時48分27秒
 
「エネルギー」蘭夢 様 投稿日:2016年 1月 7日(木)00時49分14秒

投稿、質問、有難うございます。感謝いたします。

?昔、本質とは何かということで、自身が感じている光のように感じられる何かに

意識を向けることで、生命の本質のようなものを感じたことがあります。

そこには、善悪とかいうもの、また思考するというようなものではなかったと思います。

エネルギーと表現されていますが

②僕の場合、感じ取ったのは、ベクトル、方向性を持つ、純粋な意志というものでした。

確かにエネルギーと言われれば、そんな感じもします。

僕が感じたのは、意志のベクトル。それは存在化、顕在化させようとする純粋な意志エネルギー、力そのものでした。

そこには、自分という意識というか、思考そのものがなかったように感じます。

②結局、思考するということ自体が時間という枠にとらわれていて、限定的なものになるんだと思います。

本質においては時間の概念を超えていくため、そこには時間を必要とする思考は概念としてありえません。

例えば、凡夫が修行して成仏するなんてことは、思考するという時間の概念上での話で本質は、凡夫即仏。

つまりは、思考し、考えるのではなく、既に答えはあり、答えを顕在化するか、しないかということ。

元品の無明なのか、元品の法性として顕わすか考えるな、感じろ・・・の世界。

③うーん、やはり言葉にすると何だかなぁ・・・となってしまいます。

大聖人の御書や、法華経は、やはり凄いですね。うまく言語化しています。

こういう話が体感なのかどうなのか、人に話したことは今までありませんが、

そういう話は、色々と今までに経験はあります。

ただ、一応、妄想、夢として普段生活しているときは、忘れるようにしています。


回答

?蘭夢 様の感じた通りのことが「エネルギー」の世界です。エネルギーを感知すると垣間見ることができる

のです。ただ一般的にスグに「思考」の世界に戻っちゃう、意識の世界(エネルギーの世界)に定着化してな

いからです。定着化させるのが「体感覚知」のワーク・「眼差し」のトレーニングなのです。

②思考化すると、時間・空間が生じ、その中で言葉や文字に閉じ込められてしまうのです。思考を離れると時

空が消えて「無」になるのです。「無」とは、「ない」「ある」という「無限」を意味します。一般的に思わ

れている「無い」ではないのです。「無」と言う言葉には「無限」が内包されているのです。元品無明・元品

法性が含まれているのです。「感じろ・・・の世界」まさに主体が感知・探知することなのです。

③「言葉」「文字」にした瞬間に「思考・概念」の世界に瞬時にもどります。「思考・概念」の世界に重力が

働き作用しているからです。「重力」の無重力化が意識の働き作用なのです。

「一応、妄想、夢として普段生活しているときは、忘れるようにしています。」これでいいのです。このよう

なことを「映画を見ている感覚」といいます。この感覚とエネルギー感覚⇒生命感覚が自由自在にコントロー

ルできると、全てを了解できることとなるのです。

④「愚考の世界に暮らすために忘却しているといった感じでしょうか・・・」

「忘却」するのではなく、時間が在る時は「観察」していく癖をつけて下さい。そうすると、自分自身と言う

エネルギー感覚により、全ての事象が開かれるという体感をします。


★今までの生活の中で感じている事のバランスを少し修正するだけで、定着化させるだけで「相対的現象・

現実」の世界が見る事ができます。

地球上のあらゆる現象が手に取るようにわかります。ただストーリーが起きているだけであり、起こしている

のが人間の愚考であることがわかります。「わかったら」自然に、なるようになっていくのも「わかります」


★エネルギー感覚・生命感覚の世界を覚知した生活ができると健康長寿・若返りという現象が自分自身の身体

的現象としてもたらされます。実年齢より若いのです。自分自身の感覚としては20歳前後の感じになります。


★私の投稿を自分なりに「今一度整理」しながら「自己観察」【振り返り】していくと、周辺の人々が存在す

る意味その方々の人生というのも了解されていきます。「なんやこれ!なんや!そうか、」の世界です。

お楽しみ下さい。創価に起きている現象も、その意味も、これからも、全部「見えてしまう」のです。



  • [39]
  • 人間の存在は「エネルギー」

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月 7日(木)00時49分14秒
 
アルベア様の投稿、興味深く読ませていただいております。
ありがとうございます。

さて、人間の存在は「エネルギー」について
昔、本質とは何かということで、自身が感じている光のように感じられる何かに
意識を向けることで、生命の本質のようなものを感じたことがあります。
そこには、善悪とかいうもの、また思考するというようなものではなかったと思います。
エネルギーと表現されていますが
僕の場合、感じ取ったのは、ベクトル、方向性を持つ、純粋な意志というものでした。
確かにエネルギーと言われれば、そんな感じもします。
僕が感じたのは、意志のベクトル。それは存在化、顕在化させようとする純粋な意志エネルギー、力そのものでした。
そこには、自分という意識というか、思考そのものがなかったように感じます。
結局、思考するということ自体が時間という枠にとらわれていて、限定的なものになるんだと思います。
本質においては時間の概念を超えていくため、そこには時間を必要とする思考は概念としてありえません。
例えば、凡夫が修行して成仏するなんてことは、思考するという時間の概念上での話で
本質は、凡夫即仏。
つまりは、思考し、考えるのではなく、既に答えはあり、答えを顕在化するか、しないかということ。
元品の無明なのか、元品の法性として顕わすか
考えるな、感じろ・・・の世界。
うーん、やはり言葉にすると何だかなぁ・・・となってしまいます。
大聖人の御書や、法華経は、やはり凄いですね。うまく言語化しています。
こういう話が体感なのかどうなのか、人に話したことは今までありませんが、
そういう話は、色々と今までに経験はあります。
ただ、一応、妄想、夢として普段生活しているときは、忘れるようにしています。
愚考の世界に暮らすために忘却しているといった感じでしょうか・・・


  • [38]
  • ご回答

  • 投稿者:らくらくメール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)21時46分23秒
 
大変丁寧なご回答ありがとうございますm(._.)m感謝です

アルベア様の投稿はすごく刺激になります。同じ生命と気づく
いろいろなところで最近見聞きするのでそういう流れなのかな~と感じました。最近友人や他人の幸せを願う時に人に願っているんじゃなくて自分に向かっている感覚があります。周りが自分の鏡みたいな感じなのかなと思いはじめました。
これも体験の一種なのかもしれません

ご回答ありがとうございましたm(_ _)m

  • [37]
  • らくらく 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)15時35分26秒
 
血脈 様投稿日:2016年 1月 6日(水)14時00分16秒

ご質問、有難うございます。感謝いたします。

同じ魂という事でしょうか?ソウルグループというのか同じ場所というか?同じ

本尊同じ題目でも池田先生の学会と他の日蓮系の宗派日顕宗等違うというのは不

思議にに思っていました。今の学会は昔の池田先生が出ていた頃とは違うと感じ

ています。

回答

「血脈」とは、人間の集団の意味付け、位置づけを表現した言葉です。このよう

な捉え方は人類の文化的な現象として見る事ができます。創価の信心での「血脈

観」は日蓮大聖人の「生死一大事血脈抄」にある通りです。

「南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一と、大事の血脈と云うなり」と、このよ

うに語られても「血脈」があるとは実感しません。語られた側の生命感覚により

その反応は異なります。

生命現象として見ていくと、「霊的集合体」「魂」「ソウルグループ」等も言葉

で「表現」された現象です。後継者という視点でみると「霊的継承」という言葉

が伝わりやすいと思い使ったわけです。


さて、小説「人間革命」「法華経の智慧」等では「感応道交」「自得」「感得」

等と表現されています、また記別、授記等とも表現されていますが、基本的には

、人間ならば個人としての「生命に内在する縁」というものが、現象化したもの

としてあるのが「霊的継承」という事が言えます。

では「内在する縁」とは、何か、それは受け手の「感応するレベル」によるもの

と思われます。つまり「生命自体が感応していく」ということです。

「池田先生が出られなくなった」という現象を個人として見ると寂しさや、悲し

みを感じる方々がほとんどです。

それは現実的な「私と先生」という構図で見ているからそうなるのです。自ら

「縁」を閉ざしているのです。創価の疲弊・閉塞は生命現象としての感応が消えて

いるから起きている現象なのです。

池田先生の生命と私たちの生命は「同じ」です。日蓮大聖人、釈尊も同じ生命で

す。「同じ生命」であることに

気がついてくると、自然に「感応道交」がもたらされるのです。

「南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈と云うなり」と思い、信じ込

んで口に唱えても感応道交という生命現象は起きません。まず、なによりも「同

じ生命なんだ」という感覚に「気づく」ことです。

だから「自己機能」の活性化、身体的感覚の活性化が必要なのです。感知する、

探知する感覚が、全てを開く鍵となるのですからです。「一念三千」は差別であ

ると同時に「同じ」なのです。「気づく」主体の感覚により方向づけられていると言えます。

生命現象として見ていかないと、現実の世界で分離分断が起きてしまうのです。「相対的現象・現実」の世界

だからです。「気づけば仏、気づかぬを魔と心得よ」です。「気づけば血脈(縁)」「気づかぬは血脈(縁

)なし」です。


  • [36]
  • 血脈

  • 投稿者:らくらくメール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)14時00分16秒
 
アルベア様の投稿大変興味深く見させていただいています。ありがとうございますm(._.)m投稿を読ませていただきまして霊的継承というのは、法華経的にいえば血脈相継との事ですがこれは同じ魂という事でしょうか?ソウルグループというのか同じ場所というか?同じ本尊同じ題目でも池田先生の学会と他の日蓮系の宗派日顕宗等違うというのは不思議にに思っていました。今の学会は昔の池田先生が出ていた頃とは違うと感じています

  • [35]
  • 「悟り」現象13

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)12時29分16秒
  • 編集済
 
「悟り」現象13

アレックス・グレイの世界 サイキック・エナジー・システム

聖なる鏡―アレックス・グレイの幻視的芸術― 大型本 ? 2010/5/21 出版社:ナチュラルスピリット

https://www.youtube.com/watch?v=l9P-rrVZDKA&list=PLC9886DD51DB682BC


http://www.ggccaatt.net/2015/08/08/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%

「エネルギー体」

2010年の8月、東京の美術系の本屋で「アレックス・グレイ」の「聖なる鏡」を

手にした時、「これだ!この通り」と確信した覚えがある。

事故から5年目の衝撃であった。自分自身が体感・体験した世界が見事なビジュアルとして描かれていたので

ある。特に「サイキック・エナジー・システム」は、そっくり、そのままのものだった。

人間の存在は「エネルギー」の現れであり、個として見た場合は「エネルギー体」であるということなのだ。

このような体感・体験は、言語・思考では伝えられないことである。

You tube「アレックス・グレイ」の世界を見ると「眼差し」「眼球」が多く描かれている。「描かれている

」この感覚が「生命感覚」であり、生命感覚を映像化すると「こうなる」ということだ。「現象」としての働

き作用の一部である。様々な現象は、エネルギー変換により起きている。(中学・理科)

知識としての「エネルギー」を知っていても「エネルギー感覚」は、わからないのが人間の思考・概念の世界

なのである。

このような「世界観」を拒否・拒絶する反応は「自我機能」の働き作用である。


  • [34]
  • 「悟り」現象12

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)12時25分4秒
  • 編集済
 
「悟り」現象12

「悟り」「覚醒」「解放」「目覚め」「至高体験」「体感覚知」等は「現象」と

して「既にある」「元々ある」ものである。しかし多くの人々は「気づけない」

だけなのである。

「相対的現象・現実」は、「自我機能」が創り上げた「妄想」「幻想」世界であ

る。

1995年以降から地球上で、いわゆる「目覚めた人々」「覚醒した人」が増えてき

ている。不思議な「現象」である。

「ジルボルト・テーラーの」脳卒中の発作は1996年12月である。彼女も「目覚め

た人」の一人である。特に脳科学者であることが特筆すべき現象であったと言え

る。つまり難行苦行や宗教的枠組み、スピリチャルな経験等と一切関係ない「覚

醒現象」であったということだ。彼女は現代科学の探求者ゆえに、また専門的な

理解・表現力の豊かさから、何らかの働き作用によりもたらされた現象だと言え

る。


私ごとではあるが1995年9月に交通事故に遭遇し(3ケ月の入院・その後、リハビ

リに半年)その時、自分自身が「エネルギー体」であるということを「体感・

体験」したのである。これは、今まで自分がいろいろ学んできたこと、特に日蓮

系の信仰的な体験・価値観等が、全て「ぶっ飛んだ」というものだった。

この時点で人間の文明・社会文化的現象は「自我機能」が創り出している妄想・

幻想であることを覚知したのである。「神」「仏」を創り出したのは「現象」の

働き作用であり、その「現われ」として人間の妄想・幻想が創り上げたものだっ

たということを知ったのである。⇒宗教の否定を言うのではない、本来の宗教の

目的は「覚醒」にあったということなのだ。その「覚醒」の中に功徳・救済が含

まれているということである。

自分自身の由って立つ基盤である宗教・信仰体験等が、ただたんなる思い込み・

信じ込みであることが明瞭となった瞬間であった。人類の文明の存在自体が「相

対的現象・現実」の中にあり、生命活動が瞬間、瞬間もたらされているというこ

とだ。ただ現象が起きているということだ。「起きている」というのは人間の眼

差しから言うものであり、「眼差しを離れる」と「無」「空」であり「無限の世

界」なのである。全ての既存の価値観の大転換である。

「永遠の生命」という表現があっても「体感する」「覚知する」者はいない。思

考・概念の世界で戯れているだけである。まだまだ「生命感覚」を体感できない

から「わからない」のである。

言葉・文字による世界に閉じ込められている現象に気づけないのである。

また仕事がら、不適応の方々のケアサポートを長年携わり、事故後、不思議な現

象体験が次々ともたらされてきた。今振り返ると、学んでいたような感がする。

結局、何を学び、何があったのか、それは「相対的現象・現実」の世界、「絶対

的現象・現実の」世界が明瞭に「わかった」とでも言える。このような体験を愚

考世界では、いろいろと言われているが、全てどうでもいい事なのだ。ただ「意

識」の変化・変容の大きな生命の潮流が起きているということなのだ。このよう

な体感・体験者は間違いなく増えている。

私が体感・体験したことは、霊的な存在、神秘体験、宗教体験等といわれる範疇

では及びもつかないことなのだ。あえて言うならば「現象という現われ、現象の

働き作用と感じている」ということなのだ。

ジルボルト・テーラーの体感・体験内容とは異なるが「体感」している世界は同

じであると感じている。

常日頃から「相対的現象・現実」の中にいる方々は、それこそ「この人、変?狂

っている?ヤバイ?」と感じるハズである。「生きる世界が異なる」ということ

は今述べてきたようなことなのだ。

★なるべく愚考に陥らないように、誤解されないように配慮しているが、過去の

それぞれの経験で受け止め方が異なるのでいたしかたがない。

★創価の現象に即して言うならば、仮説と解釈・思考・概念に従い述べる事はで

きる。それはあくまで創価系列の人向けに語っていることであり「気づき」の促

しなのである。


  • [33]
  • Nの壮年 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)12時17分58秒
 
ビックリ ポン体験 投稿日:2016年 1月 6日(水)11時19分8秒

投稿 有難うございます。感謝いたします。これから、いろいろ「体感・体験」

がもたらされてくると思います。楽しみにして下さい。「歓喜・歓喜の大歓喜」

の世界を覚知します。

ちなみに、このような現象は「創価の信仰」とは関係ない現象ですので、周辺の

学会人にお話しする必要はありません。誤解されます。

掲示板で投稿を読んだだけで、このような現象がもたらされるのは「ビックリ・

ポン現象」です。他の投稿者の文章を読んでも「ビックリ・ポン」は起きません。

この異なり等も「わかってくる」と思います。

有難うございました。


  • [32]
  • ビックリ ポン体験

  • 投稿者:Nの壮年メール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)11時19分8秒
 
アルベアさま、Nの壮年と申します。
遅くなりましたが、本年も宜しくお願いいたします。

アルベアさまからご返事を頂いてから不思議な体験を次々にさせて頂いております。以前、(入会前からの)体感したことなどを先輩に話すと邪宗の害毒、通力によるべからず、頭おかしいの?など散々いわれました。ですので、そう言う感覚的なことは人には話さず、感んじないようにして来ました。でも、アルベアさまと縁させていただき、命が解放される感覚を今、楽しんでいます。そして、了解となる感覚も体感させていただいております。思った事が現実となり、どんどん良い方向に向かう、自分だけ、家族だけでなく、回りが良い方向へ転換していく。そして、自分自身のの命も研ぎ澄まされていく感覚、まるで真剣のような・・・アルベアさんの投稿を何度も何度も読み返し、頭がグシャグシャになるのですが寝て起きるとスッキリ爽快に。ありがとうございます。これからも宜しくお願いいたします。



  • [31]
  • 「霊的継承」について

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)04時46分18秒
 
蘭夢 様

ご質問、有難うございます。感謝いたします。

「霊的継承」という用語を「血脈相承」という表現を使うとわかりやすかった、ということは「確か」です。

創価の人々にとっては理解しやすい用語です。しかし一般的な方々の目線で言うと「霊的継承」の方が伝わり

やすいのです。

いつも述べていますが、創価、日蓮仏法の枠組みから離れての視点で語っていますので、創価の方々から見る

と違和感」などを感じるかもしれませんがご容赦下さい。


  • [30]
  • なぜ「霊的継承」

  • 投稿者:蘭夢
  • 投稿日:2016年 1月 6日(水)01時19分23秒
 
年末年始の「映像の世紀」、一度、HDDで録画して、他のことやりながら、片手間に倍速でみました。
さすがに、何時間もかかるので、ということで、斜め読みのような感じではありますが見ました。
それと、URLの動画も見ました。
特に
「奇跡の脳」脳卒中体験を語る / ジル・ボルティ・テーラー
なかなか、見ることがない内容でしたので、感謝します。

感想は、ここは、アルベア様の世界なので、簡潔に書きますが。
もやっとした想いが、少し明らかになった気がします。
ありがとうございます。

さて、タイトルにもかきましたが

世俗化の現象の説明で「霊的継承」という言葉を用いるのは、英語の苦手な日本人に、わざわざ英語で教えるようなもので
理解しにくいと思うのですが。
ぜんぜん、的外れの勘違いなら、すみません。
ここで、アルベア様が伝えたいことは、「生死一大事血脈抄」の話かなっと思いました。違う?

「霊的継承」という単語よりも、法華経の正師が、なぜ天台、伝教、大聖人と隔絶された時間を超えてなぜ継承されていったのか
法華経の血脈とは何なのか、そこ、肝だと思うですが

だったら、大聖人の御書、「生死一大事血脈抄」を元に大聖人の言われている血脈とは、この事なんだ。
とストレートに説明した方がわかりやすいような・・・
学会語というのも何ですが、御書なり引用すれば、聞く人も、それなりに納得するだろうし、なじんだ単語であれば
理解しやすいとおもうのですが・・・
何か、深い意図的な試みだったでしょうか

  • [29]
  • 「世俗化」という現象

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 5日(火)06時58分34秒
 
「世俗化」という現象

「世俗化」とは、開祖・宗祖等に位置付けられる人物の死後の権威権力の継承に

よる急速な一般化現象を言います。「相対的現象・現実」の中で見られる「権威

・権力継承」の愚考システム現象の現われです。

基本的パターン1-血縁優先型⇒皇族・王族 2-合意性型⇒指名制度(バチカ

ンのコンクラーベ)

その他、としてチベット仏教のダライ・ラマのような「化身」ということによる

継承もあります。この場合は教団の信仰者自身が納得するという合意が見られて

います。(霊的継承)


1-は「ミツバチ」「アリ」等の種に見られる継承パターンです。なぜか「女王]

による継承

2-は「チンパンジー」等の哺乳類に見られる「権力闘争」による合意パターン

です。「ボス」による継承

創価三代の継承はダライ・ラマにみられる「霊的な継承」に位置づけられますが、

三代以降は、皆さんご承知のようにバチカン的合意でした。「相対的現象・現実

」の中では、1の血族・2の権力闘争による合意が観察されている事実です。

進化論的法則・原理の範疇でしか継承されないということです。

創価の三代の継承現象には、師弟という「体感現象」により指定されてきた「霊

的継承」と見る事ができます。

わかりやすい例として、1は、武士の家督相続(家長制度) 2は、株式会社等

に見られる継承です。

1・2の基本パターンによる「継承」選択するのか、第三の「霊的継承」を選択するのかが、お弟子さん方の

選択にかかっています。このままだと「ボス」という合意による権威権力の継承になっていくようです。

日本の仏教教団では「指名制度」が定着しているのが見られます。

創価の場合は、あえて指名をしなかった。「不二の弟子の出現」という「霊的継承」を選択されたようですが、

このままの「ボス」による継承が自然に選択される可能性が現象として見られています。

「末法万年広宣流布」ということは「霊的継承」抜きでは虚妄となるのです。その瀬戸際が今なのです。

「末法万年広宣流布」という「責任を担う」お弟子さんの出現は、まだまだのようです。


  • [28]
  • 面白い話

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 5日(火)05時50分28秒
 
面白い話

読めば、読むほど、書かれている内容・対象に「縁」していく事、わかります?見れば、見るほど「縁」とい

う現象が、現実的な現われとして出てくるのです。誰もが既に体験していることですが、「気づかない、気づ

けない現実」があるのです。「相対的現象・現実」で起きている現象です。「反転」「反転」「反転」・・・

の現れが起きているのです。

例⇒ファッション雑誌を見る⇒気に入ったものを購入する等 消費者行動

  株価変動に一喜一憂⇒株の売買

このような行動は「自我機能」による反応です。「自己機能」が不在となっているのです。

想定外・予想外・愚行の想定・予想は「よそう」、依存と期待はハズレ、全てが「相対的現象・現実」の話

であり、「現場」ですから、

「現場はどこだ!」、どこにいっても「現場」「現場」「現場」・・・「現場」って今、ここにいる自分自身の

事どうして、「現らわれの場」だから、



  • [27]
  • 創価の「相対的現象・現実」の世界 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 5日(火)05時37分55秒
 
創価の「相対的現象・現実」の世界

宿坊の掲示板にある冒頭のスローガン・タイトルです。

「『瞋恚は善悪に通ずる者なり』とは御聖訓の一節。

大悪と戦う正義の怒りは、大善を生むことになる。

極悪と戦えば、極善になる。

善人の勝利、善の繁栄こそが、邪悪への最大の復讐となるのである。」


この文章に書かれている内容が「相対的現象・現実」の世界であり「自我機能」の働き作用なのです。

従来型の思考・概念の現われです。人間の文明による働き作用が「思い込み・信じ込み」の中で育まれてきた

事実が現象化しているのです。弁証法的現象・トライアングル現象の現われです。

★この文章には「悪」に対するエネルギーが色濃く出ています。しかし、そのエネルギーと同じエネルギー

が生じ、双方が打ち消しあっているというのが、現実の姿としてもたらされているのです。反転現象です。

ほとんどの人間は、(創価の人を含む)は、このような二者択一の相対的世界を選択しているのです。

「右脳の活性化」がないと。この「相対的現象・現実」は、ただ続いていくだけなのです。

様々な創価の方々の関心の度合いが増してきているように感じます。

まあ、なるようになっているから、安心して下さい。

例 イスラムのスンニン派・シーア派にシフト? 世俗化教団として存続

これらの現象も「相対的現象・現実」の世界です。


  • [26]
  • 「悟り」現象 11

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 4日(月)18時35分18秒
 
「悟り」現象 11
「悟り」現象につて、様々な怪しげなレベルから宗教レベルまで他種多様なもの

がネット上であふれています。それだけ多くの方々が関心を持っている、救いを

求めているということです。「相対的現象・現実」の世界です。

You tube をご覧下さい。

創価の狭い中ではわからない現象が起きているのです。


TED ジェフ・リーバーマン 悟りについて 2015.10/3
https://www.youtube.com/watch?v=AtJ7BDnghH4


  • [25]
  • 「悟り」現象 10

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 4日(月)06時31分33秒
  • 編集済
 
「悟り」現象 10
「脳の覚醒」

以前、TEDの「ジルボルト・テーラー博士の脳卒中体験」を紹介しました。

「脳の覚醒」という現象が起きるという事と、いわゆる「悟り」現象があるということを知ってもらうために

紹介したものでした。

「脳の覚醒」「悟り」現象は「体感・体験」として語られているものです。しかし、たまたま偶発的にもたら

された現象でした。「脳の覚醒」「悟り」を意図的にもたらす方法はジルボルト・テーラーが言う「左脳と右

脳のスイッチング」によるものということで、彼女自身の意識の使い方、方法です。

紹介したTEDの目的は

1-「脳の覚醒」「悟り」現象が起きているということ。

2-「現象」自体が、既存のあらゆる思考・概念を崩落・崩壊させるということ。

  まず宗教的なあらゆる存在の否定にもつながるものだということです。宗教家や宗教関係者、信仰者にと

    っては衝撃です。愚考による価値観の転換が起きてしまうからです。

3-「体感覚知」(悟り)は、「脳の覚醒」「悟り」へ促すプログラムなのです。このプログラムは「体感覚知」

   により自然にもたらされた現象です。おそらくこのようなシンプルな方法提供する人はまだまだ少ないということです。


?TED「奇跡の脳」脳卒中体験を語る / ジル・ボルティ・テーラー

https://www.youtube.com/watch?v=BsSWaYITW4g


https://www.youtube.com/watch?v=sMNwA4qbcGY


②TED【統合失調症】私の頭の中の声 TED日本語字幕

https://www.youtube.com/watch?v=IoypnSk8S_E

「相対的現象・現実」の世界を選択する者は、そのままの世界で一生を過ごすこととなります。

「体感覚知」した人は、同じ世界にいながら、異なる世界、次元を生きることとなるのです。


  • [24]
  • 「悟り」現象 9

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 4日(月)05時34分46秒
 
「悟り」現象 9

悟り」現象・「体感覚知」起きるとどうなるの?2

(創価の信仰・信心とは関係ありません)

「相対的現象・現実」の中で、自然に「自然治癒力」の働き作用が自由自在に使

えることになります。スピリチャル系の言葉でいうならば「ヒーリング現象」が

もたらされるということです。

また、「相対的現象・現実」の中で語られてきた様々な「概念」や「事象」など

の意味や現象の現われが、自然にわかるようになります。例えば「難しい概念」

等は、自身の中で自然に湧いてくるのです。

経典の意味や聖書に書かれている内容などのスキャンする機能が自然に働き作用

するのです。しかも真偽のほどもわかってしまうのですから面白いです。

「相対的現象・現実」で繰り広げられている様々な人間ドラマが見られるのです。

色々、様々な事象の意味がわかるということです。


例⇒アンテナが優れていると、様々なチャンネル周波数を受信するのと同じ現象

が起きるということです。

スマホ、携帯は地方に行くとアンテナ基地が無い場所だと受信・発信もできませ

ん。

自分自身に魔法の「アンテナ」の機能等がもたらされるということです。

「体感覚知」は、既存の人間の営みを「どんでん返し」させてしまうのです。

詳しくは自分自身に起きる「体感覚知」のお楽しみです。尚、個人の「志向性」

が色濃くもたらされます。


参考映画 ルーシー(Lucy)は、2014年にフランスで制作されたSFアクション

映画。

体内に強引に埋め込まれ、隠された強力な麻薬が体内で破裂し、「脳の機能が覚醒

していく」という内容です。

「脳の覚醒レベルの進行」という意味では面白いです。


  • [23]
  • 「悟り」現象 8

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 4日(月)05時05分44秒
 
「悟り」現象 8

「悟り」現象・「体感覚知」起きるとどうなるの?1

(創価の信仰・信心とは関係ありません)

「相対的現象・現実」の全ての現象がつぶさにわかります。「絶対的現象・現実

」からの「俯瞰的眼差し」による了解です。

「つぶさにわかる」だけなら、それなりに「相対的現象・現実」の中でも起きる

現象ですが、ぜんぜん質・内容が異なるのです。「わかる」と「同時に」関係・

関連する方々、職場・家庭等の組織で「正常な機能回復改善」が自然にもたら

れるのです。「自然治癒力」が活性化されるのです。反転・転換という現象が

「相対的現象・現実」の世界で現象化されるのです。心身の不具合の在る方は回

復改善し、職場や家庭の環境が以前より良くなるのです。

「相対的現象・現実」では一応「わかる」だけで、何も起こりません。


「相対的現象・現実」では「敵対」することが、当り前に「稼働している」ので

す。善悪・正邪等、人類の愚考は「闘犬」「闘鶏」「闘牛」の如く「相対的現象・

現実」により条件づけられた「パブロフの犬」みたいなものです。まず何よりも

「勝負」する事が、条件付けられた現われなのです。「気づかない」から「気づく」まで

「敵対」する現象が、ただ続いているだけです。本当は「どうでもいい事」なのです。

「映像の世紀」you tubeを鑑賞した方々、「見ても???だった」ようです。

これが「相対的現象・現実」の姿なのです。

「体感覚知」は、そうした二者択一の状況から離脱した「視点」からのアプロー

チをもたらすのです。この「視点」が現代人は欠落しているのです。

「体感覚知」は「智慧」となり「相対的現象・現実」に現象化されてくるのです。

「体感覚知」は、全ての事象を可能とする現象の働き作用なのです。この「働き

作用」という用語は、生命現象の本質的な観点からお伝えするために用いている

用語なのです。

私たちの住む世界は「言葉」により分離分断されているゆえに「言葉のやり取り

」に陥りやすいのです。そのため「働き作用」という現象が「言葉」により覆い

隠されてしまうのです。だから「言葉」を知っていても「わからない」という現

象・現実が表面化しているのです。内実性の希薄化現象が定着化しているのです。

このような状況があるから「本」などを読んでも「あらすじ読み」しかできない

のです。深読みができない、逆に自我機能により自分の都合に合わせた読み方「

アレンジ化」が定着化しているのです。一人一人の中で「歪曲化」する働き作用

が機能しているといことです。この事を踏まえて「やり取り」しないと「誤解」

の上に「誤解」を上乗せし、「本意」と逆のことが伝わるという「反転」が起き

てしまうのです。どうしてこのようなことを伝えるのか、現代人には「文字」「文章

」を読んでも「わからない」という状態・状況があるということを知ってほしいからで

す。

いろいろな「板」を読んでも、投稿しても「嘘」になる「反転現象」が既にある

ということです。

「体感覚知」すると、全てが見通せるということです。本質的な見極めが絶えず

もたらされているということです。(まあ、多くの人々にとっては、どうでもい

いことですが)


  • [21]
  • 「創価の闘い」の真実

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 3日(日)10時19分28秒
 
「創価の闘い」の真実

多くの「創価の人」は相変わらず戸田先生以来、昭和20年代の闘いしていますね

。これって全部、自分の外、外界に向かって、ほざいているだけです。わかりま

す。「池田先生が言ってるから」「魔との闘いだから」等と外に敵を見出すのが

「自我機能」の働き作用です。

池田先生ご自身も「魔との闘い」等と言っています。このことわかります?

「闘うのが広宣流布だから」「仏法は勝負だから」全てが「自我機能の働き作用」

なのです。ヒントは「全ては見かけ上」ということなのです。

牧口先生・戸田先生・池田先生、もちろん日蓮大聖人等は「現実」の中で闘って

こられました。

このような「思考」「ストーリー」は、思い込み・信じ込みとして創価の方々に

強固に定着しています。

だから「師弟不二」になれない「現実」があるからです。「不二」とは「智慧」

です。

牧口先生・戸田先生・池田先生の中には「絶対的現象・現実」を「体感覚知」し

ていたから、「俯瞰的眼差し」を通して末法の衆生の救済を「創価現象」として

「相対的現象・現実」の世界にもたらせてきたのです。「師弟不二」という体感

・体験があったからなのです。それが「仏の智慧」なのです。

「絶対的現象・現実」の「体感覚知」がないと、もたらされない「創価現象」な

のです。つまり「絶対的現象・現実」を「体感覚知」することが、全く欠落して

いる方々の指揮だから、現在の様々な不具合がおきているのです。「相対的現象

・現実」の世界だからです。「智慧」が「智慧」として稼働できないのです。そ

の理由は「気づかない」「気づけない」からなのです。

皆さん方も同じです。「師弟不二」という言葉、思い込み・信じ込みの範疇にい

るから、「怒り」のみの日々の闘いの中にいるのです。「勇躍して歓喜しながら

楽しく」できない理由がここにあるのです。「体感覚知」という「智慧」が稼働

していないからなのです。今述べた事が「急所」なのです。

「急所」に「気づけない」意識状態があるということです。急所がハズレぱなし。それが今のそれぞれの姿なのです。



  • [20]
  • 創価の闘い」の嘘

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 3日(日)10時04分15秒
 
創価の闘い」の嘘

「創価の闘い」に「智慧」という「仏」の働き作用が消えてから、急速に堕落と

世俗が起きています。

地方組織では、地域の人口減少に伴い、ブロック・地区等を合併せざるをえない

状況が広く起きています。活動範囲の拡大「限界集落」ではないが「限界組織」

現象が全国的に起きているのです。

また札幌・仙台・東京・横浜・名古屋・大阪・神戸・広島・福岡等の大都市では

人口流出・少子化に伴う、ドーナツ現象⇒都市の空洞化が起きています。いわゆ

る活動家の減少が常態化しているのです。

地方の選挙・聖教配達・活動等々、活動家のほとんどは年金生活者、それでいて

多部数購読の推進という愚行、

会館警備・維持の負担増⇒牙常会・創価班の質的低下、活動家の著しい減少、そ

のぶん、壮年・婦人の熟年者・太陽会等の皆様方の献身的な活動、会館訪問する

も「清新な雰囲気全くない」現実、「訪問するんじゃなかった」という実感だけが

残り、後にする。会館増えても人手不足、人手という人材どこにいる。

従来の「創価観」が低下している現実、


全国の副会長クラスの方々は頭を悩ませています。「悩んでいるだけ」どうにも

ならない。それでいて組織の引き締めと言う「圧迫」、本音は「なるんじゃなか

った副会長」相変わらず妄想の指示を出し続けている信濃町。


こうした現象は、四者に色濃く影響をもたらせ、不平不満をもたらせ、活動人口

の減少となって、組織の疲弊・閉塞となって、さらに活動家を圧迫しているので

す。創価の稼働率がどんどん落ちているのです。⇒「負」のスパイラル現象


「喜び・感動・歓喜」が組織から消えて久しい。「慈悲はどこにいった、ジヒおしえて」

とは多宝会の方の本音、これが「魔」の働き作用なのですね。

さあ、こうした状況を智慧ある方々、仏の軍勢の方々はどうするのでしょうか?

恐らく「もうどうにもならないでしょう」


  • [19]
  • 「悟り」現象 7

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 3日(日)07時45分6秒
 
「悟り」現象 7
(創価の信仰・信心とは関係ありません)

「自己機能」「自我機能」「意識機能」の区別ができるようになると、軽度の心

身の不適応が軽減します。

どうしてか、

「自我機能」の働き作用が軽減するからです。「自我機能」は「自己機能」の働

きが活性化されると追いやれるからです。⇒心身の不具合・不良不全に悩む方は

1週間ぐらいで体感・覚知できます。

「自我機能」「自己機能」を観察して区別する働き作用するのが「意識機能」

です。

この3つの構造は先述した「弁証法的現象」(トライアングル現象)です。

人間の愚考(自我機能)はこのような自然な働き作用を無視し勝手に稼働してい

るから地球規模の不具合が環境や人間に影響を与えているのです。このような「

俯瞰的眼差し」を自由自在に操作・活用できるのが、「体感覚知」なのです。

皆さんが関心のある「創価現象」(創価で起きている多種多様な事象)の真実が

明瞭のわかってしまうのです。

創価関連の色々な「板」のバカげたことが「あからさま」になります。

創価教学・教義・会則・運営・マネージメント等のくだらさが「わかってしまう」のです。

「創価の師弟」の実体が「善くも、悪くも」あきらかになってしまいます。

では、どうなるか、それは「体感覚知」したらのお楽しみにして下さい。

現在のような「創価に留まる」か「新生の創価」を選択するかはご自分で決めることです。

「体感覚知」は創価の信仰・信心とは関係ありません。「体感覚知」は人類の新

たな世界を開く現象なのです。

わからなくて当り前です。「自我機能」の働き作用の中に「今いる」からです。



  • [17]
  • 「眼差し」のトレーニング 6 (3回目の投稿・改変) 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 3日(日)06時45分18秒
 
「眼差し」のトレーニングは、意識の進化・変容をもたらせ、いわゆる「悟り」現象の体感・体験を促すプロ

グラムです。(創価に信仰・信心とは関係ありません)


「相対的現象・現実」(自我機能の世界)と「絶対的現象・現実」(自己機能の世界)の区別ができないと

、「体感覚知」の現象はもたらされません。区別するプログラムが「眼差し」のトレーニングなのです。


先述の「体感覚知のワーク」とともに実行していくと「わかる」ようになります。


なぜ「眼差しのトレーニング」なのか、

多くの人々は、常に自分自身を中心にした「眼差し」がこびりつき、真実・事実という現象が覆い隠くされて

「見えない世界」にいます。「見えない世界」が「見えると」自分自身の世界が変わるからです。「眼差し」

には世界を変える力があるのです。「自分を変える」とは「眼差し」を変える事でもあるのです。


人は誰でも、自分が見たようにしか、世界を見る事ができない。人は見えたことを事実と誤認しているのです。


「相対的現象・現実」の中に事実・真実の現れがある。しかし自身の「眼差し」では見えない、自分が、見え


る様にしか見ていないからです。

例⇒1-人ごみの中で「何を見ているか」その「自分が見ている対象」は自分の眼差しの働き作用である。

  2-人ごみの中で、誰か知っている人を見つける等

  3-映画鑑賞して、感動する人、感動しない人の違いは「眼差し」の違いである。

  4-先生のスピーチ・指導を読んでも「注目する」「関心を向ける」場所が異なる。この異なりは「見る

   者」の都合によるものです。同じ文章を見ても、見る側により千差万別ということです。


「眼差しの視点」

武道の達人は、普通の人には見えない世界が見えている。プロの職人には、その道が見えている。それらの

「眼差し」は、日々の鍛錬・修行という行為の繰り返しの中で育まれ、培われる。

本来の仏法の在り方も、自らの日々の鍛錬・修行により民衆を救済していくものでした。しかし今日は愚考と

言う思い込み・信じ込みの世界になっています。「眼差しの視点」がズレ・ブレだからです。


1-相対的現象・現実を知るために、NHK映像の世紀(YouTube)を見よう。「戦争」と言う相対的現象の

  理解がわかりやすい。


2-映画の名作を見よう。

どんな映画のストーリーも「敵VS味方」の構図により成り立っている。立場(眼差しの置き方)で逆転(反転

)する。私たちは乳幼児期から善悪の見方、善い人、悪い人、という大人の都合で仕込まれてきているのです。

相対的現象・現実が日常で、家族・組織・学校・職場等の人間集団の中で繰り広げられている愚考現象なのだ。

人が2人集まる、「自他の関係」は、最小単位の相対的現象・現実なのです。主体と客体の関係です。

3-池田先生の小説「人間革命」「法華経の智慧」「方便品・寿量本講義」を読もう。池田先生の「眼差し」

を学ぼう。相対的現象・事実の中でいかに振る舞ってきたがわかるからです。覚知した者の眼差しを学ぶこと

となるのです。

相対的現象・事実の見方に慣れて来ると、あまりの馬鹿馬鹿しさに気づくハズです。気づかない者は、もう無

理、自分自身に「気づき」がもたらされるまで待つしかないのです。


  • [16]
  • 「悟り」現象 5 (3回目の投稿 改変)

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 3日(日)06時32分6秒
 
「悟り」現象 5 (3回目の投稿 改変)

「体感覚知」のワークは、意識の進化・変容をもたらせ、いわゆる「悟り」現象の体感・体験を促すプログラ

ムです。(創価に信仰・信心とは関係ありません)

「自我機能」と「自己機能」の「区別」「自己観察」を基本に行っていくと、おおむね誰でも早い人で3ケ月

、長くても3年で「体感覚知」がもたらされます。

では、具体的にどのように「区別」「自己観察」していけばいいのか、「体感覚知」のワークです。


できれば始めは部屋で、一人でやって下さい。

姿勢は、椅子や座布団に座り、背筋を伸ばして、目はつぶらないで普通に。時間は1・2各3分でもいいです。

1―「区別」「自我機能」と「自己機能」を区別します。

  寝る前でも、時間がある時に、頭に思い浮かぶこと、を自己観察します。浮かんでくることの多くは

  「自我機能」です。「思い」が浮かんでは、消えていく様を観察するのです。


★自己機能の自己観察

2-お茶を飲む・コーヒーを飲む 味わうこと、「自己機能」(身体機能)です。

  食事を味わう等、五感に感じる現象を観察します。


例 お茶を飲んだ時の反応に関心を向けるという事です。静かな部屋にいると、どんな音が聞こえるか、

  どんな臭い、香りがするか、等々 五感が反応していることに関心を向けます。

  例えば「梅干し」を食べてみる。梅干しを味わう。 「梅干しを思い浮かべる」すっぱさを味わう。

3-一番、わかりやすい身体的反応として、排便・排尿の感覚は、その都度、体感できます。女性の場合は

  生理の時の感覚も同じ体感です。ちなみにこの感覚は人間である以上、誰でも同じです。普遍的な自己です。

※ 排泄の体感は、言葉にできない、表現が難しいことわかりますか、体感する世界を言葉にすると即「体感」から離れて思考・概念になってしまうのです。個人差が出る。言葉になる前に体感があることに慣れることが「体感覚知」の基本なのです。

※ 最新の脳科学によると人間が動作を起こす前0.3~0.5秒に既に脳が反応しているとのことです。この0.3~0.5秒間が「無」「空」の世界であることが明らかになってきています。(ジルボルト・テーラー等の研究)「体感覚知」とは「無」「空」の世界を知ることです。「無」「空」の体感覚知については別に述べます。


★自我機能の自己観察

4-「自我機能」は、いつでも、どこでも、観察されます。あまりにも身近な現象ですので、始めは誰でも、

  その観察の仕方に翻弄されます。それくらい「自我機能」は強固なものなのです。

先の「自己機能」は身体的な感覚反応です。言葉や思考ではありません。つまり「身体的な感覚反応」以外全

てが「自我機能」の反応なのです。

「あっ、今日、夕飯どうしよう」とか、「板」を読んでいて、いろいろ思い浮かんでくる現象は、全て「自我

機能」の働き作用なのです。日常生活のほとんどが「自我機能」の働き作用で満たされているのです。

何回も言いますが「自我機能」というものには「実体がありません」当然「自我機能」による「心」も「実体」

はありません」妄想・幻想の世界です。

仏法で言う心の構造は、あくまでも「身体感覚によるもの」であり「自我」の創り出した「心」という妄想

ではありません。区別ができないくらいの癒着があるのです。

「自我機能」による「思い」は、湧いてきて、スグ消えていきます。「湧いては、消えて」が絶えず繰り返さ

れています。生滅の連続が持続しているのです。また生滅の連続・持続が、思考・観念・概念・信念体系等と

いわれる世界を作り上げているのです。こうした現象全てが「自我機能」なのです。

「自己機能」が日常的にわかってくると、自然に「自我機能」の「危うさ」「妄想・幻想現象」に気づいてき

ます。

自分自身が生きている世界の本質が見えてくるのです。


生命活動の「自己機能」「自我機能」の「生滅」「生死」現象は自然な「新陳代謝」の現われです。細胞レベ

ルいうならば「細胞」のアップ・ダウン現象と同じ活動です。私たちは既に自分自身と言う「生死の大海」に

いるのです。

自分自身の中で起きている「湧いてきては、消えていく」ことに関心を向けていくと「区別」することがさら

にわかってきます。


★「自我機能」への問いかけ いろいろ浮かんでは消えていく「思い」、またなかなか消えない「思い」等が

ありますが、「頭の中で浮かんできた時点」で、浮んだ内容について「それが、どうした」「だから、どうな

のだ」「だから、なんなんだ」と問いかけて下さい。浮かんできた内容が消えます。思考・概念の自己内対話

の方法です。

★「自己機能」への問いかけ、感覚的な反応を味わいます。「そうか、この感覚か」と、気づくと、気づくこ

との精度が高まります。

このような「問いかけ」は自己内意識による「フィードバック現象」となり、様々な現象を「区別」するセン

サー機能が働き作用することとなります。

「自我機能」と「自己機能」の区別は先に述べたように1週間ぐらいで慣れてきます。


  • [15]
  • おやじ 様 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 2日(土)10時50分5秒
 
おやじ 様 投稿日:2016年 1月 2日(土)10時05分28秒

あけましておめでとうございます。


体調はどんどん良くなっていきます。すごいことです。「気づく」という現象による効果です。

(創価でいうならば「功徳」)「体感覚知」視点から言えば、自然治癒力の活性化の効果です。

あまり本を読むと「思い込み・信じ込み」の現象が出てきますので。恐らくおやじ様は、その読みわけ


ができてきているように思います。近い将来、本を読む必要がなくなってきます。

また自我の人、自己の人の区別が自然にできるようになります。

全部「わかっちゃう」「了解」できちゃうからです。楽しみにして下さい。


  • [14]
  • 明けましておめでとうございます

  • 投稿者:おやじ
  • 投稿日:2016年 1月 2日(土)10時05分28秒
 
アルベア様、昨年はご教授有難うございました。あれから体調は良くなり、少しずつではありますが自分自身の中で変わってきたような気がします。ルミナリエ様の投稿を読んでそうそうまさにその感覚だと思い嬉しくなりました!すぐにお礼の投稿をと思っていたのですが、このサブ板がどこにあるのかわからず、右往左往していました。これからも勉強していきたいです。宜しくお願い致します。年末にたまたま[脳に悪い七つの習慣]という本を読んだのですが、非常に面白く、アルベア様がおっしゃってた事と通じるような事が書かれてありました。そこには脳にはクセがあり、自己保存と統一、一貫性がありそれが過剰反応すると正しい理解等が出来なくなるというような事が書かれてありました。これからもまた色々質問させて下さい。宜しくお願い致します。

  • [13]
  • 「相対的現象・現実」の世界

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 2日(土)07時44分25秒
 
「相対的現象・現実」の世界

年末年始の「映像の世紀」見ましたか、多くの人は見ていないと思います。また見る必要も感じていないのです。

このような現象を「単眼的な眼差し」による自己判断といいます。⇒「無意識的選択」

まあ、「体感覚知」は無理ですね。「気づき」が無いのですから。「気づき」があれば見ているハズだからです。

不平不満・能書きだけを語るだけの自我機能の証明です。

それは自分自身が、その時々の「気分」で生息していると言う証でもあるのです。⇒安心して下さい。現代人の生き方は、瞬間、瞬間、刻々と移りゆく「気分」を先行、選択しているのが本質的現象ですから、

「相対的現象・現実」の理解する、しない以前の問題です。「わからない」「わかろうともしない」世界の選択が自分自身の中で起きているのです。(関係ない事ですね、そう私にも関係ない現象でした)



  • [12]
  • 「悟り」現象2

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 2日(土)05時09分8秒
 
「悟り」現象2

投稿の順番間違えました。スイマセン


「悟り」現象は、人類が創り上げてきた社会文化的事象・自分自身の見方、自分自身の内面が転換すると言うこ

とだ。

従来の「文字・言葉・を信じ込む・思い込む」ということも消失する、しかし「書かれたもの」「語られた事」

や「事象」が自然に全て了解できるようになる。自我機能が本来のバランス感覚を取り戻すからでもある。

「自己」が「絶対的現象・現実」であることが「わかる」時が来たのだ。

「悟り」「覚醒」「目覚め」「解放」「体感覚知」「至高体験」等の現象は、呼び方が異なるだけで「体感する現象」

は同じである。反応する「主体」の差は、個人の傾向性に異なりである。

「悟り」現象は、従来の宗教、宗教系、スピリチャル系等のカテゴリーには分類されない現象である。表現とし

て私は「体感覚知」と呼んでいる。先述したように「眼差しの方法」をお伝えしているからである。「眼差し」

は「宗教とは関係ない」人間の自然現象だからである。


意識が一定の位置(ポジション)に達した時、「悟り」現象が起こる。自分の感じている意識を「一定の位置」


(ポジション)に合わせることができれば、自然に起きてくる。意識の合わせ方を「体感覚知」のワーク・「眼差し」のトレーニングと言う。


例⇒自転車に乗ることを覚えることと同じ過程である。

「自転車に乗る」という感覚がわかる人は、「自転車に乗る」ということを修得している、自得しているという

ことである。この感覚がワーク・トレーニングには必要である。なぜならば、能書きという思考・概念ではない

からだ。自分の運動感覚と感覚運動にワーク・トレーニングである。

わかりやすく言うならば

1-「運動感覚観察」⇒五感を観察する


自分の身体(からだ)で起きている身体活動(運動)の感覚を観察するということである。⇒運動感覚


自分自身の内面的な現象を観察するということである。一般的には「内部観察」「自己観察」「思考観察」等とも言われているが全く異なるものである。

「体感覚知」という視点から「今、感じている身体の感じ、感覚」を「運動感覚観察」と「眼」を使い、物事を見る「眼差し」を「感覚運動観察」と呼んでいる。

「感覚観察」には、身体活動を観察する「運動感覚観察」と自分の身体の一部である「眼」の使い方を通し見るという「感覚運動観察」があるということである。外界の事象を観察することである。


運動観察の例

例⇒排尿時の身体感覚はトイレに行き排尿すればスグわかる。ここには過去の記憶は一切関与していない

  生々しい感覚だけが感じられる。⇒普段意識していない、五感の機能感覚に改めて注意を向けるという

事だ。⇒運動感覚の観察と言う。⇒内部観察とも言う。

2-「感覚運動観察」⇒「眼差し」を意識する

自分自身の「眼」を使い、どんな「見方」をしているのかを「観察」し「感知」「探知」という感覚の精度を

高める方法である。この自分自身の「眼」の感覚運動を通して観察することを「感覚運動観察」という。

  例⇒日常生活での普段の見方は、見たように見えている。この現象を「単眼的眼差し」と言う。


    子供の喧嘩を見ていると、「そこには何らかの対立」があるから「喧嘩」している。「喧嘩」の当事

    者は両者ともに、自分の眼差しで相手を見ている「単眼的眼差し」がある。見方の対立(弁証法的


    現象)がある。⇒(愚考者は「傍観者?」と考える、「眼差し」の話をしているのだ)


    しかし、その様子を見ていた第三者の「眼差しは」両者の喧嘩を見ていた。(親・仲間・周辺の大人等)

    この第三者の見方を「複眼的眼差し」という。

  例⇒就職活動で2社の内定をもらい「どうするか悩む」いわゆる「葛藤」である。

    「A社とB社」どちらに選択するか、という時の「眼差し」は自然に「複眼的眼差し」になっている。

外界の様々な現象を「複眼的な眼差し」で観察することに慣れていくことを「感覚運動観察」というの

である。このような事は「弁証法的現象」または「トライアングル現象」を観察する「眼差し」に慣れ

ていくということである。

くどいようだが、運動感覚・感覚運動の観察は、思考や概念、思い込み・信じ込みではない。自分自身が「感じ

ている事」である。身体運動・身体感覚による見方である。生々しい、新鮮な自分自身の反応を知るということ

である。このようなことを「自己機能」を知るという。

内観・内省・自己観察等といわれているものは、思い込み・信じ込みという思考観察であり、「自我機能」の観

察を言っているのだ。

「体感覚知」は、自分自身の「感覚観察」である「運動感覚」「感覚運動」の方法を修得するため、「内部観察」

「眼差し」を意識して使うということから始めていくことになる。

初期段階では、操作は慣れていないので、苦労する人もいる。しかし慣れると使い方がわかる。理屈で学ぶもの

ではない。感覚の修得である。プロの職人が技術を修得することと同じである。職人の感覚として修得するとこ

とが「体感覚知」になるのだ。

ちなみに職人は「物を創る事」が仕事である。「体感覚知」を目指すとは、自分自身の意識を職人的な感覚にし

ていくということだ。

職人の技・神業等はyou tube で見る事ができるので「職人技」または「神業」で検索し鑑賞してほしい。

また柔道家の「三船十段」等も技法の習熟という面で参考になる。you tubeで検索



★ここまでいろいろ述べてきたが、「創価云々」「教学云々」「本尊」「祈り」「唱題」「池田先生」


「会則」、「邪宗」「禅宗」等など愚考の思い込み・信じ込みの自我機能の働き作用とは、全く関係ない事が


おわかりになったのではと思うが・・・「創価系列の方々ひとまずご安心を」 よかったですね。



★ただ創価の人が「気づかれて」勝手に「体感覚知」してしまうと大騒ぎ大混乱、間違いなし、とんでもない時


限爆弾、創価の「ビックバン」現象が起きてしまいます。怖いですね。そこんじょそこらの雑魚と違います。


池田先生と「不二」の感覚を体得された方々ですから、世俗を離れている方々ですから、


安心して下さい。宿坊関係・関連者にはまだいませんので。まだまだ「気づけない」ようですから



閲覧者の方々から「体感覚知」する人が出てきてしまったら・・・私には関係ありませんので、生きている


世界が、もう違いますので。

安心して下さい。今述べたようなことは起きませんから、なぜならばもう次元が異なっているからです。


創価は創価、弟子は弟子として発迹顕本を目指して歩んで下さいませ。創立以来の鈍感な諸先輩方々と同じ


師弟の道です。自我機能の働き作用の中で、尊きご一生を終えて旅立つのです。

ちなみに日本全国で1日に3500人から4000人前後の方々がお旅立ちです。自然の営み・現象なのです。

(亡くなられた方々を冒涜しているのではない。現実の現象を紹介しているのです)

「法華経の智慧」が「身読」できればいいですね。小説「人間革命」が「身読」できればいいのに、


なぜ「身読」ができないのでしょうか?考えてみてください。時間は死ぬまでありますから・・・


ただ皆さん方は「相対的現象・現実」の世界で生きていますので、また三毒強情ですから、まずなによりも


「妄想」「幻想」ですから、なぜならば「自我」の世界の物語ですから。このことを打ち破ったのが地球上で


は釈尊だったのです。(ここで、もう邪宗臭いですね、「触(さわ)らぬ神に祟(たた)りなし」ですね。)


  • [11]
  • 「悟り」現象4

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 2日(土)04時42分5秒
 
「悟り」現象4


第2段階は、4つの区分である1-自我機能 2-自己機能 3-意識機能 の区分を運動感覚・感覚運動によ

り「見分ける事」ができるようにすることである。この「見分け」は「体感覚知」の基礎となるものである。

「見分け」ができるようになるだけで、いままでの自分の見方と違う事に「気づく」ハズである。

4つの区分(領域)は次の通り 2015.12/31:4:14投稿一部改変

1-「自我」では「自分が生きている」という認識になる。「○○はこうだ」等の「思い」の連動連鎖という

   「思考・概念」「自我の実体」は無い。思考して「理解」するという世界 思考・言語・文字の世界


   現代人は「自我機能」の働き作用に「気づけない」「気づかない」状態にある。

2-「自己」では「自分が生かされている」という認識になる。「そうか、そうなんだ」の「体感」の


連動連鎖による「体感覚知」「自己の実体」は「身体」である。「感じている」世界 運動感覚・感覚運動

  現代人は「体感感覚」が「自我機能」により抑圧され機能不良不全を招いている。心身の不適応が発生しや

   すい。自然治癒力の低下現象がある。

3-「意識」は「気づき」であり、「自我」「自己」を貫く働き作用である。思考・言語・文字ではない。

   (ここで、禅宗ぽいという信じ込みの輩は反応する。まともに文章を読めないレベル)


     例⇒排尿時の感覚は、思考・言語・ではない。文字で表現できない。(わからない方々はわからないまま)

4-「生命」は「現象」であり、1・2・3を統合した「全体性そのもの」である。

    参考図書「全体性と内臓秩序」青土社 デビッド・ボーム著 2005/11発行

   (創価の方々「生命論」を知っているようでぜんぜんわかっていない。ひたすらの思い込みだけがある)


創価的視点から見ると⇒悪と仏の住処 (この区分にイチャモンつけるのが自我機能の方々である)


創価教学の面々には、このような区分はできない。思い込み・信じ込みのレベルだからだ。

1-「自我」は「魔」第六天の魔王の住処 思考・概念「相対的現象・現実」世界は「自我」⇒対象化・モノ化

2-「自己」は「仏」仏の軍勢の住処 身体感覚・感じる「絶対的現象・現実」の世界は「自己」⇒生命現象

   東洋医学でいう「自然治癒力」は身体(からだ)「自己機能」に現われてくる現象だからである。

  「自我機能」には「自然治癒力」はもたらされない。(わかるかな、まあ読んでもわからないか・・・)

3-「意識」は「自我」「自己」を貫く働き作用  生命の働き作用⇒生命感覚⇒「気づき」

   例⇒「自我」にある「正義」は常に相対的 「自我」は「悪」の住処(すみか) 「実体は無い」

   「自己」にある「正義」は常に絶対的 「自己」には「悪」は無い。「善」の住処(すみか)「実体は身体」

   (なぜ「自己」が「仏」なのか、「わからない」輩は、何も学んでなかったということ)

現代人の多くは「自我」が「私」「自分自身」と思い込み・信じ込み「生きている」という。


「自己」という身体機能を知ると、気づくと「生かされている」という「真実」に出合う。


「自我」と「自己」の区別ができない状況が「単眼的眼差し」を作り上げている。それが「見たようにしか、


見えない」という世界観を作り、自分自身の内部に「核」として出来上がっている。閉鎖的・盲目的世界に

自分自身で閉ざしている空間にあるということだ。思い込み・信じ込みが身に染みこんでいるのである。

その閉ざされた空間を開くというのが「仏法」の本質なのだ。「開く方法」言葉で知っていても、固く

閉ざされているからしょうがない。このまま、ありのままが続いて行く。


  • [10]
  • 「悟り」現象3

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 2日(土)04時05分14秒
 
「悟り」現象3

第1段階は「眼差し」「意識」の向け方を知ることである。それは1-自我機能・2-自己機能・3-意識機能・

4-生命感覚の4つである。4番目の生命感覚は、3番目の意識機能が自得されることにより自然に身体内部か

ら湧き出てくる。手順に沿って、運動感覚・感覚運動でやればいいのです。


★なぜ「4つの機能」なのか、

古今東西の「悟り」現象を見てくると、様々な修行形態には4つの機能が同時に含まれているということが明ら

かになった。

修行の方法はそれぞれ異なることは言うまでもない。アジアで見られる加持祈祷・シャーマンやネイティブアメ

リカンのダンス・薬草による方法・バリ島などで見られる音楽とダンス・イスラム系のコーランの音楽的響き

アフリカの祈祷師のダンスと音楽・ヒンズー音楽とダンス・ヨーガ・日本では密教系・日蓮系の加持祈祷・天台

系の千日回峰行・仏教系の瞑想・坐禅等々が知られている。

修行とは関係ない一般的なものとして「讃美歌」「ジャズ」「ロック」等の音楽のリズムに同調することにより

一時的な恍惚状態・トランス状態等になる場合もあるが永続的ではない。

これらの「悟り」「覚醒」「解放」「目覚め」「至高体験」に共通している現象は


1-自分自身を消去する⇒自分を捨てる、自分を離れる等⇒自我を離れる。自我を離脱する


2-ダンス・マントラを唱える・音楽による激しいダンス・加持祈祷⇒運動感覚・感覚運動


3-「我を忘れる」ほどの「没頭」⇒意識の高揚感・自然との一体感⇒意識的な変容体験


4-その他として、事故・病気による発作・手術中の臨死体験等の離脱体験


等が共通して見られている人間の反応パターンという現象である。

これらの人間のパターンを整理し吟味すると1-自我機能 2-自己機能 3-意識機能 4-生命感覚、の


4つの領域がそれぞれ関連しながら連動し「悟り」に至っていることが明らかになったのだ。

ということは、この4つの領域に「習熟」すれば、誰でも「悟り」現象はできるということである。


このような見方は「俯瞰的な眼差し」(自己機能)による「気づき」によるものである。「俯瞰的な眼差し」は「思

い込み・信じ込み」という「自我機能」では修得できないものなのです。


「眼差し」の過程は1-「単眼的眼差し」 2-「複眼的眼差し」 3-「俯瞰的眼差し」へとすすむ

なぜ「眼差し」なのか、

修行という行為の中では「仏を見る」「神を見る」「静寂を見る」等、ビジュアル・映像的な反応が「共通して見

られている」ということである。「見る」ということと「意識」が重なる「同調する」と「一定の位置」(ポジシ

ョン)になることにたどり着いたのである。「見る」主体と「見られている」客体の存在の感覚である。

「見ている」自分の中で起きている現象は、「見たようにしかみえない」という限定された「単眼的な眼差し」

である。⇒平面的 目の前で何かを比較する場合は「複眼的な眼差し」となる⇒立体的

私の投稿を見る方々は「単眼的眼差し」で見ている。そこで、何かに「気づく」ということは、「単眼的眼差し」

に自分との「違和感」を感じた時、反応として現象化するのである。その現象化は、自我機能として反応するの

か、自己機能として反応するかが個人特性(個人差)ということである。

例⇒愚者は愚者なりにしか見えない。職人は見えない世界を見る(感じる)棋士は七段八段クラスになると40

手先~50手先まで読み取ると言われている。「眼差し」は、プロ化すると「意識」に連動して働き作用をもたらしているのだ。

世間の師弟関係には、どんな職人であろうとも「眼差しのプロ化」と言うトレーニング過程があるから「師弟」なのだ。


★ちなみに創価の師弟には常に「眼差しのプロ化」という過程が欠落している、全く無い。


思い込み・信じ込みの師弟関係だからである。自我機能による依存した「眼差し」だからだ。まあ、こういう


ことまで「気づけない」「わからない」レベルの師弟関係があるだけである。「不二」なるわけないじゃん、


人格的成長・成熟とは異なる愚考な師弟観があるだけ、それでも自我機能で一応機能しているから、

「そこそこ、いいんじゃな~い」選択するのは自分自身である。



  • [8]
  • 「悟り」現象1

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 1日(金)05時59分23秒
 
「悟り」現象1


「生命」「生命現象」は目に見えない、見えない世界を「見える化」すると三領域になる(トライアングル現象)

三領域を見分ける、「見極め」をする働き作用が「意識」という「眼差し」である。

「眼差し」の操作は、人間ならば誰でもできる技術である。その技術の修得・自得方法を伝えていくことにする。

古今東西で見られる「悟り」現象は、「難行苦行によりもたらされた」と言われている。しかしそうした「悟り」現象の過程をつぶさに見ていくと、「悟り」までの過程が明らかになる。共通したパターンがあるということである。


それは「眼差し」という「目の付け所」が難行苦行により一定の位置(ポジション)に達した時、いわゆる「悟り」現象が起こるということである。


この「一定の位置」による変化は、しばしば末期患者に見られる現象でもある。いわゆる「臨死体験者」にも見られている現象である。また、アメリカの脳科学者のジルボルト・テーラーの「脳卒中体験」により報告されていることでもある。彼女の言葉によると「左脳と右脳」のスィツチングで誰でも可能であるということだ。



末期患者・臨死体験者が語る方法は「言語」「文字」により伝えられている。しかしそれは常に相対的な現実である。絶対的な現実は、彼らが「体感した」ことである。つまり私たちが知るのは「体感」から離れた後、言葉・文字に置き換えられている「こと」を通して知るのである。また、そこには読み手・聞き手の「体感機能」の衰退が認められ、身勝手な解釈と仮説が思考の中で起きてしまうのである。「時間差」と「歪曲化」が生じているのだ。「相対的現象・現実」の世界であるからだ。



「体感」とは、「今、ここの感じ」という生生しさ、反応そのものである。「体験」ではない。「体験」とは「体感」した後の言語化・文字化のことであるからだ。「体験」の前に「体感」という現象があるということだ。


「悟達」とは、「当人が語った体験」であり「悟り」そのものではない。「悟り」とは当人が「体感」した現実なのである。生命感覚を言うのである。


「今、ここ」を離れて論議・議論を繰り返している人々がいる。なぜならば「今、ここ」にいることを知らないからだ。議論しても「悟り」現象は生じない。


現代人はこうした区別が無頓着になっている。だから、いつも「本質」を問いながら「わからない」のである。


「自己が不在」という現実の中である「自我」で生きているからである。そして全てを「対象化」している。「対象化」とは、外に現実を求める働き作用である。ゆえに「現象化」されるのだ。「体感」する反応を無視、または排除する機能が内部で機能しているのだ。だから現象として「わからない」という感覚が常に起きてきているのだ。わからんちん現象だ。


いくら本を読んで、いくら考察、思索しても、議論しても、物事の本質は「わからない、わからないまま」なのだ。「気づき」を自分自身で制限しているからだ。勝手にブレーキを踏みながら「進んでいる」と錯覚している愚考である。


人間の存在は、生命活動であり、全体性の現象なのだ。「思考・概念という自我機能」による反応では「わからない」のだ。今日も、明日も思索・考察という思考・概念世界で「わからないこと」を考え「『ドツボ』にはまって、とぴんしゃん」なのだ。こうした世界を選択しているのが「気づけぬ人々の」現実世界なのである。

「悟り」の体感・体験者の報告は、人類の成長・成熟の方向性を示すものとしても貴重なものである。

難行苦行は必要ない、信仰的儀式やマントラを唱える、本尊に向かい祈る、等の宗教的行為は必要ないことが明らかになってきたのである。⇒宗教的枠組みの崩落・崩壊現象をもたらすものである。

人類の文明での宗教的な役割は大きなものであったこと、そして権力のツールとして民衆支配に利用されてきた事等が「愚考としてあらわ」になってきたのである。既成の「概念体系」という思い込み・信じ込みの世界が崩落してきているのだ。

こうした状況に、臆病者は恐れ・恐怖を抱き動揺し始めている。「臆病者は、自ら臆病者とは気づけない」のだ。

熱心な信心・信仰者・宗教等に携わる者にとっては危機的な事態に追い込まれていくのである。彼らの拠り所である基盤がもろく崩れる時がきたということだ。なぜならば、全ての人間的な事象・価値観が転換するからだ。

宗教の否定につながる現象が「悟り」という意識の現象なのだ。


「一応、創価の人へ」安心して下さい。

創価を信じる者にとっては、最大の「びっくり・ぽん」だ。大好きな池田先生の否定にも通じるものだからだ。

しかし大丈夫、心配はいらない、この現象とて「パラドック」だからだ。

つまり従来の創価信仰・池田先生との師弟観等が「自我機能」からハズレるだけで、「自己機能」として自分自

身の中から「新たな創価」が湧いてくるからだ。長年、待ち焦がれた「発迹顕本」という現象が現象化するから

だ。「思い込み・信じ込み信心」「思い込み・信じ込みの自我」の方々には、「永遠にわからない」全ては「自己

責任」である。私にとっては、どうでもいいこと、

(読解力の無い、歪曲化されている自我の輩は、勝手に騒ぎまくる。思い込み・信じ込みが揺らぐからだ)


  • [7]
  • 「悟り」現象0

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 1日(金)05時48分14秒
 
「悟り」現象0

★「体感覚知」に関心がある方ならば(私に「縁」がある方)読めば「気づく」ハズです。「縁」とは生命感覚の

世界の事です。「絶対的現象・現実」の世界です。


「縁」とは、直接、会う、会わない、関係が在る、関係無い等の、一般的な人間感覚ではありません。釈尊の言う「縁起の法」です。それは「目に見えない」意識世界の「意識感覚」・「生命感覚」の反応を言います。

「ピン」とこないことである。言葉で知っていても「わからない」世界にいるからである。日常的には「御縁がありましたら」「縁があったんだね」等と、もたらされた結果を言っているにすぎないからだ。

「脳内」で起きているシナプス反応が眼に見えない空間でも絶えず起きている現象だからだ。「脳内反応」といっても眼に見えない現象だがYou tubeで「シナプス神経」を検索するとコンピュータグラフィックスで「見える化」されているのでイメージはできると思う。


脳の中の「点と線」~神経回路とシナプスの謎に迫る研究最前線~

https://www.youtube.com/watch?v=oodw5Dok1JA


日常生活で、いろいろ感じたり、思ったりしていることは「脳内」で起きている現象である。身体内部の全体性から発せられている反応である。つまり自分の意識が働いていることである。

「いろいろ感じたり」「思ったり」に、対象があると、「触れあい」が生じ対象に伝わるという現象を「縁」というのだ。


例⇒今、あなたは私の投稿記事を、見ている、読んでいる、つまりアルベアに触れているということ、私は読み手のあなたを知らない、しかしあなたから、私に触れている、このことは、既に、対象のアルベアに向かって

意識的反応が伝わり、アルベアの意識が瞬時に反応しているのである。こうした相互の現象を「縁」という言葉で表現されているのだ。このことは通常感覚ではわからないが「体感覚知」すると「感じてしまう」という現象が起きるのだ。読んでも「ピン」とこないと思うが、

ようするに「あなたが見た、読んだ」ということにより意識回路がアルベアと連結され電気が流れたと思えばいい。その電気の流れにより「あなた」が「反応」しているのだ。

理解の差は、あなた自身の持つ抵抗の差である。今の抵抗値が高いと理解はあなたのレベルでしか理解できないということだ。読んで「そうか」と感じる人「何、言ってんだ」と反応する人「へえー」と関心を示す人等と千差万別であるが、このような現象が、いわゆる「縁がある」「縁が無い」という差になって、あなたの中でも起きているということなのだ。

「触れた」瞬間に相手の意識に伝わると同時に返信されている現象があるということだ。

人間の身体内部で起きている現象は、外の世界である「対象化」された世界でも起きているという相互作用が働き作用しているということだ。⇒宇宙の「4つの力」相互作用



  • [6]
  • 「悟り」現象 

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2016年 1月 1日(金)05時44分6秒
 
「悟り」現象 はじめに    新年あけましておめでとうございます。 勝手にまたすすめていきます。


「悟り」というと、創価の人々はスグに信仰・信心に結び付け、教学を持ち出し、あたかも謗法の如く追及する。思い込み・信じ込みの世界の人々である。あらゆる宗教という形態の中に「思い込み・信じ込み」という働き作用が稼働しているのだ。「相対的現象・現実」の世界だからである。

「悟り」現象は、一般論としての「意識の操作法」として展開しているのである。自我と自己の激しい癒着の方々は「わからない」ことをさらに混同して、ぐちゃぐちゃにして、自分の都合で、見たまま反応しているだけの人々なのだ。これからも、このような方々がご活躍していくにちがいない、またご活躍するところが創価の世界なのだ。創価の世界は広いようで狭い世界である。ただ「気づけないだけ」なのだ。


★私が展開する内容は、どこまでも「眼差し」の方法であり、「信心・信仰とは関係ない事である」ことを理解し読み進めてほしい。


★「悟り」現象は、男女・年齢・職種・年収・入信年数・教学・役職・折伏数・財務金額等々、組織、学会活動している、勤行している、題目上げている、祈っている等々、一切関係ないことだ。

創価系の人々は、もうこのあたりで「邪宗」・「邪義である」「禅宗だ」等と「決めつけ」反応が起きる。まさに思い込み・信じ込みの輩集団である。創価的な枠組みでしか思考できないという「片寄がある」からである。自分自身で自分自身の意識の自由を勝手に束縛しているのである。

「見る、読む」は自由な選択である。「見て、読んで」感じるのは読み手の反応なのだ。しかし思い込み・信じ込みの人々たちの、その反応自体が「自我機能」により束縛されているということだ。色付け、アレンジ等の

過去の経験により作ってきたバリアーで見てしまうからだ。このことを「愚考」というのだ。

そういった反応は、どうでもいいことなのだ、次元が異なる現実を語っているからである。

創価であろうと、なかろうと「悟っちゃう」現象が起きているということだ。「安心して下さい。『悟り』現象は創価に関係ないのですから。」「気づいた」人が「体感する時」がきたのだ。


  • [5]
  • リアルな「思考実験」5

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2015年12月31日(木)19時26分19秒
 
リアルな「思考実験」5

これから、見下します、(「見下している」と言う方が多く読まれるので先に断りました)


宿板に登場する自称創価人、教学があるように見えて、何も無い人々たちが言う言葉は、「体感」と言う言葉に「禅宗ぽい」と「印象」を言う「印象派」の人々、理解する、しない、以前の「気分」の方々、理性的・知性的な資質も無い方々等々、この程度の輩が全国にウジャウジャいるのが現在の全国の創価の実態、(反宿・宿 創価関連「板」も同次元「相対的現象。現実」世界だもの)



「『法華経の智慧』は素晴らしい、何回も読むことです」(20年前の1995年2月号から、大白蓮華に掲載開始)



読んでも、読んでも、自我という世界の事、読んで何がどうなったのでしょうか?これから、何か変わるのでしょうか?「素晴らしい」との感想だけでは誰でも言える事。20年歩んでこられた弟子の道、素晴らしいです。



これが創価の方々の現実です。高学歴の方々、学者、大学教授、弁護士、精神科医、外科医、校長、学校の先生方等々、豊富な人材いても、読み方知らずの愚考者です。なぜならば「身読」ではないからだ。自ら身読しようとも思わず、わかろうともしないで20年、それが師弟の道だった。無責任な弟子集団である。このことを愚考集団というのだ。(日本全国津々浦々同じ現象が見られている)



「54年問題、絶対に許せん」と、あれから36年、時間が経過しましたが・・・これからも時間が経過するだけのように見えますが、何か現実的戦略があるのでしょうか?誰が指揮をとられるのですか?少なくとも、そういうところまで考えての「議論」ではなさそうです。ただ「議論」という「茶番劇の姿」があるだけです。これが心ある方々の創価関連「板」の現実です。中には、嫌われているのに気づかずに、行き場がなく「迷いやっと見つけた」自分に合う世界、自分自身が問われない、居心地いい世界、誰もがそうしているネット利用、そしてこのような姿が社会で見られている「当り前な現象」なのです。私から見ると好きにして下さい、どうでもいいことですから。全ては「気づけば」わかることですから・・・



日々、刻々反応している自分自身の「体感」という現象を否定し、ものごとを自分の都合でしか読めないと言う愚考さらしているのに気づけないほど、愚考で「生命が汚れきっている」、気づかずに騒いでいるだけ、あっちも、こっちも、現代人の一般的特質がキレイに現象化している姿がここにある。



この1年、何が、どうなったのでしょう?寄合に集まり、都合のいい事をいうだけで、成長したのでしょうか?



「某3人のブログを見て感動しました」と、彼らのやることなすことと同じ次元であることが見抜けない「眼差し」、彼らの言う執行部も自分たちも同族・同類の世界にいるのが「わからない」しょうがない相対的現実だもの、「体感」する世界が欠落しているんだもの、このままいくしかないじゃん、



今年も、そうだった、来年も同じ、何も変わらない、変えられない、疲弊し閉塞する現象が拡大することが内外にもたらされるだけ、そして時間だけが通過していく、何事もなかったように、ただ過ぎていく、全ては今まで通り、「怒り」の感情だけが増幅されていく、「怒り」を「悪に」、「悪」という対象化がないと何もできないという世界にいるのがわかっていない、「憎しみの連鎖」ご存知ですか?それと同次元の現象。「悪」の本質がわかっていない、思考・概念と言う自我機能の世界だから起きている事。



「悪」を攻めるとは?「敵」がいるということは?全てが「対象化」した現象の現われ、ちなみに私も「悪」であり「魔」として「対象化」されている。「それが第六天の魔王」と、その程度の見分けしかできない「眼差し」、「池田先生の弟子には多種多様であっていい」「厳しく律して」どこに「厳しさ」ある。自分の都合だけがあるだけ、それも選択されている現実なのだ。



「世界広布新時代 拡大の年を、黄金の年の総仕上げを・・・」「体感」無き人の妄想・幻想が続くだけ、「気づく」ことがないのだから、疲弊し閉塞する現象が拡大する年です。聖教部数・折伏成果報告は不正操作、あたり前・末端の役職者の不平不満ありあり、選挙、票の減少、生命の濁りゆえの現われ。皆さん方が言われる共通認識・共有世界、「仲よし、こよし」レベルの広宣流布、拡大の年、魅力なき人々・・・もうどうでもいいこと、



世俗化教団の姿、いつ変わるの?執行部の面々変わっても、同じ「命の方々」が次々登場するだけ、戸田先生登場以来続く創価執行部の現実、「悪」はいつ滅ぶの?「いまだこりず候」あっちも、こっちも、それが相対的現象・現実の世界、「気づく」まで、この現象は続いて行く。


わかるか?そうか、わからない世界にいることを選択しているから無理だわ・・・



宿板に寄り合う方々に「気づき」の促しができればと寄らせてもらっています。悪口・見下し、ご容赦を、



以上、見下しました。有難うございました。




  • [4]
  • おじゃまいたします

  • 投稿者:太ちゃん
  • 投稿日:2015年12月31日(木)19時21分37秒
 
たぶん間違える人はいないだろうと感じつつ。
●●●●●
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/2
[2] 天寿を仰ぐ  投稿者:アルベアメール  投稿日:2015年12月31日(木)17時03分51秒 編集済

http://6314.teacup.com/roys/bbs/****

信濃町の人びとさんが反論不能
●●●●●

コメント2の「アルベア」は『成り済まし』でしょうね。
URLの飛び先は反板へ誘導する状態です。
これだけ真摯に信仰してるアルベアさんがまさかやらないでしょう(笑)

『功徳を自力で現せない』 = 『誤った信仰状態』

というのを反板は自ら証明してるものを『見るだけ無駄』というものでしょう。
いやむしろ普通の学会員さんを馬鹿にしてさえいる様子だ。
「職員の匂い」がプンプンする。

管理人さんへ。
コメント2と他のアルベアさんとでは、おそらくIPが違うのでは?
専用掲示板へのコメント失礼しました。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/


  • [3]
  • :yakuoh 様

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2015年12月31日(木)17時10分38秒
  • 編集済
 
:yakuoh  様 2015年12月31日(木)16時53分9秒

「体感」現象については、読む人それぞれのイメージで捉えられますが、自分自身が感じている「体感」というご理解でよろしいかと思います。

あなた様は、何を知りたいのですか?何に関心をお持ちなのでしょうか?よろしければお願いします。

  • [1]
  • 「お礼」

  • 投稿者:アルベアメール
  • 投稿日:2015年12月31日(木)13時13分27秒
 
管理人 様:2015年12月31日(木)10時02分15秒

「専用スレッド」ご配慮ありがとうございます。感謝いたします。また、お手数おかけしました。

運営のスタッフ方々関係者の方々、今後ともご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

「わかる人が、わかればいい」という観点で投稿していきます。誤解を招きますが、今までこのような

刺激的な促しがなかったので、また、今だから、できることだからです。

お読みになる方々に、愚問する方の質問にはお答えしません。まじめに考えている方にお答えします。

なぜならば、既に生きている世界が異なるからです。⇒(好きに誤解して下さい)

ルミナリエ様投稿日:2015年12月31日(木)09時52分2秒

有難うございます。恐らくご自分が感じていたことと、まるっきり異なる世界を見ることとなります。

「体感覚知」してからのお楽しみです。全てが了解できます。

「ゴール」ではなく、「全ての始まり」になっていきます。「即」「不二」が実感としてわかります。

「体感かな?」蘭夢  様:2015年12月31日(木)12時38分21秒

「正直な、素直な」投稿、有難うございます。蘭夢  様の感覚が「体感」なのです。その「体感」がさらにすすんでいくと「体感覚知」という現象がもたらされるのです。私が投稿してきた内容が「よく、わかってくる」と思います。

愚考者はこのような現象を「洗脳された、洗脳体験」と言います。また「邪宗ぽい」とも言います。既に、生きている次元が異なっているのです。

自分自身が「体感」した内容については、周辺の人たちへの「公表を控えて」下さい。誤解の嵐が起きますので。

私に対して、この「板」ですらご覧の通りの反応があるわけですから、リアルな「思考実験」

「体感覚知」すれば「わかります」「体感」できる方とお見受けしました。有難うございます。


「閲覧者」の方へ

閲覧数が、増えています。多くの方々が見ています。方面幹部の方々もそれなりに注視しています。投稿なさる方々、「見られていますよ」「読まれていますよ」よかったですね、これからも増えていくのです。

私の投稿は「気づき」の促しです。感情的な刺激による促しです。なぜなのか、「気づいて」いく必要があるからです。表現も辛らつとなります。人が「気づく時」「変わる時」とは、自身の感情が揺れ動いた時だからです。

現実的な変化とは自我からの離脱・脱却だからです。

「板」を見て」「気づいて」「変われるなんて」すごい事です。変われない、変えられない現実が「変われる」ということです。牧口先生・戸田先生みたいに命をかけるほどでもないので、気楽に読んで下さい。

弟子と勝手に思っている方々、名のる方々「俺も体感したい」という現象が増えています。

池田先生の「いでよ10万の山本伸一」虚妄にするのか、どうかが始まって36年以上経つのに・・・どうするのでしょうか、今まで通りに、このまま、ありのまま、好き勝手にやるしか、ありませんね。

虚妄にしながら人生を終えていった諸先輩たちに申し訳たちませんね。それも、あれも、これも選択と言う事実です。虚妄とういう継承者いても「山本伸一」の後継者がいないと言う現実、裏切りの現象が現われているだけです。



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