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21世紀への選択 人間生命の内なる変革が平和を築く P322

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月15日(水)02時45分51秒
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  21世紀への選択  人間生命の内なる変革が平和を築く P322

池田
 仏法では、「十界」といって、どんな人間にも十とおりの生命境涯があると

洞察しています。

いうなれば、戦争に巻き込まれた人間の生命状態は、このなかでも最も低い「地獄界」

「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」の三悪道・四悪趣に覆われたもので、本能と欲望に

支配されるままの状態といえましょう。

 そうした状態にある人間の思慮も行動も、愚かで野蛮であることを免れないのは、

仏法の知見からみれば道理なのです。

かりに表面上の平和「外なる平和」が達成されたとしても、それはちょっとした

縁でたやすく崩れてしまうもろい存在です。

迂遠なようでも、崩れない平和を建設する礎となるのは、一人一人の人間の心の中に

平和を築く、つまり「内なる平和」を確立することであると考え、私どもSGIは

「人間革命」運動を世界に広げてきました。

この人間生命の内なる変革が、波が波を呼ぶように、賢明なる民衆のスクラムとなって

連動するとき、「戦乱」と「暴力」の宿命的な流転から必ずや人類を解き放つであろう

ことを、私は信じてやまないのです。

テヘラニアン
 会長が賢明にも提起された、「内的な平和」と「外的な平和」の関係につ

いて、あるペルシャの詩人が、次のように、巧みに表現しています。

「生命のない存在が、他の存在に生命を与えるなど、どうしてできるのか」

自己の内面に平和のない人が、どうして他者に平和を伝えられるのか・・・私にも、

それは不可能なことであると思われます。

外面の世界は、非常に複雑な紛争の多いところであって、平和を確立するのは容易

ではないかもしれません。

しかし人はだれもが、一つの寄与ならできるはずです。

では、どこから始めればよいのか・・・

自分の影響力を最も受け入れられるところは自己の内面であり、まずそこに向き合う

べきです。

スーフィーの教えでも、自己に克つことを最も偉大なことであるとしています。

自制のない自我は、自己の最大の敵となり、それが絶えず人を独善へ、瞋恚へ、貪欲へ、

憎悪へ、排他へと向かわしめます。

池田
 よく、わかります。

仏法の一つの眼目も、そうした「自己規律の力」を養っていくことにあるのです。

テヘラニアン
 スーフィーの教えでは、人の内面には、もう一つの自我があり、これは教育や訓練、

また慈愛の心を通じて目覚めると説きます。

こうして、自我と他者との二元性を超越することが、迷妄から覚めた平和の人生への

カギとなっていくのです。

自己の利益を他者の利益と区分し続けるかぎり、紛争の種を蒔いていることに変わり

はないでしょう。

私たち人間の「生」は、もっと大きな存在の一部であって、他のすべての生命体と

「相互依存」の関係にあることを認識することが重要です。

そう認識すれば、個別的と思われる肉体的存在が招く、不可避的な宿業である紛争を

も解決する道を、私たちは歩めるのではないでしょうか。

池田
 仏法の「縁起」の思想にも相通じる考え方ですね。

「縁りて起こる」とあるように、人間界であれ、自然界であれ、単独で生起する現象は、

この世に一つもないとみます。

万物は互いに関係し合い、支え合いながら、一つのコスモスを形成し、流転していく、

と捉えていくのです。

「自分は生きている!自分は、大きな生命の一部なのだ!」・・・こうした「生命」

という最も普遍的な次元への深き詩的なまなざしは、そのまま、限りない多様性への

「共感」となって広がっていきましょう。

この生命の内奥から発する「共感」、いうなれば、生命を内在的に掘り下げていったと

ころに立ち現れる透徹した"平等観"や"尊厳観"こそ、「人間共和の世界」の源泉とな

りうるのではないでしょうか。

テヘラニアン
 つまり、共生といっても、単に「他者の存在を認める」といった表面的

な寛容の精神だけでは不十分であるということですね。

池田
 ええ。それは、単なる心構えといった次元を突き抜けて、生命の奥底から湧く

秩序感覚、コスモス感覚に根差したものでなければならないでしょう。

また、仏法では「依正不二」といって、生命活動の主体である「正報」と、環境であ

る「依報」が二にして不二であると説きます。

つまり、「主体」としての人間の生き方、生命状態が「環境」にも大きな影響を与えて

いく・・・「内なる平和」の確立なくして「外なる平和」の創造は困難と考えるのです。

ただし、「心の平和」だけではこの激動の社会のなかで、単なる観念論や抽象論の域

に留まってしまう危険性もないわけではありません。

ゆえに私は、それと同時に、社会の平和と調和を追求する「現実の行動」が必要になる

と考えます。

具体的実践が伴ってこそ、「平和」は現実としての形をとりはじめ、定着しはじめて

いくのです。

また、その戦いのなかでこそ、一人一人の「内面の平和」も陶冶され、崩れないものに

なっていくのではないでしょうか。

こうした往還作業が、やがて時代を突き動かす力となっていくと、私は強く確信するの

です。

 
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