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“とっておき”の心は実在する!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月13日(月)06時45分4秒
  通報 編集済
  おはようございます。

 “とっておき”の特別の組織から、“どこにでもある”ような普通の組織へ変質するというのでしょうか。普通の組織なら、普通の組織としてお付き合いします。なにせ、こちとらは、批判も受け、ないがしろにもされてきた、普通の組織の林立する社会の中で育ってきましたから慣れっこです。庶民の中では、その方が「楽」ですからね。

 かつてTV、ラジオなどでも活躍するタレントが、青年部主催の友好祭の手伝いにきてくれた時でした。その顔に笑みを見せながらも、創価学会の司会は「胃が痛くなる」からイヤだと言うのです。「神経を使う」からだそうです。プロの人間も、“とっておき”の“仕事”をしようとしていたのです。普通の仕事なら、普通にしたでしょう。胃も痛くなりません。創価学会は、「そうではない」と決めていたから、みんな、“とっておき”の対応をしてきたのです。

 いまは、あまりしませんが、財務の啓蒙で、壮年部員を回っていた時です。「ああ、会費だね」――。絶句して、あとの言葉が繋げませんでした。「ああ、いいよ」とは言ってくれましたが、そんな認識もあるのだと、つくづくと感じさせられました。みんな、大半の人は“とっておき”の「心」で供養してきたのです。それが、大半の創価学会の人にとって当たり前のことだったのです。それを“変えよ!”と言うかのような今の“流れ”です。

 疑問を思う党への選挙支援、とても先生のお手紙扱いとは思えない聖教新聞の多部数購読、そして友人への無償贈呈。普通の企業、団体なら、“普通”かも知れません。あんがい、そんな調子でお付き合い購読して見える友人もいるかも知れません。

 これからは、普通のお付き合い程度でいいということですね……。今の“路線”が変わらない限り。

 正常で清浄な団体がなくなるということは、世の中が一段と荒れていくということなのでしょうか。

 「仁王経に云く『国土乱れん時は先ず鬼神乱る 鬼神乱るるが故に万民乱る 賊来つて国を劫(おびや)かし百姓亡喪し 臣・君・太子・王子・百官共に是非(※言い争い)を生ぜん、天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失い度を失い 多く賊起ること有らん』と」(立正安国論19㌻)。

 牧口先生が「一宗が滅びるのを嘆くのではない。一国が亡びるのを憂うるのである」(主旨)と仰ったのも、戦後の不安定な日本で、創価学会が社会の安定に貢献したというのも、決して誇張なのではありません。民衆の「心」の動きが国の安・不安定なのです。正法、正義をないがしろにし、組織の“保身”にのみに走るリーダーはそれを知っているのでしょうか。いままで言ってきたことはすべて嘘なのでしょうか。国民の前で明らかにすべきです。決して一宗、一団体の話ではありません。

 人間が共存するための“条件”は、おおよそ決まっていると言えます。“我欲”ではない、“支配”でもない、“歓楽”でもないということなのでしょう。自他ともの、むしろ「利他」が前面に出た依存関係なのでしょう。これを“仏智”と言います。「利他」の裏返しで、自身の安穏もあります。自身の“開花”も原理は同じです。国を問わず、地域を問わずの、人類の智慧です。“我欲”だけでは開けない、むしろ、“他者”を開くという貢献や慈愛の中に、自身を開く道筋があります。

 別に、「勧善懲悪」を言うのではありません。「生命」の構造というか、その実在する「姿」を言っているのです。トインビー博士が仰る「究極の精神的実在」と同じです(笑い)。
 それが「仏法史観」です。この「史観」が必ずしもそのまま受け入れられるとは限りません。動物としての人間は、やはり、自己本位、自己保身の欲張りで動いているからです。我慢、上慢、不信の「三失心」です。だが、とにかくも、人間が人間共和の世界に持っていこうとしたら、支配でもない、強制でもない、我欲でもない、この人間共和の「史観」なくして不可能だということです。世界の多くの池田先生のお友達が讃嘆するように、この「史観」を使うよりないということです。これが「仏法平和思想」です。動物管理の「史観」とは、立脚そのものがそもそも違うのです。

 単に理想というのでもない、独善というのでもない、分け与えるというのでもない、もちろん、強制というのでもない。“希求”です。自由に、共に、合意をなして築き上げようとする行き方です。“希求”をないがしろにしたら、もはや、人類ではなくなってしまいます。「共存」というのは、“体内”にある人と同じだということです。“わが子”を思う心と同じです。自分の身体の一部です。放っておいても“慈愛”が流れます。

 
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