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平成二十一年十月十九日
早いもので、「正義顕揚の年」も後二ヶ月半余りとなった。一年を振り返る
にはまだ少し早いが、顕チャンの言いなりになって来た能化と大講頭が、堕獄
の露払いとして悲惨な生涯を閉じた。奪命者・顕チャンの犠牲者であり、気の
毒なことだ。その顕チャンも随分、弱ってきた。山の蓮葉庵にいることが多く、
世田谷の豪邸に帰ることが少ない。留守番の小僧は大喜び。
一、 大村日統(五月十一日寂 七五歳、元教学部長、脳腫瘍)は健康にだ
けは充分に気を遣い、最高級医療クラブのメンバーになって定期検診を受けて
いたが、因果応報には為す術がなかった。得意だったのは盗作技術、ゴルフの
腕前、それにカラオケ道場で鍛えた歌唱力。十八番は「愛の讃歌」「マイ・ウ
エイ」など。ところが、仏法・芸術・文化には疎く「ガーター勲章はキリスト
の十字架」「第九の『歓喜の歌』は外道礼賛だ」と見当違いの暴言を吐いて赤
っ恥をかいた。
葬儀のお別れの際、遺体を見た方々が「黄疸で顔も体も真っ黄色、とても人
には見せられない」と漏らしていた。
一、尾林日至(五月十三日寂 七一歳、元海外部長、パーキンソン病)は顕チ
ャンの手先となって檀徒作りに世界中を狂奔。悪行は数々あるが、特筆すべき
はシアトル事件の隠蔽工作、御本尊不敬、杜撰(ずさん)な納骨など。得度し
た長男を奇病のため三十一歳の若さで亡くす苦渋も味わう。告別式のお別れは
身内だけだった。参列者には一切見せなかったが、見た者が、まさに「ムンク
の叫び」の相だったとのこと。
一、 河原昭太郎(四月十四日 寂八〇歳、元大講頭、糖尿病)は顕チャン
に四十年以上にわたって奉仕した。それと、三人のめかけに貢いだ。糖尿病の
悪化で歩行困難になり、心臓手術で足の動脈を心臓のバイパスとして移植した
が腎臓も機能しない状態になった。大村・尾林・河原の三人に共通するのは、
顕チャンに面従腹背ながらも尽くしたことだ。
そして、この三人の死相は、成仏の相とは全くかけ離れた、目を背けたくな
る堕獄の相だった。恐るべし、恐るべし。(顕チャンは平成二十一年までに「
倍増」と掛け声だけかけて、何もやらず、六十七世を辞めちゃった。でもやっ
ぱり、七月十六日と七月二十六日は、自分でやってみたかったそうだ。再登座
なんていわないで、自分で建てた白山寺の墓碑へ早く帰ったほうがよさそうだ。
大坊鼠)
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