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2009.9.18
=何をやっても成果が上がらない中、宗務院に布教部を新設し、六部長体制にする。この布教部は、これまでの庶務部を分割するもので、布教に関して教師・法華講に対して徹底した指導にあたるという。部長には、庶務部長だった阿部信彰を更迭し、これにあてるもよう。後任の庶務部長に同副部長の斉藤栄順を昇格させる意向のようだ。
これにあわせて、日如による命題達成のかちどきを徹底させるため、明年四月までにこれまでの全国布教区をこまかく分解し、七〜八箇所を一布教区とする体制にする。大量の支院長・副支院長をつくるのは、若手を宗務行政にたずさわらせておくことで、不平不満の声を封じ込む考えだ。=
日如はこれまで、日顕による地涌倍増の命題をかかげさせていたが、その最後年となる本年、とうてい達成は不可能となっていた。このため、先の七万五千名大結集総会で新たに平成二十七年に講員数五十%増、平成三十三年には議員八十万人の目標をぶち上げ、日顕の命題不達成の色あいをもみけした。
あわせて日如による命題を掲げさせることで「日顕の御命題達成」という、これまでの日顕色を払拭するとともに、登座から数えて平成三十三年の十六年間は、日如が法主にして管長猊下であり続ける旨を宣言した総会でもあった。この在位十六年という年数の宣言は、日達上人の二十年、日顕二十六年と比較しても、かなり遠慮ぎみといえる。
ただ、日如による命題達成の行進が新たに始まったとはいえ、布教部長に阿部信彰をすえることに早くも命題達成は不可能との声が広がっている。信彰は、自分で折伏するという成果を一世帯としてあげていないし、なによりも恫喝の固まりのような僧である。これまで、住職や法華講を担当する役目を利用して、実際には怒鳴りつけ、追及し、命令するしか能がなく、愛をもって慰撫し、身銭をきって面倒をみることもない。このことから、布教部が恫喝部になりかねない、というのだ。
しかも、信彰には教学力がない。理解できていないのに知ったかぶりをして、しかも難解に説いて悦に入る。その親(日顕)の血をしっかりと引いている。悪いことに、サル並みの反省心しかなく、仏道修行者として必須の懺悔心を持ち合わせていない。恫喝の罪障で心はまっ黒に固められている。
すでに信彰は「目標達成が困難な寺院には、個別に宗務院(布教部)が入り込んで指導にあたる」と、恫喝部長らしく公言している。こういう輩に入られたら、疲弊し切っている各講はどうなることやら。援助寺院を責めたてるばかりで、大寺院の住職に対して爆発的折伏をするよう指導し、大寺院を分割して新寺を建立させる方向へと持っていけない。なによりも、万年目標未達成の重役にして富士学林長の肩書を持つ藤本日潤能化の常泉寺をどうするのか。それら、大都会という恵まれた立地にいる住職でありながら、折伏成果を一向に上げていない寺院に住職をさしおいて個別に指導に入る勇気があるのだろうか、と危うんでいる。しかも、信彰の妙国寺が情けない折伏成果に甘んじている。何をか言わんや、といったところだろう。
日如としては、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に戻しておくことの方が肝要だと踏んでいるようだ。布教部が意味をなさないことになったとしても、もともと折伏弘教は全宗門として取り組んでいく以上、たいした影響はないという判断が働いているのではないか、との見方が強い。
信彰はこれまでの査問の際、あらかじめ「お前は、目通り叶わぬ身である。ここでの話が終わったら、まっすぐ自坊へ帰るように」と押しつけ、その日、日如に目通りすることを勝手に禁じている。査問の際の不都合を日如に知られないようにするためだという。いまだ里内問題は解決していない。いずれにせよ、布教部の新設は、このさい査問に名を借りて暴言・暴行をほしいままにする恫喝の庶務部という印象を対外的にも払拭するというのが狙いのようだ。 (憂宗護法同盟員より)
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