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平成二十一年五月二十二日
一、 昭和三十二年八月三十日に日蓮宗から帰一した日向本山・定善寺の住
職であった小原日悦師が次のように述懐したことがある。「帰一する前は、檀
家だけが集まってきたが、勤行できる者が全くいなかった。ところが、学会員
が寺に来るようになってから、私の読経に続いて私の声に和するではないか。
私にとって驚きであり、感動であった。学会員は皆、勤行がうまい。帰一でき
たのも全て学会のお陰です。本山が発展したのも、末寺が興隆したのも、池田
会長、学会のお陰なんです」そして「本山が疲弊した時も戸田会長が登山会を
提唱してくれた。末寺が困っていた時、池田会長が御講を提案してくれた。だ
れが、宗門の将来を考えてくれたのか。戸田会長・池田会長以外誰もいない
じゃないか」と。小原師の率直な心情が滲み出ている。宗門の緇素一同、耳を
傾けるべきだ。
それを、貧乏をしている時は頭を下げて、金が貯まってきたら横柄傲慢にな
り、広布の努力もせず、汗も流さず、号令ばかりで、自分たちがやってきたこ
とを反省もしないで、難癖を付けて謗法呼ばわりする。宗門の歴史の中で大石
寺が、どれだけの謗法をしてきたのか、みんな知っている。
一、 大村日統と尾林日至の葬儀の模様が伝えられたが、大村の死相は黄疸
のためとはいえペンキを塗ったように真っ黄色。尾林は、目が落ちくぼみ誰に
も見せられないひなびた骸骨状態。身内親族だけのお別れだった。二人とも、
自称法主日顕の言いなりになり、学会批判を口汚くやってきた。大聖人曰く
「此の十四誹謗は在家出家に亘るべし恐る可し恐る可し」(松野殿御返事)と。
御文の如く仏罰の現証は厳然である。
一、 今回の宗門事件は、学会を破壊しようと最初から日顕が仕組んだこと
である。「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御
義口伝)の御金言のご精神が少しでも解れば、正本堂・大客殿を破壊したり、
一千万信徒を破門するなんて出来る筈はない。あまりにも修行を怠り、遊びほ
うけた天魔だからこそ、無慈悲な行為を平気でしたのだ。日顕の終焉の相がい
かなるものか全世界が注目している。(有史以来の大謗法の親分・日顕の終わ
りが近いと直感する元奥番鼠)
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