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本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、国立サンマルコス大学が池田先生に名誉博士号を授与、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 8月24日(木)07時58分34秒
編集済
  おはようございます。原田怪鳥様、ペルー国立サンマルコス大学が、池田先生に名誉博士号を授与されたとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

原田怪鳥様におかれましては、「代理」での授与、誠にご苦労様で~す(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、ナゼ原田怪鳥様なんデスかぁ~(笑)

通常こういった授与は、身内が受けるのが、通例じゃないデスかねぇ~(笑)

リオでも博正サンを差し置いて、原田怪鳥様が出しゃばって授与されてましたよねぇ~(笑)

「訪問団」とブチ上げたのなら、当然、博正サンも、この一員として参加されているのが当然なのデスが、博正サンは不参加デスかぁ~(笑)

それとも、原田怪鳥様の「じ・き・で・し」の証明の演出のための代理授与デスかぁ~(笑)

政教珍聞上には、訪問団と銘打っても、原田怪鳥様と笠貫女史の御名前しかありませんよぉ~(笑)


それと、原田怪鳥様、「池田大作先生」は止めてもらえませんかねぇ~(笑)

なぜなら、池田先生の公的な正式名称は「池田名誉会長」もしくは「池田SGI会長」なのでぇ~す(笑)

こういった、公の正式な式典の報道においては、創価学会としても、公的な名称を使用するべきと思いマスけどねぇ~(笑)

小生などは暗愚のため、三代会長の尊称を「先生」に統一する、なんて言われても、未だ師匠は御存命であり、

ワザワザ「統一」するのは、師匠を「過去の人」にしたいという原田怪鳥様の邪心じゃないのぉ~、って感じるんデスけどぉ~(笑)

ちなみに名誉博士の授与証がでておりマスが、小生はスペイン語が分かりませんので、どなたか訳して、公表いただければ幸いでぇ~す(笑)


ともあれ、池田先生の入信70周年の報道、誠におめでとうございま~す(笑)

さぞ、明日の珍聞には、各地での記念勤行会が開催された報道があるコトでしょ~う(笑)

ところで、原田怪鳥様の御帰国の予定はいかがなっておりマスでしょうかぁ~(笑)

原田怪鳥様が御帰国されるまでは、きっと東京も晴天が続くでしょうから(大爆)、

できるだけ逢瀬を楽しんで頂いて、もとい、南米各国を御訪問頂いて「じ・き・で・し」の振る舞いをされるコトを、期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

わが友に贈る 2017年8月24日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 8月24日(木)07時20分47秒
  徹して一人を大切に!
これが創価の心だ。
誰もが生き生きと輝く
励ましのスクラムを
座談会から広げゆこう!
 

創価の本部職員が同士討ちするんですよー爆笑

 投稿者:珍説 谷川革命 (笑笑  投稿日:2017年 8月24日(木)07時14分6秒
  だから、一般会員は声を上げて、本部職員(供養消費者)が改革するんですよ!
一般会員は、生産者(供養する側)です。声を上げる事は出来ますが、宗団の改革は本部職員がやらなければならないの!!この掲示板を覗き見している供養消費者の皆さん、ちゃんとやる事が沢山有ります。
さっさとロクデモナイ奴らを宗団から追放して下さい。そうしないと、あなたがたも一般会員から追放されることになります。
そうしないと、あなたがたの未来はありません!!
 

感謝

 投稿者:末端信者  投稿日:2017年 8月24日(木)06時54分30秒
  ClearSkyさん、有難うございます。  

日蓮仏法2.0様からのコメントに… 5/5

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分48秒
  5. 最後に

未だ嘗て、一般信徒が宗教指導者の過ちを正したことはないかもしれません(宗教の歴史に詳しい人がいれば、正確なところをお教え下さい)。
ちょうど500年前の1517年にルターが改革を始めましたが、ルターは宗教者でした。在家信徒ではありませんでした。

2013年夏に先生が仰った「自身と創価学会の発迹顕本」とは何を意味するのでしょうか?
一人ひとりが考える必要があります。

いかなる団体も不断の努力なしには清浄な精神を保つことはできません。
もしも学会がおかしくなった時は、先ずは学会本部が率先して自浄能力を発揮し、次には幹部が努力して、過ちが修正されるべきです。
しかし、おかしな状態が放置され続けるなら、一般会員が立ち上がり、誤りの原因を是正すべきだと考えます。
そうなれば、それは宗教団体としてはある意味で恥ずべき歴史かもしれません。また、それでは仏教史に残ることになります。
それは聖職者に隷属する教団ではなく、21世紀に於ける民衆仏法の証明となるでしょう。

日蓮仏法2.0様は現在の学会をどのように受け止められているか分かりませんが、私は「池田先生の築き上げてこられた功績(教学体系も含む)を破壊する行為は容認できない」と考えています。
教義に関してより丁寧に伝えますと、「【もしも】池田先生の築き上げられた教学を修正する必要があるなら、正しい機関によって、慎重に検討し、公開されるべき」、「元・教学部を排除して行なうような教義改定は本当に正しいのか考える必要がある」との考えです。
何よりも先ず、池田先生の教学を否定するような学説が、合理性を持っているのかを考えることが重要です。先生の教学以外は教義に於ける合理性はないと私は考えています。
次に、「先生を否定してまで、新たな教学を作る必要があるのか」、「新教学が必要となる、時代の要請は認められるのか」を考える必要があります。
私はないと考えています。執行部はその必要性を「世界広布」だと言っているのだと思います。
もしそうだとすると『「世界広布」新時代のために、「先生を否定」することになっても止むを得ない』との主張になりますが、これを受け入れるか否か。会員一人ひとりが考えるべきだと思います。

(教義以外にも、私は「集団的自衛権と公明党支援」の資料を公開しています。現学会・公明党は平和創出に関する先生の功績を破壊していると考えています。)
昭和54年の頃から先生を蔑ろにしてきた歴史は現在も変わっていません。寧ろ広がり、浸潤していると考えます。
そして、「学会にいても幸せにならない」人達は拡大しています。

私の意図が正確に伝わるか否かは分かりませんが、私は単に「本仏論議」「教義論争」だけを行なっているつもりはありません。
教義に関しては【2014年11月の会則改変以前までに、学会教学は完成】されており、【2014年11月に会則の教義条項を修正する必要はなかった】と考えています。
宗門離脱後、御本尊問題、人間主義の仏法の確立等に関して、池田先生は着実に手を打たれていたと考えます。
特に1990年代の10年間はそのための期間であったように思います。今後数十年間、百年・二百年間のための基礎は磐石に構築されていたと思います。
そして、2014年当時も現在も、何も修正する必要はなかった筈です。

更に、先生のお考えは、学会教学、会則の教義条項に関して「教学部レポート」等にある通りだと思います。
しかし、これらの文書は「怪文書扱い」とされている組織もあるので、教義内容からもその正当性を証明する必要があります。
また、大聖人観と御本尊観を大きく変える教義変更のため、そのために各人がより深く考えられる下地が大事だと考えています。
教義や平和に関する意識はそれ自体が重要であり、組織が正常であるか否かのバロメータとも考えられます。

その意味で、私の目的は、日蓮仏法2.0様の目指す、ある意味「純粋な教義追求の試論」とは目的が違うと思います。
私は目新しい教義を提唱しているのではありません。2014年11月以前の教義を奉じています(厳密に言えば、2002年位以前かもしれません)。
三代会長の指導を基に、解説や新しい解釈を加えて、池田先生の教学(御本尊に関する指導、法華経の智慧など)を多くの人に理解してもらうための資料を作成しているのに過ぎません。
多くの人に「何かがおかしい」、そして「何がおかしいか」に気付いてもらうための資料提供です。例えば、教学試験の教材の意味するところ等を伝えているのも気付きの役に立てばとの考えからです。

日蓮仏法2.0様の期待に応えられていないため「残念」との印象でしょうが、私の目的(54年の総括等)なので仕方がありません。
それでも、資料作成等を通して、「日蓮本仏」「凡夫本仏」「久遠元初」等に関して考えることができました。現時点では、私は「法華経の智慧」の内容が最も合理的だと考えています。
「大聖人観と御本尊観」の残りの資料は今後公開したいと思います。その中にそれらを考える材料も載せる予定なので、ご興味があればご覧下さい。
そして、その後、「凡夫本仏論」「久遠元初」等に関して議論するべきだとお感じなられたら、その時は是非、宜しくお願いします。
 

日蓮仏法2.0様からのコメントに… 4/5

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分40秒
  4. 誰が教義を決めるのか

「創価学会の教義は誰が決めるべきか」を考えてみたいと思います。

池田先生がご健在なら、先生を中心に教学部が考えて、定めていけば良いはずです。
詳細は省きますが、そうなっていない現実が認められます。一例ですが、近年の教学試験教材の内容は、「法華経 方便品・寿量品講義」「法華経の智慧」とはかなり違います。学会教学は一定の意志に従って変質していると思います。

勿論、学会の教義は「日蓮仏法2.0様」やClearSkyが決めるものではありません。

一般的に考えて、「教学室・教学部が考えて」「執行部が認定し」「会則として公表する」ものでしょう。
宗教団体の教義は「オーソライズ(しかるべき権威によって制定・認定されること)」されたものであるべきです。

以下は日蓮仏法2.0様のコメントです。「凡夫本仏論をCleaSkyが取り上げていない」背景に関してのお考えだと思います。
>そうできない背景には、三代会長が正宗教義を信奉し、固辞したという立場を正当化し、その所詮「正統学会教学」から現在のSGが逸脱していると弾劾する構図が見えます。それは教学を離れた教団に関わる政治のレベルの問題となります。私としては、一往、問題のレベルを立て分けて考えるべきだと思っております。<

私の主張が「教学を離れた教団に関わる政治のレベルの問題」と「純粋な教義」の両方を含んでおり、「問題のレベルを立て分けて考えるべき」とのことだと理解しました。尚、この「政治」とは「学会内の権力構造とその運営」に関しての意味で用いられていると思います。

「教義」と「政治のレベルの問題」に関しての私の考えを記します。

(1)学会の教義が会内の政治力学によって歪められている。
(2)「教義を純粋に追求」する面が重要であることは言うまでもない。
(3)学会員の信仰活動、幸・不幸に直結する教義は、歪められた教義であってはならない。
(4)元・教学部のメンバーが排除された結果、歪められた教義である以上、「教義」と「政治のレベルの問題」を分離して議論しても意味はない。
    (会員の信仰活動は歪められたままで変わらない。政治のレベルの問題を解決しない限り、教義は修正されない。)
(5)教義だけでなく、会員や世界の人々が幸せにならないシステムは改革し続けるべき。
   教義や公明党の問題も気付きのための一助であり、一人ひとりが考えることが重要。
(※)学会の教義は「2014年11月以前」に一旦戻すべきである! ← 一案として

「教義を決めるのは誰か?」
それは本来、「現・教学部」と「執行部」であると先に記しました。そして、私は教義を一旦、元に戻すべきだと考えています。
先生は人を指導する際に慎重に行なうべき事を、「一度壊れた茶碗は元には戻らないんだよ」と指導されていたと嘗て聞いたことがあります。
今回の件は「人」ではなく、「教義」に関してですが、この指導のように、もう壊れた以上、「完全な『元の状態』に戻ることはない」でしょう。

それでも、一度、立ち止まって、本当にこんなやり方、こんな「それなりの教義」で良いのか、一人ひとりが考えるべきだと考えています。
その気付きのための資料になればとの思いで作成しています。
一度教義を元に戻した上で、もしも必要があると主張する意見があれば、正しいプロセスで、皆にも分かるように議論していくべきだと考えます。
この条件下なら、「政治のレベルの問題」を排した、純粋な「教義論争」となるのだと思います。
しかし、この条件なら、私は出てこなくても良いはずです。何故なら、今は排除された元・教学部の方々が議論するからです。私はその議論を見守ります。

もし、学会として教義の復元が実現できないなら、本当に採用すべき教義は一般会員が納得する形で決めるべきだと考えます。
教義に関して言えば、今ならまだ、正常な判断ができる多くの教学部員がいます。戸田先生、池田先生の教学を正しく学んだ人達です。
それらの人の集まりが、真の「創価学会・教学部」です。そのための登用試験を二代会長の頃からやってきたのですから。
 

日蓮仏法2.0様からのコメントに… 3/5

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分34秒
  3. 試論-東洋哲学研究所での話、戸田先生の指導

「凡夫即身成仏論」の裏表紙に「筆者は一貫して、創価学会の協議を伝統的正宗教義から脱構築するための試論を展開してきた。本書はその続編…」とありました。
私は「試論」との用語に着目しています。ここでは、何年も前に聞いた話ですが、教義・教学に携わる場合に重要だと感じたことを記します。

これはある人から私が直接聞いた話です。話を聞いたのが何年も前のため、内容に正確でない部分があるだろう事を予めお断りしておきます。
その人は東洋哲学研究所で開催された何かの発表を聞きに行ったのだと思います。
研究所の発表では、ある説に関して一方の人は「こうである」と主張し、別の人は「いや、違う」とのことで白熱した(?)議論がやり取りされていたようです。
その際、所長?が「ここは、そういう場ではなく、あくまでお互いに試論ということでやり取りをしましょう」との発言があり、その人はとても印象に残ったとのことを語っていました。

それを聞いて「試論:試みの論」とは大変興味深く、感じたことを思い出します。
教学の最先端を研究する場合には、真摯に議論を重ねる必要があると同時に、大聖人の教義を「こうである」と軽々に断じることは慎まなければならないと感じたものでした。
その意味で、「試論」というのは価値のある方法だと考えます。

また、このことで思い出したのは、戸田先生の教学に対する姿勢です。
昔の書籍になりますが、「講座 教学研究3 特集=観心本尊抄」(昭和57年発行)に池田先生が戸田先生との教学の思い出、教学を学ぶ姿勢について「観心本尊抄に学ぶ」と題して筆を取られています。この中から二つだけ取り上げて、ここに記します。

====引用開始====
昭和二十五年の暮れのことと記憶している。先生と、湘南電車で二人だけの旅をした。車中、例によって御書を開いた。「観心本尊抄」であった。
先生は即座に、日寛上人の文段を開くように命じられた。
(中略:文段の内容が記されている)
その時、先生は車窓から広大な太平洋を眺めながら言われた。
「あの太平洋のような大境涯の信心で、この御抄を拝していかなければ、御本仏の御心に近づくことはできないよ。ただ才智で、御書がわかればよいとする人は、大なる過ちを犯してしまうのだ」と。
御書を拝する姿勢の根本的指導であった。私は稲妻にうたれるごとき衝撃を覚えた。
====引用終り====

====引用開始====
またある時、私は仲間と共に御書を拝しながら論議しあった。その光景を、先生はじっと見ておられた。その御文は「其の為体(ていたらく)本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・(中略)末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(同二四七ページ)であった。
やがてこの御文の解釈が二派にわかれた。両者とも「こう拝するのが正しい」と言い合って譲らなかった。その時、先生は、「大聖人の御聖訓を凡夫の身である我々が、”こう拝する”と断定することは、絶対にあってはならない。”このように拝せる”とか、”このような拝し方がある”というならまだしも、未だ得ざるをこれ得たりと思う、増上慢になっては絶対にならない」とおっしゃった。この一点は、今もって私の求道への謙虚さの、ひとつの原点となっている。
更に続けて、「御書は、末法の御本仏の経典である。一行一行、一語一語をは、絶対なりと南無しながらの拝読でなければならない。いささかたりとも、我見でわかったように錯覚してはならない」と重ねて言われた。私達が身ぶるいするほどの厳しさが、そこには顕れていた。先生の講義は、まさしく剣豪の修行を思わせるものであり、あいまいな解釈は許されなかった。また信心なき解釈はすぐに見破られてしまった。
====引用終り====

大聖人の真蹟の研究、真偽未決の御書の裁定など研究を推進することは重要だと思います。また、その研究成果を踏まえた上での宗教団体の教学研究であるべきことは言うまでもありません。
宗教団体の教学研究は二代・三代の会長の指導のように真摯な姿勢の上に行なわれるべきであって、大聖人の真意に肉迫していくべきだと考えます。
私が「日蓮本仏」で良いと考える理由の一つも、このような指導を受けてのことかもしれません。

更に、創価学会という宗教団体の教義は、多方面からの検討の上に定められるべきものです。一部の人間が、気に入らない人間を排除して定めるものではありません。
教学研究は、特に初期段階にあっては「試論」というところから出発し、議論を重ねる方が価値的だと考えます。
一部の試論が検討を経ないで、いきなり教義に成り上がるのは問題だと考えます。
更に、元・教学部の方が慎重に対処するようにとの説得を試みたにも関わらず、また先生の意向を無視して、一学説を教義に制定するのは度を越しています。
慎重に議論を進めるべきだったと考えます。

勿論、学会組織を破壊しようとする内外の勢力から、学会員を護るためには、悠長なことではいけませんが…。
広宣部・教宣部の皆様、常日頃の活動・研鑽、お疲れ様です。
 

日蓮仏法2.0様からのコメントに… 2/5

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分25秒
  2. 私の主張

以下は日蓮仏法2.0様のコメントです。
>私の提唱する人間主義の凡夫本仏論を、正宗教学の日蓮久遠本仏論と宮田さんの釈尊回帰の立場の間にある中道路線の一つのオプションとして提示されていないのが残念です。<
「凡夫本仏論をCleaSkyが取り上げていないことを残念」とのことだと思いますが、ここではその理由を記したいと思います。
話を進めるにあたって、最初に私の主張を述べさせて頂きます。

(1)日蓮本仏を支持
(2)池田先生の指導を根幹に学会は進むべき
(3)2014年11月以降の一連の教義改定は不要

(1)に関しては、先に述べたように、私は、日蓮仏法2.0様の「日蓮本仏を否定した前提での凡夫本仏」には抵抗感があります。
「本仏」に関しての定義が、日蓮仏法2.0様と私の間では違っているのが第一ですが、この他にも生命観、大聖人の出世の本懐、御振舞からの考察などに関しても、いつか私の意見を記させて頂きたいと考えています。
また、「大聖人・釈尊・凡夫の生命に関する考察」「本尊を図顕した仏(本仏)」「十号を備えた仏」という側面の考察も必要なのではないかとの考えです。

(2)に関しては、先に、①従来(2014年11月以前)の学会教学と②日蓮仏法2.0と③宮田学説を比較しました。
ここで、①従来の学会教学と②日蓮仏法2.0には違いを認めることができます。多くの点で違いますが、両者の違いの根源は「日蓮本仏の採否」だと考えています。
これに関しては、また改めて・・・。

一方の③宮田学説ですが、現在の学会教学は、少しずつこの説に修正されているように感じます。しかも、この修正の度合いは年々加速していると思われます。
この学会教学の修正は、宮田氏が学会教学室のアドバイザーであるとのことなので、当然かもしれません。
しかし、この修正内容は、池田先生がかつて指導されてきた内容とは異なっています。
もし仮に、「池田先生の指導と異なった教義」であっても、「合理性があれば修正を受け入れるべき」との考えもあるかもしれません。
それは、修正内容である宮田氏の学説が合理性を有しており、修正方法も「会員が悩んだり苦しんだりしない」形を十分検討する必要があるでしょう。
(私は修正する必要はないと思っていますが・・・・)

では、宮田氏は教義に関してどのように考えているのでしょうか?
以下は「SGI各国のHPの教義紹介の差異について」からの一部の引用です(http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/sgihp.html)。
学会から脱会して日蓮正宗に戻った人物に関しての記述ですが、現在の学会員に関しての記述もあります。

「私は宗教にとって教義はそれなりに重要であると考える一人であるが、日蓮正宗の教義がもはや何の学問的説得力もないことにまだ気づかないで、日蓮正宗の信仰に戻ったことを嬉々として語るそのメンタリティに、それはいまだ日蓮正宗の教義を批判的に総括できない創価学会の会員にも共有されているようだが、この人たちは私とは違う世界に生きているとしか思いようがない。」

ここで、宮田氏の論文のこの一部で気になった点を挙げると
①「宗教にとって教義はそれなりに重要」
この教義に対する姿勢は、学会教学に携わる人としては首をかしげざるを得ません。
教義の証明は難しいとしても、絶対の真理として定める宗教の教義は「極めて重要」だと私などは考えますが、「それなりに重要」とあります。
もしかすると「教義は重要」だが、「それにもまして重要な何かがある」と考えているのかも知れず、氏の真意を慎重に判断する必要があります。
また、「文は意を尽くさず」と言いますから、真意を様々な点から検証する必要がありそうです。
(「大聖人は自分で本仏と言っていないから本仏ではない」と主張する人であっても・・・・)

②「日蓮正宗の教義を批判的に総括できない学会員は私とは違う世界に生きている(主旨)」
残念です。未だ総括してない人も既に総括できた人も、同じ娑婆世界に住む住人かと思ってました。

確かに、誰でも、論文を自由に記述する自由はあるでしょう。
一方で、様々なものの中から何を信じるか、またそれを判断する自由も人は持っています。

個人的な印象を記しますと、宮田氏の教義は乱暴だと感じます。また教義の展開方法も誠実且つ真摯に行なわれていないのは、異なる意見を持つ者を「違う世界」に追いやるような姿勢です(追放は宮田氏ではなく、執行部の一部ですが)。その結果が、2014年の教義変更となったと私は考えます。
更に、それを諌めようとした元・教学部のメンバーを排除したことは問題だと考えます。

元々、私が「大聖人観と御本尊観」シリーズを書き始めた理由は2014年の会則の教義条項の変更に、「先生の成し遂げられてきた功績を破壊」する「何か」があるとの考えからです。その「何か」とは、先生を蔑ろにする勢力であり、会員を利用する幹部であり、それに対して戦わない心だと思います。
また、教義に於いても、「次第に改変されていく学会教学」と、「従来の先生の指導に基づいた以前の学会教学」を比較する場合、後者である池田先生・三代会長の教学を根本にすべきだとの考えです。
そのため、このシリーズでは「2014年以降の改変された教学」と「従来の学会教学」を優先して取り上げています。

「日蓮仏法2.0」と私の支持する「従来の学会教学」とは相違がありますが、それは「日蓮本仏の採否」という一点から起きているのだと個人的には考えています。日蓮仏法2.0様は「試論」として「凡夫本仏論」を上梓され、真実を求めて議論したいのだと感じています。
また著作(凡夫即身成仏論)を拝見しても、①池田先生の著作から論点を説き起こしたいという姿勢が感じられる、②池田先生との思い出を大事にされている、③欧米SGIの不条理な組織実態(「教団内部の権威主義と階層制度、寄付金・財務の不透明な管理、・・・・思想・言論・批判の自由の抑圧・・・」)に対し危惧していることが記されています。日本の創価学会、SGIに於いて、どのような教義であるべきか考えたいとのベクトル(方向性)は同じ方向かもしれないと考えています。

故に、このシリーズで、「日蓮仏法2.0」を、「現・学会教学」と同様の批判の対象としてはいません。
(未だ十分読み込めていないですし、私も議論のベースとなる考えを伝えてませんし)。
もし、より深く議論する場合でも、私の今回のシリーズの資料を議論の場(従来の学会教学と日蓮仏法2.0との議論)にしない方が良いと考えました。
たとえ、最終的に教義の合意を得られなくても、日蓮仏法2.0様の主張を先ずはもう少し理解したいと思います。

(日蓮仏法2.0を取り上げなくて)「残念」とのことですが、このシリーズではその方が良いのかなと考えてのことでした。
「大聖人観と御本尊観」シリーズの第五章では、私の議論のベース(生命観、大聖人の出世の本懐、御振舞からの考察など)を記そうと思っています。
 

日蓮仏法2.0様からのコメントに… 1/5

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分18秒
  1. 教義の比較

本投稿は、日蓮仏法2.0様の投稿に対するコメントです。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72590

しかし、掲示板を閲覧している方にも理解して頂きたいと思い、下記の三論の違いが分かるよう、細かいところは省いて特徴的な項目を表にしてみました。
日蓮仏法2.0様は既に熟知されており、必要ないと思いますが、掲示板の読者の方向けにもご興味があれば理解して欲しいと思い掲示します。

(1)従来の学会教学(2014年11月以前)
(2)日蓮仏法2.0説
(3)宮田学説

最初に確認です。
掲示板の閲覧者の方が、より詳細を理解するためには「凡夫即身成仏論」の書籍を読んで頂くにしても、日蓮仏法2.0様の意図する所として、別表の要点は、凡そ間違っていないでしょうか?
以下は、日蓮仏法2.0様の説を「日蓮仏法2.0」と記します。

特徴的な点だけ記します。

(3)に関して
■学会教学室・アドバイザーの宮田氏の学説(宮田学説)は、従来(2014年11月以前)の学会教学の根幹を否定しており、
 これは同時に池田先生・戸田先生の過去の指導を否定するものでもあります。
 後ろ盾の威光を頼みとした宮田氏の次のような主張が確認できます。
「(教義変更は)皆、いつかは変えなければと思ってきた。池田先生が亡くなった後に変えるのか、生きてるうちに変えるのか、そういう選択です(日本宗教学会の講演 2015年)」
「私は現在創価学会の本尊論構築に向けて研究を進めている(「優陀那日輝『本尊略弁』の構成と諸問題」から)」

(2)に関して
■日蓮仏法2.0様の主張は、文底仏法は堅持しながらも、「本仏とは凡夫」であり、「日蓮大聖人は久遠の本仏ではない」との主張から全てが始まっていると考えます。
一見すると「従来の日蓮本仏の学会教学」の上に、「凡夫こそ本仏」を強調した論であるとの印象を受けますが、実は「日蓮本仏」を否定した上での「凡夫本仏」だと考えます。

(1)に関して
■「従来の学会教学」とは、2014年の会則の教義条項の変更前の教学を意味しています。
厳密には2002年位以前の教学という方が良いのかもしれませんが、ここでは2014年11月以前とします。
日蓮大聖人を主師親の仏として、凡夫の成仏を目的とする本仏観と考えています。

------
(補足)
「凡夫本仏」に関する私の考えは、機会があれば改めて記したいと考えています(この考察のベースとなる資料は後日)。
ここでは、印象のみ記します。

私の周りでは、「凡夫即身成仏論」を読んだ感想を聞くと、素直に受け入れ難い印象を語っており、私の印象も同様です。
その抵抗感の源を考えているのですが、その一因は「本仏の定義」でもあるのではないかと考えています。
勿論、学会員のほとんどは、「凡夫即仏」「凡夫成仏」を支持しています。しかし、私は「日蓮本仏の否定」の上に「凡夫本仏」との主張には抵抗感があります。掲示板で違和感を持たれている方も同じではないでしょうか。

凡夫本仏論での「本仏」は「迹仏」に対する用法に由来しているのだと思いますが、この認識は正しいでしょうか?
(一例:凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり:諸法実相抄)

日蓮仏法2.0でいう「本仏」の定義は「『本仏』とは実在する人間に仏性が現成すること」(凡夫即身成仏論 99頁)とあります。
私(達)は、仏法における「師弟」の重要性を重視しています。自分自身を法を求める弟子とした場合の師匠です。
仏法、特に大乗仏教では、「自身の悟り(仏界)の成就」と「他者の救済の実践」を菩薩の修行に求めています。
特に菩薩の修行に於ける前者は、小乗教が悟りを得たとしても仏にはなれないと考えていたのに対し、自身の仏を開く(成仏する)教えです。

更に言うと、私を含め多くの学会員は、後者の「自身と他者」の関係に於いて、自分が救済者・師匠になるというよりも、お互いに同志として共に師の教えを求め実践すると言う実践形態を採っていると考えてもよいと思います。
この「師弟」の「師」を敷衍して、「主師親」の振舞が仏の定義でもあると思います。
多くの学会員が、「本仏」に関しては「主師親」や「仏の十号」で述べられているところの「仏」のイメージを有していると私は感じます。
戸田先生も「人々が仏を感ずる、指導者を欲する、それに応じて仏が出現する」と指導されています。そのような「本仏」のイメージを持っているのだと思います。
一方、それを自分に当てはめて「私が本仏だ」とは素直に宣言できず、抵抗感が生じているのではないでしょうか?

また、嫌いな人物を思い浮かべてみます。「その人物も本仏」だと思えるようになるには相当な人間革命を重ねて行かなければなりません(笑)。
確かに、善悪無記であり、また、極楽寺良寛や平左衛門尉が善智識なのですから、境涯が高くなればそう思えるのでしょう。
一般的な感覚では、「皆が仏なんだから・・・」とは思えても、「皆が本仏なんだから・・・」という感覚は、仮に正しいとは分かっていても、感情的には修行が必要だと思います。
「皆が仏…」と「皆が本仏…」の両者は似ているようですが、意味が違ってきます。
読んだ方が抵抗感を感じるのは、このようなことなのではないでしょうか?

たとえ違和感を感じている人を含めて、学会員の多くは「凡夫こそ本仏」との考えを否定するものはいないと思います。
しかし、「日蓮本仏を否定」して「凡夫本仏論こそが正しい」との主張には抵抗感がある、というのが正直なところではないかと考えています。

感覚的でファジーな意見ですみません。

他にもありますが、詳細は、今は省きます。
 

日蓮仏法2.0様へ

 投稿者:ClearSky  投稿日:2017年 8月24日(木)01時14分6秒
  日蓮仏法2.0様に暫く、投稿を控えましょうと提案して、一月ほど経ちました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/72598

その間、試論「日蓮仏法2.0」に声援を送る人がいらっしゃることも確認できました。

しかし、未だ、書籍「凡夫即身成仏論」を手にとって見ておられない方も多くいると思います。
折角なので、日蓮仏法2.0様と私のやり取りだけでなく、凡夫本仏論の特徴を紹介させて頂いた後、日蓮仏法2.0様から寄せられたコメントに関して少しですが記したいと考えております。

以前、簡潔に述べようと記しましたが、ある程度の分量になってしまいました。
これは、この際、私のスタンスも一度きちんと表明しようと思ってのことです。

ご興味があれば読んでみて下さい。

ClearSky(クリアスカイ)
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 8月24日(木)00時05分5秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
原田会長、副会長、弁護士、職員の
あくどい商売、査問、詐欺師集団の方々に
御題目をおくります
ありがとうございました
おやすみなさい
 

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 8月23日(水)23時54分34秒
  対策様
最近のチャチな教学試験と比べて将来はかなり高度になるのですね。
1級には『信濃藩家中見聞』からの出題もありそうでしょうか。
 

同盟題目は23時に開始です。よろしくお願い致します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 8月23日(水)22時58分23秒
  関東は夏が戻ってきました。偽会長がいないからでしょうか?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/73361

今年の夏は事故が多いような気がします。
皆様のご健勝と活躍を祈ります。
池田先生にご報告できるよう頑張りましょう。
なお、体調が悪い方は無理に同盟題目に参加する必要はありません。価値的に時間を使っていきましょう。
 

ありがとうございます!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 8月23日(水)22時56分39秒
  ダメよ~ダメダメ様
代理投稿、ありがとうございます!
心から感謝致しますm(__)m
 

久しぶりの代理投稿。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 8月23日(水)22時09分58秒
編集済
  宮川日護師よりの代理投稿です。

以下、代理投稿。

「 艱難を自ら求め、乗り越えていく、正義の人になってほしい。

皆が、その約束を果たすかどうか、私は、じっと見守っているよ 」

1988年、第1回未来部総会。

今年47歳から41歳までの方は師の血の叫びを思い出して欲しい。

当時60歳の先生が18歳から12歳までの魂の弟子に訴えて下さった魂の叫びを。

2030年。未来部の皆さんが60歳になった時、先生の宝の創価学会創立百周年。

先生が今世に生きていて下されば102歳。

真の「先生の創価学会」再建の為に2度の病を乗り越えて戦って下さっている師の広宣流布、

一切衆生の幸福、世界平和への正義を受け継ぐ時ではないだろうか。

映像を見て、思い出して欲しい。


正義の走者 「未来部総会」

https://www.youtube.com/watch?v=gLz6h_POCyY&feature=youtu.be
 

ビデオ「PK」

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 8月23日(水)21時50分24秒
  Saysaysay様・・・観ました・・ (インド映画)

ユーモラスな映画ですね。しかし、宗教全般に対して非常に含蓄の深い映画です・・

よく、インドで封切りできたと思います・・

お時間ある方は是非・・いかに、大聖人の仏法に出会う事ができた事の偉大さ、

さらに、それを教えていただいた池田先生をしる事が出来たか・・

まさに、一眼の亀のごときと感じた次第です・・

しかし、インドも美男・美女が多い・・
 

御書(立正観抄)に学ぶ

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 8月23日(水)19時40分37秒
  立正観抄(P532)に曰く、

「当世の天台宗の学者は天台の石塔の血脈を秘し失う故に天台の血脈相承の秘法を習い失いて我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り錦の袋に入れて頸に懸け箱の底に埋めて高直に売る故に邪義国中に流布して天台の仏法破失するなり」

通解
今現在の創価の教学部・執行部は、師匠の「人間主義」「師弟不二」といった血脈を亡失しているから、自分で勝手に「怪鳥無謬の血脈」

「怪鳥様は偉いんデスッ!」といって、自分達で勝手に、師匠の言葉や書物を改竄・捏造し、その師匠の真意を隠して、似たようなものを作り、

それを、高値で、会員に販売している。このために、一見正しそうな邪義が学会中に流布して、師匠の思想が破れ失われるのである。



どぉ~デスかぁ~? 原田怪鳥様、御書の通りになってませんかぁ~(笑)


 

学会員が公明党の政策を批判すると査問される

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 8月23日(水)19時18分11秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

公明党の政策を批判する学会員さんが創価学会職員によって「査問」され「役職解任等」の「処分」を受けています。

創価学会と公明党の折衝をする創価学会職員が「査問」の指揮を取っていた事案もありました。

皆様も十分ご承知かと思いますが、政教分離の原則から見ても創価学会がどの政党を支援するのは自由であります。

また創価学会員がどの政党を支援するのも自由であります。

しかし創価学会員が公明党を批判すると、創価学会職員から「査問」と言う「圧迫」を受けることは問題であります。

宗教団体が支援政党を支援しない会員に圧力をかけて、迫害するのです。
しかも会館の個室等を使っての「査問、尋問」です。
密室です。

宗教団体は税法を優遇された公益法人であります。
その宗教団体の施設で公明党を支援しない会員さんを「査問、尋問」しているのです。

また公明党の職員が「査問、尋問」した事案もあります。

このようなおぞましい状況は当然、池田先生が公の場から出なくなった後に行われるようになりました。

原田会長率いる執行部の問題であります。

皆様はこのような状況をどう思われますか?

 

明日の随筆。

 投稿者:コンペー  投稿日:2017年 8月23日(水)19時08分49秒
  あす、池田先生の入信70周年。
後にも先にも、先生ほど偉大な指導者はいないだろう。
明日の随筆を待ちのぞむ。

 

将来の教学試験

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 8月23日(水)16時38分26秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

仏敵には舌鋒鋭く責めることが大切です。
そして仏敵を笑い飛ばすことも大切です。

先程、書き込みさせていただいた将来の教学試験について笑い飛ばす問題を作ってみることも良いのではないでしょうか?

任用試験
次の「 」に適当な数字を入れなさい

①原田は「 」号と「 」号
※ヒントは現在は笠貫未亡人とペルー旅行中。

②3749「 」の谷川
※ヒントはイッタのでしょう。

③秋谷は「 」口
※ヒントはこんなに少ないのと驚きます。

次の「 」に適当な語句を入れなさい
①山崎正友の部下だったが現在は偉い「  」弁護士
※ヒントは法匪

②獣との記別を受けたのは「 」元全国男子部長
※ヒントは自称東大を蹴って創価大学に入った人です。

③会則変更について己心の青年部が全面的に賛成したと発言した「 」全国青年部長
※ヒントは肥満です。


以前にこの掲示板に時代劇風に書かれた記事がありました。
これぞ庶民の力と言う感じがしました。
 

この掲示板は

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 8月23日(水)16時17分47秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

この掲示板は池田先生を敬愛する方が集う掲示板です。
また初めて閲覧される方もたくさんいることでしょう。

逆に毎日閲覧されている方であれば、また「その書き込みか?」と思うこともあるでしょう。
そのような方は、初めて閲覧される方の事を思いやってあげて欲しいと思います。

初めてこの掲示板に来る方は、現在の創価学会の活動に問題を感じて、もう一度池田先生が本部幹部会などで御指導をしていただいていた時のように、楽しく明るく爽やかに学会活動がしたいと思い悩んでいるからです。

心ある皆様が池田先生だったらどう書き込みされるか?
この一点が大切です。

ですから、毎日珍聞と内容は舌鋒鋭く、文章はユニークに書かれる方もいらっしゃいます。
他にも教学的な観点から書かれる方もいらっしゃいます。
日本以外の国から書き込まれる方もいらっしゃいます。

そして何よりも閲覧される方が池田先生であったらどうされるか?
と思われることが最重要です。

 

法難を受けたことがない主任副会長

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 8月23日(水)16時00分3秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

谷川主任副会長は「法難」を受けたことがあるのでしょうか?

副会長の筆頭であり、公明党の政策に批判した会員さんを「査問、解任」の指揮を取った副会長です。

さぞや「法華経の行者」として「法難」を受けているのでしょう。

しかし聞こえてくることは派田地氏を刑事告訴しておきながら立件できずき二度と御自身の恥ずかしい過去について正義の証明をできなくなった「法難擬き」しかないのではないでしょうか?

将来の教学試験に374919の「法難」が問題にならないことを願います。

各地を回って「査問、解任」の陣頭指揮を取る谷川主任副会長の受けた「法難」を誰かご存知であればご教示下さい。
 

法難を受けたことがない会長は原田

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 8月23日(水)15時48分5秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

日蓮仏法で正義のリーダーの「証し」は何でしょう?

それは「法難の有無」で「証明」されます。

牧口先生、戸田先生、池田先生は皆様もご承知の通り「法難の連続」でした。

さて、原田会長は「法難」を受けたことがあるのでしょうか?

この掲示板をご覧の皆様は身近な職員や外郭職員に聞いて下さい。
原田会長は「法難」を受けたことがありますか?
また貴方様は「法難」を受けたことがありますか?

「法難」を受けたこともない会長は「法華経の行者」ではありませんよね?

神奈川県の杉山副会長が原田会長は偉いのです!と発言したことは皆様もご承知の通りです。

何が偉いのでしょうか?

皆様も身近な職員や外郭職員に聞いて下さい。
原田会長は偉いのですか?
貴方様は偉いのですか?

偉いと言わない職員がいたらオカシイですよね?

でも言わない職員はマトモですね。

そうそう。もう1つ。
愛人との間に子供を作った原田会長は偉いのでしょうか?
亡くなった奥様は草葉の陰で泣いているこでしょう。
こんな来世のことを信じることは原田会長の信仰にはありませんよね?

今一瞬の快楽に身を任せることこそ今世の思いでなるべしですよね?
 

twitterより。学園の質問会。師弟不二とは?「それはね、悪い幹部に言ったの」この一言を原田会長に伝えたい。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 8月23日(水)14時35分13秒
  かつて学園の質問会。ある学園生が随筆を読み上げて「師弟不二とは」と質問した。
先生は「それはね、悪い幹部に言ったの。」
「今はそんな難しいこと考えなくていいから、勉強頑張りなさい」「聖教新聞読んだって成績上がらないでしょ」「教科書読みなさい」と。
 

庶民の責任で、権力者を排除しなければ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 8月23日(水)12時34分17秒
  ジュネーブ軍縮会議で、日本の高校生平和大使が、3年連続して演説していたのだが、今年は政府に中止させられたそうだ。

演説の中で、核兵器禁止条約の件に触れられるのを、恐れたからだろうと言われている。

日本政府は、世界唯一の被爆国であるにもかかわらず、みっともなくも核兵器禁止条約に反対している。
与党である公明党も政権にへつらい、反対の立場だ。
にもかかわらず、創価学会執行部は正義の味方ヅラをして、核兵器反対と言う。

こういう明白で幼稚な詐欺を、学会員はいつまで許すのだろうかと、暗澹たる気持ちにさせられる。
学会執行部は核兵器に反対ならば、公明党にその意向をはっきり伝えるべきだ。伝えているのに従わないとしたら、支援する必要は無い。
逆に賛成ならば、戸田先生の核兵器反対の姿勢は間違った邪説だと、政教珍聞で大宣言すべきだ。
二つに一つだ。二枚舌を使うのはもういい加減にしろ。あんな論理矛盾を平気で書く新聞など、他の記事も読む気がしない。

話は変わるが、テレビでよく見かける、高須クリニックの院長。
「ヒトラーは私心のない、本物の愛国者だ」などと騒いでいるらしい。

最近では、ナチ須クリニックと揶揄されているようだが、上手いこと言うものだ。
ドイツでは、ナチスを賞賛する者は捕まるらしいが、大丈夫なのかこの人?
ヒトラーを愛国者だと言う人の目には、日本の首相も同じ意味で愛国者に見えるはずだ。


米軍のイージス艦、6月に続いてまた衝突事故。死者も出ているし、事故の状況がほぼそっくり同じ。
一時全艦艇の運用を中止。司令官は更迭されるようだ。サイバー攻撃の疑いも含め、厳正な調査が行われる。

問題を起こせば責任を取るのは、極めて正常な事で、羨ましい限りだ。
日本では、誰も責任を取らない。


安倍政権は、何度問題を起こしてもアウトにならない、ゴマメ政権。
誰も責任を取らないのなら、我々庶民が辞めさせる以外、方法は無い。


 

昭和54年問題再考004

 投稿者:The logic in the place bot  投稿日:2017年 8月23日(水)12時21分30秒
  お詫び・訂正その五十九

昭和54年問題再考004

投稿者:The logic in the place

投稿日:2015年 7月 9日(木)13時17分20秒



さて、第一次宗門問題に関する資料を添付します。7日以内にダウンロードしてください。

これは、昭和54年の先生退任以降、あまりの混乱振りで宗門も学会組織もガタガタになり、

事態収拾のために、末寺で配布された小冊子です。この2冊を読むと今もって騒いでいる

法華講員(昔、学会員だった者)の稚拙がよく理解できます。私は今もこの2冊でバッサリと檀徒を叩いています(笑)。



御法主日顕上人御指南

http://firestorage.jp/download/057a4955b415c5eeabc05fe988ea9028b8320a9d

ダウンロードパスワード zqmiz2cd



宗内檀徒の皆さんへ

http://firestorage.jp/download/f1a242286f1b6a47d5ae3d95033cc6df1a938f05

ダウンロードパスワード zqmiz2cd



共に、昭和55年11月に札幌・仏見寺の受付にて配布していた資料です。

しかし、その横には、学会批判の週刊誌コピーも山積みにしており、なんだかな~

と当時学生部であった私は、不信に坊主(藤原広行)を眺めていました(笑)。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



この「昭和54年問題再考004」は、池田先生が現在執筆中の新・人間革命にて端的にまとめられており、それを無視した悪しき投稿です。トンデモナイ投稿でした。



謝罪・お詫びいたしますよ。ほじくり返すようなことは致しませんよ。



簡単に知っておけば良いのです。悪い坊主と山崎正友と原島嵩が全部やっていて、他はみんな良い人ばかりだった。

これが新・人間革命にぃ描かれる人物描写で、後は山本伸一、一人だけの闘いが続いて勝利したと?



だから、私は会則の



???????????????

第14章 賞罰

(懲 戒)

第78条 この会は、会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行なうことができる。

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に主観的に該当する投稿であり、村八分・査問・除名にぃ該当します。



全て大極善幹部様方々を守る為に、会員資格停止(供養だけはOK?)、発言も活動も停止!会館デキンの処置をされます。

反逆者!裏切者!極悪!大極悪人です。



私が極悪人です。誠に(×14)お詫び致します。

二度(×12)と欠点を挙げつらうことは致しません。極善弟子になるために、二度(×12)とこのような投稿は致しません。だから許して下さいね。何度も丁寧に謝ってます。



だから、私は何度(×14)も、お詫び・訂正・謝罪・改心を、大極善会員の皆様のように『裏』ではやらずに、この宿坊の掲示板で『公』に謝罪しますね。これが一般社会通念です。



会則における全権統理する会長が『黒は白だ、偉いんです!』と次々に認定発言されれば、我々末端の会員は、それに付き従い『その通り、黒は白です!』と次々に口裏合わせするのが当たり前です。

それが極善弟子になり、改心した証ともなり、処分も解雇もクリアーできる営為です。



極善弟子、極善会員に間違いなど無い!間違いを糾す者が間違ってる!と言うことを私は繰り返して、頭悪いんで、また繰り返すかもしれません。この繰り返しが極善会員への改心活動です。



その都度、何度も訂正して、『間違いが間違っているから、間違いなんだ?いや、会長が認定している!池田先生も認定しているはずだ!だから、これで良いのだ!』と三段論法的に謝罪・訂正・お詫びをば今後共にしていきたいと存じます。ちゃんと監視している大極善弟子の極善会員の皆さまは記録して下さいよ。



今更、改心しても手遅れですが、頭悪いんでこれからもどしどし誠実にして真面目な極善会員になれるよう、改心した極善会員の証を投稿したいと存じます。

もっと早く大極善会員さま方(特に高位の本部職員)のように用意周到に、情報源を叩き潰してコッソリ改心していれば良かったと草葉の陰で反省しています。



処分の撤回は二度と無く、今生では査問やら対話も全く有りませんが、今後も謝罪・訂正をば続けていきますよ。



ありがとうございました。
 

21世紀への選択 現実世界と対話しつつ民衆のなかで法を具現化 P98 投稿しました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月23日(水)10時57分33秒
  昨日は一日中講習で疲れていました、投稿しようと思っていましたが、できていませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

21世紀への選択 現実世界と対話しつつ民衆のなかで法を具現化 P98  投稿しました。


ポイント
*、池田
 話は戻りますが、「警世の人」が権力の座にいる人々に受け入れられるはずはあり

ません。

・・・・・・・・・・ 中略・・・・・・・・・・・・

 日蓮はそのなかで"人々を守る人はだれか""精神的指導者はだれか""子を思う親のよう

に人々を愛する人はだれか"・・・という三つの観点から、歴史の検証を行っています。

そして教主釈尊こそが、その三点において傑出した人であり、弾圧に抗しながら、一

切衆生は平等に仏性を有するという法を弘めている日蓮こそ、その魂を継ぐものである

と宣言するのです。

*、テヘラニアン
 目的観の強固さ、意志の純粋さ、正義と平等を追求する情熱、人は僧侶の介在がなくても、

信仰によって宗教の本源に直接至れるという主張・・・これらのすべてが、驚くほど現代的

であり、民主的な宗教に通じるものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引用します。

【"人々を守る人はだれか"

"精神的指導者はだれか"

"子を思う親のように人々を愛する人はだれか"】


現在に於いて、主・師・親の三徳を備えた人は、只一人です。

中国の貧富の差を見れば、習氏でないことは、歴然・・・トランプ大統領?差別主義者です。

プーチン大統領、ロシアを権力で押さえつけ恐怖政治体制です、どこかの宗教団体と一緒。


【そして教主釈尊こそが・・・・一切衆生は平等に仏性を有するという法を弘めている日蓮こそ、

その魂を継ぐものであると宣言するのです】


現在に於いて、一切衆生は平等に仏性を有するという法を弘めている人は池田先生よりほかにはいないと

宣言します。

世界の人から尊敬されている哲学者、政治家、文学者、等々賢人たちと対談して、90人以上の人を智の

とりことしている・・・全世界の救済者・・・師と仰がれている人は、誰人だと思いますか。

以上、鈴之助
 

生命論

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 8月23日(水)10時32分43秒
  一人のSGI様ありがとうございました・・久しぶりに感動いたしました・・

また、私の体験は恥ずかしい限りです。

あまり、話したことはありません。日本で一組のご夫婦だけお話ししたことがあります・・

「生命論」は戸田先生から始まり、池田先生が深化、我々に開示していただきましたね。

これは、大石寺にはない・・

学会教学の真骨頂・・これに、昔、はまりました・・

昔読んだはずの「私の生命論」ですが・・

読んだ当時???が多かったんだと思います。

凄いの一言です・・これで、やっと、精子と卵子の世界がわかったような・・

さて、生命とは宇宙とは・・

昨日、借りてきたビデオの一つ「メッセンジャー」を見ました。

(題目もちゃんとあげて・・笑)

これも感動ものでした・・

NASAから一人、3つの太陽系惑星からくる発信音を見つけ10年間かけて行くミッション

お供はAIだけです。

NASAからの派遣ですが、自分自身の願いでもあった・・

・・宇宙には我々だけなのか・・・自分の存在とは・・

出発から5年間かけて、三つの惑星で見つけた三つの発信機

それは、ガラスのような透明のもので出来たボール状のものでした

そこで、ミッションは終わり、妻が待つ地球へと向かうはずだった・・

しかし、AIが新たなさらに遠い場所からの発信音をキャッチ

しかし、そこに行くには、あと36年間もかかるとAIは云う

彼は決意する・・・生きて帰れる保証はない・・

なぜ、人類は未知の宇宙の旅に行くのか・・

宇宙と生命の探求・・よくわかります。

自分のミッションを遂行するには、愛する妻をも犠牲にしなければならない・・・

これも、よく理解できます・・自己満足の世界であり、自分勝手の世界でもあります・・

我々は地球にいて生命論を学び、誕生の目的を知り、死後を知り、宇宙を知ることができる

凄いことだと思います。

この凄い大聖人の仏法を曲解しようとする輩がいるとすれば・・・

どうなるか、ご覧あれですが・・

・・諸天の怒りが止まない、昨今です・・・
 

匿名希望さんに関連してツイッターより。

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 8月23日(水)10時23分17秒
  全くいい気なもんですね(笑)

能天気にもほどがあります。原田会長大丈夫か?前代未聞の単なる6代会長。

以下、ツイッターより。


「南米旅行がお好きなんですね、お二人さん。どうせなら未来を託す青年たちに行かせればよいものを…お二人のにやけた顔を見るよりも、青年の弾けるような笑顔の方が、聖教一面には似合うんだけどな」



原田会長  投稿者:匿名希望  投稿日:2017年 8月23日(水)05時53分48秒

本日の聖教新聞。

原田会長と笠貫氏で、ペルーへ。

SGI訪問団と書いてあるけど、写真見る限りは、2人しかおらんように見えますが笑。

原田会長と笠貫さん、旅行では無いですよね?
 

体験が無い?! もったいない信心をしていませんか。

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 8月23日(水)09時46分35秒
編集済
  「正しい信心をしている」ならば体験は必ず出る。
一般会員の心を動かす幸福の実証が出る。
会則改定から3年になるが、どれだけの人に希望を与え、信心の実証を身で示す事が出来たのだろう。

批判(破邪)ばかりでは何も変わらない。
同時に、批判(破邪)無き信心では大功徳は出る事がない。

広宣流布の目的は民衆の幸福。
広宣流布を阻む悪と徹して戦い、希望の対話を拡大し続けてこそ、大功徳に包まれる実証を示す事ができます。

現状の創価学会でも体験は出ますが、学会全体から見れば体験は減ってきている。
体験とは幸福の実証。
幸福の実証が減っているとは、救える人が救えず、治るべき病気が治らない状況なのです。

実際に、大白蓮華9月号では「あしおと(体験談)」は1本のみ。
いくら、任用試験特集号だからと言って、これでは寂しいと感じました。

・妙とは蘇生の義なり 蘇生と申すはよみがへる義なり
・地獄の苦しみぱっときえて
・大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる

奇跡的な人生の逆転劇!絶体絶命の状況から蘇生する体験談!
創価学会の信心とは、この御金言を、そのまま身で現すような奇跡とも言える実証ではないでしょうか。

忘れていけない事は、宿命転換に必要なものは「難」です。
三障四魔が紛然として競い起きてこそ、宿命転換ができ奇跡的な実証が出る。
難を受けても屈せず、広宣流布を諦めない人こそ本物の弟子であり、大功徳に包まれてゆくのです。

もったいない信心をしていませんか?
もっともっと、幸せになれるはずです。


~~~~~~~~


希望の対話を止めない
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73301



 

瑞相御書

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 8月23日(水)09時39分51秒
編集済
 
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疑つて云く証文如何、答えて云く而かも此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや等
云云、去る正嘉・文永の大地震・大天変は天神七代・地神五代は・さてをきぬ、人王九十代・二千
余年が間・日本国にいまだなき天変地夭なり、人の悦び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝釈の
動あり、人の悪心盛なれば天に凶変地に凶夭出来す、瞋恚の大小に随いて天変の大小あり地夭も又
かくのごとし、今日本国・上一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり、此の悪心の根本
は日蓮によりて起れるところなり、守護国界経と申す経あり法華経以後の経なり阿闍世王・仏にま
いりて云く我国に大早魃・大風・大水・飢饉・疫病・年年に起る上他国より我が国をせむ、而るに
仏の出現し給える国なり・いかんと問いまいらせ候しかば・仏答えて云く善き哉・善き哉・大王能
く此の問をなせり、汝には多くの逆罪あり其の中に父を殺し提婆を師として我を害せしむ、この二
罪大なる故かかる大難来ることかくのごとく無量なり、其の中に我が滅後に末法に入つて提婆がや
うなる僧・国中に充満せば正法の僧一人あるべし、彼の悪僧等・正法の人を流罪・死罪に行いて王
の后・乃至万民の女を犯して謗法者の種子の国に充満せば国中に種種の大難をこり後には他国にせ
めらるべしと・とかれて候、今の世の念仏者かくのごとく候上・真言師等が大慢・提婆達多に百千
万億倍すぎて候、真言宗の不思議あらあら申すべし、胎蔵界の八葉の九尊を画にかきて其の上にの
ぼりて諸仏の御面をふみて灌頂と申す事を行うなり、父母の面をふみ天子の頂をふむがごとくなる
者・国中に充満して上下の師となれり、いかでか国ほろびざるべき。
 此の事余が一大事の法門なり又又申すべし、さきにすこしかきて候、いたう人におほせあるべか
らず、びんごとの心ざし一度・二度ならねばいかにとも。

瑞相御書
---------------------------------
この御書は”みだりに人に言ってはいけません。”
と日蓮大聖人様が書かれていますが、いまこそ
語るべき時のような気がします。

現在起きている瑞相に気づいてほしいと思います。
気づいてもどうしたらいいのか?
結局はみんなの幸福、世界の平和を大御本尊様に
毎日願い祈り、対話することだと思います。

”『わが滅後、末法に入って提婆達多のような僧が、国中に充満するとき、
正法を持つ僧が一人出現する。彼等悪僧たちは、この正法の僧を流罪・死罪
に行なった上、王の后をはじめ、一般庶民の女性までも犯して謗法者の種子が
国中に充満するであろう。そしてそのために国中に種々の大難が起こり、やがて
他国からも攻められる』」と説かれている。”

---------------------------------

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

Twitterより

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 8月23日(水)09時37分5秒
  これめちゃめちゃ納得。

以下、Twitterより。

かつて学園の質問会。ある学園生が随筆を読み上げて「師弟不二とは」と質問した。
先生は「それはね、悪い幹部に言ったの。」
「今はそんな難しいこと考えなくていいから、勉強頑張りなさい」「聖教新聞読んだって成績上がらないでしょ」「教科書読みなさい」と。
 

二十一世紀への対話 133

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 8月23日(水)08時38分11秒
  【池田】 困難な時代にあっては、民衆はたしかに指導者のリードに従いやすいものです。したがって、そうした困難な時代にリーダーシップを握ったことは、いまあげられた人々にとって幸運であったといえるでしょう。しかし、それは彼らがその能力を存分に発揮しうる機会に恵まれていたということであって、もしそれだけの能力がない指導者だったら、事態をますます悪化させていたことはいうまでもありません。
それはともかく、私は民主主義体制にあって指導者に委託される権限には、必ず期限がなければならないと考えます。その期限を終えれば、その間の功罪について民衆の審判が下されます。そして、それによって再任されるか、退陣して他の人と交代するかどうかが決定されるわけです。このように、在任中の権限はいかに大きくとも、それはあくまでも民衆から委託されたものであり、その成果については民衆の裁きのもとにあるというのが、独裁制と異なる、民主主義体制における指導者の特質であると思います。
このことはまた、指導者自身にしてみれば、在任中の言動が常に民衆の監視のもとにあることを意識せざるをえないということであり、そこに、次期の再選を望む指導者が、どうしても民衆に迎合する政策をとりやすい、という欠陥も生じてきます。

【トインビー】 民主的な指導者は、望ましからざる二つの道の中間をうまくぬっていかなければならず、しかもその中間で彼が巧みに行動する余地というのはきわめて狭小です。一方の道をとれば、彼は、選挙民の要望が間違っていると判断したときでも、なお彼らの願いに迎合したいという気持ちになることでしょう。この誘惑に負けると、彼は指導者という自分の役割を実質的に放棄することになり、自分に寄せられた信頼を裏切ることになります。これと反対の、もう一つの望ましくない道とは、自分では正しいと判断しながらも、あからさまに提示すれば拒否されるような政策について、選挙民を欺いて賛成投票をさせることです。これもまた、指導者に寄せられた信頼を裏切ることです。しかも、そうした指導者の欺瞞は、遅かれ早かれ見破られるでしょうから、そうなると彼は結局、信頼感の断絶によって信用を失ってしまいます。

【池田】 おっしゃる通りです。指導者は、民衆に迎合するために自己を欺いてもなりませんし、自己の信念を通すために民衆を欺いてもなりません。どこまでも、真実と誠実とを根本としていかなければならないわけです。もし、自己に対しても民衆に対しても欺瞞があったならば、彼はその瞬間から指導者としての資格を失うといっても過言ではありません。そして、権力の座を保持することに終始する政治家ほど、社会にとって迷惑な存在はありません。
その点、かつて貴国イギリスの宰相チャーチルがとった態度は立派だったと思います。第二次世界大戦においてイギリスを国難から救った英雄が、ひとたび戦火がおさまり、戦後の復興期において適切でないと国民から判断されるや、潔くアトリーの労働党に政権を明け渡しているからです。
私は、政治家に望まれるのは、自己に対しても民衆に対しても変わることのない真実、正義感、公正さを貫くことだと考えます。優れた指導者に要請される資質とは、勇気、正義、常識、寛容、礼儀などであり、それらが発揮されるための不可欠の条件とは、大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆のなかに死んでいくという決意でしょう。
さらに、指導者にとってその真価が問われるのは、どれだけ優れた後継者を育てたかです。後継者を育成し、その人々に道を譲っていくというこの仕事は、私利私欲にとらわれず、広く人類社会の未来を想う、愛他的な精神が要求されるものだからです。
しかし、現実には、博士も指摘されたように、そうした優れた指導者というものは、まれにしか存在しません。歴史上の人物をみても、むしろ人格的には必ずしも感心できないような指導者が、業績としてはかえって大きなものを残している例が多いのは、皮肉なことです。

【トインビー】 非民主的な国家では、指導者が武力を行使したり民衆を煽動したりして統治を行なうわけですが、そこでは、ときとして高潔で無私無欲な熱情家――たとえばロベスピエールとレー二ンなど――は、逆に冷酷・陰険で抜け目なく、機転のきく立身出世主義者よりもむしろ禍いを招きやすく、かえって役に立たない場合があります。
漢帝国の高祖劉邦、ローマ帝国のアウグストゥス、それにサラセン帝国のカリフ・ムアーウィーヤの三人は、計算高い立身出世主義的な指導者の例です。彼らはいずれも、前代の指導者に柔軟性がなかったために凋落の兆しをみせ始めていた帝政を引き継ぎましたが、その世故にたけた手腕のおかげで、それぞれ各帝国の体制を崩壊から救って建て直し、そこに恒久的な基盤を与えたのでした。彼らの世才的手腕は、倫理上は決して誉められるものではありませんでした。しかし、当時の状況下では、かえって政治上、好都合だったわけです。
私も、凡庸な資質の指導者であっては、どんな政治体制も首尾よく運営していくことはできないと思います。アメリカ合衆国の歴史上にも、凡庸な大統領が何人かいましたが、彼らは結局、煽動家や策謀家よりも、国家にとって大きな害をなしています。ソ連の歴史では、ブレジネフは疑いもなくあの怪物スターリンよりはましですが、しかし気分屋で精力家の前任者フルシチョフに代わる人物としては、見劣りがするように思われます。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、南米ペルーでの総会、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 8月23日(水)07時44分41秒
  おはようございます。原田怪鳥様、ペルー・国立ピウラ大学、ピウラ作家連盟が池田先生を顕彰、

また、太陽の国ペルーでの総会、誠におめでとうございま~す(笑)

原田怪鳥様が国外に御旅行、もとい、御訪問されたのを、諸天も喜んでいるのか? 東京は久々の青空で、祝っておりまぁ~す(大爆)

でもねぇ~、原田怪鳥様、訪問団とブチあげているワリには、いったいどなたと何人で御訪問されたんデスかぁ~(笑)

クビが曲がった姿の原田怪鳥様と、愛人?、もとい、リオにも御同行された某女史の方しか、写真には写っていませんケドぉ~(笑)

イタリアには、御訪問されなかったのに、ナゼか?、南米には、いそいそと愛人同伴? もとい訪問団での御訪問(笑)

原田怪鳥様と某女史様は南米と相性がイイんデスかぁ~(笑)


また南米代表者会議の開催も併せて、誠におめでとうございま~す(笑)

原田怪鳥様は南米各国の友が「桜梅桃李」「自体顕照」の法理を示しながら地道に師弟の道を歩み抜いたからこそ、

世界広布の模範になったと、強調されたみたいデスが、原田怪鳥様、「桜梅桃李」って、わかっていらっしゃいマスかぁ~(笑)


原田怪鳥様はじめ、執行部と異なる意見を持つ者を、査問・処分・除名するのは「桜梅桃李」デスかぁ~(笑)

ネットや密告により情報を集め、異なる意見を持つ者を、査問・処分・除名するのは「桜梅桃李」デスかぁ~(笑)

ボケカスな反板を立ち上げ、ワケのわからない意味不明な中傷を垂れ流すのは「桜梅桃李」デスかぁ~(笑)

異なる意見を持つ者を、やたらと、〇〇一派、〇〇一家、などとレッテル張りして一括りにしようとしてるのは「桜梅桃李」デスかぁ~(笑)


ところで、南米の友も、間違った御観念文を使用してルンでしょうかぁ~?

小生は、とっても心配しておりまぁ~す、勤行・唱題は基本デスからぁ~(笑)


原田怪鳥様は当然のコトながら、決して、職業勤行ならぬ、基本である勤行・唱題をされていると思いマスケドぉ~(笑)

どうか、「桜梅桃李」の法則を御理解頂いて、法則通りに実行して頂きマスことを、期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

全権統理する絶対権限者に失礼です (笑笑

 投稿者:珍説 谷川革命 (笑笑  投稿日:2017年 8月23日(水)07時22分58秒
  創価学会会長さまは、偉いのです!!
文句を言っちゃ~お終いよぉ~?
これからの会長はぁ、何でもやり放題のし放題。
これが、実証ですからね。  (笑笑
 

わが友に贈る 2017年8月23日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 8月23日(水)07時15分17秒
  弘教・拡大に奮闘する
青年部に温かい応援を!
新時代を担い立つ
後継の躍動の姿に
歓喜と希望は倍加する。
 

原田会長

 投稿者:匿名希望  投稿日:2017年 8月23日(水)05時53分48秒
編集済
  本日の聖教新聞。

原田会長と笠貫氏で、ペルーへ。

SGI訪問団と書いてあるけど、写真見る限りは、2人しかおらんように見えますが笑。

原田会長と笠貫さん、旅行では無いですよね?
 

21世紀への選択 現実世界と対話しつつ民衆のなかで法を具現化 P98

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 8月23日(水)02時24分23秒
  21世紀への選択  現実世界と対話しつつ民衆のなかで法を具現化 P98

池田
 話は戻りますが、「警世の人」が権力の座にいる人々に受け入れられるはずはあり

ません。

日蓮は、二回の流罪を含む国家権力からの弾圧に、耐え続けねばならなかったのです。

 しかし弾圧は、日蓮が「法華経の行者」であることの証でもありました。

 日蓮は極寒の流刑地・佐渡で、『開目抄』と名づけられた一書を認めます。

 日蓮はそのなかで"人々を守る人はだれか""精神的指導者はだれか""子を思う親のよう

に人々を愛する人はだれか"・・・という三つの観点から、歴史の検証を行っています。

そして教主釈尊こそが、その三点において傑出した人であり、弾圧に抗しながら、一

切衆生は平等に仏性を有するという法を弘めている日蓮こそ、その魂を継ぐものである

と宣言するのです。

テヘラニアン
 なるほど。恣意的主張に陥らない、客観的な知的努力がありますね。

 なによりも、民衆への温かなまなざしがあります。

池田
 日蓮は常に、みずからの主張をなすとき、経典にはどう書かれているか(文証)を

 重視しました。また、理性と矛盾しないこと(理証)、現実にその主張が実証されること

(現証)を重視しました。

 いわば"仏と対話しながら""理性と対話しながら"、そして"現実と対話しながら"、

常に自分の主張がドグマに陥っていないことを検証する・・・そのなかで、日蓮は「一切

衆生平等」という『法華経』の精神を深化し、民衆のなかに具現化しようとしたのです。

テヘラニアン
 目的観の強固さ、意志の純粋さ、正義と平等を追求する情熱、人は僧侶の介在がなくても、

信仰によって宗教の本源に直接至れるという主張・・・これらのすべてが、驚くほど現代的

であり、民主的な宗教に通じるものです。

 スーフィズムにおいても、この意志の純粋さということは、われわれの行動を試す最大

のものといってよいでしょう。

そして、私にはムハンマドの生涯を想起させます。日蓮に対する権力者の弾圧も、ムハンマド

がメッカの支配部族から受けた迫害に酷似しています。

また、ムハンマドも狂信者であるかのように誹謗されてきました。

しかし、無理解と迫害は、少しも驚くべきことではありません。

民衆を服従させ、精神的にも政治的にも自信を失わせ、無気力にさせようとする支配

勢力にとって、日蓮とムハンマドの教えは、これからも"脅威"であり続ける、と私は

確信しています。

池田
 日蓮は「虎が吠えれば大風を起こす。竜が唸れば雲が起こる。野兎がないても驢馬

がいなないても、風も吹かず雲も起こらない」(『日蓮大聖人御書全集』】五三八頁、以下

『御書』と略記、趣意)と述べています。

 すべてを見下ろした、悠々たる境界でした。


 

生命の不思議 7/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月23日(水)00時42分15秒
編集済
  この「応身」というのが、意外にもとても複雑なようです。

死の生命の状況として、「法身」は普遍的な側面なので、あまり変わる事は考えられませんし、
「報身」は宇宙の十界のエネルギーに冥伏して、能動的に働くことはできないと思います。
しかし「応身」の側面は、「非情」としての物理的宇宙に合一し、物質としての星などになると書かれています。

言葉を変えて言えば、個の生命の「応身」の潜在化とは、逆により大きな物質に昇華(合一)され、より遍く広がっていくことではないでしょうか。

物質としての星など、、という意味には、この地球上の土や水や植物、鉱物、等も含まれると思います。
つまり、全ての「死」の生命の「応身」が、物理的宇宙に合一するとは、私達の物質的な側面である肉体も含めてのことだと思われます。
なぜなら、私達の体は、自然の中に存在する成分でできているからです。

つまり、「死」の領域に入っていった「精子」と「卵子」のそれぞれの「応身」は、その両方のDNAが合体した時点で、より大きな物質に昇華(合一)されていったと思われます。
そしてこの場合のより大きな物質とは、その新しいDNAにマッチした「応身」の宿業を持った新しい生命ではないでしょうか。

そう考えると、小さな細胞で成り立っている私達の物質的な体の側面は、微生物や外界から取り入れる食物もとりこんで、いくつもの階層になった生死のドラマの舞台ともいえるのではないでしょうか。
依正不二、生死不二、そのものです。

>豚に人のDNAをいれた人用臓器を作る・・それこそ豚+人間・・<

かなり、難しいですね。できればいつか、考えてみたいと思います。(笑い)

思うまま書き連ねましたが、分かりにくくて申し訳ないです。
あくまで、私の考えです。
回答にはなってないと思いますが、「生命を語る」のこの内容は、みんなにも読んでもらいたかったので、いい機会でした。
 

生命の不思議 6/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月23日(水)00時34分29秒
  ではもうひとつの謎、受精の瞬間、もとの精子と卵子の個々の生命はどうなるのでしょう。
精子も卵子も、それぞれの細胞である時、いわば受精以前では、個々の生命を生きていました。
私が思うには、精子と卵子の個としての「法報応の三身」は、「死」の世界の領域に入ったのではないのでしょうか。

仏法では「生」とは生命の「顕在化」、「死」とは生命の「潜在化」と説きます。
更に、「生」とは「法界を一心に縮める」であり、「死」とは「法界に開く」です。
そこから、生命を「法界を一心に縮める」と「顕在化」し、「法界に開く」と「潜在化」になります。
では何が潜在したり顕在したりするのかというという事が問題になりますが、これが個々の生命(宇宙生命と切り離せない)です。
つまり、精子と卵子の個々の生命は受精と同時に「死」の領域に入って、個々の活動は潜在化し、生命は「法界に開」きます。

これについては、私の先の投稿で書いた対談の中に、そのヒントが有るようです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72981
いろいろと考えました 3/4    投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月11日(金)21時32分49秒


池田:ともあれ私達の色心は、(死によって)みずからが「非情」と化すと共に、「非情」としての宇宙 ー つまり 物理的な宇宙
   - に合流していくのです。
   冷たい地球、冷たい宇宙空間とは、まさに、物質としての星とか、空間を意味していましょう。
   植物的生をへて、物質にまで還元されていく人間生命は、「非情」そのものとして、「非情」の宇宙に合一するのです。」
     「生命を語る」第三巻 p163-4より


川田:具体的に「応身」からいきますと、「非情」としての「応身」は物理的宇宙に合一して
   いますね。

池田:宇宙全体を「相好」となすのですから、人間生命の「応身」の側面は宇宙の色法と
   一体になっている。
     同 p167-8
 

生命の不思議 5/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月23日(水)00時32分55秒
  さて、その延長線で私なりの一考察を書きました。

仏法では、あらゆる生物的存在を大別して「有情」と「非情」とに、分類しています。
  「有情」とは文字通り、情のある存在であり、情熱、情念、感情を有し、意識的精神作用を営む生命体です。
  「非情」とは意識とか感情などが生命の奥に埋没した生命体であり、植物などは総じて「非情」界ですし、
   無生物は「非情」そのものです。

では、精子や卵子は動き回る生物なので「有情」でしょうか。
しかし、では「情のある存在であり、情熱、情念、感情を有し、意識的精神作用を営む生命体」でしょうか。

私は、精子や卵子は、それでも「非情」に分類され、意識とか感情などが生命の奥に埋没した生命体だと思います。
そしてその使命は生殖機能として、そのお互いのDNA情報を合一して、新しい生命の発生の場を提供することだと思います。

卵子と精子が合体するとは、卵子の核と精子の核が合体し、ひとつになることです。
つまり、卵子のDNAと精子のDNAが合体し、その両方が合わさった新しいDNAが生まれ出るのでしょう。
それによって、宇宙に冥伏していた新しい有情の生命が胎動します。
先に引用した中で、この転生の仕組みはこう説明されています。

>精卵細胞は、卵子と精子の機能を組み入れ、それらの働きに即しながらも、まったく新しい有情としての脈動を
 開始するのです。

>受精現象を助演としながら、一つの生命体が、死の状態から生へと移るのです。
 そして、受精の瞬間、宇宙生命自体に冥伏していた人間生命の三身が、その精卵細胞によってあらわれでるのです。

>人間生命へと顕在化するための「本因」を宿した死の生命の「我」が、みずからの傾向性に最も適合した
 卵子と精子の結合をとらえるのです。
 そして、卵子と精子の結合という受精現象を助縁としながら、一個の生命体が、この世に出現するのです。

 >内から発動する「本因」とその顕在化を助ける「縁」が、互いに相応し、ぴたりと一致した瞬間、人間生命としての
  精卵細胞が生まれるのです。
  つまり、精卵細胞は「因縁」が「和合」した結果であり、産物であるといえましょう。

(死の状態で宇宙に遍満していたその新しい生命の応身も、そのDNAなどがマッチした一個の精卵細胞に凝縮すると考えられます)

>いいかえれば、宇宙自体を色心としていた死の生命が、一個の細胞に凝縮すると表現できましょう。
 冥伏していた人間生命の三身が精卵細胞に凝縮するからこそ、たったひとつの細胞の中に、未来の人間像を築きあげるための
 基本的な能力が備わることになるのです。

>生と死の明確な定義が、「御義口伝」に「如去の二字は生死の二法なり」とあり、そのあとの部分に
 「法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり」と記されています。

>「御義口伝」の「法界を一心に縮める」という生の働き

、、とここまでは、受精卵の新しい生命についての解説です。

 

生命の不思議 4/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月23日(水)00時14分21秒
編集済
  北川:先ほどでてきました「総勘文抄」の文についてですが、その中に「身を十方法界の国土に遍じ
     心を一切有情の身中に入れて」とありました。
   私達の生命に具体的に当てはめますと、この部分は、死の生命の「我」が、精卵細胞として
   顕現することをさしているのでしょうか。

池田:「御義口伝」の「法界を一心に縮める」という生の働きを、さらに具体的に説かれた文章とい
      えるでしょう。
   「身を十方法界の国土に遍じ」とは、私達の生命体は、宇宙の物質によって構成され、環境と
      連続しているとの意味です。

   私達の生命にあてはめてみると、この世界に転生した瞬間の姿である精卵細胞を構成する
      物質 - つまり、元素とか原子をさしているが - は精子と卵子から引き継いだ
      ものです。
   精子や卵子は、両親の身体の一部であり、人間の肉体を形づくる物質と何らかわったもの
     ではない。

川田:医学的にいいますと、転生の場は、母親の胎内です。もっと精密にいいますと、卵管の膨大部
     と名付けられた部分です。
   母親の生命は、一個の存在として、その環境とも連続しています。

池田:「依正不二」の原理だね。

川田:母の胎内に生じた精卵細胞も、母親の身体を通して、自然界とも人間社会とも連続していると
     考えられます。

池田:宇宙に実在する物質を凝集し、一個の細胞として顕れながらも、国土と連続し一体です。
   転生の場はけっして、この宇宙の外にあるのではない。
   今、私達が生を営んでいるこの国土にふたたび姿をあらわすのです。
   しかも、精卵細胞は単なる物体ではない。「三身」を備えた有情としての姿をとっています。
   「心を一切有情の身中に入れて」と説かれているとおりです。

   もっとも、いまここで話し合っているのは、人間生命としての有情だが、他の生物に転生する
      ケースも含めれば、この文章の意味がさらにあきらかになるでしょう。

北川:「総勘文抄」には、この文章のあとに引き続いて、「内よりは勧発し外よりは引導し内外相応
      し因縁和合して自在神通の慈悲の力を施し、広く衆生を利益すること滞り有る可からず」と
      書かれています。

   ここに説かれている「因縁和合」の「縁」については、人間生命への転生の場合は受精現象が
     これに相当すると思います。
   「内より勧発する因」とは、死の生命に内在する発動性をさすのでしょうか。

池田:死の状態においては、生命の発動性は、冥伏して発現することはできません。
   だが、たとえ冥伏の状態にあるとはいえ、死の生命にもさまざまな種類の力がうずまいている
     でしょう。

川田:確認の意味も含めてうかがいますが、たとえば、人界の境涯が最も強い生命体の場合、その生
      命が死から蘇るとき、人界にともなった「如是力」が主要な働きをなすのでしょうか。

池田:理性とか良心とかを支える、人間らしい欲望が、その生命の内から盛り上がってきて、人間生
     命として再生する為の本源力となるのです。
   そのほかに、もし畜生界などが有力だと仮定すると、その本能的欲望の力が、再生する生命体
     の形態を決定するのです。
  さらに、二乗の洞察力とか、菩薩界の勇猛心などが加わる場合もありうるのです。

   こうして、一個の生命自体にうずまく種々の境涯からの「如是力」が混ざり合って、蘇生の
     ための原動力をなすでしょう。
   つまり、一個の生命内奥から勧発する種々の力こそが、再生を呼び起こす本質的な因と
     なるのです。

北川:死せる生命体にうずまく総合的な力 - つまり「本因」 - を、それに相応する「縁」
   が引きずり出すということでしょうか。
   例えば、人間の受精現象が、人界を基底部とした死の生命を生の世界へと導きだすと -。

池田:いや、そうではない。人間生命へと顕在化するための「本因」を宿した死の生命の「我」が、
     みずからの傾向性に最も適合した
   卵子と精子の結合をとらえるのです。
   そして、卵子と精子の結合という受精現象を助縁としながら、一個の生命体が、この世に出現
     するのです。

   この過程を「総勘文抄」の文章にあてはめてみると「内よりは勧発」するのは、死の生命体に
     宿る総合的な「如是力」であり、人間としての生命体をうるための「本因」です。
   「外より引導する」助縁となるのは、受精という現象です。

   内から発動する「本因」とその顕在化を助ける「縁」が、互いに相応し、ぴたりと一致した
     瞬間、人間生命としての精卵細胞が生まれるのです。
   つまり、精卵細胞は「因縁」が「和合」した結果であり、産物であるといえましょう。

      同 196-203

転載終わり
 

生命の不思議 3/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月23日(水)00時09分57秒
編集済
  川田:私達にとって最も関心の深いのは、何といっても次の世において、再び人間として
     生まれてくる場合です。
   その宿業のいかんによっては、動物とか、またアミーバなどに転生することもないとは
     言えませんが、非常にこみいってきますので、ここでは、人間として再び生まれてくるという
     ケースに限る事にします。
   としますと、発生学上からも、受精現象をとりあげざるを得ないのですが - 。

池田:卵子と精子の結合ですね。受精という現象に即して、一個の生命が顕在化するのです。

川田:受精については、くわしいメカニズムなどは省きますが、成熟した精子が、成熟卵子の表面の
     一部を裸出させて、そこから進入していきます。
   精子というのは、ちょうどオタマジャクシのように、頭があり、尾がついています。
   卵子の中に突入するとき、尾を切り離して頭の部分だけが中央に進んでいきます。
   そして、卵子の核と結合して人間生命に固有な”精卵細胞”が生じるとされています。
   そのあと、受精した精卵細胞が分裂を開始するわけです。
   医学的に概略を述べますと、以上の様ですが、成熟した卵子と精子はともに、一個の生命体で
     すね。

池田:卵子は卵子としての生命体です。同じように精子も、きわめて小さいながらも、それ自体で
     立派な生命的存在です。

川田:そうしますと、人間生命の誕生というか、顕現は、どの時点で可能になるのでしょうか。

池田:医学的見地に立てば、精子の頭部が卵子の核にまで達して、結合した瞬間に、私達の生命の
    「我」が顕在化するのです。

川田:受精した精卵細胞は、卵子と精子との結合したものでありながら、すでに人間生命という別の
     生命体になっている、と考えてよいのでしょうか。

池田:卵子も精子も、一個の細胞です。卵子には卵子の、精子には精子の特有な働きがあるでしょ
     う。
   精卵細胞も一個の細胞であることにかわりはありません。
   だが、外観的には、同じ様に、細胞的生命でありながら、受精した精卵細胞の機能は、卵子と
     も精子とも異なっているはずです。

北川:それにしても、私達の生命といえども、その誕生の瞬間には、たった一つの細胞であるという
      のは、おもしろいですね。

池田:一個の受精した精卵細胞は、すでに人間生命そのものです。その中には、六十兆もの細胞体へ
     と分裂し増殖することによって、肉体と精神の絶妙な働きを作り出すための、基本的な情報も
     すべて含まれています。

川田:それでは、受精する以前の、卵子と精子としての生命はどうなったのでしょうか。
   精卵細胞という別の生命体に変化したと考えるべきでしょうか。

池田:表面的な現象を追っていけば、そのようにとらえることもできるでしょう。
   しかし、人間生命の側から、受精という現象を捉えなおすと、卵子の核と精子の頭部が融合し
     たその瞬間に、卵子及び、精子としての生命は、この結合によって生じた精卵細胞のなかに冥
     伏してしまう、と考えられる。
   精卵細胞は、卵子と精子の機能を組み入れ、それらの働きに即しながらも、まったく新しい
     有情としての脈動を開始するのです。

川田:でも、精子と卵子の結合という現象がなければ、死の状態で冥伏している生命の「我」は、
     再生する場を得ることはできないわけですね。

池田:仏法用語を使うと、受精現象は、転生する生命体にとって、その働きを助ける「縁」になりま
     す。
   つまり、助縁です。
   受精現象を助演としながら、一つの生命体が、死の状態から生へと移るのです。
   そして、受精の瞬間、宇宙生命自体に冥伏していた人間生命の三身が、その精卵細胞によって
      あらわれでるのです。

   いいかえれば、宇宙自体を色心としていた死の生命が、一個の細胞に凝縮すると表現できま
     しょう。
   冥伏していた人間生命の三身が精卵細胞に凝縮するからこそ、たったひとつの細胞の中に、
     未来の人間像をきずきあげるための基本的な能力がそなわることになるのです。
 

生命の不思議 2/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月23日(水)00時08分23秒
編集済
  転載はじめ

池田:ー略ー 生と死の明確な定義が、「御義口伝」に「如去の二字は生死の二法なり」とあり、
    そのあとの部分に「法界を一心に縮むるは如の義なり法界に開くは去の義なり」と記されて
     います。
  「去」すなわち死についてはもはや説明は不要でしょう。

北川:一心を宇宙生命と合体させ、空の状態になるのが「去」であり死であるとの意味ですね。

池田:ここにいう一心とは、私達の生命自体と言っていいでしょう。
   人間生命を宇宙全体に「開く」のが死です。
   今度は、逆に「法界を一心に縮むる」働きを生といい「如」と称するのです。
   言い換えれば、宇宙のあらゆる法を、私達自身「一心」に凝集し、一個の生命体として
      顕れ出るのが生であると表現できましょう。

   こうした生と死の関連性をよく理解してもらうために、若干の例をあげてみたい。
   これは、以前にもたびたび比喩としてあげたものだが、私達の住む空間には、さまざまな
     波長の電波が流れている。
   スタジオで撮影され、録音された画像とか音が電波として、この空間に流される。ちょうど
     私達の生命の死にたとえられる。

川田:空の状態ですね。

池田:電波そのものを人間の五感でとらえることはできません。
   しかし、性能のよい受像機があれば、放送局で電波に乗せたときの画像や音を再生する
      ことが可能です。
   同じように、私たちの生命も、一定の条件が整えば死から生へと変転することが可能です。

     単行本「生命を語る」第三巻 p190-2

 

生命の不思議 1/7

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 8月22日(火)23時55分52秒
編集済
  生涯&広布一筋兄弟様

凄い人生を歩んできた内容が綴ってあった生涯&広布様の先の投稿を読んで、感動しました。
そんな大変な環境の中で、広布の戦いを続けられて来た事は、凄いことです。
奥様も強い方なのですね。
私は、安全な国を選びました。(笑)

遅くなりましたが、ご質問の件、私が知っている範囲内で返信します。

映画鑑賞の合間、時間のあるときに読んで下さい。
日本でゆっくり休んで下さいね。

>ここに生命がある考えると・・ちょっと、書きにくい内容ですが精子や卵子はどうなるのかとおもうのです。
それらは心臓や他の臓器の様に個々に動いています・・

この全体を覆う「個」という「個性」を持つ生命と、それが動かす人体とその各部分・・
その辺が神秘的ですね。
科学者はその神秘を探り出そうとしますが、私などは神秘の一言で・・済ませます。

また、話題になっているクリエーチャー(Creature)、これをどう仏法上解釈すれば良いのか私の頭が痛いのです・・
しかし、竜女の話があります。私は実在だと思っています・・・(話が長くなるので・これでやめます)
豚に人のDNAをいれた人用臓器を作る・・それこそ豚+人間・・

人は口に入れたものから、他のDNAを少しづつ取り入れていく様です・・<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/73005
欧州にくる難民(特に子どもと若者)   投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 8月12日(土)11時07分1秒

「心臓や他の臓器の様に個々に動いている精子や卵子の生命」の個々の生命という部分と、更にそれらが新しい生命を作るときに
その精子や卵子の生命はその後どうなっていくのか、、。
生命の神秘さは、大聖人の仏法の生死観から観てみると、生命の持つダイナミックさ、可能性などが新たな発見や理解となり、
生命に対する敬虔な気持ちへとつながります。
せいめい
たぶん絶版となっていてもう見ることもないメンバーさんもいらっしゃると思いましたので、単行本「生命を語る」という本の
「永遠の生命2」の章の中から「転生の秘密を解く」という箇所の一部を転載しました。

完璧な生命の全体像をとらえる事は、当然できませんが、いくらかのヒントにはなると思います。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 8月22日(火)23時51分9秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
惨めな創価学会幹部がまともになります様に
ありがとうございました
おやすみなさい
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 8月22日(火)22時57分14秒
  23時に開始します。よろしくお願いします。

愛知の方のカミナリ、すごいですね。
中部地方の皆様、ご無事でしょうか?
 

twitterより。権力側はやりたい放題。お互い擦り寄り、していることは極めて類似。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 8月22日(火)22時21分8秒
  この国の流れが悪い事をしても記憶や記録がないと嘘をつき、勇気ある告発者を左遷、嘘に加担した者を優遇など権力者のやりたい放題。学会は権力側でなく悪を許さず正反対だと信じてきたがそれも今は昔。権力側同士、擦り寄り、している事は極めて類似。  

(無題)

 投稿者:史人  投稿日:2017年 8月22日(火)22時20分56秒
  紙飛行機のようなお話しです。
すぐに落下してしまうかも!?

母が意識不明となった時から母の意識が戻るようにと亡くなってからも1年以上は願っていたと思います。
どんな願いも未来にこうなるようにと願うことは容易ですし、また自由です。
ところが、まだ叶ってもいないことを叶ったと思うことは、通常は有り得ないです。
しかし、現実には自分がこういう風に悠々自適に過ごしていると想像するだけでその願いが現実のこととなったということが得てして起こりうるのだそうです。

未来予想図(歌詞もわかりません)があったとして、自分の心の生み出すものであれば、それに近づいていくこともまた可能な場合もあるかもしれません。
但し、治るわけのない状態からの回復は、どうしようもない状態の場合もあります。

集中治療室で私だけがベッドの足元の先で立って意識が戻るよう人目も憚らず手を合わせてお題目を唱えていました。意識は必ず戻ると確信していました。
しかし、回りはみんな諦めていました。心の中だけだったかもしれません。
それが現実だと言えばそうでしょう。

でも、本当は寿命が来ていました。
母はその8年も前に心筋梗塞で亡くなっていた筈の身でした。
しかも、それよりももっと前に入院していた時には、お花畑を見ていたと私に話してくれました。

それならば、現実世界の中においては、まだ叶ってもいない願いが叶ったと思い、御本尊に向かうことは本当に強く確信していなければ出来ないことです。
願いが叶っていくではなく、願いが叶いました。とお題目を唱えても何ら差し支えないです。
具体的であればある程、それに近づいていくのだそうです。

そう願っていると誰にも言う必要もないですし、かえって笑われます。
願いが叶いました。誰も信じない。それで終わりです。
人が信じようが信じまいが自分は確信した、それでいいと思います。

親類となりますが、結果を必ずよい方に考えます。
恐らく、だからこそ、信じられないくらいあのように立派になって・・

戸田先生が小説人間革命に書かれていた、4度同じ苦しみに遇ったから今度こそ自由だという趣旨の確信は見事と言えます。
私も4度同じ苦しみに遇いましたが、開放され方がつまらなかった・・・。
だからこそ結果は悲惨なものだったし、それから7年余りが経って、自分は1人の人も幸福に出来ない人間であると自覚するに至りました。
 

世界には苦しみがいっぱい溢れている

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 8月22日(火)21時35分33秒
  大紀元の記事から・・

「帰りたくない」。こう叫びながらも、無理やりバスに乗せられた少年たち。
7月、中国最貧困地域の一つと数えられる四川省涼山州出身の孤児をボクサーとして育てる
「恩波クラブ」は議論の的となった。

クラブを取材した動画は多数のメディアに取り上げられ、賛否両論を呼び、
少年たちの運命にも分かれ道が訪れた。

一部の批判を受け、クラブは涼山出身の子ども11人を全員地元に帰すことにし、
「今後も同地区の子どもを受け入れない」とした。

話題となった動画で、「(リングとなる)鉄籠を見るだけで、
怖くてたまらない」と少年の一人・龍くんが言う。
それでも、大涼山に戻りたくない。

「家には芋しかないから。ここに牛肉も卵もある。牛乳だって飲める」。
四川省成都市にある「恩波クラブ」のメンバー全員は留守児童、または孤児だ。

2年前、龍くんはクラブにやってきた。5歳のとき、農民工の父が出稼ぎ先で死亡した。
母はほどなくして再婚し、3人の子どもを連れて行かなかった。
上に姉がいて、妹は生まれたばかり。10歳未満の3人の子どもを待っているのは過酷な生活だった。
畑仕事はもちろん、食事も自分たちで作らないといけない。
食事といっても、ほとんど芋を煮たようなものだった。

14歳の吾くんは3年前に恩波クラブに加わった。小さい時に両親は離婚。
学費を払えないため、学校で勉強したのはたったの一週間。
10歳の時、麻薬中毒の母が亡くなる前に残した言葉は「ママの二の舞にならないで」。
涼山に戻ったら、周りの人と同じように麻薬に手を染めたり、窃盗などの非行に走りかねない。
吾くんは帰郷を拒む。

クラブに入りたての当初、ほとんど栄養失調の状態だった。
肉も卵も牛乳もある生活は彼らにとって天国のようだ。

続きは:http://www.epochtimes.jp/2017/08/28216.html

我らの使命は大きい・・

使命を忘れ、惰眠・栄華を貪る創価貴族という名の種族・・

彼らを見下ろしながら、悠々と師弟の道を・・
 

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