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「北高校歌」誕生秘話

 投稿者:田中晋哉  投稿日:2016年 2月 8日(月)16時50分4秒
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  13期の皆様お元気ですか?まだまだ寒い日が続きますが、もう少し辛抱すれば春の入口です。元気に頑張りましょう!
ところで下記の興味深い記事を見つけました。つい口ずさみたくなる素敵な校歌だとは思っていましたが、こんなエピソードがあろうとは…

平成9年度佐賀北高校「開校記念日」講話
1997年5月1日 (木)

「北高校歌」誕生秘話
校 長 西牟田  勲

 お早うございます。校長の西牟田です。
 本日は、佐賀北高校35回目の開校記念日です。昭和38年(1963)年5月1日に、全日制と通信性をもつ現在の北高になったのを記念して、この日を開校記念日としています。
 さて、昨年は、本校の中庭に咲いている「ハナミズキとワシントンの桜」の話をしましたが、きょうは、「北高校歌誕生のエピソード」を紹介します。
 私の友人に、唐津西高の世界史の先生で、久原閑という人がいます。彼は、本校の初代校長である永井茂雄先生の甥に当たります。昨年、彼から一通の手紙をもらいました。その一部を読み上げます。

 今度の北高校長は、校歌の作詞・作曲者の由来をご存じでしょうか。
 私が京都で学生だったとき、伯父である永井茂雄さんから、ある日電話が掛かってきました。
 「おっつあんな高田保馬先生の家ば知っとるかい?」
 「ハッ、はい。一度、大学の佐賀高校同窓会にお招きして、帰りに送っていったことがありますけん、案内はでくっです」と答えました。
 当日、駅まで永井さんを迎えに行きました。
 「高田先生に、一体何のご用ですか」と訊きましたら、
 「うん、北高の校歌の作詞ば頼もうと思うてのう。文書での依頼は済んどっとばってん。きゅうはお土産ば持って挨拶に行きよっと」という答えでした。
 高田先生が、近代経済学の日本における草分けであることは知っていましたが、歌人であることまでは知りませんでした。
 「用件がお済みになったら、京都の町ば案内しましょうか」
 「うんにゃ、そのまま東京に行く。豊増昇さんに作曲ば依頼せんばけん」とおっしゃったのには驚かされました。
 というのも、豊増昇さんといえば、当時世界的なピアニストとして有名であり、日本初のバッハ会員であります。そんなお方に、田舎の一高校の校歌を依頼されるとは! 永井の伯父さんもたいしたもんだ、志が高いなぁと感心させられました。

 手紙文は以上です。
 少し解説をすると、高田保馬先生は小城郡三日月町出身の京都大学教授で社会学者としても世界的な泰斗であり、歌人でもありました。有名な歌として
 故里の山はなつかし母の背に むかし眺めし野火のもゆるも
があります。昭和47年に89歳で亡くなりましたが、現在も三日月町名誉町民として尊敬され顕彰会が結成されています。
豊増昇さんは佐賀市のご出身で、東京芸術大学の教授としても数多くの名ピアニストを育成されました。
 このお二人が、2年8カ月の歳月をかけ心血を注いで作っていただいたのが、わが北高の校歌です。完成したのが、第1期生の卒業式の一週間前であり、彼らはそれから毎日特訓させられたと聞いています。以来、この校歌を唄って卒業した人が、今年の3月で18,189名に上ります。つまり、同窓会「北楠会」の会員であり、君たちの先輩であります。
 このような次第で、北高の校歌は歌詞の質といい、旋律といい、どこよりも立派な格調の高さと品位があります。これを機会に、誇りをもって、校歌を愛してください。
 最後に、校歌にふさわしい学校の生徒として、始業式にお願いした「正しいことが、正しく行われる学校」づくりに協力してください。
 以上をもって、開校記念日の講話といたします。
 
 
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